で、面白いのはアメリカの事例で、
アメリカっていうのはイギリスの民会の歴史みたいなものを引き継いでいる、
イギリスの議会の歴史みたいなのを引き継いでいるので、
その植民地の各植民地の州の議会みたいなものは作っていたんだけれども、
その時にこの議会制度みたいに影響を与えたのは、
ネイティブアメリカンの人々だと言われていて、
今、ゴダイコってカナダとアメリカの国境あたりにある湖あるんですけど、
そのあたりに住んでたイロコイ人っていう人たちいるんですよね。
イロコイ人って一つの民族じゃなくて、
複数の民族が集まってイロコイ系称を話す人々っていうグループなんですけど、
そのイロコイ人っていうのは白人の入職者が入ってくる段階で、
ショブ族っていう6個あったらしいんですけど、
6個の民族っていうのを統合してイロコイ連邦みたいなのを作ってたんですよね。
そこに議会があったりとか、
お互い代表を集めて連邦全体の動きを決めたりとか、
そういうことをしてたんだけれども、
その先住民っていうのが、
イギリスの植民者っていうのはいっぱい植民地を持っていて、
それぞれの議会と交渉しないといけないと、
しないと何も決められないみたいな、
イギリス植民地はイギリス植民地で一個連邦作ったらええやんみたいなことを言ったのが、
アメリカの独立の連邦、13の連邦を作ろうみたいな、
発想の根源になったんじゃないかっていう研究があるらしいんですよね。
なので、ゲルマンジンにおけるアッセンブリーみたいなのに相当するような、
全ての参加者みたいなのが参加する総会みたいなものを作り、
そこから政治代表を出して連邦を形作っていこうみたいなのは、
どちらかというとネイティブアメリカンの伝統の中から、
アメリカの民主主義の中に取り入れられていったんじゃないか。
これいろんな議論があるらしくて、
原型とされてる。
そう、そんなことは全くないと。
アメリカの白人系の入職者たちが、
ネイティブアメリカの文化から影響を受けるわけもないって言ってる歴史学者とかもいるし、
いくつかの議論があるらしいんですけど、そういう見解もあるっていう話。
で、そういうふうないくつかの思想的な源流っていうのを持ちながら、
今日行われてるっていうのが、
国民を主権として、国民を持った主権者が投票権を持つ議員代表制というか、
代表を議会に送り込んで、議会が国家を運営する政府を形作るっていうような、
そういうふうな選挙制度みたいなものが近代において成立したっていう、
そういう感じかなと思います。
いわゆる西側諸国と言われる人たちが、
世界に広めていこうとしたものが、その形っていう認識が僕は80年代以降、
そう思ってるんだけど、そこは大体間違ってない。
第二次世界大戦以降ぐらいに、やっぱりアメリカとヨーロッパを合わせたっていう意味での西洋人みたいな。
だから多分それまでの意識だと、ヨーロッパの歴史はヨーロッパの歴史、
新大陸の人たちは新大陸の人っていう感じだったと思うんですけど、
ヨーロッパの歴史認識における、ギリシャ、ローマの正当な後継者としての西洋みたいなものっていうのが、
その時期に形作られていき、そこで初めて非西洋みたいなものっていうのが想定され、
僕の認識ではある意味でそれを輸出しようとし始めたのかなっていうのは思いますね。
それは、それまでは彼らは植民地支配としてアジア、アフリカっていうのをコントロールしておけばよかったんだけれども、
それらが独立していく中で、望ましい政府っていうのはないかっていうものの中で、
民主主義とか自由主義経済みたいなものを移植しようとしてきたのかなっていうのが、僕の理解です。
OK。またいつものやり方で、次、司さんに。
じゃあ、その民主主義っていうものが、西洋、いわゆるヨーロッパから今形作られたっていう中で、
司さんはヨーロッパで義務教育を受けてきた人なんだけど、
司さんの現体験としては、教育でどのような形で民主主義って教わるのかを聞きたいんだけど。
むしろ、日本ではどう教われてるのか気になるとこなんですけど、
なんか、僕にしてはそんな特別なことはなく、まず、僕の記憶上ですと、
普通に当たり前ですけど、セオリー、論理的には教えられてきた。
何歳ぐらいのときにそれってインストールが始まった?
え、でも、最初のほうが小学の後期のほうぐらいで、
ただ、中学から、1つこれは確か日本にはないかもって思ったのが、
シビックエデュケーションっていう授業があるんです。
エデュケーションシビックって言うんですけど、
そこの中では、ちょっと抽象化した状態の民主主義とか、フランスの価値観とかを教える授業みたいな感じで、
すごいシンプルなことだと、フランスのモットーっていうのかな?
エギャリティ、リベティ、ファテアニティっていう、何て言うんですか?
平等、平等派。
ありがとうございます。
を、教えるというか、それをもちろん論理的にセオリーとしてある、で、それをどういうケースで使われるのかとか、
なんか、擬似体験っていうのかな?
なんか、こういうとっくりはこうやってやるのが平等だよみたいな、そういう感じの授業あったのをすごい覚えてますね。
じゃあ、なんかいわゆる、さっきムラさんが言って鍵かっこつきのって言ったのと近いと思うんだけど、
その民主主義っていうさっき言った議会構造とかみたいなものを暗記的に覚えるようなものというよりは、
そのフランスの文化のベースとなる自由平等博愛っていうものをしっかり子供に根付かせるための教育みたいな意味合いの方が強い。
両方、がっつり両方ありました。全然あの暗記もめっちゃしました。
全然それもあり。
あれ、日本だと何ていう授業なんだっけ?これ公民とかあったっけ?なんだっけ?
中学校までは社会科とかなのかなと思うんですけど、
高校に入ると公民とかで習うのかなって思いますけど。
そうだよね。いわゆるこう文字として暗記しなければいけないようなものはなんか公民とかで書いていて、
まあ三見分立とか含めてああいうのを習うっていうのが日本の漢字。
あとは現体験はもう早くから小学校の頃から要は多数決で生徒会長を決めるとか、
多数決で学級委員長を決めるみたいな。
なんかそのアクションとしての民主主義というよりは、
だから日本人がよく民主主義と多数決を混同しちゃったりするようなものもあるのかもしれないんだけど、
なんかそれは小学校の頃から多分あるよね。
フランスでさっき記憶たどってたんですけど、
まあ日本にはなさそうだなって思ったのが、
その自由とか平等とかってむしろもう今だと当たり前っちゃ当たり前だからそんなに記憶に残ってないんですけど、
すごい確かにこれは特別だったなと思うのが、
どういうふうに起きるかというと、
民衆が自分たちの中に、
A属性の人とB属性の人を生み出して、
A属性の人がマジョリティであれば、
じゃあB属性の人をパージできるようにしましょう、
ということになるという話ですよね。
これがだんだん、じゃあA属性の中に、
A'の人とA''の人を作って、
じゃあA''の人はパージしましょう、みたいな形で、
社会の中で身分が階層化していくみたいなことは、
起き得る、そういうふうな選択をし得るとは思うんで、
これって自分たちの人権が制限されると思って、
投票はしてないと思うんですよね。
例えばこのA''の人とか思ってなかったと思うんですよ。
Bの人たちをパージしたときに、
その次に自分たちがパージされるとは夢にも思わなかったと思うんですよね。
でもこういうことが起き得るので、
このドミノを起こさないためには、
Aの人とBの人でBの人の人権を制限しよう、
みたいなことをしないっていうことがすごく大事だと思うんだけれども、
現行そっちには向かってなさそうだなっていう感じはします。
なるほど。
で、今現在、民主主義を選んでない国家ってあるじゃない?
ありますね。
で、分かりやすく今対等してきてるのがその形だったりするわけじゃない?
例えば中国って、いわゆる西側諸国が考える形の民主主義はやってないかったりとか、
で、ロシアも民主主義をやってるとは言ってるけれども、
いわゆる僕らの知ってる民主主義の手続きで運営されてるとは思えない国家だったりするじゃない?
で、なんかそういう人たちと共存するために、
西側諸国っていうのはずっとパワーゲームをやったりとかしてきたと思うんだけども、
今現状、その民主主義っていうものの力って、
世界において弱まってるように映るか強まってるように映るかだと、
その西側諸国が拡大しようとしていたっていうものは僕の認識なんだけど、
その拡大は止まっていってるのか、
それとも違う勢力に押し返されて弱まってるのかとか、
なんかそういう認識、室野さんや塚田さんだとどう感じる?
感じます。
ただ、ニュースで見たことで感じてるっていう感じなんですけど、
普通にアフリカに対する影響力とか、
ロシアとかシリアとか、中国のほうが全然強まってますし、
反植民地運動とかもすごい強いから、
フランスとかも弱まってますし、マリとかも撤退したのかな。
なので、全体的に弱まっているし、
アメリカも民主主義で勝ち取ったトランプが今、政権取っていますが、
ところどころ反民主主義的なムーブで、
自分が得するようなシステムを構築していっている。
詳しいところはググってほしいけど、
なんかそういう投票をチェックする機関とか、
投票をチェックする人物とか、
大統領もしくはその大臣たちのパワーバランスを、
コントロールする機関の偉い人たちを自分の味方にしたりしてるんで、
弱まっているが、それ以上の面白いことが言えるかっていうのはちょっと。
つかささんの実感として、リベラルであるって辞任してるつかささんが、
ここ数年で起きてる現象で、
何を一番奪われていってるように感じてるのかを聞いてるのかもしれないけど。
じゃあ、めっちゃ自分ごと化すると、
僕は元二重国籍者、今はベルギー国籍者として、
10年前、15年前とかだったら、
二重国籍が認められる日本とか、
外国人が投票できる世界戦とか、
ありえなくはない世界戦だったと思うんですよ、15年前とか。
リベラルがピークで、
リベラルのなんかムーブメントがピークで、
もうこのまま行くんじゃないかみたいな、
このままリベラルしか進まないみたいな、
なんか幻想だったんじゃないですか。
今思い返すと。
なんもできないなーみたいな。
みんな頼んだ。
そういった意味では、
それを民主主義と捉えるのかっていうのは、
結構難しい問題だと思うんですけど、
ここ数年で結構、
僕が大きく失望したことの一つは、
イスラエルのガザ進行に関して、
国際社会がほとんど無力だったことに関しては、
人権の理念みたいなものが、
大きく後退したなとは思いましたね。
かなりひどいことが起きてますけど、
それに対して、
先進国が十分に影響力を発揮しているとは、
言い難い状況かなと。
分かんないですよ。
中東で大戦争が起きていないみたいなのは、
もしかしたら、すごく利害調整しているのかもしれないんですけど、
それをするために、
ガザのアルシナ人たちっていうのを、
世界でかなり見捨てていることに関して、
特に行動が起きていないとか、
国際的な協調行動が起きていないみたいなことは、
後退していると言えば後退していると言えるのかなとは思うんですけど、
だからすごい絶妙だなと思うのは、
今日の話だと民主主義の話だと思うので、
民主主義の話をすると、
今の議会制、議員内閣制とか、
国民議会みたいなものを作った人たちっていうのは、
あんまり民主主義をやろうとしてなかったらしいんですね。
国当初。
そうなの。
民主主義という言葉を広め始めたのは、
19世紀に入ってから、
社会主義者たちとか、
共産主義者たちがそれを使うようになった。
普通選挙みたいな、
投票権をより拡大していく過程の中で、
拡大するというムーブメントを起こすのに、
旗印して使われたのが、
民主主義という概念みたいなんですよね。
だから、
例えばアメリカで、
上院と下院みたいなのが分かれているのは、
実際に実効力を持った人たちで、
力が持っている人たちだけで政治をした方がいいが、
それだけだと暴走する恐れがあるので、
監視した方がいいよねっていう富を持つ者、
つまり貴族院みたいな意味での上院と、
平民のそれをチェックする、暴走をチェックする、
機関としての下院みたいなものとして、
上院と下院を作ったみたいな経緯があるらしくて、
それを広く全員の選挙権を出して、
民主主義的にやろうと思っていたかというと、
あんまり思ってなかったらしいんですよね。
そうすると民主主義みたいなのが、
西側の価値観かというと、結構絶妙なところで、
むしろ東側の価値観として民主主義があったわけですよね。
ただ東側の名手がソンベートになったことによって、
スタリニズムみたいなのが入ってきたので、
話がまた難しくなった、
みたいなことはあるとは思うんですけど、
じゃあその西側が、
じゃあもう当初から民主主義みたいなものを、
もうお題目のようにやって拡大してきたかというと、
別にそういうわけでもないとは思うんですよね。
なのでやっぱりリベラルという風な、
自由主義みたいなことも一口で言っても、
例えばその当時の近代の初期に出てきたリベラルっていうのは、
どちらかというと小さい政府を執行するというか、
自分たちを自由にやらせてくれっていう。
これをリベラルの人たちが言っていたのは、
それまでの絶対王政とか王権みたいなものが、
自分たちの自由をすごく制限していたので、
じゃあこの制限なくしてくれっていう話を、
政府っていうのは先制的で抑圧的なものだったので当時、
それをやめてくれっていう話をしていたと思うんですけれども、
特に第二次世界大戦以降とかは、
リベラルっていうのはどちらかというと、
機械の平等とか政治三角の平等みたいなのを担保するために、
政府の関与を増やしてくれっていう方向に行ってると思うんですよね。
社会的リベラルみたいなものになっている。
だからその自由主義みたいなものが、
その政府を小さくするっていうわけではなくて、
この政府を小さくしようぜみたいな考えてる人たちっていうのは、
現代ではネオリベラルみたいなことを言われているかなと思うんですけれども、
このネオリベラルの人たちと、
その社会的リベラルの人たちみたいなものがいて、
ここら辺の主張も結構離れているみたいなことなので、
リベラルと呼ばれるものっていうのが、
西洋的価値として単一のものでもやはりないっていうのがあるかなと思ったときに、
この今の時代っていうのが、
その民主主義みたいなものを、
その唯一新生の価値として世界中に輸出していたものの、
それが挫折したという意味では、
歴史的な流れとしてはそれが1個あるかなとは思ってて、
それが絶対にこの人権状況みたいなものを考えると、
マイナスかというと分かんないなっていうのは僕が考えてるところで、
もしかしたらそのヨーロッパの関与抜きで、
それぞれの社会的文脈、歴史的文脈から、
より人間の価値とか人間の自由とか人間の創造性みたいなものを
ドリブンするような統治システムみたいなものを、
それぞれの社会みたいなのが生み出す可能性が全然あるし、
例えば中国は権主主義だって一口に言うけれども、
もしかしたら彼らは独自の統治技術っていうのを、
今は生み出している途中の試行錯誤をやっていることかもしれない。
僕たちが例えば自由平等博愛めっちゃいいよねって思うけど、
それを生み出す過程においては、
ロペス・ピエールがめちゃくちゃ人殺したりとかしてるわけで、
過程の状況の話もあるから、
だからその歴史的価値みたいなのを今断言するみたいな、
結構難しいことかなとは思うんだけれども、
繰り返しになりますけど、
今の2000年代以降の歴史的状況の中で、
大きく後退したなと思うのであれば、
やっぱり人権を中心に何かの政策判断するみたいな力っていうのは、
衰えているのかもしれないっていうのはちょっと思います。
なんかその国民主権っていうものと人権っていうものって、
強く結びついているものではあるのかな。
人権っていうのはもう別に、
何であろうが最上位にある人間、
ヒューマン・ライツであり、
国民主権って要するに、
国民が国の決定に関与する主体ですよっていう約束の話じゃないですか。
だから必ずしも人権と国民主権っていうのは、
完全にくっついているわけではないのかな。
完全にくっついているわけではないのかもしれないですけど、
人権を守るためには自分たちで政治参加しないと、
その言いよりやられてしまうので、
政治参加しましょうという話をしているのかなと思います。
それが権利ですと。
自分たちの権利を守るための権利があなたにありますっていう話なのかなと思います。
国民主権っていうのが脅かされることってあり得るのかって話したいんだけども、
今って一応投票権を持っていて、
するしないに関わらず、
ひとまず国民にあまねく投票権があり、
で、その選挙を通じて国政に参加することができるじゃないですか。
これがもしなくなるとしたら、
それはもう民主主義じゃないっていう形なのかな。
それがなくなっても民主主義ってあり得たりする。
何を言いたいかっていうと、
この前ちょっと話した話で、
人は政治のことを考えたいと思ってるのかっていうのもあるじゃないですか。
自分の持っている権利に耐えられず人っていうのは、
それこそ自由から逃走する習性もあるので、
自分が国のことを考えるっていうのを、
どんどん拒絶してって拒絶してって、
そういうものを手放そうと国民がしたときに、
国民主権っていうものがなくなってしまうっていうことってあり得る。
究極言うと投票率が、
50%終わり、30%終わり、10%終わり、5%終わったりしたような状況がもし生まれたら、
それってもはや民主主義とか国民主権が崩壊したっていう言い方になる。
どっちなんですか。
どうだろう。
そういうのって今までの事例としては一回も起きたことがないのかな。
ベルギーはそれを防ぐために投票が、
義務?
義務。
それはむしろ国の方が義務にしてるんだ。
国が義務にしてます。
逆に国としては投票してくれない方がありがたい政党もあったりする。
ありますね。
場合はそっちの力が強いとベルギーのような選択はしない可能性もあるよね。
そうですね。
でも価値観でやってる気がしますね、ベルギーが。
別に不利な政党とかもあっても別にそれをキャンセルしてるわけじゃないので、
今とか局が取ってるんで。
そういう流れで国民主権を奪われたパターンってこれまでの歴史の中で何かあったりするの?
もう代表的なのはナチスドイツじゃないですか。
はいはいはい。
要は国民によって選ばれたナチスっていうものが結果的に国民を選ぶ権利を剥奪した。
剥奪。
はいはいはい。
軍政によってポルポトとかを含めて東南アジアで起きてたような、
軍がクーデターによって政権を転覆させたりした場合って、
それで民主主義自体を変更したパターンとかってあったりするんですか?
難しいですね。
ポルポトとかは自分たちの方が民主的だと思ってたと思うんで、
それまでカンボジアって王政だったから。
そっかそっかそっか。
シアヌークを国外追放して、自分たちこそが真の民主国家を作ってるっていう感覚だと思うので、
キューバとかもそうですよね。
アメリカによる独裁政権みたいなのを追放して、
自分たちこそが真の民主主義国家を作ったっていう感覚なんだけど、
その後ずっとカストロ兄弟の独裁だったわけで、
民主主義だったところが民主主義ではなくなったことがあるのかっていうのは難しいな。
でもアテネもそうですね。ギリシャもそうだし、ローマもそうですよね。
なんで僕この質問したかっていうと、
すごいロングスパンで僕らは何を恐れていればいいのかみたいなことを考えたかったっていうか、
今政治状況をミクロで見ていくと、
それぞれの事例でいろいろありえないと思うことはあると思うんだけども、
これがこのまんま流れてたときに、
大きい流れとしてこんなことを本当に考えないとまずいみたいな話を一回想像してみたくて、
それをベースにして進みたいなと思って。
だから前回言ってた、ムロさんが危惧している、
今日人権って言ってくれたんだけど、
最終こういう流れを普通に受け入れているとこうなっちゃうよっていう話をもうちょっとリアルにしたい。
さっきムロさんが言ってた、
投票について、
なので、とはいえっていうところで、
アメリカは4年に1回選挙で、
2つの政党が戦って、
コロコロコロコロ変わるので、
振り子のように行くんだろうけど、
今1回振り子が、
それから2016年以降起きてるこの、
リベラルがすごく不利になってるような世界状況って、
また振り子が戻るような感覚があるかどうかっていうことも結構重要な気がしていて、
どう思います?僕もう言ったっきりにしばらくなるような気がしてるんだよね。
僕もそうですね。
世界はそこまでの多分数十年間グローバリゼーションを信じていた。
フリードマン的な言い方で言うと、
世界っていうのは見るものも、
見聞きしてるものが一緒になっていって、
購入するものが一緒になっていって、
どんどんフラット化していってっていう、
それがあまねく広がっていくっていう、
グローバリゼーションをなんか信じてたんだけども、
そこにやっぱその新自由主義って言い方だろうが、
リベラルって言い方だろうが、
みんな共通に信じてたのは、
世界はきっとこのまま進歩して良くなるみたいな希望、
だからサッチャー以降なんかずっとそんな気がしていて、
で、なんかそれがバツッと、
いやもう自分のことしか考えませんって、
国っていうのは国の中だけ考えましょう、
を言い出してるとこがボコボコ出てくるみたいな、
その極派みたいな話も。
で、今この動きって僕はなんか一回こっちにいた振り子って、
しばらく続くなと思うんだけど、
それはお二人どう考えてる?
むしろ室さんがもうすんなりそれを飲み込めっていうのが、
ちょっと意外というか、
信じたいという気持ちとさ、
実際そう思う場合また違ったりもする。
違ったりとするんですけど、
立派な戦いをしたリベラル勢を見てから、
それを鵜呑みにしたい。
なるほど。
日本ではあくまでそれを立派な戦いにしてなさすぎるのは大きいし、
世界の事例ではそれを感じるの?
フランスのほうが立派な戦いしてますけど、
なんか邪魔しあって、
惜しいところで負けたり、
まあね、バイデンとかも、
なんで、ごちゃごちゃあったじゃないですか、バイデンから。
で、なんか上手くしてたら上手くいってたし、
すごい難しいところだと思うんですよ。
確かに大きい流れで見たら、
完全に民主主義とかリベラル勢が弱まってますけど、
こういう話するときって、
大きい話、大きいムーブメントと具体を、
すっごい分けて話してますけど、
僕は今、ここめっちゃつながってるのでは?と思ってて、
そういった具体的なところですっごい下手なやり方が、
連続したせいで、
なんか大きい流れが違うところに行っちゃったけど、
トランプが4年また出るって、
それはバカでかいことだけど、
もしかしたら、
デモクラッツがもうちょっとね、
きれいなトランジションして、
バイデンはもうちょっと病気ですって、
2年ぐらい前に言ってて、
なんかもっといい立候補者がいたら、
もしかしたら、
話は変わってるかもしれないし、
例えばニューヨークの知事選とかだったら、
今すっごいめっちゃいい感じの、
これは主観的ですけど、
旧審査派のマンダニーっていう人が、
めっちゃ検討してて、
もうめっちゃみんなびっくりなんですよ。
すっごい右が欲しい方が強かったのに、
なんかこういう可能性がある。
その人、やっぱりいい戦い方してるんですよ。
コミュニケーションも政策も、
がっつり査派で、
ちょっとなんかごまかしたりとかせずにやってるんで、
日本も完全になんか動きは悪いけど、
いや、そりゃ今の具体的な戦い方みたいな、
そりゃ負けるよみたいなところは絶対あるから、
僕はそこは、
そうですねって言いたくないところですね。
ちゃんと戦ってって先に言って、
ちゃんと戦ったところを見て、
ちゃんと戦ったところを、
で、負けてたら、
まあしょうがないねとは言うんですけど。
だってなんか悔しいですもんね。
なんか賛成党とかが、
まあすごい上手じゃないですか。
政治戦略、政治PR、政治コミュニケーション。
で、そこを、
例えばなんか反回りの中で、
あれを上手いというのは、
間違いですみたいな。
それもタブーなんだ。
そういうところはあるから、
もう永遠と勝たねえんだよとか。
ラジオでもなんか言ったことなんですけど、
なんかみたいな、
そこはちゃんと認めて、
いいところはちゃんと学習して、
まあ政策は政策で、
今の現状を考慮して戦って、
どうなるかっていうのは、
まあ見たい世界戦だなとは、
僕は思っちゃいます。
なんかその、
イデオロギーの話は、
さはさることながら、
やっぱり、
経済的停滞で勝ててる国がないということが、
結構大きい問題かなと思っていて。
ああ。
多分ニューヨークでさはがやれているのは、
ニューヨークが世界の中で勝ててる都市だからだと思うんですよね。
やっぱり秘密すればドンスなんだと思うんですよ。
で、どんどん自分の生活が厳しくなる中で、
じゃあ誰のせいなんだという話にはなるし、
誰のせいなんだってなるときに、
やっぱりアイデンティティポリティクスになるし、
じゃあ政策を出して当選してきた政党っていうのが、
まあ経済政策で何か経済を劇的に変えられるかっていうと、
それも結構難しい話だと思うんですよ。
これって右でも難しいし左でも難しいし、
多分いかによる政党でもかなり難しいんだけれども、
右派政党と特にそのポピュリズム右派の人たちっていうのは、
経済政策を別に大失敗してもOKだから。
だってトランプなんか株価あんなに下げてるもん。
別にOKだけれども、
サハー失敗するとそれはサハーの傷になるので、
それはかなり不利な問題。
で、じゃあ世界の中で成功している国があれば、
それを真似てキャッチアップできるけど、
それはもうないわけですよね。
じゃあアメリカがトランプみたいなのを求めるみたいなのは、
中国が旧政策をしていたので、
中国型の資本主義みたいなのをキャッチアップすれば、
アメリカも強くなれるんじゃないかみたいな。
それは権威主義的な資本主義みたいなことで、
じゃあ権威主義に走っていこうみたいな感じなのは分かるんだけれども、
じゃあ中国が中国で失速してるから、
じゃあ中国を真似したところで別に大きくはならないわけだよね。
彼ら人口ボーナスもあったわけだし、
タイミングもあったわけで、
そうなったわけだけれども、
じゃあどうすれば経済みたいなのが立ち直り、
うまくいくのかみたいなのは、
もう今誰にも全く分からないことだと思うんですよ。
誰にも全く分からないんだったら、
しばらく停滞していくと思うんですよね。
そうすると決まったパイの売買になるので、
考え得るシナリオっていうのは、
今のテック長者とか資本家たちっていうのが、
もう身分として固定化されてしまって、
新しい封建制みたいなのに入っていく、
グローバルエリートと多くのノードたちみたいに入っていくか、
もしくは戦争したりとか、
強行が起きたりとか、
社会不安が増大するっていう方向に入っていくか、
どちらかだと思うんですよ。
このどちらかのシナリオで、
じゃあ50年とか100年のスパンで、
リベラルが復権できるかっていうのは、
絶妙な問題だと思うんですよね。
そういうとこ、それが聞きたかった。
ただ、僕はだからといって、
リベラルな価値とかリベラルな言説っていうのを、
今ここで手放すべきではないと思うんですよ。
だって、それで一番困る人たちがいるんだから、
残って誰かが言わないといけないという話だと思うんですよね。