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ノオト・ブク太郎
ほう。デジタルツールが、まぁ提供側の意図した使い方だけじゃなくて、ユーザー自身の手で、こう新しい意味とか価値を与えられていくっていう。まさにそういう事例っぽいですね。それはおもしろそう。
ノオト・ブク子
ええ。
ノオト・ブク太郎
具体的にはどんなふうに使われてるんですか。
ノオト・ブク子
はい。まずですね、ひろひろしさん、2024年の5月からこのしずかなインターネットで、なんと毎日欠かさず日記をつけてるそうなんです。
ノオト・ブク太郎
へえ。毎日ですか。それはなかなか。
ノオト・ブク子
すごいですよね。ご本人としては、結構読まれてるなっていう実感があるらしいんですけど、そのアクセス解析とかを見てみると、その読まれた回数とか、あと滞在時間とかですね、その多くは実は自分の息子さんとか娘さんによるものなんじゃないかなって推測されてるんですよ。
ノオト・ブク太郎
ああ、なるほど。外部の不特定多数の読者っていうよりは、むしろ身内、ご家族がメインの読者になってるかもしれないと。
ノオト・ブク子
そうみたいなんです。
ノオト・ブク太郎
それはちょっとおもしろい状況ですね。普通ネットで日記書くっていうと、まぁいろんな人に向けて発信するイメージですけど。
ノオト・ブク子
ですよね。ひろひろしさんによると、どうもお子さんたちがお父さんの日常にすごく興味を持ってるみたいで。
ノオト・ブク太郎
うーん。
ノオト・ブク子
パパは普段会社で何してんだろうとか、休みの日ってどんなこと考えてるのかなとか。
ノオト・ブク太郎
ああ、なるほど。
ノオト・ブク子
特に平日はね、なかなか一緒にいる時間も限られてるからこそ、その父親の知らない一面を知りたいみたいな、そういう気持ちで暇を見つけては日記を読みに来てるんじゃないかなって。
ノオト・ブク太郎
なるほどね。子供の立場からすると、公開はされてるんだけど、普段は見えない顔みたいなのが見れる。ちょっと特別な窓口になってるってことか。
ノオト・ブク子
そういうことみたいですね。
ノオト・ブク太郎
でもこれって書く側からするとどうなんでしょう? 嬉しい反面、なんかちょっとやりにくさとかそういうのはないんですかね?
ノオト・ブク子
まさにそこがポイントで、ひろひろしさんご自身もこの状況に安心感とあと少しの緊張感、この両方を感じてるって書かれてるんです。
ノオト・ブク太郎
安心感と緊張感ですか。なんか反発するような感情が一緒に。
ノオト・ブク子
まず安心感の方なんですけど、これはやっぱり家族からの反応が日記を続ける上での大きなモチベーションになってるっていう点ですね。
例えば娘さんと普通に話してる時に、ふとパパは最近それがあったからねとか、そういえばさ、いつも薬ばかり飲んでるよねみたいな、そういう言葉が出てくるらしいんです。
ノオト・ブク太郎
日記に書いた内容を知っているっていう、そういう前提の会話になるわけですね。
ノオト・ブク子
そうそう。で、ひろひろしさんが、え、なんで知ってんの? って聞くと、娘さんが、だって日記に書いてあったじゃんって。
これには、あー、ちゃんと読んでくれてるんだなーって素直に嬉しくなるって書かれてますね。
やっぱり自分の書いたものを身近な人が読んでくれて、しかも内容まで覚えててくれるっていうのが書き手としては励みになりますよね、それは。
ノオト・ブク太郎
たしかにそれは嬉しいでしょうね。特に家族っていうね、一番身近な存在からのフィードバックですもんね。
でも一方でその緊張感っていうのはどういう?
ノオト・ブク子
こちらはですね、やっぱり公開されているっていうその事実から来るものみたいですね。
ノオト・ブク太郎
プラットフォームの性質上。
ノオト・ブク子
しずかなインターネットには検索エンジンに乗らないようにしたりとか、はてブのコメントを非表示にしたりとか、そういう有料オプションもあるらしいんですけど、
ひろひろしさんの日記は基本的にはみんなに公開の状態だと。
ノオト・ブク太郎
ということはまぁ、持論上は誰でも見れる、アクセスできる状態にあるということですね。
ノオト・ブク子
そうなんです。そうなると予期しない読まれ方をしたりとか、あるいは文脈を無視して一部分だけ切り取られて拡散されたりとか、そういうリスクもゼロではないわけですよね。
ノオト・ブク太郎
うーん、いくらしずかなって売ってても、インターネットである以上は完全に閉じた空間っていうわけではないですもんね。
ノオト・ブク子
ええ。
ノオト・ブク太郎
これはもう、どんなプラットフォームでもある種の普遍的な課題というか、そういう側面はありますよね。
ノオト・ブク子
おっしゃる通りです。ただ、ここでひろひろしさんの捉え方がおもしろいのは、この緊張感が必ずしもネガティブなだけじゃないって感じてらっしゃる点なんですよ。
ノオト・ブク太郎
ほう、ネガティブじゃない?
ノオト・ブク子
むしろ息子さんとか娘さんっていうすごく具体的な読者を強く意識することで、書く内容とか表現になんかいい影響が出てるって感じてるそうなんです。
ノオト・ブク太郎
え、いい影響ですか? それはどういう?
ノオト・ブク子
例えば、こういう書き方しちゃうと息子は嫌な境地になるかもなとか、この言い回しはちょっと娘には刺激が強いかなとか。
ノオト・ブク太郎
ああ、なるほど。
ノオト・ブク子
そういうふうにすごく具体的な読み手を想定して、言葉を選ぶようになるらしいんです。
ノオト・ブク太郎
うんうんうん。
ノオト・ブク子
で、それが結果的に文章を何度も見直す、遂行する上ですごく役に立ってると。
ノオト・ブク太郎
なるほどね。漠然とした世間の目とか読者一般を相手にするんじゃなくて、顔が見えて感情も想像できる特定の誰か、つまりお子さんたちですね。
その子たちに向けて書くんだっていう意識が、かえって筆を慎重にさせて表現をより良くする効果があると。
ノオト・ブク子
そういうことみたいです。
ノオト・ブク太郎
いやー、これは重要な視点ですね。つまりここで最初のキーポイントが見えてきましたね。
オンラインでの発信っていうのは、たとえ個人的な内容でも、意図しない身近な読者の存在によってその性質が変わることがある。
そしてその見られている意識は必ずしも何かを制限するだけじゃなくて、むしろ表現を豊かにする可能性もあるんだと。そういうことでしょうか。
ノオト・ブク子
まさにそういうことだと思います。で、この家族が読んでるかもしれない日記っていう状況が、実はさらにユニークな発想につながっていくんですよ。
ノオト・ブク太郎
え? 非同期、つまり時間を合わせる必要がなくて、かつ任意性、読むも読まないも自由っていうそのコミュニケーションのある意味極みみたいな感じですね。
ノオト・ブク子
ええ。
ノオト・ブク太郎
同期的な会話だと、どうしてもその場の反応とか返事が求められますけど、この形式なら受け取る側は自分のタイミングと気持ちが整った時にプレッシャーなく情報を受け取れる。
で、送る側もその反応を過度に期待しない。
ノオト・ブク子
そうなんです。強制しない関係性の中で、それでもつながりを維持したり深めたりするための、なんか一つの工夫ですよね。
ノオト・ブク太郎
うん。これは 現代のコミュニケーションにおける一つの問いを投げかけているようにも思いますね。
常につながっていることが求められがちな今の社会の中で、相手に負担をかけずに、でも温かいつながりを保つための余白みたいなものを、私たちってどうデザインできるんだろうかっていう。
このこっそりお手紙はその一つの答え方なのかもしれないですね。
ノオト・ブク子
本当にそうですね。そしてこのこっそりお手紙作戦、実はですね、嬉しい返事もあったらしいですよ。
ノオト・ブク太郎
おお、それは気になりますね。どんな?
ノオト・ブク子
まだスマートフォンの文字入力がそんなに得意じゃない下の娘さんが、ある日パパへっていうタイトルの記事を、同じように自分だけ公開の設定で残してくれてたそうなんです。
ノオト・ブク太郎
へー、娘さんから。
ノオト・ブク子
内容は本当に短いものだったらしいんですけど、それでも返事があるっていうのはやっぱり嬉しいものですねって、ひろしさんは書いていらっしゃいますね。
ノオト・ブク太郎
いやー、それはハコロ(心?)が温まるエピソードですね。始めた側だけじゃなくて、相手からも同じやり方で応答があったと。
これで、このユニークなコミュニケーションのチャンネルが一方通行じゃなくて、ちゃんと相互的なものとして機能してるんだってことが示されたわけですよね。
ノオト・ブク子
はい。そしてここで注目したいのが、プラットフォームの機能そのものの役割なんですよね。
ノオト・ブク太郎
機能というとどういうことでしょう。
ノオト・ブク子
このしずかなインターネットだと、記事を作る時のデフォルトの公開設定を自分だけにしておくことが可能らしいんです。
記事によると、公開範囲を選んでから歯車のマークを押すと設定できるみたいですね。
ノオト・ブク太郎
なるほど。デフォルト設定が自分だけにできる。それが重要だったと。
ノオト・ブク子
そうなんです。もし仮にデフォルトがみんなに公開だったら、まだ操作に慣れてない娘さんが書いたそのすごくプライベートなパパへのお手紙が意図せずに全世界に公開されちゃうなんていう事故が起こってたかもしれない。
ノオト・ブク太郎
うわー、それはたしかに危ないですね。考えただけでもちょっとヒヤッとします。
ノオト・ブク子
ですよね。
ノオト・ブク太郎
これはまさに第三のキーポイントにつながりますね。
特に個人的な、あるいは実験的な用途でデジタルツールを使う場合、プライバシー設定の分かりやすさとデフォルト設定の安全性というのがいかに重要かということですよね。
ユーザーが意図しない情報漏洩を防いで、安心して使える環境を提供することが、こういう創造的なツールの使い方を下支えする基盤になるんだと。
ノオト・ブク子
まさに、ツール自体の設計思想というのが、ユーザーの思いがけない、でもすごく価値のある使い方を後押ししたり、逆に阻害しちゃったりすることもあるんだなーって、テクノロジーと人間の関係を考える上で、すごく示唆に富む話だなと思いました。
ノオト・ブク太郎
本当にそうですね。一つの掲示ですけど、そこからいろいろな側面が見えてきましたね。
ノオト・ブク子
さて、ここまでひろひろしさんのnote記事を基にして、しずかなインターネットというプラットフォームのある意味ユニークな活用事例を見てきました。これらすべてが私たちに何を教えてくれるんでしょうか。
ノオト・ブク太郎
そうですね。
ノオト・ブク子
まとめると、公的な日記としての側面と、家族とのすごく私的なコミュニケーションツールとしての側面を、一人のユーザーが独創的に融合させているというお話でした。
ノオト・ブク太郎
ここから見つ引き出せる重要な洞察を改めて整理すると、3つありましたよね。
ノオト・ブク子
はい。
ノオト・ブク太郎
一つ目は、オンラインでの私たちの活動というのは、意図しなくても家族みたいなすごく身近な人たちによって読まれたり解釈されたりする可能性があるんだということ。
公私の境界線って思った以上に曖昧になりうる。
二つ目は、デジタルツールが対面ではちょっと難しいとか照れくさいみたいな、そういうコミュニケーションのギャップを埋めて新しい関係性の形を可能にするポテンシャルが持っているということですね。
そして三つ目が、そういう個人的で繊細な使い方を安全に実現するためには、ユーザー自身がちゃんとプライバシーをコントロールできる機能の設計、特にそのデフォルト設定の重要性がすごく高いんだということでした。
ノオト・ブク子
技術はあくまで道具ですけど、使う人の工夫とか思い次第で、人間関係に温かみとか奥行きみたいなものをもたらす触媒にもなり得るということですよね。
ノオト・ブク太郎
そしてその使い方っていうのは、時に提供側の想定を軽々と超えていく。そこがまたテクノロジーと人間の関係のおもしろいところですよね。
ノオト・ブク子
本当にそうですね。では最後に、これを聞いているあなた、リスナーの皆さんへの問いかけです。
あなたが日常的に使っているスマートフォン、SNS、メモアプリ、まぁあるいは他のどんなデジタルツールでも構いません。
それをもしかしたら少しだけ型破りな方法で、あなたにとって大切な誰かとのつながりをもっと豊かに、あるいはもっとちょうどいい距離感にするために応用してみるとしたら、どんな使い方ができるでしょうか。
特に面と向かってはちょっと言いにくい、そんな思いを伝えるために、少し想像を膨らませてみるのもおもしろいかもしれませんね。今回の探究はここまでとしましょう。