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2025-09-25 53:55

EP10|モテと民主主義(中編)

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『民主主義』の成り立ち/西洋と非西洋/ヨーロッパの義務教育下でインストールされる民主主義/シビックエデュケーションとディベート/政教分離/人権がなくても成立した民主主義/属性によるパージのドミノ/西洋型民主主義の弱体化/二重国籍者の投票権/ガザに対する国際社会の無力/リベラルとネオリベ/独自の統治技術を生み出す途上/ロベス・ピエールの恐怖政治/国民主権が奪われるパターン/オバマケアを奪われると思わなかった人々/”誇り”をください/振り子が戻らなくなる感覚/経済的停滞の標的/泥舟の会話

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muro @ryunosukemuro

アンソロポロジスト。九州大学人間環境学府博士後期課程単位取得退学後、在外公館やベンチャー企業の勤務を経て独立。社会人向け人文学ゼミ「le Tonneau」を主宰。法人向けの調査、研修、諮問などを請け負っている。Podcast番組「新日本駄洒落協会」「のらじお」を配信中。

つかさ @t_tanimoto

建築事務所勤務。東京生まれ、ブリュッセル育ち。ベルギー国籍。仏語と英語を活かして、翻訳者/編集者としても時々活動。UCL(ロンドン大学)で化学工学、パリ政治学院でコミュニケーションを学ぶ。Accenture SongやBCG Xなどでサービスデザイナーとして勤務後、キャリアチェンジし、現在に至る。valkneeとリー子と『ラジオ屋さんごっこ』配信中。

メチクロ @maticlog

1995年〜造形家として「S.M.H. (ホビージャパン)」誌にて全18作品連載

2000年〜グラフィックデザイナーとして活動開始 [BLAME! 特装版/ バイオメガ / アバラ特装版 / シドニアの騎士(弐瓶勉)] [ハイスコアガール (押切蓮介)] などを担当

2002年〜弐瓶勉・林田球・D[di:]・L?K?O・メチクロによるポータルサイト[MHz/メガヘルツ」を開設

2005年〜MHzSHOPにて、ドロヘドロ・東亜重工などのアパレルプロダクトを製作販売開始

2009年〜造形家として、宇川直弘・THE LEFTY・フルカワミキ・マヒトゥザピーポー(GEZAN)・大友克洋・灰野敬二らのオリジナルマスクを製作

2010年〜オーディオプロダクトデザイナーとして、[HP-A8 / HP-P1 / KOTORI301(FOSTEX)] の他、[TOON WORKSHOP(Mr.Harn / LINKINPARK)/Doublezero(ZEDD)]のブランドディレクターを担当

2019年〜JAPAN PODCAST AWARDS製作総指揮(第三期を以て退任)

2019年〜IKEUCHI HIROTOの顧問として参画

2021年〜ぷにぷに電機と共にPodcast『LAUNDRY AM』配信開始

2022年~株式会社雑談を設立 [CRAFTBEER BAR & PODCAST STUDIO雑談・営業開始]

サマリー

このエピソードでは、民主主義の起源とその歴史的背景について深く考察されます。特に、ギリシャやローマの民主主義の形式や、近代的な議会制への移行が探られています。また、アメリカの民主主義の形成におけるネイティブアメリカンの影響も取り上げられています。このエピソードでは、民主主義と人権の関係、特に近代民主主義の枠組みにおける人権の重要性が議論されます。さらに、ディベートの教育が民主主義の基盤を形成する役割や、世界の民主主義の現状についても考察されています。このエピソードでは、現代の民主主義とその限界についての考察が行われています。また、国民の投票権や人権の重要性、そして歴史的な視点から見た民主主義の変遷についても触れられています。このエピソードでは、民主主義におけるアイデンティティの重要性や、選挙での投票行動が自身の権利を脅かす可能性について考察されています。また、トランプの例を通じて、ポピュリズムや経済政策の失敗が政治的選択にどのように影響を与えるかも語られています。今回のエピソードでは、民主主義とそのさまざまな見解が探求され、具体的なアイデアについての議論が展開されています。

民主主義の成り立ち
アポカリからの告知です。
サブスク型メンバーシップサービス、ROOMにて、
アポカリのROOM·SECTを開設しました。
SECTでは、限定音声、動画、コラム、チャットなど、
メンバーだけが体験できるコンテンツを続々更新中。
詳しくは、番組概要欄をチェック。
ちょっとこれまでエピソードを重ねてきて、
どんどんいろんな寄り道しながら、
僕らの資座とか姿勢とかは、
十分今までので喋れたかなと思っていて、
で、あえてミクロな話題から、
ああいうふうにこういろいろ脱線しながら話したんだけど、
ちょっと今回は、それを集約したちょっと大きい話をしたくて。
なので、今回はもうド直球で民主主義を、
3人で語ってみたいなと思うので、よろしくお願いします。
いいですね。
ド直球で。
ド直球だし、
分かりやすくて。
重すぎねえかっていう、でかすぎねえか。
ちょっと抽象的すぎるっていう、言われたこともあるんで。
そうだよね。
直球だから。
多分民主主義って、それこそアカデミア的な捉え方でいくと、
それこそ滅多なことを言えないぐらいすごく難しい、
括弧たる何かがありそうだし、
言いながらも僕らのようにそういうふうな立場じゃない人からすると、
当たり前すぎてよく考えたことがないものだったりするかもしれないし、
なので、ちょっともう一回そこ棚下ろししながら、
今まで僕らが話してきたことなどを混ぜつつ、
ちょっとその民主主義についてちゃんと話してみたいと。
で、まあちょうど今ね、選挙が終わって、
で、まあ選挙的に話は落ち着いたところで、
でももう一回その概念みたいな話をしたいな。
大きい方の。
はい。
なので、ちょっとまあいつものようなやり方になるんだけど、
冒頭、むろさんに、
民主主義っていうもの自体の成り立ちを、
なんか僕らに分かるような言い方で、
ちょっとさまってほしいなと思う。
お願いします。
わかりました。
この場合、民主主義って言ったときに、
結構たぶん括弧つきの民主主義になるかなと思っていて、
括弧つきの民主主義ってどういうことかなっていうと、
僕たちが今、民主主義の歴史として捉えているのは、
ある意味で、西洋中心主義的に編成された、
イマージナルなものに過ぎないっていうのがあって、
っていうのはどういうことかっていうと、
はじめギリシャで民主主義があって、
まあローマで共和制みたいなのをやっていて、
で、それが暗黒中世によって失われたんだけど、
ルネサンス以降、ギリシャ、ローマみたいなのが再発見される中で、
フランス革命につながっていき、
国民を主権者とする民主主義っていうの、
機械性民主主義っていうのが誕生しましたよっていうのが、
一つの大きい流れだと思うんだけれども、
具体的な制度史みたいなのを見ていくと、
ギリシャ、ローマの民主主義と近代的な民主主義っていうのは、
一応断絶していて、
フランス革命と議会制
で、どちらかというと、
ゲルマン人が持っていた民会みたいな組織があるんですよね。
で、ギリシャ、ローマだけではなくて、
結構世界中の多くの民族とか文化において、
よくあるんですけど、
共同体の参加者っていうのが、
基本的に全員参加可能な総会みたいなのがあると。
民会とか総会みたいに、
ジェネラルアッセンブリーみたいに言われるみたいなものがあって、
で、その時、構成員全員って言うんだけれども、
一定の参加資格っていうのがあることが多いわけですよね。
成人男性であるとか、
あとは戦士階級の人とか、
いろいろなものがあるんだけれども、
ただ権利を持った人が全員参加するアッセンブリーみたいなものがあって、
集会みたいなものがあって、
で、これが王権がどんどん集中する中でも、
王の諮問機関として議会とか集会みたいなものが残っていて、
で、例えばイギリスにおいては、
王権っていうのが歴史的にずっと弱かったので、
王様の権力みたいなものを制限するものとしての、
貴族とか聖職者が代表する議会とか、
カウンシルみたいなものが、
評議会みたいなものが残り続けて、
それがイギリスの議会みたいなものに発展していくし、
フランスの場合はちょっと状況が違うみたいなんですけど、
やっぱり王様がローマカトリックの影響を逃れるために、
フランス国内の聖職者とか貴族とか、
あとは自治都市の代表者とか、
そういう人たちを集めて、
議会っていうか会議みたいなものを取って、
朝政権っていうのはローマカトリックじゃなくて、
フランス国王が持つよね、
みたいなことを合意させたみたいなのが中心となって、
それは三部会っていうような三つの身分、
平民と聖職者と貴族っていう三つの身分からなる議会っていうのに発展していき、
で、そのフランス革命の時にこの三部会みたいなものが開かれたので、
その流れの中で国民の代表っていうのが集まる議会制みたいな、
議会制民主主義みたいなものが授与されていったと。
アメリカ独立と先住民の影響
で、面白いのはアメリカの事例で、
アメリカっていうのはイギリスの民会の歴史みたいなものを引き継いでいる、
イギリスの議会の歴史みたいなのを引き継いでいるので、
その植民地の各植民地の州の議会みたいなものは作っていたんだけれども、
その時にこの議会制度みたいに影響を与えたのは、
ネイティブアメリカンの人々だと言われていて、
今、ゴダイコってカナダとアメリカの国境あたりにある湖あるんですけど、
そのあたりに住んでたイロコイ人っていう人たちいるんですよね。
イロコイ人って一つの民族じゃなくて、
複数の民族が集まってイロコイ系称を話す人々っていうグループなんですけど、
そのイロコイ人っていうのは白人の入職者が入ってくる段階で、
ショブ族っていう6個あったらしいんですけど、
6個の民族っていうのを統合してイロコイ連邦みたいなのを作ってたんですよね。
そこに議会があったりとか、
お互い代表を集めて連邦全体の動きを決めたりとか、
そういうことをしてたんだけれども、
その先住民っていうのが、
イギリスの植民者っていうのはいっぱい植民地を持っていて、
それぞれの議会と交渉しないといけないと、
しないと何も決められないみたいな、
イギリス植民地はイギリス植民地で一個連邦作ったらええやんみたいなことを言ったのが、
アメリカの独立の連邦、13の連邦を作ろうみたいな、
発想の根源になったんじゃないかっていう研究があるらしいんですよね。
なので、ゲルマンジンにおけるアッセンブリーみたいなのに相当するような、
全ての参加者みたいなのが参加する総会みたいなものを作り、
そこから政治代表を出して連邦を形作っていこうみたいなのは、
どちらかというとネイティブアメリカンの伝統の中から、
アメリカの民主主義の中に取り入れられていったんじゃないか。
これいろんな議論があるらしくて、
原型とされてる。
そう、そんなことは全くないと。
アメリカの白人系の入職者たちが、
ネイティブアメリカの文化から影響を受けるわけもないって言ってる歴史学者とかもいるし、
いくつかの議論があるらしいんですけど、そういう見解もあるっていう話。
で、そういうふうないくつかの思想的な源流っていうのを持ちながら、
今日行われてるっていうのが、
国民を主権として、国民を持った主権者が投票権を持つ議員代表制というか、
代表を議会に送り込んで、議会が国家を運営する政府を形作るっていうような、
そういうふうな選挙制度みたいなものが近代において成立したっていう、
そういう感じかなと思います。
いわゆる西側諸国と言われる人たちが、
世界に広めていこうとしたものが、その形っていう認識が僕は80年代以降、
そう思ってるんだけど、そこは大体間違ってない。
第二次世界大戦以降ぐらいに、やっぱりアメリカとヨーロッパを合わせたっていう意味での西洋人みたいな。
だから多分それまでの意識だと、ヨーロッパの歴史はヨーロッパの歴史、
新大陸の人たちは新大陸の人っていう感じだったと思うんですけど、
ヨーロッパの歴史認識における、ギリシャ、ローマの正当な後継者としての西洋みたいなものっていうのが、
その時期に形作られていき、そこで初めて非西洋みたいなものっていうのが想定され、
僕の認識ではある意味でそれを輸出しようとし始めたのかなっていうのは思いますね。
それは、それまでは彼らは植民地支配としてアジア、アフリカっていうのをコントロールしておけばよかったんだけれども、
それらが独立していく中で、望ましい政府っていうのはないかっていうものの中で、
民主主義とか自由主義経済みたいなものを移植しようとしてきたのかなっていうのが、僕の理解です。
OK。またいつものやり方で、次、司さんに。
じゃあ、その民主主義っていうものが、西洋、いわゆるヨーロッパから今形作られたっていう中で、
司さんはヨーロッパで義務教育を受けてきた人なんだけど、
司さんの現体験としては、教育でどのような形で民主主義って教わるのかを聞きたいんだけど。
むしろ、日本ではどう教われてるのか気になるとこなんですけど、
なんか、僕にしてはそんな特別なことはなく、まず、僕の記憶上ですと、
普通に当たり前ですけど、セオリー、論理的には教えられてきた。
何歳ぐらいのときにそれってインストールが始まった?
え、でも、最初のほうが小学の後期のほうぐらいで、
ただ、中学から、1つこれは確か日本にはないかもって思ったのが、
シビックエデュケーションっていう授業があるんです。
エデュケーションシビックって言うんですけど、
そこの中では、ちょっと抽象化した状態の民主主義とか、フランスの価値観とかを教える授業みたいな感じで、
すごいシンプルなことだと、フランスのモットーっていうのかな?
エギャリティ、リベティ、ファテアニティっていう、何て言うんですか?
平等、平等派。
ありがとうございます。
を、教えるというか、それをもちろん論理的にセオリーとしてある、で、それをどういうケースで使われるのかとか、
なんか、擬似体験っていうのかな?
なんか、こういうとっくりはこうやってやるのが平等だよみたいな、そういう感じの授業あったのをすごい覚えてますね。
じゃあ、なんかいわゆる、さっきムラさんが言って鍵かっこつきのって言ったのと近いと思うんだけど、
その民主主義っていうさっき言った議会構造とかみたいなものを暗記的に覚えるようなものというよりは、
そのフランスの文化のベースとなる自由平等博愛っていうものをしっかり子供に根付かせるための教育みたいな意味合いの方が強い。
両方、がっつり両方ありました。全然あの暗記もめっちゃしました。
全然それもあり。
あれ、日本だと何ていう授業なんだっけ?これ公民とかあったっけ?なんだっけ?
中学校までは社会科とかなのかなと思うんですけど、
高校に入ると公民とかで習うのかなって思いますけど。
そうだよね。いわゆるこう文字として暗記しなければいけないようなものはなんか公民とかで書いていて、
まあ三見分立とか含めてああいうのを習うっていうのが日本の漢字。
あとは現体験はもう早くから小学校の頃から要は多数決で生徒会長を決めるとか、
多数決で学級委員長を決めるみたいな。
なんかそのアクションとしての民主主義というよりは、
だから日本人がよく民主主義と多数決を混同しちゃったりするようなものもあるのかもしれないんだけど、
なんかそれは小学校の頃から多分あるよね。
フランスでさっき記憶たどってたんですけど、
まあ日本にはなさそうだなって思ったのが、
その自由とか平等とかってむしろもう今だと当たり前っちゃ当たり前だからそんなに記憶に残ってないんですけど、
すごい確かにこれは特別だったなと思うのが、
ディベート教育の重要性
国と宗教は別々であることみたいなのはめっちゃなんか言われた覚えがあって、
クラスの中にもいろんな宗教の人がいる。
中でそれもなんかめちゃくちゃ具体的でしたし、
それは僕は無宗教だったんで、
なんか関係ないとか思いつつも隣にはそういったイスラム教とかキリスト教とかもいたので、
なるほどみたいなこともながら。
日本人で言うとこの聖教分離みたいな、
そういうマインドを結構丁寧に。
かなり丁寧に。
リアリティを持って教える。
それはすっごい覚えてる。
めっちゃリアリティ。
まあ先生たちもすっごい責任持ってやってたんだろうなって元になってから思うのはあります。
で、もう一つは、
これも日本ともしかしたら日本ではそこまで力入れてないのかもって思うのが、
ディベート。
それはもう教えるとかじゃなくて、
それが一つのベースとしてあって、
それをディベートを用いた手法で授業を進めるっていうのが、
当たり前っちゃ当たり前で、
だから文化的にフランス人も大人になってからも、
例えばバーとかでも、
めっちゃ議論好きとか、
僕がめっちゃおしゃべり好きなんだなとか、
すごい影響されてるんだろうなとはすっごい思うし、
これは勝手な想定ですけど、
日本ではそういったディベート論っていうのは、
そこまで馴染んでない社会なのかなっていう中で、
そんなに議論することを好まないとか、
議論がそんなに浸透していない感じは、
ここに育ってないものとしてはなんか感じます。
だからやっぱその、
自由、平等、愛をはじめとして、
民主主義っていうものを根付かせるための、
身につけるべきスキルみたいなものにディベートっていう、
基礎体力的なものがあってなんだね。
そうですね。
だからそこがあるから議論ができる。
で、議論ができるから、
国民が物事を決められるっていう、
ちゃんとそういうベースがあるんだよね。
あるよね。
おそらく無意識ですけど、
やっぱり議論する、ディベートするっていうのは、
実際自分がしたら、
複雑性とか、
ゼロイチじゃないとか、
そういったのがわかるじゃないですか、ちょっとだけ。
猫とか、
あ、なるほどみたいな気持ちが、
無意識に芽生えるのかな、みたいなところが、
すごい無意識なところではあると思うんですけど、
やっぱりそういったのを、
ちっちゃい頃から言われるのと言われないのは、
やっぱ、国民性には絶対出るんだろうなっていうのは。
人権と民主主義の関係
ちなみにその現場だと、
ディベートが得意だろうが苦手だろうが、
全員当事者としてそのディベートをさせるっていうような、
ワークショップ的なことっていうのはある?
あ、そうそうそうそう。
クラスにめっちゃ。
下手だろうが上手かろうが。
もう関係ない関係ない。
えー。
それめっちゃクラスでやります。
そこで力の差って歴然と出ちゃったりする。
もちろんもちろん。
それはそれなんだ。
でもそれが目的じゃないんで、
上手いとかじゃないんで、
考えて自分の言葉で発するみたいな。
高校からはもう、
なんていうんですか、
受験ほど日本みたいな受験はないですけど、
やっぱりそういうムードになるんで、
もうないんです。
ないっていうか、
場面はめっちゃ少なくなりますけど、
小中はめっちゃそういうなんかエクササイズみたいな、
ワークショップみたいなめっちゃやります。
前回、すかすさんがこう考えなければダメっていう教育があったことで、
考えたことをちゃんと伝えなければいけないまでが、
もうセットで教えられるんだね。
まさにそうです。
だから、
カルチャーショックありますよね。
成績いいけどみたいな。
そうだよね。
考えてたらいいよっていう、
親もほんとにいっぱいいたから周りに。
今思うとすごい素敵だなと思いつつも、
10歳の僕はなんか意味わかんない。
そうだよね。
そうだよね。
なるほど。
平均点より下なんだけどみたいな。
理系的な脳って言ったら、
全然合理性を感じないもんね。
まさにその通り。
なるほど。
豊かだとは思いますけどね、ほんとに。
だからやっぱり、
国によってこの民主主義とかの教えられ方とか、
それぞれの国民が認知してる形って、
かなり違うだろうなと思ってるからこそ取り上げたんだけど、
じゃあ今現代において、
2025年の今の日本において、
民主主義ってどのような形で認識されてると思うのかを、
ちょっと掘ってみたいんだけど、
室さんが前回特にこう言っていた、
このままでいいんですかって言ってたニュアンスの、
その守るべき民主主義、
で、そこを手放すと中世に戻るよって言ってた、
そこのニュアンスにおける民主主義ってどのようなイメージ?
このままでいいんですかっていうのは、
現状の認識についてですか、
それとも、今日本で民主主義がどのようにワークしていると思われているかっていうことですか?
両方なんだけど、ひとまずは、
今危惧していて失われてしまうものっていうのは、
民主主義と言われる形の中におけるどの部分を言ってるのかみたいな、
例えば民主的な手続によって選ばれた、
ある極右政党みたいなものが対等することによって、
何かが起きるんだとした場合、
それって民主主義的には、
民主主義が壊れてる話なのか、
民主主義の後財の財の部分が現れる話なのかっていうのをちょっと聞きたい。
僕が危惧しているのは人権が失われることですね。
民主主義とかよりももっと、そもそもの人権なのか。
人権がなくても民主主義はできる。
ギリシャにも奴隷がいたし、
民主的な都市国家を運営していたインドの地域にも、
イスラム教圏にも奴隷はいるし、
政治に参加できない階層の人たちっていうのはいたわけで、
そう考えると別に、
人権というのが民主主義を従前に機能させるために、
必要不可欠な要素ではないんですよね。
ただこれが近代民主主義とそれ以外の民主主義の多分大きい違いで、
近代の民主主義っていうのは、
そこの社会で生きる人たちっていうのは基本的な人権をもって、
政治に参加するっていう、
まあそういうたてつけだと思うんですけど、
その意味で、人権を制限するっていうことが正当化されるロジックが、
現在組まれつつあるなと。
それが別に法律には全然反映してないんだけれども、
法律に反映させるという動きがあったりとか、
法律って少しずつしか変わらないので、
例えば日本の民法って明治の民法を引き継いでると思うんですけど、
明治の感覚で作られたのだから、
現在の人権感覚からすると、
乖離してる部分ってあると思うんですよ。
それを変えようという動きに対して、
変えなくていいんだよってなったりとかっていうのは、
現状人権が制限されている状況に対して、
なんていうかな、それを肯定するっていう話。
だから現実問題というのは、
人権が制限されている状態になるっていう話かなと思っていて、
そこが危惧しているポイントかなと思いますね。
じゃあ民主主義そのものというよりは、
によっての人権の話ってことか。
じゃあ、民主主義って、
そういうことができちゃうシステムではあるってことだよね。
自分、自らの人権っていうものを制限することを、
民衆自らが選んでしまうっていう、
手続きすらできちゃう仕組み。
民衆自らの人権を制限することを、
民衆自らが選ぶということは、
多分あんまり起きないと思うんですよね。
現代民主主義の現状
どういうふうに起きるかというと、
民衆が自分たちの中に、
A属性の人とB属性の人を生み出して、
A属性の人がマジョリティであれば、
じゃあB属性の人をパージできるようにしましょう、
ということになるという話ですよね。
これがだんだん、じゃあA属性の中に、
A'の人とA''の人を作って、
じゃあA''の人はパージしましょう、みたいな形で、
社会の中で身分が階層化していくみたいなことは、
起き得る、そういうふうな選択をし得るとは思うんで、
これって自分たちの人権が制限されると思って、
投票はしてないと思うんですよね。
例えばこのA''の人とか思ってなかったと思うんですよ。
Bの人たちをパージしたときに、
その次に自分たちがパージされるとは夢にも思わなかったと思うんですよね。
でもこういうことが起き得るので、
このドミノを起こさないためには、
Aの人とBの人でBの人の人権を制限しよう、
みたいなことをしないっていうことがすごく大事だと思うんだけれども、
現行そっちには向かってなさそうだなっていう感じはします。
なるほど。
で、今現在、民主主義を選んでない国家ってあるじゃない?
ありますね。
で、分かりやすく今対等してきてるのがその形だったりするわけじゃない?
例えば中国って、いわゆる西側諸国が考える形の民主主義はやってないかったりとか、
で、ロシアも民主主義をやってるとは言ってるけれども、
いわゆる僕らの知ってる民主主義の手続きで運営されてるとは思えない国家だったりするじゃない?
で、なんかそういう人たちと共存するために、
西側諸国っていうのはずっとパワーゲームをやったりとかしてきたと思うんだけども、
今現状、その民主主義っていうものの力って、
世界において弱まってるように映るか強まってるように映るかだと、
その西側諸国が拡大しようとしていたっていうものは僕の認識なんだけど、
その拡大は止まっていってるのか、
それとも違う勢力に押し返されて弱まってるのかとか、
なんかそういう認識、室野さんや塚田さんだとどう感じる?
感じます。
ただ、ニュースで見たことで感じてるっていう感じなんですけど、
普通にアフリカに対する影響力とか、
ロシアとかシリアとか、中国のほうが全然強まってますし、
反植民地運動とかもすごい強いから、
フランスとかも弱まってますし、マリとかも撤退したのかな。
なので、全体的に弱まっているし、
アメリカも民主主義で勝ち取ったトランプが今、政権取っていますが、
ところどころ反民主主義的なムーブで、
自分が得するようなシステムを構築していっている。
詳しいところはググってほしいけど、
なんかそういう投票をチェックする機関とか、
投票をチェックする人物とか、
大統領もしくはその大臣たちのパワーバランスを、
コントロールする機関の偉い人たちを自分の味方にしたりしてるんで、
弱まっているが、それ以上の面白いことが言えるかっていうのはちょっと。
つかささんの実感として、リベラルであるって辞任してるつかささんが、
ここ数年で起きてる現象で、
何を一番奪われていってるように感じてるのかを聞いてるのかもしれないけど。
じゃあ、めっちゃ自分ごと化すると、
僕は元二重国籍者、今はベルギー国籍者として、
10年前、15年前とかだったら、
二重国籍が認められる日本とか、
外国人が投票できる世界戦とか、
ありえなくはない世界戦だったと思うんですよ、15年前とか。
リベラルがピークで、
リベラルのなんかムーブメントがピークで、
もうこのまま行くんじゃないかみたいな、
このままリベラルしか進まないみたいな、
なんか幻想だったんじゃないですか。
今思い返すと。
民主主義の未来
で、それは、僕も別に若かったし、
ナイーブにこのまま進んでいって、
行くんだろうなって思って、
そしたら、いろいろスピードアップするけど、
今となって、そんな未来ないの?
僕が生きてる未来には、絶対ないんだろうなみたいな。
一番近いフランスでも、
まあまあリベラルなフランスでも、
今の状態だと、
外国人に投票権なんて、かなりありえないことだし、
地方戦でも、むずいんじゃないかなって思うし、
で、日本は20国籍、
もう僕100年後、絶対ないと思うし、
分かんない、どう変わるか分かんないけど、
今の時点だと、なんか想像力がないじゃないですか。
で、僕、ベルギー国籍者として、
地方戦とかでも、なんかむずいから、
そういった意味では、すごいなんか、
ちょっとバックした感じかつ、
悲しいというか、なんか、
もうその未来を望むのも不毛っていう心境には、
すごくなって、悲しいかな。
人権の後退
なんもできないなーみたいな。
みんな頼んだ。
そういった意味では、
それを民主主義と捉えるのかっていうのは、
結構難しい問題だと思うんですけど、
ここ数年で結構、
僕が大きく失望したことの一つは、
イスラエルのガザ進行に関して、
国際社会がほとんど無力だったことに関しては、
人権の理念みたいなものが、
大きく後退したなとは思いましたね。
かなりひどいことが起きてますけど、
それに対して、
先進国が十分に影響力を発揮しているとは、
言い難い状況かなと。
分かんないですよ。
中東で大戦争が起きていないみたいなのは、
もしかしたら、すごく利害調整しているのかもしれないんですけど、
それをするために、
ガザのアルシナ人たちっていうのを、
世界でかなり見捨てていることに関して、
特に行動が起きていないとか、
国際的な協調行動が起きていないみたいなことは、
後退していると言えば後退していると言えるのかなとは思うんですけど、
だからすごい絶妙だなと思うのは、
今日の話だと民主主義の話だと思うので、
民主主義の話をすると、
今の議会制、議員内閣制とか、
国民議会みたいなものを作った人たちっていうのは、
あんまり民主主義をやろうとしてなかったらしいんですね。
国当初。
そうなの。
民主主義という言葉を広め始めたのは、
19世紀に入ってから、
社会主義者たちとか、
共産主義者たちがそれを使うようになった。
普通選挙みたいな、
投票権をより拡大していく過程の中で、
拡大するというムーブメントを起こすのに、
旗印して使われたのが、
民主主義という概念みたいなんですよね。
だから、
例えばアメリカで、
上院と下院みたいなのが分かれているのは、
実際に実効力を持った人たちで、
力が持っている人たちだけで政治をした方がいいが、
それだけだと暴走する恐れがあるので、
監視した方がいいよねっていう富を持つ者、
つまり貴族院みたいな意味での上院と、
平民のそれをチェックする、暴走をチェックする、
機関としての下院みたいなものとして、
上院と下院を作ったみたいな経緯があるらしくて、
それを広く全員の選挙権を出して、
民主主義的にやろうと思っていたかというと、
あんまり思ってなかったらしいんですよね。
そうすると民主主義みたいなのが、
西側の価値観かというと、結構絶妙なところで、
むしろ東側の価値観として民主主義があったわけですよね。
ただ東側の名手がソンベートになったことによって、
スタリニズムみたいなのが入ってきたので、
話がまた難しくなった、
みたいなことはあるとは思うんですけど、
じゃあその西側が、
じゃあもう当初から民主主義みたいなものを、
もうお題目のようにやって拡大してきたかというと、
別にそういうわけでもないとは思うんですよね。
なのでやっぱりリベラルという風な、
自由主義みたいなことも一口で言っても、
例えばその当時の近代の初期に出てきたリベラルっていうのは、
どちらかというと小さい政府を執行するというか、
自分たちを自由にやらせてくれっていう。
これをリベラルの人たちが言っていたのは、
それまでの絶対王政とか王権みたいなものが、
自分たちの自由をすごく制限していたので、
じゃあこの制限なくしてくれっていう話を、
政府っていうのは先制的で抑圧的なものだったので当時、
それをやめてくれっていう話をしていたと思うんですけれども、
特に第二次世界大戦以降とかは、
リベラルっていうのはどちらかというと、
機械の平等とか政治三角の平等みたいなのを担保するために、
政府の関与を増やしてくれっていう方向に行ってると思うんですよね。
社会的リベラルみたいなものになっている。
だからその自由主義みたいなものが、
その政府を小さくするっていうわけではなくて、
この政府を小さくしようぜみたいな考えてる人たちっていうのは、
現代ではネオリベラルみたいなことを言われているかなと思うんですけれども、
このネオリベラルの人たちと、
その社会的リベラルの人たちみたいなものがいて、
ここら辺の主張も結構離れているみたいなことなので、
リベラルと呼ばれるものっていうのが、
西洋的価値として単一のものでもやはりないっていうのがあるかなと思ったときに、
この今の時代っていうのが、
その民主主義みたいなものを、
その唯一新生の価値として世界中に輸出していたものの、
それが挫折したという意味では、
歴史的な流れとしてはそれが1個あるかなとは思ってて、
それが絶対にこの人権状況みたいなものを考えると、
マイナスかというと分かんないなっていうのは僕が考えてるところで、
もしかしたらそのヨーロッパの関与抜きで、
それぞれの社会的文脈、歴史的文脈から、
より人間の価値とか人間の自由とか人間の創造性みたいなものを
ドリブンするような統治システムみたいなものを、
それぞれの社会みたいなのが生み出す可能性が全然あるし、
例えば中国は権主主義だって一口に言うけれども、
もしかしたら彼らは独自の統治技術っていうのを、
今は生み出している途中の試行錯誤をやっていることかもしれない。
僕たちが例えば自由平等博愛めっちゃいいよねって思うけど、
それを生み出す過程においては、
ロペス・ピエールがめちゃくちゃ人殺したりとかしてるわけで、
過程の状況の話もあるから、
だからその歴史的価値みたいなのを今断言するみたいな、
結構難しいことかなとは思うんだけれども、
繰り返しになりますけど、
今の2000年代以降の歴史的状況の中で、
大きく後退したなと思うのであれば、
やっぱり人権を中心に何かの政策判断するみたいな力っていうのは、
衰えているのかもしれないっていうのはちょっと思います。
歴史的視点の重要性
なんかその国民主権っていうものと人権っていうものって、
強く結びついているものではあるのかな。
人権っていうのはもう別に、
何であろうが最上位にある人間、
ヒューマン・ライツであり、
国民主権って要するに、
国民が国の決定に関与する主体ですよっていう約束の話じゃないですか。
だから必ずしも人権と国民主権っていうのは、
完全にくっついているわけではないのかな。
完全にくっついているわけではないのかもしれないですけど、
人権を守るためには自分たちで政治参加しないと、
その言いよりやられてしまうので、
政治参加しましょうという話をしているのかなと思います。
それが権利ですと。
自分たちの権利を守るための権利があなたにありますっていう話なのかなと思います。
国民主権っていうのが脅かされることってあり得るのかって話したいんだけども、
今って一応投票権を持っていて、
するしないに関わらず、
ひとまず国民にあまねく投票権があり、
で、その選挙を通じて国政に参加することができるじゃないですか。
これがもしなくなるとしたら、
それはもう民主主義じゃないっていう形なのかな。
それがなくなっても民主主義ってあり得たりする。
何を言いたいかっていうと、
この前ちょっと話した話で、
人は政治のことを考えたいと思ってるのかっていうのもあるじゃないですか。
自分の持っている権利に耐えられず人っていうのは、
それこそ自由から逃走する習性もあるので、
自分が国のことを考えるっていうのを、
どんどん拒絶してって拒絶してって、
そういうものを手放そうと国民がしたときに、
国民主権っていうものがなくなってしまうっていうことってあり得る。
究極言うと投票率が、
50%終わり、30%終わり、10%終わり、5%終わったりしたような状況がもし生まれたら、
それってもはや民主主義とか国民主権が崩壊したっていう言い方になる。
どっちなんですか。
どうだろう。
そういうのって今までの事例としては一回も起きたことがないのかな。
ベルギーはそれを防ぐために投票が、
義務?
義務。
それはむしろ国の方が義務にしてるんだ。
国が義務にしてます。
逆に国としては投票してくれない方がありがたい政党もあったりする。
ありますね。
場合はそっちの力が強いとベルギーのような選択はしない可能性もあるよね。
そうですね。
でも価値観でやってる気がしますね、ベルギーが。
別に不利な政党とかもあっても別にそれをキャンセルしてるわけじゃないので、
今とか局が取ってるんで。
そういう流れで国民主権を奪われたパターンってこれまでの歴史の中で何かあったりするの?
もう代表的なのはナチスドイツじゃないですか。
はいはいはい。
要は国民によって選ばれたナチスっていうものが結果的に国民を選ぶ権利を剥奪した。
剥奪。
はいはいはい。
軍政によってポルポトとかを含めて東南アジアで起きてたような、
軍がクーデターによって政権を転覆させたりした場合って、
それで民主主義自体を変更したパターンとかってあったりするんですか?
難しいですね。
ポルポトとかは自分たちの方が民主的だと思ってたと思うんで、
それまでカンボジアって王政だったから。
そっかそっかそっか。
シアヌークを国外追放して、自分たちこそが真の民主国家を作ってるっていう感覚だと思うので、
キューバとかもそうですよね。
アメリカによる独裁政権みたいなのを追放して、
自分たちこそが真の民主主義国家を作ったっていう感覚なんだけど、
その後ずっとカストロ兄弟の独裁だったわけで、
民主主義だったところが民主主義ではなくなったことがあるのかっていうのは難しいな。
でもアテネもそうですね。ギリシャもそうだし、ローマもそうですよね。
なんで僕この質問したかっていうと、
すごいロングスパンで僕らは何を恐れていればいいのかみたいなことを考えたかったっていうか、
今政治状況をミクロで見ていくと、
それぞれの事例でいろいろありえないと思うことはあると思うんだけども、
これがこのまんま流れてたときに、
大きい流れとしてこんなことを本当に考えないとまずいみたいな話を一回想像してみたくて、
それをベースにして進みたいなと思って。
だから前回言ってた、ムロさんが危惧している、
今日人権って言ってくれたんだけど、
最終こういう流れを普通に受け入れているとこうなっちゃうよっていう話をもうちょっとリアルにしたい。
さっきムロさんが言ってた、
投票について、
投票と権利の危険性
投票する人が自分の人権とか自分の権利が奪われると、
思ってないまま投票してる人が多いと理解したんですけど、
それはすごい今の話ではキーかなって勝手に思ってて、
例えば今回の選挙だと賛成党に入れた人たちって、
一部は別に問題ないと思うんですけど、
一部は気づいたらなんか、
もし賛成党がめっちゃ強くなって、
フィクションですけど、今のところ、
障害者の人たちだったり、
例えば女性だったり、
そうならない可能性も全然ありますけど、
その人たちが権利を奪われるっていうのは、
大いにありえそうなスピーチをされている政党。
で、その一方で、
そのような人たちが賛成党に入れてる人は、
数十パーはわかんないですけど、パーセントはあると思うんで、
そういったところから始まるし、
そういったところを危惧しなきゃいけないというか、
僕はそこに危機感を感じます。
僕は票入れないし、票入れようとも思わないですけど、賛成党に。
入れてる人の中ではそういった人がいて、
気づいたら自分がターゲットだったんだっていう人は絶対いるんだろうなとは思うし。
アイデンティティとポピュリズム
もう代表例みたいなのは結構もうよくある話ですけど、
トランプに投票した人は自分たちのオバマケアを奪われるとは思わなかったわけです。
めっちゃいい例ですよね。
そうですよね。
めっちゃいい例。
移民がいなくなったら自分たちはハッピーハッピーになれるかなと思ったら、
今までの権利が奪われたわけだから、
そういうことっていうのはまあまああるでしょうねとは思います。
そこの最近の僕の解像度低い分析ですけど、
なんか政策で何を言っているかよりかは、
アイデンティティが欲しいとか認められたいっていう気持ちで、
投票先が決まっているところが多いと思っていて、
無視されている人が多すぎて。
この前、透明を扱いたかったのはそういうことですね。
そうですね。
で、トランプだったら、ある種のワーキングクラスだったり、
ある種のブラックアメリカン、アフリカンアメリカンたちも、
バイデン政権になんかすごい屈辱された気持ちになったせいですごい投票が、
割合がトランプの方に移ったとか、
でも、政策で見ると明らかにその人たちは得する、損する立場なのに、
そうやっているっていうのは大いにあり得るから、
そこはなんか、どっかの学者が言ってるんじゃないですか。
そういうアイデンティティ、よく言われることですけど、
アイデンティティポリティクスになっていて、
その誇りが欲しいみたいな。
そうですね。
あずまさんもなんか言ってた気がします。
そうだね。
だからなんか今、民主主義を取り上げたかったのは、
そこかなと思ってて、僕がね。
手続状は、いわゆる選挙だったりっていう手続きで、
民主的な手続きで、みんながそこに乗っ取って行うんだけど、
その根本ハックされてるのって、
そのポピュリズム的なとこっていうか、
その後何が起きるのかとか、
自分たちがどういうことを食わ立ててるのかっていうことは引っ込めた上で、
今の民衆たちが欲している、さっき言った誇りを与えるとか、
なんかそういうものによって、
食わ立てをしたい人に力を持たせてしまうみたいな。
その力はずいぶん強くなってるし、
ハッキングされやすくなってるなと。
過去にもずっとあったんだろうけれども、
テクノロジーがかなり進歩しちゃいましたからね。
そうそうそう。
経済政策の難しさ
なので、とはいえっていうところで、
アメリカは4年に1回選挙で、
2つの政党が戦って、
コロコロコロコロ変わるので、
振り子のように行くんだろうけど、
今1回振り子が、
それから2016年以降起きてるこの、
リベラルがすごく不利になってるような世界状況って、
また振り子が戻るような感覚があるかどうかっていうことも結構重要な気がしていて、
どう思います?僕もう言ったっきりにしばらくなるような気がしてるんだよね。
僕もそうですね。
世界はそこまでの多分数十年間グローバリゼーションを信じていた。
フリードマン的な言い方で言うと、
世界っていうのは見るものも、
見聞きしてるものが一緒になっていって、
購入するものが一緒になっていって、
どんどんフラット化していってっていう、
それがあまねく広がっていくっていう、
グローバリゼーションをなんか信じてたんだけども、
そこにやっぱその新自由主義って言い方だろうが、
リベラルって言い方だろうが、
みんな共通に信じてたのは、
世界はきっとこのまま進歩して良くなるみたいな希望、
だからサッチャー以降なんかずっとそんな気がしていて、
で、なんかそれがバツッと、
いやもう自分のことしか考えませんって、
国っていうのは国の中だけ考えましょう、
を言い出してるとこがボコボコ出てくるみたいな、
その極派みたいな話も。
で、今この動きって僕はなんか一回こっちにいた振り子って、
しばらく続くなと思うんだけど、
それはお二人どう考えてる?
むしろ室さんがもうすんなりそれを飲み込めっていうのが、
ちょっと意外というか、
信じたいという気持ちとさ、
実際そう思う場合また違ったりもする。
違ったりとするんですけど、
立派な戦いをしたリベラル勢を見てから、
それを鵜呑みにしたい。
なるほど。
日本ではあくまでそれを立派な戦いにしてなさすぎるのは大きいし、
世界の事例ではそれを感じるの?
フランスのほうが立派な戦いしてますけど、
なんか邪魔しあって、
惜しいところで負けたり、
まあね、バイデンとかも、
なんで、ごちゃごちゃあったじゃないですか、バイデンから。
で、なんか上手くしてたら上手くいってたし、
すごい難しいところだと思うんですよ。
確かに大きい流れで見たら、
完全に民主主義とかリベラル勢が弱まってますけど、
こういう話するときって、
大きい話、大きいムーブメントと具体を、
すっごい分けて話してますけど、
僕は今、ここめっちゃつながってるのでは?と思ってて、
そういった具体的なところですっごい下手なやり方が、
連続したせいで、
なんか大きい流れが違うところに行っちゃったけど、
トランプが4年また出るって、
それはバカでかいことだけど、
もしかしたら、
デモクラッツがもうちょっとね、
きれいなトランジションして、
バイデンはもうちょっと病気ですって、
2年ぐらい前に言ってて、
なんかもっといい立候補者がいたら、
もしかしたら、
話は変わってるかもしれないし、
例えばニューヨークの知事選とかだったら、
今すっごいめっちゃいい感じの、
これは主観的ですけど、
旧審査派のマンダニーっていう人が、
めっちゃ検討してて、
もうめっちゃみんなびっくりなんですよ。
すっごい右が欲しい方が強かったのに、
なんかこういう可能性がある。
その人、やっぱりいい戦い方してるんですよ。
コミュニケーションも政策も、
がっつり査派で、
ちょっとなんかごまかしたりとかせずにやってるんで、
日本も完全になんか動きは悪いけど、
いや、そりゃ今の具体的な戦い方みたいな、
そりゃ負けるよみたいなところは絶対あるから、
僕はそこは、
そうですねって言いたくないところですね。
ちゃんと戦ってって先に言って、
ちゃんと戦ったところを見て、
ちゃんと戦ったところを、
で、負けてたら、
まあしょうがないねとは言うんですけど。
だってなんか悔しいですもんね。
なんか賛成党とかが、
まあすごい上手じゃないですか。
政治戦略、政治PR、政治コミュニケーション。
で、そこを、
例えばなんか反回りの中で、
あれを上手いというのは、
間違いですみたいな。
それもタブーなんだ。
そういうところはあるから、
もう永遠と勝たねえんだよとか。
ラジオでもなんか言ったことなんですけど、
なんかみたいな、
そこはちゃんと認めて、
いいところはちゃんと学習して、
まあ政策は政策で、
今の現状を考慮して戦って、
どうなるかっていうのは、
まあ見たい世界戦だなとは、
僕は思っちゃいます。
なんかその、
イデオロギーの話は、
さはさることながら、
やっぱり、
経済的停滞で勝ててる国がないということが、
結構大きい問題かなと思っていて。
ああ。
多分ニューヨークでさはがやれているのは、
ニューヨークが世界の中で勝ててる都市だからだと思うんですよね。
やっぱり秘密すればドンスなんだと思うんですよ。
で、どんどん自分の生活が厳しくなる中で、
じゃあ誰のせいなんだという話にはなるし、
誰のせいなんだってなるときに、
やっぱりアイデンティティポリティクスになるし、
じゃあ政策を出して当選してきた政党っていうのが、
まあ経済政策で何か経済を劇的に変えられるかっていうと、
それも結構難しい話だと思うんですよ。
これって右でも難しいし左でも難しいし、
多分いかによる政党でもかなり難しいんだけれども、
右派政党と特にそのポピュリズム右派の人たちっていうのは、
経済政策を別に大失敗してもOKだから。
だってトランプなんか株価あんなに下げてるもん。
別にOKだけれども、
サハー失敗するとそれはサハーの傷になるので、
それはかなり不利な問題。
で、じゃあ世界の中で成功している国があれば、
それを真似てキャッチアップできるけど、
それはもうないわけですよね。
じゃあアメリカがトランプみたいなのを求めるみたいなのは、
中国が旧政策をしていたので、
中国型の資本主義みたいなのをキャッチアップすれば、
アメリカも強くなれるんじゃないかみたいな。
それは権威主義的な資本主義みたいなことで、
じゃあ権威主義に走っていこうみたいな感じなのは分かるんだけれども、
じゃあ中国が中国で失速してるから、
じゃあ中国を真似したところで別に大きくはならないわけだよね。
彼ら人口ボーナスもあったわけだし、
タイミングもあったわけで、
そうなったわけだけれども、
じゃあどうすれば経済みたいなのが立ち直り、
うまくいくのかみたいなのは、
もう今誰にも全く分からないことだと思うんですよ。
誰にも全く分からないんだったら、
しばらく停滞していくと思うんですよね。
そうすると決まったパイの売買になるので、
考え得るシナリオっていうのは、
今のテック長者とか資本家たちっていうのが、
もう身分として固定化されてしまって、
新しい封建制みたいなのに入っていく、
グローバルエリートと多くのノードたちみたいに入っていくか、
もしくは戦争したりとか、
強行が起きたりとか、
社会不安が増大するっていう方向に入っていくか、
どちらかだと思うんですよ。
このどちらかのシナリオで、
じゃあ50年とか100年のスパンで、
リベラルが復権できるかっていうのは、
絶妙な問題だと思うんですよね。
そういうとこ、それが聞きたかった。
ただ、僕はだからといって、
リベラルな価値とかリベラルな言説っていうのを、
今ここで手放すべきではないと思うんですよ。
だって、それで一番困る人たちがいるんだから、
残って誰かが言わないといけないという話だと思うんですよね。
民主主義とオルタナティブなアイディア
現実はそうなるから、
じゃあいつ抜けピッてやりたかったら別にやったらいいと思うんだけど、
そうはならないっていう話だなと思ってて、
だから別に僕は司さんの話と対立してるつもりはないんですけど、
僕は賛成党のやり方をリベラルが真似したらとはあまり思わないんだけれども、
なんか独自の路線で自分たちの主張を主張するっていうのは、
やり続けないといけないだろうなとは思っている。
ただそれが今後の歴史の流れっていうのに
主流派になれるかなっていうのは、
かなり未知数で厳しい、障害みたいなのが多いだろうなとは思っている。
でもだからといってそれを捨てていいってことにはならないから。
捨ててしまえば、もう明日から中世なので、
明日から中世だとみんな困るでしょっていう話なんですよね。
みんなノードだよっていう我々なんて。
いやーだからやっぱ面白いね。
でっかいテーマ掲げるとさ、
なんか本当に3人の話が気持ちよくグルーヴした感じがなくさ、
なんかずーっと詰まったような感じでさ、
泥舟が進んでるみたいなさ、
この会話面白いね。
泥舟感ありますね。
で今ちょうど前編終わるぐらいのタイミングなんだけど、
今ちょっと前提僕らが現状の世界はどう見てるのかとか、
政治状況どう見てるのかとかを、
民主主義っていうものをスタートにして話してみたんだけど、
ちょっと次後半戦ガラッと変えて、
じゃあオルタナティブなアイディアってそれぞれどういうことを、
もう全然無責任な形でもいいし、
何か考えられるのかっていう話をちょっとしてみたい。
それこそ賛成党のやり方を真似て、
サハがやってみればうまくいくんじゃねみたいなのと一緒で、
何かこう今の状況を変えるために、
何かこんなアイディアがあるんだとかみたいな話をちょっとそれぞれしたいと思うので。
後半戦の展望
じゃあちょっと後半戦。
思ったーい前半戦から。
後半戦もより無責任な話をお願いします。
セクトでは限定音声、動画、コラム、チャットなど、
メンバーだけが体験できるコンテンツを続々更新中。
詳しくは番組概要欄をチェック。
次回をお楽しみに。
53:55

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