子育ての自分塾
皆さんこんにちは。子育ての自分塾を育むコーチ、高橋ゆうのです。
七転び八起きのママLife。この番組では、完璧主義からくるイライラや、
子育ての自分塾迷子でぐるぐる同じ思考をして悩み続けてしまうママへ向けて、
自分塾を見つけるヒントや考え方をお届けする番組です。
皆さんこんにちは。最近ですね、息子の領域探しをしておりまして、
私、5歳になる息子がいるんですけれども、ちょっと発達がゆっくりですので、
領域を市の方からちょっと進めていただいて、いろいろと体験をさせていただけるということで、
領域の教室に体験をしに行っているんですね。そこで結構たくさんいろんなヒントをいただけるんですよね。
先生方とお話をさせていただくことができて、軽い相談なんかもさせていただけるんですよね。
その中で結構ヒントになるなということで、暮らしの中でも結構取り入れたりとか、
自分も実際に本で学んでそれを実践するみたいなことを結構前からやっていたので、
これがこういうことねっていう一致感というんですか、学んだことがなるほどって風に落ちることが最近増えてきたので、
そんなことでですね、今日もそういったヒントから得た学びをシェアできたらなと思っております。
注意疲れの原因
今日のテーマ、内容を考えたんですけどテーマを考えていなかったっていうのを今気づきました。
テーマ何にしようかな。何度注意しても同じことを繰り返すにしようかな。
テーマを記載するときにはちょっと変えてるかもしれないんですけど、何度もね、それそうじゃないよっていうことをこちらが伝えても、
正しい行動というのですかね、望ましい行動に繋がらない。
こちらも何度も注意をして疲弊するみたいなことがあるっていうことはご家庭っていますかね、皆さんそんな方いらっしゃいますでしょうか。
うちはね、結構そういうの多いんですよね。何度も注意するというか、何度もそうじゃなくてこっちはないよなって思うような場面が多いんですよね。
例えば何なのかって言ったら、じっと座ってご飯食べへんとかなんですけどね。
決まった時間はここに座ろうよ。なぜなら今ご飯を食べるという時間だからっていうことなんですけど、そんなこと当たり前やんみたいな感じじゃないです。
大人からしたらね。そうなんですよ、そういうことなんですけど、習い事とかでもないでしょうか。
本当は本来は座って受けるべきなのに、姿勢が崩れてしまったり、ゴロゴロ寝転がっちゃったり、立ち歩いたりとか走り回ってしまうなんてことがあって、
いやいやこれは座ってやる習い事よみたいな、体を動かす習い事じゃないよみたいなことで、座らないといけないよみたいなのを注意しても直らないとかね、あるかなと思うんですよね。
そこでね、何を大事にするのかっていうことを今日ちょっとお話できたらなぁと思うんですよね。
具体的な方法論というよりかは、その方法に行く前の視点ってものについてお話をしていきます。
今日伝えたいことは、そもそもの目を向ける着眼点っていうんですかね、視点を変えること。
ここが大事ですよっていうお話の内容になっております。
もう本当ね、何度も注意してる、結構きつめに言ってるよみたいなことがあっても直らない。
こうなると、皆さんどうでしょう?
なんでなんてまず思いません?なんで言ってんのに伝わらへんの?とか、あれ言うことが1ミリも届いてないどういうこと?とか、
あとは年齢が小さければこんなもんかと思えるんですが、小学校1年生、2年生となってきたりすると、
うち息子で言うと5歳でもね、幼稚園通ってると座って先生の話を聞くっていうのが結構たくさんできてる子がいると、
周りと比較して、あれ何歳やねんからこれぐらいはできていいはずやのになとかって思ったり私はするんですね。
で、我が子の姿にちょっと不安心をしてしまうと言いますか。
うちの子だけなんでこんなんなんやろうとかね。
もう何回言ったらわかんねえなとか思ったりとかしてイラッとしたり不安になったりとか。
そこにですね、パートナー、夫ですよね。
夫がそれはねって一緒に考えてくれたらまた話は別なんですが、こんなこと言われたらどうですか?
いや甘えかしすぎやからちゃんとか。
行動を理解する視点
あの舐められてるんだよみたいなこと言われたらカチン来ません?
やってみろよみたいな。
あんたが一回やってみろよ伝えてみろよみたいなんで私ちょっと口悪いんですけど。
もうカチンって来るんですよね。
なんですがその怒りとともに不安がまた大きくなるんですよ。
いやもうそもそも育て方がわかんのちゃうかなと。
そんな風になる方いらっしゃらないでしょうか。
私はよくねこのねステップを綺麗に順を持ってね辿っていくんですよ。
不安になりあれってなってちょっと何回言うかわかんねえってイラッとして。
で夫の一言にまた気分が落ちて自分の子育てに不安になる。
この綺麗なステップが出来上がっているんですよね。
ほんま嫌って思うんですけど。
でねそんな時この考え方で気持ちの振り幅を緩やかにしてますよって自分のその落ち込み具合ですよね。
不安を小さくまだできなくてもそれ以上大きくしないっていう考え方を私は持っていて実行しております。
はいそれは何なのかっていうことをここから話していきますね。
はいまず何で不安になるかっていうと
まず何でこの子はできないんだろうっていう問いの立て方してないでしょうか。
私はねずっとこれしてきたんですよ。
何でこの子は座っていられないのか。何で座ってご飯を食べれないのか。
何で教えても言ったことを守れないのかってずっと思ってきたんですよね。
でこういう風に自分にも問うもんですから子供にも何でできないのってこれ言っちゃってるんですよね。
言うとは悪くはないと思うんですよ。本当にそう思うから言っちゃうんだろうから。
それはもう言ったものは仕方がないと思うんですが。
まあでもここからそれを言い続けても変わらないんだったらちょっとその問いの立て方とか伝え方が違うんじゃないかなっていう風に考え方を少し変えようと思ったんですよね。
どういう風に変えていったかというと何でこの子はできないんだろうというところの問いの立て方から何がこの子をこの行動にさせているんだろうっていう風に変えたんですよ。
何でこの子は何度言っても聞かないしできないのかをスタートに考えていくとどういう風に考えていくかっていうとね。
やっぱりね我が子のダメなところそして自分の育て方のダメなところここがダメだからこんな風になったんじゃないかっていう風に自分の子供や自分自身を責めてしまうという悪循環を作ってたなぁと今振り返ったら思うんですよね。
でも何がこの子をこの行動にさせてるのかなって問いの立て直しをすると我が子の否定とか自分自身の子育ての不安感とか人格否定って言ったらちょっと言葉のニュアンスがすごく嫌な感じになるんですけど
そういう子供の我が子の人格否定につながらずに済むなと思ったんですよね。
その行動の方に目を向くことができるなって。
なんかこうじっとできないその要因って何なのかなーって問いを立てることで自分の子がダメやからやこの年なってもちゃんとできない子やからやじゃなくてもしかしたら気が散る何か刺激になるものが目に入ってきてるんじゃないかなお教室の中でとか家の中でもそうですよ。
テレビつけてたらそれは集中できないじゃないですか食事にだからこの子がダメというよりは一旦テレビを消してあげたら座るとか食べこぼすのを減らせるんじゃないかなとかっていうふうに周りの環境に目を向けてあげれるというかそこからちょっと整えてあげれるんじゃないかなっていうことが考えられたりとか
その日のスケジュールってあるじゃないですか1日の子供の幼稚園でプール入ったよとかそしたらやっぱり夕方から夜にかけてはもう疲れマックスだったりするじゃないですか。
そしたらその子ができない子とかうちの子がダメな子やからとかお行儀が悪いからじゃなくて体力の限界がただただ近づいてて集中できてないから体がぐにゃっとなったりね転ぶとかダラダラするっていう行動に出ているかもしれないなっていうふうに考えられたりもするんじゃないかなと思うんですね。
あとは注意されているとわかってないっていうこともありえるんですよ。
子どもの行動の理解
真剣にお母さんがねめっちゃ怒ってる時とかは怒られてるなっていうことはわかってるんですけどなんで怒られてるかわかってない時とかもあったりとかもしくはその習い事のとか幼稚園の先生とかもねそんなねめっちゃ激怒りする人っていないじゃないですか。
やっぱりするのって母親がやっぱしやすいからするじゃないですか。
対応がしやすいというか本音で話せるからちょっと怒っちゃったり感情が出ちゃったりね近い距離感だからっていうのもあるけど。
幼稚園の先生だったりとか習い事の先生だとなんとかねやる気が出るように優しく丁寧に目を寄りかけてしてくれるってことがあるんじゃないかなと思うんですけど。
それがもしかしたらですけど心地よく感じている。
かまってもらえたなとかこういう行動をしたら先生が笑ってくれるな面白がってくれるなとかもあるかもしれないんですよね。
喜ばせたい子とか言ったら勘違いしちゃってこういうおふざけをした方がみんなが楽しいんだっていうふうに捉えちゃうとその行動し続けるんですよね。
親としてはやめてほしいのに。
もしかしたらそのちょっとその先生の表情を見て喜んでくれてるって勘違いしてる場合もあるかもしれないので
いろんなことが要素が考えられる。だからその子ができない子だからというよりはいろんなその環境や捉え方がちょっと違ってたりとか
まだだってね何歳かわからないですけどこれを聞いてくださってるこのお子さんがね。
でも幼ければ幼いほどそのまだまだその見て判断するとか表情を見てちょっと困ってるなって判断できない年齢だったりあると思うんですよね。
うちの子もそうだし5歳だから。
そうしたらなんかもう楽しくなっちゃってる場合もあって大人の反応を見てね。
怒ってる私を見てよりなんかこう大きい声出してきたりとかする時もあるんですよ。
やっぱり大きい声比べみたいな遊びみたいに思ってるんですよね息子は。
だから勘違いさせたらあかんなと思って静かにできるだけ近くで落ち着いて言うっていうのを気をつけているんですけど
いろんな要因があるからその子ができないわけじゃないっていう視点が大事っていうちょっと説明だったんですけども
なぜできないという視点と問いの立て方から何がそうさせてしまっているのかという
行動や環境の方に視点と問いの立てか問いをそこに対して立てていくっていう風に変えていけば
我が子を否定して怒るっていうような解決策じゃなくて
課題となっているその行動をどんなアプローチしてあげたらどんな風に伝えてあげたらどんな風に整えてあげたら
望ましい行動と思われるような座ってご飯を食べるよとか座って書道とか書き方とか塾とかピアノとかもそうじゃないですか
座って習い事先生の言ってることを聞くんだよっていう望ましい行動につなげていってあげれることは何なのかなっていう方が
そういうアプローチの仕方の方がいいんじゃないかなって私は実践してて自分でも思ったんですよね
怒ることは確かに怒るというかこれは望ましい行動じゃないよっていうのは伝えた方が絶対いいと思うんですよね
だけどめっちゃ強く怒って怒鳴り散らしてやっても伝わってない場合がほとんどになるので
怒るということで甘やかさないっていうことをイコールにしないって欲しいなってすごく思うし
自分もそこ気をつけなあかんなと思って日々怒鳴りそうになるんですよこっちも人間やから腹立つから
ちょっとなんでみたいな何回言ったのかなみたいなのもなるんですけどそれじゃ伝わってないから行動や環境に着目ということですね
そうしてその子にあった解決策探しにつなげていった方が何度注意しても直らないその行動は直っていくんじゃないかなっていう体験から思っているんですよね
なのでまとめますとそもそもの着眼点ですねどこに目を向けるのかっていう見方を少し変えてあげる
その子自身のここがあかんとかできてないとか私の子育てのこのやり方があかんじゃなくて
こう行動してしまう環境や誤解が生じてないかなっていう風に捉えてみるそこから具体的な方法を探すということで
そもそもその具体的な方法アプローチするっていうとこのいく前段階の捉え方考え方ここ大事ですよっていうことを実体験からちょっとお話ししてみました
親としてのアプローチ
はいいかがだったでしょうか今日はこんなところで終わりにしたいと思います
最後まで聞いてくださった方ありがとうございます
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それでは次回の放送でまたお会いしましょうではまた