振動ネームつくねさん。もとやさんは作品のタイトルを決める時はどうしていますか?書籍の場合は売り出し戦略的なものとぶつかると前に何かで見ました。もとやさんご自身はどのようにタイトルを決めるのが理想なのでしょうか?答えてくれたら多分震えます。
このパターンね。答えてくれたら震えますっていうパターン。いいですね。そしたらもう何でもいいじゃんね。最後に。いい、いいな。これみんなも使ってください。あの、震えなくても別に答えてくれたら震えますで。あの、大丈夫。
さあ、ということで。なんだっけ?タイトルか。タイトル決める時、どのように決めるのが理想か。
理想は、もうすごいつきのみな言い方をしてしまうと、降ってくることですね。
めちゃくちゃたまにあります。その、冷感的に降るみたいなことが。
でもほとんどそれはないかな。それが一番最上級の理想系で、次にいいなと思っているのは、要するにタイトルのためにわざわざ文章をひねり出す、ワードをひねり出すんじゃなくて、
シンプルにその作品の中で出てきた言葉で、これは力強い言葉だなぁとか、これすごい引き付けられる言葉だなぁみたいなものを引っ張ってくる。
これもなんか、いい、いいかも。
でもね、結構その、うーんって考えることも多くて、処女作とか特に結構凝ったというか、割と変わったタイトルとかをつけてて、処女儀曲とかがね、小説にもなったけど
ふぬけども悲しみの愛を見せろっていうパンチのあるワードを使ってるんですけど、これとかも意味わかんないもんね。意味わかんないけど、
あ、覚えてる。これすごい若い時だからね。処女作だからタイトルのつけ方もわからなくて、とりあえず書店行って、なんかみんながどんな風にタイトルつけてるか見ようかとか思いながら歩き回ってて。
で、なんか経済の棚とかに行った時に、割とこういう命令系的な書籍があったんですよね。
命令系かぁ、いいなぁ。長文で命令系いいなぁ、みたいなとこから始まって、でこういう、なんだろうね、悲しみの愛を見せろってさ。
今つけれますかこれ。私はつけれません、もうこのタイトル。
でも、これやっぱなんか印象に残るっぽくて、このタイトル。で、2作目が、じゃあ2作目のタイトル、3作目のタイトルが、もう生きてるだけで愛なんですよ。
やばいですよね、これも。生きてるだけで愛も、もう意味がわからないじゃないですか。
だから、初期は意味わからないけど勢いだけ感じさせるもの、みたいにイメージで作ってました。
意味はよくわからない、でもなんかすごく勢いだけはあるねっていうものをつけたりとかしてて、でそこから少しまた変わってきて。
これね、なんかあの、結構思い出としてあるんですけど、なんかその、タイトルって自分だけでそのつけて出す場合もあるし、基本的にはその担当の編集者とか、その雑誌の編集長とかもそれに対して意見をくれたり、
これやめた方がいいとかっていうのをもらったりもする。で、中期かな。割とその短編を13本書いて、それを1冊の本にまとめようってした時に、それぞれの短編のタイトルはあったんだけど、
じゃあその総タイトル、まとめたタイトルどうしようかなって考えてた時があって。その時に、多分いくつか私が出したと思うんだけど。
その時に全部没にされて、その編集長に言われたのが、抜け感がないとダメだ。
あんまりその、凝るな!って言われたんですよ。なんか凝ってたんだろうね。当たり前の言葉を使いたくなくて。
で、うーんってなって、なんだどういう、抜け感ってなんだとか思いながら。で、ポンってその時思い浮かんだのが、嵐のピクニックっていうタイトルだったの。
それまでの私からしたら、なんていうかな、すごく普通のというか、一般的な名詞の組み。嵐とピクニックで、嵐のピクニックって別に、なんか別にありそうだし、
これといった特徴もないし、とか思いながら出したんだけど、そしたら編集長が、そういうこと!って言ったの。
わかる?これ意味。わかんないよね。でも私は、その時理解したの。これ、わからない。嵐のピクニック、抜け感ある、そういうことはわからないけど、とにかく採用になって。
で、出して。で、まあ今となって、なんとなく自分の中で理解をしてるのは、どこかで、マイナーであるものに対しての、そのマイナーな名前の付け方ではなくて、
ちゃんと王道の大きい場所に行けるタイトルっていうのがあるんだなって思った。
それじゃ例えば、大の大冒険、みたいな。わかります?大の大冒険って、どんな話だっけ?
わかる?でも。王道のものって、結構普通の、名前に何々、みたいな感じじゃん。
例えば、その悠々白書の戸賀史先生とかもさ、点で小悪キューピットから始まって、悠々白書って。
で、レベルEっていうさ、ちょっとやっぱりあの、ちょっとマニアックなものは、ちょっとレベルEみたいな、ちょっとこう、ひねった系のタイトル付けて。
でも今ハンター、ハンターじゃん。なんかやっぱり、王道行くものって、ハンターとかは別に、そう。
で、変わった名刺でもないし。でもやっぱそれを組み合わせてちょっと変えるみたいな、なんか、王道を行くものってそれに伴う、ある種の大きなタイトルをつける余裕があるというか。
シンプルでいいじゃんって。そんな来らんでもいいじゃん。シンプルで大きく行こう、みたいな大きさを感じる。
そのことを私は抜け感があるっていうのかなって、今思ってるんですけど。なんかこう、こだわる人ほど、なんかグチョグチョグチョグチョ、すごいあの、こだわったタイトルとかつけるけど、それいらんて、みたいな。
なんかそういう意味合いだったのかな。だから嵐のピクニック、それって言われたのかなって、今思っているんだけど。
だから、そう。で、それを経てからはあんまり捻ってもしょうがないな、みたいな風にも変わったし。
とはいえ、その、どこかでちゃんと自分の言葉というか、自分のセンスを出さないと意味ないしね、とかって思いつつ。
で、その時いいと思わなかったけど、後になっていいと思うものもあれば、逆もある。その時すごくいいと思ったけど、後になってみた時になんだこれ、みたいなタイトルももちろんあって。
なんか最近いいなって思ったのは、マイイベントっていう、何の変哲もないタイトルをつけたんですよ、ある小説に。
マイイベントって、今その私、文庫になるから、その原稿をゲラっていう状態でちょっと読み返してて、そのタイトルをもう一回改めて目にしたんだけど、なんかこれいいなーって、今になって思う。
詩、でも当時は分かってなかった、何がいいのか。とか、あとは最新作で、今セルフィーの詩っていうタイトルをつけた、新聴者から出てる小説があるんだけど、それはでもなんか好きで、なんだろうな。
おそらく内容が、そのSNSでフォロワーが増えないことに苦しんで、ベッドの上でのたうちまうとか、ベッドから起き上がれない苦しんでる女の子の話なんだけれど、
なんかそういう、現代的でありながら、でも他人から聞いた時に、何その悩みって軽んじられてしまうような問題を扱っていて、
で、文体もまあ私の小説なので、そんなに読みにくくもなく、だから一見すごく軽いような小説を書きながら、でもタイトルをセルフィーの詩って重く締めるみたいな、その内容とタイトルの重さのバランスが自分の中で結構しっくりきてるとか、
なんかそういう感覚はあるかも。でも失敗したなぁ、みたいなタイトルもまあまああるかもなぁ。
なんかここだから言うけれど、例えばその、芥川賞を取った「衣類婚姻譚」っていうタイトルあるんですけど、あれ今だったらつけないですね。
あれ今だったらつけないなぁ。 なんか、良くない。あのタイトルなんか全然良くない。
良くないっていうか、なんか、なんでいいと思ったんだろうか。 センスを感じないんだな。
うーん、なんかもっと、そうね、もっと良いタイトルあった気がして。なんか別に何か思いついてるわけじゃないけど。
うーん、ちょっと失敗したなぁと思ってる代表例がそれだね。
衣類婚姻譚って、なんか漢字で並べて、なんか良いと思ったのかね。
それはでも、あ、そう、感覚として、そう、感覚で作ってないんだよな、あれ。
頭で考えてつけちゃったなっていう印象はあるかも。
だいたい頭で考えてつけたものって、やっぱ後になって全然良くないって思っちゃうんだよな。
それよりは、なんかよくわからないけど、感覚的に、もっと体感的に良いと思ったって、あんまり意味もあんまりわからないけど、
セルフィーの詩とかも意味がそこまで、まぁあるよ、ちゃんとあるんだけれど、でもまぁまず先に言葉がパンってあってっていう。
まず先に言葉があって、みたいなもので生まれた方が、やっぱり後からも耐えうるっていうのがまぁ、経験としてそうかな。
頭で考えたものって、やっぱなんかね、時間が経った時に耐久性がないよね。
うん。っていう感じがします。
はい。タイトル以外でも、あの、書籍にする時って、もちろんそう、表紙とかデザインとかレイアウトとかあるんですけど、