いいですね。
なるほど。
0年代ぐらいのインターネットではインターネットのことをインターネッツって呼んでたからみんな。
でもそれはやっぱりこうネット世界特有の言葉遣いだから、
やっぱりリアル世界ではやっぱりインターネッツっていうのは良くないかなっていうのが
自己規制が働いて、インターネットで調べますって言ったんですけど。
でも6個したなだけで、そこまでちょっと違うのは不思議ですよね、むしろ。
6個だけですよ、言うて。
いやでもさ、この業界っていうかさ、インターネット界みたいな、業界の速度で言ったらさ、
5年どころかさ、もっと細かく刻まれてるような気がする。
オールメディアとか。
そういうこと?
だから僕とめちくろさんもインターネットという感覚がかなり違うっていう感じですかね。
いやでも多分ね、僕とむろさんの世代ぐらいだと、そもそもインターネットが始まるところに立ち会ってたりとか、
あとは携帯からスマホとかみたいな段階を踏んでるものは一緒なので、
多分おそらく同じぐらいじゃないかな、感覚。
僕の家にパソコンが来たのが、多分95とか6とかなんですよ。
Windows95が出たときに、パソコンも家に来たし、ネットも家に来たんで、
95年って僕9歳とか10歳とかなんですよね。
で、だからインターネットみたいなものを多分まともにやり始めたのは中学生ぐらいからで、
1998とか9とか2000年とか、多分それぐらいから使い始めていて、
で、高校生ぐらいのときにも結構普通に使えているというか、
定学の、それこそADSLみたいなのが多分始まってきたのかなっていう感じで、
で、やっぱ僕にとってはインターネットって、あえて言うとインターネッツって、
やっぱアンダーグラウンド感あるというか、
現実世界ではあまり話題にしないものっていう感覚だったと思うんですよね。
ちょっとつかささんご存じかわからないけど、
フラッシュとか、フラッシュ倉庫とか、あとは、
懐かしい。
なんていうのかな、2chとかもそうだし、
ニコニコとかが一番人気だった。
ニコニコはね、もうちょっと後で、
じゃあ僕がそう。
ニコニコが出てきたときは、今の言い方、当時はそういう言葉なかったけど、
今の言い方で言うと、ようきゃもうインターネットができるみたいな感じになったっていうのがニコニコかなって、
僕は感覚的に思っててわかんないんですけどね。
それまでは本当に、あまり学校とかの隅の方にいる人たちがインターネットをやるみたいな感じで、
僕は受け止めていて、
先行者とか。
先行者っていう、なんか中国が作ったロボットみたいなのをテキストサイトにして、
出していた時期っていうのがあるんですよ。
わかんないけど、それが面白いということになっていて、
当時僕もめっちゃ面白いって思ってたんだけど、
みんなでそれを見ていたっていう。
先行者。
先行者、先に行くもので先行者って、めっちゃしょぼいロボットなんだけど、
これが最先端技術ですみたいな感じの立て付けにするのが多分面白いっていうやつだったんだと思うんですけど、
っていうインターネット体験なんですよ。
めっちゃ黒さんはその時もうすでに結構、東京に出られていたぐらいかな。
そうだね、だから92年からもう僕は職人の現場入ってる。
だからまさに室さんの今の体験は、それこそ社会人になってからの体験。
だから見てたインターネット世界はまさにそれ。
で、なんか俺が思ったのは、
特撮技術とかいわゆるタクハチロウの系譜にあるオタクとかアニメとかプラモとかみたいなオタクの世界の中の職人だったので、
俺がその時のインターネットに感じたのは、
オタクのジャンルが一気に広がったなっていうか、
要はギークとナードっていうものが日本の文脈においては分かれてなかったんだけど、
当時の95年からその辺、ニコ動手前までのインターネットのウェブ1.0の世界って、
ギーク的なオタクとか、あとさっき言ったオモコロ的なオタクっていうか、
ネットミームを作るような、要はクラスの端っこにいる一群じゃない人たちのオタクというか、
かつてはそれはマニアみたいな一括りで作られてた概念が、
こんな種類いるんだみたいなのが繋がったっていう意味では、
なんかそのさっきのMemeの体験もそうだったし、
あとはもう僕は普通にこう仕事のツールとして使っちゃってたんで、
2B的な、2Bのツールみたいな。
インターネットを。
インターネットを持ってた。
でも時代感ですね、B2。
そうそう、まさにさっき言ったダイヤルアップっていう、電話回線を使って、
当時公園じゃなくて僕の工房と、詐欺の間にあった工房をダイヤルアップで繋いで、
当時日本に6台しかなかったレーザーカムっていうレーザーカッターを、
ダイヤルアップで図面送って、アクリルカットして、
最先端の2Bのネット。
未来みたい。
今じゃないですか、それ。
だから今のファブレスみたいなああいうのとか、
もう20年前からやってるので、
どっちかっていうとインターネットとかの恩恵を2Bで感じてたかな。
どっちかっていうと趣味性の方っていうのは、
僕らの周りにいるガンダムとかドイツ軍がとか言ってる人たち以外のオタクこんなにいるんだと思って、
2ちゃんとかを巡回したりとかしてた。
めっちゃ面白いですね。
なんかインターネットが出てきたことで、
なんかオタクみたいなのが多様化してクラスタ化したみたいな感じの。
そう、まさにまさに。
一言でマニアとかいう名前にしかついてなかったものが、
テレビにオタクっていうそのタカハチロンみたいな気持ち悪い殺人鬼みたいなものの、
キモイ奴らっていうものが一気に細かく細分化されてって、
まとめられてた5年みたいな。
そういう風に見えていて。
その後ソーシャルネットワーキングサービスになったら2Gの時代だったみたいな、
なんかそういう。
そういう印象。
その辺全然子供だったから分かってなかったっすね。
どっちかっていうとあれだね、
室野さんと僕の大きな違い、もしあるとしたら、
そういう体験もあったんで、
自分を拡張するためのツールみたいな、
ほんと当時SFで語られてたようなこととかっていうのが現実になったみたいな、
なんかすごくそういう、
個人的なコミュニケーション云々っていう欲望というよりは、
自己拡張のツール、
プラス、さっき言ったより大掴みであったものが、
すげえ細かく分かる場所みたいな、
そういうものなので。
なるほどな。
さっきの話に戻ると、
室野さんはそれを20代の人に言われて、
どう感じるんですか?危機感を感じるとか、
変えたいとか感じるのか、
もうおじさんを受け入れて、
おじさんリプレゼンしてやるぜってなるのか、
そこにはジレンマはあるんですか?
ポジティブとか、
まあ積極的な意味でおじさんを受け入れようではなくて、
もうおじさんであるということを、
引き受けなければいけないという気持ちになりましたよね。
あ、そうなんだ。
それはもうグダーって感じなんですか?
それとも、まあそういうもんだよねっていう、
すっきりしてるのか、
どっちかというとグダーって感じですね。
グダーなんだ。
グダーという感じだし、
元気出しましょう。
恐ろしくなりますよね。
だってこんな些細なこと、
こんな些細なことって言い方言ったらあれだけど、
インターネットで調べるが取り締まられるんだ、
みたいになってくると、
僕のどんな部分が取り締まられるかわからないじゃないですか。
だからそれぐらいナチュラルなものが、
もうすでに世代のギャップみたいなのを、
相手にすごく入れちゃっていることなんだなってなってくると、
気をつけようがないみたいな感じになるわけですよね。
え、その彼が言ったおじさんぽいですねっていう言葉には、
気をつけてくださいよっていうような意図を感じ取った?
それは別にない。
木下さんの自意識の方にそれが。
そうそうそうそう。
世代間ギャップがあるということは、
だってこれは先方にとってもどうでもいい話題だから、
なんていうか、言ったんだと思うんですよ。
ちょっとおじさんぽいなって。
インターネットで調べるっておじさんぽいなって思ったから言っただけだと思うんですけど。
そんな感じですね。
っていうことは、同じ無意識さで、
その人が嫌なことも僕はやってる可能性が高いじゃないですか。
ってなってくると、それを全然自分が自覚できないってことだから、
あと、過剰に処分ってするのもおしまい。
もうおじさんだ、おしまいなんだってなるのも気持ち悪いですよね。
やりづらいですね。
やりづらい、いやもう言ってみたいな。
普通に言っただけだしみたいな。
いや、すごいわかります。
いますもん。
はい。
なんかさ、今の話ってさ、
方言話にすごい近いなって今聞いてて思ってさ、
地方から東京に来た人が自分の方言がどこまでが方言で、どこまでが方言じゃないかっていうのから学んでって、
イントネーションレベルはともかく。
だから、もし今の若い世代を流行っていう意味での都会人だとすれば、
そこにどんどんどんどんこう人っていうのは地方に追いやられていく。
おじさんになればなるほど地方に近づいてって。
で、もし最先端の今の世代っていうのを都会に合わせようとしたときの、
戸惑いやアジャストっていうのが今野室さんの、
あ、インターネットってこれ鉛なんだ。
ただ俺、地方民であること隠せないしな。
だから都会の人と話すときはインターネットっていう言葉の意味っていうのを、
もうちょっと都会の人に伝わるアレンジで話さなきゃいけないんだみたいな。
トランスレートの必要があるワードにどんどん自分の経験がなっていくっていう。
そういうふうに感じる。
えーっとね、それで言うと、別に方言の場合は、
あの、知らんしが成り立つと思うんですよね。
その、東京の人に名割が伝わらなくても、
いや、知らんしっていう話になると思うんだけど、
それが、やっぱ日本だと、日本の社会だと、やっぱどうしても年齢改定性的な、
年功序列的な意識がある中で、
若い人の言葉遣いみたいなのを知らんしとはできないと思うんですよ。
お前がこっちに合わせろやとはならないと思うんですよね。
これ方言だったらなると思うんですよね。
だからさっきの塚田さんの言った中間みたいなのが、東京で関西弁のままで入れる人、
で、その人って関西弁では自分ではアクションするけれども、
別に返しは関西弁を許容してないみたいな、
なんか、おじさんのまんま普通に若者の中に自然に同化できてる人が、さっき言った中間みたいな。
いや、そうかもしれない。
とか、なんか、大阪ではこういう文化があるから、めちゃくちゃ強く突っ込んだりボケたりするけど、
東京だったらちょっとなんかバランス取るとか、そういうのができるのが、
まあ、リテラシーになると思うんですけど、
それが、なんか、どこら辺にいればいいんだろうとかは、すごい。
いや、なんか、たとえば、もうくそ細かいですけど、
その、室さんのSNSの使い方の話、一瞬されたじゃないですか。
それとかを聞くと、たとえば僕は、最近リールを作りたい、みたいな気持ちは少し芽生えてるんですけど、
もう分かってるんですよ。リール作りたいという概念がある時点で、おじさんだと思います。
え?どういうことですか?
あの、リールを作りたいって、不監視してないと思います。若者は。
あー、それがもう自然になっちゃってるから。
だと思う。
リール作ろうと思ってない。
リール作りたいっていう気持ちが、すでに変なんだと思う。
あー。
あの、たとえばツイートするとかでツイートすることを目指してるじゃないですか。
そんな、もう分かんないですよ。僕別に、33なんで。
でも、そんな気がしてて、僕はそこにすでに期間を超えてる。
で、かつ、かつ、あの、僕と同じ世代の人で、それを思って頑張ってリール作ってる人が周りにまあまあいるんですけど、
すべてキモくてダサいんですよ。
いた、みたいな感じで。
で、しかもその人は自分も不監視できてないから、なんかリール作って、ストーリーで、頑張ってリール作りました、みたいな。
いやいやいや、みたいな。頑張ってリールは、すでにもうヤバいって、みたいな、僕は見ちゃうんですけど。
大丈夫かな?流れ屋で結構人死んでるような気がしますね。
いや、でもね、あの、おっしゃること分かるなと思ってて、やっぱ、つかささんからやっぱ、結構一世代、二世代、僕がやっぱ、
おっさんだなって思ったのは、クラブハウス流行った時あるじゃないですか、2020年代に。
2020年ぐらいに流行ってたと思うんですけど、その時に、カメラマンの人とクラブハウスで話して、
で、僕がインスタのことがよく分からないって話をしたんですよ。
で、さっきちょっと、これ収録前だったかな、そのTinderの話を少ししたと思うんですけど、
その、僕、台湾にちょっとだけ住んでた時があって、台湾でTinderをやっていた時に、あの、芸術系の人とマッチングしてあったんですよ。
そしたらその人に、あなたの、その載せてる写真はおかしいって話になって、
なにそれ。
あなた、その、図像、イメージを理解してないでしょって言われたんですよね。
で、何を言われてるか分からなかったから、分かりませんっていう話をしたら、
ちょっとあなたの写真のプールを見せなさいって言って、
あの、ちょっと僕、Googleドライブに写真をだいたい置いてるので、
で、Googleドライブ見せたら、
じゃあこの写真とこの写真とこの写真をこういう順番でこういう風に加工して並べますねって並べたんですよ。
めっちゃいいマッチじゃないですか。
そしたら、そのマッチング率が5倍ぐらいになったんですよね。
あー、ごめんなさい。Tinderで載せてる写真。
Tinderで載せてる写真。
プロフィールピクチャーみたいなののセレクションがおかしい。
おかしい。で、それを全部入れ替えて順番とか入れ替えたら、そのマッチングが5倍ぐらいになったんですよ。
で、その時に、その5倍になりましたって言ったら、
その人が言ってたのは、
いやこの1枚目の写真はこういう意味合いでこういう構図で撮っており、
2枚目の写真はこういう意味合いでこういう構図で、
桜の写真が何か入れてたのを、これは日本人ですっていう意味ですみたいなとか、
その台湾のご飯の、台湾に来てますみたいな。
で、これが直線四角い写真、直線四角い写真だから次丸っこい、
ルーローハンかなんかの丸い写真を入れるみたいなのとかも言っていて、
え?本当ですか?
で、その時に、でその話はカメラマンの人にしたんです。
ルーローハウスだったカメラマンの人に。
言ったら、そのカメラマンの人が、
あの、そうですなと、ムロさんはインスタグラムを使えてないですみたいな話をしていて、
で、インスタグラムにはやっぱ図像には意味があるんですと。
撮っている写真には全部意味があって、何を伝えたいかっていうことがあるんですと。
で、ムロさんの写真からは何も伝わってきませんみたいな話をされて、
あ、そうなんだと。で、その時にそのカメラマンの方がおっしゃってたのが、
TikTokはその先行ってますと。
リールの動画じゃないですか。
私はカメラマンなので、TikTokのディルカイドっていうのがすごい下がってるんですけど、
あそこに込められている、こう、インテリジェンスというかメッセージみたいなのは、
めちゃくちゃいっぱいあると思いますと。
受け取れてないだけでっていう話をした時に、
あ、僕もう全然ダメかもしれんと思ったんですよ、2020年の時に。
おもろいね。
そこで全然ダメって思ったんですね。
全然ダメ、何がって感じで。
ついていけてない。
ついていけてないし、
若い人が、こう、喋りたいことみたいなの何にも分かってないで生きてる可能性大だなと思っていて、
で、つかささんでさえそのリールを頑張って作るっていうことは、
リールネイティブの人たちが自然にやってるコミュニケーションみたいなのを、
たぶん、こう、理解度8割とか7割とかでやっているっていうお話かなって僕思っていて。
いや、俺もそうですよ。
僕、TikTokのリテラシーゼロだから、その時点でもう終わってますもん。
うん。
TikTokは分からん、僕も。
室さんはさ、終始それを恐ろしいことだと思って話してるより。
いや、それはそう、だから気になるんですよ。
そこだよね。
室さんは1個世代、1個2個世代違うことによって、
まずそれに対してどういう気持ちなのかとか追っていきたいな。
恐ろしがってないのはどういうことなんですか。
そもそも何かをキャッチアップしようっていう意欲が、
もうほんと、世代関係、もうほんと10代の頃からないから。
え、じゃあ、おじさんって思われて当たり前だし、全然一緒みたいな。
おじさん、相手にとっておじさんっていうふうに見られて、
叱るべき役割をおじさんとしてやる場合し、
別にそういう世代とかじゃなくて、すごく深い、
クリエイトみたいなものって深いコミュニケーションが必要だから、
その人とは共通理解のある言葉を、そのクリエイティブの言語の中で。
もちろん、その領域の中で。
できれば通じるので、だから、なんかその、
そうなんですの、流行りに取り残されるっていう意味でも、
さっきの都会、田舎論みたいな感じもするんだけど、
僕、いろいろ田舎と東京を往復してたんだけど、
そこはどっちに行ってもなかったタイプだから、
室さんが恐ろしそうに、わーって話してるのが、
俺の目から見るとすごい新鮮っていうか。
あ、そう。
例えば、ポッドキャストめちゃくちゃ聞いてるじゃないですか。
聞いてる聞いてる。
で、すっごい若い人、
例えば、知らない単語ラジオとか、
僕からしたら、かなり下の世代のラジオで、
で、聞いてるところで、なんかこういうふうに思ってんだとか、
時々思うことありますけど、
それに対してなんか、危機感とか一切感じないぐらい強いんですね。
自分の軸が。
てか、それがずっと前に僕が言った、消費者が下手っていうのがそこで、
自分が消費者として、知らない単語のお二人が話してるものの、
本当の面白さとかノリっていうのは、
僕は享受できてないっていう意味で消費者が下手。
なんだけど、その二人の個性っていうのが、
その役割においてどう社会に対してプロデュースすれば、
うまくいくのかみたいなところっていうのは錆びれてないから。
あの、面白さはわからないんだけども、
これがどこにはまるのかとか、
エネルギー上どこに行けばいいのかっていうのさえ錆びついてなければ大丈夫って感じ。
話し変わっちゃうかもしれないですけど、
一部は、いやその面白さわからんってプロデュースできるわけねーやんっていうツッコミはある。
それこそ普遍的なものはずっと変わらず、
少なくても僕は3世代ぐらいは跨いで活動してきたんだと思うんだよね。
って考えると、その経験値からいくと、
普遍的なものっていうのは時代とか変わってもほぼ変わんないから、
そこにはめられるかどうかだけっていう。
ここまでみちきろさんみたいにその軸が強いと、
そのインターネッツって言っても、
あの迷惑かけるようなリアクションをしない人にすごい見える。
ただ、もろさんと共通するのは、
そのインターネットっていう言葉とインターネッツって言葉と、
インターネットをどこで話すとその意味が変わるのかっていうことの差分は、
ついていかないとわかんなくなっちゃうから、
その話題自体はすごい興味あるんだけど、
自分の心に入ってこないって感じ。
だから今のもろさんの話を聞けば、僕も気をつけられるようになるし、
自分がインターネットって言葉を使うときは、
そこの差分っていうのをちゃんと変えて話そうっていうのも覚えられる。
そこにちょっと僕今違う感じちゃいますよ。
少しなグラデーションですけど、
もう受け入れて、
極端に言うとインターネット使い続けそうな感じと、
みちくろさんは、
じゃあちょっと気をつけてネットとかもう使わないみたいな感じに、
微調整していく感じ。
微調整しなければいけない場ではやるけれども、
基本的にはインターネットって使って、
オジって思われること自体何とも思ってないから、
平気でも使うと思うみたいな。
あんま自意識とはくっつかない。
なるほどね。
えっとね、僕が気にしているのはね、
差異じゃないんですよ。権力差なんですよ。
あー、そっか。
自分の権力。
そうそうそうそう。
だってね、この話題で言うのは恥ずかしいけど、
自己認識は18歳ぐらいなので、
育ってないから、
何にも育ってない中で、
18歳の人がいたときに、
こっち側は大人同士というか、
18歳同士みたいな感じになるんだけど、
向こうからすると、
訳のわからないことをずっと言っているオジじゃないですか。
訳のわからないことを言っているオジであるという自覚がないと、
ヤバいなと思っていて、
でもそれは18歳の自己認知と比べると、
自分を引き裂かれながらにしか改めないといけないから、
やっぱり元気はないですよね。
そのさ、18歳の自己認知でそうなるのは今理解できたんだけど、
権力差って、権力みたいなのがどこにひも付かない?
年齢差だけですよね。
年齢差。権力が上と下は今のでいくと、
どっちが上って話?
僕。
あ、もろさんの方が同じ18歳のつもりなのに、
権力を持っている側に自動的になっちゃう。
自動的になっちゃう。
ああ、そういうことなのか。
で、なんか間違って、ギョギョっとさせちゃう言葉とか、
ものを言っちゃうのがちょっと不安って。
今の話聞いてると逆に、
現役の18歳の方が権力を持っているように僕は聞こえて、
逆に権力に屈してるのがもろさんに聞こえたんだけど、
それは違う。
それは違いますね。
明らかに年上の方があるかなと僕は思っていて、
例えば自分が18の時に、
40ぐらいの人に対して絶対気遣ってましたもん。
まあね。
それは僕の地域性というか、九州出身だからっていうのはあるかもしれないけど。
ここですら僕、それを無意識にやってますもん。
それはそうですよね。
それはそうですよ。
だから、僕がここで一番気をつけなきゃいけないのは、
つかささんが面白く話せないっていう事態を避けなければいけないっていう気持ちがあるんですよ。
でもそれができるかどうかは、また別の話じゃないですか。
だって自分がインターネットで調べる人間が、
それができるかっていう話になってくるので、
そうなってくると、
インターネットで調べるは一つの例として出てきたけど、
これがまだ出てきていない色々な部分があるはずで、
ゴキブリが一匹いれば30匹いるみたいな話で、
インターネットで調べるのが一つあれば、
いくつあるんじゃいっていう話になって、
それを僕は認知できないわけじゃないですか。
なるほどね。
冷蔵庫の下のゴキブリみたいな感じで。
だから、ゴキブリのいる部屋でつかささんと話しますみたいなことにしないから。
しないように。
しないようにはどうすればいいって話になる。
でもそれって権力なのかな。
気を使ってはいると思うんだよね。
それぞれ文化の違うこの3人がいる時点で、
年齢が一緒だとしても国籍が違うとしても。
確かにだ。
権力というよりは、
違う人たちっていう気遣いっていう認識はできないのかな。
それは試行実験的にはできると思うけど、
日本社会における現実の社会構造上の問題としてはできないだろうとか思ってます。
確かに一つの要因。
もちろん、僕は今考えて聞いてると、
今、めちくろさんが言った、
違う要因も超作用してるけど、
年齢も一つの大きなファクターだなとは思いますね。
なるほどね。
海外とかだったらここで、
普通に文化が違う、
普通に仲良くないからっていうか、
悪いわけじゃなくて仲良くないからっていうのも大きいけど、
年齢が一つのファクターじゃなくなる感覚はあるけど。
そうですね。それはすごい、
ラテンアメリカとかでもそう。
歳が上だから下だからみたいなのあんまないけど、
日本ではね、やっぱあるし、
それができない人間ってやっぱ会社とか、
ビジネスの現場ですげえ怒られたりするじゃないですか。
そうだね。
そこの危機感から言ったら確かに、
若者と呼ばれる人たちにキャッチアップできずに、
いちいちいち引っかかるようなコミュニケーションをするっていうのは、
権力を持ってる側がやる暴力とかに近づくから避けたいっていう。
避けたい。
なるほどね。
インターネットで調べるぐらいにはどうでもいい。
いいと言えばいいんですよ。
別に向こうもなんかおっさんだなと思うだけだから。
でもその際みたいなものが、
やっぱこうおっさんだから何もわかってなくてこの人言ってるなみたいなことになると、
なんか難しくなっていくじゃないですか。
むしろそれを行使してしまったってことはあるんですか?
行使、僕は部下とかがいないからあんまないけど、
やっぱ思えばいたときはあったかもなと思うし、
なんていうのかな、
めちくろさんの話で言えばすごいフラットな違いにおける、
その技能の無さとかをやっぱ若さに求めたりとかはしがちだなと思っていて、
僕から見てできてないなって思ったときに、
やっぱりその若いからできてないんだとやっぱ思うわけですよね。
で、そこでこっち側も手心を加えたりとかしたりとか、
もう少し葉っぱかけてあげなきゃいけないみたいなコミュニケーションをするときに、
そこがストレートのコミュニケーションではないから、
向こうもまだ僕の意図とは違う受け取り方を知っている可能性が全然あるなみたいなのはやっぱすごいあります。
そういうね。
すごいな。
で、なんかそこでやっぱもうすでに権力差とかがあると、
なんかほら人によっては、ほら僕がコテンラジオとか出てたから、
価値観ってカルチャーだけじゃないから、お金とかもあるから。
それは最近すっごい感じます。
で、僕も33とかの人と、言いづらいは思ったことないけど、話し合わないところはあると思うんですよ。
普通の社会人してる人とかと。
なんでこいつこんな生活、今送ってんの?みたいなことは起こり得るんですけど、
でも例えば、さっきのクロノさんが言ってた、同棲33、同棲39歳って思われてても、
例えば家呼んだら、この人めっちゃ22歳みたいな生活してんだってなると思うんですよ。
僕の家来てくれた。
で、そこでガッとなんか。
あ、そうなんだ。
分かんないですよ、別に直接聞いてないけど。
でも、絶対その効果あると思うんですよ。
なんかいい感じの狭い汚い部屋みたいなの見てくれて、距離感が分かるとか。
そこはなんかある意味、嬉しいことではないかもしれないですけど、もちろん豊かな生活できればできるほど嬉しいけど、
でも、広告代理店の社長みたいになりたくて、それが自分の人生の一番トップのプライベートだったら、
そういった意味だと、今の生活は、今の自分の人生の立ち位置としては有利かなとは思います。
へー。でもなんか今の話、僕めっちゃ面白い視点だなと思ってて、
僕も18ぐらいからあんま生活水準変わってないんですよ。
まともに給料もらってないから。
でも、今のつかささんの話を言うと、僕だったら逆だなと思ってて、
こいつこんなにいい歳してんのにこんな生活してんのかってなるなと僕は思っていて。
僕だったらね。僕が18歳の方で、39歳で自分と似てるように生活してるやつたち行ったら、
大丈夫かこいつっていう話になるなと僕は思っていて。
あと、もう一つ思ったのが、
なんていうのかな、ちょっと忘れちゃった。
もう一つ思ったんだけど忘れちゃった。
だからさっきの話だと室さんは、どんだけ減り下ってあなたが先生っていうようが、
自分が年上で古典ラジオの室小石さんに尊敬と期待みたいなのされるから、
降りられないらしい。今のでいくと逆の作用でいくと、
もう室さんが別に古典ラジオとかがなかろうが貧乏な部屋に住んでたら、
お前その歳で何やってんねんってことはもう最初から下に見られるっていう恐怖と、
両方話してたんだけど、室さんの恐怖はどっちの方が強い?
両方ありますよ。両方あるし、下に見られることが恐怖なのではなく、
今のつかささんの話だと、同じような生活水準だと、
ワンのバーストだと思ってもらえるっていう話だと思うけど、
僕だったら思わないっていう話。
僕が若い側だったら思わない。
確かに僕が文化的なもんだけじゃないって言っちゃったけど、
確かにそこは大きい要素だと思ってて、今話したけど、
文化的良さがない、ザ22歳男性、超ホモソっぽい、
例えばインテリアデザインとか文化とか興味ない、
超素朴な生活をしている22、25だったら、
そうなるワンのバーストにはならないと思うんですけど、
この人年上だなって思いながら、
例えばネット萌えになって、ある機会で大人数で家に行って、
この人、年上なのに、同じような生活水準で立場的に身近になる、
プラス、カルチャー一緒なんだってなると、かなりでかいんですよ。
家のものを見て、ものとか見て、
例えば本とか見て、こういうの見てるんだみたいな。
その人はそんな意識的に見てないと思うけど、
無意識にそうなって、距離を縮めてもらえるっていうのがすごくあるなと思います。
確かにな。
高学歴ワーキングパワーの先輩とか家に行っても、
別にいい歳で何してんねんって思わないもんな。
そうなりますよねってなるもんな。
だからインターネットとかインターネットっていう、
交互の言語っていうところはキャッチアップできてなくても、
非言語の服のチョイスだったりとか、
部屋に置いてあるものとか、並んでるものとか、
なんかそういう言語っていうのがキャッチアップできたら、
そういう機会さえあれば、全然戻せるっていう話だよね。
まあそうですね。
まあ確かにそうだね。
だからそこの古さ、そこの古さとか、追いつけなさみたいな恐怖みたいのももう1個あるもんね。
そこのバランスは常にこうやって、僕が今、
安心したらやっぱり、どっちかで痛いほうになると思うんですよ。
僕は、これは自意識過剰かもしれないけど、
自信持ちすぎかもしれないけど、
僕は今こうやって常にこの摩擦の中で、
どうすればいいんだろうっていうのが、もしかしたら一番いい距離感かもしれない。
常に40代広告代理店のプロデューサーみたいになったら、
もうなんか33とか35なのに、
それが若いと勘違いして常に奇抜なファッションをしたら、
普通にすごいキモいと思う。
でもいるじゃないですか。
いるんだよ。
でもそれは、その裏にはそういった気持ちが部分的にあると思うんですよ。
若者とつながりたいみたいな。
なんか全身イケてるデザイナー。
まあ本当にセンスない人だったら、
全身ジョージ・イママト、コムデ・ギャラソンみたいな。
でも僕はサブカル見てるから、
キココ・スタディノフという新しい系のデザイナーで全身着てますみたいな。
それで意思表明するみたいな。
でもそういうことじゃないじゃんみたいなところもあるし、
そっち行きすぎたらそうなっちゃうし、
無になったら何も興味ない人みたいな思われるから。
すごいな。
塚田さん大量破壊兵器なんですか。
結構流れに当たった人いるな。
大好き。
逆に言うと、ここまで僕はバックロすると、
ここまで意識しちゃってるキモい人と思われてもおかしくないかもしれない。
でも、塚田さん今もクリエイティブの世界に入って
生きようっていうキャリアをしてる人なんだよね。
まあそうですね。
だったら僕の経験みたいのはお話できる気がしていて、
僕さっきのもろさんの言うのでいくと、
偉くなる手前に次の業界移っちゃう、ずっと繰り返してるんですよ。
要は、なんていうのかな。
分かりやすく言うと、僕何億稼いだ都市絵があろうが何だろうが、
自分の鉱山の残高10万円以上持ったことないんです。
なんか言ってましたよ。やばい、意味わかんないです。
それで言ったら、自分の生活水準みたいなのって、
一回も上げたことも下げたこともないみたいな感じなんだよね。
で、いくと塚田さんの時だなと思っていて、
その恩恵もすげえ理解できるんだけど、
とはいえ自分はクリエイトで本気出してやってるから、
要は超一流のところまで行くっていう体験を何度もやってるんだけども、
そうなったらその業界が消えるの。
で、もう一回全くつるっつるの何もない人間として。
ポッドキャストだったり、例えば。
そうそうそうそう。
だから今までのキャリア全部ポートフォリオみたいなの、
全て見えなくした状態でポッドキャストに入っていって、
それこそ雑談始めたらカレーおじさんとして始めるみたいな。
そうすると、世代的には姿形があるから、
まあ都市絵だなと思われたとしても、
僕が何者であるかみたいなコミュニケーションを取ってくる人はいないので、
とりあえずフラットな立場で向き合える。
そこから始めてって、
でもなんかやっぱ続けていくとなんか権威性を帯びたりとか、
出た結果によってお金とか生まれるので、
ある程度までいったらまた消えるんだよね、そこから。
っていう意味でいくと、
自分のクリエイトを常にフレッシュにするためだったら、
今の感覚は僕すごい同意するというか、
僕そうやって生きてきてる。
で、さっき言った、ずっとしがみつくおじさんがそうなる。
しがみつく。
それ以外はもう本当に、舐められれば舐められるほどもうありがたいっていう。
ありがとうございますっていうか。
ただ、そこを恐怖と感じるのは本当に大事だと思う。
男性性としてというか、日本社会における男性性として、
年次が上がってくっていうことは、望む望まぬに関わらずね。
だから、逆に言うと室さん、
なんていうのかな、いわゆるエリート的な階層がある世界とか、
あと代理店的な階層がある世界だったりすると、
そこの振る舞い方っていうさ、いろんな知見はそれで溜まってるじゃん。
そのおじさん力を活かしたりとか、いろんなパターンあるけど、
そこで立ち回るんだとしたら、僕みたいなやり方絶対通用しないんで。
室さんの危機感はね、すごいひしひし感じるね。
今室さんは偉くない立場で言おうとしてるし思想してるんだけども、
結果そうせざるを得ないシチュエーションがどんどん増えてきてるってことだよね。
そうだし、なんていうのかな、今の話いくつかの観点があるなと僕は思ってて、
メチクロさんがそういう態度なのはなるほどって感じだったんですけど、
やっぱりメチクロさんを雑談でカレーおじさんだと思ってる人っていうのは、
センサーがぶっ壊れているかめちゃくちゃ肝が座ってるかどっちかだなって僕は思ってるんですよ。
文脈を何かしら理解したらもう一瞬で分かっちゃうんだけど、
いわゆるフラットを訪れた近所の人とかみたいな人にはできるだけそう思われたいじゃないですか。
そのぐらいだね、やれるとしたら。
それはそうですよね、近所の人はあんま関係ないですね、お店の人だからそうかなとは。
それは確かにそうだなと思ってて、さっき僕何を言いたかったのかちょっと思い出したんですけど、
今僕と一緒に仕事をしてくださってる人たちって、
だいたい一番近い人は1個上なんですけど、1個上から15個上ぐらいの人たちなんですよ。
これ僕が今の仕事をどれくらい続けられるのか全然自信がない。
来年には組み詰めてるかもしれないし半年後にはダメかもしれないですけど、
もし万が一例えば15年とか始まってしまうと、
その時もう僕のお客さんたちは75歳とかで現場から退いてる人が多分多くなってくると思うんですよね。
ってなってくると次のお客さんって多分年下というか、
多分今イキイキとしているベンチャーの社長って20代の後半から30代の前半ぐらいだと思うんですよ。
その人たちが僕のお客さんになってくれるかっていうと、
今すごい絶妙なところだなと思っていて、
僕なんかに反式立ちしょうがないと多分みんな思ってると思うんですよね。
それは多分価値提供する局面でもそうで、
年上だったら多分言えると思うんですよ。
組みになってもいいかなぐらいの感じで、今こうですよって、
こういうシナリオとこういうシナリオありますよみたいな話は多分できるけど、
これが例えば司さんぐらいの年代の社長に僕が雇われている時に、
僕が45歳の社長に言う時と同じ強度とか同じ伝え方で言うかとか多分言わないと思うんですよね。
ってなった時に、どうなるかなみたいなのはやっぱり一個あったりしますよね。
フリーランス戦略の話だね。
ちょっと前の話でさ、サブカル40代うつみたいな話題があって。
岡田斗司夫が言っとったやつですね。
あとクリエイターも40代でうつになるって言われてるんだけど、
それって年齢的なものというよりは、
さっきのムロさんの自分の世代の人と一緒に20代、30代の現役。
一番マーケットのニーズがある時に同世代とつるみながら、
そこの価値観でわーっと力をつけた人って、
40代になった時に、いわゆる仕事を回す側、
仕事を振る側のそれこそ上々企業の編集者だったりとか、
そういうスタッフではない。
っていうのが管理職員になっちゃうので、
単純に仕事を振る側じゃなくなっちゃうので、仕事がなくなる。
しかも世間が求められてない気がする。
マーケットから離れた気がするみたいなものを経て、
40代ぐらいで一気にカクンと落ちちゃうんだけど、
それってムロさんのさっき言った、下の世代から仕事が回る仕組みを自分で作ってないっていう、
タイヤが生み出すものでもあって、
確かにそういう意味で言ったら、
その下の世代、10個下、20個下の人たちから発注されるような、
地下さや侵害も得るっていう、フリーランス的な意味で言っても、
確かにその危機感がすごい正しくて。
だからそれ、どうやって俺が乗り越えたかっていうと、
もう単純に全く何もない人として新しい業界に行くっていう。
で、新しい業界に行くと、普通にそこで仕事を最初に回してくれる人って若い人なんで、
その人たちから仕事をもらうとか、自分が仕事を回したりするっていうのをやるだけで、
繋がりが、それこそ僕も前後やっぱ20代ぐらい。
上にも20代ぐらいでし、下にも20代ぐらい。
自分の仕事に関わる人って、ずっと循環はしてるんで。
だから確かにその発想もむっちゃ大事っていうか、回してくれなくなるもんね。
70歳になった人は、もろさんに仕事くれないもんね。
そうなんす。そうなんじゃないかなと思ってて、分かんないっすけど。
いやいやいや、正しい、マジで正しいっす。
正しい悩みですね。
でも今悩んでもしょうがないから、それはそれとしてあるんですけど、
さっきつかっさんの話を聞いていて、それをちょっと思ったっていうのはあるんですけど、
やっぱ今直近の問題としては、やっぱり自分がどのように振る舞うべきかみたいなことかなと思っていて、
若い人たちのワン・オブ・アースとして振る舞うことはできないし、
また振る舞うべきでもないって僕は思っているんですよね。
そうすると、たとえば5校上、10校上、15校上になったときに、
5校下、10校下、15校下の人たちとどういうふうにうまいことをチームでやっていくとか、
人間関係作っていくかみたいなことになったときに、
自分の持っている価値観とか振る舞いとか言葉遣いみたいなのが、
彼らからするともう完全にアウトになっていることが全然あり得るみたいなことが、
やっぱ僕にとってはすごくどうしたもんかなっていう話。
キャッチアップすべき。
さっきの広告代理店みたいなおじさんってつかっさんがすごく言っていらっしゃる方いると思うんですけど、
そういうふうに、バンパイヤみたいな人いるなと思っていて、
常に若い人たちと一緒にいて、その人たちをキャッチアップするっていう、
だから僕からすると自分も若くいたい、自分の感性が若いんだということを信じたいがために、
若い人たちの血を吸って生きているタイプだなとか思っていて、
分かりやすい。
でも、やっぱそれもまたすべきではないとか思っているので、
どうしたもんか。
たぶん昔だったら、ある種の年齢改定的な役割みたいなのがあったと思うんですよ。
もう古老になりますとか。
出生をみたくね、魚の名前を変えてくれた感じがあった。
この年でこのポジションにいたらだいたいこういう振る舞いでしょみたいなのがたぶんあったから、
たぶんいいんだと思うんですけど、今なんか別に社会から提示されてない、
社会からこの40代男性のちゃんとしている人の振る舞いみたいなのがあんまこう、
じゃあ誰が言いますみたいな話じゃないですか。
若造りして若い人たちでずっと仕事していたけど、やっぱヤバい人だったねってなったのが、
中井雅博と松本等じゃないですか。
だから自分が中井雅博や松本等的な存在ではないっていうことを別に誰も証してくれない。
だって彼らだって問題が明るみになった時に、そんな悪いことしてないですよって普通じゃないですか。
みんなそうだったでしょって言って、
いやなんかこんな普通のことやってこんなに叩かれるんだったら自分の方が被害者ですっていう立場に出たじゃないですか。
あれたぶん本当だと思うんですよ。
彼らの認知世界からしたらそうなんだと思うんですよ。
だから自分がそうなってない保障なんか誰もしてくれないわけで、
だからこっちで気をつけていくしかないじゃないですか。
さっきのさ、室さんのさ、心は18歳の自己認知みたいのでいくとさ、
松本等や中井雅博ってさ、そうだったと思う。
そうだったと思う。
じゃあそこじゃない?
だから心の自己認知が18歳である若者であるっていうのとの処方箋が、
誰も今現代において提示されてないっていう問題?
もうあると思うし、だからわからない。
僕は自分がやっぱ子供いないから、子供いる人と話すとやっぱ年相応に、
さっき33歳の人と話し合わないっていう話あり得たじゃないですか。
その時に思ったんですけど、やっぱ僕も自分の同級生はみんな子供が中学生とかなんですよ。
で、定職についていて家のローンどうしようかみたいなのとか、
上司どうしようか部下どうしようかみたいなのが悩みなんですよ。
僕こないだ銀座で恋愛トークショーみたいなのをして。
変わったイベントされてましたね。
そんなこと考えてる同級生いないわけですよね。
バカバカしいわけですよ、彼らからしたら。
もう40にもなって、何の話?っていう話じゃないですか。
それより子供も大学の学費どうすんの?みたいな。
こんな円安になって子供どこの大学やる?みたいな。
本当はスタンフォードやりたいのにみたいな。
スタンフォードの学費払えんぱいみたいなことを言われてるときに。
恋愛トークショー。
恋愛トークショーやってるから、やばいんですよ僕は。
その感覚はすごいありますね。
だんだん38とか39に近づけば近づくほど、
そういう歪ん、にじれた感じが顕著になるんだろうなっていうのはありますよね。
中山さひろと松本ひとしの例を出したのは、
ひとつ大きなヒントがあるなと思って、
いろんな話して、若い人と話してて、
一番やばい発言になるものは、やっぱり性に関する発言とかになる。
で、それは、それが世代なのかは、世代だけでもないし、
世代でもあると思ってて、
アポカリの3人で収録内でも収録外で、
一番おおーってなるのが、やっぱ性の話なんですよね。
マジってなるんですよね。
で、表で収録内で言ったのだと、
ものさんがどっかの過去回で、
セックスしてくれる人っていう、誰かをそう呼んだんですね。
仲間だと思う人が誰かっていう質問に対して、バカンセが答えた。
100ユニットとしたら、それでこれ本当ひどいねとこれいいねみたいなのがあります。
40から下は、それで問題、社会問題とかそれで摩擦が起きなくなるのは思わないです。僕は。
その振り幅が、例えば100が10とか50とか20とか、すごい狭まるけど、
そんなの相対的な問題だから、
その振り幅の中で物事が問題が起きるのかなっていう感覚です。
それはなんか、つかさの感覚では、
普通がゼロとしていいのと悪いのが50ずつある100の振り幅っていう感じであって、今が。
それが若い人たちの世代ではゼロが真ん中であって、25と25の振り幅になるっていう感じ。
なんかそんなすごい感覚的ですけど、問題がなくなるはないと思う。
同じ世代でも、これ意味わかんないとかいう発言があるから。
僕の感じだと、振り幅が狭くなるっていうのは理解できるんですけど、
分かんない。僕があまりその世代のことをよく知らないから言ってるのかもしれないですけど、
僕の見方だと、ゼロを中心として50と50だったやつが、ゼロを中心として50と25ぐらいになるんじゃないかなと思ってるんです。
50がいい。
で、悪い25っていうのが、最悪だったら50から25みたいなのがなくなっていき、
っていう風な形で振り幅が狭まるっていうことはあり得るんじゃないかなと思っていて。
似たようなことを考える。
でもそれは25と25になるわけではないのかなと思ってるんですよね。
もう認知論だし、こんな抽象的に何の基づいてないけど、でも細かいこと言うと、
50から、50、ゼロ、50、プラス50、ゼロ、マイナス50がプラス50、ゼロ、マイナス25になった時点で、
ゼロが50側に移る。
だからもう結局一緒でしょみたいな感じ。
そういうことはあるかもしれないですね。
で、スケールが全部。
書き換わって。
そうそう。で、スケールも変わるから結局認知的にはプラス50、ゼロ、マイナス50みたいな認知になるんじゃないかな。
それはそうだなと思っていて。
で、そうやって人類がだんだん上手くいくのかなみたいな、これは希望論ですけど。
僕がインターネットを使うがおじさんっぽいに恐れているのはそれなんですよ。
なるほどな。
だってインターネットを使うは、昔プラス25ぐらいでしたから。
あーなるほど。
それが今マイナス25になってるっていう話だから。
でもその今のオチというか、なるほど。
ゼロが移動してるんですよ。
分からんのですよね。
今の摩擦点においては、つかささんの世代っていうのは大丈夫とは言えるんだけど、
次のAI以降の世代みたいなものとの摩擦点においては、
たぶんつかささん世代とかも今のプラスの50点がマイナスに転化するときは同じようなタイミングで来ると思う。
あと性の話も取るともしかしたらそうかも。
70代、80代は性話がクールって思われちゃってて、
プラスの方にあったのが、
もちろん話し方によるけど、
今となるとそのプラス50がマイナス50になってしまう。
おっしゃることがあった。
覚醒遺伝的にフィジカルな時代、
頭の時代からフィジカルな時代なんて言われるんじゃない?
次に言われたときに、
おじいさんたちの歴史の話し方ややり方が出る可能性もあるけれども、
そういうふうにはいかないので。
やっぱ必ず摩擦点っていうのを分岐点として、
こういう傾向はあると思う。
今の室さんが言ってる問題の、
僕、社会的な問題でいくと母数が多すぎるって話あるよね。
日本語部内においては、
今言った20年間の世代って、
第二次ベル・ピー・ブーバーの層プラス、
いわゆるロス・ジェネみたいなところの、
自己承認、ちゃんとできた分厚い層化といったら、
そうじゃない層にいきなりその、
すごく攻略の難しい無理ゲーみたいなのが一気に降りかかってるので、
そこは当事者の世代としても何かしなきゃっていうような、
社会的な公的な気持ちはあるけれども、
どうにもできる気は全くしてないというか。
誰にもどうにもできないですよ。
みんな自分で頑張るしかないよね。
やっぱ自分の生き方の中で、
ギリギリ爪ひっかくがあるかどうかみたいなところ。
ルールなんかないから、自分で考えるが一番いい気がする。
だからもう本当、
桃山須治の清田さんの本とか、
武田佐哲の本とか読んで、
自分で勉強するしかない。
だって、教えたらどうにかなるって問題でもないから、
自分で気づくしかないから。
だから自分で気づくしかないから、僕は怖いんですよ。
怖いよ、怖いですよ。
恐ろしいよ。
インターネットはオジですよって言ってくれないと観測できない。
言ってくれる人に囲まれるとかなんでしょうね。
そうなんだよね。
でも言ってくれる人に囲まれる場所に自分から行こうとすると、
今度バンバイオジさんになっちゃうから。
だから僕も距離感がどこに自分を置けばいいか分からない。
分かんない。
恐ろしさの中でやっていくしかないっていう話になる。
その中で頑張っていかないといけない。
いやいや、いいんじゃない?
でも何のテーマだったのかは分からないけど、
タイトルはつけてみようかな。
全然、ちゃんとネットの。
でもだんだん難しくなるんでしょうね。
ニュースピックスとかピボットみたいなオチになっちゃうかもしれないですけど、
おそらく10年後とかメタのデジタルの3次元世界ができるじゃないですか。
その中でおそらくいろんなことが行われるじゃないですか。
イコールその中での文化が生まれて、
そこに、それを自然と使っていない世代としてそこに入り込むと、
当たり前ですけど、その文化を知らないまま、
そこら辺で、その次元でパワハラとかモラハラをしちゃう世代になると。
リアルではパワハラ、モラハラじゃないのにとか、
文化が変わってとか、それは確かに怖い世界。
でも少なくても今、つかささん世代と僕ら世代の間には、
同じ人種だっていう認知があるからキモいって思ってもらえてると思うんだけども、
もしかすると次って、そもそも同質の人だという期待を持って接してもらえない可能性すらあるなと思ってるっていうか。
もっと切り離す。
うん、なんかその人間っていうこのつながりの中に、