1. ママが自分を取り戻すラジオ
  2. 364.いざ我が子がそうなると…
2022-06-30 16:57

364.いざ我が子がそうなると…

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頭に心がついてかなーい😇という話。
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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、子育てを通して自分を見つめ直す方法や、母親として過ごす中での気づきや学びをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。我が家の3歳の末っ子なんですが、今ですね、お友達とのお手紙交換にめちゃくちゃハマっております。
まだ字が書けないんですけど、毎日折り紙の裏とかそこら辺の紙に絵を書いて、それを折りたたんで封筒に入れて、それを幼稚園に持って行ってお友達に渡して、またお返事もらってきてっていうような日々を送ってるんですね。
末っ子は、お兄ちゃんとお姉ちゃんがいるし、その文字、ひらがなの文字を特に自分の名前は見る機会が多くて、
自分の名前の頭文字とかはもう認識するようにはなってきてるんですよね。
あ、見つけた!みたいな感じで、娘の名前のこれ一緒!みたいな感じで認識するようにはなってきて、世の中には文字というものが存在するんだなということは分かっているっぽい、分かり出したっぽいんですよね。
ただ私がマスクとかに書く名前をひらがなじゃなくてカタカナで書いた時に、すっごいそれを怒られて、いやママ間違ってるけどみたいな感じでね、いつもの名前じゃないんですけどみたいな感じで言われて。
で、あ、あ、そうやったと思ってカタカナの認識はまだやったと気づいたんですけど。
そうでね、なんか日本語にはひらがなとカタカナと漢字っていうものがあってなみたいな話を幼稚園に行く前にしてたんですけど、この話は話し出しと長くなるし、朝幼稚園に行く前にさらっとできる話でもなかったので、なんとなくね末っ子は幸福に落ちないまま幼稚園に登園していったんですけど。
で、最近ずっとお手紙を絵を描いていたのが、最近ねチラッと見たら家にあったルーズリーフに文字のような、文字ではないんですけど、なんかねフニャフニャフニャみたいなのをめちゃくちゃ、ルーズリーフA4のルーズリーフ結構大きいですよね、A4のルーズリーフに1枚分全部フニャフニャっていう字をね書いて、
それを封筒に入れてお友達にあげるって言ってたんです。私は別にまあまあしたいようにしたらいいわと思って止めなかったんですけど、これきっとその字が書きたいっていう気持ちが芽生えてきてるんだなと思ったんですよね。
このフニャフニャフニャの字の時って長女にも長男にもあって、その時って本当にね、長女に関しては特にお手紙交換がそれこそ流行っていた時だったりとか、何かこう自分の気持ちをお友達に伝えたいっていうタイミングだったのかなと思い返してたんです。
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で、我が家はそんなにこう早期教育的な、なんか日本語、日本語じゃないや、ひらがなはね早いうちからとか英語早いうちからっていうあの教育、早期教育っていうのはあまり興味がなくて、そんなに、そんなにってか全くですかね、全然してないんですけど、その代わりにその子供たちが興味を持ったタイミングはキャッチしたいなとはずっと思ってるんですよね。
で、お姉ちゃんとお姉ちゃんがひらがなに興味を持ち出したのはもうちょっとね後だった、多分年中さん年長さんぐらいだったかなと思うので、末っ子はね2人よりも早くって、もうその時期来たのかってね、ちょっとびっくりさせられております。
で、これって母国語以外の語学力とかが伸びる時とか、英語だったら英語とかが話したいな、もっと話せるようになりたいなっていうモチベーションとか言動力と本当になんか同じ感じだなと思っていて、
自分の思いが伝えたいとか何か言いたいことがあるから、その文字が書けるようになりたいとか、英語が話せるようになりたいとか、この言い回しを伝えられるようになりたいとかね。だからやっぱり言葉とか文字って本当にその思い、人の思いあってのものなんだなぁと感じさせられておりました。
まぁとはいえ全然まだまだひらがな書く練習とかも全く私のやる気が起きなくて、まぁまぁ自然に覚えるかなみたいな感じでゆるーく思っているわけやです。
はい、そんなことで今日のテーマなんですが、今日のテーマはいざ我が子がそうなると、というテーマでお話をしようと思います。
これはですね、発達障害系のことだったりとか、不登校だったりとか、学校、幼稚園、保育園行きしぶりだったりとか、感触を起こすだったりとか、あとはまだまだこれは我が家にはちょっとピンときてないですけども、異性を、同性愛者になるのか異性を好きとして、
異性を好きになるのかっていうところとか、こういうのってなんとなく私自身はですけど、全然同性愛者でもいいし、異性を好きになってもいいし、発達に偏りがあってもいいし、グレーゾーンでもいいし、発達障害でもいいし、
学校も行けても行けなくてもいいし、不登校でも別にいいし、行きしぶりがあってもいいし、感触があってもいいし、とかってすごい思ってはいるんですよね。思ってはいる、頭では。もうその子がそのままで十分って思ってるんですけども、思ってるんですよ。思ってる。めちゃくちゃ思っている。
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だけど、いざ我が子がそうなると、そんなキレイ事だけじゃ、やってられませんよっていう話なんですよね。
いろいろな育児書とか、いろいろな子育て情報とか、知識とか、
その中には、発達障害でも大丈夫、不登校でも大丈夫、感触を起こしてても、行きしぶりでも大丈夫、男の子が男の子が好きでも大丈夫ってね。
それこそ今は、昔に比べると多様性が認められやすい世の中にはなってきているから、多数派と違う少数派であっても大丈夫みたいな
雰囲気は昔よりはあると思うんですよね。あると思うし、私自身は結構そこに関しては、別にその人がどういう性質を持っていて、どういう
性格だったりとか、偏りだったりとか思っていたとしても、その人が男であろうが女であろうが、その人として見たいなという気持ちはめちゃくちゃあるし、
それこそゲイのお友達だっているし、発達障害のお友達もいるし、そこら辺に関してはめちゃくちゃ私自身は寛大であるって自分自身のことを思ってたんですよね。
だけど子供が生まれて、それこそ長男が発達障害グレーゾーンかなどうかなっていうような診断になったりだとか、
診断にならなかったとしてもそれっぽいような行動が見られたりだとか、今で言うと長女が学校、幼稚園の頃からですけどずっと息子不良してたりだとか、もうちょっと不登校に片足突っ込んでるんじゃないかなっていう感じになってたりとか、
感触がすごかったりとかっていうような感じで、寛大な気持ちを持っていたはずなんだけど、それがいざ我が子となると、いざ自分ごととなると、
いやいやそんな軟気なこと言ってられへんって思ってるんです。
これはね私自身がものすごく体験だったり体感するっていうことに重きを置いているっていうことも大いにあるのかなと思うんですけど、
私自身はやっぱり体験しないとわからないこともたくさんあるし、体験しないとわからない感情、体験したからこそ出てくる感情とかもあると思うんですよね。
そう思ってるからこそ余計に、例えば保健師さんだったり、カウンセラーの方だったりとか、幼稚園とかにいらっしゃるカウンセラーの方だったりとか、精神科の先生だったりとか、
そういう方々がプロとしてくれる冷静な意見っていうのを特に悩んでる時、特に切羽詰まってる時って全然受け取れなかったんですよ。
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感触ね、家で毎日起こしてますどうしたらいいですかって相談に行った時に、それはもう外で頑張ってるから家では暴れるんですよみたいな、それってもう最もなことなんですよ。
いやそうですよねってそれはめっちゃ頑張ってますよねって思うんです。思うし、それが冷静な時とか、スッとその言葉が入ってくる時は、そのプロの方の意見っていうのは私の中にかなり刺さってくるんですけど、
やっぱり悩みすぎている時とか切羽詰まってる時とか、もう出口がない、今の状態出口がないって思っている時は、正直ね正直、いやいやそれ体験したことないから言えるんでしょって思っちゃうんですよね。
そう、いやいやそんな子供たちにね発達の偏りもなくって、普通に学校行けてて、感触とか毎日なくって、そんなね、そういう子育てしてる方だから、もしくは子育てしたことないからそんなことが言えるんでしょ?
そんな教科書みたいなことが言えるのは経験したことがないからでしょ?みたいな感じでめちゃくちゃひねくれた受け取り方、てかもう受け取るのは拒否みたいな感じだったんですよね。結構その時期が長かったような気がするなと思うんですよ。
でまぁそれって完全に私の問題なんですけど、なんかそんな風に、何かしらのその相談の期間、それこそカウンセリング、子育てカウンセリング受けたりとか子育て相談行ったりとか、町の保育園の先生に相談したりとかしても、すごく
なんというか、いやいやそれができたら困りませんよっていうような答えをもらうことがすごく多かったんですよね。
だからなんとなく今も学校のね、あのちょっと登校行き渋ってるとか不登校に片足突っ込んでるとかっていう状況になった時に、学校にもカウンセラーいますよとかカウンセリング受けてみますかとかって先生に言われた時にも、なぜかそこに対してすごく拒否反応が出てしまってるなってことに気がついたんですよね。
なんか言ったところでどうにもならんし仕方ないやんっていう気持ちが未だになんかまだあるわっていうことに気がついたんです。きっとそれはこれまでにいろいろな
猫育て相談とかカウンセリングとか、なんかそういう相談機関とかプロの方とかにいろいろお話を聞いてきたしてきた中で、そこのねその方々の言葉を私自身がちゃんと素直に受け入れられなかったから、だからなんか今でもその学校のスクールカウンセラーの方々とかに関してのイメージってなんかまだそこを私の中で
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あんまり良いイメージないんだなってことにちょっと最近気がついたんですよね。 まあまあそれはいいんですけど
だから何が言いたいかというとその リアルな葛藤とか大変さっていうのはまあやっぱり体験しないと分からないこと多いよなって本当に思っていて
それで言うと、我が家はね 発達に関してもグレーゾーンって感じで言われているし、診断名というのはついたことが今のところはないので
だから診断名がついたらついたで、その時に感じる感情とかも今とは違うものがあるんだろうなとか、今は今までにこう思ったことない悩みとかを持つのかもしれないなとか
まあいろいろ思うんですけど、でも 最近長女が学校に行き渋ってるのも頭ではね
なんか本当に行っても行かなくてもいい、もうそのまんまでもうそこに存在してるだけで十分いいって思ってるんですよ
てかまあそう思いたいんですよ
だけどやっぱり心の中では、いや学校行かなくなったら社会に出れなくなってしまうんじゃないだろうかとか
今ここで休んだら勉強わからんくなるんじゃないだろうかとか、学校に行けないということで自信をなくしちゃうんじゃないだろうかとか
っていうなんか不安だったり焦りみたいなものがあって、結局それがもうイライラとして出てきちゃったりとか
言わなくていいこと言っちゃったりとかねっていうのが起きてるから、ここは本当に私の弱さだなって最近すごく反省してるんですよね
これは本当に親の問題、私の問題だし親の弱さ、私の弱さなんだろうなぁと思っていて
ここがね、もう学校に行かなくてもいいよ、授業出れなくてもいいよ
もうあなたの好きなようにそのままでいたらいいよって言えるようになるまでは、これ頭ではわかってるんですよめっちゃ頭ではそう思ってるんですよ
なんか行かなくてもいいよとか、行けなくてもいいよとか別にそのままでいいよってそこにいるだけで十分って
頭では思ってるんだけど、それに心がついてくるようになるにはなんか時間は必要なのかなってちょっと今ね
思ったりしてます そう
そうなんですよね だから
そこの葛藤、なんかこう 行かなくてもいいって思ってるのに行かせようとしている自分みたいな
なんか頭と心が矛盾してるなぁってすごく思うんですけど なんかそんなね
葛藤最近思ってます これちょっと続きがあるので続きはね次回のエピソードでお話ししようかなと思うんですけど
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次回は自分への今しめのためのエピソードにしようかなと思っているので
はいぜひぜひ続きでねまた聞いていただければ嬉しいです 今回のテーマはいざ我が子がそうなるとというテーマでお話をしました
頭では わかっていることだし多様性を認めたいと思っているし
寛大な心でいろいろな違いをねそれぞれの人の違いを受け入れて もうみんな違ってみんないいかねこみすずみたいな感じでね
生きていきたいと思っているのにも関わらず やっぱりそれが自分事となると我が子となるとそういうわけにもいかないという
リアルな葛藤 っていうのをお話しシェアさせていただきました皆さんはいかがですかね
頭ではわかってるんだけど 心が追いつかないみたいなことってありませんか
まあそれはね自然なある程度自然なことかなとは思うんですよね それはそうよって思うんですよ親になるとやっぱり
責任が伴うっていうふうに思うしもしね学校 なんていうのかな行かなくなって社会でれなくなったれじゃあじゃあこの子の面倒
その後これから何十年も誰が見るのみたいな話になってきますしね そこをその点はが以外の人とか子供だったら
そんな行けなくてもいいよもうそのままでいいよとか好きなことしてたらいいよ とかって言えるでもそれはやっぱり責任がないからなのかなと思ったりしました
はいということで今日も最後まで聞いていただきましてありがとうございます ご意見ご感想あなたのエピソードなどがありましたらぜひラインの公式アカウントからメッセージを
いただけましたら嬉しいです では今日も素敵な1日になることを願っております
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