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こんにちは、いわみです。
8月28日の水曜日、いかがお過ごしでしょうか。
ようやく夏休みが終わろうとしていますが、四国ではもうすぐ台風が来るんじゃないかと言われていますけど、
本来であれば今日ぐらいには来ていた予報ですけど、今のところまだ九州の南側にいるんですかね。
予報が正しければ、今日の夜とか明日ぐらいから、だんだん九州から四国から日本列島を縦断していくということになっていますが、
どうなんでしょうね。そんなに予報は当たるのかなと。
僕はいまだに半信半疑だったりするんですが、一応できることはしておきましたね。
自転車を入れる簡易ガレージみたいのが家の外にあるんですけど、それに重しをつけたりとか、
飛んできそうなものを物置にしまったりとか、そんなこと程度ですけどやってきましたね。
それが空振りに終われば終わったでいいのかもしれませんが。
温泉配信ですが、また一週間ぐらい空いたような気がしますが、結局夏休み中は数回しか撮れなかったですね。
これも予想通りですが、今日はまた子どもが楽堂に行って、
本当は今日行く予定じゃなかったんだけど、自分から行きたいって言ってね。
しかも結構遅い時間まで朝1から4時まで行くって言ってね。
友達がいて楽しいってことにようやく気づいた。家にいるよりそれはね、
仕事をしている僕と一緒にいても彼は面白いこと全くないですからね。
たまにちょっと話したりとか遊んだりとか、彼が描いた絵とか工作みたいなのに
ジラッとした感想を言うことはありますけど、基本的にはね、
一人で勝手に遊んでるから、そりゃ退屈だよなって思うんですよね。
それだったら楽堂でね、結構一つの部屋に大人数が集まって、何してるんでしょうね。
暑いから外では遊べないと思うんですけど、本を読んだり勉強したりゲームをしたりするんでしょうけど、
友達がいればたぶん楽しいんでしょうね。だから後半になってたくさん行くようになって、
そのおかげで僕は家で仕事ができたりとか、午後の時間で音声配信をしたりとかできるようになりました。
お互いに健全だなと思いますよね。早く2学期始まらないかなと思いますけど、
たぶんちょうど2学期が始まるぐらいの時に台風が来るかもしれないからね。
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別にいいんですが、今日も今日とてというか、読んでいる本の感想を言ってみたいと思います。
それぐらいしかあんまり話題がないんですよね。ニュースとかについてもあるけど、
興味のあるニュースはあるんですけど、そんなに語りたいことはあまりないというか、
大統領選とか日本の総理大臣とかどうなるかなって興味はありますけど、そんなに語れることはないですよね。
そこまで興味を持って追いかけてるってほどでもないから、結果だけ知れればいいかなぐらいのことで思ってるんで、
それよりは自分で面白そうだなと思って選んだ本を取り上げたほうがたぶん、
しゃべるほうも楽しいし、聞いてるほうもね。
そんなつけ焼き場の政治の感想なんか聞かされるよりも全然いいと思うんで、しゃべってみたいと思います。
それで今読んでいるのは、これ前からちょっと興味があってね。
買うほどじゃないなと思って図書館で予約してたんですけど、
これはね、なぜ働いていると本が読めなくなるのかっていうね、結構ストレートなタイトルで、
これは結構あれですよね、タイトルで気になって買ったりとか読んでいる人は多いんじゃないかなと思いますけど、
たぶんもともとボイシーでブックカフェをやっている荒木さんが紹介していたのをチラッと見たことがあって、
タイトルだけは知ってたんですけど、それで読んでみようと思ったってことですね。
たぶん2023年ぐらい、1年経ったか経ってないぐらいの時に発売された本ですけど、割と人気があるみたいですね。
図書館で予約が溜まってたっていうのもあるけど、
2024年の4月だ、まだ全然経ってないですね。
まだ4ヶ月ぐらいしか経ってないけど、すごいですよこれ。
5月31日、1ヶ月後に第4冊発行だから、これめっちゃ売れてる本ってことですね。
なかなか見たことないですね、2ヶ月ぐらいで、増冊って一部とか二釣りみたいなのもあるけど、
第4釣りがいってるってことは相当売れてるってことですよね。
ちょっとこれだけでもなんて言うんでしょうね、考えさせられるなって思うところはあるんですが、
つまりみんなこの話題に興味があるってことですよね。
なぜ働いていると本が読めなくなるか。
それは裏を返すと、働いている人が自分本読めてないな、
それで結論から言ってしまうと、まだ8割ぐらいしか読んでないんですけど、
この表題であるなぜ働いていると本が読めなくなるのかっていう問いに対して、
ちゃんとした答えが出てるかどうかっていうと、僕の意見としては微妙だなと思いました。
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一応出してるんですよ、そのものの答えというか、問いには答えている形になるけど、
誰しもが予想がつく程度の問いで、
だからといって、別にこの方がつまらないって言ってるわけじゃなくて、
僕はかなり興味深く読んでいるし、もう一回読んでもいいかなって思っているぐらいな本なんですけど、
これはタイトルが強すぎるなというか、タイトル勝ちだなっていうところも半分ぐらいあるなと思っています。
これは読んでいるうちに勘違いが解けたことがあるんですけど、
構成として、最初に始めにと後書きがあって、そのところだけ作者の語り口がすごいライトなんですよ。
たぶんここだけ本人がちゃんと書いてるんじゃないかって思うぐらい、ちょっと疑ってしまうぐらいで、
中身がかなり固い文章で書いていて、
これたぶん書いている人が30代ぐらいの女性の方なんですけど、
三宅花穂さん、文芸評論家、高知県出身らしいですね。
専門は万葉集で博士課程を修了したと。
これね、前文のところに本が読めなすぎてショックだったので仕事を辞めましたみたいな感じで始まっているんですよ。
だからこの問い自体は作者の方が昔から持っていた疑問を読む形でなっているんだけど、
本の真ん中の部分の10で分けると、2から6ぐらいまでの部分は関係ない構成になっているんですよ。
関係ない構成って全く関係なくはないんだけど、どんなものかというと、
日本の読書の歴史みたいなことについて結構長々と書かれていて、
読んでみると結構興味深くはあるんだけど、それが全部終わった後で問いに対する答えがちょっとずつ出てくるという構成になっているんです。
この表題に対する回答というか、それは別にネタバレ等でもないから、
僕は全部読んでない段階での理解でいってしまうと、なぜ読めなくなるのかというと、
基本的には余裕がなくなるからという、そのまんまというか、それ以外ないよなって思う答えなんですけど、
それ以外のところで結構面白いトピックというか視点がいくつかあったので、
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それについて思い出せる限りでちょこちょこと話してみようかなと。
まず何でしょうね、ちょっと順番はバラバラになりますけど、
まずここで面白いなと思ったのが、今読んでいるあたりのところなんですけど、
読書というのは基本的にノイズであるということが書かれていたんですね。
ノイズというのは自分が知りたいもの以外のことも入ってくるという意味で使われていますけど、
だからそういう意味ではインターネットの情報とか、
インターネットは情報だけど読書は情報プラスノイズがある。
それでそのノイズを受け入れられる人が受け入れられなくなっているというか、
働いているとノイズが不要になるというか、ノイズを受容する余裕がなくなるんでしょうね。
ちょっと初めの方に話が戻りますけど、働いているとなぜ本が読めなくなるのか。
働いているという定義がいろいろあると思うんですけど、
たぶんこれは会社勤めをしているとそこに限定できると思いますね。
つまり同じ働いているでも、個人事業とか、もっと言うと経営者みたいな働き方をしていると、
本が読めなくなることは多分ないと思うんですよ。
実際にというか、例えばですね、僕ですけど、
僕は今ね、人生46年間中ね、たぶんこんなに本を読んでいるなってことはないぐらいね、
ちょっと妻に怒られるレベルで本を読んでますね。
それはいいんですけど。
なんでこんなに読むのかなっていうか、読みたいから読んでるわけですけど、
そんなにね、仕事に関係する情報収集っていう意味はほとんどないんですね。
ほんとにほぼ好奇心で読んでるっていう、読みたい本をひたすら読んでるっていう感じなんですけど、
だからね、スマホもほとんど見なくなったし、
パソコンもね、仕事で使うけど、ネットの記事もね、
ニュースとかを追いかけるには見るけど、でも興味のないニュースがない時とか、
もしくはなんかそういう気分じゃないなって思う時、
ほんとに一日全然ネット記事を読まないような時もあるし、
ツイッターも見なくなったっていうのは前々から言ってますけど、
たまにはね、たまに見てザーッと流し読みする時はあるし、
結構疲れてる時にそれを止まらなくなっちゃうとかね、
見た後で時間を無駄にしたなっていうようなことが思う時はあるんですけど、
それで話を戻して、僕が本を読めているっていうね、
だからこの理由がもしわかったら、
人は働いているとなんで本が読めなくなるのかっていう、
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全く反対のところに今僕がいるような、自分ではそう思っているし、
たぶん現実的にそれが起きているわけなので、
比較対象になるんじゃないかなと思ったんです。
僕が本を読めていて、働いていないのかっていうと、
全くそんなことはなくてちゃんと働いているわけですけど、
働き方は変わりましたよね。
会社勤めを辞めて、個人で家で仕事をするようになったっていう。
だからここで一つ論点というか疑問が出てくるのが、
働き方が変わったこと、つまり誰かの組織に属さずに働くようになったことが、
本が読めるようになった原因なのか、それとも出勤をしなくなったこと、
家にいる時間が増えたことが本を読めるようになった原因なのかってね、
ここで2つだけ考えてみても面白いなと思うんですけど、
両方原因にもなっていると思いますけど、
どっちの方が大きいのかなって考えてみたんですよ。
そうすると明確な答えは出てないんですけど、
でも多分消去法的に考えると、最初の出勤がなくなったことじゃなくて、
組織に属していないことの方が大きいなっていう気はするんですよ。
なぜかというと、別に家にいる時間が増えたことは今までにもあったけど、
その時に別に本を率先して読んでいたかなっていうと、そんなこともないから。
それはでもやっぱり仕事の関係もあるかもしれないですよね。
いくら仕事と直接関係ないこととはいえ、文章を書くことが割と比重を占めているようになると、
やっぱりネットの文章よりもちゃんと遂行されて、
編集の入っている文章を読む方が自分のためになるなっていうのは、
本能的にわかっているから、そういうのにたくさん触れていた方がいいよなっていう、
打算的というか、そういう思いは間違いなくありますけど、それだけじゃないなと思うので。
ちょっとまた別の話題というか論点を取り上げてみると、
これも本の最初の方に書かれていたんですけど、漫画の例が出てたんですね。
漫画だったかドラマだったか、漫画原作のドラマだったかちょっと忘れましたけど、
その中で一組のカップルというか男女がいるんですよ。
それで学生時代はそれぞれ漫画とか読書が好きで趣味が合っていたカップルなんだけど、
社会人になって男の方が全然そういうのが読めなくなってしまったっていう場面が描かれていて、
多分それが最初の方に紹介されていたんですよ。
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その気持ちはわかるというか、そういうのあるよなって思ったんですけど、
物語に出てくる男性の主人公というかキャラクターは、
本とか漫画も読めなくなったけど、
でも自己啓発書みたいなのをひたすら読んでいるらしいんですよ。
こういう人も結構いるなと思っていて、
そこから本の作者の人は何を読み解いたかというか何を考えたかという話なんですが、
ノイズのない情報だけを求めるようになった結果、
そういう書かれ方はしていなかったですけど、
そういう捉え方をしているなと僕は読みまして、
そこでもう一つ自己啓発書と同じ傾向のある本として、
片付け本が出ていたのがちょっと面白いなと思ったんですよ。
片付け本というのはコンマリさんとか有名ですけど、
多分流行って一大ジャンルなんでしょうね、片付け本というのは。
片付け本と自己啓発書には共通点があるというふうに言っていて、
それがどんな共通点かというと、
社会と手立てられた自分の世界を整えるための、
自分の世界を分けるための本だみたいなことが書かれていて、
ちょっと面白いなと思ったんですよ、その考え方がね。
つまり片付け本というのはわかりやすいですよね。
自分の自宅をきれいにしたりとか、自分のときめくもので揃えて、
そこで穏やかな時間を過ごすという、会社休みの日とかということでしょうね。
それと自己啓発書がなぜ同じなのかというと、
自己啓発書も多分空間的なものじゃなくて、
精神的な領域で自分のエリアを整えるというか、
そこで満たされるみたいな、そういう読まれ方をしているんじゃないか。
読み方をしている人が多いんじゃないかみたいなことだと思うんですが、
でもその傾向はありますよね。
その傾向はというのは、社会人になって、
社会の組織の構造に取り込まれてしまって、
他に考える余裕がなくなってしまった人が、
何か自分に役立つことをしようと思って、
そこで手に取ったのが自己啓発書であって、
その自己啓発書が基本的に仕事の役に立つのかどうかというのは、
僕には分からないんですけど、
もっと言うと、僕の個人的な感想で言うと、
多分それは実際的な役には全く立たないだろうなというのが、
今のところの僕の感想なんですけど、
それは自分がそういうのをわりと好んで読んでいたときからも思いますけど、
どこからどこまでの自己啓発というのかね、
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それも人によっては分かれると思いますが、
ここで挙げられていたのはメモの魔力だったかな。
前田なんとかさんが書いた有名な本がありますけど、
僕もあれ読んだし、なるほどなって面白いなと思ったけど、
あれをちゃんと真似できる人というのは何人いるんだろうというか、
一回その課題みたいのを取り組んでみること、
それすら100人に1人ぐらいしかできないような気がしますけど、
それを継続的に前田さんと同じレベルでできる人というのは多分いないだろうし、
またこれは成功した人の結果論みたいなことを、
これをやれば俺もうまくいくんだとか、成功できるんだって思うことの安心感というか、
満足度みたいなのがその効果が一番あるんですよね。
その効果だったらほとんど読んでいるほとんどの人に得られるものだから、
自己啓発症の目的というか効果があるとしたら、その部分が一番大きいですね。
読んでいて自分も何者かになれるかもしれないみたいなその高揚感というか、そこですよね。
それでこの本の構造というか構成に戻ってみると、
この日本の読書の歴史みたいなのに触れられているんですけど、
大正時代ぐらいから書かれていて戦前ですよね。
そのぐらいからその読書ブームというのが起き始めたらしいんですよ、日本には。
それでその時にはその階級意識みたいなのがあって、
その労働者、肉体労働者の階級とその上の知的労働というか、
サラリーマン、その時のサラリーマンがどういう仕事をしているのか分かりませんけど、
そういうビジネスパーソン的な人と読む本が変わってきたというか、
そこで階級意識を明確に持つための一つの手段として読書が用いられたみたいな、
ちょっとニュアンスが違いますけど、つまり何が言われていたのかというと、
簡単に言うとその読書はマウンティングの手段になってきたということだと思うんですよ。
マウンティングの手段というのは、俺ってこんな難しい本を読んでいるんだぜっていうね、
ある意味自己満足ですよね。
それはそういう意味で言うと自己啓発書とあまり変わらない読み方をしていると思うんですけど、
教養書とか哲学書みたいなのを読んでいるということが、興味関心というよりも、
こんな難しい本を読んでいる俺すげえみたいなね、
そういう読み方をされている本って結構あるなと思った。
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それを考えると、僕に全くそういう部分がないのかって聞かれたら、
正直に言うと多分あるなと思ったんですよ。
つまり、僕はネットメディアとか動画とかそういうのをね、
漫画はたまに読みますけど、よりも一般書というか読書をするようになったってね、
俺に触れてここでも喋ってますし、たまに発信とかもしているんですけど、
Twitterとかでね、その心の裏に全くマウンティング的な気持ちがないのかって言われると、
発信しているときはそんな気持ちはないけど、今になって振り返ってみると、
全くないかって言われたらね、そんなこと多分ないんじゃないかなと。
別にマウンティングをとっているつもりはないし、そんなマウンティングしたい相手がいないですけど、
でも、自己啓発書とかさっき言ったメモのマルクみたいなのをしか読んでいない人と、
こういう新書とか、もっと哲学書とか、ナシーヴ・ニコラス・タレブとか、その辺を読んでいる自分とね、
やっぱりそういう本を読んでいる方がちょっと偉いんじゃないかみたいな気持ちはなくはないですよね。
別にそれが何の役に立つのかって言われたら、多分何の役にも立ってないんですけど、
だからこれがね、何を言いたいのかというと、この本に書かれていて、
大正時代ぐらいから、階級意識から読む本が変わってきた。階級の高いと思いたいが故に難しい本を読むようになってきたっていうね。
知識とか教養とかいうよりも、読んでいる本によって自分をどう思いたいかみたいな、
そういう要素が読書にあるっていうね、これ結構深い洞察だと思うんですよね。
それで時代が変わってきて、戦後ぐらいに流行った本があるらしくて、
縁本っていうね、シリーズ本が流行った時代があったらしいんですよ。
これ僕知らなかったんですけど、要するに世界の名作集みたいなのが、
同じ背拍子というかハードカバーでずらっと並んでいるセット本みたいなのがあるじゃないですか。
あれがどうやって売られていたのかというと、今でいうサブスク形式みたいので、
月に1冊だけ届いて、それが多分年間契約とか、何年も契約で40冊とか50冊とか60冊ぐらい届くのを、
月払いで契約するみたいな、そういうのがめちゃめちゃ売れたらしいんですよ。
30万セットって売れて、それで印刷会社というか出版社は潤った。
みんなだからそれをこぞってそういうセット本をね、いろんな日本の名作から世界の名作みたいないろんなセットが出るようになった。
それを買うには買ったけど、結局セット本が美しいね、背拍子とか装飾がされているから、
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ほとんどインテリアとしてしか役に立っていなかったケースも結構あるんじゃないか。
これどこかでも聞いたことある話だと思うんですが、あまり話がまとまっていないですけど、
この本を読んで僕が思ったことの大きな一つは、何で読めなくなるのかっていう答えは多分そんなに書かれていないというか、
書かれてはいるけどそれは別に予想通りだなっていうところで、それ以外の部分で、
その読書という行為自体が知識欲とか教養を得たいとか、もっと言うとそれによって豊かになりたいみたいなところ以外の部分で、
自己認識を高めるための読まれ方が歴史のあることなんだっていうのが面白いなと思ったんですね。
でも自分が本をいっぱい読むようになったから言うわけじゃないけど、でもやっぱりそれだけじゃない部分ももちろん読書にはあると思うんですよ。
いろいろありますけど知識欲とかありますけど、でもちゃんと考え込まれた文章に触れることの思考の整い方みたいなのは、
これは一つの大きな要素というか功能だなと思うんですよ、本の読むことのね。
インターネットとかでも文章たくさんありますけど、すごいピンキリだと思うんですよね。
中にはすごい遂行されてうまい文章とか、ちゃんと構成がなされた文章もあるけど、そうじゃないものもいっぱいあるから、
結構それを選んでいい文章だけを摂取するっていうのはなかなかできることじゃないと思うんですよ。
その過程で結構不純物というか、食べ物で言うと添加物が入ったものを取らざるを得ないんだけど、
本を読むことを主食にしていると添加物の少ないものをちゃんと体に取り入れて健やかになれるっていうね。
別に僕は食べ物に関しては添加物取っていいと思ってますけど、それは一つの例えとしてですね、思いました。
最後にというか最初にちょっと言っちゃったことですけど、やっぱその働いているとっていうのにその働き方によるっていうのも一つの発見だなと思ったんですよ。
これは本に書かれていたことじゃなくて、僕が勝手に思ったことですけど、仕事をしていない人が本を読めるわけじゃなくて、
どんな仕事でもしていれば本が読めなくなるわけでもなくて、要するにこの働いているうちの一つの形態として間違いなくその本が読みにくくなるね、
携帯の働き方があるんじゃないかと。この本にはそこまで書かれていないわけだけど、でも総合して考えるとそうなるよなって思ったんですよ。
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どういうことかというと、なんかちょっと言いましたけど、心に余裕がなくなる働き方をしていると本が読めなくなるっていう。
言ってみれば当たり前なんですけど、だからこれは別に働いているとだけじゃないかもしれないですよね。
もしかしたら、例えば今はあんまりいないかもしれないけど、2世帯住宅とか3世帯住宅で主婦をしていて、
シュート目とかにすごくストレスを感じている主婦がいるとするじゃないですか。
その人は別に会社勤めはしていないんだけど、多分本読めないですよね、こういう人ね。どうなんだろう、わかんないですね。
それでも読める人はいるかもしれないけど、それによって本が読めなくなっているとしたら、
そこで起きている、受けているストレスっていうのは会社勤めとあんまり変わらないというか同類のものなんじゃないかなと思ったんですよ。
だからここで言われている働いているとをもっと深掘りというか区分けして取り出してみると、
会社勤めとか意に沿わない人間関係をたくさん持っていると、ノイズって言われてましたけど、
新しい情報に触れたりとか意図しない情報を受け入れて自分の中で咀嚼して身につけていくみたいな余裕がなくなってしまうから、
本から遠ざかってしまうっていうことだと僕は捉えたんですね。
だとすると働いていること自体が問題なんじゃなくて、
多分この本の後半でそれが書かれているっぽいですけど、目次とかを見ると、
労働って日本の労働の仕方に問題があるんじゃないかっていうね、そういう終わり方をする本だと思うんですよ。
最後にずいぶん長くなっちゃったので終わりにしますけど、
本を読めるようにするにはどうしたらいいのか。
働いている人が本を読めるようになるにはどうしたらいいのかって、
結末を読まずに僕が思うことを喋ってみると、やっぱり暇を作ることだなと思ったんですよ。
それは時間的な暇っていうことだけじゃなくて、心の余裕ですよね。
だからストレスを減らすっていうことでもあるし、何もしない時間というか、
あまり情報に埋もれないような時間を作るっていう。
その情報に埋もれてしまうような環境はあるわけですけど、
情報に埋もれてしまうような環境がある中で、
その中で情報の密度が濃いというか、あまりノイズがたくさんあるというか、
そういう本というメディアを手に取るっていうのは、
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ある程度意識的にやらないとできないことだと思うんですよね。
それがいいか悪いかっていうのは別にそれぞれだし、
僕はそういう情報を摂取していきたいなと思ってますけど、
別に全ての人がそれをすればいいとは全然思ってないし、
人それぞれなんですけど、もしそういう情報を摂取したいな、
ネットの情報よりもちゃんと本を読んでいきたいなって思っているのに
それができないとしたら、やっぱりそれは性格とか性質じゃなくて、
多分置かれている環境が問題なわけですよね。
僕は自分の働く環境が変わったことによって、
本が読めるようになったっていうことからも、
結構これは確信というか間違いないんじゃないかなと思いますけど、
それは家にいる時間が増えるっていうことよりも、
不要なストレスというか、多分人間関係だと思うんですけど、
そういう意味染まない人間関係が増えると、
やっぱりそこに読書に意識を傾ける余裕がなくなってしまうっていう、
そういうことなのかなと思いました。
別に結論というか、じゃあどうすればいいのかっていうことは、
そんなに求められていないと思いますけど、
僕の中では結論は出ていますけど、
これを聞いた人が今の長い話を聞いて得られたのかなって思うと、
そんなに得られなかったような気がするんで、
なんかちょっと申し訳ない気はしますけど、
何かしら考えるきっかけになったらいいなと思います。
終わります。
お聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。さようなら。