こんばんは、本谷有希子です。震動第19回始まりました。このポッドキャストでは、あなたが感じ取った震える事象を、私、本谷有希子が、もとやなりに読み解きます。
はい、ということで。えーとね、今、私の直近のモヤモヤは、これ昨日なんですけど、ちょっとあの仕事を外でしてて、パソコンを持って。
で、ちょっと時間が余ったから、複合施設的なところを回った時に、植物を扱っているお店があってね。で、まあちょっとなんか見てたんだけれど。
そしたら、私が見てた一角が、フェイクグリーンを扱ってる一角だったの。フェイクグリーンって、まあ何も説明されてないんだけど、フェイクのグリーンだから偽物なんだね。
だからめちゃくちゃ成功にできた、作られた植物。プラスチックか知らんけど。何かで作られた植物が、普通に置いてあって。それを知らなくてずっと。本当の植物だと思って見ていたから、びっくりして、今こんなんなってんの?って思って。
びっくりしすぎて、人にメッセージ送ったもんね。今ちょっと見分けがつかない。すごいよって。で、ちょっと欲しくなって、一つ。なぜかというと、私なんか植物を結構枯らしてしまうことがあるんですよ。
今の家とかにも、置きたかった場所にあった結構大きめの植物とかが、やっぱりなんかね、ダメで枯れてしまって、もう置くことを諦めていたんだけれど。これだったらこれ置いていいんじゃないかって考えて。
で、ちょっと試しに1個買ってみようと思って、結構時間をかけて吟味して見てて。本当に本物と全く私には分からんなって。私が疎いからかとか思いながら見てて。
で、これ後から気づいたんだけど、なんか私が見てたところの途中から、普通にフェイクじゃなくて本物の植物になってたのね。
なんか、全然気づいてなくて。今、え?今こんな?って思いながらずっと見てた。どれ買おうかなと思って。
育て方みたいなのがよく見たらついてて、あれさっきの方ついてなかったなと思って。
で、見たらやっぱりさっきの一角だけがフェイクグリーンで、こっち側違うっていうので、でもそれぐらいでも分からなかったの、その疎いが私には。
それぐらい分からないぐらい、本当に、えっとね、よくできてて。結局ものすごく吟味して、一鉢買ったんですよ。
もう1メートル弱ある南国の植物みたいなの買って、鉢持って帰って、家に置いてみて。
家族にも内緒にしていたら、やっぱり気づかないのは誰も。それがフェイクだと。
言ったら、ああ、みたいな。
分かんないぐらい、本当に近くで触ったりもしてたけど気づいてなかったんだけど。
で、お店の中だったからかなと思って、家で日光の下で見たの。でも分かんないよ、やっぱり。なんかすごいなと思って。
今のところ、私の今家には置きたかった観葉植物が置かれていて、
で、パッて見ると、すごい本当、緑が外から入ってきてるみたいな家にしたいから、すごいいい感じな。
だから、とても良かったなって思うと同時に、やっぱなんかちょっとモヤモヤするわけですよ。
本当にいいんだっけ?って。あれこれ本当にいいやつだっけ?って。
なんか禁断のやつに手を出してしまったんじゃないかな、私っていう感覚が、うっすらなくはなくて。
全く生命のないものを置くことを、今私の頭の中で議論し合ってるんですけど、私と私が。
一人の私は、いいって言っている。
本当にそれにしか見えないから。本物にしか見えないから。で、私はわかってるけど、私の脳は騙せるっていうの、そいつは。
脳みそは大丈夫、騙せるって。私もそう思う。パッて見た時にそれがいちいちフェイクだと思わなくて、ただ緑があるっていう。
いちいち意識して見ないから。視界にパッて入るたびに、緑があるっていうふうに錯覚するんだよ、脳みそが。
で、私はそれでいいと思っている。もう一方で、なんかそう、フェイクを持ってることに果たしてどういう影響がこの後自分に及ぼされるんだろうって考えなくもなくて。
どうなんだろうね、フェイクを持ってると、やっぱ自分もフェイクっぽくなっていくのかね。
フェイクでいいや、みたいな感覚。自分がフェイクっぽい感じになっていくのかな。
っていうのは、私の知り合いのアーティストみたいな人がいて、その人、面白いんだけど、めちゃくちゃハイブランドの、それこそGUCCIとかVITONとか、もう世界的ハイブランドの洋服をあえてスーパーコピーで買うんだって。
で、それは何でかっていうと、彼の表現なんですよ。物の価値って何で決まってんの?っていう表現なんだって言ってて、なるほどなって。
で、それに置き換えると、置き換えれないかなと思って、今こう無理矢理置き換えようとしてるんだけど、私がフェイクを持つことで、
でもこれ言える?フェイクを、本物にしか見えないフェイクを持つことの何が悪いんだっていうのをはっきり言える人おるんかな?おるか。おるか。
私がどっちに傾いてるかって言うと、私はフェイクであろうがいいじゃんに傾きたいと思っている。気持ち的に。
何でかっていうと、楽しくなくても笑えみたいな話あるじゃない?口角上げてりゃいいよみたいな。勝手に楽しくなるよみたいな。
あれ好きなの、私。楽しくなからうが口角上げてたら楽しくなってくるっていうのとか好きで。
なんか人間ってそうだなと思ってるの。人間ってめっちゃバカだよねって思ってるから、その本物かどうかとかってそんな大事?っていう感覚も私の中にすごいあって。
だから偽物だろうが、それを見て自分がそこから怪を感じるんであれば良いし、それを見た時に、
あ、なんか偽物を持ってる自分嫌だって。不快の方が大きければ持たなきゃいい、その人はフェイクグリーンを。
フェイクか本物かが大事なのではなくて、それに関して自分が何を思うか、どういう感情、
不快なのか不快なのかだけに着目すれば良いのでは?って思っていて。
私、芝居でも演出でもやっぱり見えてればいい派なんですよ、どっかで。
本当の気持ちを作る必要が、心が動いてる動いてない問題はあるから、心は動かしてほしいけど。
でもなんか、どっかでやっぱり悲しんでるように見えてればいいよっていうこともある。
本当に悲しまなくていいよ、見えてればいいんだよ。
やっぱその、側をそうしていくことで感情が作られる、みたいな。感情からいかなくていいよ、もう、みたいな。
演技法もあって、それも好きで。
なんかね、今私は本物か偽物かにこだわるのではなく、人間ってめっちゃバカだから、
これが本物であるっていうことで、本物と同様の効果になるんじゃないかっていう実験をしている。
それか私がすごいフェイクみたいになっていくから、今後。どっちかをちょっと見ててね。
今よりさらにペラッペラになっていくかもしれない、フェイクグリーンを。もう一個欲しいもんだって私、フェイクグリーン。
ペラッペラになるかも。
っていう話でした。
心動ネームあまりーさん
私は一般的に見ると友達が多く、誰とでも関係を築けるタイプです。周りからもそう言われます。
ただそれによって自分が相手のことを仲良いと思っていても、相手は同じように思ってくれているのがすごく不安になります。
どのくらいの熱量だろうとか、例えばこの後ご飯行こうって言いたいけど、相手がそこまで思ってなかったら悪いし、
同じ温度じゃないなら誘わないでいたい、みたいな。もう相手も私のことを認めてくれてるってわかっている関係性なら全然誘えるのですが、とても考えてしまいます。
そんな不安から、自分が関係を構築中の相手やグループに自分が認めている人間以外が入ってくることに、とても嫌悪感があります。
絶対表には出さないのですが、内心、いや今私がこの人と仲良くしたいと思っているんだから入ってこないでよと思っています。
でもそんな人とも表面上はちゃんと接しています。ただそんなことを考える自分の心狭いなぁと嫌になってしまうことがあって震えます。
もたさんはこういうことを考えたことありますか?
ああ、こういうこと。そうか誰かが入ってこようとしている時に、いや今私がちょっと待ってこの人と仲良くしたいと思っているから入ってこないでよって思ったこと?
ないかも。ないわ、ごめん。思う?思うか。
思うか。でもまあそうか、それが自分の心狭いなって嫌になってしまって震えるって言ってるんだもんね。
まあ確かにな、あれでもなんでないんだろう。異性同性限らずだよね。
まず自分がこの人と今仲良くしている最中なんだから。
こないだLINEが来てね、結構久しぶりにLINEが来て、その人にあんまり何の気なしにじゃあ今度ご飯行こうかみたいな風に送ったら、帰ってこなくて。
で、それ人に言ったら、それすごい傷つくねとか、すごい失礼だねみたいなこと言われたんだけど、関係性的にね。
でもまあ確かに、あと恥ずかしいねとか言われたの。それすごい恥ずかしいよねとか言われた。
確かに、そう言われればそうなんだけど。でもまあ正直、別に何とも思ってなくて。
その自分がご飯行こうって誘ったことに対して、スルーされたことに対してね。あんま何も思ってなくて。
なんでだろうね。自分に自信があるからですか。別に何も思ってないやって言われて思ったんだよね。
でも、いやでも違うんだよ。それ多分、その人だったからなんだよな。
多分こいつに何も思われてもいいや、みたいな人だったんじゃないかな。こいつに別にどう思われててもいいや、みたいな。
あの別に、ご飯誘ってきた気もって思われようが、別に全然そう思ってくれててもいいな、そう何も思ってなかったんだよね。
でもじゃあ、全員に対してそういうふうにいられるかって言ったら、なんか違う気がする、やっぱり。
やっぱ人によって、おいそれとご飯誘えないし、誘って気持って思われたら嫌だなぁと思って誘えないこともあるし。
え、これこういうふうに返信しても良いもの?とか、その人にどう思われるかっていうのを気にするから、多分まあ対象によるんだと思うんだけど。
自分は相手のこと仲良いと思ってても、相手は同じように思ってるのかが不安になるって書いてあるんだけど、私でもちょっと違って、
今すごい相手が自分に好意を持ってくれて、メッセージくれたりとかして、今やり取りして、なんか仲良くなってる感じだけれど、
で、私もそうやってお互い興味を持って仲良くなろうとしているけれど、その自分にちょっと不安になる時があるというか、要するに好意の偏方性ってあるじゃん。
何か相手に良くしてもらったら、自然とこっちもなんか好きだなって思うみたいな。お水もらったらなんかしなきゃいけないと思っちゃうみたいなさ。
好意の偏方性って確か言うんだけど、今この関係ってそれじゃないよなって不安になる時がある。
要するに相手が自分に興味を持ってくれているから、自分もなんか嬉しくなってその人に興味を持っているみたいな。
今この人が私、友達になりたいなって思っている気持ちが、なんか本当に自分自身から発生しているものなのか。
それとも向こうが、めんどくさいねこんなこと。ちょっと怖くなるの。相手がこっちの興味を持ってくれてるから、それに対して自動生成的にこっちも返してるだけなのでは?って思うことがなくなくて。
だからいや違う、これは私が今本当にこの人と仲良くなりたいから、本当の気持ちだ、本当の気持ちだとかって結構確認したりするんだよ、自分の中で。
でも、これは実体験なんだけど、そうやって確認したりとかしてるんだけど、やっぱり徐々にその落ち着いてきて、だんだんそのメールかメッセージかの感覚も空いてきて。
で、ほぼ亡くなって、来ても何か社交事例みたいなよそよそしい感じになった関係がありまして、やっぱりその時に何にも思ってないわけ、自分が。
その人と疎遠になってしまったことに対して、もし本当に自分がその人と友達になりたいなとか思っていたんだったら、この状況って傷つくはずでは?みたいな。
思うんだけど、別に特に何も思ってなくて、これってなんか認めたくないが、結局そう偏方性で、相手が盛り上がったから自分も盛り上がっただけで、相手の興味関心が薄れることと自分がもう本当にリンクしていて、悲しいから自分の中のその人と友達になりたいなっていう気持ちもすごく自然になくなっていくんだよね。
で、ああ!ってなる。ああ!やっぱり、あの自動生成したやつだったんやれ!ってなるの。
だから、あんなに本当の気持ちだって思ったのに、自分であの時何回も何回もあれ確かめたのに、ああ!ってなるんだけど。
なんかそっちへの不安がある。今この人と私、友達になりたいと思っているが、それは本当?みたいな。それは本当の私の気持ち?っていう方がむしろちょっと不安で、と同時に、どっちでもいいやんけ!って。
あの、気持ちが本当とか嘘とかどっちでもいいじゃん!って思っている自分もいて、その時仲良くなりたいって思ったんだから、別にそれはそれでもう嘘とかでもいいじゃん!っていうふうに思ってもいるけど、
なんかちょっと、特に好きだなっていう気持ちが、ちょっと自分で確信が持てない時があって、だから、いやこれは本当に好き、これ本当に好きなんだよとかって人に言う時もあるんだ。
でも悲しいからさ、本当に好きじゃなかったりするんだよね。なんか、あ!あれ本当に好きじゃなかった!とかって、数ヶ月後に思ったりするから、ちょっとわかんないんだよな、私この辺の感じとかって。
いやでも本当に、過去の自分に裏切られ続けているから、これは本当だ、今度こそ本当って思った気持ちがことごとく本当じゃなかったりするから、ちょっとまだ何かいい方法があったら教えてもらいたい。
なんでじゃあ大切な人と大切じゃない人に区別されていくのか。なんだろうね、なんか私これ、ちょっと悩みでもあるんだけど、なんかその自分を肯定してくれる人と、自分を否定とまでは言わないけど、批判してくれる人がいた場合に、
なんか自分を批判する人を大事にしてしまう癖があるんだよね。で、なんか一緒にいるのも、自分を批判する眼差しを持った人と一緒にいた方がいいのではないかって思ってしまう癖が昔からあって。
あれかもね、なんか何かをやっぱり苦しんだり努力したり達成しなければいけないっていう思い込みかもしれない。なんか批判してくる人ってその人の言葉を聞いてたら、その乗り越えるべき課題があるし問題を提起されるから、なんか成長するような錯覚があるじゃん、少なくとも成長しなければいけないタスクがあるように思えるから。
なんかそこから逃げちゃいけないって強く思い込んでしまう癖があって。だから編集者さんにも割と最初に言う、なんかごめんなさい私なんか褒められるだけの人と本当に一緒にいられないんですって褒める人はいるんだよね、編集者さんって結構褒めるから。
でもなんか本当のこと言ってくれる人じゃないと、絶対一緒にできないんですって。お願いだから本当のこと言ってくださいねっていう話をして、ああわかりましたみたいな。結局長く続くのはちゃんと本当のこと言ってくれる人。
だけれど、本当のことを言おうがそれがトンチン感だった場合に、それを全然私がピンとこなかった場合に、ちょっとなんか違うなぁみたいな時もある。
だからなんかなんでも誰からの批判でも受けてるわけではないのだけど、なんかそのいい批判言いそうな人に弱いっていう傾向がある。こいついい批判しそうやなみたいな人は、なんかすごいいてしんどかったりするけど、なんか離れるべきじゃないのではみたいな思い込みがあって。
でも私これなんか思い込みだって気づいてるんだよな。離れていいんだよ、多分そういう人から。もっとね、なんかあの、もてはやしてもらえる場所にただ行けばいいのに、批判こそ本音であるみたいな扇納から逃れられてないんだろうな。
だからそういう批判をしてくれる人を大切にしてしまう癖が自分の中にある。自分の中ではね、基準としてこの人大切、この人大切、大切じゃないって言う訳はしてないけど、なんかでも、あとは単純にかっこいい人好きなので、
その、あの、メンタルね。メンタルかっこいい人はめっちゃ好きだから。あの特に女の人ね。女の人でかっこいい人いると、すっごい友達になりたいって思う。
あの、友達って楽な感じがいいと思う?それとも、ちょっと緊張するぐらいの楽でいられない関係性の方がいいのかっていう、ありませんか?
友達、本当に楽で素でいられる友達もいいけど。でもなぁ、これは言えないんだけど、なんか、まあいいか。ごめん、言えないわ。えーと、で、なんだっけ。
あ、でも私、あの、アマリーさんが、これ、こっちの方が気になったな。その、えーと、そんな不安から、自分が関係を構築中の相手やグループに、自分が認めている人間以外が入ってくることに、とても嫌悪感がありますっていうところが、
自分が認めている人間以外っていう感覚、こわっ!と思って。そんなんある?あ、この人、私が認めてるからいいでしょ。
この人、私、認めてないんです。みたいな。あるっけ?あるっけ?待ってね、今思い出すね。あったなぁ。あったわ、ごめん。
いや、認めてる、認めてないっていう、意識的には言語化していないけれど、なんかこの人違うんだよなぁ、みたいな人はいるなぁ、やっぱり。
なんか、なんかこのグループというか、この集団において、この人ちょっと違うんだなぁ。いたらちょっと楽しさが半減するかも、みたいな時、あったわ、ごめんなさい。ありましたね、具体的に。
だからといって排除もしないし、なんか意地悪はしないけれど、なんかしてんのかな?わかんない。でもやっぱり自然とそういう人って、そこからいなくなるというか、実際いなくなった。
けど、じゃあその他の、えっと、なんか違うなと思わなかった人たちと、じゃあ関係続いたかって言ったら、それもあの自然になくなってて。
あ、そう。よくだから、季節っていう表現をするかも。今この人たちと仲良いけれど、まあそういう季節だよね、っていう言い方はするかもしれないな。
だからその、ずっと仲良かったらいいなぁとも思うけど、でもまあ、時が経って自然と交流しなくなったとしても、それってまあとっても自然なことなのでは?とも思うし、
なんかその時の自分に会った人たちと一緒にいる。そう、だから、そうそう、だからその違うなって思った人もいなくなったけど、でも違わないなと思った人もいなくなってる。
から、まあ別に時間の問題なのかもしれない。ずーっと、ずっと仲良しっていう感覚は、大人になってはあんまりないな。
季節ってすごく人間関係に関しても考えた。なんか自分に問題があってこの関係がなくなったんだろうかとか、
昔考えたりもしてたけど、なんか私に何かが足らないから人間関係が続かないのだろうかとか、考えたりもした。
それもあるのかもね。私から離れていってるだけなのかもしれないけど。でも季節だな。季節って思えばめぐるし。
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あと震えるエピソードのお便りも待ってるので送ってください。毎週聞いて欲しいのでこの番組のフォローとコメントもお待ちしています。
ということで、今日もありがとうございました。またね。