35歳、右に行くか、左に行くか。 駐在大道でアメリカに来たワーキングマザーのマキ、社会科学系の研究者でパートナーと二人暮らしのナイちゃん。
10代で出会ったマキとナイちゃんが、ライフステージの変化を感じた35歳から始めたポッドキャストです。キャリア、家族、パートナーとの関係など、知的でオープンな近況報告をしています。
未来の私たちが笑って聞ける、酒のつまみにすることを目指した、私たち自身のライフログです。
ポッドキャストを始めたときから、これは起こっている。
私も昨日、同じこと全く同じこと考えてて。だから、ある意味、タイミングがいいというか、このポッドキャストを通じて、ナイちゃんといろいろ今後、35以降の人生を記録していくということにあたっての、
もしかしたら、ある意味、神様がくれたネタなのかな?そういう捉え方もできるなと思ったのと、あと本当、ちょっと避けてたのは、何の話かというと、私の家族の話なんですよね。
よく聞いてくださってるおしゃべりスターの方は、ちょこちょこ、ポンポンポンって出てきてるけど、具体的には話さないっていうので、もしかしたらお気づきの方もいるかもしれないけど、私としては、リスナーさん信じてるよっていう感じのエピソードでもございます。
いやもう本当にそうだし、あとは、何かいろいろ考えて、何でこのタイミングで話そうかなと思ったのは、この家族の話って多分きっと皆さんも違う形、シチュエーション、それこそナイちゃんの家族の話とかもね、ちょいちょい出たりとかオフラインでもしてるけれども、
何らか皆さん、家族との問題もオールハッピーですっているかもしれないけど、何らかやっぱり問題というか、いろいろ難しいことあるよねっていうのは、抱えてる方がたくさんいらっしゃるんじゃないかなっていうふうにも思ったし、
あとは特に家族の中で、私たちの親にあたる人たちっていうのは、これから長生きする方もいるし、まだまだ現役でバリバリ働いてる人も多分いると思うけれども、病気とか、やっぱりストレートに言うと死に向かっていくことで、
今まで自分が経験したことないような感情とかを親とか家族に対して、実家に対して最近この4年間くらい特にいろんなことが起きて思うことがあって、私たちのリスナーさんって、私たち同世代ちょっと下もいれば結構上の先輩方もいらっしゃるので、
なんかそういう自分では解決できないでも大切な人の、しかも子育てとか、家族の話だけれども、子育てとかって一応成長が見えるような家族の話、希望とか成長の方に向かうっていうよりかは置いてく親とかものに対して、どう自分の心を整理して、かつ自分は自分で人生を生きていかなきゃいけないから、
そこの折り合いのつけ方を、みなさんどうやってうまくやられてるのかなっていう、うまくなくてもいいんだけどやられてるのかなっていうのがすごく気になったし、
もう何より、私のこのマインドシェアというか、私のこの今のマキの相当部分を占めてるこの話をしないと、なんかこの放送で流してることが、なんていうか、どっか透かしてる感が出ちゃうというかね、自分的にすっきりしないのよ。
だからやっぱり、どこまで詳細に話すかっていうのは、話さない部分もあるんですけど、話せる限り、ここで自分の記録としてもそうだし、マナイちゃんとしてもとの話の中でもそうだし、やっぱりリスナーさんとも共有して、みなさんも一緒にやっていきましょうじゃないけど、みなさんどうやってます?みたいなところもお伺いしたいなと思い、ちょっと話すことを決意しました。
そうだね、あくまでも今回のこの話はマキから見た視点というか、マキのケースっていうことなので、別にそれがこう、我々は一般的にそれはこうだよねとか、そういうことを言いたいわけじゃないし、あくまでもストーリーシェアというか、まあいろんなね、マキの側面があるんですよっていうことを、私も知ってほしい、常にさ、だって連絡取ってて、もうホットトピックじゃん、いつもあれあれの中で、
その話って、そのマキの家族の話って、だけどやっぱりこの2人でずっとこう築き上げてきたポッドキャストの中では、実際1回もちゃんと話したことはないし、やっぱりそれを話すことで、我々の、わからないですけどおしゃべリスナーさんから見たときの我々のイメージみたいなのをもうちょっと多面的になってくれたら、より近づけたらいいなみたいなね。
そうですね、そして本当にみなさんどうやってんだろうみたいなところもね、本当に聞きたいなというふうに思ってます。
で、ちょっとね、どこからどう話そうかなっていう話もあるんですけど、
いや、難しいんだよね、これね。
いろいろちょっと歴史がありすぎて、で、まあただちょっとやっぱりこの話に絡んでくるのが、まあまずうちの母の病気なんですよね。
で、ちょっとそっから話をすると、まあうちの母、今何歳なんだろう、60…いってないかなまだ、きりいってないかな。
あ、若いんだ。
結構若い、父親と6歳ぐらい離れててみたいな。
で、あ、いってるかなさすがに、ごめんごめん。
ちょっとね、そこの辺正確に把握してないんですけど、まあ60代前後なんですよね。
で、えっと、まあ60でさすがにいってるかも、たぶん。
で、60代、60何歳とかです、たぶん。
で、が、まあ私が、あの、まあもっとさらに話すと、まあ、あの、ここでも話してる通り、うちの両親共に中国人で、まあ日本から、日本に、私が2歳の時に来て、まあそっからちょっとね、あの、中国に、あの、単発で帰ることはあって、基本のベースは日本で、まあしかも日本に帰化をしてっていう経緯がありますと。
で、特にうちの母の性格的に、えっと、すごくあんまり、まあそれ中国に出た時からそうなんだけど、社交的じゃない。
で、だけどすごく責任感が強くて我慢強い。
で、えっと、で、日本に来てからは基本的に専業主婦、ちょっと働いた時期もあったけど、基本専業主婦で父親がもう本当に24時間働きます、でもう働いて、家のことを母親がやると。
で、過去回でもなんだっけ、なんかその、私が異国に来て子育てをして母のことを思うみたいな回もあった通り、なんか母もやっぱりその、すごくやっぱり異国でいろいろ大変な、あの、思いもしながら子育てを頑張ってくれて、すごくそれに感謝してるし、まあ特にうちの父親、本当昭和型だから、なんかこう、うまくあんまり話せないみたいなのもあって、子供たちとね、すぐ喧嘩になったりとか怒って怖いみたいなのあったから、なんでもその母親に話すみたいな、
こう関係性で、私と妹二人とも、母とはすごく仲良かったんですよね。で、母もこう、子育てにコミット100%みたいな感じで来て、で、ところが、ところがというか、一つ転勤になったのが、私がまあ就職をして、就職するまでずっと実家だったんですよ、大学も含めて、ね、で、なんだけど就職して関西に行くってことになって、そこで初めて、まあ妹と、当時父親も海外になんか転勤してて、
あー、そっかそっか。
そうそうそう、だから妹と母親二人っきりの状態になって、で、妹と私も6歳、5、6歳離れてるから大学生とかで、で、そんなこうまだ学生の妹と二人っきりみたいな状態になって、で、それは私が多分2年目とかの時かな、新卒で入ってから関西に行って、で、ある日妹から連絡が来て、なんかお母さんの様子がおかしいということで、
で、えっと、そのタイミングで急いで実家に帰ったら、ちょっとやっぱり様子もおかしくて、で、そっから病院とか入院とかもして、ちょっとやっぱり、あの、そこから一つこう、持病というかが、もう今から遡ること15年とか前だよね、に、が発生したんですよ、で、その病気の、まあちょっと具体的な名前は言わないんですけれども、あの、やっぱり一度かかったら治らない病気、
で、で、こう、なんか外症がある病気というよりかは、どちらかというとメンタルとか脳とかそっちの病気なので、えっと、ただ、まあ、あの薬を飲んでコントロールをすれば、あの、普通に生活はできるし、何かこう、すぐ死に直結するような病気ではないけど、えっと、やっぱりこう、ちょっとケアが必要な、私薬とか病院定期的に行かなきゃいけないっていうような、その、まず病気にかかったというような、
の一つあるんですよ。で、ただその後、えっと、まあ入院したりとか、で、やっぱりその後も定期的にこの病気がちょっとその発症することがあって、で、それもあって、父親もやっぱり海外でずっと仕事を続けてると、で、妹もその後こう就職したりとか、あの、なかなかずっと母親のケア、私も含めてできないから、私もでもその時も一瞬考えて、もうなんかちょっとやっぱり母親の近くにいた方がいいかなとかもいろいろね、
結構その時衝撃を走ったのよ、私たちの方に対して。 そうだよね。
そうそうそう。 えーってなって、その時私たぶん連絡もらってて、そうそうそうそうそう、どうしようどうしようみたいな感じで、でもまあ、あの、関西圏にいたからすぐ実家に帰って、みたいな感じだったじゃん。そうそうそうそう。だから、私も聞いて、えーみたいな感じだったから。
そうなのよ。で、その後、まああと、ね、あの、母親の家族、親族はまだ中国にいるから、中国にもしばらく行ったりとかして、まあいろんな形で家族に囲まれて、まあ療養することで落ち着いたんだけど、で、やっぱり一旦落ち着いてもその病気の本当に難しいところが、やっぱりまたこう再発、どっかのタイミングで。そうそう、繰り返すんだよね。
そう、で、それがこうなかなか読めないこっちもっていうのもあって、で、かつ、あとその病気で大事なのは薬とか病院でのコントロールなんだけれども、うちの母親が、まあ薬嫌いなんですよ。まあ薬嫌いな人ね、あの、いると思うんですけども、本当に薬嫌いでなるべくこう飲みたくないみたいなのがあって。
いや、なんかそこら辺はこう、なんかね、ネガ中国人気質なところありそうだよね。そう、なんか東洋医学とかなんか料理とか水とかそっちのほうがすごい信じるけど、信じやすいというか取り入れやすいけど、西洋のさ、医学みたいなのはさ、ちょっと気嫌いする、まあそれは日本人の多分こう年齢が上の方も多分近い方はいると思うけど、なんかそういうのはすごい、ああ、なるほどなって思うけどね。でもその中でも特にね、薬がね、嫌いなんだよね。
そうなんですよ。だからまあそれで、それが相まってやっぱりちょっと飲み忘れとか飲まないとかね、いう風になってまた再発するみたいなことが、まあちょいちょいもあって、まあそのために私もすごく動揺して、ああ、あの、動揺してはこう落ち着いたら落ち着いてみたいなことが、まあこの15年ぐらい、あの、まず一つのラインとしてうちの家族のイシューとしてあったんですよ。
あったあった。で、ただまあ父親も結構年齢も上がってきていて、まあそこまでもバリバリ働かなくてもいいかみたいな状況にはなっていたのもあって、まあ子育ても卒業したしね。そうそうそうそう、もう子娘たちも自立したし、あの、まあ経済的にもまあまあ大丈夫かっていう風に思ったのと、まあ母親の状況を見て、もう一旦海外からも帰ってきて、もう日本で母親のそばでやっぱり父親がケアをしようということになったから、それもあって私たち、
娘たちは少し安心はしてたんですよね。で、まあそんな状況が続いてた中、ほんとこのラジオ始めて半年後ぐらいの、あのタイミングで、今度は、ある秋の、春晴れとした秋の日だったね。いやてかね、私思ったんだけど、今も今のタイミングもそうなんだけど、なんか毎回秋なんだよね。私のあれも、なんか誕生日とかの前後とかだった気がしてて、なんか毎回そのぐらいのタイミングな気がする。何かが起きるの。なんか怖いわ。
そう、いやまあそれはいいんだけど、それでその時に、ある一歩の電話がかかってきたんですよね。実家に。で、まあでその、なんかそこから始まった話として、もう一個家族のイシューとして、妹がちょっとやっぱり体調を崩したっていうような話がそこで入ってきたんですよ。
で、妹はそれまでは就職をして、一人で、結婚とかはしてないので、一人暮らしで、ゆゆうじ的にというか、なんか楽しそうに暮らしていて、で、たまに都内というか、関東圏に普通にいるので、うちにも来たりとか、結構定期的に。
娘たちもかわいがってくれて、普通にしてたんだけれども、だからこう元気にやってるのかなっていう様子からね、私たちから見えてたから、思ってたんだけれども、ところがどっこい、まあちょっと病気を抱えていて、で、それをしかも誰にも言えず、家族のね、で、最終的にその職場の連絡から家族が、え、そんなことになってたの?みたいなふうに判明するっていうような事態が、
そうそう。
まあその4年くらい前かな、に、あの、あったんですよ。で、その時、まあその時は母親の症状は落ち着いてたんだけれども、結構うちらの中では衝撃が走って、まあそれすぐね、え?みたいになって、で、緊急回避。
みんななんかこう家族一丸で、お母さん支えようねっていう感じで、ちょっと安定し始めたぐらいの時だったんだよね。
そうそうそうそう。そのぐらいの時、もう10年ぐらいで。
もうママサポーターでみんな頑張ろうみたいな時に、え?みたいな羽もがれたみたいになって。
そうそうそうそう。そっちも?みたいな感じになって、まあいろいろね、妹側もいろいろ事情があったみたいで、
言えなかった事情とかも、まあ理解できるところもあったり、まあでも結構そんなことをここまで一人で抱えてきてたみたいな、結構すごく父親とかもショックを受けていて、
で、まあただ、もうなったからには仕方ないから、家族でサポートしようっていうことで、一人暮らしとかもしてたんだけども、一回実家に帰ってもらって、
で、一緒に病院に行ったりとか、まあ家でサポートできるようにっていうことで、
まあ私はね、自分の家族があるからあれだけども、同じ県に住んでるし、みたいな感じで定期的に会ったりみたいな感じはしてたんですよ。
で、なんだけどやっぱりその妹の病気もなかなか難しい病気というか、すぐに治るような病気ではないので、
やっぱり難しい、すごくこう急速に何かこう状況が良くなるみたいなことはならぬまま、まあしばらく時間がこう過ぎていって、
しかもこうなんか家族側からするとさ、こう客観的に見たら変化がわかりにくいんだよね。
すごくわかりづらい。
その、改善してるのかしてないのか、でそれをいろいろコミュニケーションを取ったりしたいんだけれども、
多分彼女自身もうまく伝えられないってところもあったりして、そのもどかしさがね、お互いあったっていう感じだったよね。
そうなんですよね。で特に、まあそれで実家にいるのが父親と母親と妹っていう3人なんだけれども、
で、まあその中で唯一病気じゃないというか、あの元気なのが父親なんだけれども、
まあこれもね、ちょっとそのここに来てっていうふうに思ったのは、やっぱりその、さっきも話したように父親って本当に昭和型で邁進してきた男みたいな、
24時間働けますか?みたいなね。家庭にいずにっていうか。
そうそうそうそう。母親の病気が落ち着いてる時は、全然その母親が妹とこう喋ってみたいな感じできるんだけれども、
やっぱりこう、母親の病気がちょっと重くなったりとか、まあ母親だけだと解決できない問題とかさ、
とにかく家の今、主というか管理者は一番こう健康な父親になるんだけれども、
これまでのまあ家のその関係性上、妹と父親の関係があんまりこううまく密にコミュニケーションが取れないというか、
お互いお互いのことを、なんかまあはっきり言えばママ好きじゃないしみたいなところもあって、
あの、なんかまあ異婚が残ってるから過去にね、結構厳しく教育されたとか、それ私もすごく分かる部分はあるんだよ妹の考えは。
ただ、とはいえ今のこの状況、しかももう大人になってこう、まあ親にね、ある意味まあ味方としてはさ、
親にまあ、あの、お世話になって出戻りしてるみたいな状況もあるから、
まあそこは自分その立場、妹もその立場を踏まえて、こう、父親にある意味従うじゃないけれども、
父親に、父親とか実家に対して、こう何かいろいろ、なんだろうな、協力的にとかどうやったらこううまくいくかっていうのを、
えっと、やらなきゃいけない立場だと思うんだけれども、なんかそこのコミュニケーションがあんまりうまくいかなくって、
父親からすると、なんかいろんな話をこう聞いてないのに、あの勝手に妹があれを買った、これを買ったとか、まあちっちゃいことからするとね、
あと、まあ昔からあったんだけど妹のその生活態度と、その父親たちがこう期待する生活態度とかが違かったりとかね、
なんか例えば夜型だったりとかするんだけども、なんかそういうのとかも、いやいやしかも病気をこう治そうっていう上ではさ、
やっぱりその生活リズムとかも大事だから、とかね、まあそういうので、まあ些細なことからもうすごくこう、
口論というか喧嘩が結構絶えなくって、まあ最終的にはあんまりもうその父親とやっぱり妹のこうコミュニケーションがうまくいかない、
で、そこにうまく母親がね、入れるタイミングもあれば、やっぱり母親も病気が悪くなったり、そんな余裕がなかったりみたいな時もあるから、
結構その、その家族3人で実家でこう住んでるみたいな状況が、なんかこう大変なあの時とかもあって、
で、で私はたまに実家とかに連絡をして、父親とか母親とかと話すんだけれども、
まあ、なかなかそのそれぐらいしか私もできないというか、もうそこの関係性の話に関してはね、
みたいなまあちょっと、何て言うんだろうな、問題というか、まあそういう状況もあって、
まあしかももうその時、その時点でマッキーはもうマッキーの家庭があって、
で、その実家にその介入できるほどの距離感でもないというか、ある種ちょっとこうオブザーバー的な位置だけれども、
みんなの意見をそれぞれ聞く、訳みたいな、なんかそんな感じだったんだよね。
そうそうそう、だしなんか正直こう言えば、私自身も結構自分のことでもいっぱいいっぱい、
で、当時もなんか仕事もまた新しい、あの本当このラジオが始まったぐらいの時だから新しい部署に移動したりもそうだし、
まだまだ管理職になったりとかね、
そう、そう、そうなのよ。で、その子供たちもまだちっちゃかったし、
まあ保育園児をこう育てながらとか、小一の壁とかありながらあったから、
なんか正直それをもう回すのに精一杯だったし、
なんかそっちもそっちで自分の人生としては大事にしていきたいっていうのもあって、
そこは両親とかとも相談をして、どこまで関与するか妹とかともね、最初話して、
ちょっと私はやっぱりその自分の家族を大事にするということで、両親たちも本当にそうしてくれみたいな感じで、
まあ父親も特にもう自分がいるから、基本的にかといって、
私がね入ってとか頻繁に来ても別に何かその状況が変わるわけでもないしすぐに、
もういいよっていうことで、みんなも理解をしてくれそういうふうにはしてたんだけれども、
まあそうやってたまにね実家に連絡をしたりとか実家に行ったりすると、
その状況の変わってなさすぎに、なんかこうフラストレーションをね、感じたりとか、
なんかこうズドンと来るというか、土曜から毎回ね連絡が来るたんびに、
まあ状況がその、連絡が来るときに大体その状況がちょっと悪くなったとかさ、
まあ悪い知らせなことが多いんですよ。
まあお父さん自身もこう2人をね、こう見てるわけで、たぶんものすごく日々ねストレスは溜まってるのよ。
その中でもマキの家庭に迷惑かけないようにってある種ちょっとこうセーブしながら、
あのマキとの関係はあって、でもそれでもちょっともう無理だってなったときに、
マキに連絡してくるから、往々にマキが連絡を受け取るときは結構シビアな状況の報告が多いんだよね。
そう、本当に父親から見たくないなとか思いつつ、まあでも見ないとなと思って見て、
まあでもある意味その距離があることによって、今もそうなんだけど、そういう感じなんだけど、
なんかその、冷静になれるというかね、一呼吸を受けるから冷静になった。
でもこれも父親は本当にこう頑張ってくれてるなと思って、
本当にいつもありがとうみたいな感じで、大変だよねみたいな感じで、こうやり取りをしているという状況なんですけども、
また今年に入って、そのまあ1個1ライン2ラインあったのに加えて、
まあ母親がね、まあこれはちょっともうあの具体的に表面を出すと、乳がんになったんですよね。
で、それもすごく衝撃的で、
そう、そうなんですよ。
で、まあ去年から実はアメリカに来てくれたりとかっていう話もしたと思うんですけど、このラジオで、
まあそこから帰って、帰った後も実はその、まあ元々の持病の方がちょっと悪くなっている時期とかもあって、
心配してたんですけど、そこに加えて、まあこの今年の頭ぐらいからかな、
そうだね。
そうそう、やっぱりなんかちょっと異変があって、乳がんってね、ご存知の方はご存知かもしれないですけど、結構わかりやすく症状が出る人によっては、
っていうので、母親もそのタイプでわかりやすく出て、で、病院に行ったらやっぱり乳がんでしたと。
で、ただ良かったのが幸いまだステージ1で、
治療すれば、まあ、
他に移転もしてない状況なので、
まあまだ大丈夫というか、治せる対策の必要が全然ある状況だから、
ちゃんと治療していきましょうということで、で、母親もね、分かりましたと。
で、もう一個の持病の方は結構薬飲むの嫌がったりとかしてたんだけども、やっぱり結構ショックだったみたいです。
やっぱがんっていう響きがさ、すごく重いじゃんっていうのもあって、
まあまだこう生きたいし、ちょっとこれが、
若いもんだって。
そう、死ぬのはちょっと早すぎるから、ちょっと頑張って治療しようみたいな感じで、
で、そのね、始まった時はすごくやる気満々だったんですよ。
で、おはようの場合は、なんかね、最初に抗がん剤治療を、
2つの薬を2ターンやる、1ターン1ターンずつやる。
で、合計多分6ヶ月、半年とか8ヶ月ぐらいの間でそれをやって、
で、その後手術をして、で、あとは薬とか定期的痒いでコントロールみたいな感じで。
叩いてくみたいなやつね。
そうそうそう。で、今ちょうど抗がん剤治療第1ターンが終わったタイミングだったんですよね。
で、それで検査をしたら、あの、ちゃんと薬が効いていて、
経過としてはいいですと。だからそのまま次のターンの抗がん剤に行きましょうって言ったその日のタイミングで、
なんか急に治療を拒否しだして、
で、その背景にあるのも、やっぱりその持病側がちょっとこう悪くなってきているタイミングで、
まああの、本人がちょっと、なんか違う病院に行きたいみたいなことを言い始めたりとか、
あの、子供治療をこう受けたくないみたいな風になったっていう連絡を実家からお父さんから受けて、
えー?みたいな感じになって、まあそれが本当に数ヶ月前なんですよ。
1ヶ月くらいかな。
そうだね、1ヶ月くらいかな。
で、えー?みたいな、この瞬間治療を拒否したからといって、まあ1回2回飛ばしたからって何かすごく致命的にね、
この今までの治療がパーとかはないんだけれども、
まあやっぱりこの状況を改善しないと、というかまずその落ち着いて治療を継続できる状況にしないと、
要はその治病側の方をちょっとコントロールしないと、
なかなかね、今後手術とかもこうする時に、例えばこう嫌だとかって突然ね暴れたりとかしても大変だから、
まずはそっちをフォーカスしないといけないですねっていう話を、
ちょうど昨日、あの先週、父親がこう病院の先生と、
まあだから母親はね、病院にももう行きたくないみたいな状況になっちゃってから、
あの父親がちょっと代わりに病院とかに行って先生と話して、
なんかそういうことになったみたいで、
で、一方でなんかあのかといって母親も病院も行きたくないみたいな感じになっていて、
そっちの治病の方もね、嫌だって言ってるから、
で、しかもこう、なんか違う病院に行きたいって言ってるのに、
こう父親とかが、家族が理解してくれないみたいな風に思っちゃっていて、
なんでそんな子、私の入れたいことを、私の意思を尊重してくれないんだみたいな感じで、
ちょっとその父親と母親の関係性もちょっと悪くなったりとかね、
あのそういうのもあって、
なんか結構家族だけでこれを、この状況を父親がもうハンドリングするのは結構厳しいなっていう風にもう思ったので、
あのちょっと父親には市役所とか、やっぱりこう第三者にちょっと入ってもらおうと思って、
で、なんかこういう状況になった、
本当にだからね、市役所サービスというか何て言うんだっけ、行政サービスがすごくいろいろあるんだなっていうのも本当学びになりました、この経験を通して。
で、市役所とかね、多分自治体で連絡をすると、
そうやってケアマネージャーさん、地域の方が来てくれて、
家にしかも来てくれて、話を聞いてくれて、
しかも今のうちの状況を踏まえると、結構このままの状況が続くとやっぱり父親のその命にも影響があるからということで、
なんか訪問看護みたいなこともやってくれるっていうので、
今その訪問看護をしてくれる専門家の人を探してもらっている状況なので、
それを聞いて少しは私も安心したんだけれども、やっぱりもう第三者が入って、
母親と話して、どうにかその病院に行くなり、医療機関につなげるっていうことをしないと、
なかなか家族から、私からも電話して、何回も言ってもなかなかもう、
なんでみんな理解してくれないの?みたいな感じで喧嘩決裂みたいな。
中国の親族からも同じような感じでアプローチしてるんだけど、
みんなもうすごく心配してるのに、ママだけ拒否するみたいな。
っていう状況が続いてたから、本当にそのような、
行政サービスの支援を得られることに関してめちゃくちゃ感謝しているんだけれども、
っていう状況なんですよ。
なんかあれよね、やっぱりお母さんも持病があるとはいえさ、
やっぱり家族って、本当だったら距離、
他人っていうのも言い方悪いけど、家族以外の人だったら、
ある程度気持ちを察してとか、気遣いながら会話ができるところを、
家族が故にズバッていくときあるじゃん。えぐるようになるときあるじゃない。
それってもうコントロール不可能っていうか、
それはなんかこう、どういう病気を抱いたか関係なくね、それが起こるから、
たぶんお母さんもそうなっちゃうと、もうこの状況ってどうしようもないじゃん。
だからある種その行政サービスの方が入ってくれた方が、
お母さんも家族全員がね、ちょっと気をつかなきゃいけない他人じゃない。
その関係がね、
それがある意味うまく進められるきっかけになればいいなと思うけどね。
そうなんだけどね、ただこの結構ほんと病気難しいのがさ、
なんかこう、がんとかは本当に何かこう、
病気がね、体にあって分かりやすく、それを取ろうっていう発想だと思うんだけれども、
母の受病とか妹もそうなんだけれども、
何か目に見える病気なり怪我があるわけではないんだよね、そこに。
だから今どのくらいの状況なのかっていうのが、
可視化できないっていうすごく難しさがあって、
で、このあなたたちの状況なり発言は、
病気が影響しているのか、それともあなたたち自身のものなんですか、
しかもっていうのははっきり区別できない。
で、おそらくしかもそのパーソナリティなり、
もともとの思想なり、母親の薬嫌いとか病院嫌いっていうのがもうすごく影響もしてるから、
なんかそれがすごくやっぱり難しくって、
で、結局第3者には入ってもらうものの父親とも話してて、
でも、とはいえやっぱりその方々がさ、
うちらの家族の、もちろん責任は持たないじゃん。
だから本当に入院を例えばさせるとか、
どういう風に治療を進めていくっていうのかも、
もちろんプロとしてこうした方がいいとか、
本当に状況が最悪の状況になれば多分強制的入院とかっていう手段もあるらしいんだけれども、
なんかこう、まだそこまでいかないレベルだと、
基本的にその病院に来てもらうしかないみたいな。
来てもらったら何かできるけれども、
本人が嫌がってたらこちらから無理やり何かをすることはできませんみたいなスタンスなわけよ。
そうだよね。
で、そうすると結構困る。
向こうだって訴えられたくないしね。
そうそうそうそうそうなのよ。
でも、かといってじゃあそうなると、
今日病院に父親としては連れていかなきゃ連れていかなきゃっていう、
薬飲ませなきゃ飲ませなきゃっていう風に思うんだけれども、
それを言えば言うほど、
なんで嫌がってることをそんなに言ってくんのも嫌だみたいな、
あなたの話なんか聞きたくないみたいに、
家族同士の関係性も悪くなるっていう、
なんかもうその悪循環。
で、私も父親に、やっぱり第三者にね、
昨日も話してて、
第三者にやっぱりそういう医療的なこととかは言ってもらって、
家族としては本当にサポートしようと。
で、教科書とかね、
どうやって家族としてサポートできるかみたいな本を読むと、
やっぱりそういうスタンスが一番いいですって書かれてるのよ。
家族としては何かこう、
無理やりね、病院連れて行くとか薬を飲ませるとか、
なんかそういうことを言うんじゃなくって、
何かたわいもない話をして、
その人の本人のことを尊重してあげて、
その人がね、
例え合理的に考えてちょっと違うようなことを言ってても、
それを認めてあげましょうみたいなことを書いてあるんだけど、
でも父親は毎日その状況を見ててさ、
無理だよ、無理、無理。
無理だよね。
私も短時間母親と話してもそうやって喧嘩になっちゃうぐらいなんだから、
さっき苗ちゃん言ったみたいに、
やっぱり家族で積み上げてきた関係性もそうだし、
そこの空気感もそうだし、
あと目の前でその状況を見てるから、
なかなかそんな綺麗ごとみたいにうまくいかないっていうか、
感情を自分もコントロールできてとかね。
父親も特にパッとカッと熱くなる、
昭和の男っていうのもあるし、
そこも、
まあそうだよなって難しいよね、
それお父さんって言って、
それはちょっとむずいよね、
でももう、
だから父親もその意見も理解はできる、
ただ、できるかわからないみたいな感じ。
言うが優しい、行うが正しいみたいな。
本当にそう、本当にそうで、
でも私が本当にできることは、