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  2. 良いor悪いかを終着点にしない
2025-04-09 15:41

良いor悪いかを終着点にしない

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水曜日【オカンの学びと気づき】

本日のテーマ;「良いor悪いかを終着点にしない」

サマリー

子育て中のママたちは、良いか悪いかという結論に至らず、物事からの学びや気づきをシェアすることにテーマを置いています。娘の友達が花を摘み取ったエピソードを通じて、命に対する価値観の違いを考察し、それぞれの意見の重要性について議論しています。このエピソードでは、異なる価値観や意見を評価するのではなく、自分自身の良さを認めることの重要性が語られます。母と娘の会話を通じて、命の捉え方やその感情がどのように影響を与えるかが示されています。

新学期の始まりとテーマ紹介
七転び八起きのママLife。この番組では感情の揺らぎが多い2人の子育て中ママ、Yuunoが日々七転び八起きしながら得た子育ての学びや気づきをシェアしています。
おはようございます。新学期始まっていかがでしたでしょうか。
お子様いらっしゃる方がほとんどだと思うんですよね、このラジオを聞いてくれてるのって。どうでしたお子さんは。
クラス替え、先生も変わる、新しい環境ですね。どんな感じで帰宅したでしょうか。私のところにいる8歳の娘はですね、
ちょっとブツブツと文句は言っていたものの、あれ模様でなく帰ってきたことがホッとしておりますね、私は本当に。
よかった、みたいな。泣きわめかんでよかった、みたいな。なんでね、ホッとしてる。はい、昨日でした。
今日はですね、水曜日ということで、おかんの学びと気づきの回でございます。
テーマは、良いか悪いを終着点にしないというテーマで、今日はお話をしていきたいなと思います。
結論から言いますと今回のテーマに関して、良いか悪いか、物事ね、話の物事の終着点ってどうしてもね、
これってちゃうよなとか、これってあかんよな、これはいいよね、みたいな結論に、良いか悪いかっていう判断を下して結論に持っていくことが多いなと思ったんで、
それはさておきということが大事だなと。良いか悪いかっていうことを終着点にせずに、その物事に対してどういうことが学べたか気づけたかっていう、
個人としての意見交換が子どもとできたら、何かいいのかなっていうことをね、ちょっとお伝えできるような内容だったらいいなと思っていますので、進めていきますね。
娘の花に対する価値観
で、自分とはね、異なる考え方、意見、価値観を見つけたら皆さんどうですか。
ああそうなんやねって素直に受け入れることができるでしょうか。
私は気をつけてはいますけれども、受け入れられない時もあります、もちろん。
それで、価値観とか、大事にしていることがぶつかり合ってですね、夫婦で揉めるとかよくあります。
自分とは違う意見なんですよね、夫は。全く一致っていうことが毎回起こることじゃないので、結構子どもに関しての意見が分かれた時に、これやっちゃうんですよ。
いやあんたの意見、ちょっと間違ってへんみたいな。言うんですよね。
それどうなん?あかんのちゃう?みたいな、自分の価値観をもとに相手の考え方、価値観に判断を下して、自分と違っていたら悪いよねって決めつける。
これめっちゃ気をつけてるんですけど、やっちゃうんですよ。
で、そういうことあるなーって思ってたら、昨日まさにそれだなと思うようなエピソードが娘の口から聞けたので、ちょっとそれをもとにお話ししていきたいなと思います。
そのエピソードっていうのが何なのかって言いますと、下校途中ですね、タモがあるんですけれども、そこにちょっとお花が咲いてたらしいんですよね。
で、それをね、同級生のお友達がね、すごいたくさんちぎってたらしいんですよ、お花を。
それは何でかって言ったら、綺麗から、お花が綺麗くて欲しくなったからっていうことだったんですって、娘から言うとね。
あ、そうなんよ、お花そんな綺麗なお花が咲いてたんやね、みたいな感じで聞いてたら、怒っているんですね、娘は。
どうしてこんな怒っているんだろうなってちょっと思ったんですよ。
お花ちぎる、そんな良くないかもしれへんけど、でも綺麗なって思ったら欲しいなと思うのが、普通ちゃう?って思ったから、何でそんな怒ってんの?って聞いたんですね。
そしたら、ちぎったらあかんと思わへん?って言われたんですよ。
お花はちぎってあかんと思わへんか?みたいなことを聞かれて、まあ確かに、道端に咲いてるやつやしな、みたいなことを私は単純に思ったわけです。
でも、どうしてそういうふうに思ったの?あかんと思ったの?って聞いたら、草木にもね、葉っぱにもお花にも命があると思わへん?って聞かれたんですね。
もうギクリですよ。そうやけど、と思って、ほんでほんでって聞いていったら、まあこれってちぎっていくっていうことは、首をむしられてんのと一緒やねん、みたいな。
だから命を奪ってんねんで、みたいなことを言うできたんですね。
まあ確かに、そうも捉えることはできるし、娘がそう捉えているんだからそうなんだろうな、と思って聞いてたんです。
だから、お花をちぎったらあかんねん、みたいな。娘の価値観、お花が好きやからそう思うんだ、みたいなことを言いながら話してくれたんですよね。
でなんか、娘曰くなんですけれども、その命をちぎっていくときには、必ず心の中でごめんなさいをしたほうがいい、みたいな、を言ってきたんですよ。
だから娘もお花が好きなので、ちぎってしまうときもちろんあるんですよね、公園で見つけて。
で、そのときは心の中で、ちょっといただくね、ごめんねって言ってちぎるらしいんですよ。
この、これ聞いただけでなんか心がすごく温かくなったんですけど、私はね。そんなこと言ってたんやと思ったんですけども。
意見の違いとその重要性
でね、そうやってね、でもその、思うことは悪いことじゃないけど、それをみんなに共有していくのはいかがなのもんかなってちょっとここで思ったんですよね、私も。
でその、心の中で手を合わせて、ごめんねちぎるねって言ってするのが、そうせなあかんのちゃうの、みたいなことを娘は主張していて。
で、食べるときもそうじゃないって言われたんですよ。
命をね、いただいて、ご飯を食べてお腹いっぱいになるんやから、手を合わせていただきますって言うんちゃうか、みたいなことをね、晩御飯中に言うんですよ。
もう昨日、鮭食べてたんですけど、魚の命いただいてると思ったら、急にちょっと食べる、なんていう、食べる箸のスピードが遅くなっちゃったんですよ。
あ、確かに命いただいてる、ごめんって思っちゃって、私もそれ言われてから。
そうそう、そんなこともあったんですけど、娘曰くそういう命をいただくときは手を合わせていただきます、でいただいた後はごちそうさまでしたっていう風にするのは、その命に、なんていう、お礼を言うからそういうことをするんやから、
鼻にだって、ちぎるのは悪いことじゃないって、私もしちゃうって、でもその心の中でごめんねって言って、ちぎっていくことが、なんか礼儀や、みたいなことを言うんですよ。
もうごもっともやなってすごく、なんかこう思ってですね、何にも言えなかったんですけど、で、なんかその娘はね、それをお友達に伝えたら、なんかこう言い返された、みたいなことを言ってたんですよね。
ね、あ、そうなんやねって言ったら、なんかその命をなんかちぎるときにそうせなあかんでっていう方法を言った後に、そうせんへんかったら罰当たるよって娘が言ったらしいんですよ。
そうしたら、なんて返ってきたかっていうと、まあ私はついてるから、そんな罰なんか当たらへんねん、みたいなことを返事でね、返ってきたらしいんですよ。
そこに一番腹が立ったって娘は言ったんですよ。
で、どうしてって言ったら、まあ命をなんとも思ってないんや、みたいな。別にいいやんって聞こえたんよって言って。
だからそれがむちゃくちゃ許されへんくって、命って大事なんちゃうか、みたいなことを言った、みたいな感じあって。
で、確かにその言ってることは間違ってないんですよね。娘のね、言ってることは確かになーって納得できることではあるんですけれども、
そのお友達もね、別に命を粗末にしてる感覚すらもないんじゃないかなと思ったんですよ、お花をちぎることにね。綺麗から欲しかった、それだけやったと思うんですよね。
でも娘にとっては命という対象物になるので、そこの、そもそもの捉え方がずれているわけなんですよね。
なんか意見や価値観や見え方が違うんですよね、お花一つにしても。
それって良い悪いって特になくないですか?娘がそういうふうに重きを置きすぎてる命に対して、お花に対してちょっとしたことにすごくオーバーに捉えてることが悪いわけでもないし、
かといってお友達の綺麗から欲しかったっていう感覚もね、悪いわけじゃないんですよね。
価値観の違いについての考察
そこに良い悪いを自分の価値観を元に決めつけてですね、注意し、あげくには攻撃するというね、娘のあれなんですけど、結構きつい言い方をしたらしいんですけど、それはどうなんだろうっていう話に私はちょっとこう、
なんていうんですか、持っていたというか、なんかそのそれに関して良いか悪いかはママは分からないみたいな、お友達が悪いとも思わないし、あなたが間違ってる悪いとも思わないよって。
でもお花をどういうふうになんか感じているか、命があるものと思うのか、そうじゃないと思うのかは自由だし、だからその自分とは違うからと言って、こうすべきでしょっていうふうに攻撃しちゃうのはどうなんだろうねって言って投げかけて終わったんですよね。
で、それに関してどう思うかは、私がこうなんじゃないかっていう意見を述べるよりも、やっぱり自分でどうなんだろうってやっぱり考えた方がいいのかなと思って、あえて答えは出さなかったと言ったらかっこいいんですけど、出せなかったんです。
なんかあまりにも命かってなったら確かにとか思ってね、難しく捉えてしまって、もう何も言えないなって思ったから投げかけて終わったっていう状態だったんですけれども。
で、このエピソードからその自分とは違う価値観、意見を持っているっていうことで、その意見がいいか悪いかっていう自分の価値観の基準で判断するっていうのはどうなんかなと思ったので、それを終着点にね、いいか悪いかっていう結論を出すということを終着点にしてしまうと、
どうしてもその攻撃性が増すなと思ったんですよね。だからまあそのいいか悪いかというよりかは、それを通して自分がこんなにもういいところというか、こんな風に捉えることができるんだなっていう違いを自分の良さとしてこう認めていく方が、なんか私は好きだなって個人的に思ったんですよね。
だからそのいいか悪いかわかんないよって考えてみてっていう問いかけで終わったけれども、私個人としての意見は伝えさせてもらったんですよね、娘に。
で、小さいね、道端とかに咲く花であっても、犬、猫っていうような動いてね、こちらも情が湧くような、生きてるなってものすごく実感が湧くような動物、そして人。
全てを命として捉えて、経緯を持って、接していく。それってすごい優しいなって思ったんですよ。すごい優しい心やなって思ったから、それを素直に伝えました。
だからなんか、取ったらあかん、それは命をいただいてるからごめんねっていう風に言うべきやっていう感じだったんですけど、でも確かにそれは本当にそうだなって言って、でもその感覚、感性、ずっと持っててって、ママはその感性がすごく大好きだよって言って伝えたんですよね。
そうなんですよ。なのでまとめますと、自分と違う意見がバンとぶつかった時ですね、いいか悪いかっていう風な結論、そこをゴールにしないと言いますか。
それであかんでいいねんでっていうのを評価はするんですけれども、それは自分の基準なんだっていうことをわかっておくっていうのは大事だなと思いました。
だからいいか悪いかっていう枠内で話を進めていかず、その違いですね、人との意見の違いを見つけた時、自分は人と違うけどここが自分の良さなんだなという風に捉え直すっていうのはどうかなということがお伝えしたいエピソードでした、今回は。
そうなんですよ。でもこうやって真剣にね、確かにとか言いながら聞いてる横で息子がバーって来たんですよ。何言うんかなと思ったら、正座してね、8歳の娘のね、お姉ちゃんの方向いてね、僕は今日ダンゴムシを踏んでしまいました、ごめんなさいって言ったんですよ。
いやなんかね、命っていうものを何かしら息子にとっても感じ取る部分が、私たちの会話からね、何かあったのかなって、ごめんなさいっていう言葉で表すということは何かね、ちょっと命を奪ったっていうような感覚がね、息子にもね、その話からこう感じたのかななんてね、思ったんですよね。
うん、そうそう、そんな晩ご飯でした、昨日は。もう一気に難しい話になって酔いが覚めましたよね、日本酒飲んでたんですけど。もうほんまに真剣に考えますもん、さよならとか言いながら、そうそう、そんな晩ご飯を送っていました。
はい、こんな感じでね、えーっと、今日はお伝えしてみました。はい、また明日もね、続けていきたいと思います。はい、では今日はこんなところで終わりにしたいと思います。ではまた。
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