1. 35歳、右に行くか左に行くかAge 35 Which Way To Go?
  2. #273- 家族のこと、受け入れる..
#273- 家族のこと、受け入れる難しさ
2026-08-30 1:00:33

#273- 家族のこと、受け入れる難しさ

まさかこんな難題が35歳以降の人生に待ち構えていたとは。


これまでのエピソードで話してきたような大変さはあるけど未来や成長に向かう子育てやパートナーシップは違って、老いや死、過去の遺恨やしがらみとも時に向き合い、折り合いをつけながらやり過ごすこともあるのが、親や実家問題🏠


いやー難しい。今まで出てきたどんな問題よりも難しい。


必ずしも綺麗でハッピーでポジティブにはいかない実家問題。

皆さんどう向き合っています?

どう折り合いをつけながら生きています?


先輩世代の皆さん、ご家族の病気や介護、また関係性の問題に直面・経験されている皆さん、経験談や私はこうしてるよ!みたいなコメント・アドバイス、お待ちしています🙏


「私はこうだったよ」や「2人のこんな話を聞いてみたい」などご意見がありましたら、以下のリンク内のGoogleフォームからご連絡お待ちしています📩

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#実家問題 #家族の病気 #乳癌 #受け入れ方 #急に具合が悪くなる

感想

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サマリー

このエピソードでは、35歳を過ぎてから直面する家族、特に親に関する問題の難しさについて、パーソナリティのマキとナイちゃんが自身の経験を語ります。マキは、母親の持病の再発、妹の体調不良、そして母親自身の乳がん発覚という複数の困難が重なる状況を詳細に共有します。特に、母親が治療を拒否し始め、家族だけでは対応が難しくなったため、行政サービスの介入を求めた経緯が語られます。また、父親と妹の間のコミュニケーションの難しさや、自身も子育てや仕事で手一杯な中で家族の問題にどう向き合うか葛藤する様子が描かれます。ナイちゃんは、マキの話を聞きながら、自身のパートナーの経験も交え、「受け入れる」ことの難しさや、家族以外に相談できる第三者の重要性について考察します。最終的に、この複雑な問題に対して、まだ明確な解決策は見出せていないものの、行政サービスの支援や友人との繋がり、そして「受け入れる」というプロセスを模索していく姿勢が示されます。

家族の問題に向き合う決意
35歳、右に行くか、左に行くか。 駐在大道でアメリカに来たワーキングマザーのマキ、社会科学系の研究者でパートナーと二人暮らしのナイちゃん。
10代で出会ったマキとナイちゃんが、ライフステージの変化を感じた35歳から始めたポッドキャストです。キャリア、家族、パートナーとの関係など、知的でオープンな近況報告をしています。
未来の私たちが笑って聞ける、酒のつまみにすることを目指した、私たち自身のライフログです。
ポッドキャストを始めたときから、これは起こっている。
私も昨日、同じこと全く同じこと考えてて。だから、ある意味、タイミングがいいというか、このポッドキャストを通じて、ナイちゃんといろいろ今後、35以降の人生を記録していくということにあたっての、
もしかしたら、ある意味、神様がくれたネタなのかな?そういう捉え方もできるなと思ったのと、あと本当、ちょっと避けてたのは、何の話かというと、私の家族の話なんですよね。
よく聞いてくださってるおしゃべりスターの方は、ちょこちょこ、ポンポンポンって出てきてるけど、具体的には話さないっていうので、もしかしたらお気づきの方もいるかもしれないけど、私としては、リスナーさん信じてるよっていう感じのエピソードでもございます。
いやもう本当にそうだし、あとは、何かいろいろ考えて、何でこのタイミングで話そうかなと思ったのは、この家族の話って多分きっと皆さんも違う形、シチュエーション、それこそナイちゃんの家族の話とかもね、ちょいちょい出たりとかオフラインでもしてるけれども、
何らか皆さん、家族との問題もオールハッピーですっているかもしれないけど、何らかやっぱり問題というか、いろいろ難しいことあるよねっていうのは、抱えてる方がたくさんいらっしゃるんじゃないかなっていうふうにも思ったし、
あとは特に家族の中で、私たちの親にあたる人たちっていうのは、これから長生きする方もいるし、まだまだ現役でバリバリ働いてる人も多分いると思うけれども、病気とか、やっぱりストレートに言うと死に向かっていくことで、
今まで自分が経験したことないような感情とかを親とか家族に対して、実家に対して最近この4年間くらい特にいろんなことが起きて思うことがあって、私たちのリスナーさんって、私たち同世代ちょっと下もいれば結構上の先輩方もいらっしゃるので、
なんかそういう自分では解決できないでも大切な人の、しかも子育てとか、家族の話だけれども、子育てとかって一応成長が見えるような家族の話、希望とか成長の方に向かうっていうよりかは置いてく親とかものに対して、どう自分の心を整理して、かつ自分は自分で人生を生きていかなきゃいけないから、
そこの折り合いのつけ方を、みなさんどうやってうまくやられてるのかなっていう、うまくなくてもいいんだけどやられてるのかなっていうのがすごく気になったし、
もう何より、私のこのマインドシェアというか、私のこの今のマキの相当部分を占めてるこの話をしないと、なんかこの放送で流してることが、なんていうか、どっか透かしてる感が出ちゃうというかね、自分的にすっきりしないのよ。
だからやっぱり、どこまで詳細に話すかっていうのは、話さない部分もあるんですけど、話せる限り、ここで自分の記録としてもそうだし、マナイちゃんとしてもとの話の中でもそうだし、やっぱりリスナーさんとも共有して、みなさんも一緒にやっていきましょうじゃないけど、みなさんどうやってます?みたいなところもお伺いしたいなと思い、ちょっと話すことを決意しました。
そうだね、あくまでも今回のこの話はマキから見た視点というか、マキのケースっていうことなので、別にそれがこう、我々は一般的にそれはこうだよねとか、そういうことを言いたいわけじゃないし、あくまでもストーリーシェアというか、まあいろんなね、マキの側面があるんですよっていうことを、私も知ってほしい、常にさ、だって連絡取ってて、もうホットトピックじゃん、いつもあれあれの中で、
その話って、そのマキの家族の話って、だけどやっぱりこの2人でずっとこう築き上げてきたポッドキャストの中では、実際1回もちゃんと話したことはないし、やっぱりそれを話すことで、我々の、わからないですけどおしゃべリスナーさんから見たときの我々のイメージみたいなのをもうちょっと多面的になってくれたら、より近づけたらいいなみたいなね。
そうですね、そして本当にみなさんどうやってんだろうみたいなところもね、本当に聞きたいなというふうに思ってます。
で、ちょっとね、どこからどう話そうかなっていう話もあるんですけど、
いや、難しいんだよね、これね。
母親の持病と妹の体調不良
いろいろちょっと歴史がありすぎて、で、まあただちょっとやっぱりこの話に絡んでくるのが、まあまずうちの母の病気なんですよね。
で、ちょっとそっから話をすると、まあうちの母、今何歳なんだろう、60…いってないかなまだ、きりいってないかな。
あ、若いんだ。
結構若い、父親と6歳ぐらい離れててみたいな。
で、あ、いってるかなさすがに、ごめんごめん。
ちょっとね、そこの辺正確に把握してないんですけど、まあ60代前後なんですよね。
で、えっと、まあ60でさすがにいってるかも、たぶん。
で、60代、60何歳とかです、たぶん。
で、が、まあ私が、あの、まあもっとさらに話すと、まあ、あの、ここでも話してる通り、うちの両親共に中国人で、まあ日本から、日本に、私が2歳の時に来て、まあそっからちょっとね、あの、中国に、あの、単発で帰ることはあって、基本のベースは日本で、まあしかも日本に帰化をしてっていう経緯がありますと。
で、特にうちの母の性格的に、えっと、すごくあんまり、まあそれ中国に出た時からそうなんだけど、社交的じゃない。
で、だけどすごく責任感が強くて我慢強い。
で、えっと、で、日本に来てからは基本的に専業主婦、ちょっと働いた時期もあったけど、基本専業主婦で父親がもう本当に24時間働きます、でもう働いて、家のことを母親がやると。
で、過去回でもなんだっけ、なんかその、私が異国に来て子育てをして母のことを思うみたいな回もあった通り、なんか母もやっぱりその、すごくやっぱり異国でいろいろ大変な、あの、思いもしながら子育てを頑張ってくれて、すごくそれに感謝してるし、まあ特にうちの父親、本当昭和型だから、なんかこう、うまくあんまり話せないみたいなのもあって、子供たちとね、すぐ喧嘩になったりとか怒って怖いみたいなのあったから、なんでもその母親に話すみたいな、
こう関係性で、私と妹二人とも、母とはすごく仲良かったんですよね。で、母もこう、子育てにコミット100%みたいな感じで来て、で、ところが、ところがというか、一つ転勤になったのが、私がまあ就職をして、就職するまでずっと実家だったんですよ、大学も含めて、ね、で、なんだけど就職して関西に行くってことになって、そこで初めて、まあ妹と、当時父親も海外になんか転勤してて、
あー、そっかそっか。
そうそうそう、だから妹と母親二人っきりの状態になって、で、妹と私も6歳、5、6歳離れてるから大学生とかで、で、そんなこうまだ学生の妹と二人っきりみたいな状態になって、で、それは私が多分2年目とかの時かな、新卒で入ってから関西に行って、で、ある日妹から連絡が来て、なんかお母さんの様子がおかしいということで、
で、えっと、そのタイミングで急いで実家に帰ったら、ちょっとやっぱり様子もおかしくて、で、そっから病院とか入院とかもして、ちょっとやっぱり、あの、そこから一つこう、持病というかが、もう今から遡ること15年とか前だよね、に、が発生したんですよ、で、その病気の、まあちょっと具体的な名前は言わないんですけれども、あの、やっぱり一度かかったら治らない病気、
で、で、こう、なんか外症がある病気というよりかは、どちらかというとメンタルとか脳とかそっちの病気なので、えっと、ただ、まあ、あの薬を飲んでコントロールをすれば、あの、普通に生活はできるし、何かこう、すぐ死に直結するような病気ではないけど、えっと、やっぱりこう、ちょっとケアが必要な、私薬とか病院定期的に行かなきゃいけないっていうような、その、まず病気にかかったというような、
の一つあるんですよ。で、ただその後、えっと、まあ入院したりとか、で、やっぱりその後も定期的にこの病気がちょっとその発症することがあって、で、それもあって、父親もやっぱり海外でずっと仕事を続けてると、で、妹もその後こう就職したりとか、あの、なかなかずっと母親のケア、私も含めてできないから、私もでもその時も一瞬考えて、もうなんかちょっとやっぱり母親の近くにいた方がいいかなとかもいろいろね、
結構その時衝撃を走ったのよ、私たちの方に対して。 そうだよね。
そうそうそう。 えーってなって、その時私たぶん連絡もらってて、そうそうそうそうそう、どうしようどうしようみたいな感じで、でもまあ、あの、関西圏にいたからすぐ実家に帰って、みたいな感じだったじゃん。そうそうそうそう。だから、私も聞いて、えーみたいな感じだったから。
そうなのよ。で、その後、まああと、ね、あの、母親の家族、親族はまだ中国にいるから、中国にもしばらく行ったりとかして、まあいろんな形で家族に囲まれて、まあ療養することで落ち着いたんだけど、で、やっぱり一旦落ち着いてもその病気の本当に難しいところが、やっぱりまたこう再発、どっかのタイミングで。そうそう、繰り返すんだよね。
そう、で、それがこうなかなか読めないこっちもっていうのもあって、で、かつ、あとその病気で大事なのは薬とか病院でのコントロールなんだけれども、うちの母親が、まあ薬嫌いなんですよ。まあ薬嫌いな人ね、あの、いると思うんですけども、本当に薬嫌いでなるべくこう飲みたくないみたいなのがあって。
いや、なんかそこら辺はこう、なんかね、ネガ中国人気質なところありそうだよね。そう、なんか東洋医学とかなんか料理とか水とかそっちのほうがすごい信じるけど、信じやすいというか取り入れやすいけど、西洋のさ、医学みたいなのはさ、ちょっと気嫌いする、まあそれは日本人の多分こう年齢が上の方も多分近い方はいると思うけど、なんかそういうのはすごい、ああ、なるほどなって思うけどね。でもその中でも特にね、薬がね、嫌いなんだよね。
そうなんですよ。だからまあそれで、それが相まってやっぱりちょっと飲み忘れとか飲まないとかね、いう風になってまた再発するみたいなことが、まあちょいちょいもあって、まあそのために私もすごく動揺して、ああ、あの、動揺してはこう落ち着いたら落ち着いてみたいなことが、まあこの15年ぐらい、あの、まず一つのラインとしてうちの家族のイシューとしてあったんですよ。
あったあった。で、ただまあ父親も結構年齢も上がってきていて、まあそこまでもバリバリ働かなくてもいいかみたいな状況にはなっていたのもあって、まあ子育ても卒業したしね。そうそうそうそう、もう子娘たちも自立したし、あの、まあ経済的にもまあまあ大丈夫かっていう風に思ったのと、まあ母親の状況を見て、もう一旦海外からも帰ってきて、もう日本で母親のそばでやっぱり父親がケアをしようということになったから、それもあって私たち、
娘たちは少し安心はしてたんですよね。で、まあそんな状況が続いてた中、ほんとこのラジオ始めて半年後ぐらいの、あのタイミングで、今度は、ある秋の、春晴れとした秋の日だったね。いやてかね、私思ったんだけど、今も今のタイミングもそうなんだけど、なんか毎回秋なんだよね。私のあれも、なんか誕生日とかの前後とかだった気がしてて、なんか毎回そのぐらいのタイミングな気がする。何かが起きるの。なんか怖いわ。
そう、いやまあそれはいいんだけど、それでその時に、ある一歩の電話がかかってきたんですよね。実家に。で、まあでその、なんかそこから始まった話として、もう一個家族のイシューとして、妹がちょっとやっぱり体調を崩したっていうような話がそこで入ってきたんですよ。
で、妹はそれまでは就職をして、一人で、結婚とかはしてないので、一人暮らしで、ゆゆうじ的にというか、なんか楽しそうに暮らしていて、で、たまに都内というか、関東圏に普通にいるので、うちにも来たりとか、結構定期的に。
娘たちもかわいがってくれて、普通にしてたんだけれども、だからこう元気にやってるのかなっていう様子からね、私たちから見えてたから、思ってたんだけれども、ところがどっこい、まあちょっと病気を抱えていて、で、それをしかも誰にも言えず、家族のね、で、最終的にその職場の連絡から家族が、え、そんなことになってたの?みたいなふうに判明するっていうような事態が、
そうそう。
まあその4年くらい前かな、に、あの、あったんですよ。で、その時、まあその時は母親の症状は落ち着いてたんだけれども、結構うちらの中では衝撃が走って、まあそれすぐね、え?みたいになって、で、緊急回避。
みんななんかこう家族一丸で、お母さん支えようねっていう感じで、ちょっと安定し始めたぐらいの時だったんだよね。
そうそうそうそう。そのぐらいの時、もう10年ぐらいで。
もうママサポーターでみんな頑張ろうみたいな時に、え?みたいな羽もがれたみたいになって。
そうそうそうそう。そっちも?みたいな感じになって、まあいろいろね、妹側もいろいろ事情があったみたいで、
言えなかった事情とかも、まあ理解できるところもあったり、まあでも結構そんなことをここまで一人で抱えてきてたみたいな、結構すごく父親とかもショックを受けていて、
で、まあただ、もうなったからには仕方ないから、家族でサポートしようっていうことで、一人暮らしとかもしてたんだけども、一回実家に帰ってもらって、
で、一緒に病院に行ったりとか、まあ家でサポートできるようにっていうことで、
まあ私はね、自分の家族があるからあれだけども、同じ県に住んでるし、みたいな感じで定期的に会ったりみたいな感じはしてたんですよ。
で、なんだけどやっぱりその妹の病気もなかなか難しい病気というか、すぐに治るような病気ではないので、
やっぱり難しい、すごくこう急速に何かこう状況が良くなるみたいなことはならぬまま、まあしばらく時間がこう過ぎていって、
しかもこうなんか家族側からするとさ、こう客観的に見たら変化がわかりにくいんだよね。
すごくわかりづらい。
その、改善してるのかしてないのか、でそれをいろいろコミュニケーションを取ったりしたいんだけれども、
多分彼女自身もうまく伝えられないってところもあったりして、そのもどかしさがね、お互いあったっていう感じだったよね。
そうなんですよね。で特に、まあそれで実家にいるのが父親と母親と妹っていう3人なんだけれども、
で、まあその中で唯一病気じゃないというか、あの元気なのが父親なんだけれども、
まあこれもね、ちょっとそのここに来てっていうふうに思ったのは、やっぱりその、さっきも話したように父親って本当に昭和型で邁進してきた男みたいな、
24時間働けますか?みたいなね。家庭にいずにっていうか。
そうそうそうそう。母親の病気が落ち着いてる時は、全然その母親が妹とこう喋ってみたいな感じできるんだけれども、
やっぱりこう、母親の病気がちょっと重くなったりとか、まあ母親だけだと解決できない問題とかさ、
とにかく家の今、主というか管理者は一番こう健康な父親になるんだけれども、
これまでのまあ家のその関係性上、妹と父親の関係があんまりこううまく密にコミュニケーションが取れないというか、
お互いお互いのことを、なんかまあはっきり言えばママ好きじゃないしみたいなところもあって、
あの、なんかまあ異婚が残ってるから過去にね、結構厳しく教育されたとか、それ私もすごく分かる部分はあるんだよ妹の考えは。
ただ、とはいえ今のこの状況、しかももう大人になってこう、まあ親にね、ある意味まあ味方としてはさ、
親にまあ、あの、お世話になって出戻りしてるみたいな状況もあるから、
まあそこは自分その立場、妹もその立場を踏まえて、こう、父親にある意味従うじゃないけれども、
父親に、父親とか実家に対して、こう何かいろいろ、なんだろうな、協力的にとかどうやったらこううまくいくかっていうのを、
えっと、やらなきゃいけない立場だと思うんだけれども、なんかそこのコミュニケーションがあんまりうまくいかなくって、
父親からすると、なんかいろんな話をこう聞いてないのに、あの勝手に妹があれを買った、これを買ったとか、まあちっちゃいことからするとね、
あと、まあ昔からあったんだけど妹のその生活態度と、その父親たちがこう期待する生活態度とかが違かったりとかね、
なんか例えば夜型だったりとかするんだけども、なんかそういうのとかも、いやいやしかも病気をこう治そうっていう上ではさ、
やっぱりその生活リズムとかも大事だから、とかね、まあそういうので、まあ些細なことからもうすごくこう、
口論というか喧嘩が結構絶えなくって、まあ最終的にはあんまりもうその父親とやっぱり妹のこうコミュニケーションがうまくいかない、
で、そこにうまく母親がね、入れるタイミングもあれば、やっぱり母親も病気が悪くなったり、そんな余裕がなかったりみたいな時もあるから、
結構その、その家族3人で実家でこう住んでるみたいな状況が、なんかこう大変なあの時とかもあって、
で、で私はたまに実家とかに連絡をして、父親とか母親とかと話すんだけれども、
まあ、なかなかそのそれぐらいしか私もできないというか、もうそこの関係性の話に関してはね、
みたいなまあちょっと、何て言うんだろうな、問題というか、まあそういう状況もあって、
母親の乳がん発覚と治療拒否
まあしかももうその時、その時点でマッキーはもうマッキーの家庭があって、
で、その実家にその介入できるほどの距離感でもないというか、ある種ちょっとこうオブザーバー的な位置だけれども、
みんなの意見をそれぞれ聞く、訳みたいな、なんかそんな感じだったんだよね。
そうそうそう、だしなんか正直こう言えば、私自身も結構自分のことでもいっぱいいっぱい、
で、当時もなんか仕事もまた新しい、あの本当このラジオが始まったぐらいの時だから新しい部署に移動したりもそうだし、
まだまだ管理職になったりとかね、
そう、そう、そうなのよ。で、その子供たちもまだちっちゃかったし、
まあ保育園児をこう育てながらとか、小一の壁とかありながらあったから、
なんか正直それをもう回すのに精一杯だったし、
なんかそっちもそっちで自分の人生としては大事にしていきたいっていうのもあって、
そこは両親とかとも相談をして、どこまで関与するか妹とかともね、最初話して、
ちょっと私はやっぱりその自分の家族を大事にするということで、両親たちも本当にそうしてくれみたいな感じで、
まあ父親も特にもう自分がいるから、基本的にかといって、
私がね入ってとか頻繁に来ても別に何かその状況が変わるわけでもないしすぐに、
もういいよっていうことで、みんなも理解をしてくれそういうふうにはしてたんだけれども、
まあそうやってたまにね実家に連絡をしたりとか実家に行ったりすると、
その状況の変わってなさすぎに、なんかこうフラストレーションをね、感じたりとか、
なんかこうズドンと来るというか、土曜から毎回ね連絡が来るたんびに、
まあ状況がその、連絡が来るときに大体その状況がちょっと悪くなったとかさ、
まあ悪い知らせなことが多いんですよ。
まあお父さん自身もこう2人をね、こう見てるわけで、たぶんものすごく日々ねストレスは溜まってるのよ。
その中でもマキの家庭に迷惑かけないようにってある種ちょっとこうセーブしながら、
あのマキとの関係はあって、でもそれでもちょっともう無理だってなったときに、
マキに連絡してくるから、往々にマキが連絡を受け取るときは結構シビアな状況の報告が多いんだよね。
そう、本当に父親から見たくないなとか思いつつ、まあでも見ないとなと思って見て、
まあでもある意味その距離があることによって、今もそうなんだけど、そういう感じなんだけど、
なんかその、冷静になれるというかね、一呼吸を受けるから冷静になった。
でもこれも父親は本当にこう頑張ってくれてるなと思って、
本当にいつもありがとうみたいな感じで、大変だよねみたいな感じで、こうやり取りをしているという状況なんですけども、
また今年に入って、そのまあ1個1ライン2ラインあったのに加えて、
まあ母親がね、まあこれはちょっともうあの具体的に表面を出すと、乳がんになったんですよね。
で、それもすごく衝撃的で、
そう、そうなんですよ。
で、まあ去年から実はアメリカに来てくれたりとかっていう話もしたと思うんですけど、このラジオで、
まあそこから帰って、帰った後も実はその、まあ元々の持病の方がちょっと悪くなっている時期とかもあって、
心配してたんですけど、そこに加えて、まあこの今年の頭ぐらいからかな、
そうだね。
そうそう、やっぱりなんかちょっと異変があって、乳がんってね、ご存知の方はご存知かもしれないですけど、結構わかりやすく症状が出る人によっては、
っていうので、母親もそのタイプでわかりやすく出て、で、病院に行ったらやっぱり乳がんでしたと。
で、ただ良かったのが幸いまだステージ1で、
治療すれば、まあ、
他に移転もしてない状況なので、
まあまだ大丈夫というか、治せる対策の必要が全然ある状況だから、
ちゃんと治療していきましょうということで、で、母親もね、分かりましたと。
で、もう一個の持病の方は結構薬飲むの嫌がったりとかしてたんだけども、やっぱり結構ショックだったみたいです。
やっぱがんっていう響きがさ、すごく重いじゃんっていうのもあって、
まあまだこう生きたいし、ちょっとこれが、
若いもんだって。
そう、死ぬのはちょっと早すぎるから、ちょっと頑張って治療しようみたいな感じで、
で、そのね、始まった時はすごくやる気満々だったんですよ。
で、おはようの場合は、なんかね、最初に抗がん剤治療を、
2つの薬を2ターンやる、1ターン1ターンずつやる。
で、合計多分6ヶ月、半年とか8ヶ月ぐらいの間でそれをやって、
で、その後手術をして、で、あとは薬とか定期的痒いでコントロールみたいな感じで。
叩いてくみたいなやつね。
そうそうそう。で、今ちょうど抗がん剤治療第1ターンが終わったタイミングだったんですよね。
で、それで検査をしたら、あの、ちゃんと薬が効いていて、
経過としてはいいですと。だからそのまま次のターンの抗がん剤に行きましょうって言ったその日のタイミングで、
なんか急に治療を拒否しだして、
で、その背景にあるのも、やっぱりその持病側がちょっとこう悪くなってきているタイミングで、
まああの、本人がちょっと、なんか違う病院に行きたいみたいなことを言い始めたりとか、
あの、子供治療をこう受けたくないみたいな風になったっていう連絡を実家からお父さんから受けて、
えー?みたいな感じになって、まあそれが本当に数ヶ月前なんですよ。
1ヶ月くらいかな。
そうだね、1ヶ月くらいかな。
で、えー?みたいな、この瞬間治療を拒否したからといって、まあ1回2回飛ばしたからって何かすごく致命的にね、
この今までの治療がパーとかはないんだけれども、
まあやっぱりこの状況を改善しないと、というかまずその落ち着いて治療を継続できる状況にしないと、
要はその治病側の方をちょっとコントロールしないと、
なかなかね、今後手術とかもこうする時に、例えばこう嫌だとかって突然ね暴れたりとかしても大変だから、
まずはそっちをフォーカスしないといけないですねっていう話を、
ちょうど昨日、あの先週、父親がこう病院の先生と、
まあだから母親はね、病院にももう行きたくないみたいな状況になっちゃってから、
あの父親がちょっと代わりに病院とかに行って先生と話して、
なんかそういうことになったみたいで、
で、一方でなんかあのかといって母親も病院も行きたくないみたいな感じになっていて、
そっちの治病の方もね、嫌だって言ってるから、
で、しかもこう、なんか違う病院に行きたいって言ってるのに、
こう父親とかが、家族が理解してくれないみたいな風に思っちゃっていて、
なんでそんな子、私の入れたいことを、私の意思を尊重してくれないんだみたいな感じで、
ちょっとその父親と母親の関係性もちょっと悪くなったりとかね、
あのそういうのもあって、
なんか結構家族だけでこれを、この状況を父親がもうハンドリングするのは結構厳しいなっていう風にもう思ったので、
あのちょっと父親には市役所とか、やっぱりこう第三者にちょっと入ってもらおうと思って、
で、なんかこういう状況になった、
本当にだからね、市役所サービスというか何て言うんだっけ、行政サービスがすごくいろいろあるんだなっていうのも本当学びになりました、この経験を通して。
家族間のコミュニケーションの難しさ
で、市役所とかね、多分自治体で連絡をすると、
そうやってケアマネージャーさん、地域の方が来てくれて、
家にしかも来てくれて、話を聞いてくれて、
しかも今のうちの状況を踏まえると、結構このままの状況が続くとやっぱり父親のその命にも影響があるからということで、
なんか訪問看護みたいなこともやってくれるっていうので、
今その訪問看護をしてくれる専門家の人を探してもらっている状況なので、
それを聞いて少しは私も安心したんだけれども、やっぱりもう第三者が入って、
母親と話して、どうにかその病院に行くなり、医療機関につなげるっていうことをしないと、
なかなか家族から、私からも電話して、何回も言ってもなかなかもう、
なんでみんな理解してくれないの?みたいな感じで喧嘩決裂みたいな。
中国の親族からも同じような感じでアプローチしてるんだけど、
みんなもうすごく心配してるのに、ママだけ拒否するみたいな。
っていう状況が続いてたから、本当にそのような、
行政サービスの支援を得られることに関してめちゃくちゃ感謝しているんだけれども、
っていう状況なんですよ。
なんかあれよね、やっぱりお母さんも持病があるとはいえさ、
やっぱり家族って、本当だったら距離、
他人っていうのも言い方悪いけど、家族以外の人だったら、
ある程度気持ちを察してとか、気遣いながら会話ができるところを、
家族が故にズバッていくときあるじゃん。えぐるようになるときあるじゃない。
それってもうコントロール不可能っていうか、
それはなんかこう、どういう病気を抱いたか関係なくね、それが起こるから、
たぶんお母さんもそうなっちゃうと、もうこの状況ってどうしようもないじゃん。
だからある種その行政サービスの方が入ってくれた方が、
お母さんも家族全員がね、ちょっと気をつかなきゃいけない他人じゃない。
その関係がね、
それがある意味うまく進められるきっかけになればいいなと思うけどね。
そうなんだけどね、ただこの結構ほんと病気難しいのがさ、
なんかこう、がんとかは本当に何かこう、
病気がね、体にあって分かりやすく、それを取ろうっていう発想だと思うんだけれども、
母の受病とか妹もそうなんだけれども、
何か目に見える病気なり怪我があるわけではないんだよね、そこに。
だから今どのくらいの状況なのかっていうのが、
可視化できないっていうすごく難しさがあって、
で、このあなたたちの状況なり発言は、
病気が影響しているのか、それともあなたたち自身のものなんですか、
しかもっていうのははっきり区別できない。
で、おそらくしかもそのパーソナリティなり、
もともとの思想なり、母親の薬嫌いとか病院嫌いっていうのがもうすごく影響もしてるから、
なんかそれがすごくやっぱり難しくって、
で、結局第3者には入ってもらうものの父親とも話してて、
でも、とはいえやっぱりその方々がさ、
うちらの家族の、もちろん責任は持たないじゃん。
だから本当に入院を例えばさせるとか、
どういう風に治療を進めていくっていうのかも、
もちろんプロとしてこうした方がいいとか、
本当に状況が最悪の状況になれば多分強制的入院とかっていう手段もあるらしいんだけれども、
なんかこう、まだそこまでいかないレベルだと、
基本的にその病院に来てもらうしかないみたいな。
来てもらったら何かできるけれども、
本人が嫌がってたらこちらから無理やり何かをすることはできませんみたいなスタンスなわけよ。
そうだよね。
で、そうすると結構困る。
向こうだって訴えられたくないしね。
そうそうそうそうそうなのよ。
でも、かといってじゃあそうなると、
今日病院に父親としては連れていかなきゃ連れていかなきゃっていう、
薬飲ませなきゃ飲ませなきゃっていう風に思うんだけれども、
それを言えば言うほど、
なんで嫌がってることをそんなに言ってくんのも嫌だみたいな、
あなたの話なんか聞きたくないみたいに、
家族同士の関係性も悪くなるっていう、
なんかもうその悪循環。
で、私も父親に、やっぱり第三者にね、
昨日も話してて、
第三者にやっぱりそういう医療的なこととかは言ってもらって、
家族としては本当にサポートしようと。
で、教科書とかね、
どうやって家族としてサポートできるかみたいな本を読むと、
やっぱりそういうスタンスが一番いいですって書かれてるのよ。
家族としては何かこう、
無理やりね、病院連れて行くとか薬を飲ませるとか、
なんかそういうことを言うんじゃなくって、
何かたわいもない話をして、
その人の本人のことを尊重してあげて、
その人がね、
例え合理的に考えてちょっと違うようなことを言ってても、
それを認めてあげましょうみたいなことを書いてあるんだけど、
でも父親は毎日その状況を見ててさ、
無理だよ、無理、無理。
無理だよね。
私も短時間母親と話してもそうやって喧嘩になっちゃうぐらいなんだから、
さっき苗ちゃん言ったみたいに、
やっぱり家族で積み上げてきた関係性もそうだし、
そこの空気感もそうだし、
あと目の前でその状況を見てるから、
なかなかそんな綺麗ごとみたいにうまくいかないっていうか、
感情を自分もコントロールできてとかね。
父親も特にパッとカッと熱くなる、
昭和の男っていうのもあるし、
そこも、
まあそうだよなって難しいよね、
それお父さんって言って、
それはちょっとむずいよね、
でももう、
だから父親もその意見も理解はできる、
ただ、できるかわからないみたいな感じ。
言うが優しい、行うが正しいみたいな。
本当にそう、本当にそうで、
でも私が本当にできることは、
「受け入れる」ことの難しさ
まあ、母親とかに、
娘とか、私の今のこっちの状況でみんな元気だよって、
やっぱり孫と話したりとかするとすごく元気もらえるからさ、
そうなの、たぶん。
嬉しそうで、
孫たちはさ、状況そんなにどの程度のものかって、
また解像度高くないじゃん。
まあでも結構ね、もうね、
かなり電話したりとかもしてるから、
聞いてるから、
まあ何て言うんだろう、
どこまで理解してるかを別として、
何て言うの、
例えば婆が病院ちゃんと行ってないとか、
なんかそういうのは分かってるけどね。
ああ、なるほどね。
でもそれをさ、行かなきゃダメだよとかさ、
言うような感じじゃないでしょ。
まあそうだね、
こっちがたまになんかそういうふうに、
なんとなく行ってくんないとかって言うときもあるんだけども、
まあ自分たちからは言わないよね。
だから今日これがあったんだよとか、
今日こんな絵描いたんだよとか、
それがさ、プライオリティ一番高くなるじゃん。
子供たちって。
それが良かったりするよね。
自分のことで精一杯だから。
空気を変えてくれる。
そうそうそうそう。
そうなのよ。
だから子供たちの中の、
大人の優先順位と違うから、
それが空気をある意味、
よく明るくしてくれたりとかして、
本当にそれはありがたい存在っていうか、
唯一その会話の中で、
明るさを提供してくれる。
太陽みたいなね。
子育てって大変だけど、
成長を見てるから、
一番輝いてるよね。
本当に輝いてるから、
それは親も聞いてて嬉しそうで、
それを見ててすごく安心できて、
だから私たちは、
私ができることとしては、
今どこに離れてるから、
そういうふうに子供たちの、
孫の成長を見せたりとか、
あとは、
よりかもうちょっと私はさ、
距離があるから、
最近どうなの?みたいな感じで、
あと、
とにかくお父さんとママと仲良くやってほしいよ、
みたいな感じで、
父親のもし愚痴とかもあったら、
話を聞いたりとか、
っていうノウハウをやるのと、
あとは父親に、
父親から愚痴を聞くじゃないけれども、
今どういう状況なの?っていうのをね、
現実的な話を聞くっていうのを、
今役割としてやってて、
ただ今の直近の状況が結構悪いから、
私も父親と相談して、
いやちょっと帰ったほうがいいかな、
みたいな一瞬ね、
こっちのもうすぐ、
三連休とかアメリカのレイバーデイとかあったりするし、
合わせてね、
11月に入ったら、
またサンクスギビングとかもあるし、
一応年末には帰る予定にはしてるものの、
ちょっと今のこの状況もあるから、
父親のがんの治療が進むように少なくとも、
なんかちょっとできることあったら帰るよ、
みたいな風に言ったんだけど、
ただ別に私が帰ったとて、
何かすごく状況が変わるわけではないから、
とりあえず今はその第三者に入ってもらうっていうね、
話が進んでるから、
そこをまずやってみて様子を見てにしよう、
みたいな感じで、
今はなってるっていうところかな。
で妹はね、妹で、
それで私と妹の関係性もね、
最初はね、すごくサポートをしようみたいな感じで、
私も頑張ってたんだけども、
たまに連絡したりとか、
まあなんかそれもなかなか難しい状況、
なかなかこううまく、
私のこう、
なんていうんだろうな、
私自身も多分どちらかというと性格が、
父親タイプというか、
すぐ解決したいみたいな、
せっかちだからね、
せっかちだから、
そうそうそう、
だからなんかちょっとなんかもう、
なんだけど妹また全然違うタイプだし、
まああとそのね、
難しい病気の難しさみたいなのもあって、
なんかもうあんまりその頻繁にこう、
やり取りしたりとかするのって、
あんまりどっちに対しても良くないなっていう風になり、
まあ最近はもうあんまり会話してないっていう感じかな。
そうだね、そうだね。
まあ妹も妹なりに、
頑張っているみたいだってところはちょっとわかってるっていう感じだよね。
まあそうだね。
そうそうそう、
最近はちょっとやり取り、
それもね、ないちゃんにシェアとかもしたりして、
まあそれの言葉を、
言ってることを本当に信じるのであれば、
まあ一応ちょっとは何かを考えて、
アクションをしているみたいだから、
まあもう大人だし、
もういいかと思って、
まず私のこの実家の中で優先順位高いのは、
やっぱり母親の命なので、
そこを今はちょっともう、
最優先として、
できることを、
少ないんだけどできることをね、
やっていこうっていう、
感じなんですけど、
いやなんか、
第三者の視点と友人関係の重要性
本当に私、なんていうか、
こんなに難題ってなかなかないなと思ってて、
人生を。
まじで糸口なしなんですよ。
本当に糸口ないし、
糸口があるかって思ったら、
新たなラインができるっていう、
それがもう、
1ラインだって結構ヘビーなのに、
で2来て、
2ってなって、
大変だ、糸口ない、糸口ない、
現状維持で何とか、
3ってなったから、
どうするの?みたいな。
本当にそうで、
でもこれはまだね、
3来てない時かな、
去年さ、実家に、
日本に一時帰国した時から、
私が最初、
ナイチャン家でフィーバーをして、
その後、夫の実家の四国に行くっていう、
飛行機の一機の飛行機で、
たまたま私一人だったから、
その通りに住ませた人が、
元々四国の方で、
四国にお住まいの方で、
東京神奈川に、
息子さんが、
2人息子さん子育てをしてて、
下の子の息子さんが、
就職をするっていうので、
送り出して、
その帰りの、
主婦の方がいらっしゃって、
その方と、何か知らないけど、
家族の話になって、
しかも私、
帰国してる時もまた、
ママの症状が悪くなったりとか、
いろいろあったから、
私の頭の中それがいっぱいで、
家族の話をして、今こんな状況なんですよ、
みたいなのを言ったら、
その方もちょうど、
ご自身のご両親を見取ったりとか、
いろいろやってるタイミングと、
子育てで働きながら、
状況が似ててね、先輩だったわけよ、
そのシチュエーションで話したら、
話してたらさ、
その方めちゃくちゃ聞き上手で、
話して話して、
私がいろいろ言い出したら、
号泣しちゃったよ、
初対面の人に。
1月1日ですからね。
そうそう!
そんぐらい、結構私の中では、
なんていうかな、
いっぱいいっぱいっていうかね。
いっぱいいっぱいだし、
どうしたらいいんだこの話ってみたいな、
本当にひと口もなければ、
これまで
発生した問題って、
頑張ればなんとか解決できたりとか、
解決できなくても、
なんていうんだろうな、
うまくいってたとか、
ポジティブに考えようと思えば、
考えられるような案件ばっかりだったんですよ、
これまでの人生。
ただこの話に関しては、
ポジティブな見方がなかなか
私の中でできなくって、
それが結構苦しいというか、
私、
もう本当に、
こんなに複雑な問題とか考えるの苦手なタイプなのに、
なんかこう、
一気に起きてきて、
多分その感情がすごい。
しかも、知らない初対面だったころこそ、
素直にいろいろ
言えたっていうのもあるんだけども。
この話に関してはね、
本当にね、
もうね、
どうしようもないですっていう。
でも私すごい覚えてるのが、
マッキーが、
1ライン目が発生した直後ぐらいの話で、
ちょうどその
ちょっと後ぐらいに、
私のパートナーの方にも、
似たようなわけではないけど、
ちょっと違うケースなんだけど、
事件が発生し、
結構動揺してたんだよね、
私のパートナーが。
わかる。
私はそれを客観的に見て、
どうすればいいの私?
みたいなのに結構なっていて、
でもその、
マッキーの母親よりは、
もうなんか、
明らかな症状というか、
外症みたいな感じだったから、
もう、なんかこう、
しょうがないところもちょっとあるというかね、
返礼とかいろいろ考えるときに。
もうちょっとね、でも上だもんね。
そうそうそう。
で、なんか、
でもすごく、
長い時間、
そういう、
悩みを抱えている
時間が長かったから、彼が、
私はどういう風にしたらいいんだろう?
みたいなことをおまけにいったときに、
いや私は、
母親のその持病が発覚したときに、
もう、
受け入れるってことをした。
みたいな。
「急に具合が悪くなる」という本からの示唆
それが一つ、
一つ、こう、
自分にとっての解決の方法だった、
みたいなことを言ってて、
そんなこと言ってた?
言ってた言ってた。
もうなんか、今までは、お母さんがいる環境が当たり前で、
で、そこに、
そのお母さんと私っていうのが結構
ペアだったから、
当たり前の存在だし、
ずっといてくれるもんだと思ってたけども、
その持病が発覚して、
あ、そうかと。
母親は私の先に死ぬ、
死ぬっていうことを、
改めて受け入れた。
そこで私結構受け入れたって言ってて、
あの、まきがね。
だから、やっぱりどっかのタイミングで、
この、受け入れるっていうのを、
してかなきゃいけないんだなって、
なんで泣いてるの?
いやいやいや、
やばいね、やっぱりこの話はね。
でも、やっぱりその瞬間は、
あったんだろうと思うし、まきに。
でもやっぱり、とはいっても、
そのすぐね、死に直結する
持病でもないから、
多分揺れ動くはするんだと思うんだよ。
でもその受け入れるを、
何回も何回もやんなきゃいけないっていうのが、
結構きついというかね。
あ、それ本当にそうかもしれない。
しかも長期に渡るから、
これ何回この受け入れるって作業やるの?
っていうのを、
私は側で見ている感じよね。
それお母さんに限ったことじゃなくてね。
妹の不具合が起こった時も、
あ、またこれ来たか。
じゃあこの家族のパターンを、
どう自分が受け入れようか、
みたいな。
っていうのを、
その時でたぶんまきなりには、
いや私が一番大事なのは自分の家族なんだ。
っていう風に、
決めたんだよ、たぶんそこで。
なんだけどまたその第三のラインが通ってきちゃったから、
そしたらさ、
お父さんもお父さんでブレてくるし、
大変になってくるじゃない?
だからこれ、
今じゃあ、
どこで受け入れるポイント、
自分の落とし所があるんだろう、
っていうの頃がたぶんこの三つ目のラインが発生して、
ちょっとまだ、
ピリオドがつけてないっていうか、
自分の中でね。もちろんその、
第二ラインが通った時と、
方向性はきっと同じなんだろうけど、
心の中で、
どこに落とし所があるんだろうっていうのを、
まだフワフワとずっと、
探ってる感じというかね。
そうだね。
結局しかも、
第三のラインが、
第一のラインと関係もしてるから、
そうだね。
第一のラインをさ、
難しいことも分かってるから、
10年。
10何年を見てきてね。
そこが、
そっちが収まらないと第三に行けないの?
そうそうそうそうそう。
そうだよね。
いやー、
受け入れるっていうのがね、
こんなにも難しいことなのか、
っていうのがね、
本当に。
でもそうかもね、
私そんなこと自分で言ってたんだね。
私その時に、はって思ったし、
私はね、でもそれを、
パートナーに伝えるのは、
酷だなとも思ったんだよね。
私が言うことじゃないなって思ったから、
私は言わなかったけど、
でも、私がこう彼の、
あのー、様子を見てて、
どっかで
ピリオドは付けられてるなっていうのは、
感じたから。
その一つは、やっぱり私と
一緒に暮らし始めたとかね。
もう物理的に距離が離れて、
もう一緒にいる時間が
少なくなったとか、
なんかそういうので、
ある種私はちょっと、
自分はね、自分で評価すると
ちょっとライフセーバーだと思ってるから。
絶対そうよそれは。
本当に家族とか、あと本当に
ナイちゃんとかが、私はもう
マジで周りのお友達とかが
本当に支えになってくれてるというか、
なんかその、今は特にさ、
朝ってLINE電話して、
父親とね、朝とか夜で、
しかも父親は朝方だから、
夜めっちゃ寝るの早いよね。
なので自動的に、
こちらが話せるタイミングは、
アメリカの夜、
日本の朝になるわけよ。
そうすると私はさ、本当はでもさ、
寝る前すっきりして寝たいんだけれども、
まあそのシェアとの思いね、
現状報告、
共有を終えて、
すっきり。
すっきりしないまま寝なきゃいけないんだけど、
でもそれでもやらなきゃいけないなというか、
まあ私自身も気になるし、
父親が本当に
今一番心配というのもあってね、
ちょっとでもサポートしてあげたい
とか話をしたいなっていうのがあって、
その話をした後に、
でもなるべく子供とか夫にも
そばにいてもらって、
まあみんなも心配してるからさ、
で、
ああまあそうかって言って、
切った後にみんなちょっと
ママは本当に今頑張ったから
抱きしめてみたいな感じで
愛をもらってる。
それでちょっと癒されるというか、
本当に大事よ、
そばにいる。
また別のパートナーとか、
友達とか、
あとやっぱり今回の
教訓じゃないけど、その父親とか
母親とか家族の関係性とかを見てた時に、
やっぱり
第三者が
いるっていうことが
大事だなっていう風に思ったのね。
で、私も
あの、
もし、まあもう無理なんだけどもね、
タラレバの話にはなるんだけれども、
やっぱり母親が
もうちょっと家族以外に
なんか話せる人とかが
いたら、またなんかちょっと状況は
違ってたんだろうなーみたいなとこも
思うことがあって。
やっぱり家族ってさっき
言った通りさ、
すごくストレートに甘えも含めて出ちゃうから
コミュニケーションがさ、
まあそれがいい時もあるし支えにも
なるんだけども、ただやっぱりこう
どうしてもその
家族だけでは、もう
やっぱりしがらみが多すぎて
こう無理というか
できないことがたくさんあるんだよね。
そうした時に第3者に少しでも話聞いて
もらったりとか、なんか相談先が
あったら、今はもう専門家に
頼る、それが第3者になっちゃってる
けども、じゃなくて
もっとフラットな感じの
第3者がいればなっていう風に思ったから
そういう意味で私は本当にないちゃんが
いてよかったし、ないちゃんとか
ないちゃん以外にもね、やっぱりその
友達関係っていうのは、今まであんまり
自分からこう積極的に
なんていうかこう、継続させよう
みたいなタイプではないんだけども
やっぱりそういうのってすごく
後々効いてくるなっていう風にも
思って、そう第3者
友達を緩く
持っとくっていうことの大切さにもね
改めて気づいたよね
この経験を
本当そうだよね。なんかさ、よくさ
世間的にもさ、言われ始めてるじゃん
世の男性が
いわゆる
一般的におじさんが
友達少ない問題みたいなさ
はいはいはいはい
それが結局退職後にめちゃくちゃ
効いてくるっていうか
一人の時間がすごく多くなっちゃったりとか
コミュニケーションが
数が少なくなって
結構スパイラルに入っていく人も
多いよねみたいな、やっぱり
友達って作っとくべきだよねみたいなのってあるし
女性は比較的ね
そういうコミュニケーションが得意な
って言われてるから
だから友達は多いって
言われてるけど、それでも本当に
密に話ができるとか
今までの家庭を知ってるって結構
なかなかいないからさ
そうなんだよね、しかもこういう家族の中の
をなかなか
どこまでするかっていうのもさ
あるじゃん、やっぱり
難しいじゃん、だから
本当に私は
そう、だからこのポッドキャストは
初めてから、第2のライン、第3の
ラインっていう風に
複雑してったから
ある意味これが
本当になるべくして
なったじゃないけれども
そういうものだったのかなっていう風に
それももう運命として本当に
受け入れるしかないよなっていう
なんかもうあなた
周りに
様々な子供であったり
夫であったり、私であったり
今いますよね、大丈夫ですよね
はい、10日みたいな感じで
第2のライン、第3のラインが来たみたいなね
そうそうそう
そういうことなのかしら
みたいなね
そう、だからね
そういうのもあって、ここ最近は
前にも話したけど家族の
エピソードにまつまる本とかね
いろいろ実家の話とかも
読んだりとかもしてて
結構なんかちょっとヒントを
教えてくれたなっていう風に思ったのが
それが最近
映画化とかにもされて
急に具合が悪くなるっていう
哲学者の
私それ読みました
読んだ?嘘嘘嘘
えー、いやこれさ
この本すごくない?
すごい、でも最初の
最初の導入は結構きついところ
あるよね、てかなんかこう
難しいっていうか
一般的に
ライトに読もうと思ったら
多分最初で
ライトに読めない、つまずくなっていう
難しい
そうだね、ちょっとやっぱり
哲学者の宮野さんと
あと人文
なんていうんだろう
肩書きが
文化人類学者じゃない?
文化人類学者の方か、磯野さん
のお二人で
初漢形式で
やられてる
しかもこう
ね、あの
一人の方が、宮野さんの方が
がんを患って結構もう
末期がんの状態だったんだよね
終わりに向かっていく中で
手紙のやり取りをした
ものを本に出されてるっていうもので
なんか
そう、でもその二人の
関係性がすごくいいなと
この本を見てさ、この二人の
関係性を見てさ、なんか
すごい、こんな本をうちらも
出したらいいなとかって勝手に思ったんだよね
でもさ、それさすごいさ
不思議だなって思ったのが
かねてからの親友なわけじゃないじゃん
じゃないの、もう一年とかでしょ
関係性としては
だけど、がんを
罹患された宮野さんの方だっけ
宮野さんだっけ、宮野さんが
この人だって思って
アプローチするところから始まるじゃん
話が
そんなことあるっていう
もらったらもうなんか責任重大
っていうか
それも書いてたよね
そういう風にも言ってたよね
でもなんか
私は結構最初の方で結構
惹かれたのがこの本でね
なんかこう
具合、急に具合になる
急に具合が悪くなるか
わかる
同じところ
公演をキャンセルするかどうか
そうそうそうそう
そこそこそこ
本当にそうだよなって思って
でも
別に急に具合が悪くなる
誰でも起こり得ること
だから
別に急に具合が悪くなる
可能性がね宮野さんが
がんの状況であったとしても別にいいじゃないですか
みたいなところから始まるっていうのが
本当そうだよなみたいな
言うべきか言わないべきかみたいな
話なんだよね
でもやっぱりそれを告知しておいた方が
急に具合が悪くなった時にも
理由がつきやすいって宮野さん思ってたけど
でも
逆から考えたらみんな同じリスクないですか
みたいな
みんな急に具合が悪くなりますよねみたいな
じゃあ言わなくたって良くないみたいな
返しが来るんだよね
そうそうそうそう
病院とかで今の医療だと
このくらいのパーセントで
こういう症状が起こる可能性が
ありますとかって
言われるけれども
でもそういう診断をされてない
普通の宮野さんは病気を持ってない
っていう前提で
私だって
明日病気になって
倒れるとか風邪になって休むとか
ってあり得るから
そんなの
ただの確率数字の話であって
別にみんなに起こり得る
話ですよねみたいな話
本当そうだよなって
思ったし
それに結構とらわれすぎてるし
途中のどこかで出てくる
話で
どうしても病気病人が
の方って
分かるとそれを前提とした
会話になる
から
気遣いみたいなのがどうしても
出てきたりとか
話の節々にね
しかもその話ばっかりする感じになると
だけれども
それって私
それは磯野さん側が言ってたんだけれども
自分がもし
がんになったとして
まず磯野っていう
私個人の前にがん患者だ
って思われて
接されるのってすごく嫌だ
というかがん患者の前に
自分は自分だから磯野だから
そうやって接してほしいし
がん患者だからといって
がんの話ばっかりしなきゃいけない
とすごく
嫌だみたいなことを書いてあって
本当それって
そうだよなと思ってそれを読んで
母親との会話とか
もうまあママ
だからママも
病気の話ばっかりされるともう嫌だし
病気の話になったらもう話したくないみたいな
感じになったりするときもあったから
いやでもそうだよなって
一個人として自分がもし同じ立場でも
そうだし
そこは気をつけなきゃいけないんじゃないけれども
ちょっとヒントになった
そうそうそうエピソードで
そうなんかあの話
すごく
あの本を読んでやっぱり
社会科学系の分野って
素晴らしいなって思ったよ私は
リスナーへのメッセージと今後の展望
そこでも感じた
だしなんていうか
なんかこのさ
文章力がやっぱり高くない?
あの方って
読ませていく感じだったよね
すごいストーリーじゃん
ストーリーだけれども要所要所で
全然知らない
心理学の話とか哲学者の話とか
哲学の話とか
が入ってきたりとかして
いやーなんかやっぱこういう世界観が
紡ぎ出せるのが
社会科学系なんだ
っていう風に
荒いけれどもね
そっちのエリアの人たちはこういう話を
できるんだっていう風に思って
すごく面白いし
なんか私は結構それ以外にも
いくつか今の自分のシチュエーションにおいて
救われるというか
そうだよなってこうやって
考えられるような論理的ではない
数字だけではない話って
話の方が
しっくりくる
状況ってあるよねみたいな
そういうのをすごく教えてもらった
から
そうそうそう
素晴らしいと思いました
なんだよそれ
最後本の書評
いやでもねこの話を聞いて
どういう思いを持たれるんだろう
とかちょっとよく分からないんだけど
いや本当にねすいません
うまく話せたかどうかも分からないし
いろいろねちょっとやっぱり本人
家族たちの尊厳とか
プライバシーを大事にしたいので
これ聞いてないんだけど
家族たちはいつどんな形で
伝わるかも分かんないし
私自身もね
伝えられるところをできる限り
伝えたつもりはあるんですけど
ちょっと分かりづらいところとかも
あったと思うので
どこまで伝わってるか分かんないんですが
なんかちょっと
皆さんもきっとこれに近しい
ことを経験されている方
いるんじゃないかなと思うし
特に海外から聞いている方
とかでね
家族の問題とかね
どうやってね皆さん
乗り越えられているとか
乗り越えるというか
付き合っていってるのかみたいなね
どうやって付き合っていってるか
そう
かなと思ってもきっと皆さん
私よりかも全然大人だと思うので
ぜひ大人からのアドバイス
お待ちしてます
本当に
なんかこうみんなが
みんな一緒なんだっていうのが
分かるだけでも
心がちょっとフワッと楽になるかもしれないし
そうなの
つながりたいと思ってね
そういう方々と
話してみました
ありがとうございます
ご配信ありがとうございました
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