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2025-05-02 21:29

vol.43 娘の成長と在り方を見て感じたこと

河本夫婦の娘さん・のぞみちゃんがオーストラリアから一時帰国をしていました。オーストラリアに渡ってから、たくさん葛藤もあったのぞみちゃん。彼女の葛藤やその乗り越え方を見て、あきらさん自身も改めて気付かされたことがあったようです。自分のまま、まっすぐに生きることの尊さや大切さを改めて感じられる回です。

※のぞみちゃんのnoteはこちら

https://note.com/soranoiro_12

サマリー

このエピソードでは、のぞみさんがオーストラリアでのワーキングホリデー中に体験した不明熱や、彼女の心の葛藤と成長が描かれています。また、タスマニアへの移動計画や、その過程での柔軟な対応についても触れています。さらに、娘の成長を通じて自己受容の重要性が考察されており、彼女のノート作成に対する情熱が自己発見にどのように繋がるかが深く掘り下げられています。特に、親が子どもから学ぶ価値やその影響についても言及されています。

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五感でつながる開運ラジオはじまりはじまり。 このラジオは聞くだけで運が開けていく。
今、そこにあるものに気づいていく。 人生の可能性を開くコミュニティ、Vision Quest主催の
ココノ、アキラ、そしてその仲間たちが気づきや学びをシェアするラジオです。
はい、ということで。 前回は、マサヨ旅立つ、 マサヨさんのね、最後の話しましたけど。
のぞみちゃんの体験
について話をしたんだけど。 わが、我らの娘の
オーストラリアにワーキングホリデーで行っていた、のぞみちゃんもね、母来とく、違ったら祖母来とくか、早く帰れじゃないけど、一時帰国してました。
結局1ヶ月ぐらいね。 1ヶ月はいたね、余裕でね。
のぞみちゃんもいろいろあったんだよね。 だから、おばあちゃんのとくというかね、もうそろそろ最後の時よっていうこともあったけど、本人が
ネオスラに行ってから、原因不明の熱を繰り返し、
4、5回、39度ぐらいまで出して、寝込んで、3日ぐらいね。 復活したら、また1、2週間で、また熱が出て。
結構不明熱だったから、一回、まあ帰ってきて、日本でも調べたらどうだ、みたいな。 向こうでもちろん調べてたんだけど。
まあみたいなこともあり。いろいろあったよね、合わせてね。 帰ってきてたんだけど、っていうこともあって
もう結構彼女もいろんなことがあったよね。
なんか、そうそう、あのね、ノートに、ブログで自分の心の中に
起こっていることを、結構ストレートにね、そのまま素直に表現してくれてたんだけど。
だからそう、あんまり、あの、やり取りはしてないけど、こんな感じでいるんだなっていうのをね、ちょこちょこ
見てはいたんだけど。 なんだろうね、あの
やっぱりこう じゃないといけないんじゃないか。前回の話も出てたけど
こう、できてない自分はダメなんじゃないかとか。 なんかいろんな感情がこうね、誰しも浮かんでくると思うんですけど、彼女もまさにそういう
ワーキングホリドで来てんのに、結局何回も寝込んでいて、何しに来たのか私はとか
高校の場所に何か認め、受け入れられてないんじゃないかとかね、いろんな不安というか
思いの中で 過ごしている感じがあったよね
なんか その
ワーキングホリデーっていうものの概念がさ、私もあったけど、海外で暮らす
だけじゃなく、働くみたいな。 だからそれっていうのは
あの、働いてなんぼ?みたいな。
で、なんならすごく生活費は全部自分で回して、暮らしてきました、生活
異国でもできましたを証明する、みたいな感じがね。 みんなそうだとは言わないけど、なんかなんとなく蔓延してるというか、うっすらね
そのワーキングホリデーってそんな感じ?みたいなのがあるけど、 のずみもそういうふうに思ってた節があるって自分でもね、なんか書いて言ってたけど
ヨーロッパからのホリー参加者とかっていうのは、むしろなんかホリデーの方はやっぱり強いらしいんだよね、雰囲気として。
途中で途中で、まあ働くみたいな。もちろんお金がね、なくなったら、あの生活ままならないっていうのはあるけど
もうちょっとゆとりがある感じ?
それこそ、純粋に楽しむ、必要な分を純粋に稼ぐ、みたいな。
働くってことも体験として捉える、みたいな。働かないと、やってけないというよりは、なんか異国で働くっていう体験を楽しむというか、体験していく、みたいなね。
そこら辺のフラットなところにも、なんか落ち着いていった感じがあったよね。
散々苦しんで、それこそ働かざるものを食うべからず、みたいなね。
それこそ、私自分にもね、あったり、みんなにもあったりするかもしれないけど、
そういうところにひたすら
居続けて、でもその感情を見ないようにしたりもしながら、でも結局その感情に向き合いながら、ずっと行くとこまで行って、
で、なんか、ほんと手放したら、なんか逆にすごく楽になるというかね。
なんか、ちゃんとやらなきゃいけないんだ。それは、安心するためにというか、
証明することでね。
働いて稼げる自分っていうものがあれば、大丈夫。
働いて稼げない自分はダメ。だから頑張る、みたいな。
なんか、不安を安心に変えたいから、頑張ってたんだけど、
でも、やれることを今までもやってきたし、
稼いでようが、稼いでなかろうが、なんか自分は自分で、
ここにいるんだ、みたいな。もういいやっていうふうに、
手放したら、
その求めてた安心がそこにあった、みたいなね。
そんなことを言ってたよね。
すごいよね。みんな安心するためにいろんなことやってるのにさ、
そうじゃなかったっていうのってさ、
あそこまで働けない体質になってしまったというか、
熱を出すというね、ことで初めて至った境地って、
すごい抜けるっていうか、抜けた感じっていうのが伝わったよね。
まさに山節の受け保護の感じだよね。
袖をそのまま受け保護ってした時に、
やっぱりそこに、なんだろう、そこに命そのものがあって、
命そのものと共にいるっていう感じはすごい安心感で、
そこから何かこう、動きたかったら動くし、
休みたかったら休むし、
すごい正直なというか素直なというか、まさに互感で、
今を感じ取ってるって、これが一番満たされてるんやろうね。
面白かったのはさ、日本に帰ってきて、結構総合病院でもう1回いろいろ調べてもらったじゃない?
いろいろ調べる限り、理由はやっぱりわかりません。
唯一、熱が出た瞬間に調べることによって、
これかもしれないって唯一、まだ特定できてないみたいなのが残ってて、
次、熱が出たらそれかもしれないね、みたいな感じで残ってたじゃない?
で、日本にいる結構出発する1週間ぐらい前に、また熱出ましたと。
でもある種、また熱出たの日本でみたいな、向こうでストレスとかそういうことが全くないにも関わらず、
安心な場所にいるにも関わらず、熱出すってどういうこと?みたいな感じで、
とはいえ、すぐに病院、最後のチャンスです、みたいな感じで。
で、いっそその病気であってくれ、みたいな感じで言ったけど、結果としてそれでもない、みたいなことが出てきて、
要は結局不明熱を出す子、ラベリングがついたっていうかさ、
で、なんかいっそ病名ついてくれ、みたいなのがあったけど、それでもなかったねってなった時、
なったってことがまた、いつか熱を出すかもしれないっていうことと共に、私は生きていくんだっていうあたりの、
なんか、ひとつの情けなさでもあり、しょうがないねっていう感じのね、受け入れ感も。
まあ、そのまま引き受けたっていう感じがあるよね。
それを引き受けると、熱が出ませんっていう、そういう話じゃなくて、でもそのまま引き受けると、ちょっともう感じが違うというか、
なんやろうね、腹の巣あったと、なんかそんな感じはちょっとしたね。
タスマニア行きの計画
そうねー、なんか、結局それで帰ってというか、オーストラリアに行って、どこに行くかっていう、
働き先もない中で、どこに行くかっていうことがやっぱりひとつのさ、
焦点。どこに行ってもいい中で、何をしたいの、みたいになった時に、なんとなくずっと気になってた、タスマニアっていう土地名が出てきて、
それ本人もなんとなく気になってたし、いろんな人からもそういう名前が出てくる、みたいな時に、
まあその、行く場所をなんとなく調べていく中で、
ちょっと面白いかもって思ったところがあったじゃん。そこが電波が通じない山奥だ、みたいなところになり、
住み込みで働くやつ。そうそうそうそう、農場で働くっていうかね、
なんか自然めいっぱいなところで、みたいなのになったのも、なんかめっちゃ面白い選択するなって、ちょっとやっぱり思ったけど、
それでまあ聞いてみたら、運良くその行きたい日にちがまあまあピッタリ合う、みたいな感じになったから、
それそれスムーズな流れかなぁと思いきや、行く直前に、そこにいる全員が今インフルエンザで倒れちゃってるから、
その、来ないか期間を伸ばすか。
延期かキャンセルかどっちかにしてね、みたいなのが来てたよね、メッセージが。
あれも、なんかあの時ののぞみちゃんの、何て言うかな、慌てない感じっていうかさ。そうだね。
なんか呼ばれてないから行くのやめようか、みたいな感じになるのかなと思って、オーストラリア出発するのやめんのか、みたいに聞いたら、いや行くよ、みたいなね、普通な感じだと思うね。
なんか、じゃあ違うのかもっていうことでもなく、
何て言うか、ちょっとだから行くのは遅らせるしかなくなっちゃうけど、その他の人の発症とかないのであれば、ちょっと遅らせていくことにする、みたいな感じになってね。
なんかそこらへんのこの、ある種柔軟な感じ?
は、なんか落ち着いてたよね。そう。
ああいう落ち着き感は、やっぱこう、そのままを引き受けてる、引き受け感と繋がってて、
そのまま、引き受けられずに、いろいろ頭で考えて、こうなったらどうしようとか、あったらどうしようっていうふうに。
ね、呼ばれてないのかとかね。
じゃなくて、全部をそのまま引き受けてる感じは、なんだろうね、年齢に関係なく、その人がその人であるっていう感じがすんだよね。
自己受容と親の気づき
で、そう、私なんかも、サラリーマン生活も30何年でですね、で言うとこう、なんていうのかな、やっぱり仕事、会社から役割としてね、求められるものがあって、それに応え続けてきた、みたいなね、自分も含めて、周りも含めて、
なかなかその、世界、つまり、期待に応えるとか、役割を果たすみたいなところにどっぷり行ってて、自分の、なんていうのかな、そのままをそのまま引き受けるみたいな、モードに、ちょっとなってないように見える人もたくさんいる感じはしていて、
それは自分もそういう風になるときもやっぱりある。でも、ありたいのはその、引き受けてる感じ。そのままを、自分の命としてそのまま引き受けてるっていうような、なんか自分、そのままの自分と自分が一致してるような。
そういうモードは、それこそね、娘だけの望みがそういう感じになってるっていう、その感じから、すごいなんか影響を受ける。すごい大事やなーっていうことを、改めて気づかせてもらった感じがするんだよね。
影響を受けるよねー。ちょうどその前に、前かなんかに、どんなことがあっても私は大丈夫であることを決めたみたいなね。これやっぱ決めるっていうのも大きいよね。大きかったんだろうなと思うよね。
自分の立ち位置を決めたってことでしょう。
そうだね。それも散々、不安とか恐れとか恐怖とかの中に、いながら自分とずーっと対話し続けて、そこにたどり着いたというかね。もう考えたくないからもうこう決めたとか、無理やりにとか、ああいう感じじゃない、引き受け感っていうのかな。
結構日々忙しいと、考えたくないというかね。その中に留まっていたくないから、忘れようとしたりね、避けたりするんだけど。
そういう、自分の中にあるものと結構共にいてたよね、奴は。大したもんだよ。若いのに。
若いのに。エルダーだよ。
本人はそんなつもりはないけど、師匠ってさ、弟子側がこの人はこの師匠だって決めたら、その瞬間師匠になるって言うじゃないですか。
師匠が、俺は師匠だって。
師匠ではないってことね。
関わるっていうのは、師ではないと。だから師匠の人って、師であろうとしてないよね。でも弟子側が、ああ、こういうやり方すごい大事でありがとうございますってなるわけで。
だから、ただただ自分の命と繋がって、ただそこにいるっていうかね。ただその人であるっていうことのインパクトがどんだけあるかというか、それに触れた人が、ああ、その感じやっぱり大事やっているのは、もう死になっている感じがするんだよね、それ。
娘のノート作成と自己発見
そこまで言うとちょっと言い過ぎていますか、褒めすぎて言いますか、まあまあジタバタしてると思うんで、あれなんですけど。
でもまずそのあり方としては、そういう一瞬でもそういうのに触れると何か記憶に残るっていうか、エッセンスがこっちに入ってくるっていうかね。
もちろんね、ずっとそういう、そんな仙人のようなことではもちろんないから、でもそういうあり方を言葉にしたり、表現できるっていうのはすごいと思うね。
うん、なんかでもね、お昼を食べてた時に、そののぞみと話してた時に、そのノートを書くのすごい楽しいんだって、楽しいっていうかすごい好きなんだって。
ああいうふうにまとめるには時間がかかってるらしいんだけど、さらさら書けてるわけじゃない、時間かかるけれどもやりたいこと、みたいなこと言ってたから、へーなんて言って。
で、そのノートを書くっていうことは、のぞみにとってどういうことなのかな、みたいなことをちょっと掘り下げていったら、結局のところは自分がどういうふうに生きていきたいのか、というか生きていくのか、ということを自分で検証していくための研究資料だという結論になったわけですよ。
で、なんかすごいスッキリしたみたいで、だからなんかこう読んでいくと何とかになりそうとかさ、何とかが自分は好きそうみたいな感じで書いてるから、確かに研究論文っぽいな、みたいな。
自分研究。そうそうそう。でもああいうふうになってると、他の人が読んでても結局刺さることが刺さるというかさ、伝わってくるものがあるんだなっていうのは思ったけど、なんか相変わら的にね、急に相変わらの話しますけど、彼女はゴールドというカラーを持っていてですね、ゴールドというカラーを持っている特性としては、仮説検証を繰り返して自分のオンリーワンを見つけていくっていう。
あの、傾向性があるんですよ。発揮してるってこと?そういうふうに言うと、すごいそこにそぐってて、スッキリ落ち着いてるんだろうなーってちょっと思ったりとかはしたけど。
まあ、自分の娘に対してどこまで言い過ぎちゃうのかみたいな話もあったけど、他にも、のぞみのブログに心がかされてるおじさんが他にもいたりするので。いますね、確かにね。
そういう意味では、おじさんだけに呼んでほしいってわけじゃないけど、いろんなものを背負って頑張ってる人に、ちょっとその言葉に触れてもらえると、何か自分の中にあるものをそのままあるものとして、受け取る、引き受けるみたいな。
そういう感じに、自分の中にあるものに気づけるきっかけになるような気もするので、よかったらリンクでも貼っとくか。
今は電波の届かないところにいるので、更新されてないと思いますけど、でも勇気もらおうね。
親バカ全開でしたけど、そろそろ終わりでしょうか。
キリがなくなりますからね、親バカは。犬も食わない感じになってきます。
それは夫婦限界じゃないですか。
そうでした。
聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
それじゃあねー。
プチッ。
21:29

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