1. アポカリ
  2. EP00|文化資本と序列-REMIX
2025-05-16 1:15:02

EP00|文化資本と序列-REMIX

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TOKYOハイカルチャーインテリ/ピナ・バウシュはみんな観る/ハイコンテクストのヤダ味成分/地方民とEURO民からみたTOKYO/アジアにはリアルワールドは無い/USのリベラル/特権に気づかない人達/ラテンアメリカにおけるワンオブアス/シティガールVSインテリ/弱者ポジションの奪い合い/親との折り合いがつかないハイクラス/卒業生が自衛隊に行く高校/キューバで感じた帰属意識/朝起きたらヨーロッパ人/資本バリューのボラティリティ/継承される5%の特権/文化資本の民主化/平民を自称するインテリ/コンサルのリベラルしぐさ/コンサルのネオリベしぐさ/教養の掛け違い/ぶっ壊してくれる勢力に賛同する/暴力から切り離された世界/キューバとコロンビアにおける直歳性の差異/どこ中?で探る危険察知能力/スカウターが壊れたホワイト社会/悪と特権を引き受けるセンス/ディスタンクシオンすればいいじゃない

※このEPは、Podcast「from雑談」からの再編集版です。

製作・配信:密談 @mitsudan_net

毎月第三金曜日配信

有料メンバーシップルーム『セクト』が8月ローンチ予定

限定トークやエッセイ、メンバーチャットなど、インタラクティブマガジンとして楽しめます

muro  @ryunosukemuro

アンソロポロジスト。九州大学人間環境学府博士後期課程単位取得退学後、在外公館やベンチャー企業の勤務を経て独立。社会人向け人文学ゼミ「le Tonneau」を主宰。法人向けの調査、研修、諮問などを請け負っている。Podcast番組「新日本駄洒落協会」「のらじお」を配信中。

つかさ @t_tanimoto

建築事務所勤務。東京生まれ、ブリュッセル育ち。ベルギー国籍。仏語と英語を活かして、翻訳者/編集者としても時々活動。UCL(ロンドン大学)で化学工学、パリ政治学院でコミュニケーションを学ぶ。Accenture SongやBCG Xなどでサービスデザイナーとして勤務後、キャリアチェンジし、現在に至る。valkneeとリー子と『ラジオ屋さんごっこ』配信中。

メチクロ @maticlog

1995年〜造形家として「S.M.H. (ホビージャパン)」誌にて全18作品連載

2000年〜グラフィックデザイナーとして活動開始 [BLAME! 特装版/ バイオメガ / アバラ特装版 / シドニアの騎士(弐瓶勉)] [ハイスコアガール (押切蓮介)] などを担当

2002年〜弐瓶勉・林田球・D[di:]・L?K?O・メチクロによるポータルサイト[MHz/メガヘルツ」を開設

2005年〜MHzSHOPにて、ドロヘドロ・東亜重工などのアパレルプロダクトを製作販売開始

2009年〜造形家として、宇川直弘・THE LEFTY・フルカワミキ・マヒトゥザピーポー(GEZAN)・大友克洋・灰野敬二らのオリジナルマスクを製作

2010年〜オーディオプロダクトデザイナーとして、[HP-A8 / HP-P1 / KOTORI301(FOSTEX)] の他、[TOON WORKSHOP(Mr.Harn / LINKINPARK)/Doublezero(ZEDD)]のブランドディレクターを担当

2019年〜JAPAN PODCAST AWARDS製作総指揮(第三期を以て退任)

2019年〜IKEUCHI HIROTOの顧問として参画

2021年〜ぷにぷに電機と共にPodcast『LAUNDRY AM』配信開始

2022年〜株式会社雑談を設立 [CRAFTBEER BAR & PODCAST STUDIO雑談・営業開始]


サマリー

このエピソードでは、文化資本格差やそれに伴う東京と地方の違い、東京のハイカルチャーに関わる人々の社会的構造について議論されています。リスナーは、地方出身者が東京で直面する経験や、文化的特権の認識の重要性を考察しています。また、文化資本の影響やその序列について語られ、特権意識や経済格差とは異なる文化格差への認識が重要視され、他者との違いを理解する難しさについても考察されています。 このエピソードでは、文化資本と社会的序列についての深い考察が展開され、自らのバックグラウンドや環境が個人のアイデンティティや幸福感に与える影響が語られています。異なる環境での経験が自己理解や他者理解に与える重要性が強調されています。 文化資本や階級の概念が日本の現代社会にどのように影響しているかについても論じられ、特権階級の認識やその隠蔽、経済的利益と文化資本の関係が深掘りされています。文化資本と経済階層の不均衡が日本社会における新たな緊張を生み出しており、特にエリート階層と一般市民の文化資本の格差が社会の序列や摩擦を引き起こす要因となっています。 このエピソードでは、文化資本とその不均等分配について議論され、現代社会における序列や人間関係の形成について考察が行われています。東京の文化資本の集中とその影響についても触れられています。

文化資本格差の考察
3人の共通点とか感じてる?
そうなんだ、すごい、そこまで。
シザーハンズだと思ってるんですよ。
傷つけるつもりないのに、手に挟み合わせちゃってる感じ。
でも、とてもしっくりきます。
自分に顔して。
だから、ジョニーデフくんをちょっと呼んできた感じ。
なので、今日3人でまたロングトークをしたいんだけど、
今日の話題が、最近、muroさんが他でやられてるポッドキャストのミスメラっていう番組で
上げていたテーマが、なんかすげえいいなと思って、
それをこの3人で話したいなと思ったんだけど、
ざっくり言うと文化資本格差みたいなことを話してたんだけど、
あの回って改めてmuroさんからアウトラインとしてお話できることってあります?
分かりました。あの回ね、ちょっと僕の周りで物議をかもしてて、
知り合いで飲食やってる人がいるんですけど、仕込みの時に店で流してたら、
従業員の機嫌が悪くなったって。
シザーハウス。
シザーハウス。
ラジオ通して。
ラジオ通じてシザーハウス。
そんな人を不愉快にする番組ある?って思ったんですけど、
ちょっとその番組の内容として何を話したかっていうと、
僕、最近地方から東京に出てきたんですよね。
僕、九州の大分出身なんですけど、
大分県大分市の別分近いところ出身なんですけど、
そこから僕はかなり人生中盤戦になって東京に出てきて、
で、その出てきていろんな人に誘っていただいて、
東京のいろんな人たちと会うみたいなことになったときに、
やっぱ全然違う。大分とは違う。
で、僕、ラテンアメリカに住んでたんで、
6、7年住んでたんで、
ラテンアメリカとも福岡とも大分とも違う東京みたいなのがあり、
で、東京に出てくるときに僕は何を考えてたかっていうと、
僕の大学の師匠先生が、
東京というものを知った方がいいみたいなことを言ってたんですよね。
九州いいとこだけど、世界というものがわからないまま終わるみたいなことを言われて、
そうなんだと思って。で、東京に出てきてみて、
確かにそうだなと思ったんです。
東京と地方の違い
確かにそうだなと思ったのは、
東京人って東京人にしかわからないことがあり、
それが東京であるがゆえに、日本の中心であるがゆえに、
やはり他の地方と違ってちょっと特権性があるなみたいなのを僕は感じるわけですよね。
で、例えばある文筆家の知り合いに、
文壇バーに連れてってもらったんですよね。
で、文壇バーに連れてってもらったら、
その人が文壇バーに入った瞬間、
6、7人席があってほとんど全部埋まってたんですけど、
全員その人の知り合いだったんですよ。
で、全員編集者、研究者、美術家、文筆家みたいなので構成されていて、
で、みんなその人が入ってきて、
共通の知人がいるって分かったことで、
全員で話すみたいなフェーズになったんだけど、
もう話についていけないわけですよね。
飛び交う単語が違いすぎる。
あ、なんとかの編集部のなんとかさんはみたいな。
あ、知ってるもんだみんなみたいな。
で、東京であることとハイカルチャーであることと、
インテリであることみたいなのが、
それぞれ別軸として存在するんだけど、
それがある種の社会集団としてこの土地にはあるんだなと思って、
で、後日すごいびっくりしたのが、
それ全然別々の知り合いで、
お互いは全然知らないんですよ。
知らないんだけど、
全員のインスタグラムで同じ日にピナバウシュっていう、
現代武道家の劇団が日本に来て公演をするってみんな見に行ってたんですよね。
あ、みんな見るもんなんだピナバウシュって。
当たり前じゃないですか。
東京ハイカルチャーインテリはピナバウシュを知っており、
それを見に行くというそのビヘイバーを持っている人たちなんだと思って、
あ、僕は彼らの一部ではないなみたいなのを思ったっていう話をしたっていう。
なんかね、それ聞いた時に、
なんかいろんな構造が見え隠れするなって思ったのね。
一つ言うと、地方と東京とかとの共通点で言うと、
スモールコミュニティの中でのハイコンテクストな会話って、
地方は地方のルールとしてあるじゃない。
隣の誰さん知ってるとか、それこそここが血族だったりとか、
ひも付いたハイコンテクストな話題とか。
だからそこにも近いなと思うけど、
そこに文化みたいなものがくっつくと、
途端に東京の匂いになる。
そうとも感じたし。
からスタートしつつの、
多分もうちょっと先にあるヤダミ成分みたいな部分って、
シティボーイ、シティガール的な何かがあると思うので、
そこに向かって話したいなと思うので。
なんかね、切り口がめちゃくちゃいろいろあって、
どっから行けばいいんだろうっていう。
ちなみに、つかささんは東京に来たのっていつだっけ?
僕は東京生まれで、4歳の頃にベルギー、ヨーロッパに引っ越して、
ベルギーで14年間、高校の卒業するまで過ごして、
で、大学、大学院仕事でロンドン、パリ行って、
で、5年前に東京に戻ってきました。
じゃあ今、つかささんから見た東京って、
今、室さんのエピソードにあるような体験ってあった?近いような体験。
もちろんありますし、ただ、なんか怖なとこに行きますけど、
特権の自覚
室さんがやってられてるポッドキャストを聞いて、
すごく思ったのが、すべてあの回のフレーミングが、
当たり前っちゃ当たり前なんですけど、
室さんがその九州から来られている地点でのフレーミング色が、
すごく強って思いながら言ってましたね。
状況感ね。
状況感とか。
室さんは地方から都会っていう状況の成分があるし、
つかささんの話を聞いてると、
つかささんって東京の上位概念にある西洋文明みたいなものの都市、
他の都市にいたとこかなの東京だから、
多分そのシティの見る姿勢が違うような。
いや、ほんとその通りです。
今のご経歴を聞いて、僕が思ったのは、
僕の先生が僕に東京にしかリアルワールドはない、みたいなことを言ったのと同様に、
やっぱりロンドンパリへ教育を受けた知人と話してた時に、
その人が言ってたのは、アジアにはリアルワールドはない、みたいなことを言ってました。
そのようなことを言った人は僕すごい嫌いです。
それは、なんていうんですか。
自分のヒエラルキーを人に強制しているだけだし、
そんなことはないとは僕も思うんですよ。
ただ、すごく内黒さんが言った通り、
それが良い悪いは別として、
視座が全く違う、視点が全く違うところから物事を見ていることによって、
例えばハイカルチャーインテリという言葉とか、
カルチャーガール、カルチャーボーイという使い方とかは、
すごい違和感を持って聞かせてもらいました。
そこまで?
最高。
え?みたいな。
実は前回の室野さんとの会話の中で、
レビストロースを引用して、
レビストロースという文化人類学の素となるようなものを提唱した人は、
逆に西洋文明が全てだと思っている人たちに対してパンチをくらした人で、
未開と言われている文明の人たちっていうのは、実は劣ってる存在じゃなくて、
そこの優れている部分っていうのをレンズとして持ってきた人で、
大体あっている。
なので、そういう視点の違いっていうものって、
今回の東京ハイカルチャーインテリ語で語るときって、
むっちゃ有効だなと思ったんだよね。
今、2人が執事を言ったので、
俺を言うと、すげえバランスいいんだよ、これ。
塚田さんがアラサーのさっきの執事、
室野さんがアラフォーのさっきの執事で、
僕、アラヒフなんですよ。
僕は母子家庭で育った青森生まれの上京組なんですよ。
しかも、何も決めずに18で上京してきた、
いわゆる無学の地方上京者。
かつ、当時90年ぐらいだったので、
いわゆる昭和の青森から東京祭行くだ、みたいな、
そういう空気も知って東京にたどり着いた人間なので、
結構また違う執事なんですね。
しかも、東京がむっちゃ経済的にも元気があった90年代を見てたりするので、
結構その辺の文化資本格差みたいなものを、
本当に密海の地から都会に出たような体験をしているので、
意外とそこの見え方って、
興味深い。
出そうだなと思ったので。
逆に僕は仕事をしながら、
いわゆる西洋のトップティアの人たちとのものづくりとか、
そういう体験も仕事の流れでしてきているので、
いわゆる西洋のハイクラスの、
ハイソサイティの方々の文化みたいなものとかって、
直撃で体験はしてるんです。
だからそっからまた東京を見た自分っていうのを、
今この50になって、
そういう自分もあるんで、
おもろいなと思って。
じゃあまず、司さんに、
あのミスメラの回を聞いた率直な感想系のエピソードを
ちょっとポロポロといくつか。
出してミスで、そこをネタに合わせたいなと思います。
ちょっと僕も準備してきてないんで、
綺麗な言葉で言えないんですけど、
感覚的に感じたことは、
そこまで東京を意識しないで生活すればいいじゃんとか、
思っちゃうんですよ。聞いてて。
そのレンズで見てるんだとか、
それがテーマだったから当たり前かもしれないですけど、
日常的にはそこまで考えてない可能性も全然あると思うんですけど、
あの回を聞いたらそう思ったり、
僕は西洋からのカルチャーとか、
それを信じない自分もいながらも、
正直それを内面している自分も、
いないって言ったら絶対嘘だと思うんで、
絶対いるし、
それを内面してるからこそ、
日本に来て、
いや、そんなの気にしなくていいよ、
みたいな言える立場だと思うんですよ。
そこが僕は、
室野さんのポッドキャスト聞いてて、
3人が喋ってる内容に違和感を感じながらも、
自分も問題だなとはすごく思いました。
自分はそんな、そういう、
例えば今言いかけたのが、
自分の特権であるっていうか、
特権っていうことはもう自分の、
上に立っていることを内面化していることっていうことになるから、
自分の特権である、
みたいなことも言えると思うんですけど、
僕についても考えさせられたっていうことですね。
僕はこういう視点でいいのかとか、
その視点であるのであれば、
どういう風にそれを責任を取るべきなのかとか、
人の接し方とかそう考えるべきなのかとか、
だからすごいあの、
別れ方、すごく興味深かったです。
誰が誰か忘れちゃったんですけど、
東京のハイカルチャーインテリ、
文化資本を持っている人たちの構図を言葉にしないのは、
その構図を無視することだ。
だから言うべきであるっていう意見もあったし、
なんでそんなことを言うのよ、
言わない方がいいじゃんっていう意見があったと思うんで、
そこは、
むずいみたいな、
答え何みたいなのはめっちゃ思いました。
今の特権をどう認識するのかの話でいきたいんだけど、
今のこのタイミングってむっちゃ出てるよね。
前回もお話しした、
リベラルの今の選挙の状況において、
敗北している状況の裏に、
その自分が持っている特権の自覚のなさみたいなものが、
あった気がしていて、
実際今回カマラ・ハリス、
トランプの勝利というよりは、
カマラの敗北だって言われて、
そのワードだけ抜き出すと、
文化資本と特権意識
言ってることが正しいであろうリベラルの発言っていうのを、
言ってる主体が既読権を持ってるはずなのに、
それを自覚できてなく、
そのジャクチャー側のスタンスみたいなところから、
言ってたあの空気みたいなもので、
多分今の政治的なフィールドでも感じるし、
今のこの文化っていう、
要は経済格差とはまた別の文化格差みたいなものの、
持っている特権みたいなものに対する意識と、
あとそれのアウトプットの仕方って、
前話してたヒントつながるなと思ってて、
司さんは今自分の持っている特権性の暴力性に、
気づいてるっていう発言をしてたし、
おそらく室さんが見かけた東京での現場って、
その特権意識に気づいてない人たち。
東京のハイカルチャーと私
もしくはそこは別に気づかなくてもいい、
ちゃんと安全権のコミュニティで見たその姿。
すごいわかります。
それの気がするよね。
めっちゃパンパンいろんな視点、
いろんな矢印が出ちゃって、
頭寝ちゃってるんですけど、
すごい初対面でめちゃくちゃ失礼なんですけど、
室さんの周りの人、
めっちゃ性格悪いやんって思っちゃいました。
めっちゃリファレンスわかんないのに、
ネームドロッピングめちゃくちゃする感じとか、
知らないの?みたいな感じ出してるところとか。
言ってあげて欲しかった。
室さん今、いろんなビジネスの現場で、
そういうマイクロアグレッションを受け続けてる。
親切すぎるし、
僕は逆にそういう東京じゃない東京も、
ちゃんとあるよっていうのは、
室さんに言われたら、
そういうことを感じてる人がいたら、
それが当たり前ではないし。
僕はね、逆なんじゃないかなと思っていて、
だから僕のことをワン・ノブ・ゼムだと、
認識したんだと思うんですよね、彼らが。
だから僕、
ラテンアメリカにいたんで、
特にラテンアメリカとかでいると、
ちょっと絶妙な話題だと思うんですけど、
日本人であることって、
もう言い古された言い方ですけど、
どこか特権白人であるような感じがあるというか、
じゃあ留学生仲間で飲みに行こうかみたいになったときに、
じゃあ中国人誘うかって言ったら別に誘わないのに、
一応日本人に声かかるみたいな。
で、みんなで飲みに行くんだけど、
日本人であることって、
で、みんなで飲みに行くんだけど、
やっぱりヨーロッパとかで流行っている、
音楽とかの話をみんなするわけですよね。
で、僕あんまり洋楽詳しくない、
音楽あんまり聞く習慣がないんで、詳しくないんで、
よくわからないんだけど、
彼らはそれがワールドスタンダードとして、
みんな知ってるよねと、
イギリス人も知ってるし、アメリカ人も知ってるし、
ドイツ人も知ってるし、フランス人も知っている、
話題して出してくるわけですよね。
で、当然日本人のあなたも知ってますよね。
なぜならあなたはワンドバースだから、
みたいなことをするんだけど、
いや、知らねえな。
みたいなことがやっぱあるなと思っていて、
それ、彼らからすると、
僕を仲間だと思うからそういうふうな扱いをするんだけど、
僕からすると、
そうか、みたいなわけですよね。
そういう東京の人からにも、
そういうふうに認識されている可能性は高い。
だからそういうふうに、
同じだよねっていう扱いで、
そういうことを言ってくれてるっていう感覚なんですか?
そう、多分だからその、
多くの人はこの違和感を多分口に出さずに、
同じだよねって扱われることによって、
一生懸命キャッチアップして、
みんなのコミュニティに入っていくんだと思うんですよね。
なるほど。
で、どっちかというと僕は性格悪くて、
それを言ってるっていう。
なるほど。
ワン・ノブ・ゼムと扱ってもらったにも関わらず、
あなた方とは違いますけど、みたいな。
さっきの政治の話じゃないんだけど、
そういう人たちほど、
言葉ではインクルーシブとか言うんですよ。
でも、違う人がいるっていうことに対する配慮や意識っていうものが、
異常に外れたハイカルチャーの人たちっていうのを相当見てきていて、
それこそ論断の人とかもそうだったろうし、
僕ってデザインとかアートとかサブカルの人間なんだけど、
そこでもやっぱり、これが分かってるうちら、
だから仲がいいみたいなものを前提としたコミュニケーション、
みたいなものに慣れすぎてしまっていて、
同じであるっていうコミュニケーションを取ったら、
それが暴力になるっていうシチュエーションに慣れてないっていう、
だからやっぱ違う、人は違うっていう前提を持って
コミュニケーションを取れる品を持った人っていうのが、
意外と少ないっていう。
序列の認識と影響
で、多分そういうクラスの人ほどやっぱそこ、
無自覚なこと多くて、性格悪いだけじゃなくて、
なんかそういう感じ。
言っちゃいましたね。
いや、でも分かるんだよね。
だから違う人がいるっていう前提をどこまでの射程で持ってるのかっていうことの方が、
その方がむしろ、俺はより強要がある人の人だと思うんだけど、
なんか強要があると思ってるそういう人たちほど、
意外とその多様性に対して無自覚みたいな。
いや、でもむずいな。
自分も絶対排除してるんですよ。
これって自分の方からは、この話をする時に、
ミスメラの中でも千朗さんって女性の方が多分言ってたと思うんですけど、
あなたは私のことをシティガールだと言うけれども、
インテリという軸ではあなたの方が特権的じゃないかみたいな。
なんか起きた、起きた、起きた。
いいじゃん。
そうそうそう。で、それも僕はここ数年すごい感じてる。
あんまり別にインテリだと思わないけど、僕も。
でも、大学院まで行ったみたいなことを考えると、
いやでも、PhDもらえてないじゃん。
いや、PhD持ってない。
マスターで。
マスターの後、博士化って言ったんですけど、退院取得大学で出てるんですよ。
いや、それもね。
違いますよ。
違いのあるから、なんかその、なんていうかな。
だから、ちょっと分け道にそれるんですけど、
さっきの東京ハイカルチャーインテリという僕の言い方したんですけど、
あれを出した後にいろんな人と話してて、
やっぱその東京ハイカルチャーインテリって一緒に住むのよくないよねと。
なるほど。
東京とハイカルチャーとインテリがあるよねっていう話をして、
で、それは僕も合意なんですよ。
でも合意、それは合意なんだけど、
東京の話とハイカルチャーの話とインテリの話を別々にすると、
嫌な感じにならないじゃないですか。
悪口になる。
これをまとめると悪口になる。
説明しにくくもなりますね。
でも嫌な感じになることで、
おっしゃったような自分の特権制のことを考えざるを得ないと思うんですよね。
本当に自分が抑圧されている立場の場合、
何が自分を抑圧しているのかっていうことを考えざるを得ないと思って、
耳障りの悪い言葉を置いたんですけど、
この話でやっぱすごく、さっきメチクロさんがおっしゃった
アメリカの左派の話もそうだと思うんだけど、
世の中に序列があるかないかみたいな話があると思って、
塚田さんおっしゃったように、ないと思えばないじゃないですか。
あると思うからあるのであって、ないと思えばないんだけれども、
それをじゃあないよねって振る舞うことって、
いい時もあれば悪い時もあるよなみたいなこともあり。
僕は風だと思ってて、
今のさっきの政治の風景から切り取ると、
もはや左右の時代じゃなくて上下の時代だって言われてるじゃないですか。
上下っていうものを自分の身体感覚的に意識できているかどうかっていうのは、
さっきの自覚の話な気がしていて、
今さらに風で言うと弱者マウントを取るモードに入ってるじゃないですか。
僕がね、ちょっとエピソードで言うと、
三ノ輪耕介さんがニュースピックスでブイブイ言わせた時代に、
僕がある友達に、この人多分40になる時に突然に反省モード入るよって言ったら、
もうほんとそうなって、ニュースピックスやり尽くした後、
今彼が何やってるかっていうとミドルエイジクライシスについて語り出してるんですよ。
だからやっぱその反省モードになった時に、
自分がいかに弱い存在なのかっていうもののポジションをみんな欲しがってるなと思ってて、
だからその自分に特権に築くようなシチュエーションってみんないろいろあると思うんだけど、
その時にまた自分はどこで弱い立場なのかっていうものを置いて安心したがる部分がすごくあるなって感じていて、
それはそれでなかなかにやだみあるよっていうのは俺は見ている。
おっしゃる通りですかね。
だからその自分の特権の自覚することと、
必要にポジションとして自分も下に入ろうとしたりするっていうものがセットになる動きって、
多分今のこの風の中で言うと、
トレンドではあるんだけれども、結構苦しい動きだなと思ってるから、
だから僕は上下の時代だからこそ、
自分が持っている特権っていうものをちゃんとラッキーっていう意味でもいいから、
引き受けて、引き受けた上で、
そこのハッピーさや下への配慮みたいなものをどうアウトプットするのかの時代なんだと。
もうしっくりきましたね。
来た。来ちゃダメなんだよ。
めちゃくちゃしっくりか。
超しっくり。
でもなんかそんな気がしない。
おっしゃる通りとか思いますし、先ほどの序列の話にすると、
これは単なる僕の意見、考え方ですけど、
序列はないって思い込んで生きる方が暴力的だとは思っちゃいます。
で、ちょっと政治であえてくっつけると。
だからある一部の、僕は自分の中では、
左寄りのもので、そこをサポートしたいっていう気持ちは強いんですけど、
そんな差だっていろんな考え方があるし、いろんな手法がある中で、
ごく一部はすごくフラットに物事を見て序列はない。絶対ない。
現状でもあることを認めるべきではない、みたいな考え方あると思うんですけど、
それの方が100倍暴力的だと僕は思っちゃうんですよね。
いろんな、で、序列はある。
だが、自分はどこにいるのか。
そしてその立ち位置に対して、自分はどのような特権があるのか。
もしくはどのような権利があるのかとかを考えて、
それに基づいて、じゃあ上への配慮とか下への配慮とか、
どう振る舞うべきなのかって考える方が、
よっぽど少しずついい方向に進むのではないかとか思っちゃう。
思うよ。
したがって、第三性です。
序列を受け入れるってそんなにも難しいことなのかって、
一回考えたことがあって、その時僕が思いついたのが、
今言ったクラスにいる人たちの共通に見えている、透けて見えているものが、
親との折り合いみたいなもののコンプレックスと
社会の見方がくっついている人が多いなと思ってて、
だから政治的なスタンスとか、お金の考え方とかが、
すごくそこに紐づいているなっていうのをすごく感じているんだよね。
自分を育ててくれたも外すことのできないOSの親みたいなものに対する反抗心みたいなものが、
文化資本と自己意識の探求
何か自分を特権を持っているにもかかわらず、
戦う俺だって思わせているものがあるような気がしていて、そういうのってある?
確かにラジゴでも話したことあるかもしれないんですけど、
僕は率直に言うと、かなりお金持ちの家庭、父親が勝者だったんですね。
なのである程度の金銭的には苦しくない、苦しがちがう有利な方だったんですけど、
それに伴って、良いとされる生活、良いとされる暮らしのインフラ、
良いとされる休みの過ごし方っていうのがあるんですよ。
ただ、僕は今、全然そこに達していない、お金的には。
一時期はそれにすごい固執というか、その与えられてた環境より良い環境、もしくはイコールの環境は最低限だなっていう考え方が強かった頃がすごいあったんですけど、
それはめちゃくちゃ不健康だなとはすごい思いました。
でも、僕の話ではなく、ほとんどの人そういうふうに考える方が自然なのではとかすごい思っちゃうんですよ。
与えられた環境より下は行きたくないっていう気持ちは当たり前な気がしてて、
ただ、なんか、ごめんなさい、結論がないんですけど、そこに対して僕は、
そこはきっかけはないんですけど、僕はある日から解放されて、そこを追っても自分が不幸になるだけだなっていうのはすっごい思いました。
引き受けるの話だよね。
だからそこから脱越して、自分は自分だし、いいんじゃないのとか思って幸せになりたいなみたいな。
だから序列を引き受けた上での精神的な自立ができたかどうかでいくと、今のエピソードってできた人の話にすごい聞こえていて、
さっき言った親みたいなものに対する折り合いのつかなさみたいなものの視点で、
そこが内面化している人のパターンとしては、その人たちの特徴って上には上がいるを知っちゃってるっていうか、
だからこそ自分を中3階級だって自認しちゃってるっていう、自分を過方修正するようなバイアスがかかりやすいなと思っていて、
僕みたいにすごく下にいると全部が上なので、なんかこのステップの階層がすごくよく見えるんですよ。
でも、なんか自分を下だって無理にしようとしている人、インポスター症候群的なというか、
自分を得ているものがあるし、自分の実力でやれていることがあるのに、なんか過剰に自分を下のポジションに置こうとする人の特徴って、
やっぱりこう、やっぱりこう景色として上を見ちゃってるから。
意識してる。
だから自分っていうのは何なんだろうとか、これより下げたくないとかっていう気持ちとかで、その折り合いがつくの難しいだろうなと思っていて。
いやでも、かわいそう、自分込みでかわいそうとかすっごく。
いやすごく思うんですよ。
自分が家庭、例えば自分、違う、そういった人が家庭作るとします。
もうそこからもっと、この子にはこう、僕が経験した物事を経験させなきゃ。
例えば僕、フランス人学校行ったんですけど、
まあ例えば日本人でフランス語を勉強させてもらったみたいな。
それはもうここに固執してたらもう、いや病むじゃないですか。
自分の子供に。
絶対フランス人学校行かせて、海外経験させて、なんかイギリスの大学行かせてとか言ってたらもう、きりがないし、
まあそれは自分の防衛メカニズムだけかもしれないし、まあおそらくそれなんですけど、
まあそこにはない豊かさとか、
僕はその、勉強頑張って、まあ性格も家庭もあると思うんですけど、いろんなファクターありますけど、
自然にそんなに触れてこなかった人ですし、美術とかにもそんな触れてこなかった人なんですけど、
別に日本の地方で暮らしてて、なんか豊かな自然が近くにあって、ちょっと美術に触れたら、
そこから見える世界っていうのは、いろんな大きい世界があるわけじゃないですか。
そこから一つずつ手に入れて、で大人になってから世界を見るっていうのも素晴らしいことだと思って、
僕はそれをできてない、なんか全部全ては当たり前って思ってしまっている人とも見なせると思うんですよ。
まあ自分自身でもそう思ってて、一部部分的に。
だからそういういろんなあり方がある中で、
なんか僕はこういうふうに座ってしまったみたいなことがあると思うんで、なんか一つの答え。
それぞれの苦しみってさ、こうやって今の情報環境的にすごくいろんな人に見えるようになってきたから、
環境がもたらす影響
だから僕は90年代に状況を知った時に感じた時ほど、そういうクラスにいる人たちのことを勘違いしなくなった。
なんであんな恵まれてるのに、あんなになんか苦しい苦しい言うんだろうみたいなのを疑問だったんだけども、
でもその苦しみのディティールみたいなものが今の司さんのエピソードにすごくわかるようになったので、
僕はある意味上の人たち、僕のステージから見た上の人たちの苦しみをすごく理解できるようになったからこそ、
商売もできるようになったみたいなところがすごくあって、だからそれぞれなんだよね。
僕の同級生はさっき言ったように誰も進学しないんですよ。
高校、公立高校を卒業するとほぼ全員男性は自衛隊に入るんですよ。
東京に出る人なんてほぼいなくて、僕ぐらいの人たちのその同級生たちって、
別にこのiPhoneが誰がデザインしてどういう技術で作られたのかなんて一切知らないんだけども、むっちゃ幸せに暮らしてるんですよ。
だからそういうのを含めて、でも彼らって多分そのハイカルチャーであることとかインテリであることとかっていうものから解放されて、
自分たちの幸せみたいなものを引き受けてるんだよね。
だからそういうところで東京ってそこの引き受けるのがすごく難しい都市だと思ってますっていう話。
そうですね。
確かにね。
かなりバトンもらっちゃったけどどうですか。
なんか話の流れ変わっちゃうんですけど、
津軽さんなんか貴族意識ってあったりとかするんですか。
自分が何か。
貴族ではないかなって。
いやアリストクラッシーじゃなくて。
何かのワンオブアスであるっていう感覚を持ってたりするんですか。
ごめんなさい。日本語があれなんですけど、理解はしたんですけど、どの和にワンオフ丸々。
例えば、僕あんまり何かに貴族意識、何かに貴族してるっていう感覚がない人間なんですよね。
ないんだけど、僕が初めて自分の貴族意識に気づいたのは、
調査のためにキューバに行ったときに、キューバでは自分が日本人であることをすごく感じたんですよ。
なるほどなるほど。
俺はキューバ人じゃねえよ。
僕この話すごい好き。
俺も大好き。
というのをすごい感じて。
別に日本にいるときには自分が日本人であるとか全然思わないし、日本への貴族意識とかは全然感じないんだけど、
これ同じことで、東京に来てから自分の九州人としての貴族意識みたいなのをすごい今感じてるんですよ。
なるほどなるほど。
すごい東京の人と話すときに、僕は過剰に九州弁使ってるなって思うんですよ。
九州で全然九州弁使わないんですよ。
むしろ東京の標準語を使う。
そうそう。
だからそれがすごく、
なんていうのかな、やっぱ
ここの人たちっていうのは僕にとってアス、ウィーではない?みたいなことを感じたときに、
じゃあ僕のウィーみたいなのがなんかやっぱ無意識に自動的に出てくるなみたいなのがあって、
津笠さんそういうのあんのかなって思って。
やっと理解しました。
そして、僕は先ほど言った通り4歳の頃から海外で日本人として過ごしてたことによって、
それがデフォルト。
だから海外だと少しはもちろんありますよ、日本人として。
でもそこはなんか自分でみたいなのはそんなないんですけど、
日本に行って今5年目なんですね。
大人になったから初めて5年住んだんですけど、
めちゃくちゃなんかヨーロッパをすっごい意識しますね。
そのアイデンティティ自分の文化的背景がヨーロッパにあるような。
あるんだっていうのがすっごく感じさせられますし、
でも本当におっしゃる通り、
離れて初めて感じるもんだなっていうのをめっちゃ思います。
これ日本とは関係なくちょっとプチエピソードなんですけど、
中学生3、中3の時に社会の先生がヨーロッパという概念として説明してくれるんですね。
で、ヨーロッパのアイデンティティとかを作るために、
例えばヨーロッパの旗あるじゃないですかとか、いろいろあるんだよみたいな。
だから、もしかしたら50年後、ヨーロッパはもっと成長してもっと普及して、
起きたら、私はフランス人って思えるんじゃなくて、
ヨーロッパ人って思えるかもしれないよみたいな言われたんですけど、
なわけあるかみたいな思ったんですよ。
ありえねえしそんなヨーロッパ人、誰がヨーロッパ人って思って起きるねんみたいな。
絶対国ファーストだとか思ったんですけど、
日本だっけ、どっか離れたんですよ。
離れたというか、日本は引っ越しました。
あ、あるかもこの世界全体って思ったんですよ。
僕ヨーロッパ人かもみたいな思って。
おもしろいね。
離れて初めて感じることとか思うんで、
だから結論が文化資本と遠すぎますけど、
僕はそれを感じて、それを言ってもそれを聞く人はなんとも思えないんですけど、
だから海外に暮らしたことない人たちとかに、すごく海外に行ってほしいんですよ。
それがもっと日本大好きってなったとしても、もっと日本嫌いになったとしても、
日本を俯瞰視で見れるようになるから、
日本がどういう国なのかを認識できるようなことになるんで、
海外行ってほしいなっていう気持ちは。
異文化体験の重要性
でもさ、さっき言った序列を自分から客観的に見るためには、
やっぱり西洋に出てみるとか、南米に行ってみるみたいな。
すごく生きるよね。
確かに、それ僕メモってました、どっかに。
本当に自分が経歴的にありがたいことに環境を変えることによって、
何が資本としてバリューが高いのか低いのかが、コロコロ変わるんですよ。
それを体験するっていうのはめちゃくちゃ大事だなと思ってて、
なので、もちろん室田さんはそれを当たり前に知ってる中で、
全部話してたっていうのはもちろん知ってるけど、
そのポッドキャストの中では、あえて一つの評価軸の中で話したんで、
その評価軸だけじゃないだろうっていう考え方で聞いてたっていうのは一つ大きいですね。
あの話題の難しかったところって、
多分そこに気づけるかどうかによって読解の仕方がかなり変わるなと思うから。
だからムカつくのは違くない?とか思っちゃいますよ。
だからその内面化したものに気づいてない人って、
多分その話題に起こるんだと。
そうです、そうです。
自分について考えるよみたいな。
他人に当たってる場合じゃないぞみたいな。
やっぱり外から自分の立ち位置をレンズで見るみたいな経験が、
今は海外とか土地としてっていう意味でいくと、
僕もさっき母子家庭で青森から東京にっていう言い方したんですけど、
実はここの僕の弱者マウントにはズルがあって、
僕、青森で生まれてすぐに東京っていうか、
神奈川と千葉の東京周辺のところに親が防衛長だったので、
転勤で子供の頃に東京に住んでるんですよ。
だから物心…
面白い、なるほど。
物心ついたのが東京なんですよ。
しかもその時って親も離婚してなかったので、
父親の家系って実は青森のすごく強い自民党の表現をすべて持ってるような、
大事になるような家系なんですよ。
だから国会議事堂に連れて行かれたりとかみたいな、
そういうのを東京の小学校3年生まではしてたんです。
貴族意識じゃない方の貴族っていう意味でいくと、
東京と青森のアイデンティティ
貴族のような風習っていうのを実は幼少の物心つくタイミングで東京で得ていて、
小学校4年生の時に青森に戻って田舎っていうもので思春期を迎えたので、
自分の人間としては東京の人間なんだけども、
思春期で体験できるすべてのことが青森の、
しかもインターネットのない時代の青森だったので。
やばいっすね。
自分のアイデンティティーは、っていう貴族意識でいくと、
僕は多分この中で一番東京に対する貴族意識がすごい強いんですよ。
東京っていうもので生きていて、東京に何かを残したい、貢献したいっていう意識がすごい強いんです。
それがあれですよね、同級生がみんな自衛隊に行く中で東京に出てこれたっていう。
だからそこで資本が効いてるわけですよね。
本当に何の進学でもなければなんでもない、
本当にただ片道切符だけを持って東京に出るっていう、
その根拠っていうのは、自分は東京の人間だからっていう意味一個しかないんですよ。
いや、でかいですよ。
でかいでかい。
なんかさっきから弱者のキーワードをいくつか出てるんですけど、
なんかそんなにしっくりきてなくて、
しっくりじゃない、理解ができてなくて、
どういう理由で弱者になりたい気持ちが芽生えるんですか?
今一番有利だからですよ。
既得権がある人っていうのは、
アメリカの今の選挙状況が、既得権あるって言うだけで、
そこには賛成しないって言われてしまうムーブがあるので、
僕は持ってませんっていうものを見せる方が有利です。
持ってると僕も恥ずかしいことなんですけど、
バカにしちゃうからな。
なるほどな。
だから、民主党を応援する演説に参加する人たちがセレブリティだったら、
よりそこを強固にしてしまうっていうのは、
だからやっぱこう、持ってないっていうものを見せれば見せるほど、
それこそ集めやすいと思う。
いや僕はでも、出てほしい。
出てきてほしい。
丁寧に自分のことを弱者じゃないです。
強いものですが、信じてくださいって丁寧に説明してくれる人がいることを信じたい。
政治家とかとして出てきてほしい。
僕は正直言ってめちゃくちゃ金持ちです。
めっちゃ金持ちです。
ただ、僕は努力してますみたいな。
なんかその嘘っぽい弱者は一番立ち悪いから、
嘘ついてるのと同じなんでね。
アーティストとかも、アーティストとしてそれをする必要性は全くないんですけど、
いるじゃないですか。めちゃくちゃ金持ち社長の息子娘が活動してて、
なんかちらほらいるじゃないですか。
で、その人たちを否定するわけではないんですけど、
なんかこれは僕の問題なんですけど、
深く考えないで夜こうやってバーって見てると、
またこいつみたいな。
金持ちが別に金使ってMV作ってるだけじゃんみたいな感じなんですけど、
その人がなんか金持ち面しないからそれを感じてると思うんですよ。
普通にそれはどうやってやるのって言われたらちょっと確かに頭かかえて、
それは僕の問題なんですけど、
例えばその人が丁寧に、
その人が例えばポッドキャストだったら、
そういったところでもちょっとオープンで、
実は○○会社の社長の息子さんでめちゃくちゃね、
そういう特権まみれだからこういうことさせてもらえてるみたいな感じとか言ってくれたら、
なんかすごい応援できるし、隠してないし。
それを出した上で、それがどれだけ自分がハッピーかっていうことを
ちゃんと伝えられた人っていうのはほんと強いんだと思うんだけど。
そう、強いし信頼できる。
だから今さっき言った風が、
さっき弱者であることをみんなで奪い合うような風になってるからこそ、
今求められるのって、
そっち。
認める側ね。
持ってることを認めて、
そこをみんなに正直に伝えられた人って、
かっこよく映るんだろうなって思うよね。
弱者ポジショントリアはちょっと嫌ですね。
嫌だよね。
でも、さっきの今、新自由主義って言われる経済っていうものの、
親ガチャによって持ってる人たちが優位、資本を持った人が勝ち続けるっていう格差と、
文化っていうものも同じくあったときに、
その2つをちゃんとバランスよく見せられる人っていうのが欲しいなと思って、
そのためのガイドとして言葉にしていかないといけない気がする。
確かにラジオ屋さんごっこで、今やってるポッドキャストで、
金持ちである自覚っていう回があって、
その後すっごい人気なんですよ。
だからやっぱり、そういった自分のウェルス、
悲惨を表に出すって、
それを1時間で辞任して、
2人がめっちゃ責めるんですよ、1人を。
お前さ、自覚してる?みたいな感じ。
確かに珍しい。
でも、ああいうイニシエーションがあるとオープンにできるじゃん。
でも、やっぱこういう話題って、
強制的なイニシエーション的な行動がないと出にくいんだろうなと思う。
自ら。
自ら開く、さっきの品の話で言うと、品の無さってすごいあるから。
確かにインセンティブはないですからね、見せることに対して。
多分、インセンティブもないし、たぶん習慣もないんだと思うんですよね。
たぶん習慣ももちろん。
昔は、おそらくみんな知ってたじゃないですか。
この人は家族であるとか、この人は氏族であるとか、
この人は定代でいてるみたいなのをみんな知ってて、
そういう家柄の人だからみたいなことで、
把握してたんだと思うんですよね。
僕たちは今、それが全然把握できない社会に住んでいるから、
その人をどういうインディケーターで見るかっていうと、
その人が自分で発信したことしか分からないから、
その人が自分で発信したことしか分からないということを踏まえると、
その人の心眼が分からないじゃないですか。
それが正しいのか間違ってるのかみたいな。
心眼を揃えようとすると、
僕が言った東京ハイカルチャー的な振る舞いをしないと、
本物が見つからないんだと思うんですよね。
そこで選別が行われるっていうことが、
人間の結構一般的なビヘイブアとして起きるんだろうなって思ってて、
僕がこの問題に最近なんでハマってるかっていうと、
僕を今連載させてもらってるところがあるんですけど、
それを紹介してくれた編集の方がいて、
その人ご自身でも5本書かれてる方で、
その人が言ってたのは、
日本には階級があるっていう話をしていて、
でも戦後の左派の人たちっていうのは、
階級っていうのを見えないようにしたんだっていう。
それをどういう風にしたかっていうと、
左派の人たちが自分たちが大衆のワンのバースであるっていう振る舞いをしたことによって、
インテリっていうのは元々特権階級だったのにも関わらず、
インテリが大衆の側にいるみたいな振る舞いをしたことによって、
あたかそこに階級差がないかのような認識っていうのが広がったんだっていう話をしていて、
で、面白かったのは、
昔から考えてみると、
文字を使って行政文書とかを作って、
つまりホワイトカラーワークみたいなのをしてたのは、
江戸時代だいたい5%くらいの人口だったんじゃないかと。
で、おそらくこの文化資本みたいなのが、
21世紀の日本にも影響してるんだってその人は言ってる。
その5%が。
エグ。
で、それが本当かどうかはその人の心肝が出るまでわからないんですけど、
仮説でしかない。
エグと思わせる面白さのある仮説。
で、それはそうかもなと思ってて、
例えばその上場企業の人口って多分5%くらいなんですよね。
いわゆる定代とか定代級の偏差値の大学とかもやっぱ5%くらいなんですよ。
でなるとその5%の人たちっていうのが社会の中でずっといるよねっていう話になってると思うんですけど、
でも多分20世紀の最後の方から、
文化資本を持っていることと経済的な利益を持つことっていうのがリンクしなくなってきたので、
だから今文化資本を持ってるけど、
経済的には全然箸の棒にもかかってない人っていうのは世の中にいっぱいいるんだと思うんですね。
両方持ってる人もいるっていう話かなと思うんですけど、
その話を聞いてたから東京に来てみて、
ほんまやと思って面白かったんですよね。
こういう人たち本当にいるんだみたいなのが僕は面白かったっていう感じで、
僕がやっぱそれを書いたのは文筆家の方と同じ問題意識というか、
これを見ないふりしててもあるよねっていう問題があるなっていう感じです。
ないことにはできない。
ないことにはできない。で、本人もわかってない。
自分が特権階級であることが。
それは戦後の流れの中で、
自分たちは庶民であり平民であり大衆であるっていう認識でインテリ生きてるから。
文化資本と経済的利益のリンク
いろんな顔が浮かんでくる。
確かに。
今すごいペイペイの1年目、キャリアチェンジしたことによって、
見習い建築設計士みたいなことをさせてもらってるんですけど、
前職では外資のボストンコンサルティンググループというでかいコンサルティング会社で。
なぜそれを捨てたっていうキャリア。
それは確かに面白いっていうのもあるんですけど、
の中の新規事業立ち上げのデザインコンサルみたいなのをやってた
BCGデジタルベンチャーズっていうところにいたんですけど、
それはどこでもいいんですけど、そういったところに働いてたことによって、
今の話がすっごい回想度高く読めてる感じがして、
別にコンサルが全てではないんですけど、いろんな業務とかベンチャーとか、
メーカーさんもいっぱいいるんですけど、
本当に不監視できてない人しかいないんですよ。
それが仕事なのにね。
お前マジで?みたいな。マジで言ってんの?みたいな。
リベラルは当たり前でしょみたいな。
その人たちの想像力の低さの、
すっごいこれは問題だなっていうのを感じながらすごい暮らしてました。
その人たちの業務上には別にそのことを考える必要性は一切ないので、
それを責める必要性は全くないんですけど、
むしろその業務上ではクライアントの事業を上手くさせたりとかを考えることなので、
別に責任感はないんですけど、
そこでめっちゃネオリベ感を出してて、
意識していない人だったら全然、むしろ僕はそっちの方が正義感というか、
インテグリティがあるから、素敵までいかないけどどうぞ、いいじゃんって思えるんですけど、
その一部で結果的に各地間がそっちの方が合うんで、
仕事の中ではそういう人の方が仲良くなっちゃうんですけど、
やっぱり僕はリベラルですみたいな、私はリベラルですみたいなズラをしながら、
ズラっていうか、そういう主張をしながら、
明らかにプライベートはそれに程遠い生活をしたり、
明らかに自分の周りの人はもうその会計の5%もしくは3%ぐらいの人たちとしか連れ間ない、
消費の仕方も全部そうだし、
いやいやいやいや、みたいな。
それがバレてきてんじゃないの?っていう話だと思うんですよ。
イコールラクシャー。
そう、いろんなところで。
バレて気づいたからとりあえず取れる戦略として、
とりあえず自分は何者でもないっていうのをアウトプットするっていう所作をやりだしてるだけであって、
その根本がまだ理解できてないっていう話で、
で、僕が感じてるギャップっていうのは、
文化資本の不均衡
いわゆるビジネス上と資本っていう意味でのエリート、クラスの人と、
さっきの文化資本っていうものがくっついてないことのおかしさっていうのを感じる。
さっきのモロさんの話でいくと、
江戸時代の人たちっておそらく文明としての5%の人たちって、
おそらく自分のクラスや経済と文化資本っていうものがイコールだった5%だったと思うんだけど、
それが日本って変なことに、
60,70年代に一瞬夢見た学園闘争、学生運動的なところで、
ちょっとした社会主義的なというか、
全員フラットだよねっていうものを無理やり埋め込んだ後の高度経済成長からのバブルだったんで、
実質的な資本としての中産階級っていうものが実現してしまったので、
そこの変なギャップが生まれて、
今それが中産階級は経済的な意味でなくなったにもかかわらず、
文化資本がその時の時代の豊かな経験によって、
平民でもそれこそストリートの人でも文化資本を異常に持ってしまった人たちが生まれてしまった日本において、
下の人たちは文化資本をすごく持ってるのに、
エリートたちが経済やビジネスっていう意味での特権を持ってるにもかかわらず、
文化資本の薄い人たちがいるっていう、
イコール教養のない見方しかしなくなってるみたいな、
エリートと一般市民
なんかその暴力性にみんなストレス感じてんじゃないっていう、
みんなネットも持ってしまったので、
多分その自分の経済階層上のクラスと関係なく文化資本をすごく大量に持ってしまってる人から、
世界を眺めると、
なんか上にいて特権を持ってブイブイはしてるやつの強要のなさみたいなものが異常に見えるようになってるから、
だったらトランプはウリャーってやってるものの方が、
なんかぶっ壊してくれそうみたいな感じで、
素直に入れるよねみたいな。
素直さが魅力的になりますよね、その構造。
別に結局トランプになろうが、別に民主党になろうが、
自分たちの実生活において起きることって、
そこまで大きな誤差がないっていうことも知ってしまってるからこそ、
そこの空気に対する動きって、みんな動きやすくなっちゃってるんだと思うんだよね。
リベラルである人たちの言ってることや、
ハイカルチャーの人たちが言ってることの意味は十分理解してるし、
それが素晴らしいって思ってるんだけども、
気持ちっていうものでどういうことって言われた時にそうなっちゃう。
そうなるんです。
だから具体的なイメージで、本当具体的なことを言うと、
僕も別にそれに対して優等生ですって言えないと思うんですよ。
むしろそのポジションにいたことによって構造的に違うし。
ただ、僕なりの気持ち努力とか、性格とか価値観があることによって、
例えば生存員の人たちに毎日おはようございますみたいな、
仲良くなろうとするとか、
単なるその人の生活に興味を持つとか、
ないんですよ、それが一切。
さっきの生活。
その人たちには。
その人たちの生活に興味を持つとか、
その人たちに挨拶しろよとか思うし、
そもそもマヤさんいるんだから。
エグいって思いましたね。
この人たちみたいな。
僕もやっぱりBCGじゃないですけど、
別のしっかりしたコンサルティング会社の出身の人と、
九州の田舎の小さい会社の経営を一緒に見るっていう経験があったんですよ。
で、すっごいバシバシ、すごい良い政策出してくるんです。
すごい良い政策出してくるんだけど、
全員ロンドン大出てんならやれるでしょうねと。
この田舎のおっちゃんが何人も集まって、
そんな難しい認知操作できると思ってるの?みたいな。
この人たちの価値観、何にも分かってないよねっていう話を結構バチバチやったんだけど、
全然分かってもらえなくて、
いや、でもビジネスの世界ではこれが普通だからってなっちゃうわけですよね。
で、そのある種の、なんていうかな、
今この世界を動かしているメカニズムに忠実であるかどうかっていうことによる、
圧倒的な力みたいなのがあるなと思ってて、
向こうの言ってることが絶対に正しいんですよ。
それはそうだもんっていう。
マーケットにフィットしようと思ったら、それは絶対正しいもんっていう。
暴力と序列の問題
でも、できない人とどう取り組むのかっていうのが今のここの我々の課題だよねっていう話なんだけど、
いやでもできない人にはやめてもらってみたいな話にやっぱなる訳ですよね。
楊 ああダメ!
まじでかい
きついっすよね
よくそのビジネスの正しさみたいなものから
すべてのものがいろいろなことが
正しいか間違ってるかっていう判別される世界に
今僕たちいるなと思ってて
土下になっちゃうのかなって思った感じですね
別にお金を持ってたまに住んでることに対してブーブー言ってんじゃなくて
その経済合理性で動く新自由主義的なそのムーブ自体は
別に商売って儲けるもんだから
そこはアグリしてるんだけどその人たちの教養の良さに対して
僕らは何か苛立ちを覚えてんじゃないかなっていう感じがすごいですね
多分その合理商売なんだからこうだよねっていうさっきのような
コンサル的なムーブっていうものは多分言葉では理解できるんだけども
不倫を落とせてないっていう意味で言ったら
その頭の悪さって教養じゃなくないみたいな
だからやっぱそこをいかに
そうね教養確かにね
教養のあらなしで言うとやっぱその人のほうが圧倒的にあるんですよね
でもその教養を帝王学だとした場合
人民統治をする本当にハイクラスの人たちでそういうことに対する教育や
そうですねそれはないんですよね
中途半端なんです
他者がいるということがそのなんていうかな
これ僕個人的な見解なんですけど
なぜそうなってるかっていうと
暴力から切り離された世界だからだと思うんですよね
僕キューバにいたんですよ
スペイン語ってご存知だと思いますけど
やっぱ敬語と普通の言葉があるんですよね
キューバでは友達同士で使う言葉を主に使うんです
でもキューバって独裁国家なんですごく平和で安全な部分があって
その次は僕コロンビア行ったんですけど
コロンビアは危ない国なんですよね
全員が敬語で話すんですよ
おもろ
キューバでは独裁国家で政治的マターに関しては
結構言葉を濁すところはあるんだけれども
自分の意見結構直載に言うんですよみんな
でもコロンビアではその人がイエスって言ってるのか
ノーって言ってるのかわかんないんですよ
ずっと喋ってる
いやー考えるにこれこれこれでこういう面もあって
みたいなことをずっと言ってて
でそれは多分暴力が身近な世界だからなんじゃないかなって思ったんですよ
っていうのは九州の炭鉱がなくなった地域みたいなところ
僕結構よく行ってた時期があって
でそういうとこでも僕は似た傾向を感じる
あのなんていうか炭鉱がなくなったところって
もうその日本有数の先進都市だったところがボコッとなくなって
生活保護が大きくてなんかすごい空っぽの感じがする街で
荒っぽい人たちがいっぱいいるっていうところなんですけど
そこの暴力の近さみたいなのがあって
そうなってくるとそのメチクロさん的な意味合いにおける
無強要な振る舞いっていうのは許されないんですよね
でそれをやった瞬間に
暮らされる九州の言葉で暮らされるって言うんですけど
ボコボコにするっていう意味なんですけど暮らされる可能性があるので
飲み屋で隣に座った人に暮らされないようにする技術みたいなのが必要になるわけですね
それはこの人がもう圧倒的に言葉も通じない
他者である可能性っていうのを常に考え続けるっていうことだと思うんですよ
その環境って今まで話してるのは序列が明確に見える空間なの
それとも誰が本当に怖くて誰が大丈夫なのかが分かりづらい環境なの
えっと分かりづらいと思いますね
だから分かりづらいから隣に座った人は一番初めにどこ中学出身ですかって聞いてくるわけですよね
やばしかも中学で物語が決まるんですよ
そうどこ中のどこ中の出身かっていうことは
その中学の一番喧嘩強い人がケツ持ってるってことを意味するわけですよね
そうすると自分のケツ持ってる人とその人のケツ持ってる人が
比較するんだ 比較するわけ
脳で一部
そうそうそう
外見上や名札では序列が分からない頃からこそ
中学という名での序列っていうかパワースカウター発動するわけですよね
そうそうカード出し合って
ここ揉めたらやべえなみたいなことを一緒に判断するわけですよね
住んでる地域とかその人の仕事とかからその人こういう関係とかから
推測してパパパって出る 感じる
感じる だから僕とかはよそ者だから
その次の先輩みたいな人に連れてってもらうときに
僕龍之介って言うんですけど
龍之介真ん中に座っとる人あると思うけど
目合わしてはいかんぞみたいなこと言われ飲み屋に入る前に
で終わった後にどういう人なんですかって言ったら
ヤクザ屋さんやけんのみたいな
モメルトメントやけんのみたいなことを言われるみたいなのがあるので
そうするとやっぱそういうのを
そういうことが起き得るということを考えて生きていかないといけないじゃないですか
ああやばいなんか
一緒に働いてた人たちの想像力の無さとかを話してたんですけど
今の話聞くとちょっと極端かもしれないですけど
僕の想像力のなささになんか悩ますね
そこは想像できなかったですね
そんな社会があるんだみたいな
あるあるあるあるある
ヤクザ いやだからさっき言ったように
日本ってほんと特殊でさ
中3階級が実現して
ある意味社会主義が実現してしまったとこからの今の20年だったりするので
よくわからない序列がよくわからない集団の中に
さらに今岡田さんの言うとこのホワイト社会みたいな
あらゆるものをウォッシングするような流れになってるから
だからやっぱり暴力みたいなものがさらに消えていくし
人の暗部みたいなものをさらに消していくから
さっき言ったどこ中って聞けば何かが分かるようなありかを
みんな探してるような気がしてて
だから人の序列やクラスを見えてないから非常に気になる
このネットのそのテクノロジーによってパーソナリティが一瞬で分かるって言われてるんだけど
ここに書かれてることが本当じゃないってことをみんな知ってるから
だからリアルなこの不審感不安だよね
自分がレベルなんで今目の前の人はレベル何なのかがわからない
しかもそこは暴力の匂いもないからルールがわかんない
だからたまにはみ出ちゃったりしていて
で、はみ出たことをその場でぶん殴られないから気づけない
けど実はその別れた後にそっちのコミュニティの方で
自分の至らなさを散々言われてるみたいな
その怖さみたいな
だからやっぱ暴力と序列っていうものを消しちゃったから
不安になって今の感じになってる感じがすごいするようにしますね
いくらでも気づけないみたいなね
いやでもなんかそれ
今の話聞くと
もうじゃあ攻めたことしないようにしなきゃみたいな
結論になるリスクあるじゃないですか
そうならないでねって言いたいですよね
だからかなり現象的な経験に立ち戻るんじゃないかなと思ってて
つまり相手をそのソーシャルクラスとか
人間関係の形成
なんていうかな職業とか何らかの属性で見るというやり方ではなく
ただその人を具体的に人間として取り扱って
コミュニケーションできないかもしれない他者として取り扱いながら
人間関係を結ぼうと努力するっていうことを
みんなし始めるんじゃないかなって思ってるんですよ
で、そこでもポジティブですね
そうやって作った人間しか結局信頼できないってことになるんだと思うんですよ
しかも暴力とか悪っていうものはないことを目指して
今のようなクリーンな社会をできてきてるんだけども
でも実際は人間ってアニマルで暴力をやるし傷つけるしっていうところを
いかに現存化していくのかみたいな
悪と自分の特権をどう引き受けるのかっていうのもセンスのいい人
そうね
それはおそらく
でもその定義ですね
その文脈でのセンスの定義
文化資本の格差
素敵ですね
今のそれがセンスっていう
なんかねそんなことを今までずっと室さんと話していて
何を引き受けるのか
引き受けなければいけない時代になったりねは言ってるんだけど
じゃあ具体的に何を引き受けるべきかっていう話をずっとしてる感じ
なるほど
面白い
じゃあちょっとさ指名の方向に移りたいんだけど
結局文化史本格差って問題なんだろうか
それともそんなもんなんだよねって
気づいた人は気づいてるって言って
ほっといていいもんなんだ
どうなんでしょうね
なんか別に問題でもないと思うんですよね
それってそのなんていうかな
格差を作り出すことによって
イマジナリに序列があるということに
するみたいなところがやっぱポイントなのかなと思ってて
こんなことを言ってあんまり伝わらない感じもするんですけど
例えばアマゾンの道輪のジャングルの中で置き去りにされて
モーツァルトの音楽の曲名が全部当てる
イントロクイズできますみたいなやつが
何の価値あんねんみたいな話じゃないですか
めっちゃ面白い
だからその為替にならないってことだよね
要は返還レートのないというか
しさんってこと
意味のない資産になるから
すごい共感できます
だからそれはそれがいいと思う人たちの集団で
ワークするのであるから
なんていうかな
意味がないと言えばやっぱ意味がないんだよなって思うっていう感じなんですよね
それが経済的な資本とすごく結びついた時代は
その文化資本の格差みたいなのを解消すれば
経済学者は解消するかもしれないってことになってたから
解消することに意味があったのかもしれないけど
結びついていると言えば結びついているかもしれないし
結びついてないと言えば結びついてないと思うんで
じゃああることが問題かって言われると
絶妙なところだなって思う
ウェイトがすごい低くなったから
そこまでそれより優先順位が高いテーマがたくさんあるのでは
と言っても過言ではないかもしれない
東京の文化資本
東京っていう土地だけがなぜか異常に文化資本の
監禁率が高いから
そうですよね
みんなそこをためるんだと思うんだよね
いろんな文化的なものを知っていることによっての
人脈が生まれるとか含めて
そこの監禁されない土地に行った時には
何の意味もないものだよっていうぐらいの
自覚を持つべきみたいな
そうね
だからその九州の炭鉱町出身の人が
ミスメラのあの回聞いて
そうなんですね
そうそうそう
ピナバウ州のお話地元でしたら
速攻食らされると思いますねって言ってたから
でも一応その行け好かねっていうワードには聞こえるんだ
いや多分出しても聞こえないと思うんですよ
でもそのピナバウ州知らないのみたいな
雰囲気出した瞬間に食らされると思うんですよ
それはなるね
知ってるよねみたいな
それがマウンティングであることは
多分察知されると思うんで
まあでもね相当民主化されたから
そんな問題じゃない気がする
だってピナバウ州僕も本当に一緒で
僕も逆に逆の肝さもあって
僕も行きたかったなみたいな感じで行ったんですけど
いろんな人の周りが行って
でも別にピナバウ州のことを調べれるし
好きな人と
キャッチアップできますからね今からね
いくらでもできるから
めちゃくちゃフェアな世界にはなってるから
チケット高いけど
高いけどでも全然
庶民が払えない金額じゃないんですよね
50万円とかじゃないですからね
ほんとおっしゃる通りだから
それは聞いてて思いました
いやまあいろいろ問題ではあるけど
だからそこがちゃんと循環している世界においては
すごく豊かになる資産なわけじゃないですか
文化資本で
だからそこは豊かに作らせばいいと思うんで
ただそれがさっきの
暮らされるようなシチュエーションの時に
どう見せるのかっていうことを
分かるためには
かなり自分を客観視できてないと
はみ出ちゃいますよって話ですよね
そうですよね
もしかしてこういう勝手な今でって思いついたことですけど
なんか何でも手に入れると何でも調べれる時代だからこそ
それ消費してんのっていう見下しは
強まる構造かも
でなんでそれを思いついたかというと
僕はそのポッドキャストを来させてもらった時に
自分のことを考えて
ディスタンクションの話されてたじゃないですか
なんか何か文化的なアクティビティをやってるとか
何かを知っていることによって
自分が高い社会階級にいることを見せれる
みたいな間違ってないような感じなんですけど
僕はそれがある中で
ユーチューバーとかユーチューブとかある中で
例えばヒカルとかヒカリンとか
ヒカキンかヒカキンとか
そういうのある中で
僕はアレルギーのように
え?みたいになっちゃう
それって僕の根拠ないディスタンクション
ディスタンクションをしたい欲で
根拠なくそれをけなしているのかなって
最近すごく思うんですよ
僕はね
なんかねそれ悪いことだと全然思わないんですよ
エンパワーされた
なんかあの
なんていうかな
アレって文化資本を通じて
階級闘争するっていう話だと
僕理解してるんですよディスタンクション
で闘争したけりゃやればいいと思うんですよ
で闘争の本能から我々たぶん逃げられないんで
さっきの話だ
あの闘争ずっとしとけばいいと思ってるんですよ
それおもろいやんっていう話だから
その中から生まれてくるものもあるし
あのみんな好きなんやから
いくらでもやったらよろしいやんみたいなのがあるんですよ
ワンピース読まねえとかさ
なんか読めばいいのにさ
みたいな話だと思うんですよね
でもこの漫画はみんな読むんだみたいな
ガローの漫画はみんな読むんだみたいな話とか
あると思うんですけど
それやったらよろしいと思ってて
でそこに階級差があるよねっていうのを
見出すことも
まあやったらよろしいやんって思うんですよね
だからさ安全な喧嘩をするために
自分のステータスというか
数値を表明すべきってことだと思ってるか
あのボクサーも階級があるじゃない
ででももう闘争から逃げられないと思うから
ねその時にヘビー級の人とさ
モスキー級の人が戦うって
それはもうあられもない姿になっちゃうから
だから持ってるものを開示して
みんなで戦おうぜみたいなモードに入ってるってこと
そうなんかまあセグメント化していけばいいと思うんですよ
これを縦に別に並べるんじゃなくて
この並列に並べていく
そうそうそうそう
確かに実際その今の視覚的メタはすごいしっくりきます
いろんなのがあって
ボクが別に何つもそれとか言っても
別にそれのことによって
ボクが上がるわけでもないし
違うマスカラはあいつ光好きじゃないのって思われるだけだから
それによっても見下されるだけだから
なんかそれが全部セットになって
だからボクがやったみたいに東京ハイカルチャイナリスト
しかもその人たちは金持ちであるみたいな
想像力を持つことによって
それがなんか不健全化されるのであって
そこにつくつくとそのカードのデッキを
大量に持ってるやつみたく見える
そうそうそうそう
そうするとなんかすげー悪いことやってるような感じになるけど
別にそんなことほとんどいないというか
これってかなりイマジナリーな存在だから
分かったそのホワイト化したからと言っちゃいけないことなんじゃなくて
このゲームを健全に楽しむために
その開示するっていうことはクリーンなんじゃないみたいな話かもしれないよね
文化資本に関しては
でもすごいしっくり
閉まったね
開示いっぱいしましょう
皆さんも
じゃあちょっとまたこの3人で話したいな
いいですか
ぜひまた機会があれば来年になるのかな
じゃあまた2025年
またややこしいギターいっぱい用意して
メモに第7章も書いてある
なかなか触れづらい技いっぱい用意してる
面白い
楽しみ
じゃあ今日はありがとうございました
ありがとうございました
楽しかったです
3名の僕による草も生えない声のディストピア
アポカリ
シーズン1は毎月第3金曜日配信
詳しくは番組概要欄をチェック
次回をお楽しみに
01:15:02

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