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2024-11-19 20:18

『正解が欲しい!』人間関係に悩む娘

今日のテーマ

『正解が欲しい!』人間関係に悩む娘

 

サマリー

このエピソードでは、娘との人間関係に関する悩み、特に正解がないことの難しさについて語られています。母親の視点からは、相手の気持ちを理解し、感情を素直に伝えることの重要性が強調されています。また、人間関係において正解を求めることで、時には難しさや摩擦が生じることについても触れられています。コミュニケーションの中で、文章を用いて思いを伝えることや、非効率であっても関係を深める重要性が語られています。

娘のイベント参加
11月19日、火曜日かな?
今日も声日記を残していきたいと思います。
ビビリな私が自分にエールをのゆうのです。
今日は何について話そうかな、みたいなことをね、ちょっと思ってたんですけど、
娘のことについてね、今日はちょっと話したいなと思いました。
その間の週末ね、娘は朝からお友達ととあるイベントに行きまして、
その後も長い時間、長時間にわたって、お友達とずっと一緒に遊んでたんですよね。
時々その様子を、私も息子が一緒に遊びたい、公園に行きたいというので行きながら見てたんですよね。
ある程度の時間になったら、私と息子は家に帰りまして、帰宅を待ってたんですよね。
夕方5時ごろですね。朝9時半ぐらいから行って、夜5時まで遊べるなって思ったんですけど、
それの方にめっちゃびっくりしたんですけど、私は。
そうやけど、帰ってきてね、
お風呂しようかとか言っててね、お風呂準備してね、一緒に入ってたんですよね、子どもと。
だからやっぱり、うまくいかなかったこともあったみたいでね、お友達とのやりとりで。
そのことについてね、ちょっと話そうと思いました。
正解がないからこそ難しいし、正解を求めがちやなっていうことについて話そうかなと思います。
人間関係というか、人と関わっていく上でね、こうしたら喧嘩にならへんとか摩擦が起きひんとか、
こうすることが人との付き合っていく上で正解です、みたいなね。
学校の勉強みたいに、そりゃあればいいんですけど。
あればいいなとはもちろん思うんですけど、そんな正直ないじゃないですか。
大人になって結構な年数、社会にも出るし、それまでの交友関係とかもあるし、
8年生きてる娘より40年生きてる私の方が、人と関わるっていう経験はしてきたと思うんですよね。
やっぱり友達も本当に大切って思える親友とも出会えたし、パートナーと言われるような夫にも出会えましたし、
やっぱり人と関わっていく中で深く知っていって仲良くなって、
今もずっと昔から続いてる仲だったりとか、今も出会いやそういったものもあるんですけど、
その中で毎回こういうことを大事にしてたら、人間関係間違いなく成功するとかうまくいくとかっていうのって
わからないんです。ずっと人間関係の中で生きてきてても、そういう大切な人ができても、
やっぱりその大切な人たちをたまに傷つけたりとか、やっぱり傷つけられたりとかももちろんあるわけで、
本当に学校の勉強の算数みたいにね、何足す何は何ですとか、何かける何は何です。
この導き方をすればいいです、みたいなのがあったらなぁとはもちろん思うんですけどね。
そういう正解って子育てにもないってよく言われるし、関係を人と築いていくときにも正解はなくて、
自分で試行錯誤して知ろうとしたり伝えたり聞いたりとか、
持ち合わせてる経験や知識をフルに使って、相手との距離感を大切にしていくのを、
本当に今でも日々やっている最中なんですよね。
そんなところで娘が、こういうふうに伝えたのに、言ったのに分かってもらえなかった、聞いてもらえへんくって、
みたいなことを言って不満そうにしてたんですよね。
なんでこうやって言ってるのに相手は聞いてくれないの?とか、
どうしてこういうふうにしてくれないんだろう?みたいなことを言うんですよね。
どうしたらいいの? じゃあ、みたいな感じで怒ってたんですよ。
知らんがなんて一緒に思ったんですよね。
私も聞きたいわ、そんなんって思って。
感情を伝える重要性
知らんわって言ったら、もともともないので、一通り娘が気が済むまでずっと聞いてたんですよね。
そのことに関して、こうすればよかったんじゃない?みたいなことを今まで言いがちだったんですけど、
正直なとこ分からへんって思ったんですよね。
だって相手の子のことなんて分からないですし、
相手の子だって人間だし、いろんな感情があってそういう現状に至ったんだから、
別に何か傷つけようとしてるわけでもきっとないだろうし。
だから、じゃあどうすればよかったんだろう?
ママはどう思う?みたいなことを言われたときに、
うわあ、なんて言ったらいいんやろう?みたいな。
もうほんま素直に、だんだんごめんね、いいよ、みたいな幼稚園がやるようなやりとりを教えたって、
そんなんでうまくいかへんし、気持ちの整理も子ども自体ができないんですよね。
だんだん自分たちというか、同じように悩むような、
大人と子どもってわけんのもあれなんですけど、
自分たちに感覚的に近くなってきている。
悩む内容も同じような感じになっててね。
そう、って言ってあげたら正解がないことを、正解を教えてほしいみたいなんじゃないけど、
どうしたらいいの?どうしたらこんなことになるの?って聞かれるとね。
もう、てかね、一問で出るから、ギュッとつまんで動かなくなるみたいな地蔵みたいになっちゃったんですけど。
何がよかったんかな?どうすればよかったんかな?ってわからんなーって思ってたんですけど。
その中でね、私が思う考え方っていうのを娘のほうに伝えさせてもらったんですよね。
それは何なのかって言ったら、本当に正直なところ、相手のほうに確認しないとわからないことも多いし、
伝えるっていうことはもちろん、今の現段階ではあなたはできてるよね、みたいな。
思ってることを言うことはできてるね、みたいな。
だけど、思ってることは言えたとしても、相手の子が何を思ってどういうふうに感じているのかは確認というかね、聞いたりはしないの?って聞いたら、
だってなんで聞かないの?みたいな。私はこうしたほうがいいっていうことだけは伝えれたからって言うから、
言うことばっかりしてたって、結局こちらの思いは伝わっても、相手の子の気持ちもやっぱり知っていかないと、
仲良くというか歩み寄るみたいなことというか、仲良くしたいなっていうことが可能にはならないんじゃない?
ということを言ったんですね。仲良くしたいなと思うことがなかなか伝わらなくて、
一方通報というか、言ったら言いっぱなしで、なんで分かってくれへんねん?みたいなばっかりの主張がね、
私はこう言ってるのに、みたいなところしか伝わってないんじゃない?みたいな感じになって、
それで怒ってしまうのは無理もない。言ったのになんで?っていうのは、すごい分かるから、めっちゃ分かるで。
ママもあんねん?そういうことをパパに言ってな。なんでやねん?って思うことめっちゃあんねん?みたいなことを言ってたんですけど、
その中でね、やっぱり本当に素直に思ったこと、感情というか、一緒にこういうふうに遊びたかったんやけど、
うまくできなかったし、ちょっと一人ぼっちになった時間があったみたいなので、寂しかったんでしょうね。
その寂しいっていう感情って結構伝えるのって、この8歳とかでも本当のことを言いたくないというか、
本音を言うって結構苦手なのか、それとも娘がね、私と暮らしてる中で感情を言うことを苦手な感じになってしまったのかもしれないんですけど、
それは分かんないけど、感情を寂しい、怒るぐらいには本当に思ってることが隠れてたりするんですよね、別の感情みたいなのが。
それに自分が隠されるのね、相手に寂しかったよ、遊びもしたかったな、みたいな。
でも、なんで鬼ごっこばっかりするのか分からないかもしれない。
ルールも分からないときもあるから、それをするにあったらちょっと詳しく教えてほしかったな、ルールについてとか、
私、運動が苦手やしさ、みたいな、それってすごいカッコ悪いことですね。
思うこととか、分からないことが多いのに、素直に寂しいや悲しいとか、嬉しいとか、楽しいとか、
そういうことをね、本当に伝えたらどうなの、みたいなことを言ったんですよ。
感情を伝えて、本音をね、言って、その後に、分からへんこともあるから教えてほしい、みたいな。
分からないっていう正直に言うことと、頼むというかね、教えて、みたいな。
教えてもらうことはできる、みたいな感じで、この3つを使ったらどうなんやろう、みたいな。
どうだったんだろうね、みたいな話にオフロードになってですね。
で、その日は、そうか、みたいな感じで、まあでも確かに寂しかった、めっちゃ悲しかったんよって言って泣いたんですね、娘が。
で、そっかーと思いながらね、それに関してね、そんなことでいちいち泣きなって、前は言ったことあるんですよ。
そう、いちいちビビり泣きん時みたいな、もう鬱陶しいから、みたいなのを言ったってこともあったんですけど、
いやもうさ、そうよなーと思って、何も言わなかったんですね、泣いてる間は。
いや、そうよな、寂しいこともあるわ、みたいな感じでね、聞くことしかできひんからなーと思いながらね、聞いてたんです。
そしたらですね、伝えたいけど伝えられない、上手に伝えるって難しいっていうことをね、言ってきたんですよ。
いやもうほんまそれだって、私も思うから。
特に、いいってなって腹が立ってる時に、例えば夫ですね、夫にこういうことがつらいって思ってたの、分かってほしかったの、みたいなことをね、言えないんです、私も。
それを怒って、いやなんで分からないの、何回も言うてんのに、みたいな言い方になってこじれていく。
いい大人なんですけどね、大人になったからこそ、そういう本音の部分を隠しがちやると、自分にもね、振り返るところがあったので、
そういう時って、私は文字にね、思いを託して送ったりするんです。
手紙はね、書かないんですけど、LINEで便利なツールがありますので、夫婦の連絡用途にも使いますけど、
言いにくいことは文字にして送ったりとかっていうツールとしてもLINEを使っているので、
そのことを娘に伝えてみたんですよね。会って話すことだけじゃなくて、思いを伝えるのは文章でも伝わることってあるから、
手紙を書いて想いを伝える
どうしても話してて頭が真っ白になって、もう無理や緊張して無理とか、なんかねドキドキしちゃうってなるんだったら、
手紙を書いてみたらどうかっていうことを言ったら、ざっと立ち上がってね、そそくさと風呂を上がって行ったんですね。
そう、もう私腕だこみたいになってたんですけど、暑っとか言いながら、息子もね、暑いなとか言いながら、息子もブツブツ言ってたんですけど、
でもすぐに上がって手紙を一生懸命書いてたんですよね。内容は何を書いているのかまではね、そんな見てはいけないというか、見るもんじゃないのでね。
何を書いたかは知らないんですけど、でも一生懸命思いを綴っている背中を見てですね、
頑張れよーって心の中で思いながらね、後ろ姿を見ながら見守ってたんです。
そうなんですよ。だから言ってね、思いを伝えるって結構ハードルが高くなってしまうっていう方って大人でもいるんちゃうかなと思って、
そんなときやっぱり文章って一旦頭の整理をして相手に届けるので、読み返すことももちろんできるのでね、渡す前に。
だからこの言い方で伝わりそうかなとか、ちゃんと感情としては欠けてるかなとかね、
自分でも確認してから渡すので、しゃべるってなったらポンポンポンポンって会話のラリーというか、何が来るかわからへんっていうので、
すごく緊張したりするとかもあると思うんですね。相手が必ずしも受け入れてくれることばっかりじゃないと思うんで。
そういうときって文章にしてちょっと一方的かもしれないんですけど、一旦ちょっと受け取ってもらう、こういう思いなんだっていうのをね、
整理しやすいんやった、そういうことも使ってみるのも一つだなって、私も普段からそうやって使っているので、娘にも勧めてみました。
人間関係の正解を求めない
そうなんですよ。だからなーとか思って、それはなー正解があって、こう言ったらこうするみたいなのがあればもちろんほんまいいよなーと思いながらね、
でもなんかその正解、人間関係の正解をあんまりにも求めすぎにといてほしいなって思っちゃったんです、私は。
なんかね、正解をどこに持ってくるかによって正解って変わるじゃないですか。意味わかります?
例えば、相手を不機嫌にさせない、相手がいつもニコニコというか機嫌よく過ごせるようにすることが正解って自分がそういう意味付けをしたら、
相手の顔色が変わらないように、いつでも相手が機嫌よくいれるように、本当は思ってることがあったりしたいことがあったり伝えたいことがあったりもするのに、
相手が笑ってくれてることが正解だったら、自分の意見って言わなくなりません?
私は、なりがちじゃなくて、させたなって思ったんです、子供に。
ママが怒らないように、ママが不機嫌にならないように、私の顔色を見るのが、長女が特に強かったので、
私が機嫌よくいることが正解に彼女にとってはなってしまっていたから、こういうことにもなっているのかなってちょっと思うところもあったんですけどね、子育てに関して。
そういうふうに、相手の機嫌を正解にせずに思っていることを互いに伝えて、やっぱりそれでぶつかり合ったりとか傷つくこともあると思うんですよ。
それよりも恐れんといてほしいなと思うし、めんどくさがらんといてほしいなって思ったんですよね。
正直、揉めるってめちゃくちゃめんどくさいんですよね。
私も絶対、夫婦喧嘩できるだけ避けたいし、したくないし、友達とも喧嘩したくないし、やっぱり気持ち的にも傷つくのもあるけど、めんどくさいから。
めっちゃめんどくさいなって思っちゃうんですよね。
けど、そういう人と人との摩擦とかがあるからこそ、気づけることも多かったりするので、気づいたりとか、もっとよくなりたいな、関係よくしたいな、大切やっぱりやなっていうことにも気づけるきっかけにもなるから、
正解とか効率とかを、家事には効率めっちゃ求めてるんですけど、人に関しての効率はできるだけ求めたくないし、めんどくさいことをあえてしたりとか遠回りしてでも、時間かけて関係を深めていくことに時間を費やすことを今はしていきたいなって思っているので、
結構いろんな関係性を気づくときにね、夫ともそうですし、娘ともそうですし、息子とも、私と関わってくれる方に関しては、そういうふうに時間をかけてね、
たまに摩擦が起きたとしても、それを怖がらず、非効率で遠回りでめんどくさいって思いながらもやっていきたいなって思っているので、子どもにも怖いと思うんですよね、勇気がいるからそういうのに伝えるのって。
でも、そういう勇気を使うというか、持つというかね、そういうふうにどうしたらいいのかってずっと悩み続けるところだと思うんでね、悩んだり、改善したり、
これやれたら正解、最高、これで終わりみたいなのはないから、ないからこそ、めんどくさいけど、思考卓語というか、そういうふうにね、相手を知ることをめんどくさがらない人になっていってほしいって思っちゃったんですよね、親として。
私もそうでありたいなと思ってね。子どものことでも夫のことでも身近な大切な人やからこそ分かった気になりがちとかね、きっとこうに違いない。
そういうふうになりそうになったりとか、めんどくさかったりもすることが多いなと思ったので、なんかすごい大切なことをね、娘のお友達とね、ちょっとうまくいかなかった出来事に関して考えさせられたなと思ってね。
今日はそんな感じでね、人間関係の正解があればどんなにいいかっていうことをね、でもないからこそ、見えてくるものとか大切なものありますかみたいなことについて、ちょっとね、作り置きのご飯のカレー作りながら喋りました。
多分めっちゃだらだら長くなってると思いますけども、最後まで聞いてくださった方いらっしゃったら嬉しいです。では今日はこんなところで終わりにしたいと思います。ではまた。
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