母との別れ
五感でつながる開運ラジオはじまりはじまり。 このラジオは、聞くだけで運が開けていく。
今、そこにあるものに気づいていく。 人生の可能性を開くコミュニティ、Vision Quest主催の5個の
そして、その仲間たちが気づきや学びをシェアするラジオです。
ということで、
今日の収録日から
だいたい1ヶ月前ですね。 ココロさんのお母さんのマサヤさんが
あちらの世界に、光の世界に旅立たれました。 ちょうど8日だから、ちょうど1ヶ月ぐらい、今日はね
収録的には3月8日、4月8日なんですけど、3月9日、3Qの日にあちらの世界に旅立ちましたので
3Qと言い残して、かどうか知らんけど
いろいろココロが動いた
ところだったけど、改めて今、お母さんとの
関わりの中でね
ココロさんの中にあるものを皆さんに分かち合えると
互感で感じる、みたいなところに繋がるのかなっていう気もするんだけど、どうかね。
うん、そうよね。
前回にアップしてるラジオが
家で見取りをすることになりましたっていう話だったと思うけど
ちょうど、こうなりましたっていうことだよね。
なんだろうなぁ、なんか今今で言うと
1ヶ月前が明日になるんだけど、約2ヶ月前は
生きていましたよ、みたいな。で、コミュニケーションをまあまあ普通にしていました、みたいなことを考えると
日記みたいなのをつけてたりとかするんだけどさ、それをこの間パラパラパラって見返してたら、その母との
やり取りが記録されてたりとかさ。で、お母さんも帰るね、みたいな。元気でいてね、みたいなことを言ったら
なんかすごいすごい大きな声で、なんか分かりました、みたいなことを言ったのとか書いてあって
自宅での最期
なんかこの時は元気に生きてたんだね、みたいなことを思うと、不思議な感じ、ちょっと。
写真も、なんかその頃は本人も、だから退院するよ、お家に帰るよとかって言ったら
あら、じゃあ私そんなに具合が悪かったわけじゃないのね、みたいなのんきなこと言ってたぐらいだから。
写真撮るとピース採取ですね。そう、めちゃめちゃ元気だったから
不思議、不思議ね、みたいな感じがあるかな。でもなんか、あのそうそうそう、いろんな方に落ち着いたとかって言われるけど
あの私としては
その
もうほんとやりきった感じなので、あ、でフェイスブックをご覧になってくださった方たちも伝わってると思うけど
あの
ありがたい機会をいただけた母を自宅で見とるというか、好きなようにコミュニケーションをとったり
コミュニケーションというか、一方的にだけどね
そうね、最後ね、自宅に帰ってからは
帰ってきた日はまだね、話が少しできたけど、一瞬ね、その翌日ぐらいからもうね、ずっと眠ってるって感じだったもんね
食べもしないし飲みもしないしみたいなね、そうそうそうそう
っていう中ではね、まあでも今から思うとそのお医者様が
あの早くて
月内長くて
3月の中旬ぐらいみたいなことを言っていて早くてっていうところで言うと帰宅してから
1週間ぐらいがやっぱり一番怖かったっていうか
何が怖いんだろうねって本当に思うけど
やっぱり夜中に一人でいて
なんだろうね
何が怖いってもう何がってのはわからないけどひたすらに怖いっていう
感じは体験したかな
お母さんがいなくなるのが怖い
そういうことでもないんだよね
何が怖いってよくわからないよくわからないから余計怖いのかもしれない
かんたん
なんか一人で責任を負ってるみたいなのもあったのかもしれないけど
その時を迎えた時に一人でそれに直面しなきゃならないとか
もあったかもしれないし結局最終的にはお兄ちゃんと私が
添いにというかも近くにいて
そうそう兄ちゃんが夜中になんか何かで目が覚めて
で私のことを呼んでっていう感じ
だったから
それは良かったなっていう感じだね
お兄ちゃんと二人で
そばにいて
そうだね
おばあちゃんも幸せなタイミングに行ったって感じはするよね
あんな幸せな人いませんよって思うよ知らないけど
知らんけど本人も幸せそうな感じで
そうだったと思うし
そんな気はするよね
やっぱり家に帰りたかったっていうのもあるし
あのあんな風に自分に家族や孫やいろんな人が意識を向けてくれる
ことって
ないよね人生で
結婚式お誕生と結婚式ぐらいじゃない
と最後の人生の節目
そう生まれた時は全然記憶ないだろうし
結婚式は本人がそんな幸せだったかどうか知らんし
なんで
知らないそれは分かんないじゃん
でもなんかしみじみ幸せだっていう風に思ってたんじゃないのかなっていう感じがあるよね
そんな感じだったな
私だったらありを幸せだね
すべての なく身近な人が
あの ちやほやしてくれる感じ
いとこまで来てなんかおばちゃんはちゃんなんか 来たよーみたいなこと毎日朝晩仕事に行く前帰ってきた後に
来て手握ってくれるなんてないでしょ
ずっと眠っててちょっとね反応したりするけど目は閉じたままでっていう時も
まあ周りのみんなのやり取りを全部聞いてる
て言うからね
面白かったのはその
そういうそういう意識状態にあってもなお その
ヘルパーさんとかが来たりとかするんだけどさ そういう人たちが来ると言うこと聞くっていうか
家はお口のケアしましょうねーみたいな感じで ヘルパーさんがいると素直にするけど私がやろうとするとぎゅって口に閉じて
いい なんかさせないみたいなのとか
なんか なんか外面いいのは変わらんねーみたいな感じ
終わったけどね
まあでも本当にあの
だから 看護師さんとかがねやっぱり
マイペースにすごくあの通常だったらもう 特にあちらの世界に飛び立っているような状態にも関わらず
省エネ運転すごい続けているあたりとか もう何かあの
なんかねまさよがね そんな一生懸命にならなくてもいいみたいなね
命の流れ
チャランプランでも十分生きていけるんだ みたいなことをなんか最後までこっち実践して
見せてくれたなんみたいな感じは あって
私の中でこんなか 家の母は父とすごく中だったのよ
実際喧嘩を過ごしてしてたしそれも有名な 話なんだけど
子供としての認知は私の子供としての認知は その母は
父と仲が悪い ことで不幸だ
かわいそうな人生を送っているっていうふうに思ってたんだよね 私の価値観的子供なりの子供から見たらねそう
なんだけどそのその設定で 母の世界を見るといろんなことが惨めに見えてきたりとかするわけ
なんだけど だんだん最後の方になってもっと事実を事実として見ていくとストーリーが
書き換えられていくっていう感じがあって 確かに不幸だった瞬間はあったと思う
父とふなかのことで面白くないなぁもっと仲良くできたら よっぽど楽しい人生だったはずみたいなのは母の中に絶対あったと思うん
だけど それが彼女の人生すべてを暗くしてたわけではないんだな
いうのはものすごい受け取ったんだよね どんなとこで受け取った
まあまあ好き好きに生きてたねっていうことを よくよく思い返すとよくよく返すとまあまあ
母は母のやりたいことを 曲げずに
主張し 結局それをな子供たちが叶えていくみたいなことも含めると
いやなんか私が思ってたような母不幸な母とかかわいそうな母とかっていうのは ほんの一部でしかなくて全体としてはいろいろあったうちの一つぐらいでしかないの
かなぁみたいな感じ になったね
なんか はっきりしてたもんねはっきりしてだ
はっきり言うし 一つも曲げない自分が悪いと思わなかったら決して謝らないっていうか悪いと思って
ないみたいな感じ まあでもなんかそこまで頑固な感じではなくすごい自然に
表現してる感じがあるよね自然に自分が正しいと思ってたねあの人は うんまり力が入ってない
感じ うーんそれがムカつくんだけどね
ムカついてたけどそういうこととかも なんかいろいろ振り返ると
10そうそう自由で天真爛漫の人でしたねっていう感じがすごい あって旅立ち方もなんかそんな感じだねっていうのは
ブーバーしないの水も飲まないっていう中でずっとね穏やかに 出て
水行くんかなーって感じだけど 一度一気吹き返したからね
看護師さんからはもう終末ぐらいみたいな感じの声があったから私また余計すごい 怖かったんだけど
いつの間にかあらーみたいな復活しましたねみたいな感じになったりとかしていっ てね
そうそうそう まあでも
あの 人の死に方
っていうのは あの自宅で死ぬ自宅で見取る自宅であのあちらの世界に旅立つってことは
確かにあの 実現したかもしれないけど
いつどのタイミングで行くかとかっていうのは 本当わからない話だし
命はほんとコントロールできない いなっていうのはなんか今回見ててすごい思ったよね
どれが自分で決めていったような気もせっかくはそもちろん 命レベルでは自分で決めていったんだと思うけど
世の中にはいろんな 旅立ち方があるわけですよ
なんでそのタイミングでそこを歩いてたのみたいなところに後者崩れとかさ 本当にたくさんある中で
全部死に方ってほんと選べない な
って言う すごい実感したよね今回たまたま自宅でねいけたみんなに囲まれていけたけど
選んでというよりは 何かの流れでたまたまそうなったんだよ
状態が整ってたよねたまたまねって後は そうだねもう一つ思ったのは思ってるのはやっぱりその
お母さんにさあそのお家に帰りたいいいみたいなことを前からあの 施設に行ったりとかすると家に帰りたいわーみたいなことは言ってたの
言ってたんだけどそれをどうして連れて帰ってくれないのみたいにこっちを責める ことはなく
素直にお家に帰りたいってこと言ってました 今回もどうどうって言ったらもう昨日だって今日だって明日だってずっと帰りたいと思ってる
わーみたいなことからはっきり言われて そこまでそうなら何かそうしようかなってこう素直に受け取ったって感じがあったんだけど
ああいうふうにこう願いをストレートに 出してもらうと
こっちはすごいストレートに受け取るっていうか 受け取った上でできるかなできないかなっていうことを考えられたなって思ってて
ねその恨みつらみとか避難するような形感じで言ってるじゃなくて 純粋に
生き方の選択
そう願ってるっていうのがそのまま出てる そのまま出してくれるとこちらとしても
そのまま受け取った上でこっちがどうしようかなっていうそのキャッチボールができる なと思っててあれ大事だなとはやっぱ思うよね
そのどうしても人ってことをしてしてくれないのか知らなかしらとか わかってほしいみたいなコミュニケーションしたりとか
こう言ったら目をかけちゃうでしょみたいな感じになるからさ なんでわかってくれないのかとかねなんてくれないのっていうふうにどうしても
なることはあるよね人間ある でもそれがあんまりないよね正さんそういう意味だねうーん
そうそれが 引き寄せたとも言えのね
うーんそうかもしれないねわかんないけど
個人的には個人的にはその 初めてこうフリーランスというか企業に勤めてない
自分の働き方が良かったな っていうその生き方の肯定にもなったっていうのはすごいあって
そうねーでもだから
ほんとこれがフェイスブックにも書いたことなんだけど 死に方はなかなか選べないけど
一番人が選べるのって生き方なんじゃないのかなっていうのは今回すごい実感している ところ
みんなあれだねお母さんもあるしお家に帰りたいというのは死に方を選んだんじゃ なくて生き方を選んでるのかもしれないね
なんかそうかもねー 生きるってことを選び続けて
お家に帰って 死ぬってこと本に思ってなかったからね確かにお家に帰りたいっていうのは
お家で行きたいって言うの選択
確かに本人しほんと死ぬとは全然思ってなかった気がするのよ わからないけど見とるっていうのは周りがね
持ってただけで もういいねーなんかそういうんか帰りた時でそうそうそんなに悪かった
悪くなかったのかしら 天天てるんですよ
生きる気満々生きる気満々だったよね確かにね そう
なるほどねだからやっぱりその
どう行きたいかっていうことは 結局どうなるかわからないけど
世界に発することはできるんだよねとは思う?
そうだね
なんかこう自分で何とかしなきゃとか
自分が何とかしなきゃみたいにね
背負っちゃうようなことあるけど
純粋にこう行きたいんだっていうのが
そのまま場に出されると
周りも受け取って
それを応援しようとするみたいな
ストレートに世の中に放つっていうか
世界に放つっていうことは
結構遠慮しがちだよね人って
何だか知んないけど
本当にやりたいことに限って
なんか知らないけど遠慮するとか
言わなかったりとかするけど
願いを出すっていうのは
もちろんそれが全部叶うかどうかは別の話として
出すことはいいんじゃないのってやっぱり思うよね
生き方を選べる生き方を選ぶってことは
ある種宣言するっていう言葉として
素直に表現するってことなのかもしれないね
そうなんですよ
その後の私に
まだ1ヶ月だけど
結構大きく影響してる感じをしていて
同時にこうしなきゃならないとか
なんかのんきに生きてるようですけど
やっぱりそれなりにいろいろ考えたりとかして
していない自分はいまいちだなとか
まあまあ日々日々思ったりすることが多いんだけど
すごいそれ思うこと今でもあるんだけど
秒速でそれいらんしっていう感じで
なんか
今のこれでいいもしくはこうしたいのかな
っていうことにつながろうっていう風になってるのはある
な
もしこういう風に生きてて困ったことが起こったら
その時考えようみたいな感じ
っていうのかな
素直に自分につながって
素直に表現するということが
自分の生き方を選んでる
っていうことなのかなと
生き方を選べるっていうので
それが結局
見事な死に方につながる
結果的につながったみたいなことなのかもしれないね
ね本当わかんないけどね
運を引き寄せる行動
でもあの
これは開運ラジオですけど
相当な開運ポイントなんじゃないかって
今ちょっと思いましたけどね
開運式ってあちら側に行かれましたね
そういう意味では見事に
そうね
ってことはやっぱり開運してる人の近くにはさ
まあまあ開運することが起こりやすいと思ってんのね
なんか運の良さって
分かち合われるという気もするから
なんかその純粋な環境をそのまま表現してるっていうことが
周りの純粋なものを呼び寄せるというか
響き合う感じがあるのかもしれないね
それで言うと私最後にやっぱりこう
あれをね
お母さんが死ぬ12時間前に
温泉行ったっていうのも相当な開運したね
あれを言うんだね
あの
もう結構
10日以上
もう本当にこう
家から一歩も出ないような
そうねずっと一緒にいたからね
難勤生活みたいなのを送ってる中で
その時のぞみが帰ってきてたけど
なんか私が今一番やりたいことは映画を見に行くか
温泉に行くことだみたいな話になり
両方とも
この世界から違うところに行くみたいなさ
しかも連絡が取れなくなるぐらい
離れるみたいな感じだったんだけど
どっちかって言ったら温泉の方がいいなみたいな
って行くことに決めたけど
あの時に一番自分に問うたのは
今やりたいことを自分に与えるっていう感じ
温泉なんか一通り落ち着いたらいつでも行けるじゃない
っていうことってこっちの声のささやきはあったんだけど
いや今行くからこそ大事なんだみたいなことは
ちょっと怖かったけどね
あれを自分に許すのはちょっと怖かったけど
結果言って
言って何もなかったし
なんかあったとしてもそんなに後悔はなかったと思うんだけど
言っといてって感じだったろうねお母さんはね
その夜中だったからね結局ね
行かせてくれたのは本当に
あれを大きなやっぱり自分を
二人よりも大事にしていくっていうのは
最後のお気にあげだった感じがするよね
っていうことを考えるとさっきの話もつながるけど
いろいろこんなことしていいのかなとかこれできてないなとか
しょっちゅう考えたりとかするけど
やれてないことじゃなくて自分の何が大事なのかなってことに
すごいつながることに
軸を戻すみたいなのはできてるっていうか
やってるかなっていうのはあるね
つながって開いてるって感じだね
ということで長くなりましたけど
でも大事な話だよね
かなり大事な回運ポイントをお伝えします
はいということで
どうも聞いていただいてありがとうございました
ありがとうございました
それでは
じゃあまたね