旅行文の魅力
今日は前回言ってた夏目漱石いきますか。今回やるのが夏目漱石の二百十日、旅行文ですね。
長さで言うと前回やった文章に比べると少し多いかなっていうぐらいで、でも1時間かからず読めるぐらいはあるからね。
まあ概ね、一応サクッと読めて、で結構、なんかだいぶ円溜めしてたね結構ね、内容としてもね。
円溜めだなーって感じでしたね。
本筋からそれてる時の寄り道が結構、そこで楽しめたっていうところがありますね。
そうですね。具体的にはどういうところがあったんですかね。
なんか冒頭のところでなんかね、お出かけしようぜって言う前のところでさ、なんか音がしてどうのこうのとかのやり取りが面白かったなーっていうところ。
最初のとこめちゃくちゃ音の描写面白かったよね。結構あそこでなんかその入り込むというか、その風景すんごいなんかね、まあ旅行行ってる感がねちょっと味わえるというかね。
そう、あそこやっぱ風景描写すごい良かったよね。個人的にやっぱ音結構好きだから、ああいうね、なんか遠くからなんかやってる音がするみたいなのね、非常にいい感じでしたね。
あそこ楽しかった。そう。で、それやりつつ、まあ基本は会話劇だから、その序盤でそれが多分導入であって、それ以降は結構会話がメイン。
で、終盤多分山登り始めてからまたその大変な状況を描写するっていうのがメインみたいな感じで、なんか結構そういうところもね、やっぱね、変化がちゃんとつけてて、なんかね、その読む人がちゃんとね、入り込んでその旅してる気分になれるっていうのも楽しめていいですよね。
うーん。そう、熊本なんてもう俺あれだ、23年も行ってないから。
そう、あそ山登りのやつだからね、これ。あと当時あれだね、地図ないから。
ほぼあれだよね、足跡があるかないかとかそういったレベルで言ってる感じが、まあそれは遭難するわなって感じが。
そう、なんか実際遭難した、あの漱石が行ってなんか遭難したところも指示としてあるっていうことで、こうね、あのyoutubeで探すと出てくるね。
うん、やっぱり九州といえばあの葛飾山っていうイメージがね。
ああね、まあ実際うち九州周りだし、まあ地元九州だけど、まあ結構まあまさに熊本だけど、普通にハイフルからね、桜島からね。
そう、あれさ、普通に洗車するとかしてもさ、なんか傷がつくとかさ、いろいろ面倒だよね。
ああ、そうなんだよね。結構ね、そう、水でまたベトってなるしね、そう意外となんか大変そうではあるよね。
そう、1906年の話ですね、これね。
1906年か、ああ、なるほどね。まさにもう120年前か。ああ、わかりますね。面白いですね。
じゃあどうしましょうかね、まあ冒頭のとこからじわじわやっていくかね、とりあえずどうしようか、なんかもしくはもう気になったところからピンポイントでやってもいいけど。
どうですか、気になったところ、あとは。
ああ、なんだろうな、なんかな、結構男の旅行って感じがすごいしたなと思って、なんかね、あのさ、結構その隣で喋ってる、なんだっけ、
コテを取られた、シナイも取られたみたいな、そういうしょうもない話してる奴に対して、なんか、コテとシナイ、シナイとコテっていう、これは後であのね、あだ名みたいな感じですね。
ああ、シナイとコテがいるぞみたいな感じで、ちょっとなんか、そこら辺のなんか、そう、そういうあだ名つけるみたいなところのゲスい感じもなんかね、この男二人の旅行の、まあね、このね、内輪の感じのね、なんかね、そう、そういう感じも含めてね、なんか、
結構ある意味なんかリアルっていうかリアルな感じがしてね、そこら辺なんかね、ああ、ある意味、そう、なんかそういう意味で旅行してるなーって感じはね、非常にして、そう、あとはやっぱ会話劇だよね、基本的には、本当になんか、最初読んでるときはなんか漫才、漫才じゃない、落語に聞いてるような感じがしたからね、まあそれに近いような感じの、うーん、やっぱ会話の、会話の妙っていうのをね、非常に感じましたね、うーん。
そう、なんか俺もさ、そこは会話のところで、こうね、話題がさ、あのー、豆腐屋さんじゃん、あの一人の人は。
はい、豆腐屋の息子で、あれだね、貴族、貴族とか、家族か、家族とかそこら辺に対するちょっとエレなんか、憎しみ感みたいな感じでもあるけど。
そうそうそう、なんかね、だからね、俺もさ、最初の職業がさ、コール業だったからさ、なんか、で、今でもさ、なんか今の方がむしろなんか資本主義ってやーって思ってるところがあるから、なんかすごいね、そこに対するね、こうなんか、100年、120年経ってもこれかよっていうところがすごくね、変わらないなって思ったところがね。
そこら辺は変わってない感じはするね。
まあなんだろう、一旦その戦後に格差が、その中3階級がさ、こうバーって膨らんだことによって、ちょっと縮こまった感じがして、それでこう、今ではもう一回格差が開いてるって感じがするんだけど、結構その、なんか幕末とかに外国人が日本にやってきたりすると、結構格差高いねっていうのは指摘してる人もいたりするんで。
うん、そうするとまあこの辺の120年前とかもやっぱりあれなんだろうな、格差っていうところはこう。
あるし、まあ多分、どうだろうね、これ東風屋の子、あれ、何年引っ掛かってたっけ、いわゆるもう、そう、なんか記憶ついてもないし、そうだよね、東風屋は別に、東風屋やってないよって、東風屋の子でイケ企業やってなくて、なんか今どんな感じなのか今一番わかんないような、そこら辺なんかふわっとしてる印象だったんだけど。
ね。
そう。
そう、そのなんかいわゆる、あのー、反家族というか、カネマシ嫌いっていうところ、結構そこが結構なんかベースとしてじんわりあって、やっぱその最後の方でも結構そこら辺をちょろっと言って最後終わるみたいなところが、そう。
なんか結構なんかテーマとしてあんのかなーって感じがして、なんか単純になんか普通に読めば、旅行行って遭難して助かりましたよ、ふぅみたいな、本当に矢地北的な旅行団みたいな感じもしたんだけども、結構この、その東風屋のキャラのキャラ付けね、ここら辺がなんか、正直なくてもいいじゃんこれ。
文化と表現の考察
謎以上ね、なんかさ、ただ単に旅するだけだったらさ、道草とか草枕とか、結構その宗関の旅の作品ってあるんだけど、これに関して言ったらそこのさ、なんかね資本主義ディズをぶっこんであるところっていうのがね、特徴の一つなんだね。
ぐちぐちぐちぐち。
うん、不思議ね。
だからさ、あれもあれだよね、俺もさ、ガキの頃にさ、自分が職業時になるっていうのが遠い未来の話って思ってた頃にさ、ぼっちゃを読んでさ、田舎で先生やるっていうのが大変でしたよっていう話でさ。
うん、だからその、なんだろうな、やっぱり世の中に対するさーって遠征感みたいなのっていうのは初期の卒業の中で一つのテーマとしてぶっこんできたんだろうなーっていう会社でしたね。
なるほどね、通廷するような空気感みたいな感じだよね、まさにこの作品で言うところのそういうのを入れてるよね。
知能協合省が明治になる過程で制度上は取っ払われましたよと。
うん。
うん。なんだけどじゃあその明治時代ってどういう時代かって、列強っていう諸外国がいてそれに追いつけ追い越せをしなきゃいけなかった時代で。
まあそうだね。
それでじゃあ資本主義で、軍人さんは日頃の鍛錬を頑張ったり技術を開発したりするんだけど、車場にいる人たちは福福共平で豊かになりましょうよと。
まあまあまあそうだね。
じゃあ豊かになるって言うんだったらやっぱりその財務レバレッジってなんかだいぶ前の回に話したけど、やっぱり資本家がさらに資本を大きくしようと思ったときにやっぱ強い噂っていうのが出てるのかな。
まあそうだし、明治時代は特に財閥が引っ張って、むしろ逆に財閥が引っ張らなきゃいけなかった状態っていう感じだったからね。逆に他が入る余地はないだろうねって感じはするよね。
だから本当に今みたいな感じで何もない状態からちょっと事業立ち上げて、いわゆるアイデアだとか技術とかそういったものを抜いてのし上がるっていう感じではあんまないよね。
たぶん。そこはね、たぶんそういったところの家族、金持ちっていうところがあるのかもね。
かつ、宗敵の場合は留学してイギリス見てきて書いてる。
はいはいはい。
物書きしてるもんね。
そこら辺でちょっと今の日本に対してムムムってのがあるのかもね。
こういうとこ回りつつ。それはそれとして、ベースは本当に普通に面白い旅行端なんだよね。まさに話のところで。
ちょっと上げるとすると、最初は本当に普通の外での会話から始まって、そこでキャラ紹介的なもんだとかですね。
たぶん旅の雰囲気の中に読者を浸らせる的な感じがあったんだけど。
そこからは先は風呂入ってだとか、あとは食事どころで、いわゆる休日の女性の人に対する会話ですね。
あそこら辺がキャラがだいぶいい感じのね。
そう、恵比寿とビールの話。それもYouTubeに出てて、その逸話も面白く再現されて。
実際だったか。ビールある?って言ったら、ビールないです。
じゃあ何があるの?って言ったら、恵比寿ならあります。そういう話ね。
あれね、結構面白いよね。
あとなんかキャラがね。
ただね、ここら辺のござりまっせん。このまっせんな感じ。
ここね、まっせんっていう、やっぱ鉛の感じを。ただこの表現。
実際に熊本の言葉かって言われると、いまいちあんま九州な感じのイメージはしないんだけどね。
なんでこういう表現したんだろうなっていうのはちょっと気になる。
確かにひご名前どうなのか知らんけども、いまの熊本の名前ともなんかちょっと違うような感じがして、この表現を。
変わった表現したなと思って。
単純に字面でちょっとなんか面白い感じにしたのかなって感じはしなくもないよね。
三角の矢印の下のビールはござりません。恵比寿ならございますね。
これはもう定番だよね。
まあバッテンはそうなんだけど、ただこのまっすだとかまっせんだとか。
これは別に熊本関係ねえぞっていう。
旅の面白さと苦労
ここはちょっとなんかわざと表現としてなんか面白いにしてんのかなって感じがしたよね。
あんまなんか、この熊本言葉を持ってきたよって感じはしないからね。
方言もえいにしたくてわざと脚色したのかな。
なんかちょっと面白な感じにしたのかなって感じはしなくもないけど。
そこらへんのキャラ好きはいいよね。
半熟なやつを頼んだら2個着て、1つが生で、もう1つが半熟で、合わせて半熟ですよって話。
これなんかトンチみたいなやつね。
やっぱ養殖が世の中に浸透してなかったから半熟っていうコンセンサスがなかったっていうところなのかな。
確かにな。そもそもそんなに半熟でやれるってことはないかもね。それは確かに。
生卵ってどれだけ昔から食べられてきたんだろうっていう気もする。
まあでも、どうだろうね。基本は産んでその日のうちに食べる感じだろうから。普通にニワトリ買ってればね。
なんかASMRそんなに気にすることないから、生のままいってそうな気がするけどね。
そういう意味では半熟っていう文化が出てもおかしくなかったのに、意外となかったかなって感じがするよね。
そこらへんの楽しい話がありつつ、後半は基本山登るってところかな。
山登るんだけどさっき言った通り、灰がひどいと。灰のことヨナって言うんだけどね。ヨナがたくさん降りますからみたいな。
それでだいぶ見通しが悪くて大変でしたよって感じで。ここらへんは本当に普通に登山者って感じだったね。
ここらへんは読んでてどうでした?
ちょっと上の方の賢能っていうところが結構好きだな。この時代の人って賢能って表現が。
あとこの章だけだけど、やっぱり情景描写山登ってるから一定入れなきゃいけなくて、でもやっぱり会話劇は必要だからってところで。
結構リズム感としては一定会話劇を入れといて、その後にガーッと情景描写をまとめて入れるっていう。
これを何回か繰り返してるなっていうのが見てて思ったんだよね。
時代と文化の変遷
一旦やったからまとめてガーッとやって、そっから先はガーッと。
今だったら意外とその途中で細かい情景描写はちょくちょく入れがちだけど、会話パートと情景描写パートを結構はっきり分けてるなっていうのを読んでて思ったよね。
結構あんまり見ないパターンで、でもこれはこれで普通に没入感あって読めるからいいなと思ったね。
で、そっからさっき言った通り地図もないし、灰も降ってるし、他にもあんまり人がいないしってんで。
それは迷うがないっていう感じで迷うと。
そうね、この時代って言ったらね、何もデジタルがなかったからね。
ただあっても印刷されたものしかないっていうね。
そうだよね。大変だったろうなって感じがするよね。
だって今何かどっか出かけようって言って、じゃあちょっと降り立ってきて何か美味しいもの食べたいって言ったら結構あれだもんね、地図アプリで予習できるから何かここ行こうって思えちゃうもんね。
特にガイドブックなくたって。
そこら辺で言うとまさに、ある意味何が出てくるか分かんないっていうところだよね。
そこの辺は多分感覚だいぶ違ってきてるよね。
大はずしか当たりかみたいなのが、本当に飯入るだけでギャンブル感がより強くなるよね。
そこは確かにありますね。
まさに時代の移り変わりってところでさっきで言うと、登り始める前の宿のところで言っても、
なんかそういうね、女中さんとのやりとりっていうところが、ここの土地のこういうやつに入ってみて、カルチャーショックを受けてっていうところにフォーカスしてるよね。
そういう意味では結構ちゃんと旅行の要素は全部抑えてるよね。
まさに入ってその文化の部分はそうだし、いわゆる自然の部分もそうだし、
単純に仲間とのしゃべりだよね。
そのしゃべりの楽しさっていうところもあるし、そういう意味では本当に旅行文としては非常によくできてるなって感じがしたよね。
小説としての深み
で、その上で小説としての山場っていうところで言うと、本当に最後に
ガチで話しますよ。
偉い子ちゃんちゃうよというところなんだよね。
ここら辺も結構リアルと言うが、まさにさっき言ったガチでなっただけのことある。
ここら辺の感じね。おいおいって。
一回そう。で、ちょっと様子見てるって言って先行って、そこでわーって一人が落ちちゃうっていうところだよね。
そこがね、そこからどうしようかってところも結構リアルで、最終的にはまさに
本当にロープ出してのリポピタンだよね。
まさにファイト一発でなんとか登ってくる感じが。
そこら辺本当にエンタメって感じがして非常によかったですね。
そういう意味ではコミコミで非常に面白くて。
いやー楽しめましたね。
いやーそれよかった。
やっぱ上手いね普通にね。
いやそうっすけど。
上手い。
普通にエンタメとしてだいぶ読めるやつでしたね。
ちょっと時間ちょっといかん。意外とちょうど30分くらいか。
じゃあとりあえず約10分くらいかな。
あと何か今語ってないところとか気になったところが何かある?
さっきの資本主義のところが結構うーんっていうところが。
ちょっと裏テーマ感が。
裏テーマ感あるよね。
よかったねー。
たぶんここら辺読み解きしてる人、詳しい人いんだろうね。
うん。っていうところでしたね。
以上です。
ありがとうございます。
じゃあ一旦ちょっと210巻はこんなとこですかね。
じゃあそのとこかな。
あと何かこの卒期投稿以外で何か最近どうですかね。
この読書絡みで言うと。
国際の話を何回かぽつぽつしてるから。
これはメール買いで買ったんでオーディブルじゃない。
結構しかも昔のやつやね。
昔ね。そこまでうんと今だからうんと変わるか。
安倍のミックスがどうのこうの以外はそんなに変わってない。
これは歴史的なやつなのか。
どういうようなアプローチのやつなのこれ。
ちょこっとしか最初読んでないんだけど。
社会主義が危機だよねっていうのに対して
資本主義の危機について語るのは時代錯誤であるねっていうね。
なるほどね。
なんかちょっと面白そうではありますね。
じゃあ5章立てて、1章目が貨幣価値形態論。
2章は交換仮定論。
3章が貨幣警戒論。
4章は強硬論で、最後の5章が危機論。
そもそもお金って何なのかってところをまさに語ったようなところか。
いいですね。非常にお気に入りですね。
結局お金ってもっとすりゃいいじゃんっていう考えの人がいます。
なぜならここ30年っていうのはデフレだったじゃないですか。
デフレっていうのはお金不足だからデフレになるんであって、
それはすらないのはいけないんだよっていうふうに考える人と、
いやいやそうじゃないんだよっていう人がいて、
っていうのが今なんで、まさにデフレに陥っている家庭の中の
90年代後半っていうところに出てきたことと向き合ってると。
了解です。ちょっと面白いですね。
ちゃんと深掘ってる感じの本なんで、また読んだら聞かせてください。
じゃあうちのほうは、うちは結構いろいろ雑多に読んでるんで、
ちょっとあれってここは特に、今取り上げてたとこはないけど、
でもあれだな、これもうちもオーディブじゃないやつで買ったやつで、
よかったのが、読んでない本についてのことだから。
これもともとタイトルがだいぶ強めなやつではあるんだけども、
内容としてはめちゃくちゃ面白くて、
もともとこれ読んだ理由としては、
哲学書というか、千葉雅也さんの勉強の哲学、これを読んでいて、
この中でちょっと出てきたんで、読んでみたところで、
この勉強の哲学自体、勉強の仕方っていうところをそもそも
哲学的にちょっと語ったみたいな本なんだけども、そこの中で出てきたやつで、
そもそも何を読むべきかというところで、
ここの本が参考になるよという感じで紹介されてたと。
この本に関しては、タイトルの通りでして、
読んでない本について何で堂々と書かれるのか、
それがそもそも本当にいいのかっていうところについて書かれてて、
むしろその方がいいですよっていうところを言っていて、
何でかっていうと、基本的な個種としては、
本読んだって言ってたけど、本当に読んでるのかっていう話なんですよね。
通読しましたよと。
じゃあその中について本当に何か語れるのかというとですね、
実際何かふわっとして、理解が浅かったりするかもしれないですし、
そもそも例えば時間が経ったとする。
時間が経ったらほぼほぼ忘れて、一応読んだはずなんだけど、
ぐらいの感じになってる可能性があるみたいなところで、
そう考えると、じゃあ読むって何なのっていうところが結構重要視してきて、
結局読んだって言っても、その本そのものを何か理解したっていうよりは、
自分の中にこれまで学んだことで全部収められているような図書館みたいなのがあって、
そこに何かちょっと新たな情報を付け加えるっていうような行為じゃないのっていうようなところをですね、
この人のところでちょっと言っていて、
そうなってくると必ずしも通読して、その本のフォーマット自体はどうでもいいと。
その本から何を得るかっていうところが結構重要になってくるよっていうところがあるというようになってくるんですね。
なので本読むときも、あともう一点言ってたのが、
そもそもその本読んでる間に他の本読んでないんだから、
必ずしも通読する必要はないんじゃないのっていうところをまた言ってるわけですね。
知識の関係性
それよりはどっちかというと、地の全体体系みたいなところを重要視しましょうみたいなところを言っていて、
結局その知識単体で別に完成してるわけじゃないんだから、
それが結局、哲学が一番わかりやすいけれども、
結局ソクラテスを起点、だいたいソクラテスとあたりを起点にして、
そこからですね、あとはプラトン、
すべてプラトンの注釈であるみたいな話を言うけども、
結局やっぱり前の人が言ってそうに対して、
参考にしつつここは違うよというふうに言ったりだとか、
これを元に拡張したりだとか、みたいなのをひたすら繰り返してるわけなんで、
基本的には関係性によって知識っていうのは成り立ってるんだから、
その全体像をまず把握するというところが重要だよというふうになってくるんで、
その本単体で読んでもそれじゃ完結しないじゃないというところをまず言ってるというところですね。
なのでどちらかというと、
本一冊っていうよりはそれこそ図書館が、
例えば本の目録みたいなところのほうがむしろ重要、
全体像のほうが重要ですよというところを結構言ってて、
そういう意味で全体の関係性とか、そこら辺を読み読むっていうところを重要視してるっていうのは悲しいでした。
読書のアプローチ
みたいな感じで、
そういう意味である意味通読しなくていいんだよという気持ちがちょっと楽になるような、
本ではあるんでですね、非常にこれは良かったですね。
結構読書のアブロシ、結構自分自身が結構乱読に近いような読み方しがちなんでですね、
今は普通に何冊ぐらいかな、普通に200冊ぐらい積んで、
ざっと今読んだり読まなかったりしてるんだけどもですね、
こういう読み方でも意外とアブロシとしては悪くないのかなって感じはするんでですね、
そういう意味では非常に参考になる本でしたね。
てな感じかな。
今思ったのが、結構読書が苦手だよっていう人とか、
社会人になってから読書から離れちゃったよっていう人とかは、
どういうことを心がけたらいいのって言ったときに、
どこでネットに押してた話だから誰が言ったのか覚えてないんだけど、
何冊かあるうちに気が向いたのか手をつけていって、
必ずしも手をつけた1冊目の本を最後まで読むことに
募集する必要はないんだよっていうのは聞いたことで。
そうだよね。あくまでも全体像を知るための入り口でしかないし、
さっき言った通り、その本というところにあまりこだわる必要はないよってことだと思うんで、
そういう意味ではそれでいいんじゃないかなって解説しましたね。
さっきの勉強の哲学のところに戻るけども、
そこでまさに言ってたところとしては、まさに全体像を把握するってところが重要だから、
何か学ぶってなって、特に学問系のやつだね、そこら辺学ぶってなってきたときは、
ちゃんと入門書から入るのがまずいいよっていうところ。
結局入門書って全体網羅して浅く広く学ぶやつだったりするんで、
そこから入るっていうところ、そこからはさらにもう一個深掘っていっているのがいいよ
みたいなところでしたね。
こんなところかな。
あと特になければ時間もちょうどよさそうで終わりますからね。
今日はこんなところで終わりましょうか。
じゃあ大丈夫ですかね。
じゃあ来週は同じような感じで、とりあえず読んでるやつでアップデートあればぐらいな感じにしますか。
では特になければこれで終わりたいと思います。お疲れ様です。
ありがとうございました。