室さんがやってられてるポッドキャストを聞いて、
すごく思ったのが、すべてあの回のフレーミングが、
当たり前っちゃ当たり前なんですけど、
室さんがその九州から来られている地点でのフレーミング色が、
すごく強って思いながら言ってましたね。
状況感ね。
状況感とか。
室さんは地方から都会っていう状況の成分があるし、
つかささんの話を聞いてると、
つかささんって東京の上位概念にある西洋文明みたいなものの都市、
他の都市にいたとこかなの東京だから、
多分そのシティの見る姿勢が違うような。
いや、ほんとその通りです。
今のご経歴を聞いて、僕が思ったのは、
僕の先生が僕に東京にしかリアルワールドはない、みたいなことを言ったのと同様に、
やっぱりロンドンパリへ教育を受けた知人と話してた時に、
その人が言ってたのは、アジアにはリアルワールドはない、みたいなことを言ってました。
そのようなことを言った人は僕すごい嫌いです。
それは、なんていうんですか。
自分のヒエラルキーを人に強制しているだけだし、
そんなことはないとは僕も思うんですよ。
ただ、すごく内黒さんが言った通り、
それが良い悪いは別として、
視座が全く違う、視点が全く違うところから物事を見ていることによって、
例えばハイカルチャーインテリという言葉とか、
カルチャーガール、カルチャーボーイという使い方とかは、
すごい違和感を持って聞かせてもらいました。
そこまで?
最高。
え?みたいな。
実は前回の室野さんとの会話の中で、
レビストロースを引用して、
レビストロースという文化人類学の素となるようなものを提唱した人は、
逆に西洋文明が全てだと思っている人たちに対してパンチをくらした人で、
未開と言われている文明の人たちっていうのは、実は劣ってる存在じゃなくて、
そこの優れている部分っていうのをレンズとして持ってきた人で、
大体あっている。
なので、そういう視点の違いっていうものって、
今回の東京ハイカルチャーインテリ語で語るときって、
むっちゃ有効だなと思ったんだよね。
今、2人が執事を言ったので、
俺を言うと、すげえバランスいいんだよ、これ。
塚田さんがアラサーのさっきの執事、
室野さんがアラフォーのさっきの執事で、
僕、アラヒフなんですよ。
僕は母子家庭で育った青森生まれの上京組なんですよ。
しかも、何も決めずに18で上京してきた、
いわゆる無学の地方上京者。
かつ、当時90年ぐらいだったので、
いわゆる昭和の青森から東京祭行くだ、みたいな、
そういう空気も知って東京にたどり着いた人間なので、
結構また違う執事なんですね。
しかも、東京がむっちゃ経済的にも元気があった90年代を見てたりするので、
結構その辺の文化資本格差みたいなものを、
本当に密海の地から都会に出たような体験をしているので、
意外とそこの見え方って、
興味深い。
出そうだなと思ったので。
逆に僕は仕事をしながら、
いわゆる西洋のトップティアの人たちとのものづくりとか、
そういう体験も仕事の流れでしてきているので、
いわゆる西洋のハイクラスの、
ハイソサイティの方々の文化みたいなものとかって、
直撃で体験はしてるんです。
だからそっからまた東京を見た自分っていうのを、
今この50になって、
そういう自分もあるんで、
おもろいなと思って。
じゃあまず、司さんに、
あのミスメラの回を聞いた率直な感想系のエピソードを
ちょっとポロポロといくつか。
出してミスで、そこをネタに合わせたいなと思います。
ちょっと僕も準備してきてないんで、
綺麗な言葉で言えないんですけど、
感覚的に感じたことは、
そこまで東京を意識しないで生活すればいいじゃんとか、
思っちゃうんですよ。聞いてて。
そのレンズで見てるんだとか、
それがテーマだったから当たり前かもしれないですけど、
日常的にはそこまで考えてない可能性も全然あると思うんですけど、
あの回を聞いたらそう思ったり、
僕は西洋からのカルチャーとか、
それを信じない自分もいながらも、
正直それを内面している自分も、
いないって言ったら絶対嘘だと思うんで、
絶対いるし、
それを内面してるからこそ、
日本に来て、
いや、そんなの気にしなくていいよ、
みたいな言える立場だと思うんですよ。
そこが僕は、
室野さんのポッドキャスト聞いてて、
3人が喋ってる内容に違和感を感じながらも、
自分も問題だなとはすごく思いました。
自分はそんな、そういう、
例えば今言いかけたのが、
自分の特権であるっていうか、
特権っていうことはもう自分の、
上に立っていることを内面化していることっていうことになるから、
自分の特権である、
みたいなことも言えると思うんですけど、
僕についても考えさせられたっていうことですね。
僕はこういう視点でいいのかとか、
その視点であるのであれば、
どういう風にそれを責任を取るべきなのかとか、
人の接し方とかそう考えるべきなのかとか、
だからすごいあの、
別れ方、すごく興味深かったです。
誰が誰か忘れちゃったんですけど、
東京のハイカルチャーインテリ、
文化資本を持っている人たちの構図を言葉にしないのは、
その構図を無視することだ。
だから言うべきであるっていう意見もあったし、
なんでそんなことを言うのよ、
言わない方がいいじゃんっていう意見があったと思うんで、
そこは、
むずいみたいな、
答え何みたいなのはめっちゃ思いました。
今の特権をどう認識するのかの話でいきたいんだけど、
今のこのタイミングってむっちゃ出てるよね。
前回もお話しした、
リベラルの今の選挙の状況において、
敗北している状況の裏に、
その自分が持っている特権の自覚のなさみたいなものが、
あった気がしていて、
実際今回カマラ・ハリス、
トランプの勝利というよりは、
カマラの敗北だって言われて、
そのワードだけ抜き出すと、
で、多分そういうクラスの人ほどやっぱそこ、
無自覚なこと多くて、性格悪いだけじゃなくて、
なんかそういう感じ。
言っちゃいましたね。
いや、でも分かるんだよね。
だから違う人がいるっていう前提をどこまでの射程で持ってるのかっていうことの方が、
その方がむしろ、俺はより強要がある人の人だと思うんだけど、
なんか強要があると思ってるそういう人たちほど、
意外とその多様性に対して無自覚みたいな。
いや、でもむずいな。
自分も絶対排除してるんですよ。
これって自分の方からは、この話をする時に、
ミスメラの中でも千朗さんって女性の方が多分言ってたと思うんですけど、
あなたは私のことをシティガールだと言うけれども、
インテリという軸ではあなたの方が特権的じゃないかみたいな。
なんか起きた、起きた、起きた。
いいじゃん。
そうそうそう。で、それも僕はここ数年すごい感じてる。
あんまり別にインテリだと思わないけど、僕も。
でも、大学院まで行ったみたいなことを考えると、
いやでも、PhDもらえてないじゃん。
いや、PhD持ってない。
マスターで。
マスターの後、博士化って言ったんですけど、退院取得大学で出てるんですよ。
いや、それもね。
違いますよ。
違いのあるから、なんかその、なんていうかな。
だから、ちょっと分け道にそれるんですけど、
さっきの東京ハイカルチャーインテリという僕の言い方したんですけど、
あれを出した後にいろんな人と話してて、
やっぱその東京ハイカルチャーインテリって一緒に住むのよくないよねと。
なるほど。
東京とハイカルチャーとインテリがあるよねっていう話をして、
で、それは僕も合意なんですよ。
でも合意、それは合意なんだけど、
東京の話とハイカルチャーの話とインテリの話を別々にすると、
嫌な感じにならないじゃないですか。
悪口になる。
これをまとめると悪口になる。
説明しにくくもなりますね。
でも嫌な感じになることで、
おっしゃったような自分の特権制のことを考えざるを得ないと思うんですよね。
本当に自分が抑圧されている立場の場合、
何が自分を抑圧しているのかっていうことを考えざるを得ないと思って、
耳障りの悪い言葉を置いたんですけど、
この話でやっぱすごく、さっきメチクロさんがおっしゃった
アメリカの左派の話もそうだと思うんだけど、
世の中に序列があるかないかみたいな話があると思って、
塚田さんおっしゃったように、ないと思えばないじゃないですか。
あると思うからあるのであって、ないと思えばないんだけれども、
それをじゃあないよねって振る舞うことって、
いい時もあれば悪い時もあるよなみたいなこともあり。
僕は風だと思ってて、
今のさっきの政治の風景から切り取ると、
もはや左右の時代じゃなくて上下の時代だって言われてるじゃないですか。
上下っていうものを自分の身体感覚的に意識できているかどうかっていうのは、
さっきの自覚の話な気がしていて、
今さらに風で言うと弱者マウントを取るモードに入ってるじゃないですか。
僕がね、ちょっとエピソードで言うと、
三ノ輪耕介さんがニュースピックスでブイブイ言わせた時代に、
僕がある友達に、この人多分40になる時に突然に反省モード入るよって言ったら、
もうほんとそうなって、ニュースピックスやり尽くした後、
今彼が何やってるかっていうとミドルエイジクライシスについて語り出してるんですよ。
だからやっぱその反省モードになった時に、
自分がいかに弱い存在なのかっていうもののポジションをみんな欲しがってるなと思ってて、
だからその自分に特権に築くようなシチュエーションってみんないろいろあると思うんだけど、
その時にまた自分はどこで弱い立場なのかっていうものを置いて安心したがる部分がすごくあるなって感じていて、
それはそれでなかなかにやだみあるよっていうのは俺は見ている。
おっしゃる通りですかね。
だからその自分の特権の自覚することと、
必要にポジションとして自分も下に入ろうとしたりするっていうものがセットになる動きって、
多分今のこの風の中で言うと、
トレンドではあるんだけれども、結構苦しい動きだなと思ってるから、
だから僕は上下の時代だからこそ、
自分が持っている特権っていうものをちゃんとラッキーっていう意味でもいいから、
引き受けて、引き受けた上で、
そこのハッピーさや下への配慮みたいなものをどうアウトプットするのかの時代なんだと。
もうしっくりきましたね。
来た。来ちゃダメなんだよ。
めちゃくちゃしっくりか。
超しっくり。
でもなんかそんな気がしない。
おっしゃる通りとか思いますし、先ほどの序列の話にすると、
これは単なる僕の意見、考え方ですけど、
序列はないって思い込んで生きる方が暴力的だとは思っちゃいます。
で、ちょっと政治であえてくっつけると。
だからある一部の、僕は自分の中では、
左寄りのもので、そこをサポートしたいっていう気持ちは強いんですけど、
そんな差だっていろんな考え方があるし、いろんな手法がある中で、
ごく一部はすごくフラットに物事を見て序列はない。絶対ない。
現状でもあることを認めるべきではない、みたいな考え方あると思うんですけど、
それの方が100倍暴力的だと僕は思っちゃうんですよね。
いろんな、で、序列はある。
だが、自分はどこにいるのか。
そしてその立ち位置に対して、自分はどのような特権があるのか。
もしくはどのような権利があるのかとかを考えて、
それに基づいて、じゃあ上への配慮とか下への配慮とか、
どう振る舞うべきなのかって考える方が、
よっぽど少しずついい方向に進むのではないかとか思っちゃう。
思うよ。
したがって、第三性です。
序列を受け入れるってそんなにも難しいことなのかって、
一回考えたことがあって、その時僕が思いついたのが、
今言ったクラスにいる人たちの共通に見えている、透けて見えているものが、
親との折り合いみたいなもののコンプレックスと
社会の見方がくっついている人が多いなと思ってて、
だから政治的なスタンスとか、お金の考え方とかが、
すごくそこに紐づいているなっていうのをすごく感じているんだよね。
自分を育ててくれたも外すことのできないOSの親みたいなものに対する反抗心みたいなものが、
何か自分を特権を持っているにもかかわらず、
戦う俺だって思わせているものがあるような気がしていて、そういうのってある?
確かにラジゴでも話したことあるかもしれないんですけど、
僕は率直に言うと、かなりお金持ちの家庭、父親が勝者だったんですね。
なのである程度の金銭的には苦しくない、苦しがちがう有利な方だったんですけど、
それに伴って、良いとされる生活、良いとされる暮らしのインフラ、
良いとされる休みの過ごし方っていうのがあるんですよ。
ただ、僕は今、全然そこに達していない、お金的には。
一時期はそれにすごい固執というか、その与えられてた環境より良い環境、もしくはイコールの環境は最低限だなっていう考え方が強かった頃がすごいあったんですけど、
それはめちゃくちゃ不健康だなとはすごい思いました。
でも、僕の話ではなく、ほとんどの人そういうふうに考える方が自然なのではとかすごい思っちゃうんですよ。
与えられた環境より下は行きたくないっていう気持ちは当たり前な気がしてて、
ただ、なんか、ごめんなさい、結論がないんですけど、そこに対して僕は、
そこはきっかけはないんですけど、僕はある日から解放されて、そこを追っても自分が不幸になるだけだなっていうのはすっごい思いました。
引き受けるの話だよね。
だからそこから脱越して、自分は自分だし、いいんじゃないのとか思って幸せになりたいなみたいな。
だから序列を引き受けた上での精神的な自立ができたかどうかでいくと、今のエピソードってできた人の話にすごい聞こえていて、
さっき言った親みたいなものに対する折り合いのつかなさみたいなものの視点で、
そこが内面化している人のパターンとしては、その人たちの特徴って上には上がいるを知っちゃってるっていうか、
だからこそ自分を中3階級だって自認しちゃってるっていう、自分を過方修正するようなバイアスがかかりやすいなと思っていて、
僕みたいにすごく下にいると全部が上なので、なんかこのステップの階層がすごくよく見えるんですよ。
でも、なんか自分を下だって無理にしようとしている人、インポスター症候群的なというか、
自分を得ているものがあるし、自分の実力でやれていることがあるのに、なんか過剰に自分を下のポジションに置こうとする人の特徴って、
やっぱりこう、やっぱりこう景色として上を見ちゃってるから。
意識してる。
だから自分っていうのは何なんだろうとか、これより下げたくないとかっていう気持ちとかで、その折り合いがつくの難しいだろうなと思っていて。
いやでも、かわいそう、自分込みでかわいそうとかすっごく。
いやすごく思うんですよ。
自分が家庭、例えば自分、違う、そういった人が家庭作るとします。
もうそこからもっと、この子にはこう、僕が経験した物事を経験させなきゃ。
例えば僕、フランス人学校行ったんですけど、
まあ例えば日本人でフランス語を勉強させてもらったみたいな。
それはもうここに固執してたらもう、いや病むじゃないですか。
自分の子供に。
絶対フランス人学校行かせて、海外経験させて、なんかイギリスの大学行かせてとか言ってたらもう、きりがないし、
まあそれは自分の防衛メカニズムだけかもしれないし、まあおそらくそれなんですけど、
まあそこにはない豊かさとか、
僕はその、勉強頑張って、まあ性格も家庭もあると思うんですけど、いろんなファクターありますけど、
自然にそんなに触れてこなかった人ですし、美術とかにもそんな触れてこなかった人なんですけど、
別に日本の地方で暮らしてて、なんか豊かな自然が近くにあって、ちょっと美術に触れたら、
そこから見える世界っていうのは、いろんな大きい世界があるわけじゃないですか。
そこから一つずつ手に入れて、で大人になってから世界を見るっていうのも素晴らしいことだと思って、
僕はそれをできてない、なんか全部全ては当たり前って思ってしまっている人とも見なせると思うんですよ。
まあ自分自身でもそう思ってて、一部部分的に。
だからそういういろんなあり方がある中で、
なんか僕はこういうふうに座ってしまったみたいなことがあると思うんで、なんか一つの答え。
それぞれの苦しみってさ、こうやって今の情報環境的にすごくいろんな人に見えるようになってきたから、
だから僕は90年代に状況を知った時に感じた時ほど、そういうクラスにいる人たちのことを勘違いしなくなった。
なんであんな恵まれてるのに、あんなになんか苦しい苦しい言うんだろうみたいなのを疑問だったんだけども、
でもその苦しみのディティールみたいなものが今の司さんのエピソードにすごくわかるようになったので、
僕はある意味上の人たち、僕のステージから見た上の人たちの苦しみをすごく理解できるようになったからこそ、
商売もできるようになったみたいなところがすごくあって、だからそれぞれなんだよね。
僕の同級生はさっき言ったように誰も進学しないんですよ。
高校、公立高校を卒業するとほぼ全員男性は自衛隊に入るんですよ。
東京に出る人なんてほぼいなくて、僕ぐらいの人たちのその同級生たちって、
別にこのiPhoneが誰がデザインしてどういう技術で作られたのかなんて一切知らないんだけども、むっちゃ幸せに暮らしてるんですよ。
だからそういうのを含めて、でも彼らって多分そのハイカルチャーであることとかインテリであることとかっていうものから解放されて、
自分たちの幸せみたいなものを引き受けてるんだよね。
だからそういうところで東京ってそこの引き受けるのがすごく難しい都市だと思ってますっていう話。
そうですね。
確かにね。
かなりバトンもらっちゃったけどどうですか。
なんか話の流れ変わっちゃうんですけど、
津軽さんなんか貴族意識ってあったりとかするんですか。
自分が何か。
貴族ではないかなって。
いやアリストクラッシーじゃなくて。
何かのワンオブアスであるっていう感覚を持ってたりするんですか。
ごめんなさい。日本語があれなんですけど、理解はしたんですけど、どの和にワンオフ丸々。
例えば、僕あんまり何かに貴族意識、何かに貴族してるっていう感覚がない人間なんですよね。
ないんだけど、僕が初めて自分の貴族意識に気づいたのは、
調査のためにキューバに行ったときに、キューバでは自分が日本人であることをすごく感じたんですよ。
なるほどなるほど。
俺はキューバ人じゃねえよ。
僕この話すごい好き。
俺も大好き。
というのをすごい感じて。
別に日本にいるときには自分が日本人であるとか全然思わないし、日本への貴族意識とかは全然感じないんだけど、
これ同じことで、東京に来てから自分の九州人としての貴族意識みたいなのをすごい今感じてるんですよ。
なるほどなるほど。
すごい東京の人と話すときに、僕は過剰に九州弁使ってるなって思うんですよ。
九州で全然九州弁使わないんですよ。
むしろ東京の標準語を使う。
そうそう。
だからそれがすごく、
なんていうのかな、やっぱ
ここの人たちっていうのは僕にとってアス、ウィーではない?みたいなことを感じたときに、
じゃあ僕のウィーみたいなのがなんかやっぱ無意識に自動的に出てくるなみたいなのがあって、
津笠さんそういうのあんのかなって思って。
やっと理解しました。
そして、僕は先ほど言った通り4歳の頃から海外で日本人として過ごしてたことによって、
それがデフォルト。
だから海外だと少しはもちろんありますよ、日本人として。
でもそこはなんか自分でみたいなのはそんなないんですけど、
日本に行って今5年目なんですね。
大人になったから初めて5年住んだんですけど、
めちゃくちゃなんかヨーロッパをすっごい意識しますね。
そのアイデンティティ自分の文化的背景がヨーロッパにあるような。
あるんだっていうのがすっごく感じさせられますし、
でも本当におっしゃる通り、
離れて初めて感じるもんだなっていうのをめっちゃ思います。
これ日本とは関係なくちょっとプチエピソードなんですけど、
中学生3、中3の時に社会の先生がヨーロッパという概念として説明してくれるんですね。
で、ヨーロッパのアイデンティティとかを作るために、
例えばヨーロッパの旗あるじゃないですかとか、いろいろあるんだよみたいな。
だから、もしかしたら50年後、ヨーロッパはもっと成長してもっと普及して、
起きたら、私はフランス人って思えるんじゃなくて、
ヨーロッパ人って思えるかもしれないよみたいな言われたんですけど、
なわけあるかみたいな思ったんですよ。
ありえねえしそんなヨーロッパ人、誰がヨーロッパ人って思って起きるねんみたいな。
絶対国ファーストだとか思ったんですけど、
日本だっけ、どっか離れたんですよ。
離れたというか、日本は引っ越しました。
あ、あるかもこの世界全体って思ったんですよ。
僕ヨーロッパ人かもみたいな思って。
おもしろいね。
離れて初めて感じることとか思うんで、
だから結論が文化資本と遠すぎますけど、
僕はそれを感じて、それを言ってもそれを聞く人はなんとも思えないんですけど、
だから海外に暮らしたことない人たちとかに、すごく海外に行ってほしいんですよ。
それがもっと日本大好きってなったとしても、もっと日本嫌いになったとしても、
日本を俯瞰視で見れるようになるから、
日本がどういう国なのかを認識できるようなことになるんで、
海外行ってほしいなっていう気持ちは。
貴族のような風習っていうのを実は幼少の物心つくタイミングで東京で得ていて、
小学校4年生の時に青森に戻って田舎っていうもので思春期を迎えたので、
自分の人間としては東京の人間なんだけども、
思春期で体験できるすべてのことが青森の、
しかもインターネットのない時代の青森だったので。
やばいっすね。
自分のアイデンティティーは、っていう貴族意識でいくと、
僕は多分この中で一番東京に対する貴族意識がすごい強いんですよ。
東京っていうもので生きていて、東京に何かを残したい、貢献したいっていう意識がすごい強いんです。
それがあれですよね、同級生がみんな自衛隊に行く中で東京に出てこれたっていう。
だからそこで資本が効いてるわけですよね。
本当に何の進学でもなければなんでもない、
本当にただ片道切符だけを持って東京に出るっていう、
その根拠っていうのは、自分は東京の人間だからっていう意味一個しかないんですよ。
いや、でかいですよ。
でかいでかい。
なんかさっきから弱者のキーワードをいくつか出てるんですけど、
なんかそんなにしっくりきてなくて、
しっくりじゃない、理解ができてなくて、
どういう理由で弱者になりたい気持ちが芽生えるんですか?
今一番有利だからですよ。
既得権がある人っていうのは、
アメリカの今の選挙状況が、既得権あるって言うだけで、
そこには賛成しないって言われてしまうムーブがあるので、
僕は持ってませんっていうものを見せる方が有利です。
持ってると僕も恥ずかしいことなんですけど、
バカにしちゃうからな。
なるほどな。
だから、民主党を応援する演説に参加する人たちがセレブリティだったら、
よりそこを強固にしてしまうっていうのは、
だからやっぱこう、持ってないっていうものを見せれば見せるほど、
それこそ集めやすいと思う。
いや僕はでも、出てほしい。
出てきてほしい。
丁寧に自分のことを弱者じゃないです。
強いものですが、信じてくださいって丁寧に説明してくれる人がいることを信じたい。
政治家とかとして出てきてほしい。
僕は正直言ってめちゃくちゃ金持ちです。
めっちゃ金持ちです。
ただ、僕は努力してますみたいな。
なんかその嘘っぽい弱者は一番立ち悪いから、
嘘ついてるのと同じなんでね。
アーティストとかも、アーティストとしてそれをする必要性は全くないんですけど、
いるじゃないですか。めちゃくちゃ金持ち社長の息子娘が活動してて、
なんかちらほらいるじゃないですか。
で、その人たちを否定するわけではないんですけど、
なんかこれは僕の問題なんですけど、
深く考えないで夜こうやってバーって見てると、
またこいつみたいな。
金持ちが別に金使ってMV作ってるだけじゃんみたいな感じなんですけど、
その人がなんか金持ち面しないからそれを感じてると思うんですよ。
普通にそれはどうやってやるのって言われたらちょっと確かに頭かかえて、
それは僕の問題なんですけど、
例えばその人が丁寧に、
その人が例えばポッドキャストだったら、
そういったところでもちょっとオープンで、
実は○○会社の社長の息子さんでめちゃくちゃね、
そういう特権まみれだからこういうことさせてもらえてるみたいな感じとか言ってくれたら、
なんかすごい応援できるし、隠してないし。
それを出した上で、それがどれだけ自分がハッピーかっていうことを
ちゃんと伝えられた人っていうのはほんと強いんだと思うんだけど。
そう、強いし信頼できる。
だから今さっき言った風が、
さっき弱者であることをみんなで奪い合うような風になってるからこそ、
今求められるのって、
そっち。
認める側ね。
持ってることを認めて、
そこをみんなに正直に伝えられた人って、
かっこよく映るんだろうなって思うよね。
弱者ポジショントリアはちょっと嫌ですね。
嫌だよね。
でも、さっきの今、新自由主義って言われる経済っていうものの、
親ガチャによって持ってる人たちが優位、資本を持った人が勝ち続けるっていう格差と、
文化っていうものも同じくあったときに、
その2つをちゃんとバランスよく見せられる人っていうのが欲しいなと思って、
そのためのガイドとして言葉にしていかないといけない気がする。
確かにラジオ屋さんごっこで、今やってるポッドキャストで、
金持ちである自覚っていう回があって、
その後すっごい人気なんですよ。
だからやっぱり、そういった自分のウェルス、
悲惨を表に出すって、
それを1時間で辞任して、
2人がめっちゃ責めるんですよ、1人を。
お前さ、自覚してる?みたいな感じ。
確かに珍しい。
でも、ああいうイニシエーションがあるとオープンにできるじゃん。
でも、やっぱこういう話題って、
強制的なイニシエーション的な行動がないと出にくいんだろうなと思う。
自ら。
自ら開く、さっきの品の話で言うと、品の無さってすごいあるから。
確かにインセンティブはないですからね、見せることに対して。
多分、インセンティブもないし、たぶん習慣もないんだと思うんですよね。
たぶん習慣ももちろん。
昔は、おそらくみんな知ってたじゃないですか。
この人は家族であるとか、この人は氏族であるとか、
この人は定代でいてるみたいなのをみんな知ってて、
そういう家柄の人だからみたいなことで、
把握してたんだと思うんですよね。
僕たちは今、それが全然把握できない社会に住んでいるから、
その人をどういうインディケーターで見るかっていうと、
その人が自分で発信したことしか分からないから、
その人が自分で発信したことしか分からないということを踏まえると、
その人の心眼が分からないじゃないですか。
それが正しいのか間違ってるのかみたいな。
心眼を揃えようとすると、
僕が言った東京ハイカルチャー的な振る舞いをしないと、
本物が見つからないんだと思うんですよね。
そこで選別が行われるっていうことが、
人間の結構一般的なビヘイブアとして起きるんだろうなって思ってて、
僕がこの問題に最近なんでハマってるかっていうと、
僕を今連載させてもらってるところがあるんですけど、
それを紹介してくれた編集の方がいて、
その人ご自身でも5本書かれてる方で、
その人が言ってたのは、
日本には階級があるっていう話をしていて、
でも戦後の左派の人たちっていうのは、
階級っていうのを見えないようにしたんだっていう。
それをどういう風にしたかっていうと、
左派の人たちが自分たちが大衆のワンのバースであるっていう振る舞いをしたことによって、
インテリっていうのは元々特権階級だったのにも関わらず、
インテリが大衆の側にいるみたいな振る舞いをしたことによって、
あたかそこに階級差がないかのような認識っていうのが広がったんだっていう話をしていて、
で、面白かったのは、
昔から考えてみると、
文字を使って行政文書とかを作って、
つまりホワイトカラーワークみたいなのをしてたのは、
江戸時代だいたい5%くらいの人口だったんじゃないかと。
で、おそらくこの文化資本みたいなのが、
21世紀の日本にも影響してるんだってその人は言ってる。
その5%が。
エグ。
で、それが本当かどうかはその人の心肝が出るまでわからないんですけど、
仮説でしかない。
エグと思わせる面白さのある仮説。
で、それはそうかもなと思ってて、
例えばその上場企業の人口って多分5%くらいなんですよね。
いわゆる定代とか定代級の偏差値の大学とかもやっぱ5%くらいなんですよ。
でなるとその5%の人たちっていうのが社会の中でずっといるよねっていう話になってると思うんですけど、
でも多分20世紀の最後の方から、
文化資本を持っていることと経済的な利益を持つことっていうのがリンクしなくなってきたので、
だから今文化資本を持ってるけど、
経済的には全然箸の棒にもかかってない人っていうのは世の中にいっぱいいるんだと思うんですね。
両方持ってる人もいるっていう話かなと思うんですけど、
その話を聞いてたから東京に来てみて、
ほんまやと思って面白かったんですよね。
こういう人たち本当にいるんだみたいなのが僕は面白かったっていう感じで、
僕がやっぱそれを書いたのは文筆家の方と同じ問題意識というか、
これを見ないふりしててもあるよねっていう問題があるなっていう感じです。
ないことにはできない。
ないことにはできない。で、本人もわかってない。
自分が特権階級であることが。
それは戦後の流れの中で、
自分たちは庶民であり平民であり大衆であるっていう認識でインテリ生きてるから。
なんかその暴力性にみんなストレス感じてんじゃないっていう、
みんなネットも持ってしまったので、
多分その自分の経済階層上のクラスと関係なく文化資本をすごく大量に持ってしまってる人から、
世界を眺めると、
なんか上にいて特権を持ってブイブイはしてるやつの強要のなさみたいなものが異常に見えるようになってるから、
だったらトランプはウリャーってやってるものの方が、
なんかぶっ壊してくれそうみたいな感じで、
素直に入れるよねみたいな。
素直さが魅力的になりますよね、その構造。
別に結局トランプになろうが、別に民主党になろうが、
自分たちの実生活において起きることって、
そこまで大きな誤差がないっていうことも知ってしまってるからこそ、
そこの空気に対する動きって、みんな動きやすくなっちゃってるんだと思うんだよね。
リベラルである人たちの言ってることや、
ハイカルチャーの人たちが言ってることの意味は十分理解してるし、
それが素晴らしいって思ってるんだけども、
気持ちっていうものでどういうことって言われた時にそうなっちゃう。
そうなるんです。
だから具体的なイメージで、本当具体的なことを言うと、
僕も別にそれに対して優等生ですって言えないと思うんですよ。
むしろそのポジションにいたことによって構造的に違うし。
ただ、僕なりの気持ち努力とか、性格とか価値観があることによって、
例えば生存員の人たちに毎日おはようございますみたいな、
仲良くなろうとするとか、
単なるその人の生活に興味を持つとか、
ないんですよ、それが一切。
さっきの生活。
その人たちには。
その人たちの生活に興味を持つとか、
その人たちに挨拶しろよとか思うし、
そもそもマヤさんいるんだから。
エグいって思いましたね。
この人たちみたいな。
僕もやっぱりBCGじゃないですけど、
別のしっかりしたコンサルティング会社の出身の人と、
九州の田舎の小さい会社の経営を一緒に見るっていう経験があったんですよ。
で、すっごいバシバシ、すごい良い政策出してくるんです。
すごい良い政策出してくるんだけど、
全員ロンドン大出てんならやれるでしょうねと。
この田舎のおっちゃんが何人も集まって、
そんな難しい認知操作できると思ってるの?みたいな。
この人たちの価値観、何にも分かってないよねっていう話を結構バチバチやったんだけど、
全然分かってもらえなくて、
いや、でもビジネスの世界ではこれが普通だからってなっちゃうわけですよね。
で、そのある種の、なんていうかな、
今この世界を動かしているメカニズムに忠実であるかどうかっていうことによる、
圧倒的な力みたいなのがあるなと思ってて、
向こうの言ってることが絶対に正しいんですよ。
それはそうだもんっていう。
マーケットにフィットしようと思ったら、それは絶対正しいもんっていう。
でも、できない人とどう取り組むのかっていうのが今のここの我々の課題だよねっていう話なんだけど、
いやでもできない人にはやめてもらってみたいな話にやっぱなる訳ですよね。
楊 ああダメ!
まじでかい
きついっすよね
よくそのビジネスの正しさみたいなものから
すべてのものがいろいろなことが
正しいか間違ってるかっていう判別される世界に
今僕たちいるなと思ってて
土下になっちゃうのかなって思った感じですね
別にお金を持ってたまに住んでることに対してブーブー言ってんじゃなくて
その経済合理性で動く新自由主義的なそのムーブ自体は
別に商売って儲けるもんだから
そこはアグリしてるんだけどその人たちの教養の良さに対して
僕らは何か苛立ちを覚えてんじゃないかなっていう感じがすごいですね
多分その合理商売なんだからこうだよねっていうさっきのような
コンサル的なムーブっていうものは多分言葉では理解できるんだけども
不倫を落とせてないっていう意味で言ったら
その頭の悪さって教養じゃなくないみたいな
だからやっぱそこをいかに
そうね教養確かにね
教養のあらなしで言うとやっぱその人のほうが圧倒的にあるんですよね
でもその教養を帝王学だとした場合
人民統治をする本当にハイクラスの人たちでそういうことに対する教育や
そうですねそれはないんですよね
中途半端なんです
他者がいるということがそのなんていうかな
これ僕個人的な見解なんですけど
なぜそうなってるかっていうと
暴力から切り離された世界だからだと思うんですよね
僕キューバにいたんですよ
スペイン語ってご存知だと思いますけど
やっぱ敬語と普通の言葉があるんですよね
キューバでは友達同士で使う言葉を主に使うんです
でもキューバって独裁国家なんですごく平和で安全な部分があって
その次は僕コロンビア行ったんですけど
コロンビアは危ない国なんですよね
全員が敬語で話すんですよ
おもろ
キューバでは独裁国家で政治的マターに関しては
結構言葉を濁すところはあるんだけれども
自分の意見結構直載に言うんですよみんな
でもコロンビアではその人がイエスって言ってるのか
ノーって言ってるのかわかんないんですよ
ずっと喋ってる
いやー考えるにこれこれこれでこういう面もあって
みたいなことをずっと言ってて
でそれは多分暴力が身近な世界だからなんじゃないかなって思ったんですよ
っていうのは九州の炭鉱がなくなった地域みたいなところ
僕結構よく行ってた時期があって
でそういうとこでも僕は似た傾向を感じる
あのなんていうか炭鉱がなくなったところって
もうその日本有数の先進都市だったところがボコッとなくなって
生活保護が大きくてなんかすごい空っぽの感じがする街で
荒っぽい人たちがいっぱいいるっていうところなんですけど
そこの暴力の近さみたいなのがあって
そうなってくるとそのメチクロさん的な意味合いにおける
無強要な振る舞いっていうのは許されないんですよね
でそれをやった瞬間に
暮らされる九州の言葉で暮らされるって言うんですけど
ボコボコにするっていう意味なんですけど暮らされる可能性があるので
飲み屋で隣に座った人に暮らされないようにする技術みたいなのが必要になるわけですね
それはこの人がもう圧倒的に言葉も通じない
他者である可能性っていうのを常に考え続けるっていうことだと思うんですよ
その環境って今まで話してるのは序列が明確に見える空間なの
それとも誰が本当に怖くて誰が大丈夫なのかが分かりづらい環境なの
えっと分かりづらいと思いますね
だから分かりづらいから隣に座った人は一番初めにどこ中学出身ですかって聞いてくるわけですよね
やばしかも中学で物語が決まるんですよ
そうどこ中のどこ中の出身かっていうことは
その中学の一番喧嘩強い人がケツ持ってるってことを意味するわけですよね
そうすると自分のケツ持ってる人とその人のケツ持ってる人が
比較するんだ 比較するわけ
脳で一部
そうそうそう
外見上や名札では序列が分からない頃からこそ
中学という名での序列っていうかパワースカウター発動するわけですよね
そうそうカード出し合って
ここ揉めたらやべえなみたいなことを一緒に判断するわけですよね
住んでる地域とかその人の仕事とかからその人こういう関係とかから
推測してパパパって出る 感じる
感じる だから僕とかはよそ者だから
その次の先輩みたいな人に連れてってもらうときに
僕龍之介って言うんですけど
龍之介真ん中に座っとる人あると思うけど
目合わしてはいかんぞみたいなこと言われ飲み屋に入る前に
で終わった後にどういう人なんですかって言ったら
ヤクザ屋さんやけんのみたいな
モメルトメントやけんのみたいなことを言われるみたいなのがあるので
そうするとやっぱそういうのを
そういうことが起き得るということを考えて生きていかないといけないじゃないですか
ああやばいなんか
一緒に働いてた人たちの想像力の無さとかを話してたんですけど
今の話聞くとちょっと極端かもしれないですけど
僕の想像力のなささになんか悩ますね
そこは想像できなかったですね
そんな社会があるんだみたいな
あるあるあるあるある
ヤクザ いやだからさっき言ったように
日本ってほんと特殊でさ
中3階級が実現して
ある意味社会主義が実現してしまったとこからの今の20年だったりするので
よくわからない序列がよくわからない集団の中に
さらに今岡田さんの言うとこのホワイト社会みたいな
あらゆるものをウォッシングするような流れになってるから
だからやっぱり暴力みたいなものがさらに消えていくし
人の暗部みたいなものをさらに消していくから
さっき言ったどこ中って聞けば何かが分かるようなありかを
みんな探してるような気がしてて
だから人の序列やクラスを見えてないから非常に気になる
このネットのそのテクノロジーによってパーソナリティが一瞬で分かるって言われてるんだけど
ここに書かれてることが本当じゃないってことをみんな知ってるから
だからリアルなこの不審感不安だよね
自分がレベルなんで今目の前の人はレベル何なのかがわからない
しかもそこは暴力の匂いもないからルールがわかんない
だからたまにはみ出ちゃったりしていて
で、はみ出たことをその場でぶん殴られないから気づけない
けど実はその別れた後にそっちのコミュニティの方で
自分の至らなさを散々言われてるみたいな
その怖さみたいな
だからやっぱ暴力と序列っていうものを消しちゃったから
不安になって今の感じになってる感じがすごいするようにしますね
いくらでも気づけないみたいなね
いやでもなんかそれ
今の話聞くと
もうじゃあ攻めたことしないようにしなきゃみたいな
結論になるリスクあるじゃないですか
そうならないでねって言いたいですよね
だからかなり現象的な経験に立ち戻るんじゃないかなと思ってて
つまり相手をそのソーシャルクラスとか