2025-06-11 59:13

#7-2 理想的な理学療法教育のあり方や強みの活かし方などについて

堀 寛史

https://x.com/hiromumi

田代雄斗

https://x.com/yuto_therapist

00:03
こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
Advanced Therapistのエピソード7回目の後半部分ということで、前回は教育に関することということで、
理学療法教育の学校の編成とか、教育の中身とか、学校の先生の実情とか、今後みたいな話があったんですけど、
後半ではもう一回広く、そもそも教育ってどういう形がいいのかなとか、もうちょっと理学療法に関するところで言えば国際比較とか、
ちょっと広いテーマを考えて話していけたらなと思います。
よろしくお願いします。
実際に教育っていうことになった時に、まず教育の国際水準というか、国際の分類ってあって、
ものすごくかかりやすく言うと、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学っていうふうにあるんですけども、
国際水準は8段階って言われるんですね。
頂点が博士、そして修士、学士、いわゆる専門学校教育、そして高校っていうふうにあるんですけども、
実際に本来は持っている学位によって給与とかが変わってくるんですよね。
あとは社会的地位というのも教育水準によって変わってくるというのが、世界的な基本のスタンスなんです。
なので、理学療法士教育っていうのを考えた時に、だいたい未だに60%以上が専門学校卒になっている。
これをどうにかマジョリティを大卒に変えていかないと、国からの見方が変わらないよっていう、実は大きな問題をはらんでるんですね。
医学教育を見ると医者、あるいは今は薬剤師というのは、修士のレベルなわけです。
つまり8段階の7になってくるんですね。
理学療法士は学士ではなく専門学校っていうのが大半だとすると5段階なんですよ。
この5段階と7段階を戦おうとした時に、絶対に勝てないっていう壁があるってことです。
なるほどですね。
まずは4年生でとか学士でみたいなところですし、そこからどこまでいけるかってところですけど、修士の数も増やしていくとか、徐々に教育水準を上げていけるといいよねって感じですね。
そうですね。本当にまず我々教育側ができることは教育水準というものの質と、あとは量ですよね。
量というのは学士を増やすとかっていうのになってくると思いますけど、この2点をいかに国の施策に合わせつつ、
医療職レベルを上げるということプラス立場を変化させるかっていうのはすごく重要なことかなと思っています。
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ただその前回かな、学校の先生、学校の先生というのは理学療法ではなくて高校だとか中学校の先生に3段階あって短大卒、大卒、修士卒で先週2号1号って違うんだっていう話をしたと。
この人たちがじゃあ先週の人たちの給与が違うかだったら別に変わらないと。ただ出世が早くなるっていう状態。
1号2号でいうと高校を教えれる教えれないっていう段階は出てきますよという。だから理学療法士も
例えば今後その国の施策、要は法律の改定が入った時にそういうことをできる可能性はゼロではないんですけど
何度も言うように絶対的マジョリティは要は学校の先生でいうと2号なんですよ。だから2号がマジョリティになってるっていう時にそういうふうに変えていくと
多くの理学療法士が困るわけですよね。だからそれが法律を改定の前に1号理学療法士みたいのをたくさん増やしておかないといけないですよねっていうのが
教育のリカレント教育に関わってくる問題だと思うんですよね。
なるほどそうですね。そこはまた卒業として認定専門みたいなものを作るだけではちょっと足りない部分になってくるって感じですかね。
やはりその文科省教育の中におけるさっき言った国際教育水準っていうのがあって、その人たちが海外に行った時にやっぱりそういう影響も受けるわけですね。
国際比較の中で段階が下な職業っていうふうに見られてしまうっていうのは、これは国内においてももちろん同じですし、やはり教育水準が低いっていうこと自体は給与とか立場は上げれないっていうことなんですよね。
だからその人の能力云々の話ではなくて、団体としてあるいは職業として国際水準をクリアしておかないと法律の変化の中にそこの訴状に挙げてもらえないってことです。
アメリカとかであればもうその7何回ぐらいで見られてるみたいな感じですかね。
アメリカはDPTって言って、今はドクターオブフィザーセラピーっていう、そのドクターというとPHDではないので難しいところですけど7年制教育になってますよね。
なので7年間学校に行っているっていうこと自体がアメリカの特徴です。しかもこれ20年かけてそれをやったんですよ。
DPT2020って言って2020年までに理学療法士の教育を博士課程教育にするんだって言って、実際日本でいう博士課程ではなく臨床博士なのでPHDではないというところの差はあったとしても
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にしてもその医学部が8年教育で、理学療法士が7年教育になってるっていうところをやり遂げてるというのは相当すごいことだなと思います。
3年でなれる職業と7年でなれる職業ってなったときにそれはどちらのが難易度が高いか、社会的な質保証をできるかって言ったとき7年なんですよ。
日本もまだその水準としてはちょっと国際的に見ると低めになるかもしれないですけど、まだそれよりも低い段階の状況の国とかも世の中にはあるって感じですよ。
いい質問ですね。今、世界の78%の国が大卒です。
日本が実はめちゃくちゃWPTの中で足引っ張ってるんですよ。
専門学校教育だけでやってる国っていうのはアジア周辺の国だけなんですね。
で、その中でも理学療法士がダントツに多い国の日本がそれをやりきれていないので、なので日本の理学療法というのは基本的に下に見られてます。海外では。
なるほど。そういう意味だと、何ですかね、中から変えていこうっていう動きと、外からそういう圧がかかって変えざるを得ないみたいなどっちもあるのかなと思うんですけど、
海外からの要請というか、そういうのも受けて変わっていく可能性もあるかなという感じですかね。
その理学療法だけにWHOがコミットしてくるかという可能性はかなり低いと思う。
で、それをWHOに言われたからといって厚生労働省が動くかと言われると、医師会が理学療法書を安く使えるのをとても喜んでるんですよ。
だから、医師会が嫌がりますよねっていうところがどうしても出てくるので、ネガティブな状態で今安定してるんですよ。
いわゆる理科連同教育を受けたくないっていう人たち、それと給与を上げたくないっていう人たち。
ここがネガティブなバランスを取っているっていうのが、今の理学療法書のあり方の実は根っこの悪さなんですよね。
なるほど。そもそもなかなか日本で理学療法を取って国際的に活動するっていう人も少なかったりとか、基本日本で活動する人が多いっていうと、
そういう大きな構造上の歪みというか課題みたいなのはなかなか気づきづらいところかもしれないんで、個々人でそういう状況を知れば、
しっかり学位も取っていって国際的な活動を見据えてやっていこうみたいな動きはいいかもしれないですけど、結構ミクロとマクロで視点が違いそうだなって気がしましたね。
なので、そんな後から大卒の資格なんか取るのめんどくさい。そりゃそうだと思います。
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とはいえ、本来は病院とかが大卒の給与、通常一般の企業だったら大卒で2万円から2万5千円月額変わってくるんですよ。
そういうふうにインセンティブが見えてくるとみんな多分取ると思うんですよね。
だけども、今日本の理学療法におけるこの部分というのは、博士だろうと専門学校だろうと専門学校の給与に合わせてくるんですよ。
だから誰かがうまいこと言ってるなというのが、被害者は工学歴の人間だというふうに言ってます。
だから工学歴の人たちはどうするかというと、違う職業を選んだり、あるいは大学教員を選んだりとかっていう、現場で働く理学療法士ではない方向を選んでますよね。
そうですね。自分も理学療法士という形で関わってほしいというところはありますけど、学部修士博士でほとんど給与は変わらないところはありますし、
確かに自分も大学で卒業した他の周りを見ると現場というよりも他の企業に行くとか、人も増えてきてるなという感じがするんで、
確かにちょっと工学歴の人の考え方というのは変わってきてるのとか変わりやすいかなと思います。
それは恵まれないからです。その人たちが評価されないからなんですよ、社会的に。
社会というか一番近くにある病院の中で評価されてないということが問題なんですよ。
もちろん例えばそれはドクターが医学博士を取ったら給与が変わるかどうかそれは変わらないんですよね。
だからそういう方に合わせられるってことです。
そうですね。その辺また心理報酬の点数とかっていうのも別にその学位あるから変わるとかっていうのもないと思いますし、
病院からしてもなかなかその学位取ってるからじゃあ給料増やしましょうみたいなのはなかなかしづらい構造にもあるっていうところですよね。
なのでもう少し例えば今病院が病床を売り始めてるんですよね厚労省に。
で病床数がバンバン減って病院自体というもののあり方が変わってきて選ばれる病院かつ専門的に見れる病院みたいなものの特化型になっていくと
今皆さんが普段から努力している部分が生きてくると思います。
これは医学部がそういう方向になってるんですよね。
なのでなんていうかな医学部がこれまでだったら卒業したら医局に入るんですね。
医局に入って医局人事でその人たちがいろんな地域の病院に行ったりすると。
今そうではなくてもう初期研修来た段階で、
例えば初期研修が大きな病院だとするとそこの大きな病院の神経の先生がもうその子に就職をお願いしてそこに送ってもらうようにするんです。
もうこの子は明らかに優秀だからって言って優秀な人間が増えたらそこの神経のレベルが確実に上がるんですよ。
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お金もある程度払って例えば国際留学とかさせてそして最新技術を持ってきてとかっていうことをもう医者が今やってるんですよね。
そうなってきたらうちはその心臓を糧てるの専門病院ですって言ったら日本中から患者さんが来るんですよ。
そういう特化型の病院経営というのが一般病院のやり方なんです。
だから一般病院がリハ特化型の例えばうちの回復期は他のところよりも半月短いですとか1ヶ月短いですとか歩行レベルが上がりやすいですとかっていう特化型にすると
本来は選ばれるんですけど今回復期はどうやって患者さんが来るかというと
旧世紀に入院した段階で知り合いの病院いますかって患者さん聞かれてソーシャルワーカーがいろんな病院に電話かけて受け取ってくれるっていうところに行くので
私はあの回復期に行きたいですっていう選択をすることがほとんどないんですよ。
そうではなくて私は病気になったときはここの病院に行きたいって思わせるような経営をし始めたりとかするときに理学療法士がめちゃくちゃ役に立つっていう風にはなると思います。
ちょっと先が長いですけどね。
その意味でも理学療法士側からすればこういう形で関わると効果があるっていうのもしっかりわかりやすいようにというか客観的に見えるように示していく必要もやっぱあるってことですね。
これは場合によっては技術でもいいと思います。
例えば心臓の手術とかっていうのも技術力になってくると思います。
心臓よりもACLとかのほうがいいかな。
ACLとかっていうのはやはり最近ちょっとガイドが良くなってそこまで技術じゃないっていう人も出てきてますけどやっぱり何かあったときにここのネジを半周閉めるか一周閉めるかの違いとかっていうところの検知っていうのはすごい出てくるんですよね。
だからここに行けばその復帰が早いし、的確なオペをしてくれるとかっていうところ。
同じようにプラスそこはドクターだけじゃなくてセットで非常に優秀な理学療法士がいる。
結局自分の人生を考えた時により良い医療を受けたいっていうのは本音だと思うんですよ。
それをちゃんと打っていけるかっていうのは実は重要でそのための例えば教育なんかのほうに進めていくような特化型教育なんかっていうのも例えば理学療法士協会やったりとかしたらいいと思うんですけどね。
確かにそういう現場が変わっていくのであればそういう特化して学ぶことでそっちに行く人も増えるでしょうし。
学校の先生からすると就職先の候補リストみたいなものとかを作ったりするとかってちょっとあまりわかってないですけど、ある程度こういう病院就職するといいよみたいなアイディアはやっぱり各先生が持っていたりはするんですかね。
そうですね。まだやっぱり根深い問題というのは人間同士のつながりというのがあるので就職するときにそういうことをやりたいんだったらあの先生がいるとこに行ったらいいよという非常にヒューリスティック判断におけるバイアスがかかった進め方はするのはします。
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だからその自分が抱えているというか知っているそのものだけを割り振っていくっていう、紹介するってことですね。ところを超えてっていうのは後は学生が見学に行ってよかったかどうかとかっていう判断になります。
割とね、今は学生が自分で選ぶ。それは一つなぜかというと教員の年齢が若年化している部分もあるんですよね。一部となってくるとほとんど自分が現場に出ずに教員になっているから実は就職の世話ができないんですよ。
関係性を持っていないので。実習が取ってこれない、就職の世話ができないっていうところで結構肩に狭い若手の人たちもいます。
なるほどですね。
ある程度年が取っている人の利点はそこなんですよ。
そうですよね。若手は就職するのもまだ難しい現状にあるっていうのもあるし、就職もし教員としてできたとしてもその先にも結構難題が待っているっていうのはありそうですね。
特に私立大学で比較的新しいところに行こうとすると実習地が少ないんですよ。実習地を取ってくれる方が、例えば50歳の実習地をたくさん取ってこれる人と30代の研究実績がすげえある人って言ったらもう完全に50歳取ります。
なるほど。そうですよね。やっぱり実習もちゃんとできるところ確保できないといけないと思いますし。
それが例えば兄弟とか親弟とかになったら逆転するってことです。実習自体はそんなに取らなくていいので。
なるほどですね。その辺で学校による違いはありそうなところですね。
教育方法やないか、教育方法。
教育方法。
今大学教育全般とかがどういう方向に動いているかというと、いわゆるスクール型の授業というのをできるだけやめていきたいなという方向には動いているんですね。
これはその文部科学省自体がずっと掲げている、自ら考えて自ら生きる力を醸成していくような学生をつくりましょうというふうに文化がずっとここ10年から15年言ってるんですね。
なので、想像的かつ論理的かつ批判的とかって言われるんですけども、自分で諸問題を解決していきましょう。
それを人間力だとか生きる力っていうふうに言い換えてるんですけども、これ講義だと育たないんですよね。
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なのでPBLだとかアクティブラーニングだとかハンセン授業だとか、世界でいろいろやってるような学生を主体とした授業方向に変えていきたいと大学は思っています。
ただ医学教育は国家試験があるんですよ。
なので国家試験を中心としてやろうとするとアクティブラーニング系ができないっていうジレンマがあります。
できないことはないんですけども、やりづらいっていうことですね。
そうですよね。自分もどっちかといえば大学院とか行って研究をするってなると結構そういう能力求められますし、自分でアイデア探して探求していくみたいなことが必要性が高まりますけど、
国家資格取るとか学部卒までであればそこまで重視されないかなと思いましたね。
やっぱり大学の中の4年間っていうのは正確には小中高と大学っていうのは完全な別組織というか別形態のものなんですね。
なので小中高は学生ではなく生徒と呼ぶと。大学は学生と呼ぶんですよね。
小中高は教育学部を主に出た先生たちが科学省に決められた内容のことを教える。もちろん一部そうじゃないようなのはありますけども、基本的にはそれをやる。
大学の教員っていうのは教育者ではなくて研究者なんですよね。だから我々理学療法士かつ教育をやっているけども教育資格は持ってないんですよ。
なので教育をやりというよりは研究を教えなきゃいけないという大きな枠組みの中で、そうはいって教育者ですよっていうところで教育をやってるから、
自由なことをやっていいはずなんですよ。なので僕なんか昔反転授業とかやってましたけど、大変なんですね。
反転授業ってどういう感じですか?
反転授業っていうのは教える側と聴講する側が逆転するんです。なので学生が授業するということですね。
それはすごく簡単に言うとそういうことなんですけど、例えばあらかじめ教員が課題を出しておいて、
例えば30分ぐらいの動画を作っておいてこれを見ておいてくださいと。これに対して5つの班が1つずつ5分で授業を、
今のものを使って重要だと思うのをやりなさい。その後に4つの班が、5つの班が議論しなさいみたいなのが反転授業なんですね。
なるほど。
これはなかなか価値が本来はあるんですけども、それを通して国家試験の勉強ができるかっていうとなかなか難しいです。
そうですね。その辺のバランスですよね。国家資格を取る対策にはならないかもしれないけど、
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そこから先の人生にとってはそういう経験があった方が生きるのはやっぱりありますよね。
本当に、例えば関節の動きを教えるときに関節の動きを知る前に気持ちが高ぶらないとダメだろうみたいな感じですよね。
よっしゃ、勉強しようって思える状態をいかに作れるかっていうのがすごく重要ですし、
授業でいきなり関節のコツを説明しますって言った瞬間にシャッターを下ろす学生とかって結構多いんですよね。
要は落語でおける枕みたいな動詞の部分っていうのはすごく僕は重要視しています。
なるほどですね。ちょっと話がずれるかもしれないですけど、
自分は大学のときに結構部活でスポーツやりながら高学校同授業も行ってたって感じで、
やっぱりスポーツみたいな軸があるとそれに役立つものっていうのはかなり積極的に学ぼうみたいな意欲が高まったっていうのはありますし、
学校以外の部分で何か興味を持つものとかそういう対象があると学びの意欲が高まるみたいなこともあるかなと思ったんですけど、
学校の教育とその課外での活動みたいなところのリンクとかっていうのは何か考えられるところはありますかね。
まず入学してくる段階での自分の意識っていうのが一つ重要であるということと、
外に出て例えば整形外科クリニックでバイトしたとか、ドクターストレッチみたいなところでバイトしたとかって言ったときに、
より解剖学的な知識が欲しいとかっていうのも出てくるでしょうし、
例えば居酒屋でバイトして接客のことを考えて、よりホスピタリティを使うような現場に行きたいとかっていうことも出てくると思いますけど、
これは良い側面だけですよね。
悪い側面で言うと、課外活動の方に引っ張られちゃう人たちってのも出てきて、
居酒屋の例えば副店長になってその場所に就職するっていうことも場合によってはあるだろうなと思います。
そうですね。
理学療法よりそっちの方が面白いじゃんっていうことも十分あり得る。
ただ人間、その余暇、暇な部分と忙しい部分というのを捉えたときに、
暇でゲームをやったりだとか、暇でスポーツをやったりとかっていう風の方が責任がない分楽しいんですよね。
なのでそれが仕事になった瞬間に途端に辛くなる。
例えば、打つ気でやってたけど野球の選手になったらすごい大変になったみたいなことがある。
だから理学療法っていうのを一つの食い口として使うというのであったときには、
歯食い縛ってやらなきゃいけないでしょうし、楽しみながら理学療法をやっていくっていうことができればそれは理想ですけど、
まあなかなか難しいですよねっていうところが僕の実感です。
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確かになるほど。
そうなると、例えばですけど、学生のときに理学療法の学問を学ぶのはすごい好きでとか、
学生のときは結構優秀なみたいな見られ方をしてたけど、
働いてみると学問的なものとはちょっと違う現実的なところに触れて、なかなか成果できないみたいな人もいるかもしれないですし、
逆に学生の頃はあんまりやる気なさそうだなみたいなことを思っていても、
働く現場の中で人と触れる中で意欲が湧いてきてより成長していくみたいな人、
両方パターンがいるような気もしますけど、
実際に先生も関わる中だとそういう人もいたなみたいな思ったりしますかね。
基本的には本当に多種多様のパターンがあると思います。
成績が優秀だった子が良い理学療法士としてモチベーション高く働き続けるっていうことの方がもちろん可能性としては高いと思うんですよね。
そうではなくてあるとき何かをきっかけに成績自体とは関わりなく頑張り出す子もいるし、
結局最初から最後まで60点ぐらいの数で生きていく人たちももちろんいると思います。
自分自体がどういうふうに社会にコミットしたいかという部分と、
自分自身のいわゆる強みの部分をいかに使えているかということだと思うんですね。
友情関係だとか地域だとか様々な周辺環境というのが影響はしてくると思うんですけども、
逆に大学に入ってくる段階で私は理学療法士になりたいんですって言われる方が僕は正直気持ち悪いです。
なんでっていう。そこは強い気持ちっていうのはやっぱり崩れちゃうんですよ。
どんだけ強い気持ちを持っている人って他にまた強い気持ちが持つ可能性があるんですよね。
なので上手にコントロールしなきゃいけないでしょうし、同時に背景ですよね。
しっかりとこの職業がどういうことができて何の役に立って、
それが自分のやりたいこととちゃんと混じってるかどうかっていうのをちゃんと考えてほしいと思いますよね。
そうですね。まだ学生で20代前後くらいだと経験とか知識とかまだどうしても狭いと思うんで、
そこで強い意志持ってたとしてもまた振れる中で違う興味が湧くかもしれないですし、
あと適性みたいなところもあるなと思って。つい先日ちょうど自分もストリングスファインダーの適性みたいなことをコーチング的にお話ししたときもあるんですけど、
例えば理学療法士として現場で働くっていうのを考えると、ある程度こういう資質というか適性が向くよねみたいなのはあったりするんですかね。
それが真逆の発想でいくと、理学療法士の人をストリングスファインダー結構やった場合に、人間関係構築力が高い人が多いです。
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なので僕とか田代さんみたいなタイプではないってことです。
上位に人間関係構築力がわーっと高い人たちが理学療法士のパターンとしてはすごく多いなという印象です。
かといって人間関係構築力が低い人が理学療法士としてうまくいかないかそれはまた別で、結局自分がどういうやり方でその仕事をやりたいかということだと思うので、
それを先に知っておくっていうのはすごくいいことだとは思うんですよね。
ストリングスと言われるもの自体は、自分が持ちうる強みであり資質でありという言い方がかっこいいですけど、
よくよく考えてみると、どういうバイアスで社会を見ているかということなんですよ。
だから自分は例えば歴史的観点で社会っていうのが見がちだとか。
なのでバイアスっていうのはどういうことかというと、何かを判断しようとした時に最も効率が良い判断をするわけですよね。
最近読んだ本の中で言われてたのが、例えばいい肉を買いたいと思った時にどういう判断をするかといった時に、値段が高い肉をいい肉だって言うんですね。
これは非常にヒューリスティックな判断で、いい肉っていうのは柔らかい肉なのか硬い肉なのか、脂身がどうなのか、あるいはどういう産地で作られたのか、
どういう飼料を使って育てられたのか、何歳の時の肉なのか、切られて、占められてどれくらいの日数なのか、
いろんな条件が入って本来はいい肉というふうな条件を作るにもかかわらず、我々はある一つのバイアス、
つまり値段が高いものイコールEというバイアスのものを見るわけですよね。それはなぜそうしてるかと言ったら判断材料が少なければ少ないほど人間は楽だからです。
ストレングスっていうのもそういうのが強くて、自分自身が何かの物事を見る時にどのバイアスで見ると自分が納得するかという考えなわけですよね。
だから最も効率化されたヒューリスティック判断をするためのバイアスなので、そういうのをあらかじめ知っておくっていうのが重要だと思います。
教育を受ける自分が理学療法師になるっていう時も自分は例えば誰かに喜んでもらいたいとかっていうことを一つの価値判断に置いといて、
その喜んでもらえるっていうのを言葉によるフィードバックがいいのか、笑顔みたいなフィードバックがいいのか、物をもらうフィードバックがいいのか、
そういったのが自分がどういったもので自分の喜びを判断しているのか、おそらくその喜びの判断というのがバイアスなんですよね。
前回でも学校の差別化というか特化するとかそういう話もあったような気がしますけど、
例えば学生が入学した時とか2年次とかでこういうストレングスみたいなことをチェックというか見るような機会を持つみたいな学校があったりしたら、
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それによる卒業後の進路とかも考えるきっかけになってとか、よさそうな気もしたんですけど、そういう取り組みしているところとかもあったりするんですか。
例えば多くの大学がそれに近いところで言うと、プログテストっていうのをやってて、プログテストっていうのはコンピテンシーとリテラシーというのを2つテストで見ると。
リテラシーというのはその子の読み書き能力で、コンピテンシーというのは社会性だとかそういう能力というものをテストを使って見ていきますと。
それを見て、サッシであなたはこうしたらいいですよということだけで終わるんですね。
なのでそこに対してコーチをやっていく、面接をやっていくっていうことができれば、必ずしもクリフトストレングスストレングスファインダーでなくてもいいと思う。
実際にストレングスファインダーを実践してやっているところはありますかというと、これは僕一回大学でということではなくて、同社の社会人のゼミかな。
結構3、40人ぐらいに担当するゼミで全員ストレングスファインダーを受けて、それをもとに授業を構成するっていうところがあって、そこはいわゆる予約が取れない店みたいになって、もう抽選で当たりはずれがあるめちゃくちゃ人気授業になってるって言ってました。
なるほどです。それも今後のヒントになりそうな気がしますね。
実際に自分自身がコーチになってみて、自分の強みを見るっていうことを考えるっていうのはとても生きていくのが楽になるわけですよね。
だから本当は各大学にコーチを置いてコーチさせたらいいんでしょうけど、僕全部やれって言われたら嫌です。
大変なんですよね。
それこそ学生だけじゃなくて、多分先生自体としてもどういう授業のスタイルかとか内容があるので、得意不得意あると思うんで、そういうので分けられてもいいのになと思ったりしました。
本当に例えば自分が管理者とかになったらやろうと思います。チームエンゲージメントをちゃんとやっていくんで、これが例えばリテラシーとかコンピテンシーのテストだとランクが出ちゃうんですよね。
この子は優秀、この子は優秀じゃないみたいな。そういうのはやっぱりみんな嫌がるんですよ。
だけどストレングスファインダーってランクではないので、その人の資質の特徴だから、どういう世界の見方をしてるかなので、すごく教育をやっていく上でとても僕はいいと思いますし、
実際にこれを言うと息子は違うって言うかもしれませんけど、息子が高校2年生ぐらいのときにそれをやってコーチをしたときにやっぱり勉強のやり方が変わったので、それはすごく価値ある判断基準になるのかなと思ってます。
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なるほどですね。
教育向きです。
例えば国際比較で見たときに、どうしても学位の基準とかで言えば日本はちょっと下になってしまっていることもあるし、今後なかなかすぐには変わりづらい構造っていうのもあると思うんですけど、
そういう水準とはちょっと違う形で、そういう資質とか強みみたいなことを活かして、今いる人が適切に配置されて、より現場での成果も上がっていくみたいなことが、もしできるんだったらそれも一つ新しい動きなのかなと思ってます。
確かに、クリフトスレングスでやってるGallup社っていう会社が常に各国のいろいろな仕事に対するデータっていうのを収集して出してるんですけど、日本人の特徴っていうのは職場に対するエンゲージメント率っていうのが世界最低なんですね。
つまり自分の職場に対してこの職場を良くしてやろうという気持ちが世界で一番低いらしいんですよ。
いわゆる仕事に対するエンゲージメント率っていうのが一桁って言われてて、海外が大体いい会社だったら20%を超えてくるって言われるんですね。
特にアメリカの映画とかで見たことあるシーンがあるかもしれませんけど、最初の面接の中で、自分はそんなに給与は高くなくていいけど、この会社の株を何株くださいみたいなシーンが出てくるんですよ。
つまり自分の頑張りで株が上がれば自分の収入が上がるっていう表現をするんですよね。
日本って自社株を買って自社株を上げようという発想の人ってあんまりいないと思うんですよね。
だいぶリテラシアルじゃないとないかもしれないですね。
かつて昔それで大儲けした人たちって中にはやっぱりいると思うんですけれども、今自分たちの仕事っていうのが業績に関連して、
各職部署の人がこういうふうに頑張ることで、こんだけ業績があってお金が増えるっていう考え方は間違いなく医療職はしないんですよ。
損をすることは考えるんですよ。つまり1人24単位取れるのに15単位しか取ってなかったら、9単位分損してるっていう言い方する。
だけどそれが福してるっていう発想にはならないので、どちらかというとマイナスバイアスがかかってしまって悪いやつって言われるんですね。
じゃあ24単位取ってる人間をいいやつとは言わないんですよ。
つまり取れなかった人間を悪いっていうふうに考えるのが医療関係者の考え方なんですよ。
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だから取り上げだとか業績に自分の仕事を持ち込めない、つまりエンゲージメントが高まらないんですよ。
じゃあエンゲージメントが高まってる人たちってどういうことがあるかとすると、
例えば18単位でいいと、残り2時間は研究に使っていいよ。
研究に関して出張費出すよ、論文出すときに病院が出すよ、あるいは論文で賞取ったら賞金出すよとかっていうことをすると急にエンゲージメントが高まるんですよね。
そこは今後もそういうマネジメントの事例というか、こういう仕組みをすると中の人のモチベーションが高まってサービスの質も高まりますよねっていうのがある気がするんで。
なんで就職をしてもらうというか、病院とかも選んでもらう一つの方法としてそういうエンゲージメントを高めることっていうのは考えていくといいかもしれないなと思うんですよね。
エンゲージメントのところでいうと、今どちらかというとインセンティブとの関係だけを言いましたけど、実際に一番エンゲージメントが高まるのはやっぱり人間関係なんですよね。
より良いチームの中で働いて自分が成長している実感だとか、自分がやったアプローチが他社に良い影響を与えたとかっていうような社会性の変化が出てくる方が実はエンゲージメントが上がるんですよ。
まさにクリフトン・ストレングスがやるのはそこなんですよね。例えばアイディアをたくさん持っていて、アイディアをバンバン出せる人もいれば、アイディアが全然出ないけども非常に人のフォローができる人がいたときにその二人を組ませると必ず良くなるわけですよ。
それがアイディアが出ない同士で組ませると、そのチームってどんどん沈殿化していくわけですよね。それを過去の経歴とかで見るんではなくて、それプラスにストレングスを見ておくとチームエンゲージメントが高まるようなチームを作ってみる。
実際に理論上は高まるんだけどうまくいかなかったらまた変えてみて、資質のデータを取っていったらいいと思うんですよね。そうしたときにここの年代というのはこの資質とこの資質を合わせた方がうまくいったとか、つまりデータ化されるので次何かアプローチしたときにやりやすい。
それが例えばドボコドボ大学を出た何年目の何々さんと何々さんを組むっていうデータだけだったら何の蓄積もならないですね。
そこでそういう資質みたいなものでやっていくといいチームの組み方っていうのも見えてくるかもしれないなっていう感じで。なので学生向けにもあるしそういう病院の組織でもあるかなと思いました。
あと強みっていうだけじゃなくてこの収録前でもちょっと障害のある方の教育とかそういう話もしてたんですけど逆に弱みみたいなものも誰しも持ってるかなと思いますしちょっと論理的な思考だったりとか細かい作業苦手とかそういうのを助け合えるみたいなこととかうまく認め合えるみたいなところもチームとか教育には考える意義もあるのかなと思ったんですけど。
39:24
それぞれ教育の場面でそういう弱み的なものを意識したやり方とか組織でのマネージメントでとかそのあたりも何か考えてるとかあったりしますかね。
その弱みを例えばストレングスファインダーにおける弱みという捉え方とあとは例えばその元々知的な何か問題があったりとかあるいは足が悪いとかそういったちょっと大きく分けると2つあると思うんですけれども。
ちょっとその障害系のものを一回横に置いておいてその人個人が持ちうるやりにくいこととか嫌いなことだとかっていうのに関してはもう嫌いなことはさせないっていうのが一番だと思います。
日本の教育って均一化をずっと目指してきているので特にそのまあ共通テストで数学ができなかったらいい大学に受からないっていうもうありありとした均一化教育をやってるわけですよね。
そうではなくて特化型の教育を全員にはやる必要ないと思うんですけどもできないってなった時にすぐにシフトチェンジさせるような教育ってのはすごく重要だと思うんですよ。
例えば大学の教育の中とかでもいわゆる解剖学を覚えるのがすごい苦手だ記憶関係が苦手だってなった瞬間に例えば触診の授業のほうで覚えさせていくとか
実際に触診だけではなくてちょっとした動作分析みたいな動きたいところから見ていこうとかっていうエピソード記憶にチェンジさせていくようなやり方とかっていうのはおそらくあると思うんですよね。
推論ができないっていうことがあったらこれも同じようにやっぱり演習実習を積み重ねながらその人の自分が見やすい視点というのを多種多様にやっぱり経験させていくっていうのがすごく重要なんですけども
教育の関連、教育の方法をあんまり詳しくない人って自分がこれがいいだろうと思っていることを押し付けちゃうんですよ。
それが弱みを作っていく教育の一番やっちゃいけないことなんですよね。
経験値って結構教育も経験値が結構重要だと思います。
その辺また若手の例えば就職した人っていうと、例えばこういう教育法とか知識はあったりするかもしれないですけど、
人に合わせた伝え方とか、弱みを意識した違うやり方で切り替えるみたいなことはまだ苦手なところがあるかもしれないので、その辺は工夫して学んでいけると。
教育側がまず自分が苦手を意識するのが大事だと思います。
42:01
パワーポイントを使う授業はできないんですよ。だからもう本当に長年やっていないんですね。
一部学会とかでそういったことの基準が設けられるのでやりますけども、やっぱり嫌いなんですね。
すごく自分の中の明確な理由というよりも、しゃべりたいことっていうのがその都度変わるのに、
あらかじめ物語が決められているのが嫌だって妙に拒否的になってくる部分があるんですよね。
やれとやればやるけども、多分面白くないですよというところで。
だからそういう嫌なものと逆に好きなだけホワイトボードだけくれてたら別に公演でも何でもしますよというようなところ。
それはなぜ自分がそれが好きかといったら、しゃべりながら自分の中で発見があるから好きっていう非常にわがままな発想なんです。
そのわがままを許してくれる人たちの方が好きとかっていう、なんとなく自分のことを他者的に見たらなんてやつだと思うんだけれども、
こいつは自由にさせておいた方が面白いと思ってくれる人がいたら、その人たちはうまくいったりします。
なるほど。じゃあこういうポッドキャストはまだやりやすい感じですかね。
だから脚本準備されてたら僕多分脚本読むかもしれないので。
これはもうテーマだけ決めたフリートークなんでこんな感じが良さそうですし。
なんでさっき言った通り学校の教育で学生向きにも弱みとかをうまく配慮した工夫も必要だし、
授業を教える側の先生にとっても教え方とか内容で工夫も必要だし、
あと現場で理学療法士で働くっていう時もやっぱりこういうことは苦手みたいな人もいるかなと思うんですけど、
そういう時の配慮の工夫とかっていうのもアイデアあったりするんですかね。
仕事をある程度細分化しておいて、細分化っていうのは説明できる状態にしておいて、
苦手だってチェックがつくことをできるだけさせないっていうのは重要だと思うんですよね。
僕電話があんまり好きじゃないんですよ。
だから電話の取り継ぎとか電話自体をよくかけて営業しなさいとか言われたらすっごく嫌なんですよね。
だからその嫌なことっていうものをさせないっていうのが、
ただ1年間は例えばそれも分かってやってるけどいろいろ仕事をやらせてみて、
やった中で好きだったことと嫌いだったこととかっていうのをチェックしていくって、
嫌いなことは極力させない。ただそれは年間の中で変化していくので、
そういうのはチェックしていきながらっていうマネジメントはできるかなと思います。
そうですね。その辺も結構管理者側の工夫というかアイデアも結構重要なところだなと思いましたね。
例えば印刷だけやりなさいとか僕すっごい嫌なんですよ。
だけどそういうのがすごい好きな人もいるんですよね。
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だからその多様性の中でできることだけやらせるっていうのはダメだけれども、
とても嫌がることをやらせるっていうのは僕はそれは良くないと思ってます。
確かに。
だから自分自身をどれだけ認知しているかっていうことにもよると思うんですよね。
20代の頃に自分がそんなに印刷なんか嫌いだったかなと思われると、
そういうのは思い出せないんですけども、ある程度やっぱり変化する中で
自分自身というのをいかに理解していくかというプロセスを増していくと、
自分の理解が深まると必ずエンゲージメントが上がるんですよ。
だからそれのきっかけとしてのストリングスファインダーがあって、
そこからチームでいろいろやっていくと、あれストリングスファインダー通りにいかないな。
じゃあ違う何かがあるのかなっていう形でエンゲージメントを高めていくっていうやり方のためには、
おそらくやっぱりやりたくないことはやらせないことなんですよね。
それも働く中でだんだん自分は本当にこれが苦手なんだなとか、
この苦手は克服できたなみたいなこともわかってくると思うんで。
まさに今のところで克服できるっていうことが重要だって、
やりたくないことはやらせないんだけども、もしかしたらやれるかもっていったときに、
ある時にチェックが外れたらやらせたらいいと思うんですよ。
そうするとそこに立ち向かおうとしていることなので、立ち向かおうとしていることは応援するし、
その人自身が何か変わろうとしているきっかけっていうのはやっぱり応援すべきだと思うんですよね。
ただそれをこちら側がやりたくないことを促して、お前は変われっていうのは良くないと思っています。
そうですね。本当にその辺、配慮しすぎるとなかなかもう管理する側が疲弊してしまうみたいな可能性もあるんで、
その塩梅ですけど、うまくそういうのもできるといいかなと思いましたし。
そうですね。なので現場もあるし、だから学校の先生とかもあるし、
研究者としてとかっていうのも多分ありますよね、この研究活動に。
研究者はね、今もう何が大切なのかっていうのがすごく難しいところがあって、
なぜ難しいところがあるかというと、ものすごく短期だけやれる人と長期やれる人がいるんですよね。
例えばすごくアイディアはないんだけれども、めちゃめちゃ教授の言うことが聞けて、
修士博士の段階で教授が言うことを全部達成させて、それで博士号を取って、
そのまま気に入られて大学教員になって、いざ自分に研究室を与えたら何もできなくなる人がいるんですよ。
何したらいいの?っていう。授業とかもやっぱりちゃんとできなくて、
場合によってはハラスメント型の人間になっちゃうんですね。
かといって、なんかすごいゆっくりなんだけど、同じことずっとやりきれてて、
なんで同じことやりきれてるかって言ったら、実はいっぱいアイディアがあって、
それの一つ一つを達成しているっていうこともあるんですよ。
だから業績は少ないんだけれども、その後から業績がダダダッと出てくるタイプもいる。
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何がいいのかっていうのは正直わかりません。
結構今研究文科省自体が短期の研究ばっかりを推奨してるんですよね。
だから短期の研究ができる人間がいいみたいなふうになっているんですけど、
短期型の人たちってやっぱり疲弊して疲れていって、ダメになっちゃう傾向があると思います。
だから若い頃はすごくいろいろなところに呼ばれて喋ってたけど、
あいつ同じ話しかしないじゃんってなるわけですよ。
全然面白くない。
それってある時に消えていって、
その昔取った金塚だけで生きていこうとして、
どんどん生えた時に扱われていってっていう人たちっていうのは中にいるんですよね。
そうじゃなくて、ある時にものすごくこの人面白いって言って、
どこに行ってもちゃんと面白いじゃんみたいな人たちがいるので、
その人の人生全体を見た時には何がいいかわからないけれども、
個人的には短期型の人たちを見たら辛そうだなと思います。
そうですね。
人生長いですしね、本当に。
そうなんですよ。
研究者と今ちょっと研究者界隈で話題になってるのが、
岡山大学が15年間準教授に昇進させれなかった場合は、
研究職の任を解くっていうやり方をやろうとし始めたんですね。
でもそれ準教授になれるかなれないかっていうのは、
さじ加減でしょって思うんですよ。
とはいえ、そういうふうに研究者としての資質のあるなしっていうのを
年数で解こうとすると。
一定数それは正しいんですね。
つまり、できないのであれば早めに違う、
例えば事務職に転換させたりだとか、
色々な種、事務職ができるかどうか知りませんけども、
早くこちらが決めてあげて、そして新陳代謝を促して、
いわゆるポストクの大変な人たちを早く就職させるっていうような、
新陳代謝型の大学にはなれると思うんですけど、
ゆっくりやってる人たちからするとたまたまじゃないとも言えますよね。
そうですね。なるほど。結構難しい。
研究界隈もかなり色々課題はありますね。
ちょうど最近、国立大学教授の仕事かなっていう、
そういう本が神戸大学の韓国語の研究をやっている人が新書で本を出してて、
その本を読んだら、大学の教員って大変だなって思いました。
僕も知らないことが多かったので。
それは大学によっても結構違いが大きいかなっていうところですか。
そうですね。特に僕なんかっていうのは、
国立大学が独奉化されてから教員になってるタイプなんですよね。
国立大学が国立だった時代っていうのは、国家公務員だったわけですよ。
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なので、例えば神戸大学から京都大学に移っても、
同じ国家公務員で、例えば退職金はそのまま継続されたりだとか、
今はそういうことがないので、結局仕事を移るっていうのにリスクが発生するんですよ。
昔は単に地方を移動するだけだったので、
なので、あれを公募出さなくていいんです。
大学の移動なので。
だから大学がこの人くださいって、じゃあこの人くださいってトレードをやれてたんですよね。
でも今は完全に別組織なので、完全に一から公募なんですよ。
なので大学を変わるというのがすごく難しい時代になっている。
かつさっき言ったように、教員を減らしていってるので、
運動機と一緒に体育を教えてくださいみたいなことがあるということです。
なるほどですね。結構大変な。
自分もあんまり非常勤の教員とか授業をしたぐらいで、
あんまり大学とかにはがっつり関わってないんで、もうちょっと知っていきたいなと思いました。
これを聞いている大学教員を目指している方は、本当に戦略をねっとかないと、
例えば研究論文を5本書いたから、
よく基準の中に、例えば講師5本以上、
准教授10本以上、教員15本以上みたいな書き方をしてるんですよね。
一応一つのランクとして。じゃあ5本書いたから自分は講師になれるやって思って受けて、
大体通らないんですよ。だからそういうのを信じてダメだよって。
なかなか表に出てこない情報とかも。
そうなんです。だから教員公募って本当にブラインドされたものなので、
だからなろうとしている人たちは何を信じるかというと、
書いているものはあんまり信じないほうがいいですよっていうところですね。
そこはどう情報を得ていったらいいんですかね。
もう本当に自分がアプライしようとしている大学に知り合いを作ることです。
その人たちにどういう状況なのっていうことを聞いて、
実は運動機の先生と同時に一般教員の哲学の先生を探してて、
これ両方取れたらいいよねって言ってたみたいな。
運動機実績だけの人間よりも、例えばどこかで哲学を教えたとか、
体育を教えたとかっていう実績があったらそれだけで取られるってことです。
本当にその戦略が結構重要そうな感じですね。
なのでユーティリティープレイヤーになっておかないとダメってことです。
これは話が長くなったあれですが、教員のところで。
ラグビーの今、日本の代表のときがそうなんですけど、
多種多様なポジションをやっている人間が選ばれるんですよ。
それはなぜかというと、怪我人が出たときにすぐポジションを変えなきゃいけないんですよね。
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だから専門職はそこでしかできないから使い勝手が悪いんですよ。
ただガリガリの天才的な専門職だったらそこに使うけれども、
そうじゃないときっていうのはプレイヤーとしていろんなところに移れる人間というのを
まず最初に代表として選ぶんですよね。
だから大学教員もおそらく3つ4つできることが、
例えば理学療法の教員の公募はなかったけども、
統計学の教員で教募があったら統計学で出せるとかですね。
そうですよね、確かに。
理学療法士の学科で理学療法士になるんじゃなくて、
一般企業の就職もあるみたいな感じで教員見据えている中で、
理学療法士の教員だけじゃなくて、自分の専門性を活かしたら
他のところで教員できる可能性もあるとかもあると思うんで、
そこも幅広く見ていかないといけないですね。
かつやっぱりどうしても理学療法を持っている全国の大学で、
例えばマーチとか総計とかそのレベルの大学はないんですよ。
だけれども違う分野でできたらそっちの方にもアプライできるわけですよね。
やっぱり大学が大きくなればなるほど給与も変わりますから、
そういう大手のところに行こうと思ったら
理学療法単体で責めない方がいい。
だから短期型の人たちが弱いってことなんですよ。
やってないのでいろいろなことを。
なるほど。
そうなると理想としては学生の頃から幅広く興味持っているとか、
現場でもいろいろ経験積んだりとか、
専門性も必要だけど幅広さも必要という、
結局そうなっちゃうかもしれないですけど。
そうなんです。
時間を自分の自己計算と言われるものを深くいくか広くいくかという、
ちゃんと自分ができることを見どかないといけないということです。
中途半端に深く、中途半端に広くだと、
今の世界では勝てないということです。
なるほど。
それもなかなか学生のときだけだとまだ視野が狭い部分もあるかもしれないですね。
活動する中でいろいろ人と関わりながら、
社会の中で俯瞰的に見て自分がどういう強みが活かせそうかとか、
何を真似ていくと良さそうかみたいなことは、
ちょっと経験積まないとわからないところもあるので、
いいメンター的な先生が近くにいれば、
そういう人の言葉を聞きながらでもいいですし、
自分で試行錯誤をする必要があるかなという感じですね。
なので、誰かにとっては、
例えば学生のときだったらアルバイト探すときとかにも、
最初に自分の資質に合わせたバイトとかを探すっていうのは、
すごく重要だと思うんですね。
人と関わりたいんだとすると、
人と関われることをするし、
人と関わりたくないんだとすると、
もう全く、例えば工場とか今あるのかな、
そういったところで働くとか、
自分のやっぱりやりたくないことをやらず、
やりたいことを伸ばしていって、
そういったところでやりたいことを伸ばしていって、
その中に出てくるメンターはやっぱり尊敬できると思うんですよね。
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自分が嫌いな世界のメンターって、
なかなか好きになれないと思うので。
うん。
確かに。
だから学生時代からそういうふうに、
自分を高めていくっていう、
それがたぶん自己計算なんですよ。
その、認定を取るとか収支を取るっていうのは、
見た目上の自己計算であるけども、
それ以上に人として自分がどういうふうに
自分がどういうふうに、
成長するかっていうところは、
まず自分を理解し、
そして自分の得意のものを増やしていくっていう形。
そうしたときに、
どこでも戦える人材になっていく。
あるいは自分が会社を起こして、
社会を切り開いていくっていう形になっていく。
そういった覚悟をできるだけ早い段階で、
僕は教育学生にしたいなと思っています。
なので思想教育的なことをやっちゃうんですよね。
思想ってのは、
政治思想とか、
教育学生にしたいなと思っています。
思想ってのは、
政治思想とか宗教思想じゃなくて、
自己理解をいかに高めるかっていう
思想教育をやります。
本当に表面的な知識を身につけるだけじゃ
やっぱり足りないと思うんで、
学校で実際に先生と関わりながら、
学べる意義っていうのは
そういうところにありそうな気はしますけどね。
なのでこのラジオを聞いてくださっている人で、
何か困っていることがあったら質問をいただいたり、
相談がありますって言ってくれたら
相談のりますって感じですよね。
そうですね。
なので、
Xでちょっとコメントをもらったりとか、
何かしらで連絡してもらえたらいいなと思うので。
僕もそう思います。
そうですね。
今回結構教育っていうので幅広く、
国際的な段階のところとか、
理学の方の現状とか、
またその
学ぶ知識の内容だけじゃなくて、
もうちょっと資質とかそういう特性みたいなのが
あるんですね。
なので、
教育学生にとっては
教育学生にとっては
その内容だけじゃなくて、
もうちょっと資質とかそういう特性みたいな話もできて、
どう学んでいったらいいかとか、
その短期じゃなくて長期で考えていく意義とか、
いろいろ観点広げて話せたかなと思うので、
何か気づきがあればいいなと思いましたね。
はい。
はい。
じゃあ今回はこんなところにしようと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
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