バカ八幡いた? いました。今年も行きました。
福岡といえばね、バカ八幡だよね。あれなんか入ったらあれでしょ、値段によってちょっと扱いが違うでしょ。
お土産というかが変わるんですけど、
お土産が変わるのか、そっかそっか。
2年連続で最弱のお土産になってると思いますけど、あんまり入れてないんで。
俺も一番安いのにしたいんだけど、そうすると出る時の扱いが違うなっていうか、席もなんか違うでしょ、前か後ろかみたいな。
そうですね、違いますし、渡される時も説明がなくあっさり。
もうなんか、やっぱお金次第なんだね。
地獄の沙汰も金次第って言うしね、地獄じゃねえけどさ、扱いはやっぱり金次第だね。
じゃあ後役? 後役ですね、今年。
玉ちゃん、ランニング初めてホヤホヤっていうところなんですけど、いつから走り出したの?
走り出したのが2025年の5月1日でした。
5月1日? 1年なってないんやけんね。
なってないですね。
5月1日で何をきっかけで走り出したの?
ほんと他の人が月並みですがっていうのと全く同じで、ちょうどゴールデンウィークじゃないですか。
もともと体重が年々増えてたところに輪をかけて、2025年のゴールデンウィーク4月下旬から食いまくってたら太ってきてしまったので、
そろそろ動かないとなーっていうことで、走るつもりはもともとなくて、歩くでいいやと思ってたんですよ。
ちょっと体動かさなあっていう程度でね。
でも玉ちゃん、後で知ったんだけどフットサルやってたって言ってたじゃない?
そうですね。福岡来る前は東京3年いたんですけど、そのさらに前の8年間北海道にいました。
北海道で会社で毎週やってる人たちがいて、そこに混ぜてもらって毎週フットサルっていうのはやってました。
体を動かすことは嫌いじゃなかった?
嫌いではないですね。
サッカーがちょうど僕らが学生の頃に日韓のワールドカップがあったりっていうのもあって、
サッカー自体は見るのとか、あとはゲームとかでするのが好きだったっていうところがあるんで、
そういう意味ではフットサルは割とすんなり始めた感じはあります。
その頃は太ってなかった?30代前半でしょ?20代後半ぐらい?下手したら。
そうですね。20代後半ですね。
太らんよね。そこまでね。どっちかというとまだ筋肉があるよね。太ってても。
元々はそんなに痩せ方じゃなかったんですけど、ちょうど結婚してその頃もちょっと太り始めてたんですけど、
結婚挙式あげるときの写真ぐらいは痩せたいねっていうので夫婦でダイエットをしてて、
何年?いつぐらい結婚したの?
27、8ぐらい。
まあまあ早いね。男性からすればね。
だったので、そのためにちょっと痩せててから北海道行ってって感じだったんで、
今よりもう少し絞れてたぐらいかもしれないですね。
北海道どこ行ったの?
札幌ですね。
札幌?
やっぱりでもどうなの?やっぱり雪国っていうイメージがあるんだけど、
夏はまあ夏で動けるだろうけど、あまりそういう運動とかしにくい環境?
そうですね。札幌は1年の半分ぐらいだいたい凍ってるというか雪はあるので、
運動はしざえですし、自転車もほとんど乗れる時間ないので、車必須って感じでした。
8年とまた関東にいて、福岡に来たと。
で、まあ41ですか?
41。
飲み食いして太ってきたと。
太ってきたんですね。
でも走るっていう、そこの起点はどこなん?
歩いてでもいいやって思って走るところになったのは?
なんかグルラの時とかにたまに話はしてたんですけど、
一応サラリーマンの端っくれとして結構ビジネス系のYouTubeとか動画とかを見漁ってたんですよね、それまで。
そしたらたまたま普段見てるビジネス系のチャンネルに歩くっていう本を書かれた方が出られてて、
で、その本の中身としては、その裸足、ベアフットが大事なんだみたいな話を中心に書かれてる本の紹介で出てて、
で、そのトゥーボックスですか?つま先の部分が広くて、裸足感覚で歩くってことがすごく重要なんだみたいなことが解かれてて、
見て、僕足幅広だしちょうどいいからベアフットシューズでも一足買って、
犬の散歩がてら歩くっていうことから始めようかって思ったんですけど、
靴調べてたらアルトラがかっこいいなって思い始めてしまって。
アルトラからやっぱりランニングに入るとかいう人も多いもんね、形からね。
そうですね、僕小学生の頃にスキーは親と一緒に年間それでも10回行かないぐらいでしたけど、地元が宮城県なのでスキーやってて、
サロモンは結構スキーの板とかそういうので有名だったので、サロモンは農林にあって、
名前は知ってると。
サロモンの靴が最近、最近というかちょっと前待ち沸きしておしゃれなおじさんたちがサロモンの靴履いてる。
でもなんかそこに今更乗っかるのもなぁと思った時に、
そのファッションは知ってたんだ。
アルトラの靴を結構待ち沸きするのもかっこいいかもなとかって思って、そんな感じで一足買っちゃったんですよね。
その時点でもアルトラは決して新しくはないんだけど、たまちゃんの世界の中にアルトラがなかったわけよね。
ベアフットゼロドロップで待ち沸きもできそうなちょっとかっこよさげな靴みたいな感じで、
今の去年ぐらいって言ったらアルトラでベアフットって言ったらオッセっていう感じやけどね。
そうなんですね。
たまちゃん的にはまだ新しいよね。
かなり先端売ってるぐらいの。
新鮮やったと。
でもアルトラを調べていったら、ロンピックを買ったんですけど、そもそもこれはトレーランシューズだよっていうのをむしろポチった後に、
エスカランテを買うべきだったよね。
気づいてしまって、じゃあこれは山を走る、歩くためのもんなんかっていうことを思ったんで、
じゃあもう買っちゃった以上はトレーランっていうやつをやってみるかっていうのがほんとただそれだけって感じでした。
なるほど。
最初ロンピック買うのってまあまあな値段で勇気いるでしょ。
あ、高っけって。
普通ナンエキとか見れば半分ぐらいの値段買えたりするわけじゃない。
それこそでもサロモンとかそこら辺の靴も同じぐらいの価格帯というか、あとは革靴とかと考えれば桁が違うっていうか。
まあね。
たのちゃん割と革靴綺麗なやつね。ピカピカのやつ履いてるもんね。いつもね。
なのでまあそんなにびっくりするぐらい高いなっていう印象はなくて、靴は割と高いもんだっていう擦り込みが。
なるほどなるほど。
それ分かるな。たのちゃんいい靴履いてるもんな。いつもな。
靴はなんかそんな安いもんじゃないっていうところは初めからあるのね。
だけどまあ2万ぐらいの靴でもまあいいんじゃねえのっていう感じ?
そうですね。奥さんからはちょっと睨み聞かされましたけど。
じゃあ最初に買った靴がもう意図せずトレランシューズだったと。
そうですね。そこで手にするのが違かったら本当に初めてなかったかもしれないぐらいです。
そうやね。これ山で履く靴なんや。じゃあちょっと山行ってみる?みたいな?
そうですね。
山行ったの?
山に行ってやっぱり登山とかも別にやってた人間じゃないので、そもそもトレランを始めようって思ったんですけど。
トレルランニング自体は知ってたの?そんな連中がいるみたいな。
いや知らないですね。アルトラを調べていく過程でトレランがちょっと出てきたからっていうぐらいでほとんどそれまではむしろ聞いたことないぐらいだったかもしれないですね。
じゃあトレランにちょっと存在して興味を持った?
興味を持ちましたけど、ただ山にいざ行こうって思っても始めた頃が5月じゃないですか。
ちょっともう暑かったじゃないですか。去年も。
虫がそもそも台の苦手なので、家で虫とかが出てこようもんなら家族中で大騒ぎみたいになっちゃうぐらいの家なので。
位置団結するね。
なので一人で虫が多そうな山に繰り出すのは躊躇してて、いつか行こうと思ってたんですけど、その前にまず走る習慣から作って、脳裏にはトレランがあるけど、まずは走りだそうみたいな形で。
そもそも走れねえしなっていうところですね。
5月22までに至るまでにセブントレーズの存在はいつ知ったの?
多分10日前ぐらいだと思いますね。
ゴールデンウィーク開けて走り始めたはいいですけど、
仕事始めがゴールデンウィーク終わって始まって。
走り始めたけどこのままじゃなーって思いながら
昼休みとかの時間とかに調べてて、
ようやくトレランをやってる人たちが福岡にいるっていう感じで
ウェブサイトを見始めたぐらいですね。
うちのホームページ見たの?
見ましたし、あとはフェイスブックにも見つけたんで見て、
確か挨拶をしたのは多分10日前ぐらいだと思うんですよね、グルランに。
そうなんね。
何か挨拶したの?うちに。
しました。
ただ、いいねがつくぐらいで特段リアクションが。
行きますとか言ったの?
単純にこういうもんですっていうよろしくお願いしますぐらいの感じで。
セブントレーズのグループページみたいなやつ?
グループページかな。
セブントレーズRCのページ?
そうそうそう。RCのところに。
なるほどね。そこなんかいろいろみんな参加してくれてるけど放置状態のページね。
違いますよ。4月に見つけてたっぽいです。
本当?
挨拶だけは済ませててって感じですね。
なるほどね。
5月の22日にうちらのグループランニングに初参加したんですよ。わずか22日。
そうですね。
大堀公園5キロ走るのがひしの玉ちゃんが初参加して、なんとその時のコースが、あれはあたご神社だった?
はい。あたご神社でした。
あたご神社コースって今の僕らのグループランニングのコースでは一番最長コースなわけですよ。
大堀から往復15から17ぐらいあるやつのコースね。
よりによって大堀公園周回じゃなくてあたごコースだったんだね。
覚えてる覚えてる。
最初からえらいゼーハー言ってるやつがいるけど大丈夫かって言って。
みんな普通に喋ってるんだけどえらいゼーハーゼーハー言ってるけど頑張ってきてて。
聞いたらランニング始めて1ヶ月とか言ってて、え?とか言って。
でも来たもんね、ちゃんと最後までね。
そうですね。不思議と走れたっていうか。
なんか自分の最長距離ですとか言ってね。
それまで5キロですからね。
5キロの人がグループランニングで15キロ走らされてね。
みんな話しかけてくるからね。話さんといかんしね。
そうですね。ありがたかったんですけどね。
ありがたかったんですけど息も絶え絶えって感じですね。
本当なんかもうあの子来んやろうねとかみんなで言ってたんやけど。
いやもう来んやろうって。
そしたらなんとそこから今に至るまで玉ちゃん無欠席だからね。
最近ですね。どっかで中心になった時1週間ありましたけどそれ以外全部来てますね。
すごい。すごいよ。玉ちゃんの歴史はもうグループランニングの歴史とも言っていいぐらい。
いやーすごいよ。
そのね、しばらく15キロのコースだったやん。
そうなんですよ。
でもだんだん見る見るうちにやっぱり息が上がらなくなってしゃべりだして。
もう今ではだってあたご神社の坂はもう銭湯切って登っていくぐらいになってるから。
いやーこんなになんか進化するって思うけどずっとやったね。
そうですね。
でもやっぱ初回にこうラジオ連も聞き進めてちょうどその頃聞いてた時に
結構距離の話をモーリーさんとかとも含めてしてて。
そこで出てくる数字がとんでもないわけですよ。500だ600だとか。
それで考えると。
ちょうどあの頃はね、ボルケの前やろ?
ボルケの5ですね。
1日10マイル走るんだとか言ってワーワー言ってた時よね。
聞いてた頃はボルケの前だったんですね。収録されてたのが。
そうやってね、上がってる俺らの中に飛び込んできたわけやから5月近辺っていうのは。
なんかよくまた次にまた行こうと思ったね。
散々聞きかかったやろ?一発目は。
一発目は信じられないぐらいでしたけど。
そもそもトレイルランを掲げてる看板にしてるチームは今思ってもあんまないんですよね福岡に。
なのでここで食らいつかないと、まだこの頃山一回も行ってないんですから。
山行きたくて関わったのに、ここで行かなくなったらもう一生山に行けなくなるなっていう感じ。
ここでケツ割るわけにはいかない。
っていう感じですね。
確かに福岡のコミュニティあるんだけど、そうやってオープンでウェルカムみたいな感じで分かりやすいのはなかなかないよね。
いろいろなチームとか仲間はいるんだけどね。
僕らみたいなグループランニングしますよって言ってやってるのはなかなかないもんね。
その当時は、その当時で今でもそうなんだけど、ストライドラボさんがやってるものとかパタゴニアさんがやってたりとかちょこちょこはあるんだけど
ショップがやってるっていう感じで。
最初から15キロはやっぱりきつかっただろうなぁと思ってさ。
きつかったですけど、あ、いけるんだと思ってですね。
今まで最初は15キロでようやっとだったのが、一回越えちゃえばそれ以降は同じ距離までは徐々に強度というか感じる負担が、負荷が減っていくじゃないですか日に日に。
まあ一回できとるけどね。
でも奥さん大丈夫かなと思ったじゃないの。なかなか帰ってこないなって。
そうですね。でも最初から太ってきてることについては、なんていうか、けげんな顔をしていたので。
その意味では。
確かに最初でかかったタンじゃん。今もうシュッとなってるけど。
そういう意味では、まあまあ頑張ればみたいな。
どのぐらいで楽になってきた?ちょっと。
楽には。
でも今は全然さ、全然今は楽でしょ。
そうですね。あのぐらいの距離は大丈夫ですけど。
でもやっぱ2,3ヶ月は、ちょうどその5月に始めてからずっと毎月200は絶対に走ってたんで。
すごいすごい。でも壊れんかったね。
そうですね。
だいたいみんななんかさ、やっぱ最初の1,2ヶ月はさ、楽しみも含めてやりすぎて壊れちゃうんだけど、どうもなかった?
そうですね。あのちょっと練習で西公園のあの坂を、下りをめちゃくちゃダッシュしてしまって、少し足首に違和感を2週間ぐらいみたいなのはありましたけど、全然動かれないみたいな怪我は一回もないですね。
すごいね。故障しなかったのもよかったね。
そうですね。
で、南公園を最初にやりだしたのっていつぐらい?
やっぱ5回ぐらいずっと、ずっとあたこだったんですよね。
距離長ぇなぁと思ったやろ。こんなにグループランニングって走らんといかんの?みたいなさ。
もう出席6回目まであたこ神社だったんで、7回目にようやく南公園になった。
南公園になった。
7回目が大堀でした。大堀ぐるぐる10キロで、8回目の7月10日にようやく南公園。
暑い時期から始めるもんね、南公園はね。
南公園どうやった?最初。
南公園もキツかったですよね。
南公園なんて、俺らでもやっぱり5周走るのキツいんだからさ、ランニング始めて半年待たな人が南公園5周なんて、普通だったら歩くのになって思って。
いやでも歩かんけん、すごいと思ってたのじゃん。
でも全然遅いですね、やっぱり。
いやいや、今は早いよ。俺追いつかんもん、今。
最近行ってないんで、全然だと思いますけど。
いやーすごいわー、こんなに速くなるんやと思って。
友野さんといつも言おったけど、今玉城勝てんねって言って。
でもやっぱり距離短ければ瞬発力でなんとかですけど、今思うとやっぱ長い距離は世界が違いますけどね。
そんな玉ちゃんが初めてのレースは?
は南阿蘇カルデラの18キロですね。
あれは何月?
あれはそれこそ7月の頭ぐらいじゃないですかね。
もうでも2ヶ月でレースってすごいよ。
緊張しましたけどね、かなり。
すごい早いよ。レースなんて、トレーラーのレース。
最初にその靴買ったからトレールランニングを意識したんやけど、普通はマラソン1,2回出てトレールランニングやるとかさ、
ハイキングをずっとやっててトレーラーに行くとかさ、
そういう助走期間っていうのがあるけど、わずか2ヶ月で18キロの南阿蘇カルデラ。
結構舐めてたんですよね、距離だけで行った時に。
確かですけど、そのグルランに混ざる時にはもうエントリーしてたんですよ。
グルランに入る前に、そもそも6月の頭に油山で練習会があるっていうので、そこにもエントリー申し込むからしていて、
同時にカルデラもエントリーが終わってて、
グルランでその15キロ走ったじゃないですか。
トレールまだ行ってないけど、15キロ走れたから、
南阿蘇の18キロも余裕やろって思っちゃったんですよ。山の感覚がないんで。
だから怖いもの知らずというか、全く能天気にエントリーしてましたね。
どうやった?
めっちゃきつかったんですよ。熱かったんですよ。
たまたまEEOさんが同じ距離で出走してたんで、
どんだけきついかっていうのは想像も全くついてなくて、エントリー時点では。
ただその1ヶ月前にもともとグルランに入る前に申し込んでた油山の練習会に行って、
山ヤバいと。この距離の倍ぐらいかって思ってヤバいなぁとか思いながらも、
まだこの頃はいけるっしょって思ってたんですよ。
何キロだったっけ?
油山は西側の林道も含めて荒平の方から登って梅林に降りてくるみたいなコースだったんですけど、
あれはトータルでは15キロぐらいなんですけど、手前にその登り降りの練習だとか、
あとは林道も走ってるんで、そんなにガッツリ登るっていう感じではなかったんですよ。
だから感覚的にはその強度の倍ぐらいだっていうイメージをしてたんで、
うわーとか思いながらも、その頃ってグルランに行くたんび皆さんに、
ヤタマ、タマちゃんすげーよって言われてたんで、勝手に自己肯定感が幕上がりしてたんで。
まあ確かにその成長ぶりがすごかったから、ヤタマちゃんすごいよって、
南麻生、いいところ行くんじゃね?とか言ってね。
ただ、結局時間の感覚とかは全くなくて、間奏だけできればいいやって思ってたんですよ。
ただイオさんに、どれぐらいで走るつもりなの?みたいなことをパッと言われて、
全く考えなかったんで、いやー4時間切れればいいかなって思ってますけどとか言ったら、
いやー3時間ぐらい行けるでしょ?みたいな。
じゃあイオさんどんぐらいなんですか?って、いやー2時間行ければいいかなと思ってて。
時間の感覚がバグるよね。
分からんよね。やっぱね、どのぐらいのペースに自分が落ちるのかも分かんないし、
山登るのって全然分からんよね、何キロでどのぐらい進むのか。
だからまあ、そうなのかな?とか思いながら、まあでもいいっす4時間切れればぐらいで、
初めてそこで目安ができたぐらいで始めたんですけど。
まあ何時間かかろうが興味ないんだよね、今はですね。
とにかく暑いですし、家族も連れて行ってて、ゴール付近に小さいテント張って、
待たせてたんですよ。
なんかそんな感じで、無事に乾燥さえできればいいやぐらいに思ってたんですけど、きつかったですよね。
きつかった。
まあレースになるとね、頑張っちゃうからね、やっぱね。
最初の登りはきつかったです。
どのぐらいかかったの?
結果は3時間22秒。
早かったやん、めちゃめちゃ早いじゃん。
ただそれは結構悔しくて、悔しくてというのは時間の間隔あんまりなくてやってて、
トレイル、その時も時計も安物のGPSウォッチを使ってたんで、
よく分かんないまま走ってたら、一応時計だけは18キロに近づいてきてる。
ちょうどコマ返しの前ぐらい。
あれ、いけるんじゃね?って思ったのが遅かったんで、
いおさんの言う通り3時間切るの頑張ればいけたなっていうところがあるんで、ちょっと悔しかったですね。
まあでも全然早いと思うよ。
たった2ヶ月ぐらいしかまだ走ってないのに、ちゃんと18キロ乾燥して、
そこそこのタイムで来て、そのタマちゃんが18キロの後に、次のレースは?
18キロの後なんだった?
そのサイオートカラーズの前に出た?
いや、ちゃんとしたレースはその次がサイオートですね。
サイオートだよね。サイオートが11月?
そう、11月の頭ですね。
11月の頭。あれが何キロ?
あれが31キロです。
31キロでしょ?
まあまあね、順当に距離を伸ばして、11月だから、5月、6、7、8、9、10、11、ちょうど半年。
いやー、順当に来てるじゃね?
その前にあれです、サーパーですね。
あ、サースパーク100か。それがあるのか。
なんで、サーパーが結構、なんて言うんでしょうね、自分的にも取れらんの厳しさ中かですね、こういうものなのかみたいなのを少し感じるきっかけでしたね。
9月の初旬だよね、一桁の日だったんだけど、暑い中南公園をぐるぐる回って100キロ走ると。
その頃はずっと南公園連ばかりやってたから、5週は走るぐらいのは毎週のようにやっててね。
慣れ親しんでるホームではあるけど、それを15時間から20時間ぐらいかけて100キロ走るっていうのをね。
100キロっていう距離自体も初だしね。
そうです。
そんなランニング始めて半年もならない人が踏めるような距離じゃ普通ないからね、100キロってね。
でもやったね。
ほぼ歩いてましたけどね。
やっぱりさ、あれって走るっていうよりは100キロやり遂げるメンタルだと思うんだよね。
諦めないっていう実績作り、自分の。
あの頃まではやっぱりみんなにタマちゃんタマちゃん言われてたから、根拠なくいけるだろうっていうか、頑張りゃいけんだろうぐらいの感じに思ってましたけど。
俺らみんなタマは止めないだろうって言ってたよ。
そうなんですか。
トモさんと。
あれはよっぽど足張り上がらん限りは止めんじゃね?って言って。
言ったけど、やっぱね、タマちゃん止めるイメージないなっていうのはあったね。
でもマジで止めたくなるぐらい足、足もげそうなぐらい痛かったですから、あの時。
痛いきついはやっぱ当たり前やからね。
ですよね。だからその後にちゃんとしたレースでも同じようにきつさはくるんで。
でもあの時に距離踏むってやばいっていうか、体はこうやって限界を迎えるのかっていうのは思いましたね。
でも動いてるから限界じゃないんだよそれ。
でも最後もう降りれなくなっちゃったんで。
なんかそうやったね。
最後の、あれどんぐらいの最後の。
歩いても降りれないわけでしょ?
歩いてこう足がプランって浮くのが怖くてですね。
上だけ歩いていいですか?って言い出してね。
あれも面白かったねんけどさ、そこまで来たと思って。
びっくりしました。
当然よ。だって初めて数ヶ月の人間が100キロ動き続けるってさ。
普通は半年後のフルマラソンに向けて完走したいぐらいで、マラソンを練習して積み上げていくぐらいの感じなのにまだね、数ヶ月、3,4ヶ月ぐらいで100キロ踏もうとしてるんだからさ。
でもやり遂げたね。
おかげさまでというか、もう2週置きに休みましたからね。
だからその長い距離で自分がどうなるかっていうのをね、分かるための意味もあるって言ったけど、やっぱりね、分かったね。
こんなになるんやって。
逆に他の方々の凄さも同時に分かったんで。
当時はそれこそ熊川をもう睨んでた岩尾さんとかが、確か20キロだか何キロ置きにしか休まないって決めてやってるとかっていうのをスライドしながら聞いて、え、マジっすか?とか。
僕なんて2週置きに行ってますけど。
岩尾くん凄かったね。
凄かったっすね。
全然見なかったですもん。ベースでほぼ見かけなかったんで。
凄かった。
そういうマイルールでやるんだとかですね。
あともっちいさんも、僕が始めたのもせいぜい早かったですけど、さらに9時間前くらいから始めた。
もっちいは100マイルだっけね。
100マイルで昼間の一番暑い時から始めたもんね、もっちいね。
ラジオ連なりグルランなりでこの人たち良い意味で行かれてる人たちだって分かってましたけど、実際に同じイベントで時間共にしたことで、よりこの人たち頭おかしい感じになりました。
人間ここまで行けるんやと。まだまだ俺ら雨やなと。
思いましたね。自信にもなったんですけど、凄さがギャップが広がったなという感じがありますね。
ランニング始めて数ヶ月で見る世界じゃないよね。
その玉ちゃんが今度はサイオートカラーズですよ。
そうですね。この頃ですよね、おそらくぼやき始めて。
ロングレースやりたいなみたいなことがね。
ボルケーノが結構キラキラして見えてたんですよね、100キロ超のレースで。
立った時に、50キロ2本必要なんだみたいな思ってて。
グルランで話しても、あれ別に1本で大丈夫じゃないとか、記録持ってる人たちからすると、別の本数とかってあんまり気にしてなくて、出ようと思えば出られるっていう状態でした。
どんな大会でも出ようと思ったら出られるから、そのエントリー資格なんて気にしたことがないのよね。
だから違うんですって、2本必要なんですって、そうなんだみたいな。
その頃だと大会言われたんですけど、その時点ではまだ速い強度的にみたいな。
エントリーが締め切られてるとかそういうのがあって、どんどん迫ってきてたんですよね。
50キロ出ようと思っても、50キロ出るのにも30キロ超の記録が必要だ。
そうなんよね、それすらも俺ら感覚がなくてさ。
えーって思って、気づいた頃には30キロ超のレースがなくなってるんですよね。
九州もないしね、ないよね。
やばいやばいって思って家族に相談して、広島にあるから旅行がてらいかないかっていうので、無理クリエントリーして。
じゃあみんなで行ったのね。
そうです。
なるほど、それをエントリー完走しないと南麻生に出れない。
出れないです。
そこが不責があったのか、なるほどね。
だから西予都も完走しないといけないんだよ。
そうです。
どうだった、西予都。
西予都もきつかったんですよね。
きつそうだね、あれね。だって広島きついもんだって、パンチがある山が多いけん。
その前情報とかあんまりなくて、そのウェブサイト上のコースマップと工程図。
これは悪い意味ではなく単純に僕が勘違いしてって話なんですけど、その工程図が25キロなんですけど、横型のPDF上で結構引き伸ばされてる工程図なんですよ。
なので、おっきいのひと山越えたらあともう下り基調で、ただフラットで進むだけかなぐらいの感じに思ってたら、本当当日の当日にGPSウォッチで見る工程図だとギュッとなるじゃないですか。
ギュッてね。
様子が違うと。明らかに山が4つあると。
なるほどね。
なので、自分がもともと舐めてて、最初の1本の高い山を越えればOKで、スペック的には油山のピストンってそんな変わらないから、この山越えたら余裕なんだろうって思ってたら、全然勘違いもいいところでびっくりしましたね。
まあね、ドリラン系は工程図に現れない起伏っていうのはあるよね。
相当きつかったですし。
まあでも気づいたやっぱり30何キロって。山走るの。
足の置き場がない斜面みたいなのが、後から石川さんに聞いたら広島ってそういうの多いんだよって言われて、
初めて出会う感じ。
あんまりだって山行かんもんね、ダムちゃんね。
イーモリちょろっと行くぐらいでしょ。あと油山か。
油山はしょっちゅうその頃とかは行けるようになってたんですけど、でも足の踏み間がない登りとかないじゃないですか。絶対あるじゃないですか。ゴツゴツしてて登る。
でも広島のは何もない。真っ平のまま真っ平というか、ただの斜面なんですよね。
ああいうの、くたびれた時に木に寄りかかって休むしかないもんね。
立ち止まっててもふくらはぎが張っちゃって疲れちゃうみたいな感じ。
水噛みとか出たらそんなコースがあるけどね。
そうなんですか。
木に寄りかかって休んでる中、ガンガン抜かれたりして、かなりきつかったですね。
それの過酷さとか、でも楽しいだとか、そういう話が入ってくる量が多かったんで。
ぼんやり憧れがあって、1年ぐらいやっとけできるかなぐらいに、当時それこそ舐めてて思ってるわけですよね。
それが九州で言えばね、アソボルケーノを取れると。
あとはロングで言えば熊川リバイバルというところなんで。
タマちゃんがその時に、来年やるんだったら一番早いのはアソボルケーノかというところで言えば、
エントリーが12月から1月ぐらいであるから、それまでにエントリー資格の50キロを2本取らないといけないというところが現実に見えてからね。
の50キロの1本取るのが一番早くて、南アソかと。
でもその前に30キロ超走っておかないといけないから慌てて西予都やって、なんとか南アソもエントリーできて50キロに挑むわけか。
で、あと1本足りないと。
そうですね。西予都にエントリーする前ぐらいに、たぶんぼやいてたんです、グルーラーの時に。
そしたらなんかぼんやりと、じゃあやろっかーっていうことだけは結構初期に言ってくださってて。
じゃあ俺らが50キロもう1本作らないと、そのボルケノンのエントリーに間に合わないなと。
たぶん他の関東とか関西とかに行けばいいけどなって言うけど、まあなかなか難しいからね。
休暇取ってっていうのは難しいのでということで。
だったらIDRAのポイントにつけばいいんだったら、ホームページはもうFacebookでいいらしいから、
俺ら12とか15人ぐらいでやったらどう?みたいなことをなんかちらちら言うたよね。
そうですね。
言うた言うた。だって最初のコース下見に行ったのが9月ぐらいだったから、森達と。
だからもうその時点では草レースでやろうっていう話はもうやってたんだよ。
だからまあとりあえずタマちゃん、南亜蘇は1本確実に取れよと。
あとはもうどうにか俺らが1本作ってやるからと言ってたんだよね。
まあマジかと思ってですね。
なんだ、発端がそこよ。クセンブクエスト50の発端がプラスの。
そこもなんかあんまりやっぱり始めてから間もないのもあるんで、
そのことの重大さというかとか全く分からずに石川さんがやってくるらしいみたいな。
家族にも話して、あ、そうなの?みたいな。
いやー俺もちょっと軽い気持ちで、タマちゃん50キロ持ってないし、他にも50キロ持ってない奴おるんじゃない?何人かとか言ってね。
声かけたら10人、15人ぐらいでやったらどう?みたいなさ、話だったんだよね。だいたいね。
それがっていう感じで、結果的にはこうなっちゃったんだけど。
いやー本当俺も堂々だったな。9月ぐらいから下見して、中川さんに相談して、巨人化取って。
巨人化取るのも大会のやっぱり2、3ヶ月前からやらないと間に合わないとか言われて、
え、じゃあ今やって最短いつ開催できるって言って、みんなの予定合わせて1月11日だったんだよね。
本当は12月ぐらいにやりたかったんだけど、もう全然その巨人化を取って開催までっていう逆算でもう間に合わなかったんだよね。
最短にしたとしても12月初めぐらいトントン拍子に行って正式に受立されるっていうか発行されるのがそこぐらい。
なのでフライング気味にやればもっと早くやりたいんやけど、もし取れなかった時にみなさんごめんなさいとか言えないから、
余裕見て1月11日。でも1月11日って決めた後に今度は色々と天候とかを調べると、
例年でえらい寒いとか寒波が来てなんか積雪がある時期もあったとかさ、5年分ぐらいの過去の気象情報っていうか記録を見て案外やばいかもみたいなことが分かりだして、
中川さんからもね、凍結したことありますみたいなこと言われて。だんだん色んな問題じゃないけど課題とかがどんどん出て、俺もトレイル走ってるような気分だったね。
登っては下ってみたいなね。
でもそのね、南麻生も何とか完走できて、どうだった?初50km。
毎回本当にレース出るたんびに苦労してるんですよ勝手に。
でもその当日は雨から雨予報で朝が。ただ例年にないぐらい謎にその日だけその週末だけ暖かいっていう変な天気だったんです。
去年だって雪降ってたもんね。
だから12月の20日とかなのに日中は17度とかになるっていう謎の天気だったので不安もあったんですけど、やっぱ斜面が結構濡れてたりとかで結構苦労することもありましたし。
ドロドロになるからね朝はね。
結構暖かくなったのもあって、あんまりこう寒くて走りやすいみたいなの本当に朝一ぐらいで日が上がってから結構暑くなってとかっていうのもあったんで。
50kmの距離どうだった?
予想はしてて、30kmのミドルのコースを走った後に最後におまけにショートのコースを一周走るみたいな順番のコースなんで、その最後の周回が嫌だろうなって思っていて。
で前回ショート出た時もその後半の下りが激下りがすごく苦手だったから、最後にこれだからもう辛いに決まってるって思ってたんで。
その予想がもうまんまと的中して辛かったっていう感じなんで。
やっぱ距離が伸びるとそれに比例するというかむしろ二次曲線的に辛さが増してるなっていう感じは経験したので。
いやー辛かったですね。
タマちゃん普通にグルラン走ってる時とか本当に強くて、なんかアタコ神社とかの坂とかももう全く追いつけないんだけど。
でまあ南公園走って5周走っててもう全然なんかもう俺追いつけなくなってるんだけど。
そのタマちゃんでもロングでねあそこまで潰れるっていうかそこまで速くねえんだと思って。
潰れてますよ。たぶんあの本当サウパと同じような状態というか。
でその50キロの時に初の試みでやったことがあって。
その甲子園里の佐賀の時に清原さんが出られてて。
甲子園里でもう2周目下りも全部足の筋肉全部釣りましたって話したらマグネシウムローションがいいよって言われて。
あっそうなのかと思って安いやつなんですけど買ったんですよ。
でそれを初めてその南アスで使ってみようっていう風に思ってて試したんですよ。
でそしたらあの見事に釣らないんですよ。
釣らないってなってただ釣らないだけで普通に疲労の蓄積はしてるんで。
なるほどね。
釣らないから走れちゃってたんですけど急に限界超えてまたサウパの時の足みたいな感じになっちゃって。
下りがもう痛くて足が置けないんだ。
やっぱり長い距離になると下りがもう持たなくなるんだ。
その長さがもう30キロぐらいが出るの?
30キロぐらいですね。
30キロで出てたら話にならんぞ。
そうなんですよだからもうぴっかり30キロ。
南アスのカルダラで行くと最後の江戸というか関門が厳しいって言われてる江戸のところでちょうど30キロなんですけど。
バタッと来るんだじゃあそこで。
あもう無理かもって。
ここからまた一周あの小島、あの謎の登りをずっと?とかって思ったら結構めまいそうになって。
マジでやめようかなってやめたいって思ったの初めてぐらい。
まあこれ越えないと苦戦分。
やめられんよそれは。
やってくれるってなってるしなーっていうこれまずいなー。
足折れん限りは絶対やめられんよ。
でもこうでも吊らない不思議な状態で。
だから吊るっていうのも必要ななんていうかこう制御というか体の反応として。
そうかもしれんね。
まあいろいろ経験はできたんですけどきつかったはきつかったですね。
だけどこれはちょっと塗んないとするかもと
そろそろという感じで思ってたんで
やっぱそのぐらいがピークで
浜田さんに甘えて
ゆっくりお願いしますって言いながら進んだ感じですね
浜田さん3周目から入ってくれたの?
2周目の終盤ぐらいのロードのあたりで待っててくれて
2周目の帰り
本部に帰るところぐらいから一周やってくれて
本部の手前の上りがちょっといやらしいじゃないですか
そこがね
もう走れんよね
歩くのも長いしね
意外と長いですよ
2周目はやっぱりもともと話してて
3周目出るのが一番辛いよね
なんていう話をしてたのもあって
やっぱり案の定一番きつくて
ラスト1周はどんな時でもパワー出るけど
なんとかやるけど
3周目はもう辞め時っていうかさ
メンタルがね
辞めるんだったらもうここっていう
なんかもう悪魔の囁きがずっと頭の中に来るからね
結果的には4周回れたけど
ペーサーの役割ってどうだった?
ペーサーはマジで助かりますね
もうあるのとないのじゃ全然
ロングレースじゃないとペーサーなんて普通つかないじゃない
なのと
なんだかんだ南アストにしても何にしても
基本的にはそんな知ってる人っていない状態で走ることが多いので
基本一人なんですよねやっぱり
って考えると
ループなのもあって
スライドする時に知ってる人がいるっていうだけでも違いますし
そこにさらにペーサーもいてってなると相当勇気づけられるというか
全然違うと思いますね
あれ多分あの天候で一人でだったら
相当不義だとかもしれないけど辞めててもおかしくない
4周目できなかったと思いますね
すごい感想率だからほぼほぼもう辞めてないから
みんなね
ほんとなんかみんなすごいなって思うのと
やっぱペーサーによる力って大きいんじゃなかったのかなっていう
体とか足とかもあるんでしょうけど
やっぱりなんだかんだメンタルが半分以上占めてんだろうなっていうのは感じましたね
取れるだけじゃなくてやっぱり人間ってメンタルなんだなって思うけど
病気からとかそういう言葉ってあるんですけど
本当だなって思いますね
メンタルだと思う
気持ちがやっぱ体を動かすなって思うね
もちろん病気とかまたちょっと別の話やけど
やっぱり気持ちだなって思うね
その気持ちをどこから持ってくるか支えるかなんだけどね
やっぱり人が一緒に走ってくれるっていうのは一番のやっぱり気持ちの持っていけ方というか
濱田さんとかもすごいポジティブな声掛けめっちゃしてくれるんですよ
濱田いけるよーって
走れてる走れてるってめっちゃ遅いんですよ
めっちゃ遅くてゆっくりなのに走れてる走れてるっていう声掛けしてくれるんで
そうね
あとは前行ってくださって
僕が下り苦手なの分かってるんで
ここ滑るよとかここ滑りやすいよとかっていう
むしろもうナビしてくれてるみたいな感じだったんですよね
だからそれもめっちゃ助かったというか
やっぱありがたかったですね
やっぱそういう声嬉しいよな
そういう時はやっぱ力になるよね
内心では絶対に走れてないけどねっていう心のアンサーもしてるんですけど
でも一人だったらそのネガティブなことしかないから
相殺されずにマイナスマイナスマイナスって積み重なってっちゃうところ
ポジティブでちゃんと相殺してくれてるんで
なるべくニュートラルな感じに保てるっていうだけでも全然違うと思いますね
結構ペイさんも選手を励めしながら走ってること自体も楽しいからね
そうなんですね
楽しい楽しい
やっぱ自分の力でこの人は前に進めてるんじゃないかって思うやん
それはやりがいにもなるし
この人のためになってるんだなっていうのは嬉しいと思うんだよね
やっぱり感想させてあげたいとめちゃめちゃ強く思ってるしね
どんな局面でもどうにかプラスにプラスに気持ちを持っていこうっていう風にするよね
助かりました本当に
特に今回はああいう雪だからああいう環境下だから
お互いの存在っていうのをより普通よりも強く感じたんじゃないかなっていう気がするの
なんで雪なのって俺思ったけど逆に恵まれたのかなってね
改めて思うと思ったの
苦戦分に俺嫌われてるんじゃないかなと思ったけど
逆に俺らは愛されてんじゃねえかなって
そういう見方もできますよね
象徴的な感じになりましたよね
なった
こういう環境下の中でもみんなの思いを強く逆に出させてくれるっていうかさ
それでいてちゃんと開催できてちゃんと終われたから
千歩の山はあれと歓迎してくれたんじゃないかなっていう
今になって思うとね
すごく強い記憶として残ってね
完走できた側からしてもあの過酷な環境で走れたっていう自信にもなってると思うんで