こんばんは、本谷有希子です。震動第18回始まりました。
このポッドキャストでは、あなたが感じ取った震える事象を、私、本谷有希子が、本谷なりに読み解きます。
はい、ということで。
えー、このオープニングをね、毎週話すの、まあまあ大変なんですよ。
大変なんだよ。なんかさ、執筆入るとずっと机向かっている生活になるから。
そう、最近したこととして、私はこの間、紙棚を家に作った。
引っ越す前にも紙棚作ってたんだけれど、今の家に引っ越してから、なんとなく方角がうまく合わなくて、なんか辞めちゃってて。
その後、すごいその、お札とかが、すごい雑に扱われていたんだけど、あるきっかけがあって、ちょっと紙棚作りたいなぁと思って。
で、いい方角も見つけたから、そう作った。
でさ、そのベッドの下とかに落ちてたお札探してきて、ベッドの隙間にずっと落ちてるなーって分かってたんだけど、
すっごいあの、全部動かさないといけない場所に、隙間に落ちてたから。
ずっと気になってて。それを全部動かして、引き拾って、今釣ったんだが。
で、私今毎朝、ちゃんとお水かえて、おはようございますってやってるんだよ。毎朝ね。まだ1週間だけどね。
で、そんな私が今この紙棚って、このためにあるんじゃないかっていう、今朝思いついたことがあって、ちょっとその時節を解禁していいかな。
で、前の家で紙棚は作りました。でも、まあ正直放置でしたよ、私は。
ちょっと高いとこに設置しすぎたっていうのがあったんだけど、まあその手入れも別に毎日してなかったし、結構忘れてたりとかしてた。
でも今毎日してるんだけれど、続かなかった理由として、これにどういう意味があるのかが自分の中で落ちなかったから、
で、別に神様がいるとかいないとかも特に考えてないから、自分の中で。
うん、なんかしてもしなくても、紙棚作った時点で自分の気持ちとしては満足しちゃったんだ。だから続かなかった。
で、今回続くかもって思った理由として、おそらくなんだけど、紙棚って神様がいるとかいないとかじゃなくて、こう毎朝手合わせるじゃん。
で、その時に、自分って自分だけで生きてるんじゃなくて、なんか持ったあらゆるものに活かされているのでは?っていう感覚の時間。
その活かされてるっていう感覚をサブリミナルとして毎日すり込むために、これって昔から人がやってることなんじゃない?っていうふうに今日ふと思ったんですが、どうですかね。
いや、なんかよくさ、主体的に生きようって。やっぱ自分軸で、自分が自分がって主体性を持って生きようって言われていたりとかして、それすごい確かにそうだなって。
その、お前のオールを人に渡すなみたいな。自分のオールは自分で持て。みたいなことと共に主体性とかはすごい大事だなと思うが、
なんかやっぱり、いろんな苦しみってその、やっぱ自分があるから生まれるようには思うじゃない?
自分が自分だけで生きてるって思うと、なんで自分はこうなんだろう?なんで自分ってこうじゃないんだろう?みたいなさ、その自分の中にすごいがんじがらんめになって、苦しいが、なんかその、自分って自分だけで生きてないから、みたいな。
なんかいろんなものによって、結果偶然いろいろあって生きてるからって思ったら、ちょっと抜けるっていうか、
あ、そう、だから私さ、昔、なんか霊能者に見てもらったことが2回くらいあるの。で、昔さ、誰かにすっごい、めちゃくちゃすごい霊能者がいるから、
もとやさんにちょっと紹介性なんだけれど、あの、紹介するって言われて、めちゃくちゃすごいという霊能者のお家に行ったんだよ。
それが表参道の、まあ高級そうなマンションなんだけど、で、そこに行って、そこでインターホンをまず鳴らさずに、勝手に扉を開けて入れという指示があって、で、開けると真っ暗なんですよ。
で、真っ暗だけれど、そのまま靴を脱いで、あの、上がっていってよいっていう指示があって、で、上がっていって、たぶんリビングとかがあるんだけど、そこもう全部暗いからよく見えなくて、で、廊下の一番最初の右手、えっと、ドアがあるからそこを開けて入れ、みたいな指示があって、で、入るんだよ、こうやって入ってって。
そしたらなんかちっちゃい個室があって、で、机があって、ちょっとよくその辺ちょっと覚えてない。で、その霊能者と言われる初めて対面する男の人がいて、で、そっからなんかいろいろ見てもらって、なんかもう、たぶん3時間、4時間ぐらい何かしてもらった記憶があるんだけど、正直なんかその辺あんまり覚えてないんだけど、すごい問答みたいなのめちゃくちゃ繰り返したのかな。
で、一つ、二つだけ覚えてることがあって、なんかね、私が力抜いた時に、体がダウジングみたいに勝手に体は左回転かな、右回転し始めたんだよ、力抜いてた時に。
で、なんかそれは、はいだったら左回り、いいえだったら右回りみたいなことをその人が言って、いいえいいえと思ってたら、誰にも触れられてないのに私の体が本当に回転した、回転っていうかゆっくりこう時計回り、半時計回り、どっちかにぐるぐるって動き出して、で、誰にも触られてないから、うわーってなって、本当に動いてるって思って。
で、その動いてるって意識すると、その周り、なんか絵を描く感じが大きくなってて、もう確実に描いてるのさ、それこっくりさんの時もあったのよ、小学生の時に、こっくりさんの時めっちゃ鉛筆動いてたじゃん、あれみたいな感じで、まあおそらく潜在意識とかなんだろうけれど、明らかにめちゃくちゃ回ってるからびっくりしたことと、
で、それを受けてその霊能者の人が、守護霊が何人かいるみたいなことを言って、で、その中にあなたのおばあさんとかがいるみたいなことを言った気がする。で、その時に私、あのぶわーって泣いたんだ。涙めちゃくちゃ溢れてきていて、で、あの感じって、なんかね、初めて今言ったようなこと、なんか自分が頑張って生きてると思ってたけど、
違ったんだっていう、私って自分だけで生きてなかったんだって思った時に、なんかすごい涙がバーって流れてっていう体験をしていて、そこから全然忘れちゃうんだけど、だから別にそれが何だったって話ではないんだけれど、やっぱりその、あれでもちょっと価値観変わる経験だったんだよね、その自分が頑張って生きてると思ったのが、いやいや自分だけで頑張って生きてないから。
で、その時まあ思ったわけで、それが分かった時の感じって、芸術全般、エンタメ全般にも何を求めるかって言ったら、その自分の価値観をぶっ壊されることだったりするんだけれど、それに近い経験があって、体験があって、で、何の話だっけこれ、神棚だ、で、それとそれが繋がったんだ。
神棚に拝んでる時間って、お前はお前の力だけで生きてないぜ、っていうことを自分にサブリミナルとして入れていく時間なんだろう、ってふうに今日思いました。
どうでしょう、合ってますかね。みんな言ってんのかな、もうとっくに。わかんない。でもなんか今日、そのためにあるのかって。で、なんかやっぱりどっかで合理性がないと私動けなかったりするから、だったらこれ水毎日買えられるかも。
って思ったんだよな。 だから続くといいね。
しんどうネーム 白犬さん
もてあさん、こんにちは。いつも楽しく聞いています。 ありがとうございます。
突然ですが、私は寂しいという気持ちがよくわかりません。 特にSNSで寂しくてつらいとか、脈略もなくその言葉を見たときには、もやもやしてなんだか揺らぎます。
もしかしたらその前後にはその人しか感じられない理由があるのかもしれませんが。 一方で、SNSで言われる寂しいは、とてもリッチな言葉にも思えるのです。
私はその言葉の本当の理由はわからないけれど、それを不特定多数にさらすということそのものがリッチなことってことか。
寂しいという言葉にも震えがセットになっているイメージもあり、なんだか気になってメールを書いてみました。
もてあさんは寂しいと感じることがありますか? またそれを誰かに伝えたいと思いますか? 寂しいについて話してもらえたら嬉しいです。
寂しさについて。寂しい。寂しさについて。
私は寂しいと感じることが、あ、私もわかんないかもって思った。
でもロスは、ロスはあるんだよね。ロスはわかる。 この間、そう、子供と1週間ぐらい離れた時に、1日目でもロスを感じたから、このロスと寂しいが果たして同じ種類のものなのかなっていうことはある。
ロスって何なんだろうね。 いやでもやっぱり使っちゃうんだよな、言いやすいから。
でも悪くないのかもな。ロスっていう、こうカジュアルにすることで寂しいっていうことが、茶化した表現であろうが、言えたりとかする側面もあるから、なんとかロスは簡単だから割と使いがちだな私。
あとはなんかその、寂し慣れしてる人もいるよね、きっと。そうなんか寂しいって全部あるじゃないか。私驚きやすいんだけど、なんかね、それ血の巡りの問題らしくて、驚きやすいっていう症状があるらしくて、だからなんか寂しがりやすいとかさ。
体質と言ってもいいんじゃない?ある感覚にすごく敏感みたいな。でも人は気づいてないだけで、同じことを寂しいって変換してないだけで感じているのかもしれなくて、同じことを別、それぞれ別の表現で自分に置き換えてるのかもしれなくて、ある人はそれを寂しいと感じるだろうし。
私結構腹立つんだよな。腹立つの、なんか。そう、私はもう腹立たしいとして変換しているから、それを結構寂しいことと気づかないっていう感じがあるかもしれないな。
あ、でもあるな、私寂しいと思うこと。そういえば最近あったわ。ちょっと言えないんですけど。ちょっと恥ずかしいんで言えないんですけど。ちょっとそういえば寂しいなって思ったことあったな。
でもそれってめちゃくちゃ素直に自分を放っていった時にたどり着いた寂しさであって、それが寂しいってことを認めるまでに、私結構その、人ってごまかす気がするんだよね。
なんか寂しい自分を隠したいから、なんか怒りとか行き通りとかに変換する気がしていて、それを全部放っていくと、あ、なんだ寂しかったんだ。寂しいから出てきたんだ、その攻撃性みたいなことって多々あるよなぁとは思っていて。
だからなんかその寂しいことを認めるって、人としてすごい一番脆い部分を認めることに等しいのでは?寂しいって結構恥ずかしくない?感覚として。寂しいんだよとか言ったことないわ。
言えないなぁ。寂しいってすごい言葉じゃない?なんかもちろん、だからもうちょいライトな時には言えるか。ライトっていうか、なんか本当の本当に放った時の寂しさってやっぱりあんまり口にできない気がしていて、なんかすごい子供みたいな部分じゃん、めちゃくちゃ。
おそらくその白犬さんがSNSでそのさ、寂しくて辛いとか見た時にモヤモヤするって、もうちょっとライトな方の寂しいって思うからなのかな。
それか、そのなんか、自分の一番やわいところを晒してしまっている時点で、実は強者であるっていう。本当に寂しかったら言える?みたいな。
その寂しくて辛いって言ってる自分をどっか客観的に見ている感じがするね。寂しいという言葉と震えがセットになってるって、あれだよね、なんかあの歌があったよね。
寂しくて寂しくて震えるっていう、誰の歌だっけ。あれ、多分当時もみんな、多分面白くていじってたと思うんだけど、私なんかでもあの表現好きで面白いじゃん。
やっぱ普通に寂しくて震える人って面白くて、だからちょっとあのね、なんなら私この間セルフィーの詩っていう小説を書いて、それってSNSのフォロワーとかが増えないことによって震えてる女の子の話なの、ベッドの上で震えてるって、ちょっとなんなら影響を受けてるもんね。
フォロワーが増えなくて、辛くて辛くてベッドで震えるみたいな、体にまでその震えが出るぐらい本人にとってはしんどいみたいなのが、すごい好きかも、その感じは。
なんかあの、主人公の語り手の女の人がフォロワー数欲しいがために、人の写真無断でインコの写真勝手に使って、それがバレて謝罪しに行くっていう下りがあるんだけれど、回があるんだけど、で最初はやっぱ自分はレコードしたなと思いながら満員電車に乗って行くんだけど、途中からやっぱり
なんでそれぐらいで怒るんじゃみたいな。あの、あんなクソヌルイインコの写真使ったぐらいで、あんな大家族の入りきった風呂ぐらいヌルイイ写真使ったぐらいでなんで怒るんだろうって。あいつはサイコパスなのか?みたいな考え出すシーンがあるんだけど、でその中で、もしこのことを無断で投与したことをネット上に晒されたら、自分のなけなしのフォロワーもゼロになっちゃうって女の子が考える。
そうすると、もうそのフォロワー数ゼロの世界を想像しただけで、もうその子としては、もうほんとそれこそ体が、膝が震え出すんだよ。で、その子は頭の中で、いやこんなことでこんな辛くなるなんて、もう他人から見たら本当に笑われることも分かってるし、すごい自分の悩みが本当にしょうもない、くっどらない悩みだってことも分かってる。
世界には、あの本当に死に直面するぐらいの状況の人もいて、過酷な問題を抱えている人もいて、いくらでも辛い人がいる中で、そんなことも分かってる。だからあなたの傷、かすみ傷でしょって言われても、でもその傷は私にとってはむちゃくちゃ痛いんだと。
だから誰が何と言おうが、あの私は今この状況がフォロワー数ゼロになった状況が苦しいし、しんどいし、もうそんなこと言ったら人に笑われるっていうことも含めて、もうジレンマでしんどいし、でもそのジレンマすらも誰かに笑われるっていうことのジレンマでまたさらにしんどいし、とにかく私はこのエンドレスなこの辛さから逃れることができないみたいなことを言ってるシーンがあって、あの、そう。
そういうことっていうか、私なんかそれを書こうと思ったのも、文学ってさ、やっぱり人間とは何かとか、自分とは何かとか、やっぱりすごく交渉のテーマというか、普遍的なテーマを扱ってきてるけど、そこにこうあえて何の普遍性もない、フォロワー数上限で死ぬほど苦しんでる人間っていうのを書きたいなと思っていて。
人間とは何かとか、生きるとは何かって誰が見ても、あっ、どうされる、あの、そうですよね、その悩み、問いとても大切だし深いし、あの、描かれるべきことですよね、だと思うんだけど、そこにあえてそれって描かれるべきことですかっていう、それも別に描かなくてもよくないですか、くだらなすぎませんかみたいな、普遍性なさすぎませんかみたいな問題を、
私はあえて扱いたいと思っていて、っていうのはやっぱり、個人の視点を作るっていうことが自分の中ですごい大事なことだと思っているからなんだけど、
なんか、そう、今その寂しいは寂しい、つらいはつらい、しんどいはしんどい、以上っていう感覚って、いくらそれが人から見て軽かろうが、なくはなくて、あるよね、その感覚って確かに存在するよね、みたいなことを、そう、書きたいなと思ってそういえば書いた。
こないだ、そういえばね、なんかの動画で女の人たちが話し合ってて、で、一人の女の人は割と言っても、まあ、綺麗で、YouTubeのホストみたいな感じで、えーと、話してて、でも彼女を曰く、自分は本当に男運がなくて、彼氏が欲しいけど本当にダメな男ばっかりに騙されてるし、別にいい人も出会えないし、一人なんだって言ってた。
で、かたやもう一人の、その時の回のゲストなんだと思うんだけど、その人は、もう本当に、今まで異性と付き合ったこともなく、これからもそうないであろうって言っていて、で、おそらくそのもうキスもセックスも一度たりともしないまま、要するに他者と一度も肉体的にきちんと粘膜で触れ合うこともなく死んでいくのだろう、
っていう話をしている中で、その寂しいの違いは、やっぱあるよね。あなた本当の寂しいって知ってます?みたいな。私が引きで見た時に、本当の寂しさ知らないくせに何言ってんだよっていう感じは、その相手の人はそんな風に全く言ってないよ。
ただ私は、やっぱりその本当の寂しさのその格が違うんじゃないかなって勝手に思っていて、だから想像です、想像ですけど、なんかそのSNSでばらまかれてる寂しいは、そっちのなんかもうちょっと寂しいって言ってしまえるだけの寂しさであり、なんか本当の深い寂しさの方こそ、寂しいって発信されないんじゃないかなって思う。
どうなんやろうか。ただその、全部そうじゃん。そんなこと言ったら、でも寂しいから寂しいっていう感覚も私はすごい大事だと思っていて、他の人から見た時にお前全然それ寂しくねえだろって言われることは、じゃあ本人にとってつらくないのかって言われた時に、なんかそれを守るのが小説なり演劇なり創作物の役目かなと思っていて、っていうのはなんかそのこの世の中から、
つらいからつらいんだっていう視点が消えてしまった時に、それかなりしんどい社会になるんじゃないかって。つらいからつらいって言った時に、いやもうちょっとそれつらいを全員が納得する形でもうちょっと論理的に説明してくれるって言われた時に、いやいや論理的に説明とかじゃなくて、私がつらいからつらいんですけどっていうのがちゃんとあるってことを言っていかないとダメだよね。
とも思っていて、そのお前それもっとしんどい人いるんだからお前のつらいはないだろ、ないに等しいだろっていうふうに論じてしまってはいけないと思うが、私なんかいつも両方思うんだよな。
だからその男がいなくて寂しいって言ってる人の寂しいも本物。嘘ではない本物。その人にとってはつらい寂しい。でもと同時にやっぱもう一方の本当の寂しさ知ってるっていう声もあるよねって思うから、
なんか寂しさについて、寂しさだけじゃないんだけどあらゆる感覚についてだけど、
本当の孤独とかを想像することがある、勝手に。やっぱりそのまま他者と何の関わりもなく死んでいくとかの孤独を自分の中で想像したりするんだけど、
それがでも本当の寂しいだよね。誰とも交わることなくて、誰とも関わらずに死ぬまでそうかもって思うことって本当に孤独だなと思ったけど。
そう、だから少なくとも私はその寂しいを誰かに伝えたいってあんま思わない。それはとっても自分の弱い部分だし、なんか寂しいって言えてる時点で言えてるやんって。言えてるやんって思っちゃうから。って思いました。
この番組ではあなたが感じ取った震える事象を募集しています。概要欄のリンクから送ってください。
お便りもいい感じのがボロボロ来てるので、全部めい通すのでどんどん送ってください。
毎週聞いて欲しいのでこの番組のフォローとコメントもお待ちしています。それではまたね。