ハートに火をつけろ!
こんにちは、創業期のスタートアップ投資に特化したベンツラーキャプタル、ANRIの代表、佐又安里です。
この番組では、毎回様々な起業家精神を持った方をゲストにお呼びし、
その人を突き動かす熱について、深く掘り下げ、熱くためになる話をお届けしています。
今回のゲストは、株式会社ロッテホールディングス代表取締役社長の玉塚元一さんにお越しいただきました。
本日は玉塚さんに、そもそもどういう育ちで、何を考えて生きてきたのかということ、
あとは今挑戦されているお仕事についてお話を伺えればと思っております。
では玉塚さん、よろしくお願いします。
ANRIちゃん、よろしくお願いします。お呼びいただいてありがとうございます。
ということで、玉塚さんについていろいろ伺っていきたいと思うんですけれど、
このシリーズ、僕、スタートアップの方と普段話してるんですけど、どっちかというとスタートアップじゃない方で、
ただ、僕から見てスタートアップの起業家っぽく挑戦されている方っていうのを、
本当にその料理の世界とか、アートの世界とか、漫画とか、いろんな世界で起業家っぽく挑戦されている方を、
いろいろお話し伺いたいなといった時に、玉塚さんがいる、
お声掛けをしておりますので、
ちなみに何回か玉塚さんにお話しして、信じてくれないんですけど、僕は子さんの玉塚さんファンで、
信じてません。
さっき送ったでしょ、10年ぐらい前のツイッター。
あの時から、大学生の頃からリバンプの玉塚さんって人がかっこいいと思っていて、
要はその事業の手触り感があって金融っぽいことをレバレッジできる人っていうのが、
大学生で全然事業も金融も分かってない人間的にもかっこいい人。
そういう中でベンチャーキャピタルっぽい人、あとは企業で投資っぽい人、
例えばイーロンマスクとかピタチェルみたいな人とか、そういう人に憧れがあったんですよね。
でもその憧れてるってとこはすごいよね、着眼点が当時から。
なんとなくそういうのがやっぱり。
いわゆるオペレーション事業の感じと投資の感じ、どっちかだけでもなく、
両方みたいなところに興味を示すっていうのはすごいですよね。
ありがとうございます。
そんなこと学生の頃なんて俺考えもしたことなかったでしょ。
すごいなと思いますよ。
ここからが僕の間違いで、玉塚さんをかっこいいと思ってどうするかっていうので、
アサヒガラスっていう玉塚さんの新卒の会社を、僕しかも2回受けました。
いい会社ですけどね。いい会社だけど、でもリクルート結果として、結果オーライじゃないですか。
説明会行って、なんで受けたんですかって言って、御社に玉塚さんって方がここにいらっしゃってっていうので、
本当に無反応だったのを覚えてます。
やめたやつですからね。本当に申し訳ない。
でもそのおかげで、アサヒガラスがいかにすごい会社かっていうのを知れたんで。
とんでもないです。
ということで、そんな玉塚さんをこんないいチャンスでお呼びできて非常に嬉しいです。
スタートアップの世界のいろんな方とかが聞いてるんで、改めてなんですけど、
玉塚さんっていう人がどんなキャリアを送ってきたのか、簡単に伺ってもいいですか。
簡単に言うと、やっぱりAGCですね。最初13年いたんですね。
長いですね。
僕はやっぱり最初2年間いきなり工場から始まったんですね。勤務が千葉の。
僕の中ではこれはすごく良かったと思ってて。
ものすごく現場じゃないですか、工場って。安全靴履いて、ヘルメット被って。
そこでやっぱり、どうやって化学品の工場だったんだけど、
物を作ってるのか、どうやってコスト下げてるのかっていうのを、
本当に現場の人たちに教えてもらって、そのスタートが大きいのと、
やっぱりアサヒガラスの時に、僕やっぱり海外に行きたかったんですよ。とにかく。
ずっと上市に行ってたら、入社4年目、20何時にシンガポールに行かせてもらって。
シンガポール当時、部下2人、ローカルの。年少10億くらいの商売のリーダーで。
抜擢されたんですよ。前任者45歳くらいの方だったんですけど。
ここでやっぱり時代は1989年。まだ生まれてない?
5歳です。
歴史の教科書。
1989年から93年で、時代背景的には今と逆で、うわーっと円高になっていくんです。
そうすると日本の製造業の競争力を失っていくから、どんどん最初アジアにシフトしていった工場が。
パナソニックとか東芝さんとかミニベアさんとか。
僕の仕事はその出てった工場に、日経を中心とした工場に化学品の原材料を売ったり、
精密部品の洗浄剤を売ったりっていうのをやっていくんですけど、
どんどんお客さんが増えるから売り上げがどんどん増えていくんですよ。
4年やって10億だったら売り上げが100億くらいになり、部下が2人だったのが20人くらいになって、
やっぱりある種の経営的な、マネジメント的な経験をできた。それも海外で。
これはものすごく大きかった。これは感謝ですよね。
AGCでその時にすごい思ったのが、やっぱり基礎体力ないなと思ったんですよね。
経営って面白いなと思ったけど、バランスシートもいまいちだし、キャッシュフローステートメントもいまいちだし、
ABCって投資オプションがあった時にロジックでどれが一番いいかみたいなのを選ぶみたいなのもあれだったんで、
一回これ経営、勉強しなきゃダメだなと思ってたら、たまたまいわゆるビジネススクールの留学制度の案内が来たんですよ。
MBAもそのために必要なGMATとかTOEFLの試験とかそういうのも知らずに、コラーって思ってすぐ応募して、
商売の成績すごい良かったから、すぐ役員面接になって、結論として出してもらうことになって、
必死にGMATって英語で算数やる試験があるんですよ。600点かなんか取らないとリストの学校行けないんだけど、
最初模擬試験受けたら230点かなんかで、それでそこから一生懸命勉強して点取って、
アメリカの大学院2年行ったんだけど、やっぱりこの時に、安里さんの仕事にも通じるんだけど、
アントレプレーナー、企業家っていう人たちは初めて会ったんですよ。
日本で当時はまだ企業家っていうと松下幸之助さんとか、ソニーの小板さんとか、
本当にレジェンドの世界ですね。
国以外はほとんどみんな大企業だったし、確かに柳井さんも少し始まってたし、リクルートの江添さんも始まってたけど、そこまで。
みんながチャレンジできるって雰囲気じゃないじゃないですか。特別な世界で。
僕でもアメリカ行った時に、結構アメリカの学校でそういう人たち呼んでくるんですよ。事業に。
それでもう1500個ぐらいの企業を作った経営者が30代後半ぐらいのキャップでジーンズで、この商品で世界を変えるみたいなことを話すわけですよ。
それで僕らが何質問しても、もうめちゃくちゃ的確に答えて、夢語り続けるわけ。
僕はこの人たちには日本は絶対勝てないなと思ったんですよ。強烈に。すっごい危機感を持った。正直。
なぜかというと、当時の日本の経営者の雰囲気、僕のイメージは黒塗りの車に乗ってて、ポマードで、夕方になると両手いって、スピーチは原稿読んでみたいな。
今はもうそんな経営者は大企業でもできないからいないけど、我慢すぎてて。
当時MBAであったアメリカの経営者とかと、当時の日本の経営者はすごいギャップがあるってことだよね。
と思った、僕は。ここで勝負してない感じがしたし、本当の意味で経営してるのかどうかっていうのは、本当に鮮烈な言い方で申し訳ないんだけど感じて、すごい危機感を持ってAGCに飛び出すんですよね。
それで僕は本当は自分で将来やろうと思ったんですよ。
だけど当時はまだそういうVCみたいな、アンリーさんみたいな人もいなかったし、そういう周りでガンガンやってる人もいなかったし、アイデアも生まれなくて、走行してる間に柳井さんに出会うんですね。
ファーストリテーリングの山口のまだウベの本社だった。年少700億くらいの時ですね。
700億か。
1998年。
これだからいわゆるユニクロがフリースをさらに出す前の。
前です。
直前です。
バッドボーイとか売ってた頃ですよね。
そうです。
ナイキとかチャンピオンとかを目玉商品として。
自社ブランドとしてのユニクロというよりは、いわゆる洋服屋さんというか。
ナショナルブランドって言うんだけど、チャンピオンとかへの。あれがNBがほとんどで、PBという今で言うユニクロ。ユニクロ今100%PBだけど、PB比率は15%くらいだったんじゃないかな。20%多分。
それで屋内さんにお会いして、AGC辞めた後、お金貯めなきゃいけなかったから、IPMにお世話になっている間に給与も良かったんで。
そうしたら営業で行ったらお会いしちゃったんですね。
それで僕は、ほんとすげえなと思って。目つきとか考えていらっしゃることとか。
もう1回屋内さんのところに飛び込んで、エキス吸いまくれば自分のやりたい事業が見つかるだろうと思って、飛び込むんですね。
これ一貫して経営者になりたいっていうのがあってやっていくんですか?
極めつけはやっぱりシンガポールの4年間で、経営に近い仕事をして最高に面白いと思ったのと。
少しパーソナルな話をすると、僕のひいおじいさんっていうのは、実はひいおじいさんの前に、ひいひいおじいさんが玉塚商店という両替屋をやってたんですね。日本橋で。
僕のひいおじいさんはそれを近代的な証券会社に、今風に言うとトランスフォームして、それなりのサイズにした玉塚証券って当時はあって、初代の東京証券取引所の理事長なんかもあった人で。
この玉塚英次郎さんという方が、僕1962年の5月生まれなんですけど、1962年の10月に亡くなられたんですね。
僕を初孫で抱いて喜んだけど、当時末期がんで。その5ヶ月後に亡くなるんですね。
その後、実は玉塚証券は日本の証券不況で耐えられなくなって、3社合併して新日本証券になり、その後和光証券の合併して新興証券になり、今水穂証券のDNAのほんの小さい一部に、実は玉塚証券ってあって。
で、そのおばあちゃんがすごい人で、おばあちゃん生きてたんですね。答えるごとに僕ちっちゃいじゃないですか。
あんたは英次郎の生まれ変わりだから、確かに5ヶ月後に亡くなったから、必ず玉塚証券もう一回やらにはいかんって言われて。
そういう背景もあり、なんとなく子供の頃から悔しい。やっぱそれが亡くなっちゃったと悔しいみたいな思いがあったんですよね。
なんとなく経営とか商売とかにすごい興味があった。
ちなみにちょっとそれちゃうんですけど、現代にその感情だったら起業してたと思います?
現代の環境?僕はしてたと思います。うまくいったかどうかは別にして、トライはしてたと思います。1回、2回、3回ぐらい。兄ちゃんに出会えればね、うまくいくだろうけど。
イカつい人がいるって言ったらもう投資させてもらってましたね。
それで話戻すと、柳井さんにお会いして、この人のエキソースを吸おうって言ってユニクロに入る。
飛び込んで。でも最初飛び込んで、山口の上だったんですよね、本社が。体育館みたいな本社で。
本当にそこに朝から晩まで、ずっとユニクロをどうやったら日本一。当時は日本一ですね、まずは。
今、世界一って考えてますけど、ほんとそれが近いけど、日本一のブランドにできるかっていうのを、本当に朝から晩まで。
でもね、ずっとみんな仕事してるんですよ。それでね、体育館みたいなとこに、ワンフロアにみんないるじゃない。
で、個室柳井さんだけなんですよ。で、ドアがギーって開くと、開いたってなって、沢田くん、玉塚くんとか言って呼ばれて、はいとか言って呼ばれていったりとか。
まあでも今考えると、めちゃくちゃ楽しかったですよね。だし、死ぬほど勉強になりましたよね。
当時でもユニクロって、まだまだ進行のアパレル。
アパレルとかジーンズ、ディスカウントジーンズチェーン店ですよね。
ですよね。
いわゆるライトンさんとか、ジーンズメイトさんとか、そういう人たちとの同じドメイン。
確かに、ロードサイドにあってって感じですよね。
でもやっぱり、経営者にお会いしていく中で全く違ったってことですか。
やっぱり明確に、やっぱり日本のアパレル業界って非常に非生産的だと。で、売る人は百貨店、基本的には。
それで作る人はメーカー。で、アパレルって黄色が流行ったり紫が流行ったり、断頭になったら急にダウンが売れなくなったりする水物だと。
だから百貨店はリスク取れないから100仕入れるけど60しか売れなかったら40返品できると。
で、それをまず問屋に返品して、その後問屋もまた商社に返品して、またそれをメーカーに返品する。
したがってこのリスクがあるから、本来1000円で売れるものが1万円ぐらいで、大した品質もないもので売られてると。
で、これを例えばカジュアルウェアっていう分野に特化して品番数を徹底的に絞り込んで、品番数を絞り込んで部品として完成度の高いカジュアルウェア、
例えばデニムジーンズ、オックスフォードシャツ、コットンのセーターみたいな本当の定番商品をきっちりサイズと色で揃えて完成度を上げて、
そのかわし、販売も製造も全部自分たちリスク取る。需要予測を完璧にやって、タイムリーに生産させて、生産スピードのタイムラインをすごく短くして、
これをぐるぐる回すような仕組みを作れば絶対に日本を制覇できるみたいな。
そのためにはこういう商品が必要だ、そのためにはこういうシステムが必要だ、そのためにはこういう生産背景が必要だ、
そのためにはこういうデザインケーパビリティが必要だみたいなの、なんとなくイメージ全部あって、
ワープロに6、7枚ぐらいのメモで、全部そのために3000億のカジュアル製造小売企業を作ると。
そのために必要な商品、店、人材、システムみたいな。今でも僕持ってますけど、ワープロね、ワードで。
でもその通り、それを超える現状になってますけれども、それをでもずっと言い続けるんですよね。
ずっと空直に言い続けて、途中山登っていくところで道反れたり、その通りにならなかったりしてアジャストするけど、
基本的にはチャレンジしてすぐアジャストして、チャレンジしてすぐアジャストして、でもビジョンは絶対ぶらさない。
みたいなことって、52週間日々一緒になって商売して、右、左、やめ、行け、みたいなことを一緒にやってると、やっぱりそれで死ぬほど経営的な勉強になりますよね。
そして矢内さん、知り合いがいるんでファーストリーチャリングに、超現場主義というか、いまだ超現場主義ですよ。
でもやっぱり経営ってすごい現場って重要で、結局経営者の仕事って現場で何が起きてるのか、やっぱりファクトを認識、正しく認識する。
これがまず最初の出発点で、そこで思い込みだったり、現場とずれたことを認識した上で仮説されてても絶対上手くいかないんで、
やっぱりどんなに大きくなったとしても、現場で何が起きてるのかってことは、今の時代だとこれAI使ったり、いろんなことをすれば把握の方法あるだろうけど、
ファクトを正しく認識して、正しい仮説を立ててぐるぐるやっぱ商売回していくっていうのは、僕はやっぱり経営の基本だと思いますけどね。
それはまさにおっしゃる通り。うちも今ちょうどここの収録のオフィス、起業家たくさんいてもらってますけど、
起業家の方が人数が多いんですよね。これはファンドって大きくなるときれいなオフィスに入り、ファンドだけで固まると、
ファンド同士で群れたりするんですよね。これが多分危ないと思っていて、なるべく起業家といるようにしたほうがいい。
特に投資のメンバー以外の人がだんだん増えてくるわけじゃないですか。そうするとその人たち起業家に合わないままずっといけるんですよね。
これが絶対に危ないと思って、なんでいかにここに強制的に起業家と生活できるようにするかっていうのがコンセプトでこうしてる。
起業家にいてもらうたびにいろんなものを準備して、なんでもあるのでいてくださいってやってる。
やっぱりだって安里さんなんて何百社、何千社なのか分かりませんけど会社見てきて成功するケース、うまくいかないケース、
みんな例えば1億のとき、5億のとき、10億のとき、30億のとき、100億のときって多分いろんな壁があって、でも共通項もあって、
で突破する人の共通項とか突破しない人とか、やっぱりベンチャーキャピタルみたいな仕事ってそういういろんな各ステージでやっぱり起業家が頑張ってるんですよみんな、必死に。
頑張ってるけどやっぱりここってこういうことを見た方がいいんじゃないの?ここってこういう人に相談した方がいいんじゃないの?
ここってこういう仕組み作った方がいいんじゃないの?みたいなことが言えるような軍団であった方がね、やっぱりバリューはありますよね多分。
それ以外だと思う。
てかもったいない。僕は何百社も見ていませんもん。
これしかやってないんだよ僕ら。
だから投資の基準だからね、でもね。
まあでもやっぱり起業家って生き物も変わってくるじゃないですか。時代も変わってくるので、なるべくフレッシュで、
特にやっぱりファンドとしては伸びてる起業家に長くいてもらう。だからこの起業家で入ってもらって伸びてる会社はもうちょっと席用意するんで、もうちょっと長い人行きませんか?って言って、
誘致活動ずっとしてるというか。やっぱり生きがいいというか、伸びてる起業家が何考えてるかとか、日々どんなこと悩んでるかとか、どれぐらい働くのか。
やっぱりすごく伸びてる会社っていうのは、どんな人を新しく入れてくんだろうっていう仲間を。
大学生にどうやって話してるんだろうとか。
だからそういうのがいかに分かるかっていうのがこの商売のなんか。
これでもさ、やっぱり僕がね、自分でやりたかったっていう時と今とすごい違うと思うんですよ。
ここの現場でもね、あの部屋にたくさん頑張ってる仲間もいるし、似たようなことで悩んでたり、兄さんがこっちにいたりすぐ近くにいたりしてさ。
何なんですかね、やっぱりスタートアップ、新しい企業がボコボコ生まれて、そっから本当にメガベンチャーが生まれるみたいなことって、この国にとってものすごく重要だと思うんですね。
だから僕今ロッテでもCBCやってますけど、個人的にもすごい応援してるけれども、どうなんですか、やっぱり成功させるパターンとか、その中でうまくいく人たちとか、特徴とかなんかあるんですか、やっぱり共通点とか。
でもなんかその柳井さんの話なんですけど、異常に高い山の頂きを見てる人ってのはいますよね。
もちろんいろんな人いるし、人間的にすごくいいやつも、結構とっつきづらいやつもいますけど、やっぱり本当に大きいものをずっと見続けられる人ってあんまり多くないな。
この国にとってこういうことが必要だよねっていうのを、有名な人もいるけど、有名じゃない人もいますけど、見続けられる人ってだんだんみんな、とはいえこの辺の着地点であるじゃないですか。
そこがなんか変わらないというか、僕はメルカリの山田慎太郎さんって大学生の頃から幼なってるんですけど、僕が大学生の頃から、メルカリの前の回知られた時から、世界で使われるウェブサービスを作りたいって言ってて、今も言ってることそれほど変わらないというか。
そこに解像度もなんもなく、これを達成しないと自分の人生は終わらないのであるっていうのが、一回も変わってないの見たことない。もう20年見てるんですよ。
で、やっぱちょっとホラー味見てるというか。
でもそういうゴールセッティングができること自体が、そしてそれをぶらさずに信じられること自体が能力ですよね。異常な。やっぱそういう人ってやっぱりいるわけですよね。
僕もだからチューリングっていう会社として立ち回ってますけど、山本一世って社長はずっと人類にとってこの辺をやらなきゃいけないと思うんですよねっていう、よくわかんない話をずっとするんですよ。もう3年半ぐらいずっと見てるんですけど、人類にとってってよくわかんない話をずっとしてるんですよね。でも確かにだんだんそれに近づいていってるし、世の中も確かそういう感じのことになっていくし。
質問なんだけどね。その柳井さんみたいにあるいはメルカイの山田さんみたいに大きい頂きをそれをもうずっと追い続ける。でこれ一生やってるわけじゃないですか。柳井さんも。やってますね。やり続けてるわけじゃないですか。でこれって本当尊いしすごいことだけど一方で今例えば20代ぐらいでもすごい頑張ってる。
それこそ10代から始めて1個2個失敗して3個目でうまくいってまだ20代後半30代前半みたいな。いわゆるシリアルアントレプレーナー的な人たちっていうのも今までこの国にあんまりいなかったと思うんですよ。でこういう人たちが増えてくる。でこういう人たちっていうのも成功確率やっぱり上がってくと思うんだよね。
上がってきますね。このコミュニティはどう思います。いやめちゃめちゃいいと思ってて。僕も4,5年ぐらいに例えばレイヤーX、ノットワーホテル、あとはジョーシスとかそういう近い世代でシリアルってやってる人たちをいっぱい投資されてしまったんですよ。