1. アポカリ
  2. EP11|モテと民主主義(後編)
2025-09-25 1:56:08

EP11|モテと民主主義(後編)

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雰囲気の霧散/つかさ世代を直撃した幻想/ロンドンで体験したブレグジット/オキュパイ・ウォール・ストリートからの2016年/約束された終焉/竹田ダニエル氏をめぐる”とはいえ”/押し付けられたリベラル/ベンチャーブームの両義性/矜持から眺める左右/ヨーロッパ型エリートとシリコンバレー型エリート/マクロンの矜持/チームみらいのイデオロギー/モジュールとしての1議席/極右と同じリスク/石破政権はむしろ/官僚頑張れ/Sci-fi的思考実験としての”社籍”/Amazonか楽天か/市場経済は一人一票ではない/デヴィッド・ハーベイの論旨/幸福論としての農奴/映画「ダイバージェント」/変更可能性の担保こそが価値/ハックの蛸壺/じゃあお前がやってみろ論/伝え方は元気で決まる/排外とダブルスピーチ/趣味としてのリベラル/市民活動に参加した高校生の失望/老活動家のぼやき/リセット願望/BLMに参加した若者の失望/それでもイデオロギーの価値は毀損されない

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製作・配信:密談 @mitsudan_net

毎月第三金曜日配信

muro @ryunosukemuro

アンソロポロジスト。九州大学人間環境学府博士後期課程単位取得退学後、在外公館やベンチャー企業の勤務を経て独立。社会人向け人文学ゼミ「le Tonneau」を主宰。法人向けの調査、研修、諮問などを請け負っている。Podcast番組「新日本駄洒落協会」「のらじお」を配信中。

つかさ @t_tanimoto

建築事務所勤務。東京生まれ、ブリュッセル育ち。ベルギー国籍。仏語と英語を活かして、翻訳者/編集者としても時々活動。UCL(ロンドン大学)で化学工学、パリ政治学院でコミュニケーションを学ぶ。Accenture SongやBCG Xなどでサービスデザイナーとして勤務後、キャリアチェンジし、現在に至る。valkneeとリー子と『ラジオ屋さんごっこ』配信中。

メチクロ @maticlog

1995年〜造形家として「S.M.H. (ホビージャパン)」誌にて全18作品連載

2000年〜グラフィックデザイナーとして活動開始 [BLAME! 特装版/ バイオメガ / アバラ特装版 / シドニアの騎士(弐瓶勉)] [ハイスコアガール (押切蓮介)] などを担当

2002年〜弐瓶勉・林田球・D[di:]・L?K?O・メチクロによるポータルサイト[MHz/メガヘルツ」を開設

2005年〜MHzSHOPにて、ドロヘドロ・東亜重工などのアパレルプロダクトを製作販売開始

2009年〜造形家として、宇川直弘・THE LEFTY・フルカワミキ・マヒトゥザピーポー(GEZAN)・大友克洋・灰野敬二らのオリジナルマスクを製作

2010年〜オーディオプロダクトデザイナーとして、[HP-A8 / HP-P1 / KOTORI301(FOSTEX)] の他、[TOON WORKSHOP(Mr.Harn / LINKINPARK)/Doublezero(ZEDD)]のブランドディレクターを担当

2019年〜JAPAN PODCAST AWARDS製作総指揮(第三期を以て退任)

2019年〜IKEUCHI HIROTOの顧問として参画

2021年〜ぷにぷに電機と共にPodcast『LAUNDRY AM』配信開始

2022年~株式会社雑談を設立 [CRAFTBEER BAR & PODCAST STUDIO雑談・営業開始]

サマリー

このエピソードでは、リベラル主義の変遷とグローバリズムの影響について議論されています。ブレグジットやトランプの当選といった政治的出来事がもたらした社会の変化や、世代間のリベラル感覚の違いにも焦点が当てられています。 このエピソードでは、民主主義と日本の政治情勢、特に選挙における有権者の動向が考察されています。マクロンやチーム未来の事例を通じて、フランスや日本における価値観の違いや、政治的選択肢の多様性についても議論されています。 このエピソードでは、民主主義と市場参加の関連が議論され、政治と経済の接点が探求されています。選挙よりもマーケットでの消費者の選択が民主的プロセスとして機能している様子や、官僚制度とその限界についても触れられています。 このエピソードでは、民主主義における市場経済の競争原理とその影響について深く考察されています。新自由主義の見解から、強者と弱者の関係や消費者としての選択肢の制限についても議論され、多くの人々が抱える現代のリベラルに対する不安が取り上げられています。 このエピソードでは、政治と企業の成り立ちについて考察され、社会を変えるプロダクトの重要性が強調されています。賛成党に対する批判や、リベラルな価値観の伝え方についての意見交換も行われています。 このエピソードでは、リベラルと民主主義の関係性について深められ、多様性やコミュニケーションの重要性が議論されています。政治的アイデンティティと個人の意志がどのように交差するかについても考察され、民主主義における自立した個人の役割が強調されています。 このエピソードでは、リベラルな活動や運動の意義が深く掘り下げられ、無力感とそれに対する様々なスタンスに焦点が当てられています。リベラルな言論がどのように構築され、個々の経験がそれにどのように影響するかについても議論されています。 このエピソードでは、リベラル思想や民主主義に関する個々の見解が深く掘り下げられ、政治活動や社会の変化に対する期待と絶望が語られています。特に、リベラルの信念を信じつつ、個人がどのように主体的に行動するかの重要性が強調されています。 モテと民主主義に関する議論が展開され、人気や魅力が社会に与える影響について深く掘り下げられています。

リベラル主義の変遷
ちょっと後半戦行きたいんだけど、今ちょっと休憩時間に話してるとこからスタートしたくて、muroさんが今、雰囲気の話をしたじゃない。
世界情勢がどうあれ、僕らが信じていた21世紀型のリベラル的な、みたいなものっていうのが、多分崩壊してしまった。
無産してしまったっていうことが、なんか僕らがうっすら感じている絶望感のもとかなと思ってて、
そこの奪われたその雰囲気っていうものってどういうものだったのかをちょっと1回具体的に話したいんだけど、僕はさっきちょっと言った
グローバリズムによって、みんな少しずつ生活も良くなり、立場も良くなり、くまなく人権みたいな思想っていうものが広がり、みたいな、
未来は良くなるっていう前提をもとに考えていた、あの思想みたいなものが脅かされているように感じている。
僕はね。で、それがまあリベラルっていう人たちこそそういうものを信じてた人たちだから、だからそこが旗色悪くなっているっていうことも、まあなんかうなずける。
人はそのグローバリズムっていうものをもう拒否し始めていて、あらゆる国で投票行動的にも起きていて、
そこ、彼らは別にグローバリズムにアンチを票を入れたっていう自覚がないんだけど、結果的にはそういう行動をとってきた。
それは、あの、つかささんが言ったように誇りが欲しいから、飛びついたことが結果、グローバリズムっていうものを放棄する行動をとった、みたいな印象なんだけど、
さっき言ったその雰囲気って、さっきつかささん言ってた、雰囲気なくなっちゃったって僕と室さんは言ったんだけど、
そのとはいえのさ、お話ししてた。その辺ちょっとディティエルしちゃった。
え、その雰囲気があった状態の話すると、しかも僕、世代、今思ってたのに、世代的なとこもある気がしてて、
僕の中でそのリベルが起きてるみたいな感じのときも、高校生から大学生なんで、
えーと、タイム間的には何年前的な言い方?
15年、10年ぐらい、2010だから、10年から15年ぐらい前なんですけど、
まあそんな詳しくない高校生として、そうやってね、なんかリベラルガール、GBTQライツとか、ゲイマリエッジとか、同性婚とか、
まあヨーロッパでは勝ち取ってって、だんだんともうカンカン、カンカン変わっていって、
こっちからしたらやっぱり幻想になりやすいんですよ、高校生なんで。
もうこのまま行くんだ、みたいな感じになったから、お二人よりもしかしたらもっとそこに沼ってたかもしれないなとは思いますね。
もう完全にそれにしか見えないんで、それはすごい大きいかなとか思ったし、
まあ僕のその時期だと、まあそれこそオバマケアとか、オバマが勝ってるのも意味わかんなかったし、
僕からしたら、すごいみたいなニュースになるし、なんかみんなそっちの方向に行くんだな、みたいな感じしかなかったんで。
まあでも実際そうだったよね、ある程度世界情勢とかに気にかけてる人は、ほぼみんなそういう空気を感じてたし、それをいいと思ってたと思うんだよね。
人権の延長にある、さっき言ったLGBTQの話だったりとか環境問題とかだったりっていうものが、人々の力によって良くなってるっていう実感を感じたからね。
で、ヨーロッパに暮らしてる人だと、それの1個目の終わりの始まりが、ブレキシットでしたね。
完全に、もう明確に未だに覚えてます。その1日目、イギリスにいたんですけど、
インターン中で戻ってきたら、ロンドンの人だったらほとんどもうブレキシットなんかやりたくない人だらけなんで、
まあ本当に応用されたのはもう10年後とかですけど、がっつりその地生活が変わるっていうのが分かってたあれだったんで、もうオフィスがどんよりすぎて、やばかったです。
やばかった。それはね、きつかった。え?みたいな。ブレキシット勝つの?みたいな。ああ?みたいな。からのトランプ敗戦も一生忘れないな。起きたら、え?みたいな。
接戦だと思ってたけど、負けるんだみたいな。そっからもう慣れたかな。そっからの敗戦は、まあこっちから見たら敗戦は、雰囲気変わったんだな。
じゃあそのブレグジットも2014とか、で、トランプが最初が2016とかだっけ?ブレグジットは2016。やっぱ16がキーだね。
2016年で、で、たぶん、そうですね、トランプの勝利も2016年だと思います。ああ、じゃあ来てたんだ。で、大体なるのはもうちょっと後だと思うんですけど。
で、僕がその雰囲気を語るときに、前のエピソードでたびたび言ってたエリートの話っていうのの問題と、さっきつかすさんが言ってた誇りの問題っていうか、その中間層っていうものが2000年代開けてからどんどんどんどん崩壊していくっていうものがニュースにもならずに見えていたはずで、
で、たぶんその2016年のもっと前の予兆としては、2008年にリーマンショックがあったときに、政府っていうのは結局金融機関っていうかその権威側を保護したみたいなのがあって、で、なんかオッキュパイウォールストリートみたいなのが起きたりみたいな、だからその、あの辺から少し結局は権威を持ってる人とかエリートみたいなものっていうのを救うんだっていう空気がありながら、
で、実感としてかつて中3階級って言われてた人たちはこの先良くなるとは思えないみたいな状況にどんどん持っていかれるみたいな、なんかそこの空気がずっと続いたところでやっぱりドンってこう2016年来たみたいな感じがあって、
ブレグジットとトランプ
で、実際その選挙の行動で局部的な感じになってったのとかっていうのはまたそっから何年くらいかかってんだ、5年とか6年かかってるっていう、なんかそういうイメージなんだよね、で、ありながらもその世界情勢とはまた別なところで、あのさっき言った環境の話だったりとか、
まあいわゆるジェンダーのものとかも含めた人権みたいなものっていうのは、あのマーケットとちゃんと手を組みながら広がってるように見えたので、まあいわゆるリベラル的なものっていうのはさ、水面下ではそういうことが起きてるのに、まあ僕が立ちから見えるいわゆるリベラル的な未来みたいなものっていうのは進んでたんで、だからなんか気づきづらかったよね、
なんだけど、ちょうど2025年が選挙シーズンって僕分かってたから、2023年ぐらいには、あ、なんかここで終わりそうっていうようなのがすごい感じてて、やっぱり実際今年いろんなものがガタガタガタガタ、はい、リベラルさんの今までの夢、終了みたいなバサッと下ろされた感じが今年すごいよ、それは近い?
いや、僕って、今の話聞いてると、僕ってナイブなんだなって思っちゃう、その、認めたくない自分がいるんだなーっていうのがあるんだなーって、そっちの方が個人的な話になっちゃうんですけど、でも世代的な問題もあると思いますよ、あの、僕のちょっとしたからつかささんの世代と、僕より上の、僕から氷河期までの世代っていうのはかなり感覚違う、うん。
感覚違うと思うんですよ。
おもしろい。全然、いや、あるんだろうなって思いつつも、自分のことなんで全く、いや、どうなんだろうみたいな。
なんかZ世代とY世代というか、なんか竹田ダニエルさんが出てきた時に、竹田ダニエルさんすげえいいじゃんって思ったんですよ。なんかツイッターでずっと喋ってる人の中で、すげえまともなこと言う人出てきたと思ったんですよ、僕。で、本も読んだし、でも同世代以上の人で竹谷さんいいねって言ってる人聞いたことないんですよ。
えー、そうなんだ。
で、なんか、僕に仕事くれる編集者の人とかと話していて、竹谷さんいいですねってなる人全員、つかささんぐらいの世代の方で、言ってることの感覚みたいなのが多分、あんまりわからないんじゃないかなと思っていて。
で、例えば僕がここ最近、フェイニーズについて話したりするようになってると思うんですけど、僕より上の世代の人はとはいえっていう話をみんなするんですよね。
だるっ。
いやでもすげえわ。
だるっ。
一貫としてわかるよ、上世代。
めっちゃだるっ。
そう言うと。
マジでか。
でも若い人にとはいえって言われたことないよ。
とはいえはないですよね。
うん。さすがに。
で、多分僕が所属してる世代の加減が僕なんですよ。本当に。
僕よりちょっと若い人たちから多分、つかささん的な感覚になっていくから。
だからその、世代的な既に、基盤的にもともと既にリベラルな感覚を持っている人たちの世代が、多分、つかささんの世代なんだろうなと思っていて。
僕より上っていうのは、リベラルなものをお題目として押し付けられたって感覚がある人たちが多いんだと思うんですよね。
やらなきゃいけないよ、みたいな。
そうそうそうそう。だからすごくリベラル的なものに対する反発の、とはいえみたいな。
その俺たちのことホモソーシャルって攻撃するけど、とはいえみたいな。しょうがねえじゃんみたいな。
でも批判されてるポイントそこじゃないからね、みたいなのが結構言ってくるみたいなのがあるのは、
ちょっと世代的なものがあるから、別につかささんがナイーブだからみたいなことはないと、僕は思うんです。
見えてる風景がそもそも全然違うから。
世代的にそう、ある意味ナイーブって言葉を使い続けるんだったら、僕の世代の見えてきた世界線によってナイーブな人になるんだろうかな、みたいなのはありますね。
ポジティブで見たいみたいな。そっち方面で。
それをなんていうのかな、約束しきれなかった世代的責任みたいなのがやっぱあるだろうなと思っていて、
あとたぶん僕らの世代ってベンチャーブームとかもあって、
ベンチャーブームみたいなのが非常に良好儀性を持っているなというか両面的だなと思っていて、
すごく伝統社会みたいな伝統的な日本みたいな家族主義的な日本とか、
世代間のリベラル感覚
就寝雇用的な日本とか、飲酒がいっぱいある日本みたいに対してすごく破壊的なというか批判的だった。
特に小泉政権みたいな、自民党ぶっ壊すみたいな。
日本社会の悪いところを全部ぶっ壊していけば、日本また良くなるんだみたいな感覚の中で、
みんなベンチャーに入っていって、上手くいった人もいれば死んでいった人もいると思うんですけど、
みたいな感覚があったんだけれども、その人たち、僕らよりちょっと上の、
僕らがそこ、それも下限だと思うんですよね、僕らの世代が。
ベンチャーに入っていったりとか、起業した人たちみたいな人っていうのが、
僕の観察ではみんなすごく価値的保守になっていったんですよね。
結局リベラルは、みたいな話をみんなするようになった。
それは金主との問題とか、ベンチャーキャピタルとの関係とか、
のし上がってきた人たちを政府の審議会に入れたりとか、政治家と仲良くなったりとか、
その許認可の問題とかがあるので、そういう価値的保守の人たちと
ソーシャルサークルを連合することみたいなのの、実務上の問題もあるので、
そのコミュニケーションの中でそうなってきたみたいな側面もあるのかなと思うんですけど、
でもアメリカに行ってみたら、テクエリートみたいなのがやっぱり価値的保守に傾いていくみたいなのもあるから、
もしかしたら世界的な問題として、自分たちが若かった時は、
あれも嫌だ、これも嫌だなんだけれども、自分たちがおっさんになった瞬間に、
とはいえみたいな話を見なし始めるみたいなことはあるのかもしれないっていうのはすごい感じますね。
今、つかささん世代の人に僕がシンプルに質問したいのが、
つかささん 僕、代弁者になっちゃうんですか?
代弁者としてだけど。
つかささん しょうがないな。
リベラルとネオリベ、新自由主義っていうものとリベラルが明確に違うと思ってるか、
それとも何か双子のような関係に感じてるのかと、どっちに感じてる?
ネオリベって、
日本のネオリベってすごい保守に見えるから、絶対別じゃないとか思っちゃう。
つかささん 世界の事例で、いわゆるリベラルと言われるような思想の延長線上にあるネオリベってあったりするんですか?
確かにこれ、なんかいい記憶だなって思うのが、
雰囲気がリベラルだったときは、ネオリベとリベがもっと身近だった感じがするんですよ。
つかささん さっきのテックの人たちの勢いとかも結構、未来が良くなる。
ぶっ壊してスクラップ&ビルドしていけば未来は良くなるっていう意味では、
リベラル的なものもネオリベ的なものも一致団結してたような感じはしてる。
めっちゃあります。
つかささんに高校生とか大学生の時とか、そういったネオリベなことをやりたい人で、ベンチャーで新しいものをしたくて、
ソーシャルイッシュではすごいリベラルみたいなイメージはめっちゃありましたけど、今はもうイーロン・マスク様で。
その頃までは、個人っていうのはテックっていうもののパワーを与えるとすごく主体的な選択をして、
その人たちがよりよく自由になるみたいな意味でのリベラルをお互い信じてたと思うんだけども、
そこによっていろんな階層が生まれていって格差が生まれていっていきながら、
リベラルっていうその思想の全体像っていうのは経済というよりはむしろヒューマンライツの方に、
それこそフェミニズムに寄ってったっていうところで、なんかネオリベとリベラルっていうのは明確にこう全然違う思想形態に僕は感じていて。
すごい今触れたかったことにうまくちょっと繋がるとこなんですけど、
日本の政治状況の考察
これはまあ超個人的な見方なんですけど、日本ってまさに今説明してくれたイメージ通りで僕も、
ネオリベとかベンチャーに行った人からだんだん保守になって、
最低限のラインのモラルでもないですけど、僕からしたらさすがにそこまでいかなくて、
ちょっと人権とかの問題あるからこっちに入れようよみたいな、
これは主観的だけど常識みたいな感じが感じ取れない。
YouTubeのコンテンツとかも全部そうですし、見た感覚的に。
すごい切れすぎる伏線回収かもしれないんですけど、前半で話したフランスでの教育だと、
すごい若い頃からなんかそういった平等とか自由とかを叩きつけられて、
いい意味でなんか洗脳、洗脳と言うべきじゃないな、いい意味だったら、
すごい影響されることによって、これもなんかデータとかで立証するべきなんでしょうけど、
フランスとかだったら、かなり金持ちで、お金は優先、お金が第一優先だが、
このラインは超えちゃダメだよね、倫理的にみたいな感じで、中道サハに入れる人はすっごいいるんですよ。
もっとサハはその中道サハを批判するっていうのはよくあるパターンで、
ネオリベだからサハじゃないじゃんみたいな感じで、でもある一定数の中道サハは常にいるんですよ。
右行きすぎたらさすがに、みたいな感覚で、金は大事だけど、その金を第一にしたら暴走しちゃうじゃんっていうのはちゃんと理解している。
その層が日本にめちゃくちゃないなっていう感覚はめっちゃあるんですよね。
やっぱり、勝手なペルソナは僕脳内で作ったんですよ。
ペルロさんがさっき話したとき、ベンチャーに行って、お金すごい大事で、補修貸したっていう人たちは、
一切そういったラインがない、自分のこれは守るべきラインっていうのがないから、
人によってはもう賛成党に入れちゃったり、脱税とか、コロコロかかる国民党がすごく魅力的に見えたり、
で、脱税とか議員によっては言ってそうだけど、しなさそうな立憲には絶対入れないみたいなのは、すごい雰囲気としてはあるなと思ってて、
そこは確かに、イギリスではそこまでない気がしますけど、フランスは明らかにそういった、
よくも悪くも、ある意味ディスタンクションかエリティスム的な、そこを譲らないみたいなのはめっちゃありますね。
だから、ヨーロッパ、エリートがヨーロッパを見たのか、シリコンバレーを見たのかの差なのかもしれないなと思って。
僕はそれはすごい、ヨーロッパから出育った人見てる人はすごい悲しいんですよ。
政治と価値観の違い
もうみんなアメリカを見ちゃったよみたいな。
僕のフランス人の知り合いは、結構みんなマクロンを批判するんですけど、
僕からすると、でもなんか最低限の境地ある人だよね、マクロンって思えるんですよね。
だから、そこの感覚が、だからあいつはネオリ米の金融屋のクソ野郎だみたいにみんな言うけど。
それはお友達がみんなやっぱりさ。
ヨーロッパ まあまあそれはそうなんだけれども、マクロンをそのように表彰することはあり得るだろうなとは思うんですよ。
ヒラリー・クリントンも金融屋のクソ野郎だみたいな。
そうだけど、でもなんか一線というか、境地みたいなのがやっぱあったよねみたいなのはやっぱ。
ヨーロッパ マクロンは絶妙です。
かなり局を、まあ局が強くなりすぎたっていうのもあるんですけど、局が強くなったからかなり今大臣やばいですから。
ヨーロッパ かなり、なんか日本だったら安倍派の中道とか言ってるのに、安倍派ゴリゴリの安倍派の人内閣省っていうのかな。
ヨーロッパ でもそんなこと言ったら日本は安倍派だけで内閣省ってわけですかね。
ヨーロッパ そうですよね。
ヨーロッパ そうですよね。
ヨーロッパ まあでも相対評価だと思います。
ヨーロッパ 私は中道とか言って勝つために、フランス大統領選って2ラウンド制で、1ラウンド目の2人、上位2人が2ラウンドで行くんです。
ヨーロッパ 決勝になるわけです。
ヨーロッパ 3位が極真サハのメロン賞だったんですけど、この人が3位だったんで、この人の票をどう取るかなんですよ。
ヨーロッパ マクロンはその人たちの票取りたいから、その当時は本当なのかなとか思いつつ、
ヨーロッパ すっごいグリーンエネルギーとか人権とかの話、めちゃくちゃ特にリニューアブルエネルギーの配算者は本音みたいな、
ヨーロッパ ちょっと変わるのかなみたいな感じだったら、もう一切何もしてないんですよ。
ヨーロッパ だから裏切られた感もあって、すごい批判してるんだと思う。
ヨーロッパ あいつみたいな。
ヨーロッパ 分かった、マクロンに入れてるんですよ。極右はマクロンだったんで、
ヨーロッパ みんないやいやマクロンに60%70%入れて、裏切られたからすっごい怒ってるんだよね。
ヨーロッパ 怒ってると思うんですけど。
ヨーロッパ だから最低ラインはあるよねみたいな。
ヨーロッパ 最低ラインはあるなと思ってて、だから僕はすごい、だから今回の日本の選挙とかで、僕すごくどうなんだろうと思ってたのとか、やっぱあのなんだっけ、チーム未来?
ヨーロッパ ああ、はい。
ヨーロッパ がちがちのテクエリットじゃないですか。
ヨーロッパ で、まあ本心どう思ってるのか僕わからないし、めちゃくちゃ彼らのこっちで調べたわけじゃないけど、じゃあチーム未来が人権問題に配慮するかっていうと、
ヨーロッパ いやそれはいろいろ格論ある、いろいろな可能性一つなんでみたいな態度に出たのは、あの極めて日本的というか、どっちかというとアメリカを見た動きだなって思う。
ヨーロッパ そのラインがないのが僕の中では永遠のカルチャーショックですね。あそこまで許容がある人なのにみたいな。
ヨーロッパ 要はその矜持の部分だよね。その矜持がなくてもその合理性とか、その機能だけで突破できると思ってるエリートがっていうところが信じられない。
ヨーロッパ 信じられない。
ヨーロッパ しかも彼がそのチーム未来の、僕は彼の真意がどこにあるかわからない。で彼はそのただの状況分析としてそれを話したっぽいなって僕は理解してるんですけど、
ヨーロッパ ベンチャーが、もう今ベンチャーキャピタルがどんどんベンチャーにお金を入れるみたいな時代じゃなくて、企業がレッドオーシャンだから能力がある若い人は政治に来いっていう話をしていて、
ヨーロッパ そういう感覚やねんなっていうのが結構ショックだった。じゃあその人権問題どうするのかとか、日本の国勢が今後どうなる、日本の50年100年どうなるみたいなところで来てるわけじゃなくて、
ヨーロッパ いやなんかこの辺の課題全部テクテク解決できそうだなっていう感じで、そのベンチャーのノリで政治やってるんだみたいなのは、どっちかというとやっぱアメリカのシリコンバレー的なテクカルチャーの流れっぽいなと思っていて、
であれをそのどっちかというとサハダと分類して応援している人たちに対して、僕はかなり懐疑的なんですよ。
ヨーロッパ なんか彼はさっきのテーマに挙げた民主主義っていうものをアップデートするアイデアを発信しているように見えていて、
民主主義を要は選挙の1日だけで、2週間だけで終わらせるんじゃなくて、毎日を民主主義にするんだっていうことによって、ネットワーク上で市民が自分たちで政策みたいなものをどんどん書き換えたりしながら、
実際政治自体の中身を市民たちがいじるみたいなことをやってて、AIによってそれをサマリー化していって可視化するみたいなものをテクノロジー作るみたいな、そういうことを言ってるのとかは人を引きつけるだろうなと思う。
ヨーロッパ それはさっき言った賛成党のやり方で立憲もやってくれたら勝つのに、みたいな。
チーム未来が持ってるパーツとしてのアイデアみたいなものを誰が実装するのかっていうところの、誰っていうところを信用する気持ちっていうのはさっきの人権のようなものや、そういう扱い方するんだっていうがっかりさで、チーム未来自体はないと思っちゃうんだけど、
でもパーツとして見たら1個1個、それ自民がやってくれたらよくねーとかさ、そういう話なのかもな。
選挙の投票行動
だからやっぱりモジュールとしてはいいものが発見するのだが、じゃあモジュールを実際組んで実装して動かすっていう人たちがもう日本には見えないみたいな感じがする。
だから今回その民主主義を扱うときにチーム未来のあの事例っていうのは僕も1回話したいなと思ってはいたんだけども、でも室さんが言ったそのそもそもの前提の話を彼らとできなさそうな感じがするっていう感じはすごくあるよね。
それはわかんない。急遽的にはわかんない。彼らが何を考えているか。
でもそれもずるいんですよ。それは批判ではない。それは本当に状況としてずるいのが、チーム未来の話どこでしたって彼らが何を思ってるかわかんないみたいになるじゃないですか。本位はわかんないみたいな。
庵野さんはおそらく夫婦別姓は実現したいけど、まあでも都内では色々な人がいるから毎回そんな話になるから。
でもそれこそそこは民衆の総意によって決まりますみたいな、要は自分の主体じゃなくて言いたいっていう思想は感じるんだよね。
いや感じますけど、まあこれは僕の主観的な話なんですけど、夫婦別姓はもう言い切っていいのではみたいなのは言われ、そういったことをリベラルは言って、僕はそれは賛成になっちゃいますね。
夫婦別姓をコトサラ人質のように質問を突きつけるあのムーブっていうのはどういうところから生まれてるの?
当たり前にそのぐらいはイエスって言ってくれよって、なんでそこを堅く何能って言うんですかっていう気持ちがずっとあったからなのか。
庵野さんに関しては、それをもっと参院選に出るまではもっと言ってたのに、
いや、とどしたんだ。
そう、とどしたのがあるから、あるんじゃないのかなと思っちゃいます。
なんかすっごい避けてる、こんな感じで避けてる感じがするから、うーわみたいな、ってなっちゃう。
で、なんか逃げれるから、いや本人はどう思ってるかわかんないかなみたいな、おそらくそっちだけどみたいな。
そういう不審感がすごくそのディティールによって積み上がっちゃってる。
しかもそこまでたった1議席なのにそこまでなんか解像度高まってる自分も嫌だし、
チーム未来を出してなんでそんな解像度高まってるんだよみたいな、いいしなんでもみたいな。
でも高まっててしかるべきだと思いますね。
だって何年か前に賛成党が1議席取った時に高めておけばこうはならなかったと思ってて、
僕は同じだけの危険性があると思ってる。
賛成党はダメでチーム未来が良いということには多分ならないと思うんですよね。
彼らの持ってるリスクは多分本質的には同じもんだと思うんですよ。
我々の社会に対する非常に基盤的な、基礎的な彼らのイデオロジカルな立場がないから、
なんだって言うから、それはわかりません。
それは格論あるんで、もしくは言い切るんだけど、
今日言い切ったことと昨日言い切ったことと明日言い切ることが違うみたいな、
それは本質的には同じ問題だと思うんですよね。
だからトランプが取った手法のポピュリズムのやり方の、
左派的な立場なのか右派的な立場なのかの形かなと思っててば、
その時の主要面を読んでこっちこっちっていうのを平気でできる人っていう危険性の話だよね。
それは3政党もチーム未来も同じような部分で感じるって話だよね。
チーム未来の方が強いですよ。
基礎のほとんどの政党で感じる。
そう思うよ。だからなんかじゃあ自民は全部同じ。
だからそれをやってないのは、僕の理解でそれをやってないのは、
自民共産社民だってなってくるんですね。
だからすごくクラシックな人たちはやってない。
で、誰も信頼されてないですよ。
言ってることブレてないのに誰も信頼してない。
だとするとどっちが危険なのっていう話も面白いよね。
そうなんですよ。僕はこの新しい政党の方が危険だなと思ってて。
そうなっちゃうよね。
だからちなみに今回僕こんな話を聞きながらちゃんと開示すると、
今回の参院選を僕全て自民に入れたんですよ。
その理由が今のに近いっていうか、とはいえの年代の僕なんですけど、
今ここまで来ると実際もう洒落になってないので、
自民ちゃんとしてくれっていう意味で、
自民内の右と中道と左派の中でちゃんとバランスとって、
リアルに今解決すべきことはあなたたちは実効力があるんだからやれっていう意味での今回は表で自民入れた。
でそのチーム未来だ、あの賛成党だっていうことがもうあれがテーマなのも分かってるんだけども、
そこの1票だ2票だ1議席だ3議席だそういう話のところで、
自分のエオロギーとくっつけて喜んでる場合じゃないと思って。
もう実際国を動かすのは官僚と自民党なんだから、
お前らちゃんとやれみたいな意味で俺はコミットするから見るよみたいな、
そういう意味で俺は自民に入れたんだけども。
依存関係になるぞみたいな感じですかね。
僕は今の状況って本当に2016年以降、
民主主義の変容
本当実行する人たちの選ぶカードによってかなりいろんなものが変わると思ってるから、
選挙みたいな祭りのところの話じゃなくて、
日々の選択、日々の意思決定みたいなものを本当にシリアスに考えたいって思ってると、
やっぱり普通に自民と官僚を見たくなるみたいな、なんかそんな感じ。
だから雰囲気が変わったって本当俺の中でそれだね。
だからやっぱ環境問題とかみたいな、
ある意味人類の理想みたいなものを語ってよかった時代から、
かなり日々リアルなことが立て続けに起きる時代に入っちゃったと思うから、
だからある意味あの良かったリベラルの鼓動が懐かしいみたいな感じに入っちゃってる俺は。
みたいな感じかな俺のその雰囲気に対する今の僕の実感は。
雰囲気の話だったんだね。
なんていうかコミュニケーションを上手にしよう、こういうふうに分かりやすく言おうとか、
新しいメディアを使おうみたいな話も非常に分かるんです。
それがもしかしたら大事かもしれないと思うんですけど、
僕はなんかそれによって意思決定されていく、つまりなんかバイブスで意思決定されていくように、
ゲームがチェンジしたこと自体があんまり良くないんじゃないかなと思ってるんですよ。
そういう言語化のうまくないは素敵だなと思います。
だからドーパミンとくっつきすぎてる感じがすごいするっていうか、そこを発掘されまくって。
であれば分かりにくくて権威主義的だった方が良かったっていう感じなんですよ、僕からすると。
それが分かりやすくて、よく分からんものその時のバイブスでどんどん話が変わっていくぐらいであれば、
分かりにくくて権威主義的なものでうんうん言いながら、
これがもしかしたらどうにかなるかもしれないって思いながら投票してた方が全然良かったって思ってる。
同意なんですけど、現実そうじゃないし、現実それしなければ負けるんですもんっていうのが僕の立場ですね。
だから俺ほんとチーム未来的なムーブメントや賛成党的なムーブメント、
あとそこをアリュー的にかつてのっていう意味でのその左派の人たちっていうものっていうのの自体のアレルギーみたくもはやなってて、
かつての権威主義みたいなものに乗っかった方がマシだった的なマインドがやっぱすごい高まってる、俺も。
じゃあそれを価値的保守というのかって言ったら違う気がしていて、
市場における参加
ある意味今のすごくアンチテーゼ的な行動でむしろ保守に入れるみたいな、そういうねじれが起きてる。
しかもなんか今の自民だったら本当に2、3年前の保守の定義と今の自民の保守ちょっと違うし。
むしろリベラルかもしれない。
だから安倍政権あって岸田政権あって今の石破政権っていうものはむしろ僕からするとリベラル。
僕そのラジオでも参院選の話したんですけど、まさにその話でなんか絶対立憲か共産入れてそうなゲストがなんか自民入れたって言ってくれて、
やばみたいな、まさに似たような。
どう考えたって今石破総理であることって自民っていう全体の中で言ったらすごくよくわからない、
さっはとも言えないというか、よくわからないポジションが初めてなった感じがすごいして。
おかしいぞ。彼の歴史認識とか憲法に対する解釈とか国防とかに対する意識とか外交ポリシーとか全部ウハなんですよ。
全部ウハなんですよ。
立ち位置上。
全部ウハなんだけれども、多くの政党が彼より右に行ってしまってるじゃないですか。
相対評価。
相対評価だとリベラルっぽくねってなっちゃうわけですよね。
あとあれもなんかいろいろ繋げすぎかもしれないですけど、石破さんもなんか最低のラインがありそうみたいな信頼ありません。
だから僕が自民を信用するのは最低限それだね。
ツイッターで僕そんなのいっぱいありますもん最近。
なんかいやいやリベラル、サハーっぽい人がいやいや石破を評価せざるを得ないみたいなツイッターめっちゃ今。
人はまともだからねみたいな。
僕はかなり普通に彼っていう存在を信頼してるよね、人間的に。
だってやっぱり居続けた人だから、あの自民の中から居続けた人のあの迫力って外からワーワー言ってる人とは僕の信頼のその度合いは全然違うっていう。
それ悔しい僕言いたかった。
確かに。
ラジオでも言ってないわそれ。
そう。
だからまあ名前が見えないけど、そこの今自民党とか政府の方というよりは今官僚の方にすごく僕はエリートの話をよく言ってるのはそれで、官僚をマジで頑張れって今特に思うって感じかな。
でも難しいでしょうね。
政治で関与を彼らには僕らは国民としてできないんだけども、官僚が本気で今のシリアスさを認識して、頭のいい彼らが勇気を持った行動を取るっていうのがすごい大事な気がした。
でもたぶん僕らが子供の時に官僚やってた人たちっていうのはもう今みんなPCGにいると思うんですよね。
へー。
てことで。
だからその官僚の内的なものとかもかなり変化してるんじゃないかなと思って、なんか僕が言われたのは、そのもう僕の世代の人たち特にその専門職系の人たちっていうのがやっぱすごく人材流出していく。
はい。
まあ初めに夢を持って入ったというものの、組織主体制とかまた報酬の面では全然民間には及んでないので、同じ能力があればじゃあ外務省からいて、PCG転宿しましたよみたいな。
費用が下手したら10倍とかになるわけだから、たらやっぱ残らない、その30代の人たち残らないんだよねみたいな話をやっぱ聞くし、実態がどうかは僕もちゃんと調べたわけじゃないんでわからないんですけど。
劇文ですね。
そうめっちゃ劇文ですから、みんな寝てないから。
で給料低い。
だからしょうがない、じゃあ官僚の給料上げればいいのかっていうのもまた絶妙な問題で、問題だなと思うので、難しいなとも思うんだけど、じゃあ官僚がエリートだから頑張れみたいなのを相当難しい局面にこの20年ぐらいでなったなっていう感じかな。
特にほら安倍政権下でその官僚の人事権みたいなのがもう完全にその首相官邸に来ちゃってるみたいな問題もあると思うし、じゃあそのどんな政府でもその政府に従わなければ出世もできなければもう下手したらクビになるみたいな状況の中で、
じゃあ教授を持ってどうにかやれみたいな、みんな人生もあれば家族もいる中で、国のために戦えみたいなことをそういう官僚に言うのも酷だなみたいなのは僕はあるから。
自由市場で好き勝手やってるやつらがね、自由市場じゃなくて公のためにやって給料少ない人にとにかく言える立場じゃないよね、そもそもがね。
そもそもがね。じゃあそのベンチャー界隈ですごく成功してブイブイ言わしてる人たちが、じゃあそのリベラルは儲からない、今なら右派だみたいな感じで、官僚に圧迫力かけるみたいな状況とか出てきてる中で、
じゃあもう頑張れみたいなこと言うのも酷だなと思っており、じゃあどうすりゃいいのかっていうと、もう全然わかんないなと思ってて、全然わからないけど、ほっとくと崩壊していくだろうなと思うんですよ。
何かリマカブルなことが起きなければ、たぶん後は崩壊していくだけだろうなと思っていて、崩壊していくと政府の代わりをする、我々が必要なことっていうのはあるので、政府に求めることっていうのはあるので、政府の代わりをする人たちは出てくると思うんですよ。
インフラの整備だったりとか、社会保障だったり、子育てをどういうふうに支援するかとか、高齢者の介護をどうするのかみたいなのを、たとえば民間主導でやり始める人たちがいるとかNGを主導でやり始める人たちがいるってなると、政府を代替してる人たちの大きさに国家が切り替わっちゃうっていう話になるんだろうなと思っていて。
でも一番弱者がそれを使えないサービスになりやすいとは思いますけどね。民営化することになると。
民営化すると多分なるんだろうけど、それを欠持つ人たちっていうのが現れるんじゃないかなと思って。例えば朝鮮を担ったりとか、国防を担ったりとか、そういうことをする人たちの集団に。コロンビアとかそうですよね。
めちゃくちゃやってますけど、ベネズエラとコロンビアの国境あたりにいる反政府勢力とかは金を採掘したり、麻薬を作って、それをアメリカに売って金に金にして銃を買って、そこでもう政府みたいな動きをしてるわけだから。
そういう話、だからユートピア的に全ての弱者を包摂して新しい国を作りますよみたいなこと多分起きなくて、切り捨てられていく人たちが出ながら、その大きさにまたリストラクションされていくっていうことがおそらく起きるんだろうなって思ってる。
なんか今どうなっちゃうのかの話で、ちょっと後半戦ですごくやりたかった、むっちゃオルタナティブなぶっ飛びネタちょっとぶち込みたいんだけど、7年前ぐらいに僕がやってるメガヘルツっていうところでやってたポッドキャストで、1回やった試行実験なんだけど、僕がやってるメガヘルツってどういうチームかっていうと、いわゆる漫画絡みのデザインやったりとか、漫画絡みのマーチャンダイズやったりするチームなんだけど、
そこでハードコアSFの作家の二平須藤さんっていう方の、僕はもうブックデザインとかもやってきた人の、その東亜重工っていうもののプロダクトをずっと出してたんだけど、その東亜重工って何かっていうと、政府よりもでかくなってしまった企業が、あの二平さんの作品のあらゆる物語にスターシステム的に出てくる東亜重工っていう企業があるんだけど、
その、じゃあ政府よりもでかくなった企業をSF的に描くと二平須藤さんのような世界があるんだけども、僕がさっき言ったポッドキャストでやった試行実験は、じゃあ現代において国籍を全員が奪われたっていう前提で、どこかの企業1個だけ選んでそこの国民になるっていうのを選択するのはどこを選ぶっていう試行実験やったんですよ。
あー、グーグルかな、任天堂かな、とかいろんな話したんだけど、自分の全データを預け、自分の経済的なものやライフログをすべて預けた上で、そこの被害のもとに生きるとしたら、どの企業を選ぶっていうのを1回やってみたんですよ。
それ面白くって、例えばだけど、今ってイーロン・マスクも別に暴力装置は持ってていないので、警察や軍隊、持ってないけども、もし彼が金融とか情報をすべて集める装置と、あと暴力装置持ったら、ある意味さっき言ったコロンビアの政府、民兵の、民間の政府みたいなのもできるわけじゃないですか。
じゃあそこは福祉もやりますとか、自分のインフラに関しては責任を持ちますとかってやったら、それってある意味、日本人でも参加してもいいんだったら、そのイーロン・マスクのやってる何かしらの国民として参加することもできないわけでもなさそうって考えたら、これ試行実験として面白いなと思ってて、すっげー雑なんだけど、企業をどっか選べって言われたらどこに所属する?
中国で言うgマシン用みたいなもんだよね。自分の、要は信用スコアがすべて取られて、そこで振る舞うとして。
これガチに考えれば考えればとも難しい気がする。なぜかというとその、なんていうの、フィクションだと、生と死をそんな意識強くできないじゃないですか。
本当に本当に本当にそのパラレルワールだったら、おそらく自分が今、今ここのスタジオで、こことか言うより、もっと理想じゃない。もしかしたらXみたいな。リアルなのね。リアルになるから、どれぐらいそのリアリティをインストールするかがかなり難しい気がする。
なんで今このテーマの中で持ち込んだかっていうと、今その民主主義の形って従来の民主主義のことはかなり変容したような参加し方してるなと思いながらも、マーケットにおいてはかなり民主的になってるなって思うんだよね。
僕らはこの企業のこの商品を買うっていう形での投票で参加していて、そこの企業が気に入らないなと思ったらライバル企業を買うこともできてっていう、別に選挙をやってるわけじゃないんだけども、株主でもないんだけども、消費者は株主のようなムーブでそこの企業体に対して影響力を持ててるじゃないですか。
だからなんか今、政治は民主的なところからいろいろ離れながら動いてるけれども、なんか全然関係ない。経済のマーケットってすごく一人の民が民主的に参加できる、主体的に参加できるような装置になってるなと思ったから、そう考えるとそこに政治的なものがくっついていけば、
むしろ政治で考えるよりはマーケットの方で考えた方が、なんか民主主義の話できそうだなと。誰も政治に興味持ってないっていう意味で言ったら別にそういうつもりじゃないんだけど、ほぼ全員がアマゾンで買うか楽天で買うかみたいなものをとても民主主義の
でもそれ今のだけでおもろいですよね。アマゾンか楽天どっちみたいな。そうそうそうそう。で、それは安いから高いからサービスが適してるからっていうのに加えて、何らかの思想的な趣味が入ってるじゃないですか。めちゃくちゃおもしろいじゃん。
消費者の力
だからすごくここの話って、僕が思う民主主義みたいなことを80億人がやれてるエリアだと思ってる。できそう。興味を持ってないマイルドヤンキーだろうが、めっちゃ意識の高いSFC卒業者だろうが、みんな当たり前にマーケットにおいては投票行動をやってるみたいな。
って考えたら、自然に参加してるここのマーケットに国防とか福祉とかいろんなものがくっついた世界があれば、人ってそれ民主主義的な何か国境すら超えんじゃないか。楽天めっちゃポイント止まりそう。それポピュリズム的にさ、ポイントで誘導するところもあればさっき言った教授とか理念みたいな。だから今アップル製品買い続けてる人って決して利便性で買ってないじゃない。
アップルいい線なんですよ。そうでしょ。でもこのゲームを真面目にすれば自分のつまんなさが出ちゃう。市場経済が民主的だっていうのは僕はかなり懐疑的で、それは一人一票じゃないからですよね。強いやつが勝つ弱いやつが負けるっていう。競争原理の支配する世界だから、その競争原理が支配する世界って普通に弱いやつが負けるんですよね。
デイビッド・ハーヴェっていう学者がいるんですけど、彼がネオリベラリズムについて新自由主義について考えてて、非常に面白いことを言っていたんだけれども、リングの上をノールールにしたらいいっていうのがネオリベラリズムの考え方だと。
リングのノールールに。グローブをつけないとか噛みついちゃダメとかね。で、例えばボクシングにおける階級差みたいなヘビー級とフライ級みたいなのを格差をなくせばいいといったリングの中ではみんな平等ですってやったら普通にヘビー級のボクサーがフライ級のボクサーをボコボコにできる世界になっただけだと。
で、ボクシングと違ってでっかい方っていうのはちっちゃい方を吸収していけるので、どんどんでかくなるボクサーとどんどん死んでいくボクサーになるっていうのが新自由主義的な考え方だと。これ市場経済の考え方ってそうなるっていう。政府の介入がなければそうなりますっていう話だなと思っていて、それだと弱い人たちは生存できなくなり、マルクスの言い分を信じると絶対にそうなるので資本主義経済をやっている限り。
強いやつと弱いやつになるんですよね。で、それって普通に中世の支配原理だから民主主義的じゃないんですよね。だから今我々が政治的にようやくフラットになったので市場経済にあたかも民主的に参加できるような状態になっているんだけれども、これを政府の介入っていうのをなくした瞬間普通に中世に戻るだけなんですよ。
今は均衡してるからアマゾンとか楽天とか言ってられるけれども、このゲームを繰り返すとアマゾンしかなくなった世界があるともう中世になる。
中世になるし、アマゾンと楽天の2つだけになってるのももうすでにやばくて、アマゾンと楽天だけっていうか、例えばもう田舎ではイオンしか選べないとか、ユメタウンしか選べないみたいな人たちが出るとすでにもう同じユメタウンに支配されるしかない状態になる。
我々は職業を今は選択できるからオッケーだけど、働くのもユメタウンとか働くのもイオンとかになってくると、イオンで働いてイオンで消費するしかない人たちになってくると、それはもうイオンの濃度になってしまうと同じことなんで。
なんかなんか人はそれを求めそうな気がすごいしてるって感じかな。今のような複雑なものを考え続けて複雑なものに向き合わなきゃいけないことよりは、自分が見える範囲のイオンの中でイオンの濃度として濃度と言われずに消費と労働を繰り返すみたいなものの方が幸福論的に選びそうな気すらしてるみたいな。
それはディストピアなのかどうなのかって人によって見解分かれると思うけど、僕はディストピア的な意味ですごくあり得るなと思う。
見合った。
僕は単純に意識低く、意識低く、すっごいこのゲームをしたいんだけど。
楽しくないこれ。
めっちゃいい。
そうやって中国と同じことになるわけ。だからジーマ信用のように自分のライフログも全てスコアを、その信用スコアみたいなものを例えばAmazonに登録したらこういうルールになるとかみたいな。
別に今ソニーとかそういうのやってないけれども、ソニーに参加するっていうことはそこのシステムっていうのは一緒にくっついている楽天のシステムで動いてますみたいな感じで、多分そういうジーマ信用のような形でのそこに参加するってことはこうなる。
ってなった時になんかポイントがどうだとかじゃなくて、人ってさっきの教授になるようなとこで選ぶような気がしてて、なんか楽天怪しいぞとか、なんかAmazonの方がいいぞとか、最後やっぱみきたんさんの方が裏切らなそうとかって言って自分の。
でもそうだと思います。僕も確かに今Appleいいかもって思った。なんか生きる生きないみたいな話のレベルで話すと、なんかAppleいい線かもとか思っちゃうんですよ。まあ一番まともな方かなみたいな。
AI戦争では今さ落ちぶれてきてるけれども、言うてAppleの最後持ってるあのジョブズが作り出したあの教授みたいなもので、僕らの理想を最後作ってくれそうみたいな。エコシステムもあるししょうがないかみたいな感じでApple人になるかもしれない。
それってさ、国に期待してる文化的な理念とかってこういうことな気もしてるんだよね。日本人たるものこうあってほしい。政府にこう願っているここだけ、要は戦争だけはしないでくれそうみたいなその願いってブランドの持ってるさ、そこの教授みたいなこととイコールな気がしてて。
特に日本ではイデオロギーが薄いところで、このゲームはとても神話性が高く感じますね。フランスとか言われて何言ってんのとか言われるかもしれないけど。
他は選べないけど企業を1回だけ選べるんだとしたら、それってものすごくリベラルっていうか自由じゃない。自由なのか。それが物心づいたら何歳の時に決めるのか親が決めていいのかとかかなりルールは曖昧なんだけど。やば。成人になった、例えば選挙権と同じ18歳にあなたは自分の国民的な意味での法人を1個決めなさいっていうのだったらまあまあ面白いなと。
すっごい解像度高いゲームされてますね。うん。それをね7年前ぐらいやったの。えー。で結果その時民主主義の話をしてたつもりはないんだけども、今民主主義とくっつけてこの話したら面白そうだなと思って。無責任。教授で選ぶかな。中田のあっちゃんか岡田斗司夫が言ったのにみんなが入るような気がしますけどね。多くの人はそっちな気がして。
うわリアルすっごいな。なるほど。投資先みたいな感じですよね。あのYouTuberあれ言ってたからこう投資するみたいな感じで。で多分人はほぼそういう動きをするから圧倒的教者になるんだけどもそれぞれ教授によって選んだアップル民たちっていうのはもう超マイノリティーなんだけれども何とか細々生きてるみたいになる気がするみたい。
政治とリベラルのあり方
生きさせてください。アップル民党になっちゃった。おもろ。なんだっけなちょっと題名がわかんなくなっちゃったんですけど海外のジュブナイル小説でそういう映画ありましたよね。
なんか18歳だったかな15歳だったかなよくわかんないですけどその時にAIかなんかに判断してもらって自分が何だか5つだか6つだかのその社会集団のどれかに入るみたいな。白が出たら頭脳集団に入るとか緑が出たらそのファーマーの集団に入るとかなんかそういうふうに決まってて。
その小説自体は2つの要素を持っていると異端者として社会からパージされるみたいな話だ。
一個じゃなきゃダメなの。
そうですね。みたいな映画だったような気がしてるんですけどダイバージェントかなダイバージェントっていう映画かもしれない。それで本当はその性格診断が恣意的に操作されていたみたいな話だったような気がするんですけどちょっと正確に覚えてないんですけどどうかな。
その企業を一個選ぶとか国を一個選ぶとかではなくて民主主義なりその民主的な社会集団に僕たちが属しているすごいメリットっていうのはその変化させられるってことだと思うんですよね。
その可能性を常に取り続けることができるみたいなことがめちゃくちゃメリットだと思っていてそのこのような教授このようなイデオロギーこのような考え方の人たちにこのコミットしたらそれを裏切れないみたいなのはそれが過ちだと思うんですよね。
別にトランプを支持してそれをやめたっていいわけだしバイデンとかオバマを支持してそれをやめたっていいわけででそこが担保されていることが大きい良さだと思うんですよね。
未熟に判断してもいいし熟考して考えてもいいしドパミンで反応しても良ければよくよく考えてやってもいいみたいなことの中に本当はメリットがある。
それを担保していること自体が本当の中核の価値なんじゃないかって話ですね。
そうですよね。
株式市場ってそうじゃないのかな。株主であればそこの法人に対して影響力を持つことができる。そしてそれが嫌だと思ったらそれを売って他の株主になることもできるみたいな意味でいくと。
現行の資本主義体制においてはその資本家と労働者がかなり分けられているので自己統治はできないですよね。
だからコンサルティング会社とか弁護士とか会計事務所とかでお互いに株を持ち合っているファーム形式の会社とかはそれに近いと思うんですよ。
自分たちで自己統治のやり方を決められるっていうでお互いに株を持っていてその業績が上がった人はちょっと多く持っているとか代表権を持っている人は多く持っているとかでそこでその発言の形状みたいなのが決まって
多く持っているんだけれども全部決められるかっていうと小さく持っている人全員の合意を取らないと決められないとか、そういうところはかなり民主的な方法だなぁと思うんですけど一般的な株式を持っている人と働いている人がバラバラであるみたいな会社はどちらかというとあまり民主的ではないっていう感じかなと思いますね。
なんか今最初に室さんが言った、じゃあどうすれば永年の停滞感みたいなところ、雰囲気が変わってしまったっていうところからどうしたら永年っていうものって、とはいえ何かしらの希望の方向性っていうのを持った方が僕は健康的だと思って、今僕が言ったような突拍子もないところに一回逃避する、SF的に試行してみるっていうのも一個かもしれないし、
つかささんね、本当に真面目にリベラルを信じていた人って今本当に気持ちの向けどころが見つからない状況だと思う。だから今のニューヨークの可能性がまだ残っているところを眺めるっていうのも一個かもしれないし、だからなんかこうなっちゃった僕らってどこを一回見たらいいのかなっていう具体案はちょっと作りたいかな。
今選挙ばっかり一生懸命追ってると絶望をずっと感じるみたいなモードに入っていくわけでしょ。
でも、どうですか?絶望しました?
僕は全然。
じゃあ違う。
ずっと楽しい。
じゃあ全然違うじゃないですか。
なんだけど真面目にリベラル信じてる人って今どこを向けばいいのか分かんなくなってる気はしてる。
僕不真面目なリベラルな人なんで。
聞きたいです。絶望されました?
分かんないな。絶望と言えるのかもしれないですけどムカつきましたね。
何ですか?
その人権をないがしろにするところ?
そのところに支持者が思ったより多いことにムカついてる?
そうですね。
政党も支持者も?
政党も支持者もムカついてますね。
なるほど。
何なんだろう僕。
僕は常に一緒かも。それがウマさんととすごく大きな違いで。
ムカついてないんですか?
いやいやムカつきません。ムカつきますけど、そっちのムカつきの先の手前に、サハちゃんとしろよっていう方が全然先に来るんですよ。
ちゃんとっていうのはどういうことをしてればちゃんとしてるって感じですか?
それは確かに今日何回か私たちの違いは少し出たと思うんですけど、僕はもう少しシャバいところも真似したり勝つためにやるべきことはたくさんあるとは思ってます。
政策は変えなくてもできることはたくさんあるのにやってないこととか。
もう少し選挙というゲームを理解しろやっていう話ですね。
今はトレンドが誇りを欲しがってんだったら、サハだろうが誇りを与えるアイディアで戦えばよかったのに。
それは僕ラジコで僕ぐらいのしょうもないアイディアはいくつか出してて、今はそういった国民、愛国心とかすごい大事なテーマだからそういったところは無視するべきではないと思うんですよ。
共産党とかは無視していいと思ったけど、立憲みたいな政党とそこをどうやってそこに向き合ってどうやってこれをサハ的に落とし込むかっていうのをめっちゃ真面目に考える必要があると思うんですよ。
僕それは一切やってない政党に見えるんで、そういったところにめちゃくちゃムカつきを感じる。
で、それを賛成党のせいにするのは、せいにしてるとは思ってないんですけど、賛成党に怒る前、100倍前に来る。
なんかそれはどれくらい前かな。昔思ってたかもしれないです。
逆に昔なんですね。
なんで自民党に勝てへんねんみたいなのは思ってたかもしれないです。
でもそれはなんていうかな、世界がリベラルに向かっていくっていう雰囲気の中で、それは思ってたかもしれない。
もっと上手にやれや、みたいな。選挙に勝てるようにやらんかい、みたいなのは思ってたかもしれないけど、
今の空気の中では思わなくなった。
もうあの状態がある意味悪すぎて。
そう、なんかなんていうかな。
まあ確かにな。
テクニック論に入っていくと、テクニック論のハックの合戦になっていくんですよ。
ちょっと響きました。
そうするとそこのタコツボーの話になっていくんで、結局我々どこにも行けないっていう話になると思うんですよね。
企業と社会を変えるプロダクト
これ日本のベンチャーシーンで起きたこととも多分似てるのかなって思うんですけど、どうやってお金を引き出せばいいかみたいな。
僕その企業経験もないし、何の業界のこともよくわかんないんで、人から聞いた話を真に受けてるだけで喋ってるんだけど、
結局どうやってお金を引き出すか。
で、それをIPOして上場して、で、小金作って終わりみたいな。
で、六本木で遊んだ女の子にお酒飲まして殺してみたいな。
みたいな話になるんですよ、みたいな話を聞いて。
そんなのあるあるなんですよ、みたいな話を聞いて。
それがテクノロジーのハックだと思うんですよね。
でも本当にやるべきだったのは、社会を変えるプロダクトを作ることだったじゃないですか。
社会を変えるって生半可じゃなかったと思うんですね。
それができなくても別に誰からも非難される理由はないような大きいプロジェクトだと思うんですよ。
で、そっちの方が本当は大事だったじゃんみたいな。
どうやってお金を引っ張るかとかどうやって上場するかとかじゃなくて。
で、本当はそういう人のところに投資すべきだったじゃん。
まあしてると思うんですけど、で、書いてると思うんですけど、僕が不見識なだけで。
わかんないですけど、じゃないっていう話で。
で、それは政治にも同じことを思うっていう感じですかね。
いや、理解。
でも今、塚田さんの言ったことをちょっと僕も一理あるなと思ったのは、
賛成党のような動きを目立たせないためにも立憲が同じ手法で普通に誇りを国民に与えて票を取れば、賛成党は防げたはずっていう意味で。
リフェンス的な意味でもできたことはあるんじゃない。
両方の意味で。
賛成党への批判
別にあんなことは特別なことじゃなくて、誰もが今回の選挙はそうだってわかってるってことは別にプロじゃなきゃできない手法じゃなくて、
普通にまともに従事してたら、そこの戦略っていうのは誰もが思いつくことなのに、なんでそれすらやらずにやすやすと。
いや、マジです。
耳障りのいいことを言ってるだけのウーハンにやられちゃってんのっていう悔しさみたいな話で。
マジです。
で、この今のテーマ関係なく単純に何考えてんだよってすぐに気になります。
それはそうですね。
おそらくちゃんと偉い人が集まって、おそらくこの選挙はこう行こうみたいなミーティングは、ワーキングセッションとかあるんでしょうけど、
普通に批判なしで何考えてんだろうってめっちゃ気になります。
何してんだろうって。
今ちょっと企業の話にひも付けたから、僕もちょっと企業にひも付けて話すんだけど、
自民から分裂して革新をやってた民衆党一派の流れって、僕の印象ね、
上々企業から40代になって何者かになれると確信して退職して企業をするおじさんっているんですよ。
いるんですね。
ずっと上々企業の中でもう頭が固いとか、こんなにいいアイデアを持ってる俺の生かせないなんておかしい。
この企業おかしいなんて生きまいて、30代の頃生きまいてた人が40代になって独立するんですよ。
まあ何もできないんですよ。看板を失った彼らって。
で、この上々企業からすると超ラッキーなんですよ。
だって自分から辞めてくれるんだもん。今一番そこからお金がかかる50代60代に向かっていく人が抜けてくれるわけだから。
っていう印象。
自民から抜けた人たちのいわゆる今そこの対抗馬になってる人たちっていうのは。
なので立憲頑張れとか何とかっていう気持ちって俺そもそもがなくて、
そういう資質の人たちが一生懸命考えたことって、まあそうだよね。
見捨てすぎですよ。
でもすっげえ一生懸命頑張ってるし、すっげえ一生懸命考えてると思うけども、質地がそういう人に見えてるので、
確かに。
なんか出てこねえだろうなと思うから、だからそれこそ賛成党のようなある意味優秀な人たちっていうか。
ある意味。
攻略、攻略法みたいなのに対してある意味優秀な人たちにはやっぱそういう元上場企業だった人って負けちゃうよねって思う。
頭硬そう。
さっきの室さんの言ってたハッキングをしていっていくとこまでいくベンチャーみたいな人たちに、
上場企業から抜けて40代で独立した中小企業の人なんて簡単に負けるよなみたいな。
そういう印象で見てる。
そうですね。
それはそう、それはそうなの。
だからなんていうのかな、わからない。
わからないです。
僕が既存の政党の人たちがどうするかは、まあ本人たちが考えることなんだろうし、
僕が別にその、軍師として特別な授を授けましょうみたいなことは全くなくて、何にもわかんないって感じなんですけど、
何にもわかんないので、
自分が何をするかの話だったら、
社会に対して何の影響力も与えられないかもしれないことは従順承知しつつ、
リベラルな価値で自分が判断しているってことを示すのみかなっていう感じですね。
具体的に例えば。
夫婦別姓に賛成し続けるとか。
それは伝え続けるっていう。
僕は賛成ですっていう話。
別に僕には実効力ない。
僕が多分この今の状況を作り出したことの原因の一つは、
リベラルな価値観の伝え方
じゃあお前がやってみろ論だと思うんですよ。
で、やってみてると思うんですよ。
今の新しい政党の人たち。
じゃあお前がやってみろって言われたから、じゃあやりますってやってるんだと思うんですよね。
確かに。
で、それがいいと思っている人たちもいっぱいいるだろうし、
彼らに対する批判が、今日すごい批判的なこと言ったからこれを聞いた人も、
じゃあ室野さんやってみればいいじゃんみたいな。
自分で政党立てればいいじゃんみたいな。
言われると思うんですよね。
立てればいいのかもしれないなって思うけど、
じゃあ別に僕がやりたいかって言うと別にやりたくもないから、
前回話しましたけど、
別に握りゃいい。
そうだよね。
政党を作って戦い始めるともう握られないから、
もう責任取るしかないじゃないですか。
ってなってみると、じゃあやりたいかって言ったら別に絶妙だなって思うんだけれども、
それぐらいの温度感の中で僕がどこで生きるかっていうと、
自分の政治的立場っていうのを示すだけだなと思って、
言えない局面もあると思うんですよ。
僕も時々ありますけど、
5、60代のおじさんばっかり集まってる飲み会とかに呼ばれて、
いやーなんか夫婦別姓とか言ってるやつしょもないですよねみたいな、
人たちばっかりの会に一人飲まれた時に、
いや僕は賛成しますけどねみたいなことを言うのが厳しい局面は僕にだってあるわけで、
いやははははみたいな感じになるわけですよ。
なるんだけれども、でも別に心の中では別に不祥不祥なわけじゃないです。
なんか僕それぐらいでいいなと思っていて、
人間の政治参加って、だから全てのことを熟学をして、
完璧な判断をし続けるみたいな話だと、
目黒さん言ったようにもしかしたらそれに耐えられない人間いるかもしれないけど、
っていうかほとんどの人には耐えられないと思うし、
耐えられる人間の方が少ないと思うんですけど、
でも僕の考える政治参加ってそんなに難しい話じゃなくて、
自分こう思うんですけどみたいな話だなと思っており、
人分こう思うんですよねっていう人たちが今回の投票でこういう結果になったっていうのも、
現実だなと思うんだけれども、
その現実に対して僕は自分の考えを言うよっていう話になるし、
みんな言ったらええやんっていう。
言った結果国滅びてもしゃあないやんけっていう話で、
で国が滅びたら僕は逃げるけど、
みなさんも各々判断して各々のタイミングで逃げるなり留まるなりしたらええやんけっていう話だなと僕は思っていて、
滅ぼしたくないので、
僕は滅ぼさない方がいいと思っているし、
滅ぼさないためには自分たちの利益っていうものを自分たちで言うってことが大事だと思って、
その権利とかその自由度みたいなのを保つのが大事なんで、
それはそれを思想的に基盤としているのは人権しかないので21世紀には。
人権を堅持するしかないし、
人権に基づいた自由主義的な民主主義っていうのを堅持するしかないと僕は思ってるので、
それを言うけど、みんなが壊したいんだったらしゃーないやんけっていう気持ちもあるっていう話ですよね。
だからそれぐらいの感じです。
その伝え、めっちゃ素晴らしいし、すごい大賛成です。
で、追加追加気になるところで、その伝え方のところでこだわりはあるんですか?
夫婦別姓が賛成っていうポイントがあるとします。
もちろんそれをそのまま言うっていうのもあるんですけど、
例えば伝えるときにはどちらかというと意見がない人にリーチしたいなとか、
もうすでにその堅い気持ちを持ってる人たちをもっとアクチビズムさせたい気持ちで言いたいなとか、
そういうなんか実行してるしてない別としてそういうなんかモチベはあるんですか?
モチベあんまなくて、どれくらいそのときに僕が疲れているかによると思うんですよね。
僕の釈放性の能力のリミットになると思うんです。
多分めちゃくちゃ疲れていて、もうほんと何もしたくないみたいなときに、
夫婦別姓良くないと思うんですよねって言われたら、
馬鹿者なのかな、お前にその権利があると思ってるのかって言うと思うんですよ。
人の性別とか人の性みたいなのに、なんで口出す権利があると思ってんねんみたいな話になると思うんだけど、
元気だったら、あ、そういう考え方もあるんですねって。
すごい明確。
そういう考え方もあると思うんですね。
僕は違う考え方なんですけど、ちょっとお考え聞かせてくださいよみたいな。
でもみんな夫婦別姓夫婦別姓って言ってて、もしかしたら嫌な気分されてるかもしれないですよね。
世界の中で孤独になってるかもしれないですねみたいなことできると思うんです。
元気だったら。でも疲れてたら多分できないと思ってて、
それは僕がどうしたいかよりも、僕のそのときのコンディションによるなっていう感じ。
あとさ、啓蒙と不協の差を誰かが言ってたの聞いたんだけど、啓蒙って上からわからない奴に教えてあげようみたいな態度があると。
不協って知らない土地に行って、民にまみれて、そのアウェイの中で、その例えばキリスト教の人が日本に流れ着いてみたいな。
だからそこの態度の差ってあるよねって言ってて。
それで今多分、むろさんの元気があるときと元気がないときで出るのが啓蒙と不協が2つのカードが出たなと思ってて。
そこがもし元気によって変わるんだとしたら、もうちょっと教授として、僕は啓蒙的に今の夫婦別姓を伝えたいと思うか、不協的に伝えたいと思うのかって結構立ちは分かれそうだなと思う。
政治家とか政治活動をしたい人はそうすべきだと思うんですよ。
でも僕は政治家でもないし、政治活動をしたいと別に思ってない人間として、一主権者としてどういう行動に出るかっていうと、僕の政治性はあると。
で、僕の政治性を人に伝えるということはすると。
で、僕の政治性を人に伝えるときにどう伝わるかどうかは、僕の元気とか2人の関係性とかによりますって話ですよね。
何で聞いたかというと、僕も伝えたい気持ちはあるんですけど、しかもまあまあ伝えてる方だと思います。
ただ、僕自分の個人のラジオ屋さんごっこ、ポッドキャストが唯一ちょっとしたプラットフォームだとしたら、僕は自分をもちろん自分の意見を言いつつもどちらかというと、そこまで聞けないリベラルの視点を提供しようとすっごい意識してる。
それは頑張ってじゃなく、それは僕がすごい強く信じてるから。
この世にはもうなんか、この世、リベラルのエコチェンバーの中ではもう視点が一つと言えるぐらい、一つにしか見えない中で、
例えば、明日配信されるんですけど、参院選、参政党支持者と喋りたくてめっちゃ探したんですよ。
いるんですか、そういう人。
いなかった。すげえ。
でも、寸前のとこで変えた子が出たんだよね。
で、そうそう、言われちゃって、結局全然参政党にはそんな近くなかったので、ガッカリしたんですけど、
一旦、一週目で探した時に、本当に政治に無関心で、一回調べた時には、先生党が良さそうっていうところだけ、参政党と関わりがあった人がいて、その人は出てくれたんですね。
だから、もっと参政党に入れましたみたいな人がいたら、よりベストだったんです、ベターだったんですけど、
でも、そういう人を、なんかダメダメダメダメ言ったって別に何も変わんないし、それを10年間やって変わんないから、
僕はそういった手法を使いたいみたいな、それが良い悪い別として、手法はちょっと考えてる。
リベラルの切り口
なんか、首長をどうこうというより、今、ラジコーで津川さんやってるのって、新しい切り口を提案しようとしてるんですか?
そうそうそうそう、まさに。
こういう見え方あるんだよっていうのを伝えたいことは一つのリベラルなんだけども、それをすごく工夫して、クリエイティブにやってる。
それを楽しくやりたいっていうのもあるし、やっぱりここまで政治教員持ってて、リベラル勢に囲まれて、自分も中にいて、改造度ちょっと高めに見ると、まあまあやっぱりダブルスピーチだと本当に思うんですよ。
わかるわかる。
めっちゃハイガイするやんみたいな。
そうですよね。
いや、多様性言ってる場合じゃないじゃんみたいな。
なんかリベラル象徴で、の象徴の、まあ象徴って言ったら言い過ぎですけど、リベラルの界隈、メディア出演で、例えばポリタスだったりウギヨイチキだったり、ザ・シンボリックなところで出てる人たちでも、
まあやっぱりなんかちょっと嫌になったらブロックする人だったり、なんかえーみたいな、そこブロックすんの?みたいなとか、なんかディベートすればいいじゃんみたいな、話聞けばいいじゃんみたいな、相当奥義的だったら全然ブロック、大賛成ですよ。
見守んなきゃいけないけど、個人的に見てなんか、そこからとか、とかなんか立憲の米沢議員?米山議員のなんか振る舞いとか見てると、これで理由なのか?みたいななんか頭抱えるんで、なんかやっぱりダブルスピーチエグって思いつつ、でもそれは僕はそれで、だから自民とかだから違うところとか全然別にそう思わない。
それは今、今現状そのリベラル内の空気が悪いって思ってるだけで、なんか自分のちっちゃい影響力の中でもなんか提示したいなっていうのはありますね。
なんかさ、俺この前すごく批判的な言い方でだったんだけど、リベラルが趣味っていうワード使ったじゃん。あれ俺悪くないなって思い始めて。
えー素敵、ということで。
なぜなら、さっき言ったようにもう2016年を経て2025年でも明らかに風向きというか雰囲気変わっちゃった今って、リベラルをマジでやると苦しいはずなんだよ。
確かに。趣味の方が健全かも。
そう、せめて今リベラルを趣味って言い切れたら本当に理想的なことを語り合ってディベートできる気がしてて、どこかみんなかなりマジ世界は変わる、自分たちの力によって世界が変えられるみたいなストーリーをなんかリアル側にちょっと乗っかっちゃってるから、かなりこうメンタルの方でなんかそれをやっちゃってるように見えて。
他社から見るとそれしらけるんだよね。その真面目さが。じゃあもうちょっとうまくやってみて。だからリベラルを趣味って言えてるスタンスでラジオの、まあラジオは趣味とは言ってないんだけど、なんかそういう風に見える。
ポップってそういうことじゃん。
なんかリベラルをポップにやってる人ってすごくクリエイティビティを発揮できるだろうし、伝え方のオルタネティブを発見できるような気がするから、あえて趣味と言ってみるって結構勇気があることだけでもなんか良さそうだなと思って、俺そっちの方が乗りたいって思う。
自分の政治性の探求
自民に入れた俺はリベラルが趣味と言って、新しくオルタネティブをやってくれてる子の方が興味を持って見に行くような気がする。
今のリベラル乗り、部外主が乗りたいっていうバイブスがなさすぎて。
そう、だから排外主義と思ってやってないだろうけれども、僕らがなんかちょっとでも覗きに行けるような空気すら出してくれてないみたいな。
そう、それをそんなに自覚できてない人に囲まれてる感じがして、すごいなんか違和感を感じちゃう。
そうね。
なるほどな、僕は自分の話をすると、結構小さい時から色々な市民活動とか市民運動みたいなのに参加してきてたんですよね。
環境問題とか、あとアメリカがイラクを攻撃した時、戦争反対のデモを学生服着て行って、新聞に出たみたいなこともあるとかなんですけど、
そういうことをやっていた時に、ある時、デモの主催者側のおばあさんと話をしていた時に、
あなたみたいな若い人が来てくれると嬉しいみたいなことを言われて、
で、僕は大分市民なので、大分は非重大演習場というのがあるんですよ。自衛隊の編集場で大砲の練習をする場所なんですけど、
沖縄の基地負担軽減の一環で、沖縄の在留米軍が非重大に来て射撃訓練やるんですよね。
で、それに絡めてアメリカ軍基地反対みたいな活動をやっている方もいらっしゃって結構。
で、なんていうかな、おばあさんはその話をされたんですよね。
で、僕その時に言ったのが15、6だったと思うんですけど、言ったのが、おばあさんの世代であればそのように考えるかもしれないと。
アメリカは悪であり、米軍基地は悪であると。
で、ただ僕らの世代っていうのは、アメリカ軍に国防を肩代わりしてもらって、
アメリカからの非常に多額の経済支援みたいなのがあり、アメリカが朝鮮で戦争をしたことによって日本の経済が上向いたみたいな歴史的事実もある中で、
アメリカ軍の存在っていうのは我々にとってかなりアンビバレンスがその己の罪であるみたいな話をしたんですよね。
で、その範囲を享受して僕たちは大きくなっているので、平和で安全で豊かな日本で生活している時に、
じゃあアメリカ軍は悪であるっていう話をすると、その悪っていうのは自分たちに内包されていることなんだっていう話をおばあさんにしたら、
そのおばあさんが僕に言ったのは、そんなこと考えなくていいって言ったんですよ。
おそらく2人がおっしゃっているリベラルの堅くなさとか、コミュニケーションの難しさとかコミュニケーションの下手さみたいなものは、
こういうところの話をされているのかなっていうのが僕の想像なんですけど、
だからそれを踏まえて僕が思うのは、リベラルがあれをしてくれなかった、これをしてくれなかったっていう話をしてもしょうがないっていう話であって、
自分がどういうふうな政治性を持つかということが問われている。
で、その自分がどのような決断をするか、どのようなイデオロギーに基づいて何を振る舞うかっていうことが大事であって、
人間なんだからそれが原稿一致しないことだってあるっていう話だと思うんですよね。
で、原稿一致してないからあなたの理念を間違っているっていう言い方をしたければしてもいいんだけれども、
大事なのはその理念にアラインできるかどうかだと思うんですよ。
で、その人と一緒に行動することによってその理念が実現できそうかどうかだと思うんですよね。
で、その時に問われているのは自分がどうするのかっていう話だなと思っていて、
で、これは主権者である国民一人一人が自分はどうするのかっていう話でしかないと思うんですよ。
じゃあ誰かが何かをやるのを待つとかいうのは、誰かが何かをやってくれるといいなっていうのは、
要望として言えばいいと思うんだけれども、別にだからとどうということはないとは思うんですよね。
で、実際にそういうことをやっている人たちっていうのは人間を量的に動かして権力を恣意的に動かすっていうことを歴史的にやってきた人たちだし、
おそらく原稿それをやろうとしている人たちもそれをしようとしていると思うんですよね。
で、それに対抗するためには、じゃあ同じように人間を量的に見て権力を恣意的に動かそうっていう発想ではなくて、
やっぱり人間性を信じるところでしかどうにかならないと思うんですよ。
みんなあなた方は何かを考える、何かを判断できる主体であるっていうふうなことを期待するしかなくて、
それはもう他のことはできないっていうのは僕の見解なんですよね。
で、僕はそのおばあさんの立場があると思う。で、おばあさん確かにとっつきにくかったし、僕は結構若かった15、16だったので、
それでリベラルにとか左派の人たちっていうのに相当失望して、もうそれから市民運動やめちゃって、
二度と帰ってないんですけど、市民運動に、別に政治的な行動に。
二度と行ってないんだけれども、じゃあおばあさんがそうだったからといって、
じゃあ僕がリベラルはダメであるとか、リベラルはコミュニケーションが下手だとか、
おばあさんはもっと僕に詳しく説明するべきだったとか、僕の意見を聞くべきだったと思ってるかって別に思ってなくて、
で、彼女は彼女の立場があると。で、それは僕は僕の立場として何かやるしかないって、何か言うしかないって。
で、僕は僕の生活の中でできる範囲っていうのは非常に限られているので、
で、それは生活の橋橋で政治性を露出するっていうことでしかできない。
別にめっちゃパトロンが出たら、もしかしたら政治家として出るかもしれないけど、
おそらく来ないし、政治家として出ても別に橋の方にもかからないと思うので、
どうにもならないと思うんですけど、
じゃあその中で何ができるかって言うと、しゃべったり態度で示したりするだけですよね。
じゃあ僕がそのガザの問題非常に憂慮しているけど、
じゃあイスラエル軍止められるかって言ったら止められないし、結構ガザの問題のことを言うと、
じゃああなたが言って、イスラエル軍ガザに行って止めてくればいいじゃないですかみたいに言うんだけど、
そのことできる奴いると思っているのかっていう話で、できないわけですよね。
できないから今のガザです。
しょうがない。誰にだってできないんだから。
僕が言って、そこで撃たれたら何か変わるかって言うと別に変わりはしないわけだし、
かわいそうなわけですよ。
どうできるかって言ったら、
もう別にガザに対するイスラエルの行為っていうのは蛮行だ、ガザに連隊しますっていうぐらいしかできない。
でもそれ、みんなが言ってたら、
政府が動かせるっていうのが民主主義のたてつけだし、
そこの自由度を我々はまだ持ってるっていう話。
だから、それだけの話。
それで多くの人たちがガザがひどいって思ってないかもしれないけど、
思ってないのはもうしょうがない。
で確かにそれは新しい候補をしたらいいかもしれないし、活動感をもっと頑張ればいいのかもしれないけど、
みんなできるリソースの中で今できてるのがこんなもんなんだから、
もうこれ以上どうにかなるかって別になりゃしないわけで、
もう何年もやってるわけだから。
じゃあその中でどうするのかっていうのも、
民主主義の現状
自分で決めるしかないなって思ってるって感じですね。
でもさすがだな。
なんかさ、前回大人個人自立みたいな話してたじゃない。
で、民主主義っていうのは現行の形は、
やっぱ成熟した自分でものを考えられる自立した個人によって、
上手くワークするっていうたてつけでできてるなんていう話もしたじゃない。
だからやっぱ前提がそれである以上は、
そこに参加してる人たちっていうのは自分の意思で考えられて、
自分で意思表明ができて意思決定ができる個人であるっていうことを、
大前提としてそこに対してアグリーしてる、
その姿勢が民主主義を信じてるっていう言葉とイコールだなっていうふうに、
今のムロさんの話に感じた。
で、それによって現行不一致の人がいたりとか、
自分と違う意見の人がいたりとか、
自分の理想っていうものがなかなかかなわないっていう現実があったりっていうことは、
それをみんなで信じてやっぱ現れだけであってっていう話をしてるってことだよね。
そうですね。
すっごく真摯な民主主義に対する立場だと思うし、
僕が一方趣味って言ったのと、
もう一方その2つの形ってすごく人を助ける気がするっていうか。
いや、めっちゃ真摯。
逆に、僕真摯足りな。
本当の根っこの根っこの根本を信じてるって話をムロさんがしていて、
それを失っちゃいけないって話をすごくしていて、
僕らはそれをうっすら気づきながらやってるんだけど、
そこまで深く考えられないから、
今の自分の気持ちや今起きてるものに対する見方っていうのをどうしたらっていうのが、
今趣味の話をしたのかなと思ってるから、
そこを2つあっていいような気がすごいした。
でもそういう意味で言うと、
僕いろんな立場はあなたたちと違うみたいなことを言い続けてきたけれども、
基本は今の2つっていうのはものすごく、
僕もそっちの人間ですって思う。
少なくても僕はたまに、
お前はどうなんだみたいな言い方をするから、
じゃあお前がガザ行けばいいじゃんみたいなものと同じように聞こえるかもしれないけれども、
僕が言ってるお前はどうなんだっていうのは、
今のムロさんが民主主義に参加してる1人の個人の主体としてそれを言ってんのっていう厳しさを受けてるだけであって、
それを言った言葉を立証するためにお前ガザ行けみたいなことは僕は言ってない気がしていて、
だからその厳しさの度合い。
やっぱりそこの本当の民主主義の今のお話って、
軸は本当に一緒だなと思った。
大賛成。
自分について考えさせられることがある。
確かに人のこと言い過ぎだなって。
リベラル活動の意義
なぜムロさんがムロさんらしいスタンスを取ってるのかっていうのを前回の最後に言ってくれてて、
あの後、マイク切った後に話してた、
おじさんの話もすげえよかったから、
あの話もしてほしくて。
そうですね。
僕が市民活動やってた、
僕がっていうか別にそんな主体的にやってたわけじゃないんですけど、
してた時に、
運動リードしてたおじさんの一人っていうのに、
結構時間が経ってから会って、
僕が30超えてから会った時に、
最近運動の方はどうですかっていう話を聞いたら、
ああいうのは気晴らしだからねっていう話をされたということがあって、
僕は結構この返事をされた時にグッとくるものがあって、
この彼が気晴らしだったって言ったのは、
直接受け取るべき発話ではないと僕は思っていて、
多分彼なりに人生をかけていろいろ活動をした結果、
特に現実は変わってないというか、
より過酷になった面もあるみたいなところがあると思うんですよ。
その中で、その運動を通して別に、
政府とか国の動きみたいなのが変化しなかっただけではなく、
市民社会みたいなのの意識も特に変わったりはしなかったということかなと思っていて、
それに対するある種の無力感みたいなのを、
感じられてたのかなっていうのを受け止めて、
それが人生をかけて、ある種本人が正しいと思ってたことに打ち込んだ結果、
それが何か力強い結果には結びつかなかったんだが、
それでもやることの意義というか、
はあるっていうのが、
ああいうのは気晴らしですからっていう発話になったんだろうなと僕は受け取っていて、
っていう話ですね。
僕がリベラルを趣味っていう言い方したのにも、
文面上、言葉上は近い言葉な気はするんだけども、
無力感とそれに対するスタンス
でも大きな違いがあるなっていうのは感じるんだよね。
僕は常に実存の話をしたりするぐらいだから、
じゃあお前はどうするの?みたいな話をしたときに、
そのおじさんは自分でアクションを取った人なんだと思うんだよね。
横から外野から何かを挙げつらったりした人ではなくて、
今でいうとこのSNSで何か横やり入れるようなことをやったんじゃなくて、
自分の身をもって市民活動として何か達成しようとする動きをやった人が言ったその言葉。
で、なんか今の室さんの聞くと、
室さんの今の立ち位置の表明もすごく理解できたっていうか、
すごく室さんは大きいものに対して当事者性を持って言葉を発してるように見えるんだけれども、
僕らが何時間もかけて話す途中では、
自分は逃げる人なんでとか、でも言うことは大事だって言ったりとかっていう、
そこの、でそのダブルスピーチっていう話もしたんだけども、
なんかその中でも室さんの言ってる言葉のなんか、
なんていうのか正当性みたいな僕が感じるのって、
その体験があった室さんが言ってる。
だから、ガザに行って帰ることはできない自分だけれども、
でも自分の信念を持って言う言葉っていうのを、
自分の実存を持って語ることっていうのが大事なんだよっていうことを、
ちゃんと室さんが自分にシグネチャーを持って言ってる言葉に聞こえるっていうか、
これって分断とかあるよって言われてる中だけれども、
一人一人がこういう立場で話せるって、
なんかユナイトできそうな気がする。
みんながそれぞれこういう、
どの立場でもいいからこういう立ち位置で話せるようになったらすごく、
僕の思うリベラルな世界だなって思ってる。
あと、何も自分が言う立場じゃないですけど、
おそらく3人ともそういう立場な気がするんですけど、
表裏というか隠していないダブルスピーチだって言われても、
そういう側面があることに対して別に、
それが恥ずかしいとかもなく、それが事実、
事実なのか分かんないけど、
そういった側面に見えたってしょうがないよねみたいなところは、
ちゃんと自分で責任取って、
いいところだけ見せて、実はみたいなのが一番なんかその、
なんか違和感を感じる、
個人的にはそんな違和感を感じるんで、
今パッて出てこなくても、
僕もそういったところがいっぱいある中で、
それをその矛盾してるけど、
まあそういったところだよねみたいな、
をちゃんと責任取って、
いうのがまあ大事じゃんみたいな、
だってなんか綺麗事だけ言ったってさ、
しかもなんかすごい不審感抱いちゃうし、
え?みたいな、そんなのありえる?みたいなのはありますよね。
なんかあの、すげえ前に僕発した言葉で、
悪を引き受けるっていう話をしたんだけれども、
自分の矛盾とか、自分の老いたちも含めた、
自分が背負ってしまって引き受けるべきものっていうものを、
ちゃんとこう真摯に、
自分でも飲み込んでるし、
他者にもそれを伝えてるし、
そういうところがあると、
今、分断って言われる世界の中でも、
その人の言葉っていうのは聞くに値するなって、
人には伝わると思うんだよね。
でも、なんか今、冷笑系って言われるような人とかも含めて、
なんか賢く見られたい自分のためのポジション取りで、
世の中のことを使って、
なんか皮肉って見たりとか、
その時の風によって有利な方から発言をするみたいなことって、
多分それが何万何千万ってこう増えたところで、
それって多分僕らの心には届かないことだと思う。
だからやっぱ、それは室さん1人だとしても、
僕ら3人だとしても、
そういう主体が語ってる言葉って、
専門性があろうがなかろうが、
何らかの心の動きには作用するかなと思っているところ。
だからなんかこれが、
なんかおそらくリベラル言論の根本的なスタートにあるべきかなと思って。
うん、あるべきだし。
あ、ね、願いますよね。
自分の弱点を見せた方が、
必然的になんか、
リベラル言論の構築
自分と違う価値観の人を受け入れざるを得ないというか、
僕もそうだからなみたいな。
で、表に出したら、そうせざるを得ないじゃないですか。
でも攻撃とか冷笑的なことを言い続けてたら、
良くも悪くも完璧なイメージなんで、
こっちは正義です、みたいな感じで取れるから。
でもそういったスタンス取っちゃって、
ちょっと自分の首くりしめてる人もいないのかなとか妄想しちゃうぐらい、
なんか構図ですよね。
ちょっと僕は第三者っぽい言い方をすることが多いんだけど、
そういうスタンスの時の僕のリベラルな人たちの見え方って、
なんか正義中毒になってる人みたいに見えることもやっぱりままあって、
やっぱこう神経伝達物質にワーッと侵されながら取る行動だから、
本人らしさとは違うんだと思うんだけども、
なんかそういうふうに見えるとやっぱり、
言ってることをやすスタンスがどれだけ正しくっても、
その人の真を食った会話には聞こえないので、
やっぱりその発言自体が正当性あったとしても、
やっぱ僕はその人の意見を自分の心の中に咀嚼しようっていう気がやっぱ起きないみたいな。
だからそこの積み重ねみたいなものっていうのも、
このなんか2016年以降のいろんな受け入れられなかった原因でもあるかなと思う。
めちくわさんは、そういった正義をめっちゃ語る人たちの気持ちは一切わからないんですか?
いや、気持ちはわかる。気持ちはわかるし、
逆に僕はすごく邪悪なところがあるので、
その人のそれを言ってしまう理由みたいなものを掘りたくなるので、
だからよくこの前言ったさ、実家が太い子のコンプレックスが反映されてるみたいな言い合わせ言ったのもそうなんだけども、
なんかそれをやりたくなってしまう、やってしまう原因みたいなところまで考えたくなるので、
それはやっぱ僕のすごく邪悪な欲求による深掘りなんだけれども、
でもそれっていうのは、本人に伝えたところでどうしようもなければ、
本人に言ったところでそれはただの暴力だと思うし、
それはそうだね。
それを僕のアウトプットとしてやることはないんだけれども、
で、それをわかった上で、じゃあその人たちとそれを隣人として僕はどう付き合うのかってことを頑張っていくような気がする。
ただし実際、僕の周りにすごく多いので、
やっぱ物を作ったりしてるとさ、やっぱ多いじゃない?
めちくわさんはでもそういったフェーズは人生でなかったってことか。
そうだね。なんか欲求として、なんか正義を行使したいっていう欲求はそもそもない。
すごく邪悪な方の人間だから。
本さんはあるんですか?
僕はちなみにある方なんで聞いてたんですよ。
私、高校の頃活動してたってことはなんかありそうな気がするよね。
勝手ななんかありそう側なのかなって思いつつ。
正義をね、行使したいってあんま思ってはないんですよ。
そのようになるだろうって思ってたんですよ。
なんかもっと上にかって。
なるほど。
まあでも確かにその感覚もわかんない。
そうなるだろうみたいな。
そう、1たす1は2であるように、
普通に考えればそうなるよねっていう話かなと思っていて、
で、そのように考えられないのであれば、
法定意識の中のどこかの部分が理解されていないのであろうという発想だった。
問題解決的ななんか、こうなるであろう。
だから俺、若い時っていうので言ったら、
さっき邪悪って言ったんだけど、
むしろリベラルの話から言うともっと真逆で、
天変地異すら起こってほしいと思うというか、
自分の置かれた立場があまりにも成功に近い質字じゃないところからのスタートすぎたから、
なんかガラガラポーンが起きてほしいっていう欲求がすごくあって、
まず昭和世代なので、1999年にノスタルダムスみたいなものも幼少の頃に植え付けられているから、
もう1回ここでリセットされてほしいみたいなOSがインストールされた上で世界を見ているので、
戦争は起きてほしかったし、
もうめちゃくちゃになってほしかった。
そしたら、もう1回自分がゼロからみんなと同じスタートで競争させてもらえるっていうのを信じたんで、
むしろそっち側の人間。
それはでもいつか深振りたいです。
めっちゃ面白いですね。
なんだけど、社会に出たのが18歳から早かったので、
なおさら社会で生き抜くためにはどうするのかということを学べば学ぶほど、
そういうアプローチじゃなくて、むしろ善人であったほうがいいし、
ビジネス的な知恵が働いたほうがいいしっていうところで、
どんどんどんどんなんていうのかな、
要はそのエリート的な処作や頭の使い方っていうのを、
覚えたんですね。
覚えていったっていうところがあるってことは、
イコールそのリベラル、それ以降グローバリズムが進んでいくから、
グローバルパーソンとしての振る舞いみたいなもののほうが圧倒的に自分に有利なので、
そういう思考を跡地で入れたようなところがある。
よくも悪くもそれをインストールしたってことですよね。
そう。で、それによって達成されたものを見てきたし、
それによって少なくても人々っていうのは、
生きていくっていう意味では豊かになってるし、
分断進んでるんだけど豊かになってるしっていうところは絶対否定はしてないから、
だからどこか自分の中に加速主義的なところがありながらも、
環境的にはリベラルにいるので、
リベラルの思想を正しいと思いながらも、
どこか心の奥底ではぶっ壊れてほしいと思うから、
18歳前の。
だからむしろトランプの現象のほうが理解できる。
まあね。
トランプを望んだ人たちの気持ちのほうが、
僕の本当の心の辺には近いっていう。
そういう意味のシピーチは、
ポッドキャストとか記事とかで色々読んできましたけど、
やっぱり道黒さんみたいな距離感の人から聞くと、
よりなんか現実味があって、
おおーみたいな。
青森でしたっけ。
そうそうそうそう。
ああーみたいな、今まで聞いてきた絵が浮かんで。
そうなんだよね。
だから僕から見る既得権益者の像って、
世の中で言われてるものとやっぱ違って、
やはり中3階級の、がかつてあった時代の親、
そこを過ごした親の子に生まれた子たちが、
普通に大学就職ってやれた人たちが、
今最も今まで積み上げた社会資産を
享受できてる人に見えるから、
むしろそういう人を僕は既得権益者だと思っているとこがあって、
それを僕は大きく括ってエリートって言い方をしてる部分があって、
個人の立場と感情の分断
そうじゃない人たちっていう立場だった僕っていうのが、
そういう今言った僕の既得権益者と、
同じ空間で東京で過ごしている僕っていうの。
その分断されたその気持ちっていうのが、
僕の発言の大元にはある。
ところがすごい。
なるほどな。
そう。
なので、そんな中でも別にさ、
こういう会話ってさ、
こういう話をしてるから僕ら3人もわざわざこういう話するわけでさ、
こういう話題をテーマにしなければ、
こんな話なんてしないわけじゃない。
だから当然僕の隣人たちともこんな話しないし。
ただ、あえてこういうアポカリで言ってるのは、
わざわざそういうのを基上に上げて、
この3人話すっていうのも、
一番自分の情熱の部分をオープンする機能として向いてるなと思うから、
だから塚田さんもすごくオープンにしてくれるし、
室田さんもオープンにしてくれるし、僕もすると、
その現象自体の違いが面白そう。
本当にそうでなんか、
ちょっとシンプルに言い過ぎかもしれないですけど、
今話聞いてる限り若かった時は、
室田さんはこうなる、絶対こうなるであろうと思ったとか、
塚田さんはどちらかというと、
全部変わってほしいから、極端に言ったら戦争みたいなのが変化につながるから、
そういうようなのがあってもいいのではって思ってたとか、
僕は完全にもう、ザザザ。
高校までは何も政治とか社会とか興味持てなかったので、
大学からなんですけど、大学から20中半まで、
25分、26、27とかまではもう完全にもう、
もうそこら辺のリベラルと似たような感覚で、
でもなんか僕の中ではそのようなところで活動してたら、
僕BLMがピークだったんですよ。
ブラック・ライブズ・マターでピークで、
で、東京でデモをして絶望したんです。
あれをして、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月、半年たって、
で、立てば立つほど、あれって何だったの?みたいな。
なんか、僕からしたら、これは他の人のことじゃなくて、
僕のことだから、誰も他の人に迷惑かけたくないっていうか、
つなげないでほしいんですけど、
僕のマスタベーションだけだったなっていう気持ちがすごい強かったんですよね。
まあ、ニュースにはなったと思うし、
ちょっと、報道に寄与はしたかもしれないけど、
僕はあの日気持ちよくなっただけだったんだろうなっていうのがすごいあって、
で、そっからなんか少し、ゼロ100じゃなく、
もうちょっとなんか複雑性のあるものなんだなとか、
ちょっと視点が変わって、だんだん今につながってるんですけど、
僕は、なんかちょっと偉く聞こえちゃいますけど、
僕はそれを得て、なんか少し変化があった。
僕はそれをポジティブに捉えてるんですけど、
人によっては、なんかそれが永遠に来ないんだなっていうのは、
イデオロギーと価値観の多様性
すごく周りを見てて、それが不思議なんですよ、逆に。
なんか、問いたいですね。
だからすごい聞いたんですよ、その理解してるんですか?みたいな。
なんか、活動すると絶望があるから変われるっていうのを、
2人に共通して感じるね。
ああ、確かに。
ムロさんほどなんかいいエピではないんですけど。
僕がこのアポカリ通じて思っているのは、
リベラルと称する人々の話と、
今リベラルと呼ばれているような一連のイデオロギーの問題と、
で、来るべき社会の問題と、
その来るべき社会にどのようなプロセスで到達するかっていう問題の4つがあって、
それがすごくごちゃごちゃに語られているという印象があり、
リベラルである人々が感じ悪かろうが、
いろんなことが分かってなかろうが、
それが趣味であろうが、本気であろうが、
マスターベーションであろうが、
僕は基本的にはどうでもいいことだと思ってるんですよ。
人間はいろいろなことをするっていう、ただそれだけの話であって、
それを評価し得るのは、
イデオロギーとして、今日リベラルとラベルをつけられているもの、
このラベルをつけられているものの中も全部すごく多様だし、
いろいろな考え方が多分あると思うし、誤解もあるだろうし、
全然洗練されてない一つのイデオロギーの体験になってないことだと思うので、
これをいちいち整理して説明するっていうのは結構難しいことだと思うんですけど、
僕が自分の立場として、その中核的にある価値っていうのは人権だと思ってるんですよ。
それをゼトするか否とするかっていうのは大きい立場だと思うんです。
そのイデオロギーをどう評価するかっていう問題があり、
それが人権の問題に対して、
オッケーな話なのか、グッドバイブスな話なのか、バッドバイブスな話なのかっていうのはやっぱある。
リベラルと称する人々が人権の価値に対して、
グッドバイブスそうなことを言っているんだけど、
実際の行為としてはバッドバイブスなことをやっているっていうことはあるでしょうという話があって、
ただそれがあるからといって、
イデオロギーの価値みたいなものが既存されるかというとそうではないと僕は思うんですよ。
これはイデオロギーの価値はイデオロギーの価値で議論されるべきことなんだと思うんですよね。
もう一つのプロセスの問題として、
このイデオロギーの価値がうまくアウトリーチしていないから、
それはイデオロギーを唱えている人々が悪いっていう話が割と繰り返し出てると思うんですけど、
そのような批判はあって叱るべきだろうと思ってるんです。
他方を立てつけとしては、
それぞれの人間存在がそれぞれの自由意志によって主体的に自己決定できるという立てつけてやっているので、
社会の中で相手がこうだからこうとか、誰かがこうだからこうの話ではなくて、
自分の決断としてどうするのかっていう話にしか、
ポリティカルな問題としてあんまり意味がないと思うんですよ。
それは問題ある政治家もいるだろうし、問題ある活動家もいるだろうし、
民主主義と主体的判断
現代のイデオロギーの中でも気色悪い人はいると思うんですよね。
別にどのようなイデオロギーに関わらず、いろいろな人がいると思うんですけど、
問題はやっぱり自分がどうするかでしかなくて、
自分がどのようなイデオロギーによって価値判断しているのかということを知っていってやるしかないと思っているって感じかもしれないですね。
でも今の室さんの指摘、すげえ大賛成というか、
アポカリの構造自体、何でこういうややこしい、分かりづらい、受けにくいやり方をやっているかというと、
そもそもこのアポカリを聞いてほしい人のペルソナが、
考え続けられる人みたいなものを求めているところがあって、
だから基本今言ったように、今室さんが4分類したことが混ざって話は進んでいるんだと思うし、
これがどこに向かうのかというのを、僕も責任は取らずに進めてはいるんだけど、
こういう話を複雑なものを複雑なまま進めるという議論って、
今あらゆるプラットフォームの中ですごくやりにくくなっている。
特にファストになっている世界ほどやりにくくなっているから、
こういうポッドキャストのような場ではそこをやってみたいというのが大元あったのね。
その中で、多分この3社でいろんな意見の食い違いやスタンスの違いがありながらも、
唯一同じ方向を向けているなと思うのは、リベラルと言われるイデオロギー自体を信じている。
世代が10歳ずつ離れているんだけども、そこは信じられているなという前提があって話しているから、
多分脱線しても話せているような気がするんだよね。
じゃあ僕らが信じたい世界や仲間になりたい人や、仲間の周囲にいる隣人たちに望むことは、
大元そこのイデオロギーみたいなものは外さないで、
信じた人たちであってほしいみたいな、その願いはあるような気がするというか、
ただそこが今脅かされるような事態になっているという話は共通して言っているような気がする。
そもそもそのイデオロギーというのがヨーロッパで教育を受けた人と、
この日本で教育を受けた人とかっていう世界によって、そもそもインストールされ方が違うから、
そもそも理念ベースのところの同意を得ていないまま、
室さんの言い方で言うと残りの3つの話だけをしているので、
ずっと整合性が取れないみたいな、そんな印象があるんだよね。
だから少なくても僕らは、僕が一番多分今リベラルに対してすごく引いた立場のような発言をしているんだと思うんだけど、
根本は世の中っていうのはリベラルの信じているもので進んでほしいと思っているし、
それとあるべきっていうところは僕もあるっていう、そこは約束できるというかね。
その中で、やっぱり射程の話で、室さんは特に古典ラジオ出身にいたこともあったりすることもあって、
過去だったりっていうものも紐解きながら未来っていうのを見据える発言ができるので、射程がすごい長い話をしていると思うし。
確かに。
で、つかささんは今の自分の今、ポップにやってるっていう意味もあるから、すごく射程が短いって言うとこれはディスじゃなくて、すごく今を見て。
それコンプレックスでもありますけど、人間として、僕もムルさんみたいに射程長く憧れるんですけど、
本当に良くも悪くもっていう感じで、アポカリについてめっちゃ感じます。超現実的な。選挙どう勝つのみたいな話をよくするし。
で、そこで僕、つかささんはすごく今を射程にしてるんだけれども、絶対これはっていうのはすげえなと思うところっていうのは、
フランスを中心とした、もともとインストールされたOSのつかさみたいな。
つかささんが意識してようがしていまいが、無意識にインストールされたものの、もともとの射程の長いものをインストールされてるなって思うから、
だからそこの力強さは感じるし、で、僕は逆に言うと全くそれがない、アカデミアにも通ったこともないし、ないんだけれども、
僕はギリギリと、あれなんですよ、やってるなりわいが文化なので、文化っていうのはムルさんによって立場が取らざるを得ないというか、
過去、過去っていうものと未来っていうものをつなぐ今っていう存在でなければいけないので、基本的な人格がムルさんに近い。
ただ、僕の言ってるやたらとリアリティの話をするのっていうのはすごく射程の短い話をしていて、
今リベラルが敗北して2025年から向こう30年ぐらいは完全に違う世界になるよみたいな話を僕は言いたがるんだけども、
だからすごく射程の短い話をしているんだけども、でも根本はムルさんによって考え方をする。
だからそこの3者の違いはすごくよく出てるなと思う。
会話でもいつも出てますよね。すごく感じます。
この前提で聞けないとアポカリを聞くのは辛いだろうなと思うね。
なるほどね。
でもなんかそういう人たちが聞いて何人離脱せずに残るのかなって勝負というか、むしろリスナー数を増やす勝負というよりは、
何人この話に付き合い続けられるんだろうなってことをずっとチキンレースやってるようになってる。
一回ちょっとハマったらどうやって逃がさないか。
逆に離脱するようなことをやってるんですよ。
なんか聞き心地の悪いような話し方だし、まるで聞いてる人のことを指すようなテーマを挙げたりもするし、
決して自分の大事な24時間の中の1時間を使うには心地がいい話し方はしないので、
むしろ離脱を促進するような話し方はしてるんだけども、
でもその中でもこの3者のように話し続けられる、考え続けられる人っていうのがリスナーでいてくれたらいいなみたいな話し方をしている。
ってところで、締めなんだけど、さっき室さんが言った民主主義自体を信じるっていうことは、さっきの室さんの言った感じ?
要は人は個人として主体的に物事を判断できるっていう大前提を誰に対しても、まず信じましょうっていうベースからスタートですよ。
っていうのが民主主義かなと思う。結果、行動や結果は何であれ。
で、もう1個はその前提がありながら、僕らそれぞれのスタンスで活動するときに室さんのように市民活動に参加して、そういう辞めるとかっていうパターンもあってもいいし、
本気で考えてるからこそ、司さんのようになんかこうポップに伝える、ボルタンティビューを伝えるがあってもいいし、
僕が今言ったように、それってもっと趣味みたいなスタンスでやった方が結果、結果アウトプットがスマートになるんじゃね?っていう僕みたいなスタンスがいてもいいしってことな気がしました。
え、大丈夫ですか?
わからない。まとめてしまった。
いや、アグリしてくれてるから。
モテと民主主義の考察
聞き直して検討してみます。音声を聞き直して。ちょっと僕、頭悪いんで考えるのに時間がかかるんですよ。
気になる。
でも今回、まあまあ取り留めるような話なんで、ちょっとまあ編集でいじってみるけど。
話したこと自体面白かったと思います。
大変面白かったです。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
3名の僕による草も生えない声のディストピア、アポカリ。
シーズン1は毎期第3金曜日配信。
アポカリのサブスク型メンバーシップサービスセクトを開設しました。
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次回をお楽しみに。
01:56:08

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