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2025-09-18 21:24

EP17|タイトルの震動

東京の人って違うね/作品タイトルの決め方/意味がわからないけど勢いがある/ヌケ感がない/大きい場所に行けるタイトル/芥川賞受賞作/まず先に言葉があって…/フォントも大事

あなたが感じ取った『震える』事象を、本谷有希子が読み解きます。

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本谷有希子 X | @motoya_yukiko
1979年、石川県生れ。2000年「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。主な戯曲に『遭難、』(第10回鶴屋南北戯曲賞)、『幸せ最高ありがとうマジで!』(第53回岸田國士戯曲賞)などがある。2002年より小説家としても活動。主な小説に『ぬるい毒』(第33回野間文芸新人賞)、『嵐のピクニック』(第7回大江健三郎賞)、『自分を好きになる方法』(第27回三島由紀夫賞)、『異類婚姻譚』(第154回芥川龍之介賞)、『セルフィの死』など。近年、著作が海外でも盛んに翻訳され始め、『異類婚姻譚』、『嵐のピクニック』をはじめ、世界12言語で出版されている。

プロデューサー:佐伯ポインティ @saekipointy

ディレクター:メチクロ @maticlog

製作・配信:密談 @mitsudan_net

サマリー

本谷有希子さんは、友人との再会を通じて東京人としてのアイデンティティや、友人に対するタブーな質問について考えています。また、作品のタイトルの決め方にも触れ、編集者とのやり取りから得た教訓を共有しています。このエピソードでは、タイトルや表現の選び方についての深い考察が展開され、特に「セルフィーの詩」という作品に焦点を当てています。また、編集者とのやり取りやデザインについても触れ、創作における感覚と論理のバランスを探求しています。

アイデンティティの探求
こんばんは、本谷有希子です。震動第17回始まりました。このポッドキャストでは、あなたが感じ取った震える事象を、私、本谷有希子が、本谷なりに読み解きます。
さあさあさあさあ、あ、ちょっとその、夏休みで石川に帰って行った時の話、エピソード、ちょっともう一個あったから話していい?
あのさ、なんかまぁ基本ずっと仕事をしていたのだけれど、2回ぐらい、その、昔の友達に会う機会とかがあって、
その時に、その、自分の中にうっすらある、なんか恥ずかしい意識に気づいてしまったっていうことを話すんですけど。
なんかさ、まぁ、ご飯、夕ご飯、どっかに集まって食べるってなるじゃん。何人か集まってね。
で、その時にさ、まぁ身支度をしながらさ、気づいたんですけど、なんか私ちょっと、なんかね、ちょっとやっぱ東京の人って違うねって思われたがってる自分に気づきました。
あの、化粧とかしながらね。ちょっとやっぱり、東京の人っぽい感じ出さないとなぁ、みたいな。恥ずかしい、恥ずかしい。
何それ?まだある?その、この歳になって、やっぱ東京の人だなぁって言われたい願望って何?
っていうのをなんか、いや別にすっごいオシャレしていくとかさ、全然メイクをいつもより頑張るとか全くないんだけど、全く一緒。
全く一緒なんだけれど、何かが違うなっていうのを思われないとなぁって思っているんだよ。心の奥底で。
それにちょっと、2回人に会ったんだけど、2回ともうっすらなんかそんな感じのことを自分は考えてて、どれぐらいみんなと違うんだろう?とか思いながら言って。
でも結果、一緒なのよ。なんか、恥ずかしいぐらい一緒なの。恥ずかしいっていうか、何も多分変わらなくて。そう。
もう何も変わらないよって話なんだよ、これ。でもだから私が思ったのは、それよりは、事実は現実はそうだが、まだ思われたいのかっていうこの浅ましさね、自分の。これ浅ましさなのかな?
浅ましさだよね。自分は、私は東京の人間ですって自覚というか意識があるってことだよね、自分に。
それってだいぶ恥ずかしくない?人として。人として恥ずかしいよ。なんかもう口が裂けても言わないぜ、そんなのみんなに。
いや私東京の人って思われたいんだけどさぁとかって言わないけど。でもこれ認めていかないとなって思って。私にそういう気持ちがあるという、自分はそのような人間ですと。
よくも良いとも悪いと思うので、そんな人間ですねっていうことを自覚したよっていう。そういう恥ずかしい話ね。
タブーな質問について
なったらもう一つ。やっと今回で、なんかその今まで石川かえると、昔の友達とかに会う機会があったんだけど、
その時私なんかさ、なんかもちろんわかってるよ。そのさ、独身の子とかもいて。で、そういう子に
触れちゃダメだ、触れちゃダメだ、そんなこと聞いちゃ絶対ダメだって思いながら、最近どう?
最近どう?いい人いたの?みたいな、なんかもうベタなことを、なんかダメだダメだダメだって頭の中でリフレインしながらそれを聞くっていう現象が
立て続けに3回ぐらいあって。あれ何なんだろうね、ダメだってわかってんだよ。そんなこと今、もうこの現代、絶対この時代に聞くべきじゃないってわかっていながらそれを聞くっていうことが自分に起きるんですよ。
だから、押すな押すなだよね。押すな押すなで合ってる?押すな押すなよって思いながらって、ちょっとなんか違うか。でもダメだダメだって思えば思うほど、そっちに自分がなんか行ってしまうっていうのがわかって
前回もうダメだ、あ、これ私人に会っちゃダメだって、結構深くその時落ち込んだんだよね。だけど今回初めてかも
なんか全然そんなこと触れなかったし、しかもそれ気遣って触れないとかじゃなくて、なんかまぁ別に気にならなくなったというか
この人はこれでいいと思っている?いや、それも考えなかったな。なんか
初めてそういう系の話にダメだとお気遣ったりとかもしないで、すごいナチュラルに触れなかったっていう 経験をしたから
なんなんだろうね、逆に言うと 抜けたのかな逆に、もうそういうどうでもいいよな、そりゃっていう感じに行ったのかなっていうのと
逆になんであんなにダメだダメだって思いながら聞いてたんだろうっていう。だから
世の中には2つあるんじゃない?そういうすっごいデリカシーのない質問をする時に、何にもデリカシーなくて考えずに言ってるパターンと
ダメだダメだって思いながら聞いてるパターンが存在するんじゃないかっていうのを、私はそう、自分で勝手に仮説を立てました
タイトルの決め方
振動ネームつくねさん。もとやさんは作品のタイトルを決める時はどうしていますか?書籍の場合は売り出し戦略的なものとぶつかると前に何かで見ました。もとやさんご自身はどのようにタイトルを決めるのが理想なのでしょうか?答えてくれたら多分震えます。
このパターンね。答えてくれたら震えますっていうパターン。いいですね。そしたらもう何でもいいじゃんね。最後に。いい、いいな。これみんなも使ってください。あの、震えなくても別に答えてくれたら震えますで。あの、大丈夫。
さあ、ということで。なんだっけ?タイトルか。タイトル決める時、どのように決めるのが理想か。
理想は、もうすごいつきのみな言い方をしてしまうと、降ってくることですね。
めちゃくちゃたまにあります。その、冷感的に降るみたいなことが。
でもほとんどそれはないかな。それが一番最上級の理想系で、次にいいなと思っているのは、要するにタイトルのためにわざわざ文章をひねり出す、ワードをひねり出すんじゃなくて、
シンプルにその作品の中で出てきた言葉で、これは力強い言葉だなぁとか、これすごい引き付けられる言葉だなぁみたいなものを引っ張ってくる。
これもなんか、いい、いいかも。
でもね、結構その、うーんって考えることも多くて、処女作とか特に結構凝ったというか、割と変わったタイトルとかをつけてて、処女儀曲とかがね、小説にもなったけど
ふぬけども悲しみの愛を見せろっていうパンチのあるワードを使ってるんですけど、これとかも意味わかんないもんね。意味わかんないけど、
あ、覚えてる。これすごい若い時だからね。処女作だからタイトルのつけ方もわからなくて、とりあえず書店行って、なんかみんながどんな風にタイトルつけてるか見ようかとか思いながら歩き回ってて。
で、なんか経済の棚とかに行った時に、割とこういう命令系的な書籍があったんですよね。
命令系かぁ、いいなぁ。長文で命令系いいなぁ、みたいなとこから始まって、でこういう、なんだろうね、悲しみの愛を見せろってさ。
今つけれますかこれ。私はつけれません、もうこのタイトル。
でも、これやっぱなんか印象に残るっぽくて、このタイトル。で、2作目が、じゃあ2作目のタイトル、3作目のタイトルが、もう生きてるだけで愛なんですよ。
やばいですよね、これも。生きてるだけで愛も、もう意味がわからないじゃないですか。
だから、初期は意味わからないけど勢いだけ感じさせるもの、みたいにイメージで作ってました。
意味はよくわからない、でもなんかすごく勢いだけはあるねっていうものをつけたりとかしてて、でそこから少しまた変わってきて。
これね、なんかあの、結構思い出としてあるんですけど、なんかその、タイトルって自分だけでそのつけて出す場合もあるし、基本的にはその担当の編集者とか、その雑誌の編集長とかもそれに対して意見をくれたり、
これやめた方がいいとかっていうのをもらったりもする。で、中期かな。割とその短編を13本書いて、それを1冊の本にまとめようってした時に、それぞれの短編のタイトルはあったんだけど、
じゃあその総タイトル、まとめたタイトルどうしようかなって考えてた時があって。その時に、多分いくつか私が出したと思うんだけど。
その時に全部没にされて、その編集長に言われたのが、抜け感がないとダメだ。
あんまりその、凝るな!って言われたんですよ。なんか凝ってたんだろうね。当たり前の言葉を使いたくなくて。
で、うーんってなって、なんだどういう、抜け感ってなんだとか思いながら。で、ポンってその時思い浮かんだのが、嵐のピクニックっていうタイトルだったの。
それまでの私からしたら、なんていうかな、すごく普通のというか、一般的な名詞の組み。嵐とピクニックで、嵐のピクニックって別に、なんか別にありそうだし、
これといった特徴もないし、とか思いながら出したんだけど、そしたら編集長が、そういうこと!って言ったの。
わかる?これ意味。わかんないよね。でも私は、その時理解したの。これ、わからない。嵐のピクニック、抜け感ある、そういうことはわからないけど、とにかく採用になって。
で、出して。で、まあ今となって、なんとなく自分の中で理解をしてるのは、どこかで、マイナーであるものに対しての、そのマイナーな名前の付け方ではなくて、
ちゃんと王道の大きい場所に行けるタイトルっていうのがあるんだなって思った。
それじゃ例えば、大の大冒険、みたいな。わかります?大の大冒険って、どんな話だっけ?
わかる?でも。王道のものって、結構普通の、名前に何々、みたいな感じじゃん。
例えば、その悠々白書の戸賀史先生とかもさ、点で小悪キューピットから始まって、悠々白書って。
で、レベルEっていうさ、ちょっとやっぱりあの、ちょっとマニアックなものは、ちょっとレベルEみたいな、ちょっとこう、ひねった系のタイトル付けて。
でも今ハンター、ハンターじゃん。なんかやっぱり、王道行くものって、ハンターとかは別に、そう。
で、変わった名刺でもないし。でもやっぱそれを組み合わせてちょっと変えるみたいな、なんか、王道を行くものってそれに伴う、ある種の大きなタイトルをつける余裕があるというか。
シンプルでいいじゃんって。そんな来らんでもいいじゃん。シンプルで大きく行こう、みたいな大きさを感じる。
そのことを私は抜け感があるっていうのかなって、今思ってるんですけど。なんかこう、こだわる人ほど、なんかグチョグチョグチョグチョ、すごいあの、こだわったタイトルとかつけるけど、それいらんて、みたいな。
なんかそういう意味合いだったのかな。だから嵐のピクニック、それって言われたのかなって、今思っているんだけど。
タイトルの重要性
だから、そう。で、それを経てからはあんまり捻ってもしょうがないな、みたいな風にも変わったし。
とはいえ、その、どこかでちゃんと自分の言葉というか、自分のセンスを出さないと意味ないしね、とかって思いつつ。
で、その時いいと思わなかったけど、後になっていいと思うものもあれば、逆もある。その時すごくいいと思ったけど、後になってみた時になんだこれ、みたいなタイトルももちろんあって。
なんか最近いいなって思ったのは、マイイベントっていう、何の変哲もないタイトルをつけたんですよ、ある小説に。
マイイベントって、今その私、文庫になるから、その原稿をゲラっていう状態でちょっと読み返してて、そのタイトルをもう一回改めて目にしたんだけど、なんかこれいいなーって、今になって思う。
詩、でも当時は分かってなかった、何がいいのか。とか、あとは最新作で、今セルフィーの詩っていうタイトルをつけた、新聴者から出てる小説があるんだけど、それはでもなんか好きで、なんだろうな。
おそらく内容が、そのSNSでフォロワーが増えないことに苦しんで、ベッドの上でのたうちまうとか、ベッドから起き上がれない苦しんでる女の子の話なんだけれど、
なんかそういう、現代的でありながら、でも他人から聞いた時に、何その悩みって軽んじられてしまうような問題を扱っていて、
で、文体もまあ私の小説なので、そんなに読みにくくもなく、だから一見すごく軽いような小説を書きながら、でもタイトルをセルフィーの詩って重く締めるみたいな、その内容とタイトルの重さのバランスが自分の中で結構しっくりきてるとか、
なんかそういう感覚はあるかも。でも失敗したなぁ、みたいなタイトルもまあまああるかもなぁ。
なんかここだから言うけれど、例えばその、芥川賞を取った「衣類婚姻譚」っていうタイトルあるんですけど、あれ今だったらつけないですね。
あれ今だったらつけないなぁ。 なんか、良くない。あのタイトルなんか全然良くない。
良くないっていうか、なんか、なんでいいと思ったんだろうか。 センスを感じないんだな。
うーん、なんかもっと、そうね、もっと良いタイトルあった気がして。なんか別に何か思いついてるわけじゃないけど。
うーん、ちょっと失敗したなぁと思ってる代表例がそれだね。
衣類婚姻譚って、なんか漢字で並べて、なんか良いと思ったのかね。
それはでも、あ、そう、感覚として、そう、感覚で作ってないんだよな、あれ。
頭で考えてつけちゃったなっていう印象はあるかも。
だいたい頭で考えてつけたものって、やっぱ後になって全然良くないって思っちゃうんだよな。
それよりは、なんかよくわからないけど、感覚的に、もっと体感的に良いと思ったって、あんまり意味もあんまりわからないけど、
セルフィーの詩とかも意味がそこまで、まぁあるよ、ちゃんとあるんだけれど、でもまぁまず先に言葉がパンってあってっていう。
まず先に言葉があって、みたいなもので生まれた方が、やっぱり後からも耐えうるっていうのがまぁ、経験としてそうかな。
頭で考えたものって、やっぱなんかね、時間が経った時に耐久性がないよね。
うん。っていう感じがします。
はい。タイトル以外でも、あの、書籍にする時って、もちろんそう、表紙とかデザインとかレイアウトとかあるんですけど、
編集者との関係
帯っていう、帯文って巻かれてるでしょ、下に。あれもやっぱ、あれってまぁ基本編集者が作るんだけれど、
あれも、一時期口出さなかったけど。
結構私、口出す、出している。
それが良いか悪いかは分からないが、ここはこういう表現の方が良くないか、とか。
えっとね、例えばその編集者が、セルフィーの詩に対して、コメディみたいな、ドタバタコメディ、いやそんな言い方してないか。
なんか、そう、笑える!みたいな風につけてたのね、帯文で。
えっと、それって読みたいと思う文言なのかなーって自分の中で引っかかって。
でも、あの聞いたらやっぱり、ジャンルってちゃんと限定しないとダメなんだって。これはどういうジャンルの本ですは絶対入れなきゃいけない情報だって言われて。
なんか泣けるとかさ、書かれてるんだと思うんだけど。ってなった時に、やっぱこれはその、笑えもするってこともちゃんと言わないといけないって。
でも私の中でなんか、あんまり笑えるっていうことを押し出された時に、なんかあんまり読む気がしなくなるし、別にそういう意味の笑えるでもないんだよなって思ったから。
その、じゃあブラックユーモアさえ渡るでどうですか?みたいな言い方として。じゃあ笑えるっていう表現じゃなくて、こういうそのブラックであることは絶対言った方がいいよねって思ったので、その文言を提案したりとか。
あとはフォントか、その帯分を4つぐらい決めていくんですけど、それに関しての、結構フォントは細かく言うかも。これじゃなくて、こういう感じのものを3パターン出してもらえますか?とか、ここは縦書きにしてもらっていいですか?とか。
もちろんデザイナーさんもいろいろ出してくるんだけれど、それを見てのフォントのイメージって、やっぱりそのデザイナーさんのイメージもあるけど、やっぱその作者の世界観のイメージもあるから、結構フォントはうるさく言うかもしれない。
しかも何種類か使うんですよ、帯のフォントって。大きさも違うし。このフォントだとちょっとその、ポップすぎて、もうちょっとこう、エッジがある感じにしたいんだけれど、とか言ってこう直したりとか。だから大切にしていることはもちろん帯の文言と、あとフォントですね。
はい。というわけで、この番組ではあなたが感じ取った震える事象を募集しています。概要欄のリンクから送ってください。
あと毎週聞いてほしいですので、この番組のフォローとコメントもお待ちしています。
と、お便り。お便りもください。あの、震えるに本当に無理矢理繋げなくていいから。今回の答えてくれたら震えますっていう、前につくねさんがくれた書き方で全然いいので、よろしくお願いします。
じゃあ、今週も聞いてくれてありがとう。またね。
21:24

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