こんばんは、本谷有希子です。 震動第20回始まりました。
このポッドキャストでは、あなたが感じ取った震える事情を、私、本谷有希子が元やなりに読み解きます。
はい、ということで、え?20回?
おおー、20回いった。
いやすごいね、でもやっぱり、やってみて思うが、一人で喋るって、
ほんと大変だね。いかに自分が普段、喋ることに重きを置いてきてないかっていうのは、あんまり考えてることを言語化しないからさ。
だいたいその、頭の中で考えてることって、原稿を書く時とかに文章化されて、
あ、こんなこと考えてたんだ、とかって、あの、知るからさ。
なんかまた全然違うね、その文章に落とし込んでいく変換と。
逆に、あ、なんかこんな色々考えてんだと思うね。なんか、何も考えてない気がしてるからさ、普段。
何も考えてないよ。よく、何考えてるんですか?何も考えてないって言うんだけど、なんか、まあそうか、考えてるのか。
なんかね、今週は文庫の作業があって、文庫の作業って、4年前に講談社から出した、
おしこのデフォルトと、マイベントっていう小説2本入った、あなたにおすすめのっていう単行本があって、
それが、4年ぶりかな?文庫、あのちっちゃい本になるから、その原稿をちょっと確認してくださいって言われてて、
私いつも、わかったって言って、まあでもほとんど直さないほうがいいよねって、編集者さんに言うの、担当の。
あれはあれで出したんだから、もうほとんど直さないよ、大丈夫だよとか言って、めちゃくちゃ直すの。
めちゃくちゃ直しちゃう。なんかね、自作って読み直さないから、自分でも本当に、
あの変な話、何書いたかちょっと、うろ覚えで読むね。ほぼ初めて読んだ人みたいな感覚で私は読んでるんだけど、
そうすると、やっぱ書いてる時って距離が近いから、作品と。
その時気づかなかったことが、今改めて自分が編集者的に読むことができて、そうするとめちゃくちゃいろんなことが気になっちゃって。
なんか、おしっこのデフォルトに関しても、なんでこんなに言葉で説明するんだろうっていうのが目についてしまって、
これいらない、いらない、いらない、いらない、いらない言葉のオンパレードなんですよ。
これ、こんなに一つずつちゃんとしっかり説明していく必要ないじゃんって自分で思ってしまって。
だから、これまびいてもいいし、ここまびいてもいいし、全部通じるし、むしろまびいた方が、その雰囲気とかニュアンスって伝わるじゃんって思った作業をこうやっていって。
で、マイイベントに関しても、それはそれで今度ね、何があったかを、なんか50年に一度の台風が災害が来るって言われてる日の1日に特化した話なんだけれど、
そうすると本当に、ワンシチュエーションで、ずーっと細かく、何が起きてこうなっていくかっていうのを時系列というか、時間本当に細かく細かく書いて、
ご飯食べる前に手洗って、食卓に着く前にこう考えて、食卓にこうやって椅子を出してとか、全部書いていくんだけれど、
これもパッて引きで見た時に、いらんじゃん、ここ、みたいな、それに関しては文章っていうよりは、
あの、書かれてることそのものがここいらないじゃんっていうところが、目につきすぎて、で、直していって、
多分なんか編集者さん泣かせではあって、そこまで直してね、結構開講して、なんか新しいこと書いてるっていうか、私的にはその、説明しなくていいことがありすぎて、
それを全部間引いた感じなんだけど、でもなんか、やっぱ4年で自分の、自分はこれはいい方に捉えようとしてるよ。
4年で自分の、その小説を読む感覚がまた変わって、またこうちょっとレベルアップしたって思うようにしてる。
昔はこれだと思ったものが、また時を経て、いやいやそうじゃないだろうって思うようになったっていう風にして、
そう、で、めちゃくちゃその、原稿を、そう、鉛筆って言って、鉛筆入れてって、最終的に私は赤つけてくんだけど、赤で丸してくんだけど、
だから、机の上に消しゴムのカスの山が、もうえげつないことになって。消しゴム1個なくなるよ。
あの、自分で書いた、鉛筆で書いたものをまた消してとかやってるから、消しゴム半分ぐらいはなくなってる気がする。
もう消しゴムのカスがすっごいあるじゃんって思って、もう本当に編集者にほんとごめん、ほんとごめんって言いながら、そう送ったりしてました。
でも、作家さんによるんだな。もう一切手入れないって決めてる人もいるし、これはこういう形で世に出たものから完成。
で、私もそうありたいのだけど、やっぱりそうそう気になっちゃうから。あとは文庫本を別と考える人もいるよね。
なんか同じものを読んでもらうよりは、あのまた違った味わいがあった方がいいだろうと思って、文庫用にちょっと違う内容に書き直す人とかもいるし、
なんかその文庫の捉え方はそれぞれであるんだけど、私はなんかそう、なんか自分、過去書いたものを自分、今の自分読んでどう思うかで、ちょっとブラッシュアップしてしまうタイプかな。
振動ネーム 時折通風さん
仕事柄、たまに接客することがあるんですが、全然好きじゃないタイプの人を相手に好意的に接しながら、面白くもない話で盛り上がっている時に、ゾワゾワッとリアルに全身の気が逆立つように震えます。
ああ、これはきっとうまくいかないだろうなって思うのとは裏腹に、なぜかそういう接客の時ほどことがうまく運びます。
全身の気が逆立つような体験、または思いと裏腹にうまくいくみたいなことがあれば教えてください。
面白くない話で盛り上がっている時に、ゾワゾワッと震える。
あー、あるかもね。
震える、まあでもそう、面白くないことを話している自分を、許容できるかできないかっていう話でしょ。
多分大人になるにつれ許容できていくんだと思うんだけどさ、諦めも入って。
なんか私、あれだな、そもそも会話には別に内容はなくていいんだよって。
雑談って目的がコミュニケーションだから、内容面白いとかじゃないんだって。
何でもいいから、ただ喋ることに意義があるんだ、みたいなのを聞いた時に、そういう一瞬、ああって思ったんだよね。
あ、そういう考え方できたら楽かも。でもなんかその、雑談ってもう会話することに意義がある。
コミュニケーションすることに意義があるって思えたら楽だなって思ったんだけど、でもなんかやっぱりその、
うすら寒い白々しい会話は、やっぱり平気になれないよね。
いや天気の話とかちょっとできるようになったな。天気はいい。昔ほど嫌悪感はないよ。昔、天気の話にもダメだったからね。
そう、なんで天気の話すんのってすごい思ってたけど、今別に天気の話いいから入ろうが、導入そのぐらいはいいんだけど、
やっぱりずっと、そらそらしいというか、別に面白くもない会話してくることに、
だんだん耐えがたくなってきて、なんだこのステマみたいな、うすら寒い会話は。
劇局とかでもあるんですよね。劇局とかでもやっぱり面白い会話を書く人って面白いんだよ、その会話が、会話自体が。
で、テレビドラマとか劇局って薄っぺらい会話、ほとんどが本当に薄っぺらい会話してるから、
面白くない時間がすごい長いのだけれど、本当にごく一部、素晴らしく面白い会話があったりとか書く人がいて、本当にそれは羨ましい。
けど、自分も、えーとね、慣れてる振りをしてる。自分も、あの面白くない会話してる時に、もう私はこの面白くない会話とか全然気にしなくなった。
平気になったって思っているけれど、
ちょっと正直、あの平気じゃないかもな。あれ何なんだろうね。
多分、すごい恥ずかしい。私もっと面白いのにと思ってるんやろうね。
私もっと面白いのにっていう気持ちなんじゃないのかな、これ。
だからこんなつまんない話をするつまんない人間だっていうことが認められなくて、私は本当はもっと面白い話できるんだって思いながらやっていることかつ、
やっぱ本当に思った正直な言葉を言えてないっていうジレンマがあるんだと思う。
相手に合わせる会話って、結局その本当にコミュニケーションを円滑にするための会話だから、
そこで別に本当に思ったことなんて言わなくてよく。そう、だからなんか会話ってそう思うと2種類あんのかなと思ってて。
なんか一つは、そう、コミュニケーションのためにしている会話。で、もう一つが、自分が話したいからしている会話に分けられるのかなって思っているんだけど。
だからコミュニケーションの時はね、そう、こんなのコミュニケーションが目的なんだから、あれ言わなくていいんだよって思えればいいんだけど。
でもあれってさ、自分も思ってるけど相手も思ってる可能性あるもんね。そのつまんね話してる時に、相手もつまんね話してるんだって。
あれってどっちがつまんないんだ?自分なのか相手なのか?お互いなのか?だから私は、なんか未だ自分がつまんないっていうことを受け入れ難いかもしれない。
それで反応しちゃったんだけど、だから誰が来るかもわからないから、頑張っちゃうのかなと思って。
あの、エレベーターの中の沈黙とか、
いける?いつからいけるようになった? もういける?私、
私最近なんだよな。 なんかあれ我慢大会じゃない?
だってこないだほら、車に乗った時に、すごい私喋った時があって、あれ我慢大会じゃない?その沈黙に、
どれだけ耐えられるか、みたいな。
自分でその車中で会話、進めながら、なんか一番自分が損してる気がしてならなくて、
いいの?と思って。あの我慢大会でずっと黙ってられる人、いいなぁってめちゃくちゃ思っちゃうんだけど。
別にしたくない会話してるわけじゃないんだけど、なんとなく人がたくさんいる空間で、
なんか黙ってるっていう状況に耐えられなくて、喋る。喋る時は、そう、本当に喋りたくて喋ってるのかわかんないんですよね。
沈黙を埋めたくて喋ってるのか、その時頑張っちゃうのか。
沈黙のある会話、沈黙できる関係がいいよねとか言うけど、でもなんか沈黙って言っても、
なんかスマホとか触られてたらなぁ。 理想的な関係なのだろうか。
スマホ触りながらのご飯とか、全然理想的でもないし。 ただ黙ってた。
えっと、全然あるけど、でもなんか、あーこれが理想だと思う、別に。
その前も話したけど、ゴミ箱って呼んでる友達がいて、あの、本当に何の狙いもなく、何の興味もなく、思ったことをすごいストレートに喋る人がいて。
あ、でもそれストレートかな。ちょっとなんなら、私が思ってることよりやや下品になるのかもしれない。その人と喋ってると。
なんか下品な会話をする気持ち良さって、あるよなぁ。
あの、ゲイの人と話すと私そうなるんだけど、ゲイの人ってそういう気持ち良さを相手に味合わせるよね。
だからみんなその、ゲイのママがいる店とか行って、あの、普通のノンケの女の子とかも行って、キャーキャーしたりするんだろうけど、
なんかやっぱり、あんたブスねって言われたい願望。言われたくないな。言われたくないけど、もう明けすけにあんたがババだからよとかさ、あんたブスじゃんとかさ。
言ってくれる相手に対してのガードの下がり方ってあるなぁと思って。そしたらやっぱ相手がそういうこと言ってきたら、おそらく自分も同じレベルというか、自分も同じ等になるのよ。
で、あれって気持ちいいんだよな、すっごい。普段自分がどれぐらいオブラートに包んで物喋ってるか。人と喋る時にね。意識してない部分もあるし。
ただ、ああいう、ゲイの人たちと喋った時のそのストレートさってすごい気持ちよくて。とはいえ、あれが自分の本当の言葉だとも思わない?
あれもあれで、なんていうかな、やっぱ演出が勝ってるし、やっぱ気持ちよくさせるための言葉だとは思ってるから。
ただ、その理想的な会話の中には、なんていうかな、ちょっとブラックなことも言うし、ちょっとシャレにならんこととかも。
ユーモアは大事だよな。なんかこれ言った時に一緒に笑えるか、みたいなこともあって、安心して何か表現をした時に、誤解されず受け取ってくれる人。
言葉ってやっぱりいろんな受け取り方があるから、やっぱ違う側面から受け取られてしまうと、あの酷い意味になったりとか。
でもそこの意味じゃなくて、今こっちの面を切り取って、ここのトーンで話してるんだよねっていうことを、ちゃんとわかってくれる人とだと、すごい安心して喋れるし。
あー、昨日もんじゃを食べに行ったんだ。そしたら、隣の鉄板焼いてる人たちが家族で、子連れで、で、夫婦が喋ってた。
そしたら、なんか奥さんがめちゃくちゃ旦那さんにちゃんと受け答えしてて、わ、すごいって思った。こんなにしっかり丁寧に、世の奥さんって旦那さんに会話ちゃんと盛り上げていくの、みたいな。
え、日常の会話だよね、みたいので。あれが一般的な夫婦の会話なんだとしたら、結構その人たちは油断して普段の喋りだったと思うの。
ゴルフ場行って、あのゴルフってほんとアポロシャツとかもダメなんだよ、みたいな会話してて、ちゃんとジャケット着なきゃみたいな話をしてて、それに対する奥さんの反応とかがすごいちゃんとしてて、なんかびっくりしたんだよな。
あれって家族の距離感なん?とかって思った。もっと雑にならない?
でもなんか、奥さんがとても細やかに旦那さんの話を気持ちよく喋らせているように感じたんだ。だから、なんかあるんだろうなと思った。奥さん側に。こんな気持ちよく喋らせるはずがないよって思って。
私はそう思っていたんだけど、でも違うかもしれない。普通の奥さんってあんな風に気持ちよく旦那さんに喋らせるもののかもしれないし、あれが素でできてたら、旦那さん、離れていかないだろうね。
うわ、この人と喋ると気持ちいい、みたいな。
私は多分、社交事例とか嘘言ってる時はめちゃくちゃバレてるの、人に。だから、面白くなかった時とかすごいバレてるのね、それを無理に言おうとした時に。
だから、私が多分、時折さんだったら、多分このうまくいかないだろうなっていう話をしてる時に、物事は絶対うまくいかない。
この人無理してるなとか、具体的にはね、おそらく目が泳ぐんだよ。目が泳ぐのと、相手の顔が見れなくなる。面白くないなって喋ってる時。
思ってないこと、社交事例とか喋ってる時に、どもる、具体的にどもる、普通に。だから、絶対なんかね、物事がうまくいく気がしない。
でも、そうね、社交事例力を、まあでも高めていきたくないからな。