夏目漱石の作品紹介
この番組は、中学の同級生の40代男性2人が、文学、社会学、経済等について、本で学んだことを魚に放つ雑談番組です。
今日も、あれやっていきましょうかね、というところで、
今回、前回の最後の方で、文学もやりたいね、みたいなところを話していて、その流れで、
サブロにちょうどいいのないの、という感じで、オーディブルにある文学系で、
長さがほどほどに良いやつ、というところで、挙げてもらったのが、夏目漱石の文章というやつですよ、というところですね。
ざっくりとですね、文章って何ぞや、というところを改めて紹介すると、
一応、明治41年だんで、1908年ぐらいに発表されて、キャリア的には大体、
朝日新聞入って、ちょっと先ぐらいで、一応、三四郎の発表する年のぐらいなんで、
前期のいい感じの三部作、出てきる直前のところの、スタートダッシュみたいな感じの作品に位置づけられますよ、というところですね。
あらすじは、あれですけども、文章を買って、なくしちゃいましたよ、という、そういった話ですね。
なんで、どちらかと言うと、個人的には、結構読んでて、まさにエッセイに近いような話だな、というふうに思ってて、
結構、描きたかったところとしては、本当に文章を買うという、これまでにない体験をして、
そこの日々を、ちょっと描きたかったのかな、というような印象でしたね。
とりあえず、アブロ的には、全体としては、読んでみて、どんな感じでした?
文章の技巧とリズム感
人間関係が短編の場合は、唐突人物限られてくるんで、
伏線とかが、背景とか、限られた中で、この人とのこういう関係ってどういうふうに言いたいのかな、とか、
そこをスポットライトが当てやすいところっていうのがね、一つね。
あとは、なつにん小説記の一番最初のブレイクっていうと、
わがハエはネコっていうけど、文語体じゃなくて、
文語体っていうのは、森大会のセクターオブハヤツミハテツに、
歴史的な日本語の使い方で小説を書くように対する語体は、
割と現代に近い形でっていう小説。
それが第一人者っていうわけではないんだけども、明治の中で。
明治の中では、わがハエはネコがブレイクした作品っていうのは、朝日新聞で連載されてるので、
文章を読めない人に文章を読める人が、オーディブル現代で言うとじゃないけど、
語って聞かせるっていうことを想定して、文章を書いてるよっていうところが、
この作品にも大きく反映されてますと。
普通にオーディブルで聞いてて、めちゃくちゃ聞きやすかったね。
リズム感がいいよねっていうところは、現代で言うと、
俺の推しは村上春樹なんだけど。
聞いてて気持ちいい感じはしたね。
そこら辺意識して作ってるなっていうのがあって。
特に、話の中で言うと前半はカウマデのところ。
三重吉っていう児童文化を書いてる人。
その人が取り押しで、買いなさい、買いなさい、みたいな感じで押してきて、
実際に買ってきて、それでカウマデっていうところなんだけども、
結局三重吉が最初話あったんだけども、
全然そこから動きないみたいなターンが結構長くて、
ある意味そこって結構だれるようなところではあるんだけども、
そこら辺は読者の興味を集中力なく切れるようなところだから、
結構そこら辺で文章の話し方というか、
そこら辺をあえて工夫してるなっていうところが結構あって。
文章の書き方、普通にスラスラ書いてるんじゃなくて、
ちょっと技巧的に書いてるなってところがあって、
ちょっと後で見つけたらあれだけど。
結構そんな感じで、リズムじゃないけども、
やっぱりいろいろなテクニック使ってるなってところはちょっと思いましたね。
文章が登場するまでにだいぶ引っ張ってる感じがね。
間があるよね。
わざとらしいんだけど。
文章、実際の期間としても半年ぐらいかな、結構。
経ってるよね。
三重吉っていう登場人物に責任を押し付けているけど、
結構その点は昭和時代まで銀行の営業って、
一生懸命足蹴り通ってくる時があって、
どうしよっかなーって思ってるよって、
それをある時ピタッとやめるんだよね。
それで、あの人どうしたのかなーって、
そういうとこは上手いんだよねっていうところがね。
そこもあるし。
ここの文章だ、ここの文章だ。
三重吉がピタッと来なくなってきたっていうところなんだよね。
ここら辺なんかすごい技巧的だよなっていうところがね。
ここのリズム感。
そこからさらに下が降り始めた、
自分は毎日ガランのような書斎に寒い川を近づけてみたり、
取り乱してみたり、頬杖をついてやめたりして暮らしていた。
戸は二重に締め切った火鉢に住み分かれついている文章はついに忘れた。
まさにここがトントントンって感じで。
ここ読んでて気持ちいいようなところなんだよね。
そこら辺も文章が出てくる前のところで、
結構読み手を飽きさせないようにしつつ、
みたいな感じがすごいして。
リズム感がここは文章一部すごくいいよね。
このトントン、短い文トントントンっていうのは非常に良いっすね。
で、取り乱してみたりってさ、めっちゃ目平ら感満載じゃないですか。
意外ともう気になっちゃってるとかね。
そうなんだよね。
そこの辺も面白いよな結構ね。
ここのリズム感のところはさ、
割と夏目曽月が東京の高田のばばのほう出身っていうところで、
当時だとそんなに今ほど都市じゃないんだけども、
ちょっと江戸っ子に入るか入らないかぐらいの土地であるよと。
そうしたときにやっぱり、
ちゃきちゃきしてるよねっていうところが、
そのリズム感の背景なのかなっていう。
そうだよね、なんかそういう気持ち良さあるよね、本当にね。
やっぱりそういう性格もあるんだろうね、多分ね。
いいですね。
一応話のほうはその後に実際に変わってきますよというところがあって、
最初のほうは結構いろいろ気になって面倒見る感じなんだけど、
多分そのときにやっぱり絵描き方が結構、
文庁自体をすごい女性的に描いてるなっていうところが
ちょっと1点やっぱり気になったなっていう感じがしてて。
なんかすごい文庁の動きもそうだけど、
女性の何か思い出したみたいなところの表現も確かあったような気がするんだけど、
そこら辺は単純にそういうふうな見え方もあったんだろうけども、
そこから最終的に文庁しなしてしまうっていうところも含めて、
そこら辺がテーマ性じゃないけども、
テーマ性と社会的背景
何かすごい文庁の動きとか、
女性の何か思い出したみたいなところの表現も確かあったような気がするんだけども、
テーマ性じゃないけども、
いろいろ何か思ったとこではありますね。
描いてるも決して意図してるわけではないと思うんだけど、
後世では車ってマイカーを持って、
運転技術っていうのは自分の女の扱いが出るよっていうふうに、
現在では言われたりするんだけれど、
今、女性のっていうところを言ってもらったんで、
非常にそれを思い出した感じがありますね。
女性を扱う感じがすごかったね。
そこら辺も最初のほうはすごいケアしてたんだけども、
途中で忘れて、そこから下女の人に任せるようになっちゃって、
最終的にはその下女の人も嫌なの忘れて、
最終的に亡くなっちゃうよってところで、
最後、下女めっちゃ怒るのがね。
お目上げてなかっただろうって。
何やってんだって感じが。
しつつも。
そこはね、かごの掃除してくれたよねっていうところで、
差し出がましいことをしましただけかな。
後半のほう出てくるんでね。
私は、その下女としては、
別途の世話って担当していいんだろうかねっていうところを。
微妙な。
いわゆる主人の人が元々やってたけど、
結構忘れるからちょっとやったらおかしいなと。
仕事ってめっちゃよくあるやつだよね。
誰もやらないから、そもそもこれ自分の担当じゃないんだけど、
いつの間にか自分の担当になってたみたいなね。
そうそうそうそう。
で、最終的にそれやらなかったからって怒られるっていう。
なんでやんねんっていう。
そうそうそうそう。
我々昭和生まれだからねっていうのと、
これまでの喋るやつで、
だいぶね、諸表書きがあって言ってきたけどさ、
なんか結構ね、これから先60になるまでにも、
なんだかなーっていうことはありそうだよね。
まあ、あんだろうね。
そこら辺なんだろうな。
なんかこれが、
総席個人的なもんなのか、
もともとこの時代のいわゆる課長じゃないですか。
ある意味総席ってこの家においてる。
この課長ってこんなもんだったのかなとかね。
そこら辺はちょっと気にはなったけどね。
比較的なんかまだ、
この時代にしては優しい部類の人なのかなと思ってたんだけど。
そこら辺どうなんかね、雰囲気的に。
いまいちね、もはや100年前なんで。
詳細にはわからんけど。
そう、ガバナンスというかね、上下関係の制し方というかね、
そういうとこってね、肌感がね、文学以上につかみにくいところっていうのがありますね。
そう、これが、こんぐらい言うでしょうっていう肌感なのか。
要は自分が死なせてしまったってところを下所に怒りやるせなさでぶつけてしまってんのか。
そこの辺がどういうふうに取りゃいいのかな。
やっぱりね、肝線100年前だとなかなかねって感じだね。
思いましたね。
結構ね、そこはね、分かりづらいというか。
もし社会学であれば、あるいはその文学でもそういう研究をするのかもしれないけど、
結構注目するところですかね。
漱石作品の再読
結構ね、どんぐらいの、いわゆる過不調性と言ってもどんぐらいの雰囲気だったんだろうかってなかなかね。
逆になんかこういう文学が一番伝えるものではあるのかもしれないけどね。
その中にも当然個別のやっぱりグラデーションみたいなところがあるから。
それを背負うときがどんぐらいの感じだったんだろうなっていうのはちょっと気になりましたね。
あとは、あとなんか全体のどこでもいいけど気になったところはあるかな。
あとなんだろうね。
あとそう、なんとなく見てて思ったのが、やっぱりちょっとなんか、
ソウセキが自分に対してはなんとなく自虐的な感じで描きがちというか、
まあそれこそ朝起きれながらいいみたいなところを結構、
ちょっと自虐的な感じで語ってたりだとかっていうところが、
まあなんかそういう癖なんだろうね。
やっぱりそういうアイロニカルなところがちょっとあるのかなっていうところ。
もしくはさっき言ったメンヘラ的な感じのノリがなんかあるのかなって気がしたけどね。
メンヘラっていうのとつながってるけど、
生き物を飼うときに豆に飼える人とズブロアな人っていうのは多分この時代も今もいると思う。
まあそれはそうですね。
自分がズブロアだって思ったときに、
それをこう自覚しなきゃいけなかったっていうのが、
飼ってたりか。
自分がズブロアだって思ったときに、
自覚しなきゃいけなかったっていうのが飼ってたりか、
そっこ死んじゃったよっていうところだったと思うんで。
なんかね、それをね、
責任を当たり散らしやすいところに当たり散らしてるところっていうところがね、
非常に朝墓っちゃ朝墓なんだけど、
でもね、
ズブロアな人っていうのはズブアにしか生きられないことを気にしてるよねっていうところもある。
いや、それはあるなと思ったね。
結構いわゆる、
作家としてはだいぶ成功はしてる部類なんだけども、
もともと社会人に結構向いてない人なんだなっていう雰囲気はない。
そうそう。だからね、実際そこが描かれてるとこが坊ちゃんだったりするからね。
なるほどね。
だから夏目漱石の作品の中でも、
その点を非常に面白く思って、
一番坊ちゃんが好きですって言ってる人はいるね。
なるほどね。
そう、そういう意味での、
例えばこことか、
自分に対してちょっと下げて描いてるところだと、
こことかね、
一日寂しいペンを音を弾いて暮らしたみたいな感じとかね、
ここら辺もなんかね、
なんだろうな、あんまなんか自分やってることに対してのね、
自信があんまないようなところもありつつ、
そうですね、フィナックスはまた怠けたとこで、
こういうのは結構多いよね。
面白いね。
そう、こういうモードに入っちゃうとさ、
自分の仕事も進まないだけじゃなくてさ、
そういうね、
ペットの世話とか、他のところにも目が行かないし、
アウトプットできないんだよね。
そうだよね。
逆に世話することでちょっと上げるっていうタイプの人と、
それも含めてできなくなっちゃうよっていうところで、
まあ多分後者に近いんだったのだろうなというところがありつつも、
まあね、
まあなかなか、
まあでも結構そうだね、
話としてはまさにそんな感じですね。
まあでもよくよく考えたら結構、
まあ自分のことゴリゴリ書いてるなって感じはして、
そういう意味ではだいぶエッセイとしてはなんか、
すごいさらけ出してる感はだいぶあったけど、
まあどの程度脚色してるのか知らんけども、
ただこれそんなに脚色するとこないよなと思うと、
結構そのまま書いてるのかなって感じは、
なんか印象としては受けたよね。
うーん、
そうね、
もうちょっと超短編の夢じゅうやとかを、
主題に上げていったりとかすると、
うん。
すごくフィクションだなっていう世界観を語ってるところが。
自己表現の難しさ
まあ夢じゅうやはそうだね、
ゴリゴリフィクション。
ねえ、
これに関してはもっとボリュームがあって、
詩小説に近い感じになってるね。
うーん、
だいぶ出してるなって感じはするね。
うーん。
結構ね、
個人的になんか昔の人で詩小説で言ったら、
志賀直屋とか結構、
志賀直屋とかまさに詩小説しか書けない人だっていう風に思ってるんだけど。
そうそう。
エッセイ人なんだよな。
そう、
なんかそれにちょっと近いなっていうのはなんか読んでてね、
うわあ、逆に、
そう、
そう、
ある意味の生々しさもありつつって感じで。
まあ志賀直屋は本当に温度感伝わるレベルの生々しさだからちょっとあれだけど、
まあそれに比べるとあれだけど、
まあまあでも、
そう、
夏目漱石の父は確かに、
そう、だいぶプライベートさらけ出してる文章だなと思って、
結構その意味では面白く読めたね。
うん。
いいですね。
いいですね。
ところがね、
いやいいですね文学ね、
結構やっぱり比較的なんか短めではあったけども、
そう、
意外となんかね、
ちゃんとやっぱ、
何だろうな、
話そうと思って読むとやっぱりね、
ちょっとちゃんと読まなきゃなっていうところがあってね、
そう、いろいろね思いながら読んだから、
非常に個人的には結構楽しめましたね。
はい。
そうですね。
そう、なんか読む、
あるいは聞くのスピードっていうのがさ、
非常にその、
何だろう、
飛ばせるだけ飛ばして読むっていう読み方もあるし、
うん。
で、こう一文一文味わって読んで、
なんか1ヶ月経ってもこんだけ人が進んでないのか、
文学と人生経験のリンク
うふふふ。
読み方もあるし、
うん。
そう、すごくね、
そこはどんだけのスピード感を持って読んでいくのがね、
いいのかなっていうのがね、
非常に悩むとこですね。
悩むね。
そこだね。
まあどっちも楽しんでるって言ったら楽しんでるから、
まあ言えばいいんだろうけどね。
うん。
まあただ、あのあれだな、
若い頃1回読んで、
それを寝かしといて、
なんか10年、20年経ってから読むっていうことをするっていうのはね、
非常に、
そこがいいよねって言ってる人は結構多い気はするかな。
ああ、そうだろうね。
ある意味、
身体化された状態で、
改めて読んでみたときに、
そのなんとなくイメージしてた、
その全体像というか、
そういうイメージだったなってところの違いだとか、
まあ当時読めてなかった、
よりなんかディティールというか、
まあ単純に若くて分からなかったところが含めて見えてくるのが、
まあ面白かったりするからね。
まあその意味ではこういうの文学で面白いよね。
うん。
そう、なんか音楽もそうだけどさ、
音楽や文学自体は、
その変わらないんだけど、
結局ね、10年、20年経っちゃうと、
自分自身のほうが変わっちゃってるからね。
まあそうだよね。
まあ基本的にまあこの文学とかそういうの、
音楽だけじゃなくて、
やっぱりその作品と、
そのまあその鑑賞者の相互作用だからね。
まあそれはね、
そう、こっち側が変わればね、
当然変わってくるよねってところで、
まあそういう意味ではね、
非常に面白いですね。
うん。
そういう意味では本当にまさに、
サブローが、
雪国をなんかめちゃくちゃなんか時間かけて読んでたけども、
まさにね、
一つの作品だけでも結構ね、
いろいろ楽しもうと思えば、
いくらでも楽しめるってことだろうね。
そうですね。
ありましたね、雪国ね。
いや、めっちゃ読んでたよね。
最近遠ざかっちゃったけど。
いいですね。
うん。
そう、しかもね、やっぱりね、
その創石文学よりもね、
あの川端文学だったりとかね、
駄遂文学だったりとかのほうが、
一文が長いからね、
あのよく大学入試の英文で出てくるような、
ピリオドまでが非常に長くて、
何言ってるのかよくわからなくなるやつ。
ああ、なるほどね。
じっくり読まないとってことね。
はいはいはいはい。
なるほどね。
雪国もこの間言った指のところってさ、
あのなんだっけ、
昔会いに行った姉ちゃんの匂いのところを、
指で言ってるのと、
じゃあその指で持って、
じゃあ電車のガラスが曇ったからっていうんで、
指でなぞってみたよっていうところと、
じゃあなぞったところに反射して、
電車に乗ってる別のお姉ちゃん出てきたよっていうところと、
確かくついてんだよね。
ああ、じゃあ本当に、
まさに日本語の曖昧さをうまく使って、
そこら辺をやんわり、
本当に何か混ぜ合わせたような感じの文章なんだね。
そう。
創設機能の方に戻ってみると、
やっぱりイギリスに留学してることもあって、
今映ってるところで言うと、
見栄知和とかさ、
主語をはっきりさせてるところが非常に、
確かに。
多いかな。
確かにね。
結構簡潔だし、あと1文短いよね。
そうだね。
そうなんだよね。
漱石の再発見
確かに、そういう意味では結構大衆文学的なイメージあるのは、
やっぱりそういう読みやすさも結構影響してるんだろうね。
うん。
面白いですね。
俺も多分、だから中学の時にバカハヤネを読んだ時に、
こんなリズム感と、
それからちょっと笑いをぶっ込んできてるところがなかったら、
漢字得意になったりとか、
文学的にやってるとかなかったんで、
非常に文学の世界沼に誘ってくれたのが創設。
そうだね。
入り口としての創設ですね。
うん。
そろそろ時間だけども、
一旦ちょっと文章に関してはそんなところかな。
じゃあそれ以外のところで、
ここ最近読んだやつとか、
フワッとでもいいけど、
ザックリ、もしくは今読んでるやつとか、
なんかある?
他は210話っていう、
阿蘇山に登る話、
これも中編、短編ぐらいの、
そんなに長くないですね。
へー。
あんまり意識してなかったんだけども、
うん。
これじゃないよね。
これでも違うよね。
山に登るやつ。
一回調べたんだけど違ったやつ。
違ってた。
これこれで普通に読んじゃったんだけど。
あ、そうだった。
これはね、本当に児童文学というか、
あれだね、小学校6年生っていう、
本当に子どもが読む用の雑誌用の、
ちょっとした小説って感じで、
普通に夏休みの思い出みたいなやつだったね。
ふふふ。
そうなんだ、210話が、
これも創設系のやつ?
うん、創設系で。
あー。
あれだね、210話って9月1日ぐらいのことなんだね。
そうそうそう。
一瞬からの、
このワードももはや使わなすぎて全然知らなかったけど。
そう、なんか、
これもう一回読み直してみてやっと、
これってどういう意味なのかっていうのをね、
調べてみて、
ちょうどね、
今新暦だとね、
関東大震災の日なんで。
ふんふんふんふん。
なるほどね。
結構会話劇じゃないけど、
めちゃくちゃセリフだね。
あ、そっか、セリフ本理か。
そう、なんか、ここは割と全長よりも、
2人の登場人物の掛け合いっていうところが、
ずっとついていく感じね。
うーん、じゃあある意味落語じゃないけども、
落語的というか乱能米的というか、
どういうふうに言うかとはまったく。
うーん。
なるほどね。
ある意味読みやすさという意味では同じだけど。
言ったことないから、
これでちょっとタブしてる感じ。
えー、いいですね。
ちょっとこれこれでまた読んでみますかね。
はい、ぜひぜひ。
うん、ちょっと文章よりは長いんだけど、
読んでみてほしいです。
あ、ですね。
じゃあこれこれでまた読んでおきます。
どこかな。
ちょうど時間っぽいんで、
一旦こんなところですかね。
現代の文学について
はい。
じゃあ次回はこれに話してもいいし、
それ以外のやつでもいいしって感じにしますか。
はい。
あとはまあこれはね、
うーん、何だろう。
うーん、
前さ、
本当にその、
お札ってバカすかすってさ、
大丈夫なのっていうことが議論されてるよね、
みたいなことを。
はいはい。
ちょっと聞いてるんだけど、
なんか目鱗になったことがね、あった。
国際の話でどの子のみたいな話だっけ。
はいはいはい。
そうそうそうそう。
で、それで、
あとデフォルトってしてる国があるっていうのが一つと、
うん。
それから、
公的にはデフォルトってしてないですよって、
表現してるのはいいんだけど、
でもその発行通貨の価値が、
あまりにも下がり続けていて、
まあまあ。
それで、
よその国の資源を買ってくるのに
非常に難優してるよっていう国が、
うん。
あるよね。
トルコとかヤンワリ、
そんな感じになってたりある感じですけど。
ね、なりつつあるよね。
なんか、
そんなのが、
過去100年だけ見てもあるんで、
そっか、やっぱりあれなんだよね。
そこが、
お金を刷り続けるところの、
っていったところで、
意識しなきゃいけないところなんだね、
っていうことが、
ちょっと分かってきたっていう感じでした。
なるほど、ぜひぜひ。
今日は時間はあんまないけども、
じゃあちょっとそこら辺も含めて、
またアップデートしたら、
聞かせてくださいませ。
そうだね。
じゃあ、
一旦今日はこれで終わりますか。
一応ね、これね、
あと1分以内に多分、
ログが終了しないと勝手に切れちゃうから。
あ、そうなんだ。
これね、40分までしか多分できないよ。
だからね、一応逆に言えばそこを意識すれば、
まあメリハリがつくというかですね、
まあそんな感じで。
なるほど。
じゃあ今日はこれで終わりたいと思います。
はい、お疲れ様です。
バイバイ。