博士号取得の動機
こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
Advanced Therapist〜エピソード9本目の後半部分というところで、前回は大学院にまつわるところとか、研究に関するところ、学会発表、論文、資金調達とか、その先のキャリアとか、結構いろいろ話していったんですけど、
後半部分では、もうちょっと現実的な大学院に進む意義のところとか、キャリアの可能性の部分とか、いろいろ話していけたらなと思います。
よろしくお願いいたします。
お願いします。
そもそも堀先生の場合だと、文学系の博士だという感じでしたけど、やっぱり行ってよかったなっていう思うところとか、どういうきっかけで行ったとか、その辺ちょっと軽く話してもらってもいいかなと思うんですけど。
これはもう完全なナラティブ、パーソナルな物語になるわけですけども、10代にあまりにも勉強しなかった後悔をどうやって払拭しようかとして、その結果、もうちょっと勉強したいっていうところで終始に行った。
そして終始に行ったら、博士に向けての和志田清和っていう哲学者の本に出会って、和志田清和のお仕事をしたいって言って移動したっていう。
短く言うとそういうことなんですけど、勉強しなかった自分に対する後悔、悔やみっていうのを持ち続けること自体がすごく嫌で、払拭するためには勉強するしかなかったっていうところだったんですね。
ただこれが勉強をするっていうスタート地点にいるわけですよ。
なんで勉強しなきゃいけないのとか、勉強なんか嫌だって言っているところとはちょっと違うスタート地点なので、そこを勉強しなきゃいけないっていうところまでどうやって持っていくかっていうところが実は重要なところで。
そこまで行くとですね、おそらく終始博士という一つのキャリアモデルが見えてくると思うんですよね。
確かに、なんかその欠乏感からの学びっていうのもあるし、これまで学んできたものをもうちょっと深めたいっていうような流れもあると思いますし、両方パターンありそうですね。
田代さんはなぜ博士まで?
そうですね。自分の場合も、どっちかっていうと学部の時とかに部活ばっかりやりすぎて、授業は受けてたんですけど、もうちょっと学びたいなみたいなちょっと欠乏感から終始行ったみたいなのはありますし。
何でしょうね。でもそこからはもうちょっと学問的にやっぱりもうちょっと深めたいなというか、やっぱり終始だけだと全然結論出ないこととかがあって、もうちょっと深めて自分にしかない知見っていうのを作りたいなみたいな感じでもなってきたんで、いったっていうのはありますよね。
おそらくお互いにスタートのベースが学びに対する気持ちがあって、それをいかに達成するかの方法として終始にいっていると。その先に博士まで取るっていう目的を持って活動しているので、おそらくスタート地点が多くの人と一緒かどうかっていうのはまたちょっとあえて批判的に見なきゃいけないかもしれないですね。
そうですね。なので前半部分でもあったように、キャリアとして終始博士とったら大学教員になれるみたいな感じだから取るっていうわけではなくて、どっちかというと学問ベースで興味あるからみたいな感じは個人的にはあったかなと思うんで、その辺も人によるかなと思いますけどね。
研究者としての自己探求
確かに。僕自身も大学教員になろうと思ってなったわけではない流れがあって、自分自身が理学療法士になった頃っていうのは大学っていうのはほとんどなかったですし、大学自体の教員のなり方とかも全然、今のようにインターネットが発達しているわけではなかったから、何せ情報がないわけですね。
だから単に学んだ結果、特に僕は大阪に出てくるときに臨床だったら研究自体がやりにくいかもしれないから、ちょうど大学が新しくできたらしいからそこに一応求人があるから出してみようぐらいの感じで動いているので、今のように博士とったら大学教員になるんだっていうとは時代的背景がだいぶ違うというのはあると思うんですよね。
だから学びたい、自分の問いをどうにか解決させたいっていうふうに進んでいたっていうのはあるんですよ。
だから例えば修士博士に今後行くべきかなと悩んでる人は、まずそういうふうに自分が持っている問いっていうのを、問いがうごめいててそれをどうにかしたいっていうことのモチベーションがもしかしたら必要なのかなとは思います。
だから道具的に単に修士とって博士とったら自分の給与が上がるっていうことからするとコスパが悪すぎると思います。
なるほど。そうですね、そういう外的な欲求というかその給料を増やしたいとか、箱をつけたいというだけだとなかなか結構ハードルも大変なんで精神的にも参っちゃうかもしれないしコスパ悪いっていうのも両方ありそうな気がしましたね。
なのでそれぐらい、例えばモチベーションが給与を増やしたいというところで仮にあるとすれば、その同じ時間同じ費用同じ努力料を使うんだとすると、例えば公認会計士を取るとか、違う資格を取っていくっていうことの方が明らかにいいと思います。
なるほど。その中でもやっぱりそういう大学に行って経営を作っていくっていう時には、こういうヘルスケアの分野というか、理学両方の知見も活かして課題解決していきたいとか、今解決できたないこういう問いはどうしたらいいんだろうみたいなモチベーションというか、そこの問いは必要そうですね。長くしようと思った。
その問いっていうのは、おそらく人生における自分のわだかまりの連続性だと思うんですよね。もうちょっと簡単に言うと、例えば僕自身が理学両方士になる一つのきっかけっていうのは、高校時代にラグビーやってて、ラグビーにおける怪我をきっかけにサポート側、いわゆる選手としては自分はとても一流にはなれないので、サポート側に回りたいというところから理学両方士になり、
そしてそのままいろいろなことをやっていくっていう連続性がある。同時に僕自身は中学校時代に考古学をやりたいと思ってたので、文化系の研究というのにものすごく興味を持っている。理学両方士、文化系研究となったときにたまたま僕は大学教員という一つの分岐点というか接合点があって、そこに進んでるだけなんですよね。
それが例えば全然違う興味であれば、例えばこれが料理であるとか建築であるとかなると違う進み方をしてたと思うんですよ。
単にその考古学とスポーツっていうのが全然結びつかないようなところで結びついての接点に今立っているという感じです。
なので理学両方士として大学院考えるというときに自分の問いは何なのかみたいなことを考えようと思うと多分もうちょっと前の小学校、中学校、高校とかでどういう興味持ってたとかどういうのが好きで、どういうのが得意で、不得意でみたいなことを見つめ直した後にまた先の進路も考えるみたいな両方あっても良さそうな気がしました。
本当になので自分が何をしたいのかという問い、これは非常に哲学的な問いだというふうに問われるかもしれませんけど、人間的な問いなんですよね。
事故に対する不安だとか事故に対する存在に関する不安定感というのは多くの人が持っていると思います。
その問いの一つの解消方法としての研究がある。つまり何かしら自分がマイルストーン、つまり歩いてきたところに目印を置いて自分はこんだけのことをして歩いてきたんだよというもののマイルストーンを置くということが学会発表であったり論文だったりするので、マイルストーンを置きやすい職業ではあるんですよね、研究者って。
これが理学療法師ってなってた時に運動機の患者さん何人治療しました、呼吸器をどれぐらいの人をやりましたとかっていうのはマイルストーンが置きづらいんですよね。
なので自分自身が何者かをしようと思った時のそのマイルストーンの置き方という意味では研究者はお勧めかもしれません。
確かに。そういう意味では外的な左右のされる部分が少なくて、自分で探求していけるみたいなのはあるかもしれないなと思いましたし。
あと、とはいえ前回も話したような資金調達とか考えるとトレンド的なことも必要だと思うんで、今の社会にとってどういうことが必要なのかとか、今後社会は変わっていくだろうからそれを前もってこういうことを探しておくのが必要なのかみたいな。
研究とコストパフォーマンス
だから内をかぼるのと外を見るのと両方必要な感じですよね。
まさにどちらかが突出してるっていうのでもいいかもしれませんけれども、前回の時に興味をたくさん持つほうが教員向きだよっていう話をしたと思いますけれども、
研究のテーマを探すってのはやっぱり興味をたくさん持っていかないといけないし、その持っている興味が本当にニーズがあるのかっていうのを探さなきゃいけないわけですよね。
ほとんどの研究は自分より先に誰かがやってる可能性がすごい高い。そうじゃない100ある穴の中から2個だけ穴が空いてるところを見つけなきゃいけないわけですよね。
それのしつこさっていうのは必要だと思います。もうこんだけ穴が埋まってるんだったら自分無理だって思っちゃう人は向かないです。
そうですね。特に博士とかになるとそこが必要だなと思いますね。
あるいは指導者がすでにその穴のことを知っておいてこれやったらいいよって言ってくれることもあるのでそれでもいいと思うんですけど、
その修士博士の時に指導者がこれやったらいいよあるいはこの研究費を持ってるからこれについて研究してって言って博士までやっていってる人たちで取った人たちってやっぱり先もそりします。
自己意識がないので。研究する能力が高いかもしれないけれどもさああなたが好きなことやっていいよって言った瞬間にすごい困っちゃうんですよね。
それは自分の周りでもちょっと感じるところありますね。
本当に能力が高いからこそどっかで1回暗闇の部屋にぶち込まれて光を探して自分で脱出する能力を持っておかなきゃいけないんですか。
そうですね。それがもちろん大学院じゃなくて臨床だったりとか別の活動でもそういうタイミングってくるかもしれないですけど、
研究っていうのはもう明らかにそういうフェーズがどっかで来るだろうっていうのはわかりやすいんで予測しながら歩んでいってもいいかもしれないですね。
実はこの話の間のところでもあんまり研究とかにネガティブな話をしちゃいけないよなって自分を反省していながらもやっぱりコスパ悪いんですよ。
これ本当に能力が高い人で、すごく能力が高いというのは例えば記憶力が非常に優れているとかですね。
それこそ弁護士になるとかいう方の方がもしかしたら職業的なキャリアアップにはなるかもしれないなと。
この前たまたま理学療法士弁護士って検索したら結構いるんですよね。
理学療法士になった後に弁護士になってる人、あるいは公認会計士になった人とかっていう人もいるので、
理学療法士かつ弁護士ってなってくると医療系の訴訟とかに強くなってくるので、全くマイナスにならないんですよ。
例えば理学療法士になった後に税理士あるいは公認会計士なんか取ってる人たちっていうのは、
医療法人の監査とかができるので絶対的なプラスになるんですよね。
だから研究者になるっていうのは一つの、前回言ったドラクエの戦士からバトルマスターの方に動いてるようで、
もうちょっと違うスキルもあるよっていう流れになると思うんですよね。
だから研究者はやっぱりどう考えてもネガティブになります。コスパが悪い。
なるほど。確かにコスパ悪いかもしれないですけど、コスパを追求しちゃうとあんまり自分の意味合いが薄れていくっていうか、
他の人でもできたりとか、自分である意味みたいなのが薄れていってしまうかなと思うんで、
あえてコスパ悪いけどやりたいことみたいなことを追求するのは長期的に人生として見たらそれはそれで楽しいものだなと思うんですけどね。
研究の意義と自己探求
さすが田代さんです。ある種の哲学的に事故を探求するとか、あるいは自分の存在を通して社会だとかコミュニティに何かしらのコミットをする、
グリッドをするっていうような興味がないと多分研究って続かないんですよ。
だから自分と社会との接点っていうもののツールとしての多分研究だと思うんですよね。
だから楽しいことだけしたいとかいうのでは多分ない。
自分自身が何か世界に役に立っているっていう存在証明が欲しい場合に研究というツールは結構有効だったりするから、
僕は自分が研究者だっていうふうな感覚はあんまりないんですけれども、
大学教育に携わっているっていうことに関しては向き不向きで言うと決して不向きではないなとは思ってます。
自分も博士までとって研究的な活動もある程度してはいますけど、
自分が本当に研究者だって言えるかっていうとそうではないところはあるんですけど、
でもやっぱり研究的な考え方をするのは楽しいところありますし、
自分のやりがいみたいなところも感じるところなんで、
個人的にはやっぱりこういうところで進んでよかったなと思いますし、
もっと一回そういう暗闇抜けるみたいな経験をすると、
人からどう思われても気にしなくなるっていうか、
知的好奇心の重要性
道から外れるのも全然教養できるようになるっていう感じで、
メンタル強くなるっていうか、そういうのはあるのかなと思います。
そうですね、一言で言ったら自信がつくってことですよね。
やっぱり自信って誰かによって与えられるものではなくて、
自分を信じることなので、自分を信じるというのはやっぱり結果という経験に裏打ちされるものなので、
何かをやっぱり達成したっていう経験がすごい重要になってくるわけですよね。
それはもうまさにその通りだと思いますし、
あとは楽しいか楽しくないのかっていう発想が結構すごく重要になってくると思うんですけども、
楽しい楽しくないってもう少し脳科学的な世界に言うと、
いわゆるどういったところにドーパミンが出てくるかっていうことだと思うんですけど、
例えば誰かと一緒に何かをすることによって楽しさを達成する人もいるし、
知的好奇心を乱すことによって楽しいと思うこともありますし、
あるいはギャンブルを行って当たる外れるっていうことによって、
ドーパミンの発生が出てくるっていう人もいると思うので、
どのタイプかっていうのは知っておく必要があると思うんですよね。
もちろんある一定では、例えば僕も咀嚼げをやってガチャが当たれば嬉しいと思いますけども、
それが当たるまで続けるっていうような発想を持ってないんですよね。
僕自身はやっぱり知的好奇心が満たされることにものすごい強い快楽を感じるタイプなんで、
その意味で研究という方法が自分の人生における満足度を上げるっていうのは、
自分の中では納得してるんですよね。
なるほど。その辺はちょっと自分もタイプ近いところもあるかなと思うので、
知的好奇心とか学習欲的なものが強いタイプだと、
研究とかっていうのはいいかなと思いますし、
人とやりとりするとか、人から感謝されるみたいなところがやっぱり一番やりがいとか楽しさ感じるなみたいな人は臨床だったり、
教育の中でも学生のために何をするかみたいなことを考えるのがやっぱり好きな人もいると思うんで、
そういうのに合わせて自分の道を見つけていけると良さそうな感じですかね。
研究と倫理
本当にそれでちょっと研究者寄りの話になっちゃったから申し訳ないところはあるんですけども、
研究者ってやっぱり博士だっていうところになってますけど、
修士というところまでの地点だけを考えると、
例えば今、人と何かをやっていくのが楽しいとかってなった時に管理職になったりだとか、
あるいはコーチみたいなのになったりするとかっていうことがあると思うんですけど、
いわゆる組織を良くしたいっていうところ、そして自分自身のチームを良くしたいっていうところでMBAを取り、
MBAっていうのはマスターオブビジネスアドミニストレーターなので、
いわゆるビジネスという形でしっかり勉強するっていうものなので、そういうのもありなわけですよね。
勉強衛生のマスターというのも結局調べてなくて、何という呼び方か忘れましたけどありますし、
マスターというものは何かしらをマスターなので達成するとか、直訳すると達人になるわけですけども、
何かしらの一つのゴールを迎えた人という意味になりますので、
それが人間関係なのか、あるいは管理なのか、いわゆる職業に役立つ、
アダプトの非常に重要な知識でありスキルになるというのがマスターだと思うんですね。
それが大体2年間で取れるということになりますから、
理学療法士になりました。ただ理学療法士ですよりも何かしらのマスターを持っておくというのは、
非常に価値が高い学びだと僕は思います。
ドクターに進むという選択をしなければいいだけなので、
進みたいと思うかもしれませんけど、
よく学生とかに説明するんですけども、
マスターはフルマラソンですと、42.195キロ走りますと、
ドクターはウルトラマラソンで100キロ走りますと、
じゃあそれは42.195キロを2回かけるもうちょっとと一緒ですか?
それは全く違いますと。
42.195キロのしんどさをさらに背負ってまたそこから60キロ走ることは、
全然意味が違うんですよっていう。
その代わりタイムを競ったりだとかっていうよりも、
自分自身の根性を短縮されているような世界なので、
ウルトラマラソンみたいなのが好きな人はいいですよというような説明をしています。
だいぶストイックですね。
いやもう完全にストイックですね。
フルマラソンの方はタイムを競ったり、あるいは走る場所を競ったり、
大阪で走るよ、神戸で走るよ、東京で走るよっていう楽しみがあるんですけど、
ウルトラマラソンってそんなのないですので、
サロマ湖とかですね、
島本みたいな、
行くのも大変な世界で走らなきゃいけないので。
個人的には結構そういうのを惹かれちゃうタイプなんで。
なのでドMの人の世界なんですよね。
確かに。
だから僕好きな世界観っていうのは、
守玄道という世界観があるんですけど、
守玄道というのは宗教的な話になってしまいますけど、
日本にはいくつかの宗教があると。
もともと神道という宗教があって、
その宗教の上に仏教というのが外来で入ってきて、
今は神道と宗教というのが混じったようなものが日本のベースにあると。
あともう一個オリジナルの宗教という守玄道という、
修行をやると。
それはどんなものかというと、いわゆる山節なんですね。
山の中に入って山ごもりをしてやる。
いわゆる天狗さんと呼ばれるような人たちというのが守玄道の世界なんですけども、
いわゆる自分を試す。
そこから何かを得るっていう、
ドMな世界の宗教があるんですよね。
それが特に日本でいうと、双本山が二つあって、
一つが京都の将御院。将御院大根の将御院ですね。
もう一つは吉野にある金布仙寺というのが本居になるんですけど、
これの一つの仏教が取り入れたやつが千日解放行とかなんですよ。
だから守玄道って、永遠と自分を鍛えていく宗教があるんですけど、
僕それが大好きなんですね。
なるほど。
そういうのが一つあって。
なるほど。
そうなると、理学療法士を取る前とかに、
小中高の時期とかに何かにめちゃめちゃハマったとか、
スポーツでも勉強でも芸術系とか、何でもいいと思うんですけど、
何かに打ち込んだ経験があるみたいな人とかっていうのは、
ちょっと向いてる可能性があるかなって感じですかね。
まさに本当にそうだと思います。
何かに打ち込む。
例えば田次郎さんの場合は冒頭って言われてましたよね。
大学からは冒頭ですし、それまでも水泳やってたんですけど、
それも小中高とかまでずっと続いてたりとか、
そもそもスポーツやるのも水泳とか陸上とか、
結構同じような動きを繰り返す中で細かく調整して
身体機能を高めていくみたいな方が好きなタイプなんで、
そういう意味では適正的にはストイックなM質があるかなと思いましたね。
僕は格闘技とラグビーなので、誰かとコンタクトしたいんですよね。
強さを競いたいみたいなのがすごく強くて、
そのベースには筋力トレーニングっていうのが非常に好きなので、
イントレっていうストイックさと、
あとはそのできた体を誰かにぶつけたいっていうインポなのが
常に僕の中にあるかもしれないですね。
なるほど。その辺も結構個性出ますよね。
スポーツだけじゃなくて、小っちゃい時はゲームとか結構好きでやってたとか、
高校生くらいはファッションとか結構いろいろ組み合わせ考えるのが好きだったりとか、
多分一つ打ち込むとかだけでもいろいろ種類あると思いますし、
それが多分適正に反映してくると思うので、
その辺が研究者として活動するにしても個性な部分だと思うので、
そういうのを生かしていけると面白いかなと思いました。
本当になので、研究というところは、
研究者でなくてももちろんいいわけですから、
いわゆる病院の中で研究グループなんかがあって、
その病院の中で一つ学会発表を持っていくっていうのでも
もちろん研究で、その研究を通して臨床が変わるっていうのは、
なんていうのかな、最も適切な研究なわけですよね。
臨床活動、そして患者さんに、ステークホルダーである患者さんに対して
提供できるサービスが大きく変わるっていうのであれば、
それを論文化する必要がある方は別にないわけですよね。
論文化することによって、より広いステークホルダーに恩恵を与えられる
ということにはなるんですけども、自分自身のテーマ設定の中で
自分自身がより良い治療をするとか、良い医学になるための研究
っていうのであれば、別に学会発表する必要はもちろんない。
自分がどういうことをやりたいのかっていうのを常に設定することから始めれば、
大きく間違っていかないのかなと思うんですよね。
その間違いっていうのはどういうことかというと、
患者さんを研究の道具に使うということなんですよね。
自分自身が研究をしたいからこういう症例だけ見たいですとか、
自分自身のデータを取りたいから患者さんにこういった治療を試させてください
みたいなのが僕の中では間違った研究なんですよね。
もちろんある一定でそれは必要だと思いますけど、
グループ、チーム、そして何よりもちゃんと誰か第三者の人がそれを見て
OKが出てるのかどうかってことなんですよ。
それが人を対象とした倫理に関しての、
ちゃんと審査を通してるかというところにもなってくると思うんですけど、
そういうんじゃなくて、あんまりこういうとよくないかもしれませんが、
よくYouTubeの中とかで、すごい治療家みたいな人が出てきて、
自分は研究の結果こんなふうにやってきましたみたいな人たちも中にいるんですね。
研究の意義
だけど別に研究の結果といっても論文を出してるわけでもないですし、
何の研究をしたの?自分勝手なことをやってきたんじゃないの?
みたいな人たちっていうのがやっぱり人気治療家みたいな人で複数いるんですよ。
そういうときに研究という言葉を使うんですね。
たぶんそこは研究という言葉を使ってはならないような人たちが結構いますし、
そういう人たちってすごく論理が単純なんですね。
だから人を引きつけるんですよ。
つまり人間ってそんなに単純じゃないのに、単純化していくっていう形を取ってるの。
僕は情報学の研究も今一部かじってやっているので、
とても重要なところでいうと、情報学では情報を構造化していくんですね。
その構造化していくっていうのはパターニングをしていくわけですけども、
その構造化をしていくっていう、パターニングをしていくっていうのは別に、
楽ちんにやるためのパターニングではないんですけれども、
よくさっきからあえて批判している、よくわからない治療家の人たちっていうのは、
単純化パターニングをやっていくんですよ。
単純化パターニングをしたら人に伝わりやすいので、
結果何をするかというと、患者さんをむちゃくちゃに扱うっていう形になる。
もちろん100人やれば何人かの成果は出てくると思うんですね。
その結果良かった人だけを載せるっていうことが、
研究のデザインとしては良くないわけですよ。
うまくいかなかった例も出さなきゃいけないんだけども、
あんまりそういうのは扱わないんですよね。
自然言語処理の重要性
だから構造化をしていくっていう研究はすごく重要である。
ただしその構造化というのは構造化できないものを見ていくので、
この辺りはたまたま昨日と違う学会のメンバーと喋ってて、
僕がやっている研究の話をちょろっとしたときに、全然伝わらなかったんですよ。
僕自身の説明が悪かったっていうところもあるんですけども、
いわゆる理科系研究と言われるものは数的な統計を主体としているわけですよね。
それの逆側にあるのが、
例えばナラティブの研究であったりだとか、
人の言葉というものを扱っていく研究というのがあって、
よく韓国語学とかではそういった研究が行われるんですね。
どちらかというと僕はその間の研究をやってるんですよ。
情報学って、例えば自然言語処理って言って、
言葉というものあるいはテキストというものをデータに扱うので、
だけど自然言語処理っていうのはそれを数的に扱うというか、
統計的にも扱えますし、
全く何も扱えないものを無理やり扱っているわけではない。
むしろ今、LLM、ラージランゲージモデルってなんだっけ。
だから生成AIとかが使うっていうのはLLMと言われるようなもので、
むしろ今の社会の主戦場でそこに自然言語史にあるんですけども、
なかなか自然言語処理についての話がうまく伝わらなくて、
非常に昨日は悩みました。
昨日の夜、そっから3時間ぐらいずっと調べ戻して、
どうやったら自然言語処理って伝わるんだろうっていうのをちょっと考えていました。
なるほどですね。
でもこういうのも研究あるあるなところかなと思いましたし、
たぶん新しい研究ほどパッとイメージされなくて、
意義が伝わりづらいっていうところはあるかもしれないですけど、
ちゃんと突き詰めて考えていけばやっぱり価値のあるものになったりすると思いますし、
特に今後たぶん言語解析とかは、
特に生成AIとか盛り上がってきていると思うので、
より理解されやすくなったりとか活用しやすくなってくると思うので、
個人的には結構今注目しがいがある領域だなと思いますけどね。
研究者の適性
本当に自然言語処理っていうのは昔から行われているし、
人間の頭の解釈って自然言語を処理してるわけなの。
いわゆる自然言語と対比的な数的な言語で数になるわけですけども、
数で考えることってほとんど人間でしていないわけなんですね。
自然言語って考えると就職後なんかがあってすごくバイアスが乗ってきたりするわけですし、
体系だとか文脈あるいは行間っていうことが出てくるわけですよね。
人間っていうのはその行間をすごく読んでいる、
ハイコンテキストな対話とかっていうのをすごくやっているわけですよ。
だけど数字っていうのはハイコンテキストではないので、
数字っていうのは非常にわかりやすいから科学としては扱いやすい。
あるいは医学療法の業界の中では非常に扱いやすいというので使っているんですけども、
実際臨床ってハイコンテキストな自然言語を扱っているんですよね。
だからそういうのを僕らは研究しているんですけど、
とても理解がうまく合わなくて、なかなかうまくいきませんでした。
なるほど。その辺も解決のいて口見つけていけたらいいなと思うんですけど。
でもこれまでだと本当に理解されなくて、
そういう研究費とか取りづらいみたいなところがあったかもしれないですけど、
本当にこの生成AIとか話題になりつつあるから、
その辺も今後研究費的には出される機会増えそうだなみたいなイメージもあるんですけど。
僕自身は生成AIをやっているわけではないんですけれども、
特に理学療法におけるカルテの中で、
どの情報が最も重要視されているかって言われたときに、
おそらく数字ではないんですよ。
アセスメントの部分をダダダッと読んで、
みんなアセスメントのところから解釈をしているはずなんです。
なのに統計的に書けるのは数字なものばっかりで、
いいや、自然言語をもう少し扱いましょうよっていう。
あるいはカルテを書くときに自然言語として、
いわゆるテキストとして書き込まなかったら結構怒られたりするんですよね。
だけども、それを全然データとして扱ってないこと自体に
僕は問題を感じるんですよ。
なので、そういった自然言語と言われるものを、
もう少しちゃんとデータとして扱って、
それを明らかにしたいっていうのが僕のモチベーションなんですね。
でもそもそもとして、それってなかなか扱えませんよねっていう立場に
立ってる人が多いような気がします。
だから諦めちゃってるっていう感じですよね。
なるほど。
なのでその辺の価値は見直されてくるかなと思いますし、
さっきの伝え方だと、
例えばもしカルテが全部評価の数値だけで記載されてたら、
それで人に伝えてできますかっていうとそうでもないと思うんで、
やっぱ言葉は大事だよねっていうのは分かるは分かると思うんですけど、
その大事さを理解してもらうのがなかなか難しいかなと思うので。
本当に全くその通りで、
よく僕OSっていう言葉を使うんですけど、
思考のオペレーティングシステムが違うと、
そこはやっぱりなかなか合わさっていかないんですよね。
僕自身もたまたま僕は両方やってるので、
さっき言った3つの研究をなんとなくは知っているから、
僕は理解しようとするんですけども、
どっぷりとそうじゃないところに使っていくと、
やっぱりOSを入れ替えるっていうのはとても時間がかかるので、
なかなか難しいですよね。
実際今僕このパソコンWindows使ってるんですけど、
もともとはずっとMacを20年間使ってきたから、
Windowsに適応するのってものすごくしんどいんですよ。
それこそ興味というところで言うと、
全く違うことを試すのって好きなんですよね。
だからWindowsの設定だとかWindowsをこちょこちょいじるのはとても好きなので、
使えないからやらないんではなくて、
使えないからやってみたいっていうことを結構やっちゃうタイプです。
なるほど。
その辺も結構研究者の資質としては大事なところかなと思いますけどね。
自分の興味あるとこだけ深掘るっていうよりも、
パッと興味持てなかったとしても試してみて、
新しいものが見つかる可能性もあるっていうところだと思いますし。
その代わり疲れますよ。
クローがバグるので。
だからある種のノートレとしてやってるんですけど、
例えばウィンドウを閉じるときに、
×印っていうのはWindowsは右側にあるわけですよ。
Macは左側にあるわけです。
そういうのに慣れてスーッと左側にあったらないないってなってくることだった。
今もキーボード設定は両方共有にしているんですけど、
キーボード設定で日本語変換をしようとしたときに、
押すボタンが違ったりとかっていうことがある。
なかなかそこに慣れるまでが結構大変だったりするんですけど、
改めてWindowsを使い出すと、
かなり両方が寄り合ってきてるっていうことがたくさんあるのも分かる。
あるいはWindowsを使って、Mac OSを使って、
iPhone OS、iPad OSを使ったら全部やっぱり違うわけですよね。
そういうのにいかに適応していくかっていうのは、
あるいはそれに対して興味を持てるのかって結構、
社会適応能力としてはすごく重要なのかなと思ったりはしています。
なるほど。
その辺もさっきのところで、
やっぱり医学療法系でも数的な研究をする人が比較的多い中で、
言葉を扱うような研究もあるっちゃあるんですけど、
なかなかイメージしづらいから伝わりづらいっていうのもあるかなと思いますし、
自分の中でももともと腰痛の研究とかを大学院でしたときには、
自然科学的な数字を扱うような形で研究したはしたんですけど、
深めていくとやっぱりメンタルが絡む部分とかで言うと、
言葉の理解とかも必要になってきて、
最近は堀先生も関わる中で哲学もいろいろ勉強したりしてるんですけど、
その中でやっぱり言葉を研究する手法っていうか、
そっちの考え方も分かってくると、
かぶさってる部分と哲学的なとこ、得意なとこも分かってくるような感じなんで、
両方学ぶ機会が、最初大変ですけど両方学ぶ機会があるといいのかなと思いましたね。
その最初大変だけどやるかっていうのが、
おそらく全ての研究者向きとか、
あるいは何かを追求していくというのに向いてるかということだと思うんですけども、
例えば僕も何かを追求したいと思うけれども、
全部が全部できるかしたらできなくて、
例えば楽器とかができないんですよ。
楽器をよしやろうと思って、
それこそ20代前半にサックスを買って、
サックスの個人指導を受けてたんですけど、
1年経ってもうまくいかないわけですよね。
うまくいかないのは自分自身の能力と努力値で、
例えば練習する場所がないということで、
週に1回の1時間だとか30分のレッスンだけで吹けると思ってるわけですよ。
本当はそれ以外の時間に音を出す練習をしなきゃいけないわけですけど、
サックスってめちゃ音がでかいから、
結局諦めた。
そこが例えばギターとかだったら、
博士号取得に対する考察
もしかしたらうまくいってたのかもしれませんけれども、
なんかね、やっぱり楽譜を読めないっていうのももちろんありますし、
出てくる音で音階がわからないっていうトレーニングをやっていないっていうのがあって、
今思うと継続しとけばよかったなと思うけど、
継続できなかったのはそこに対する強い興味だとか、
あとはその感覚的にフィッティングが多分なくなって、
これだっていう。
例えば先ほど田代さんが哲学というところでやっていく上で、
フィッティングがあったからわからない、
しんどいと思ってもやっぱりやれるというのがあると思うんですよね。
そうですね。
やっぱり哲学ちょっと学んでみようかなと思ったタイミングで、
学んでいくと広すぎて、
どっから手をつけたらいいかわからないっていうタイミングもやっぱり訪れるんですけど、
やっぱりなんかこの人の感覚で、
そこから広げやすくなるっていうのもあったかなと思いますし、
その辺は多分臨床をやってから大学院行ったっていうタイミングとかでも、
いろいろ学んでいく中で、
合うもの合わないとこあると思うんですけど、
やっぱこれまでの臨床をやる中で感じてた問いとかを、
これ学んでいけば解決に近づくんじゃないかっていう、
パッとあった瞬間があればより深めていけるかなと思っています。
博士課程の困難
続けようとするときの絶対的な重要なのは、
前々回話したメンターなんですよね。
誰がその後にわからないときに教えてくれるか、
例えば現在だったら哲学的なものとか学問的なものとか、
その後の勉強とかとか、
その後の勉強とかで、
その後の勉強とかで、
その後の勉強とかで、
その後の勉強とかで、
本当にそれが正しいかどうかっていう、
もう1つ確認しなきゃいけないときに、
本当にそれが正しいかどうかっていう、
もう1つ確認しなきゃいけないときに、
非常に哲学研究者が優秀な人がいて、
非常に哲学研究者が優秀な人がいて、
それで教えてくれると、
多分進むでしょうし、
周りに全然そういう人がいなくて、
教えてもらえないとすると、
結構諦めたりする。
例えばさっきの僕の学期も、
例えばさっきの僕の学期も、
いち早く誰かが教えてくれる、
あるいは競い合う相手がいるっていう、
自分自身にとって物事を継続する上での、
自分自身にとって物事を継続する上での、
必勝パターンっていうのはおそらくあると思うんですよ。
必勝パターンっていうのはおそらくあると思うんですよ。
それがライバルなのか、
それがライバルなのか、
成功報酬なのか、
そういうのを知っておくっていうのは、
すごく重要かもしれませんね。
すいません。
ておくというのはすごく重要かもしれませんね そうですねなんでそれも途中であったような理学
療法士になる前の子供の頃とかいなくハマったものがどんなものかっていうの とまあそれがハマった理由とかなんか周りの環境どういう感じだったからこう
なんかハムリ続けれたのかとかなんかそういうところが多分 今後の自分の活動にもあの影響してくる部分あると思うんで
その辺は何かどういうところ報酬に感じるのかみたいなとこもやっぱり 深掘っていた方が良さそうですよね
なのでこう大学院進学をした方がいいですかどうですかというところをよく学生 とかに聞かれると僕は割と頭からした方がいいって答えるタイプなんですね
それは2つの理由があって一つは自分に自信がつくという先ほどの話のところ そしてもう1個は人からの見方が変わるというところで
なので必ずしも理学療法の収支を取る必要はないかもしれませんけども 結局多くの人が自分に自信を持てない誰かに評価されないということに悩んでいることが結構多いんですよね
収支取るとそれの療法が満たされる可能性が非常に高いんですよ 前回も話したように例えばドクターからの見立てが違ったりだとか
周りのそれを取ってない人たちから見立てってのは必ず変わるので だからなんとなく自分自身に自信をつけつつ人から認められたいというものに関してはプラスです
ただそれが金銭的なものだとかにつながってくるかどうかはまたわかりませんし 収支を取ってさらに謎が深まって気持ち悪くなることもあります
だから迷わず行けよ 行けばわかる
そうですね また収支取った後にそのまま働くとかキャリア歩んだ中で博士取れてないコンプレックスみたいな感じに悩む人もいるような気がするんで
そうなったらもうまたそっちに行っちゃった方が自分にとってもいいかもしれないですけど
よく博士が足の裏の米粒って言われるんですけど
つまり足の裏に米粒ついてたら取らないと気持ち悪い だけど取ったからといってそれが食べれるわけじゃない
食べれるわけじゃないっていうのは博士を取ったから就職につながるわけじゃないっていうことなんですけど
国際的な評価の変化
だからこの足の裏の米粒をどうするかっていうのは取った人じゃないとわからないんですよね
そうですね 残り続けて生きれないほどではないんですけど ちょっと気持ち悪いって感じはあるかもしれないですね
その気持ち悪さって特にD.C.にしたら余計わかるでしょ
だから多分人生の中で一番気持ち悪い期間って博士課程期間なんですよ 博士ではない
だけど博士を取るための努力をしなければいけない
その努力っていうのが多大なる努力であるってのはわかってるから 逃げたいっていうこのD.C.の期間の気持ち悪さ
そうですね 一番しんどかった記憶はありますね メンタル的には
例えば理学療法士を取るっていうことであれば ある程度のステップを踏んでいけば確実に取れるんですよ
だから努力量と取れるっていう可能性というものが見えるんですよね
だけどもD.C.ってそれが見えないから
いや本当にだからね ワンピースのモンキー・D・ルフィーのDがドクターだったのかなと思うぐらい
D.C.の一族って何なんだろうって思うぐらい謎の存在だったんですけど
見てみたらこんなに安心することはないものの一つですね
で またあなたもD取ったんですねって感じで 博士の中での信頼感っていうのはすごいやっぱりあったりすると思いますし
取ることで見えてくる世界は個人的にはやっぱりとって良かったなと思うんで
本当に信頼感っていうのは相手が博士号を持っているっていうことだけで
仕事に対しての任せる度合いっていうのはやっぱり変わると思います
マイナスで言うとあいつD持ってないからねみたいな世界で一部あるかもしれませんし
自分もどっかでそういうふうなバイアスをかけてしまうことはゼロではないんですけども
できるだけかけないようにはしますけれども
やっぱりDをドクター持ってる人とそうじゃない人の 仕事の任せ方の差っていうのはですね
僕の中ではやっぱりあるなあと思います
そうですね なんでこれ聞いた方がじゃあちょっと博士行ってみようかってか
やっぱり自分には難しそうだなと思うかどうか分かんないんですけど
一応2人は取った
多分ずっと難しいからやめようと思うような話になってるような気がします
なるほど
なので実験を本当に自分の力でやりたい人はゼロでやったほうがいいです
くすぶってるぐらいだったら前に進んで
自分で戦いを挑んで自分で勝ち抜くっていうのがいいと思います
誰かのせいじゃないと自分の人生は自分のものなので
自分でどうにかしようと思うんだとしたときに
理学療法士という資格プラスに修士だとか博士だとかっていう
自分が歩いた道のりっていうのを通して自信をつけていくっていうツールがあるので
そのツールを利用するっていうのはすごくいいですよっていうのが僕の個人的な回答です
そうですね
確かに本当博士行くのは大変で学位取るのも大変なんですけど
誰しも人生長く見たらそういうもんだよねっていうか
そういう先が見えない時期で自分なりのものを見つけないといけないっていうのが
いつ来るかどうかの差かなとも思ったりするんで
まあまあなんでしょうね
それがちょっと早めに来るかなみたいなところだと思うんですけどね
実際に統計的な話をすると理学療法士のうちの修士を取っている人っていうのは
大体で10%から5%と言われますね
この5%の差は何だって言われると
理学療法士の資格を持っているけれども
その教会に入っていないと統計が分からないんですよね
教会員の10%ぐらいが修士を取っているというデータはあるんですよ
教会員になってないけど修士を取っている人っていうのが
どれぐらいいるか全く分からないというところで
5%から10%だろうと
差になってくると理学療法士の1%から2%なんですね
だから全然取らなくていいじゃんっていう数字になってくる事実にはなるんですけれども
すごく大変だからこそ少数派に入って
何かしら自分自身に自信をつけていくっていうのはすごくいいことだとは思うんですよね
実際にこのラジオを聞いている人たちって相当少数派で意識高い系じゃないと聞かないので
これを聞いてる人たちに僕ら向けて喋ってますから
全ての理学療法士には全然喋ってません
だからこれを聞いてる人は迷わず行けよって思ってます
確かにこのラジオでかつ配信のこの後半分まで聞いてる人は素質ありますよって感じですね
悩んでると思いますので今後XかもしくはSpotifyとかのコメント機能に
悩んでますって言うんだとすると個人的にご指導いたしますので
お話ししてみたいですね
ですねだから全員の理学療法士に対してはさらさら向けて喋ってない
つまり一応注意しながら攻撃的な話はしないようにしていますけれども
このラジオを聞いている本当に少数の方っていうのは悩みがあったりだとか
あるいはもちろん興味を持ってっていうその興味っていうのがすごく重要なわけですよね
だから興味をどうにか形にしたいっていうところで
このラジオではわりと修士とか博士とか
あるいはさらなる学び認定だとかそういうものだとかっていうことを喋っているわけですよね
そうですねなんで探求したい人とかちょっと悩みとかやりたいことある人は話してみたいなと思いますし
ちょっと今回話し切れてなかったのはやっぱり博士とか取ると
やっぱり国際的な海外からの見られ方っていうのも全然変わるなぁとは思ったりするので
もし日本以外の活動も見せたりとか考えてる人はそれは本当に
PhDと取る意義はすごいあるのかなと思いますね
本当にだから海外に行くとドクターホリーって呼ばれるわけなので
それ自体で話しやすさはやっぱり変わります
フィギュアスラピストのホリーではなくて
ドクターのホリーとして学会でいろいろなものを招聘されるんですよね
つい最近チリの学会
IOPTMHっていうメンタルヘルスの理学療法が来年度チリでやるんですけど
科学委員の就任依頼が来たりとかするわけですよね
そのときやっぱりドクターだから来るというのももちろんありますし
チリへの旅行と学会
ただチリってどうやって行くのって困ってるんですよね
40時間ぐらいかかるんじゃないかなと思って
その前がコロンビアで学会があって僕行ってないんですけど30時間かかったって言ってましたので
さらに遠いっていう
それもストイックなホリー先生だったらどういったのかみたいな感じ
だけど僕長時間の飛行機苦手なんですよね
ただ人生で一度ぐらいチリには行ってみたいという気はするんですよ
だから研究費も今のところどうにかあるので
やろうかなとは思ってます
なるほどぜひチリ旅行機行きたいですね
今ちょっとグーグルマップで見てますけどめちゃくちゃ遠いですね
多分日本から一番遠い場所なんじゃないですか
南アフリカに行くかチリに行くかじゃないですかね遠いのは
自分は南アフリカ行ったことあるんです
学会ですか
それは偶然うちの父親が単身婚姻で南アフリカで数年間働いてて
なんかチラッと聞いたような気がします
大学の時に行きましたけどめちゃめちゃ時間かかりました
何回乗り換えですか
ドバイ経由してアフリカのヨハネスブルクっていうところについて
そこから乗り換えたりしたんで
南アフリカまでだったら1回なんですね
そうですねそれもドバイまで確か自分はなんか香港かなんかで
1回ちょっと乗り換えて行った感じだったんで
ドバイじゃないですけど
なのでまぁでも数回乗り換えで行けるかなと思います
ドバイ行くのも乗り換えでしんどいと思ったんですよ
そっからヨハネスブルクってさらに12時間とかでしょ
同じくらいかもうちょっと短いくらいかかりますね
チリの話をあんまり広げてもしょうがないかもしれません
5月なのでめちゃくちゃ攻撃感なんですよ
だから軌道に2日帰りに2日そして滞在に4日ってなったら
2回ぐらい授業飛ばさなきゃいけないから
これ多分怒られるんですよね
そうですねなかなかチリはないかもしれないですけど
国際学会での人脈構築
でも大学院行って国際学会発表とかっていうと
ヨーロッパ方面とかアジアとかではあることもあると思いますし
そうですね海外経験っていうのも可能性は高まるんで
そうですねだから本当に研究者あるいは大学教員
もちろん理学療法士という研究をやってる方も
国際学会にできるだけ多く行っていただけるっていうのは
すごくいいと思うんですよね
お金はもちろんかかりますけど
お金以上の経験とか人脈っていうのが出てきます
特にこれが面白いのが国際学会に行って
国際的な人脈を作るというよりは
国際学会に来ている日本人とすごく仲良くなるんですよ
これ日本の学会だったらならない人たちとなるので
国際学会を通していろいろな人と知り合うっていうのは
すごく面白いですよと思ってます
だから国際学会でも国内学会でも
自分のチームとだけ行動するっていうのは良した方がいいです
国際学会だからこそ外で声をかけて知り合いになれるっていうことは
たくさんありますから
一人で行けとは言いませんけれども
2,3人で行ってどっかのチームと知り合ったりだとか
本当に一人で歩いている国際学会の
こちらでいう日本でいうと有名な方とかに話しかけて
そのまま飯食いに行くとかっていうのはすごくいいと思うんですよね
そうですね
その辺も国際学会行ったら勝手に繋がるっていうよりは
行った先でやっぱり意欲的に話しかけに行ったりとかしないと
なかなか繋がれないっていうのはあると思うんで
その辺の積極性も大事ですよね
あと国際学会に行ってるから
向こうから例えば発表して
わりと有名な日本の方に話しかけられるっていうことも
すごくチャンスとしてはあるから
それがきっかけに仕事だとか
あるいはもしかしたら大学院進学で
うちのゼミ来ないとかっていう話にもなってくると思うので
国際学会に一回行ってみるっていうのはすごくチャンスです
特にこの放送のときはもうWPで終わってますね
ちょうど今この放送は5月中旬なんですけども
16回5月中旬なんですけど
今月末WPTがありますから
そこで人間関係ってのは結構広がると思うんですよね
そうですね
アジアの学会は敷居が低いので
医学旅行とアジアの学会は結構僕は個人的におすすめなんですよね
アジアの学会というとWCPTというのと
AWPという2つの学会が
だいたい2年に1回やってますので
来年は韓国です
だからまずそういったところから
参加してみるっていうのはいいんじゃないかな
だから韓国だったら参加費も料金もそんなに高くないのでいいなと
これがヨーロッパとかになるとやっぱり2、30万かかるんですけど
僕だったら10万でいけると思いますので
ボーナスのどれかを取って行くっていうのはすごくおすすめです
そうですね
臨床でももちろん海外と関わる可能性はなくはないですけど
研究という形だとやっぱり海外のつながりは本当に生まれやすいかなと思うんで
そういうところに興味ある人はぜひおすすめかなと思いますね
そうですね
レジェンドとの対話
なので国際学会に行ってそこから修士博士に行くっていう通過点は
実はめちゃくちゃおすすめです
確かに
やっぱり興味の幅とかさっき言った問いのところとかっていうのが
自然に広がりやすいきっかけになると思うんで
ぜひ関わってほしいですね
本当に国際学会は面白いので
韓国僕行きますし
来てくださってる方一緒に韓国で遊びましょう
いいですね
私も韓国行きますみたいなことあれば
本当ですよ
WPTも僕いる
大体アジアのWPT関係の
文化会はいませんけれども
メインの学会は基本僕行ってますので
ぜひ一緒に遊びましょう
なるほど
アジア聞いてますとかって言われたら
コードにして喜んで飯をおごります
なんかアドバンスとセラピストステッカーでも作ってもいいのかなと思っちゃいました
本当ですね
聞いてますって言ってくれたら
みんながみんな飯をおごったりはできませんから
コーヒーぐらいおごります
いいですね
ちょこっとずつ聞いてくれる人も
なんか増えつつあるような感じではあると思うんで
なんか交流していけたらなと思いますし
なかなかねラジオ聞いてますってないですよね
そうですね
ラジオ聞いてますって言われることあんまりないです
なんか有名人感がありますけど
有名人になりたいわけじゃないですけど
そこをして繋がれる
だからそれが有名人なんでしょうね
そうですね
自分が何かしらのポイントになって
そこからコネクションができるっていうのは
それはぜひやりたいなと思いますので
ぜひ聞いてください
特にこのアドバンスとセラピストとしては
もう理学療法士会のかなりニッチな深いところの話で
今回も第9回の後半の最終のところなんで
ここまで聞いてる人は
おそらくすぐ仲良くなれると思うんで
ぜひ
全然なれますし
あったら変な人ですねって多分聞くけど
逆にそういう方がどういうことをしてるか
みたいなことも聞きたいなと思うんで
そうですね
いやそれが本当に
出ていただく
こちらにまたね
スピーカーとして出ていただくっていうことも
あるかもしれないし
あるいはその方の話をここでさせていただいて
なんかいろいろなアイディアを
いるかもしれないので
ちょこちょここう
一緒に話してみませんか
みたいな声掛けもちょっと個人的には
勝手にしたりしてるんで
僕もできるだけ大御所連れてこようと思います
なんかゲスト対談みたいなことも
ぼちぼちしてきたらなと思うんで
そういうのも楽しみにという感じですかね
ちょっと話は飛ぶかもしれませんけど
僕らが知っている大御所と言われて
いわゆるレジェンドクラスの人たちっていうのが
80代に入ってきてるんですよ
その80代の人たちが最後と言ったら
とても失礼かもしれませんけど
どんなことを考えてるのかっていうデータを
残しとかなきゃいけないと思うんですよね
そういった方たちに
多分おそらく僕がそういった人たちに
声掛けれる最後の世代なんですよ
例えばその田代さんが
奈良先生にとかってなるとすごく気が高かったり
そういった人たちを僕声掛けれて
いつかやろうと思って
もうすでにコロナ前にやろうと思ってたんですよ
そしたらコロナが入っちゃって
なかなかそれができなくなって
逆にコロナがあって
Zoomというのが開かされたから
そういった方たちにお声掛けして
話していただくっていう機会を
ちょっと作っていこうと思ってますので
いいですね
なかなか貴重な機会でね
いやーすごいやっぱり住賃たちに
それがきっかけに多分また住賃同士のネットワークで
つながっていけるので
いろいろな人
今パッと思い出すのがですね
福岡にいる橋本隆先生とかですね
なかなか皆さん知らないと思いますけど
九州リハの一期生で
この方もレジェンドだったりとか
そういった人たちにちょっとお願いできないかなと
思ったりとかしてます
いやー多分そういうすごい熱量の高い話というか
昔の話も聞くと意欲が高まるとか
気づきも多いかなと思うんで
ぜひ収録していきたいですね
ちょっといろいろこれからお声掛けしていきますので
また突然ここだったらいけますっていうので
お願いすると思いますので
ぜひお願いします
わかりました
じゃあ視聴者の方もお楽しみにという感じで
今回はこのぐらいにしようと思います
ありがとうございます
ありがとうございます