確かに。僕自身も大学教員になろうと思ってなったわけではない流れがあって、自分自身が理学療法士になった頃っていうのは大学っていうのはほとんどなかったですし、大学自体の教員のなり方とかも全然、今のようにインターネットが発達しているわけではなかったから、何せ情報がないわけですね。
だから単に学んだ結果、特に僕は大阪に出てくるときに臨床だったら研究自体がやりにくいかもしれないから、ちょうど大学が新しくできたらしいからそこに一応求人があるから出してみようぐらいの感じで動いているので、今のように博士とったら大学教員になるんだっていうとは時代的背景がだいぶ違うというのはあると思うんですよね。
だから学びたい、自分の問いをどうにか解決させたいっていうふうに進んでいたっていうのはあるんですよ。
だから例えば修士博士に今後行くべきかなと悩んでる人は、まずそういうふうに自分が持っている問いっていうのを、問いがうごめいててそれをどうにかしたいっていうことのモチベーションがもしかしたら必要なのかなとは思います。
だから道具的に単に修士とって博士とったら自分の給与が上がるっていうことからするとコスパが悪すぎると思います。
なるほど。そうですね、そういう外的な欲求というかその給料を増やしたいとか、箱をつけたいというだけだとなかなか結構ハードルも大変なんで精神的にも参っちゃうかもしれないしコスパ悪いっていうのも両方ありそうな気がしましたね。
なのでそれぐらい、例えばモチベーションが給与を増やしたいというところで仮にあるとすれば、その同じ時間同じ費用同じ努力料を使うんだとすると、例えば公認会計士を取るとか、違う資格を取っていくっていうことの方が明らかにいいと思います。
なるほど。その中でもやっぱりそういう大学に行って経営を作っていくっていう時には、こういうヘルスケアの分野というか、理学両方の知見も活かして課題解決していきたいとか、今解決できたないこういう問いはどうしたらいいんだろうみたいなモチベーションというか、そこの問いは必要そうですね。長くしようと思った。
その問いっていうのは、おそらく人生における自分のわだかまりの連続性だと思うんですよね。もうちょっと簡単に言うと、例えば僕自身が理学両方士になる一つのきっかけっていうのは、高校時代にラグビーやってて、ラグビーにおける怪我をきっかけにサポート側、いわゆる選手としては自分はとても一流にはなれないので、サポート側に回りたいというところから理学両方士になり、
そしてそのままいろいろなことをやっていくっていう連続性がある。同時に僕自身は中学校時代に考古学をやりたいと思ってたので、文化系の研究というのにものすごく興味を持っている。理学両方士、文化系研究となったときにたまたま僕は大学教員という一つの分岐点というか接合点があって、そこに進んでるだけなんですよね。
それが例えば全然違う興味であれば、例えばこれが料理であるとか建築であるとかなると違う進み方をしてたと思うんですよ。
単にその考古学とスポーツっていうのが全然結びつかないようなところで結びついての接点に今立っているという感じです。
なので理学両方士として大学院考えるというときに自分の問いは何なのかみたいなことを考えようと思うと多分もうちょっと前の小学校、中学校、高校とかでどういう興味持ってたとかどういうのが好きで、どういうのが得意で、不得意でみたいなことを見つめ直した後にまた先の進路も考えるみたいな両方あっても良さそうな気がしました。
本当になので自分が何をしたいのかという問い、これは非常に哲学的な問いだというふうに問われるかもしれませんけど、人間的な問いなんですよね。
事故に対する不安だとか事故に対する存在に関する不安定感というのは多くの人が持っていると思います。
その問いの一つの解消方法としての研究がある。つまり何かしら自分がマイルストーン、つまり歩いてきたところに目印を置いて自分はこんだけのことをして歩いてきたんだよというもののマイルストーンを置くということが学会発表であったり論文だったりするので、マイルストーンを置きやすい職業ではあるんですよね、研究者って。
これが理学療法師ってなってた時に運動機の患者さん何人治療しました、呼吸器をどれぐらいの人をやりましたとかっていうのはマイルストーンが置きづらいんですよね。
なので自分自身が何者かをしようと思った時のそのマイルストーンの置き方という意味では研究者はお勧めかもしれません。
確かに。そういう意味では外的な左右のされる部分が少なくて、自分で探求していけるみたいなのはあるかもしれないなと思いましたし。
あと、とはいえ前回も話したような資金調達とか考えるとトレンド的なことも必要だと思うんで、今の社会にとってどういうことが必要なのかとか、今後社会は変わっていくだろうからそれを前もってこういうことを探しておくのが必要なのかみたいな。
だから内をかぼるのと外を見るのと両方必要な感じですよね。
まさにどちらかが突出してるっていうのでもいいかもしれませんけれども、前回の時に興味をたくさん持つほうが教員向きだよっていう話をしたと思いますけれども、
研究のテーマを探すってのはやっぱり興味をたくさん持っていかないといけないし、その持っている興味が本当にニーズがあるのかっていうのを探さなきゃいけないわけですよね。
ほとんどの研究は自分より先に誰かがやってる可能性がすごい高い。そうじゃない100ある穴の中から2個だけ穴が空いてるところを見つけなきゃいけないわけですよね。
それのしつこさっていうのは必要だと思います。もうこんだけ穴が埋まってるんだったら自分無理だって思っちゃう人は向かないです。
そうですね。特に博士とかになるとそこが必要だなと思いますね。
あるいは指導者がすでにその穴のことを知っておいてこれやったらいいよって言ってくれることもあるのでそれでもいいと思うんですけど、
その修士博士の時に指導者がこれやったらいいよあるいはこの研究費を持ってるからこれについて研究してって言って博士までやっていってる人たちで取った人たちってやっぱり先もそりします。
自己意識がないので。研究する能力が高いかもしれないけれどもさああなたが好きなことやっていいよって言った瞬間にすごい困っちゃうんですよね。
それは自分の周りでもちょっと感じるところありますね。
本当に能力が高いからこそどっかで1回暗闇の部屋にぶち込まれて光を探して自分で脱出する能力を持っておかなきゃいけないんですか。
そうですね。それがもちろん大学院じゃなくて臨床だったりとか別の活動でもそういうタイミングってくるかもしれないですけど、
研究っていうのはもう明らかにそういうフェーズがどっかで来るだろうっていうのはわかりやすいんで予測しながら歩んでいってもいいかもしれないですね。
実はこの話の間のところでもあんまり研究とかにネガティブな話をしちゃいけないよなって自分を反省していながらもやっぱりコスパ悪いんですよ。
これ本当に能力が高い人で、すごく能力が高いというのは例えば記憶力が非常に優れているとかですね。
それこそ弁護士になるとかいう方の方がもしかしたら職業的なキャリアアップにはなるかもしれないなと。
この前たまたま理学療法士弁護士って検索したら結構いるんですよね。
理学療法士になった後に弁護士になってる人、あるいは公認会計士になった人とかっていう人もいるので、
理学療法士かつ弁護士ってなってくると医療系の訴訟とかに強くなってくるので、全くマイナスにならないんですよ。
例えば理学療法士になった後に税理士あるいは公認会計士なんか取ってる人たちっていうのは、
医療法人の監査とかができるので絶対的なプラスになるんですよね。
だから研究者になるっていうのは一つの、前回言ったドラクエの戦士からバトルマスターの方に動いてるようで、
もうちょっと違うスキルもあるよっていう流れになると思うんですよね。
だから研究者はやっぱりどう考えてもネガティブになります。コスパが悪い。
なるほど。確かにコスパ悪いかもしれないですけど、コスパを追求しちゃうとあんまり自分の意味合いが薄れていくっていうか、
他の人でもできたりとか、自分である意味みたいなのが薄れていってしまうかなと思うんで、
あえてコスパ悪いけどやりたいことみたいなことを追求するのは長期的に人生として見たらそれはそれで楽しいものだなと思うんですけどね。
道から外れるのも全然教養できるようになるっていう感じで、
メンタル強くなるっていうか、そういうのはあるのかなと思います。
そうですね、一言で言ったら自信がつくってことですよね。
やっぱり自信って誰かによって与えられるものではなくて、
自分を信じることなので、自分を信じるというのはやっぱり結果という経験に裏打ちされるものなので、
何かをやっぱり達成したっていう経験がすごい重要になってくるわけですよね。
それはもうまさにその通りだと思いますし、
あとは楽しいか楽しくないのかっていう発想が結構すごく重要になってくると思うんですけども、
楽しい楽しくないってもう少し脳科学的な世界に言うと、
いわゆるどういったところにドーパミンが出てくるかっていうことだと思うんですけど、
例えば誰かと一緒に何かをすることによって楽しさを達成する人もいるし、
知的好奇心を乱すことによって楽しいと思うこともありますし、
あるいはギャンブルを行って当たる外れるっていうことによって、
ドーパミンの発生が出てくるっていう人もいると思うので、
どのタイプかっていうのは知っておく必要があると思うんですよね。
もちろんある一定では、例えば僕も咀嚼げをやってガチャが当たれば嬉しいと思いますけども、
それが当たるまで続けるっていうような発想を持ってないんですよね。
僕自身はやっぱり知的好奇心が満たされることにものすごい強い快楽を感じるタイプなんで、
その意味で研究という方法が自分の人生における満足度を上げるっていうのは、
自分の中では納得してるんですよね。
なるほど。その辺はちょっと自分もタイプ近いところもあるかなと思うので、
知的好奇心とか学習欲的なものが強いタイプだと、
研究とかっていうのはいいかなと思いますし、
人とやりとりするとか、人から感謝されるみたいなところがやっぱり一番やりがいとか楽しさ感じるなみたいな人は臨床だったり、
教育の中でも学生のために何をするかみたいなことを考えるのがやっぱり好きな人もいると思うんで、
そういうのに合わせて自分の道を見つけていけると良さそうな感じですかね。
本当にそれでちょっと研究者寄りの話になっちゃったから申し訳ないところはあるんですけども、
研究者ってやっぱり博士だっていうところになってますけど、
修士というところまでの地点だけを考えると、
例えば今、人と何かをやっていくのが楽しいとかってなった時に管理職になったりだとか、
あるいはコーチみたいなのになったりするとかっていうことがあると思うんですけど、
いわゆる組織を良くしたいっていうところ、そして自分自身のチームを良くしたいっていうところでMBAを取り、
MBAっていうのはマスターオブビジネスアドミニストレーターなので、
いわゆるビジネスという形でしっかり勉強するっていうものなので、そういうのもありなわけですよね。
勉強衛生のマスターというのも結局調べてなくて、何という呼び方か忘れましたけどありますし、
マスターというものは何かしらをマスターなので達成するとか、直訳すると達人になるわけですけども、
何かしらの一つのゴールを迎えた人という意味になりますので、
それが人間関係なのか、あるいは管理なのか、いわゆる職業に役立つ、
アダプトの非常に重要な知識でありスキルになるというのがマスターだと思うんですね。
それが大体2年間で取れるということになりますから、
理学療法士になりました。ただ理学療法士ですよりも何かしらのマスターを持っておくというのは、
非常に価値が高い学びだと僕は思います。
ドクターに進むという選択をしなければいいだけなので、
進みたいと思うかもしれませんけど、
よく学生とかに説明するんですけども、
マスターはフルマラソンですと、42.195キロ走りますと、
ドクターはウルトラマラソンで100キロ走りますと、
じゃあそれは42.195キロを2回かけるもうちょっとと一緒ですか?
それは全く違いますと。
42.195キロのしんどさをさらに背負ってまたそこから60キロ走ることは、
全然意味が違うんですよっていう。
その代わりタイムを競ったりだとかっていうよりも、
自分自身の根性を短縮されているような世界なので、
ウルトラマラソンみたいなのが好きな人はいいですよというような説明をしています。
だいぶストイックですね。
いやもう完全にストイックですね。
フルマラソンの方はタイムを競ったり、あるいは走る場所を競ったり、
大阪で走るよ、神戸で走るよ、東京で走るよっていう楽しみがあるんですけど、
ウルトラマラソンってそんなのないですので、
サロマ湖とかですね、
島本みたいな、
行くのも大変な世界で走らなきゃいけないので。
個人的には結構そういうのを惹かれちゃうタイプなんで。
なのでドMの人の世界なんですよね。
確かに。
だから僕好きな世界観っていうのは、
守玄道という世界観があるんですけど、
守玄道というのは宗教的な話になってしまいますけど、
日本にはいくつかの宗教があると。
もともと神道という宗教があって、
その宗教の上に仏教というのが外来で入ってきて、
今は神道と宗教というのが混じったようなものが日本のベースにあると。
あともう一個オリジナルの宗教という守玄道という、
修行をやると。
それはどんなものかというと、いわゆる山節なんですね。
山の中に入って山ごもりをしてやる。
いわゆる天狗さんと呼ばれるような人たちというのが守玄道の世界なんですけども、
いわゆる自分を試す。
そこから何かを得るっていう、
ドMな世界の宗教があるんですよね。
それが特に日本でいうと、双本山が二つあって、
一つが京都の将御院。将御院大根の将御院ですね。
もう一つは吉野にある金布仙寺というのが本居になるんですけど、
これの一つの仏教が取り入れたやつが千日解放行とかなんですよ。
だから守玄道って、永遠と自分を鍛えていく宗教があるんですけど、
僕それが大好きなんですね。
なるほど。
そういうのが一つあって。
なるほど。
そうなると、理学療法士を取る前とかに、
小中高の時期とかに何かにめちゃめちゃハマったとか、
スポーツでも勉強でも芸術系とか、何でもいいと思うんですけど、
何かに打ち込んだ経験があるみたいな人とかっていうのは、
ちょっと向いてる可能性があるかなって感じですかね。
まさに本当にそうだと思います。
何かに打ち込む。
例えば田次郎さんの場合は冒頭って言われてましたよね。
大学からは冒頭ですし、それまでも水泳やってたんですけど、
それも小中高とかまでずっと続いてたりとか、
そもそもスポーツやるのも水泳とか陸上とか、
結構同じような動きを繰り返す中で細かく調整して
身体機能を高めていくみたいな方が好きなタイプなんで、
そういう意味では適正的にはストイックなM質があるかなと思いましたね。
僕は格闘技とラグビーなので、誰かとコンタクトしたいんですよね。
強さを競いたいみたいなのがすごく強くて、
そのベースには筋力トレーニングっていうのが非常に好きなので、
イントレっていうストイックさと、
あとはそのできた体を誰かにぶつけたいっていうインポなのが
常に僕の中にあるかもしれないですね。
なるほど。その辺も結構個性出ますよね。
スポーツだけじゃなくて、小っちゃい時はゲームとか結構好きでやってたとか、
高校生くらいはファッションとか結構いろいろ組み合わせ考えるのが好きだったりとか、
多分一つ打ち込むとかだけでもいろいろ種類あると思いますし、
それが多分適正に反映してくると思うので、
その辺が研究者として活動するにしても個性な部分だと思うので、
そういうのを生かしていけると面白いかなと思いました。
本当になので、研究というところは、
研究者でなくてももちろんいいわけですから、
いわゆる病院の中で研究グループなんかがあって、
その病院の中で一つ学会発表を持っていくっていうのでも
もちろん研究で、その研究を通して臨床が変わるっていうのは、
なんていうのかな、最も適切な研究なわけですよね。
臨床活動、そして患者さんに、ステークホルダーである患者さんに対して
提供できるサービスが大きく変わるっていうのであれば、
それを論文化する必要がある方は別にないわけですよね。
論文化することによって、より広いステークホルダーに恩恵を与えられる
ということにはなるんですけども、自分自身のテーマ設定の中で
自分自身がより良い治療をするとか、良い医学になるための研究
っていうのであれば、別に学会発表する必要はもちろんない。
自分がどういうことをやりたいのかっていうのを常に設定することから始めれば、
大きく間違っていかないのかなと思うんですよね。
その間違いっていうのはどういうことかというと、
患者さんを研究の道具に使うということなんですよね。
自分自身が研究をしたいからこういう症例だけ見たいですとか、
自分自身のデータを取りたいから患者さんにこういった治療を試させてください
みたいなのが僕の中では間違った研究なんですよね。
もちろんある一定でそれは必要だと思いますけど、
グループ、チーム、そして何よりもちゃんと誰か第三者の人がそれを見て
OKが出てるのかどうかってことなんですよ。
それが人を対象とした倫理に関しての、
ちゃんと審査を通してるかというところにもなってくると思うんですけど、
そういうんじゃなくて、あんまりこういうとよくないかもしれませんが、
よくYouTubeの中とかで、すごい治療家みたいな人が出てきて、
自分は研究の結果こんなふうにやってきましたみたいな人たちも中にいるんですね。
だから構造化をしていくっていう研究はすごく重要である。
ただしその構造化というのは構造化できないものを見ていくので、
この辺りはたまたま昨日と違う学会のメンバーと喋ってて、
僕がやっている研究の話をちょろっとしたときに、全然伝わらなかったんですよ。
僕自身の説明が悪かったっていうところもあるんですけども、
いわゆる理科系研究と言われるものは数的な統計を主体としているわけですよね。
それの逆側にあるのが、
例えばナラティブの研究であったりだとか、
人の言葉というものを扱っていく研究というのがあって、
よく韓国語学とかではそういった研究が行われるんですね。
どちらかというと僕はその間の研究をやってるんですよ。
情報学って、例えば自然言語処理って言って、
言葉というものあるいはテキストというものをデータに扱うので、
だけど自然言語処理っていうのはそれを数的に扱うというか、
統計的にも扱えますし、
全く何も扱えないものを無理やり扱っているわけではない。
むしろ今、LLM、ラージランゲージモデルってなんだっけ。
だから生成AIとかが使うっていうのはLLMと言われるようなもので、
むしろ今の社会の主戦場でそこに自然言語史にあるんですけども、
なかなか自然言語処理についての話がうまく伝わらなくて、
非常に昨日は悩みました。
昨日の夜、そっから3時間ぐらいずっと調べ戻して、
どうやったら自然言語処理って伝わるんだろうっていうのをちょっと考えていました。
なるほどですね。
でもこういうのも研究あるあるなところかなと思いましたし、
たぶん新しい研究ほどパッとイメージされなくて、
意義が伝わりづらいっていうところはあるかもしれないですけど、
ちゃんと突き詰めて考えていけばやっぱり価値のあるものになったりすると思いますし、
特に今後たぶん言語解析とかは、
特に生成AIとか盛り上がってきていると思うので、
より理解されやすくなったりとか活用しやすくなってくると思うので、
個人的には結構今注目しがいがある領域だなと思いますけどね。
本当に自然言語処理っていうのは昔から行われているし、
人間の頭の解釈って自然言語を処理してるわけなの。
いわゆる自然言語と対比的な数的な言語で数になるわけですけども、
数で考えることってほとんど人間でしていないわけなんですね。
自然言語って考えると就職後なんかがあってすごくバイアスが乗ってきたりするわけですし、
体系だとか文脈あるいは行間っていうことが出てくるわけですよね。
人間っていうのはその行間をすごく読んでいる、
ハイコンテキストな対話とかっていうのをすごくやっているわけですよ。
だけど数字っていうのはハイコンテキストではないので、
数字っていうのは非常にわかりやすいから科学としては扱いやすい。
あるいは医学療法の業界の中では非常に扱いやすいというので使っているんですけども、
実際臨床ってハイコンテキストな自然言語を扱っているんですよね。
だからそういうのを僕らは研究しているんですけど、
とても理解がうまく合わなくて、なかなかうまくいきませんでした。
なるほど。その辺も解決のいて口見つけていけたらいいなと思うんですけど。
でもこれまでだと本当に理解されなくて、
そういう研究費とか取りづらいみたいなところがあったかもしれないですけど、
本当にこの生成AIとか話題になりつつあるから、
その辺も今後研究費的には出される機会増えそうだなみたいなイメージもあるんですけど。
僕自身は生成AIをやっているわけではないんですけれども、
特に理学療法におけるカルテの中で、
どの情報が最も重要視されているかって言われたときに、
おそらく数字ではないんですよ。
アセスメントの部分をダダダッと読んで、
みんなアセスメントのところから解釈をしているはずなんです。
なのに統計的に書けるのは数字なものばっかりで、
いいや、自然言語をもう少し扱いましょうよっていう。
あるいはカルテを書くときに自然言語として、
いわゆるテキストとして書き込まなかったら結構怒られたりするんですよね。
だけども、それを全然データとして扱ってないこと自体に
僕は問題を感じるんですよ。
なので、そういった自然言語と言われるものを、
もう少しちゃんとデータとして扱って、
それを明らかにしたいっていうのが僕のモチベーションなんですね。
でもそもそもとして、それってなかなか扱えませんよねっていう立場に
立ってる人が多いような気がします。
だから諦めちゃってるっていう感じですよね。
なるほど。
なのでその辺の価値は見直されてくるかなと思いますし、
さっきの伝え方だと、
例えばもしカルテが全部評価の数値だけで記載されてたら、
それで人に伝えてできますかっていうとそうでもないと思うんで、
やっぱ言葉は大事だよねっていうのは分かるは分かると思うんですけど、
その大事さを理解してもらうのがなかなか難しいかなと思うので。
本当に全くその通りで、
よく僕OSっていう言葉を使うんですけど、
思考のオペレーティングシステムが違うと、
そこはやっぱりなかなか合わさっていかないんですよね。
僕自身もたまたま僕は両方やってるので、
さっき言った3つの研究をなんとなくは知っているから、
僕は理解しようとするんですけども、
どっぷりとそうじゃないところに使っていくと、
やっぱりOSを入れ替えるっていうのはとても時間がかかるので、
なかなか難しいですよね。
実際今僕このパソコンWindows使ってるんですけど、
もともとはずっとMacを20年間使ってきたから、
Windowsに適応するのってものすごくしんどいんですよ。
それこそ興味というところで言うと、
全く違うことを試すのって好きなんですよね。
だからWindowsの設定だとかWindowsをこちょこちょいじるのはとても好きなので、
使えないからやらないんではなくて、
使えないからやってみたいっていうことを結構やっちゃうタイプです。
なるほど。
その辺も結構研究者の資質としては大事なところかなと思いますけどね。
自分の興味あるとこだけ深掘るっていうよりも、
パッと興味持てなかったとしても試してみて、
新しいものが見つかる可能性もあるっていうところだと思いますし。
その代わり疲れますよ。
クローがバグるので。
だからある種のノートレとしてやってるんですけど、
例えばウィンドウを閉じるときに、
×印っていうのはWindowsは右側にあるわけですよ。
Macは左側にあるわけです。
そういうのに慣れてスーッと左側にあったらないないってなってくることだった。
今もキーボード設定は両方共有にしているんですけど、
キーボード設定で日本語変換をしようとしたときに、
押すボタンが違ったりとかっていうことがある。
なかなかそこに慣れるまでが結構大変だったりするんですけど、
改めてWindowsを使い出すと、
かなり両方が寄り合ってきてるっていうことがたくさんあるのも分かる。
あるいはWindowsを使って、Mac OSを使って、
iPhone OS、iPad OSを使ったら全部やっぱり違うわけですよね。
そういうのにいかに適応していくかっていうのは、
あるいはそれに対して興味を持てるのかって結構、
社会適応能力としてはすごく重要なのかなと思ったりはしています。
なるほど。
その辺もさっきのところで、
やっぱり医学療法系でも数的な研究をする人が比較的多い中で、
言葉を扱うような研究もあるっちゃあるんですけど、
なかなかイメージしづらいから伝わりづらいっていうのもあるかなと思いますし、
自分の中でももともと腰痛の研究とかを大学院でしたときには、
自然科学的な数字を扱うような形で研究したはしたんですけど、
深めていくとやっぱりメンタルが絡む部分とかで言うと、
言葉の理解とかも必要になってきて、
最近は堀先生も関わる中で哲学もいろいろ勉強したりしてるんですけど、
その中でやっぱり言葉を研究する手法っていうか、
そっちの考え方も分かってくると、
かぶさってる部分と哲学的なとこ、得意なとこも分かってくるような感じなんで、
両方学ぶ機会が、最初大変ですけど両方学ぶ機会があるといいのかなと思いましたね。
その最初大変だけどやるかっていうのが、
おそらく全ての研究者向きとか、
あるいは何かを追求していくというのに向いてるかということだと思うんですけども、
例えば僕も何かを追求したいと思うけれども、
全部が全部できるかしたらできなくて、
例えば楽器とかができないんですよ。
楽器をよしやろうと思って、
それこそ20代前半にサックスを買って、
サックスの個人指導を受けてたんですけど、
1年経ってもうまくいかないわけですよね。
うまくいかないのは自分自身の能力と努力値で、
例えば練習する場所がないということで、
週に1回の1時間だとか30分のレッスンだけで吹けると思ってるわけですよ。
本当はそれ以外の時間に音を出す練習をしなきゃいけないわけですけど、
サックスってめちゃ音がでかいから、
結局諦めた。
そこが例えばギターとかだったら、
だからこの足の裏の米粒をどうするかっていうのは取った人じゃないとわからないんですよね
そうですね 残り続けて生きれないほどではないんですけど ちょっと気持ち悪いって感じはあるかもしれないですね
その気持ち悪さって特にD.C.にしたら余計わかるでしょ
だから多分人生の中で一番気持ち悪い期間って博士課程期間なんですよ 博士ではない
だけど博士を取るための努力をしなければいけない
その努力っていうのが多大なる努力であるってのはわかってるから 逃げたいっていうこのD.C.の期間の気持ち悪さ
そうですね 一番しんどかった記憶はありますね メンタル的には
例えば理学療法士を取るっていうことであれば ある程度のステップを踏んでいけば確実に取れるんですよ
だから努力量と取れるっていう可能性というものが見えるんですよね
だけどもD.C.ってそれが見えないから
いや本当にだからね ワンピースのモンキー・D・ルフィーのDがドクターだったのかなと思うぐらい
D.C.の一族って何なんだろうって思うぐらい謎の存在だったんですけど
見てみたらこんなに安心することはないものの一つですね
で またあなたもD取ったんですねって感じで 博士の中での信頼感っていうのはすごいやっぱりあったりすると思いますし
取ることで見えてくる世界は個人的にはやっぱりとって良かったなと思うんで
本当に信頼感っていうのは相手が博士号を持っているっていうことだけで
仕事に対しての任せる度合いっていうのはやっぱり変わると思います
マイナスで言うとあいつD持ってないからねみたいな世界で一部あるかもしれませんし
自分もどっかでそういうふうなバイアスをかけてしまうことはゼロではないんですけども
できるだけかけないようにはしますけれども
やっぱりDをドクター持ってる人とそうじゃない人の 仕事の任せ方の差っていうのはですね
僕の中ではやっぱりあるなあと思います
そうですね なんでこれ聞いた方がじゃあちょっと博士行ってみようかってか
やっぱり自分には難しそうだなと思うかどうか分かんないんですけど
一応2人は取った
多分ずっと難しいからやめようと思うような話になってるような気がします
なるほど
なので実験を本当に自分の力でやりたい人はゼロでやったほうがいいです
くすぶってるぐらいだったら前に進んで
自分で戦いを挑んで自分で勝ち抜くっていうのがいいと思います
誰かのせいじゃないと自分の人生は自分のものなので
自分でどうにかしようと思うんだとしたときに
理学療法士という資格プラスに修士だとか博士だとかっていう
自分が歩いた道のりっていうのを通して自信をつけていくっていうツールがあるので
そのツールを利用するっていうのはすごくいいですよっていうのが僕の個人的な回答です
そうですね
確かに本当博士行くのは大変で学位取るのも大変なんですけど
誰しも人生長く見たらそういうもんだよねっていうか
そういう先が見えない時期で自分なりのものを見つけないといけないっていうのが
いつ来るかどうかの差かなとも思ったりするんで
まあまあなんでしょうね
それがちょっと早めに来るかなみたいなところだと思うんですけどね
実際に統計的な話をすると理学療法士のうちの修士を取っている人っていうのは
大体で10%から5%と言われますね
この5%の差は何だって言われると
理学療法士の資格を持っているけれども
その教会に入っていないと統計が分からないんですよね
教会員の10%ぐらいが修士を取っているというデータはあるんですよ
教会員になってないけど修士を取っている人っていうのが
どれぐらいいるか全く分からないというところで
5%から10%だろうと
差になってくると理学療法士の1%から2%なんですね
だから全然取らなくていいじゃんっていう数字になってくる事実にはなるんですけれども
すごく大変だからこそ少数派に入って
何かしら自分自身に自信をつけていくっていうのはすごくいいことだとは思うんですよね
実際にこのラジオを聞いている人たちって相当少数派で意識高い系じゃないと聞かないので
これを聞いてる人たちに僕ら向けて喋ってますから
全ての理学療法士には全然喋ってません
だからこれを聞いてる人は迷わず行けよって思ってます
確かにこのラジオでかつ配信のこの後半分まで聞いてる人は素質ありますよって感じですね
悩んでると思いますので今後XかもしくはSpotifyとかのコメント機能に
悩んでますって言うんだとすると個人的にご指導いたしますので
お話ししてみたいですね
ですねだから全員の理学療法士に対してはさらさら向けて喋ってない
つまり一応注意しながら攻撃的な話はしないようにしていますけれども
このラジオを聞いている本当に少数の方っていうのは悩みがあったりだとか
あるいはもちろん興味を持ってっていうその興味っていうのがすごく重要なわけですよね
だから興味をどうにか形にしたいっていうところで
このラジオではわりと修士とか博士とか
あるいはさらなる学び認定だとかそういうものだとかっていうことを喋っているわけですよね
そうですねなんで探求したい人とかちょっと悩みとかやりたいことある人は話してみたいなと思いますし
ちょっと今回話し切れてなかったのはやっぱり博士とか取ると
やっぱり国際的な海外からの見られ方っていうのも全然変わるなぁとは思ったりするので
もし日本以外の活動も見せたりとか考えてる人はそれは本当に
PhDと取る意義はすごいあるのかなと思いますね
本当にだから海外に行くとドクターホリーって呼ばれるわけなので
それ自体で話しやすさはやっぱり変わります
フィギュアスラピストのホリーではなくて
ドクターのホリーとして学会でいろいろなものを招聘されるんですよね
つい最近チリの学会
IOPTMHっていうメンタルヘルスの理学療法が来年度チリでやるんですけど
科学委員の就任依頼が来たりとかするわけですよね
そのときやっぱりドクターだから来るというのももちろんありますし