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スピーカー 2
13歳からのPodcast。この番組は、もし13歳の頃に戻ったとして、どうしても伝えたい生き方やノウハウを発信するPodcastです。
スピーカー 1
ということで始まりました、13歳からのPodcastでございます。今回もよろしくお願いいたします。
スピーカー 2
お願いします。
スピーカー 1
はい、さかきばらでーす。
スピーカー 2
さかきばらでーす。
スピーカー 1
今回もまたちょっと重めなテーマを持ってきてしまいまして。
スピーカー 2
来ますね、もう。悲しい。
スピーカー 1
とうとうこのPodcastもここまで来てしまったかという。
スピーカー 2
1年も続ければいろんなこと話し尽くしますし、そういったことに踏み込んでいきたいところですよね。
スピーカー 1
はい、じゃあいよいよテーマ話しますか。
人生の意味について調べようというテーマでございまして。
スピーカー 2
最終回ですか?
スピーカー 1
いやいやいや。
そういった回なんですけれども、13歳の頃とか、いわゆる思春期みたいなのを通じて、子供時代が1つ終わって大人になっていくっていうプロセスになっていくっていうのがよくある話。
世間的には言われてることですし、学問的にもだいたい13歳以降からそういうフェーズに入っていくっていうふうに言われてるんですけれども。
特に過去の経験とかある中で、死について考えることとか、あとはそれにそれの裏返してじゃあ何のために生きるのか、人生とどういうふうにやるべきかみたいなことを考え始めるような頃なのかなっていうのもあったりはするんですよ。
今回もいろいろと実際こういうのがデータとしてあるんだよっていうのをお見せできればと思ってまして。
スピーカー 2
お願いします。
スピーカー 1
あなただけの問題ではないんだよってことをちょっと今回の話を踏まえながら見ていきたいなというふうに思います。
そうですね、まずちょっとふわっとした調査じゃなくて、本当インターネット上でアンケートを取ったときに死についてどれぐらい考えているかっていうのを調べた調査結果があって、
スピーカー 1
これがマーケティングサイトの若者リサーチっていうところが2025年に14歳から20歳、13歳はちょっと入ってないんですけれど、
大体その辺りの年齢の子たちに死についてどう考えているのかっていうのを調査してみたという結構ダイレクトな調査がありまして、
スピーカー 2
71%の人が死について考えたことがあるというふうに言っていたと。
考え出すんですね。
スピーカー 1
考え出しているし、7割の子たちは死について考えたことあるよみたいなこういう状態があります。
スピーカー 2
その理由として主にあったものとしては、やっぱりその身近な人が亡くなってしまったっていうのをこの年になって経験をするようになっているからっていうのがあったり、
スピーカー 1
家族の死だったり、あとはペット、愛してたワンちゃんネコちゃんが死んでしまったっていうのもあったり。
その中で自分にとって身近な存在が、死が訪れるっていうのを体験することによってそれについて考えるようになるっていうのは実際問題、よくある話だったりするっていうのがあります。
他にもいろんなケースがあって、最近というかこの中で出てきているのは作品、いわゆる映画とかアニメで死を扱ったテーマについて、そういった作品を見ることによって死について考えるというケースも多いそうで。
フィクションの中ではあるんですけれど、死後の世界とか生まれ変わりについての話だったりとか、あとはデスゲームとかも死について取り上げてるテーマですからね。
生きるためにどうするのかみたいなこととかも考えたりはしますし、あとは死後の世界みたいな、天国があるのか地獄があるのかみたいなことを考えるっていうこともその作品の中で経験しているっていうところではあります。
あとは本当に自分がいじめられたりとか、あとは孤独を感じるときに死について考えるようになるっていうのも現実問題よくある話だったりするっていうことがあったりします。
逆に3割の人は死については考えていないっていうのがあって、これは本当に今は幸せだからっていう、今が幸せだから別に死んだこと考えない、死ぬことなんて考えたくないよっていうことを言っていたりとか、
あとはまだ死ぬ年齢じゃないよねっていう、13になっていきなり死ぬみたいなことではなくても、おじいちゃんとかおばあちゃんとかになっても生きていたいっていうのもあったり、そういった感じで死がまだ遠いものだっていうふうに考えているからまだ考えたことがないっていう人も一定推理っていうのは重複してあります。
逆に考えたところで何にもなんないよなっていうのを、いわゆるちょっと悟りみたいな感じで、死について考えるのはもう無駄だよねっていう考え方をする子も一定推理だっていうのがあり。
これはそうですよね、意外と13歳の頃にしては結構大人びてるなーっていうのが、私たちの。
スピーカー 2
あれこれ考えてもみたいな、開き直り方みたいなの俺にはまだできてないな。
スピーカー 1
全然できないっすね、みたいなことを考えるようになってるっていうのが。
これは本当に生の声を、2025年の本当生の声を調べてみたよっていう調査があります。
スピーカー 1
これをもう少し学問的に深掘ってみようっていうので、スクールカウンセラーもやりながら教授をやっている伊藤美奈子教授という方が指導した研究があり、これは小中高生を対象にした資生家に対する調査っていうのを行っていたと。
これは具体的にどういうことかというと、生と死についてどう考えていますか。
あとは今ちょっと欲打つ感って言って打つっぽいとか、ちょっと気分が落ち込んでますかとか。
あとは自分の体を傷つけた経験、いわゆる事象考慮したことがあるかどうかとか。
あとは相談相手がいるかどうかみたいなのをいろいろ統合的に見ていくといった調査をやっていたのがこの研究です。
で、いくつか結果があるんですけれど、小学生、中学生、高校生っていう3つの流れの中で考えていて、
死は怖いですかっていうのを捉えている割合は、実は中学生の時に1回小学校の値からガクッと下がるっていうのが見られていて、
これはつまり死について怖いっていうふうに小学校の頃考えていたのが82%いたのに対して、中学校の子たちは75%まで下がっているんで、
78ポイント下がっているっていうのがちょっと特徴的っていうのがあったりします。
逆に高校生になるとまたちょっと戻ってくるっていう、本当わずかな差ですけど75%から77%とかになってるっていうのはあるんですけど、
1回小学校の小学生の頃から中学生になるにつれて死について怖いっていうふうに考えるのは考える割合がちょっと減っているっていう特徴的なところかなというふうに思いますね。
で、その中で死が怖いっていうふうに考えるのと、あと死は身近にあるものっていうのをまたちょっと分けた時に4つの属性の人がいて、
死が怖くて死は身近にあるもの、死は怖いけど遠くにあるもの、逆に死は怖くないんだけど身近にあるもの、死は怖くないんだけどちょっと遠くにあるものっていう。
それぞれの属性があるなっていうのがあります。
これをちょっとまたいろいろなんちゃらタイプっていうふうに言ってるんですけれど、これをちょっと説明していこうかなと思ってまして、
で、その今言っていた4つのタイプの子たちが小、中、高生でどうなってるかっていうふうに言うと、まず全体としてはこの言っていた死は近いし怖い存在であるっていうふうに言ってる子たちがまず大多数いるっていうのは
5、60パーぐらいの年代でもありそうだっていうのがまず一つあります。
スピーカー 1
小、中、高でね。
そうですね。で、小学校から中学生になるにつれて特徴的なのは、この文献の中で言ってる遠ざけタイプ、死は遠くて怖い存在だっていうふうに考える子たちが減っていて、
逆にこの神話タイプって言ってる死は身近なんだけど怖くない存在であるっていうふうに考える子が増えているっていうのが言えていて。
それが小学校から中学校に限って上がっているし、それは高校になっても上がっているっていうのがこの調査の中でわかったことですね。
スピーカー 2
いわゆる本当死というものに対してがちょっと身近にあるものだけど、そんなに怖くないっていう子たちが増えているっていうのが言えているっていうことですね。
スピーカー 1
で、その結果さっきの言っていた調査、ウェブの調査で言うと、死は別に身近にあるものなんだけど考えたって何もならないから別に考えたところでしょうがないでしょっていうふうに考える子たちがいるっていうのはこう連動して出てきているっていうのが特徴的なのかなというふうに思いました。
というところです。で、これが一応死について考えていることで、関連したところでいくと、いわゆるその死を身近なものでかつ怖くないっていうふうに考えている子たちが自傷行為をどれだけやっているかっていうふうなものがあり、やっぱり死を身近に考えている子の方が自傷行為をやっている割合が高いっていうのが得られているんですよね。
これは自傷行為をやった子たちがある割合の比率は中学生が小中高の中で一番多かったっていう。だから中学生の頃、自傷行為をやるっていうのが多いっていう特徴があり。で、その中で死を近いもので怖くないというふうに考えている子たち、逆に死は遠いんだけど別に怖くないもんだっていうふうに考えている子たちの方、自傷行為の方が多かったっていう結果が得られているっていうことがわかりました。
これらを踏まえてどういうことが言えるかというと、死は怖くないという子たちほど日頃の生活から不安を抱えているっていうのではないかということがあり、死を怖がらせてはいけないというふうに本当に言えるのか、死ぬのであるか、そこを避けるのではなく死について考えることで、死刑について考えるようになったほうがいいんじゃないかみたいなことを。
研究の中ではそういうのは大事だよというふうに言っているっていった結果がわかったということなんですね。ここまでが調査の話でしたが、田中くん的にはどう思ったこととかありますかね。
スピーカー 2
よく言われるのが、これは若い人に関わらずなんですけど、いわゆる歴史が進むにつれて、昔は宗教とかが強い力を持っていたから、神様が生きろって言ったら、それは生きるのが当たり前だったんですけども、産業革命とかが起きて、
みんなが宗教以外のルールであったりだとか、おのおのがおのおののルールで生きるようになった世の中っていうふうに言われているんですけども、そうなってくるとやっぱりね、昔のようにみんなが宗教宣示出て、宗教が生きろと言うから自分も生きるんだみたいな、
生きる理由を神に委ねる人が減ったというか、委ねてもそこまで強くなんなくなっちゃったみたいな感じ。そういった意味でみんながおのおの生きる意味みたいなのを自分で見つけないといけない世の中になってきたっていうふうには、ここ200年とか、本当に長い歴史の中では言われてますし。
そういった中で、じゃあもうちょっと子供にフォーカスして考えるってなると、やっぱりそういうふうな中学校とか高校っていう家庭内と社会との狭間みたいな、そういう移り変わりの時期なわけじゃないですか。
そうですね。 そういうふうに、そういった中で、いろんなルールの下で学校の中でも人々が生活してて、自分はどういうルールに従って生活していくのか生きていくのかみたいなのが、すり合わせたりだとか時には摩擦起きたりとか、本当にだから平たく言えば潔気盛んな時期だからこそこういうふうに悩んだりだとか、
死に対する考え方が変わったりする時期でもあるのかなっていうのは思いましたね。社会と、今の社会に触れ合うっていうのはあるし、そういうふうなことを死について考えざるを得ない、生きる理由について考えざるを得ない時代なのかなっていうふうには思いましたね。
スピーカー 1
それはすごく感じていて、昔の記憶の話なんですけれど、私、別に入信はしてないんですけど、友達がやっていた教会のミサとかに、小学校の頃行っていたことがあって、あの時に、「あなたの命は神様が授けてくれたものであり、神様が生かしてくれた命に感謝して今日も生きましょう。」みたいなことを、
スピーカー 2
教え解かれるわけなんですよ。それを小さい頃から日頃言うようになっていたら、それはもう教育というかすり込まれていって、神様に生かされているのでそれに感謝して生きていくっていう考え方をするわけじゃないですか。
スピーカー 1
ヨーロッパとかアメリカとかは割とその価値観が昔からあって、神様が生かしてくれたっていうので生きるっていうのが前提じゃないんですけど、そういうふうに考えるようになっているのは特徴的かなと思ってます。
でも日本って無神、無宗教というか、そういう宗教に属している人が結構特徴的、海外とって特徴的にあんまり多くなくて、逆にその何のために生きるんですかとか、あなたの命はどうして授けられたんですかみたいなところとかの教えみたいなのが教えられてきたかって言われたら、
そこに確立したノウハウがあんまなくて、割とお母さんに愛されてるからみたいなところに依存してるんじゃないかなっていうのはすごく感じてるんですよね。
お父さんお母さんに生かされて、お父さんお母さんがいて、それであなたのこと大切だと思ってるからみたいなところの教え方をするんだろうなっていうのが考えていたり。
スピーカー 2
だから選択肢としての死がまだないというか、死っていったものを間近に感じるタイミングがあまりないのかなっていうふうには、結局宗教が絡むとやっぱりイヤガオウでも死ぬことと生きることみたいな教えが説かれるわけですけど、
確かにあんまり特定の宗教を信じてなかったら、とか信仰してたりとかしてなかったら、あんまりこういう死生観みたいなことについて、ああだこうだいう機会っていうのは確かにないのかなというふうに思いますよね。
スピーカー 1
なんか多分視されてる感がありますもんね。なんかなんて言えばいいんだろうな。なんか人生の意味についてはどうなのかみたいなのを割と言うかもしれないけれど、死ぬことでどういうことなのっていうふうに聞いたときに、そんなことはあんた気にしなくていいわよってみたいな感じで。
家で別に何かそういうの言われてきたことなかったなって、なんか自分思い出しましたし、意外とそうなんじゃないのかなっていうのは感じたりはしますけどね。
スピーカー 2
まあそうですよね。あとどうなんだろうな。基本的に人間が幸せなタイミングって死ぬことを考えないじゃないですか。
スピーカー 1
まあ確かにね。
スピーカー 2
そのなんかあまりにも幸せすぎて、死ぬなら今だなっていう満足の仕方もあるのかもしれないけど、基本今の現状に満足とかしてて、幸福度が高かったら、それを終わらせようと多分大半の人間はしないと思うんですよね。
スピーカー 1
まあそうだよね。
スピーカー 2
だからそう考えると、やっぱりあまり死ぬって方向じゃなくて、生きるっていう方向性で物事を考えることが多いのかなって感じはしますね。
生きて生きるからこそ得られるものであったりだとか、そもそも大前提として生きていないとできないことみたいな方向で道徳の授業を教わったりすることが多かったのかなっていうふうに今振り返って思いますよね。
そうですね。
ただその中でも死が身近になっているっていうのは、かなりこれはネットの影響とかもあるよなっていうのを改めて思い返していて、
スピーカー 1
まあ簡単に死を選ぶ、死に近い行為を選ぶっていうのもそうです。
それで死んでしまったみたいなのとかが、わりと日頃から接触する機会もあるんじゃないかなっていうのもあったり、
スピーカー 1
あとは日頃使っている言葉の中で、今ちょっとまだ使っていると思うんですけど、まるまるすぎて死ぬみたいな表現というのがあるんですよね。
スピーカー 2
ヤバすぎてみたいな。
スピーカー 1
そう、好きすぎて死ぬみたいなっていうのは日頃のSNSの中でよく使われていて、しかもそれが流行り言葉になっている現状とかあると。
それをトニーたちは本気で意識しているわけではないんだけれども、
スピーカー 2
表現として使っている。
スピーカー 1
そう、表現として使っているだけなんだけれども、そういった強い言葉っていうのが日頃接触している中でも回数はわりと多いよなっていうのを改めて思いますし。
スピーカー 2
でも確かに昔、そういう嬉しさの日で死にそうとか言ったら、母ちゃんに死ぬとか言わないのって言われたなって今思い出しました。
本来そんなカジュアルで使っていいもんじゃないのにね。
あたかもカジュアルにさ、みんなネットの世界では使ったりするけど、冷静に考えると絶対普通じゃないよなって思いますよね。
スピーカー 1
まあまあ、状態化してるっていうのがちょっとあれかもしれないけど。
でもそうなんですよね、本当に日常的に使ってるよなって改めて感じますし。
僕らもね、なんかやらかした時とかね、あー死にてーって言いたくなっちゃうんですよ。
でもまあ、そういった日頃13歳の頃から接してる言葉とかも結構そういったのが増えてるらしい。
小学生の頃からさ、強い言葉使う子とかもいたじゃないですか。
そういったのがネットとかでも使われるようになって、今もそれは残り続けているっていうのを考えると。
まあそういった日頃の言葉からもそうですし、あとは接触してる情報とかも死について身近になってきてるんじゃないのかなっていう。
自分の意思で選んだ死みたいなのに近いよなっていう感じですね。
病気で亡くなる死とかではないんですよ、たぶん。自身いじめる死のことだと。
そういうのが多いんじゃないかなって感じましたけどね。
まあそんな中でちょっと僕たちの話をしていこうかなと思ってるんですけど。
自分が13の頃に死について考えたりとか、あとはそれの裏返しで自分の人生ってどういうことなんだろうっていうのを考えたりとかって改めてしてました?
スピーカー 2
自分が中学生の頃とかですよ。
スピーカー 1
そうだよね。
スピーカー 2
いやー、たぶんなかったと思うっていうか。
なかった?
うちペットを飼ってたりとかもしなかったし。
そうね、おじいちゃんおばあちゃんとかも全然元気だったから。
いや、行ってたはずなんですよ、親戚のお葬式とかって。
行くじゃないですか、ちょくちょくそれぐらいから。
でも本当になんだろうな、一応世はつながってますけどみたいな。
もう本当に数年に1回会うみたいなレベルの。
親戚のおじさんとかに行ったりとか知ったりとかは、おじさんおばあさんみたいなのをお葬式みたいな。
みたいなのは行ってたはずなんだけど、でもやっぱりなかなか実感が湧かないというか。
関係性がそこまで深くない人のお葬式に行ってても、それで死ぬって怖いなとか、もしくはその人が亡くなって悲しい気持ちにはなるけどさ。
むちゃくちゃ号泣するほど悲しいわけでもなくみたいな感じだったから、そういった意味ではこの4タイプで行くと怖いけど遠いみたいな。
スピーカー 1
一番多いというか遠ざけタイプっていうやつかな、この中でいうと。
まあまあ減ってるほうかな、これどっちかっていうと。死について近いし怖いっていうものではなくて、遠いけど怖い存在で。
スピーカー 2
遠いけど怖いっていうふうに、ぼんやりと怖いイメージはあったし、その人の命が終わっちゃうっていうふうなことは怖いなと思ったけど、
なんかそういう体験みたいなのは、自分自身も大きい顔するとかなかったから、遠いけど怖いタイプだったかなって思いますね。
スピーカー 1
はい、ほんとですね。なんかその中で死後の世界とかってどういうふうに思ってたりとかって覚えてます。
スピーカー 2
ああ、天国があるのかとかそういう話?
スピーカー 1
死んだ後自分でどうなると思ってたって。
スピーカー 2
ああ、なんか一通り妄想とかするじゃん。スピリチュアルな世界があるのかなとかっていうふうに。
エンマ大和王さんがいてみたいな、お前はいいことを積んだから天国行きとか、お前は悪いことをしたから地獄行きとか言われちゃうのかな。
っていうのを小学生の頃まではまあまあなんていうのかさ、親からさ、いい子にしてないと地獄送りになるわよって言われてさ。
スピーカー 1
まあね。
スピーカー 2
ああ、いい子にしないしとかないとシャンタさんも来てくれないやみたいな感じで。中学生あったりから、は?ってなりだすじゃん。シャニ構え始めるぐらい。
スピーカー 1
そうか。
スピーカー 2
ほんまにおんのけってなるわけじゃん。だからまあ、いんのかな、いないのかなみたいな感じなのは、なんかでも確かめようがないというか。
スピーカー 1
確かめようがない。
スピーカー 2
残念ながらその死後の世界は確かめようがない。
スピーカー 1
そうね。
スピーカー 2
だからまあその、だから確かめようもないし、まあでもただなんていうかこう、自分が最後の時を迎えるのはまあ絶対来るわけじゃん。
スピーカー 1
まあそうだね。
スピーカー 2
人間に終わりは来るわけだから、そのタイミングでなんか悔いがないようにというか、には生きたほうが良さそうだなとはなと思ってた。
だからその死後の世界とかの感じは、いろいろと妄想したけどよくわかんないし、じゃあ、でもまあ自分が最後を迎えるのは絶対来るわけだから、
そのタイミングで悔いがないようにじゃないけども、なんか満足していけるのが一番いいよなっていうふうにはまあ自分軸に置いたって感じかな。
スピーカー 1
なるほど。
そこから考えていくとその人生の意味みたいなところは、まあ死ぬまでに後悔しないためにみたいなところに戻っていくのかなって。
スピーカー 2
そうね、まああとは死ぬまでに後悔をしないようにっていうのもあるし、後悔はしたくないし、どうせ生きるんだったら楽しいことしたいしみたいな感じで。
まあなんかそういうふうなので、別にだから人生が死ぬまでのつまつぶしみたいなとも思わず、普通に。
まあなんか加害活動とかも楽しかったからさ、普通になんか楽しいなっていうふうに思いながら楽しいこと積み重ねて生きていきたいなっていうふうに思ったかなーって感じはすごいしますね。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあそのアンケートの中で本当日頃楽しいの積み重ねていっていきたいよね。
スピーカー 2
そうね。
スピーカー 1
ところになってくる。
スピーカー 2
そんな感じの話ですから。
スピーカー 1
なるほどな。はい、ありがとうございます。
スピーカー 1
うん。
死というものについて考えるのは、小学生の頃から実は結構考えてて。
スピーカー 2
へー、そうなんだ。
スピーカー 1
そして中学生の頃も相変わらず考えてるし、今でも考えてる。
割と自分は死とか人生についてはかなり結構考えてる方かなと思ってます。
今でも死ぬのは怖いなとは思ってるし、自分の存在がいなくなってこの先の世界を見届けられないみたいなのも結構自分は辛いなって思ってる。
スピーカー 2
ああ、はいはいはい。
スピーカー 1
この世界も多分特には僕はないと思ってるんで。
もう死んだら自分という意識がなくなって、じゃあこの自分という意識はどこに行ってしまうんだろうっていうのも、
遠い彼方に放っておかれるんじゃないかと考えると、やっぱ今もう夜怖くなって結構心臓のあたりとかキュッてなって。
スピーカー 2
ああ、キュッてなって。
スピーカー 1
よくやるんで。寝るときに目をつぶって寝ようとするじゃないですか。で、目をつぶって寝ようとするとそのまま自分死ぬんじゃないかみたいな。
スピーカー 2
ああ、はいはいはい。
スピーカー 1
もしこのまま自分が死んだときに自分ってどこに行くんだっていうのを考えたときに、このまま長い眠りにつくっていうような言い方をすると思うんだけど。
長い眠りについた後って何なんだっていうことを考えて結構寝れなくなってっていうのは、小学生の頃から怖かったし、中学生でも相変わらず怖かったし、大人になった今というか24になった今でも、逆に最近になってそれすごく怖くなって。
スピーカー 2
ああ、はいはいはい。
スピーカー 1
夜中割とそれで寝なくなってみたいなのをやってたりして。だからその間をポトキャスト聞いて、あれ考えるな考えるなって。
スピーカー 2
ごまかしながら。
スピーカー 1
そうやってたっていうのは思い出したとこですね。
スピーカー 2
だから逆に自分結構最近の方が考える機会が多いのかなっていうふうに思ったりはするし。
スピーカー 1
なるほどね。
それこそ近しい人のどんどん弱っていくというか、結局周りの近しい人とかもさ、どんどんどんどん何て言ったらいいんだろう、わかりやすくさ、あれ、うちのじいちゃんばあちゃんこんなに痩せとったかいなとか。
わかるわ。
スピーカー 2
うちの母ちゃんと父ちゃんこんなに白が多かったんかいなみたいな。
スピーカー 1
わかる。
スピーカー 2
もう明確にさ多いってものがさ、目に見える形でふとした瞬間に来たりするっていうのもあるし。
スピーカー 1
昔から結構体動かしてたのに、最近あんまりいかなくなっちゃったみたいな。
スピーカー 2
そうそう、とか、あれこんなに腰曲がってたっけみたいな。
スピーカー 1
わかる。
スピーカー 2
あるじゃん。ふとした時に来るじゃん。
スピーカー 1
喋るのこんなに遅かったっちなとか。
スピーカー 2
そうそうそう、また耳が遠くなったなとかあるし、それもあるし、あとやっぱ自分が歴史が好きで世界史勉強したりとか、今も大学の博物館でアルバイトしたりとかしてた時に、こう、そういった機会を経てやっぱ今考えること多いなって思ってて、やっぱこう、歴史っていうのも教科書に載ってるけど、
この教科書の1ページに何が起きたかにが、何が起きてどんな結果になってみたい、って書いてあるその裏にも一人一人の生きた人たちの歴史があったんだなっていうのをすごい思ってて、なんかそういうふうに、年表だけ見ててもその人の顔とか浮かんでこないし、
当然その年表と一緒に特定の人物の名前が書いてあることはないんだけどさ、でもなんかこう数字と文字の裏列に見えても、この裏になんかいろんな人の汗と血と涙じゃないかと。 人生がある 人生があったんだなっていうふうに最近多いなってくると、
なんかこう、自分っていう子の存在を歴史の中の1つの点みたいな感じで見るようになったかなって感じはすごいしてて。 なるほどね。 なんかそういう長い巻物みたいな、フィルムでもなんでもいいけど、続くものの上にポツンって自分っていう点が1個あってみたいな。
それをなんかこう見てて、自分がそういうふうに一応巻物でもフィルムでもなんでもいいけど、点として存在してるんだったら、生きた証とまでは言わんけど、何かしらその時代の生きた人物としてそれなりに頑張ってみたいなというふうには思うし、
自分が頑張ったおかげで誰かにその後の歴史がちょっとでも良くなったりとかする方向で、具体的に名前が載らなくてもいいけど、なんかこう自分っていうこの現時点っていう点から先の線、この先の線の時代がちょっとでも良くなるようにさ、自分っていう点を置いておきたいなっていうふうにはなんか思うように。
スピーカー 1
これは最近の話。
スピーカー 2
最近そういうふうに思うようになったかなって感じかな。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
そうそう。
スピーカー 1
自分はそれを一番最初に感じたのは、歴史漫画ってあるじゃない。
スピーカー 2
あるね。
スピーカー 1
歴史漫画があるときにその書く章ごとにテーマになる人物を書いて、そのテーマの人物の一章を追いかけることによって、こういったことが起こったよっていうのを紐解いていくっていうのが歴史漫画と呼ばれる章だと思います。
スピーカー 2
結構小さい頃から歴史漫画見るのは好きで、親がそういうのを買ってきたからっていうのもあるんですけど。
面白いしね、実際ね。
スピーカー 1
実際面白いし。で、だいたい書く章になってその主要人物が亡くなるんですよ。
それを見て、その流れでこの人死んだ後どうなるんだみたいなのとかを感じたりとか。
その時代の中でその人が何をしたかっていうのは改めて考えることが多かったなと思ってます。
スピーカー 2
なんかこう、最終的に歴史を名を残す人物の2個前ぐらいの通な人は知ってるぐらいの人になりたい。
結構ハードル高いよね。結構ハードル高いけど大丈夫かな。
スピーカー 2
なんかこの前、ちっていう漫画、アニメのやつね。
スピーカー 1
天童先生。
スピーカー 2
見た時に、結局あれネタバレになっちゃうんですけど、コペルニックスっていう有名な学者の先生だった人が最後の主人公なんですよ。
物語自体がリレー方式で流れていって、最後に有名な学者の先生だった人で主人公というリレーが終わるっていう。
なんかそれがすごくいいなっていうか。
そうやって歴史の教科書には載ってない、載りづらい人たちの繋がりで世界の認識が変わったりだとか、
世の中が大きく変わることっていうのは本当だからさっき言ったリレーというか、たすきリレーなんだなっていうのもあったし。
なんかそういった意味で自分もそういうリレーの一つに携われたらいいなって思いながら研究したりしてます。
これが25の考え方ですね。
スピーカー 1
それ考えていくとそうなんですよね。
自分という人生を考えるにあたって、その世界の中での自分の立ち位置みたいなのを絶対考えて、
その中で自分が何ができるかみたいなのを考えることも結構あるなっていうのが多分5個までの話だったと思うんですよ。
それも踏まえつつ、私が当時思ってた人生の意味みたいなものですか。なんだろうな。
スピーカー 2
中学生の頃の人生の意味みたいな。
スピーカー 1
人生の意味ね。僕はそれを今までは、小学生までの自分と13歳からの自分みたいな考え方がまたあって、
それも最近になってアップデートされたんで、それも含めてしゃべると思うんですけど、
13までの小学生までの頃はさっき言ってた通り、その時代の中の流れの中で自分が点として存在して、
その中で名前を残すようなことをしたいっていうふうに思ってたんですよね。
で、13になって多分それは相当むずいことだろうっていうのが分かって、
で、その代わりにどういうふうに考えたかっていうと、
せめて自分の愛した人、愛せる家族のために生きて、その家計を残していくということなのかなって思ったんですよね。
新春期やったから、当時女の子を好きやったっていうのは昔の背にしたんですけど、
そういう家族とか恋人とかそういったのを大切にして生きていくことぐらいならできるんじゃないかなっていうことを私は当時思ってたんですよ、13の頃に。
で、結論それが今の家族と恋人だというところまでが自分が13の以降思ってたことで、
これが最近になって子供とか意識する年になるんですよね。
スピーカー 2
25年もなればね。
スピーカー 1
そうなんですよ。
だからその子供たちに血をつないでいくにあたって、この先の子供たちの未来がより良いものであるために自分は何ができるかっていうのを考えるようになって。
っていうところで、それが結果的に自分の血もつなげつつ、世界の中でその子たちが良いように育っていくようなことで貢献をして支えていくことなんじゃないかなっていうのは今になって思ってることで。
それは多分今の25になって気づくことなんですけど、生きている人生っていうものの履歴をつないでいく。
その流れの中の一つとって自分が存在していて、次の時代が良くなるようにやっていく努力をみんなでしないと多分この先の未来は暗くなるっていう。
なんかすごく積極際というか、そんなことかなと思ったんですけれど。
スピーカー 1
でもそうなんじゃないかなって改めて思ったりしますけどね。
スピーカー 1
環境問題とかってこの話すごく似てるんですよ。
2040年までに石油がなくなってしまって、この先の生活がすごく大変になるとか、電気が使えなくなるとか。
そんなことで今からでもより良い地球のためにできることをしようみたいなことを言ってくるじゃないですか。
でもなんとなく生き注ぐことそうだよな、なんとなく大事だよなっていうふうに言って、13の頃とかもうはいはい去ってなさってなみたいなことを思ってたんですけど。
スピーカー 2
いやなやつ。
スピーカー 1
いやなやつかーって思った。なんか全然興味なさそうだったんですよ。
スピーカー 2
まあ俺も興味があったかって言われると、へー大事なんだねーぐらいでしたけどね。
スピーカー 1
でも今になってそれすごく感じるっすよ。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
っていう話を僕は当時は人生の中で生きていく中で、せめて大切な家族だったり、大切にしたい人だったりっていうのを守っていくことによって、
それでその人たちを幸せにすることによって自分の人生がその人たちにとって幸せであるっていうことを思いながら、
その影響を与えたっていうことを残していくことが、私の人生の意味だったんじゃないかなーっていうのは当時のことなのかなーって思います。
スピーカー 2
そうっすねー。なんか自分が中学生の時に生きる意味とかどう思ったかなーみたいなのは。
なんかこう思春期だったんで人並みに悩んだりとかしてたと思うんですけど、
なんかでも、割といろいろと考えちゃうタイプだったし、悩んでもなかなか答えが見つかなかったりとかしたと思うんですけど、
割と好きな音楽とか聴いてて、やっぱこう、もうちょっと気楽に生きていいなーみたいな感じになったというか。
タナカ そうっすね。なんか、うーん。
スピーカー 1
タナカ的には、なんか多分僕が思ってるほど凝々しいことはあんま思ってなくて。
スピーカー 2
タナカ 思ってなくて、なんかシンプルになんとなく死ぬの嫌だなーとか、なんとなくもうちょっと楽しいことしたいなーっていうふうなので、
それって別に十分に生きるに値するなーって、生きる理由として、すごいこんなことを成したくてとか、こういうふうになりたくてとか、
大きな夢があってっていうふうな、じゃないといけないわけじゃないなーと思って。
タナカ そうそう。
なんか普通に、まだ死にたくないなーとか、もうちょっと楽しいことしたいなーっていうふうな感覚で、ゆるーく生きてもいいなーっていうふうに思えたりとかはやっぱしてて、
タナカ そういう自分の本当に元来的な、組み砕こうと思えば組み砕けるんでしょうけど、
なんとなく生きたいとか、なんとなく楽しいことやりたいとかっていうそういうふわっとした感情で、自分の生きる意味とか、そういうのでいいなーって思えたかなーっていうふうには、
すごい、自分が好きなパンクロックとか聴いてて思ったというか、すごいなんというか、歌詞でブルーハーツの千のバイオリンっていう曲があるんですけど、
それが中学校の頃すごいリピートしてたなーと思って、本当にシンプルで、ひまらやほどの消しゴム一つ、楽しいことをたくさんしたいっていうサビ、一発目からドーンってくるタイプの曲なんですけど、
あー、俺もそう思うって思って、楽しいことたくさんしたいなーって思って、なんとなくその延長線上で、さっきね、もちろん最近になって生きることとか死ぬこととかについて考える機会が増えてるけど、
そのなんというか、まだまだ楽しいことたくさんしたいなーみたいな、バイクに乗って遠くに行きたいなーとかっていうふうな、そういうふわっとした理由で、いまだに生きてる節はあるなと思いますね。
スピーカー 1
なんか、今もその一部の考え方というか、大枠としては、まだ楽しいから死にたくないなーっていう。
スピーカー 2
そうそうそうだし、まだまだ面白そうなことありそうだなーみたいな、辛いこともあるだろうけど、楽しいこともありそうだなーって感じが、そういう予感、ワクワク感みたいなのがやっぱ、
そういう世の中を面白がるみたいなことを積み重ねてきたのかなーって感じはしますね。
自分がすごくこう、社会学っていう学問をやってて、案外人の行動の意味っていうのは、後からついてくるものなのかなーってすごい思う部分が。
スピーカー 1
確かに後付けではある。
スピーカー 2
本当に最初はそんなつもりじゃなかったのに、いろんな条件が重なって、予想だにもしなかったような結果が起きたり。
これを社会学では、予期せぬ結果って言ったりするんですけど、よくわかんないけど、当初予定したところとまだ違う結果とか、別のところで結果が出ちゃったみたいなことを予期せぬ結果とかって言ったりするんですけど。
そういうふうに勉強してて思うのは、意味付けしたいときはもちろんするんですけど、あんまりこだわらなくなった。
スピーカー 1
もともと結構こだわるタイプだったんですけど、自分の中では、こだわらなくてもいいかなーっていうふうには最近思うようになった気がしてて。
スピーカー 2
そういった意味で、おもむくまは何じゃないけども、世の中、社会っていうのは本当にゆるいつながりの中で成り立ってるから、
自分が最初こうしようと思ったことがそうなるとも限んないし、それが良くも悪くもどっちにも転がりうることはあるんだろうけども。
でも、その結果として自分が最初予想もしなかったことが起きたら、それはそれで面白いなっていうふうにも思うし、
それもそれでありかっていうふうには最近思うようになって、結構もともとは意味を考えて理屈で考えるタイプだったんですけども、
最近は意図的にそうじゃなくて、なんとなく直感とかこっちの方が良さそうだなーみたいなところに身を委ねるようになったかなって感じはしますね。
スピーカー 1
田中的な13歳向けアドバイスは、割とおもむくままにやりたいことやればいいんじゃないみたいな。
スピーカー 2
おもむくままにやってもいいし、もちろんね、理屈でこれが妥当だと思ってやってもいいし、
たぶんでも一番はこうしなきゃいけないっていうふうに、どっちかに振り切れなきゃいけないって思わなければいいんじゃないかなぐらい。
自分の一足一頭足みたいな、やることなすことすべてに意味がないといけないって思わなくてもいいし、逆に全部その委ねなくてもいいし、
なんかそういうふうに、そういうなんかふわふわとした感じっていうのは、そういうふうに生きてもいいんだよみたいな感じがして、
全部そうしなきゃいけないって思わなくていいよっていうふうに、俺が10年前の自分に会うんだったら、みんなそんな考えてないからもうちょっとできてみていいよって言うかなって思いますね。
そうそうそうそう。
スピーカー 1
そうか。意外と直感というか、適当にこれでいいかって言って選ぶっていうのって、確かにそれがいいときも結構あるなーっていうのは思ってたなーっていうことはあるし、
俺が就活とか今やってる中で、何でもかんでも恋に水系をしなきゃいけなくなってるから、それってどうなんだろうって思ってる自分が今ちょっと片隅にいるんだけど、
でもまあそうか、ぶっちゃけ直感でやりたいと思ってやりましたっていうことも、まあ実際に人生の中ではあるもんなーって確かに感じますけど、
なんだろうなー、多分そういう直感で選んだことあったはずなんだけど、地味好きしちゃったからさ、思い浮かばないんだよね、マジで直感でやったことって。
スピーカー 2
なんかでも自分の中で今、今の話になっちゃうけど、直感でやってることってバイクに乗ることで、なんかこう、バイクに乗ってることって理屈じゃなくてさ、
だって移動するだけだったら多分車のほうが効率的だし、寒くないし暑くないからさ、不便じゃないしさ、雨の日も別にずぶれでいなくてスムーズにさ、そういうふうに、
でもなんか、でも自分の中でさ、バイクに乗ることってかっこいいよなーっていう価値観があって、なんかそれはもう理屈とかじゃなくてさ、そういうもんだっていうふうに自分の頭の中にあって、
そういうものに赴くままにいろんなとこ行ったりとか、いろんなご飯食べたりとかしてると、なんかそれで、まあ1年経ちましたけどね、バイクの免許取って自分のバイク買って、
なんかそれで、人生は劇的に変わったわけじゃないけども、なんかでも最近は楽しいなって思えるようになったかなって感じはしますね。
まあほんとね、そうなのかーっていう。 うん、なんかそんな気がする。
心が豊かになるとか、なんかそこまで余裕しかないですけど、余裕が持てるっていうか、なんか頭使わなくていいっていうか、そういう感覚に近いのかな。
なんか楽できるとか、手抜けるとか、わかんない。それがリラックスするっていうことなのかもしれないけど、なんかそんな感じで、
うん、なんかそうですね、自分だけの時間を作るとか、なんかいろんなやり方もできると思うんですけど、
でもなんかその自分の心を揉むくままにみたいな時間は、逆にやっぱさ、意図的に作ろうと思わないと作りづらいじゃん、こういう世の中だから。
スピーカー 1
まあね、まあ私は作れないままこのまま生きてきちゃったみたいな。
スピーカー 2
でもなんかそういうふうなことっていうのを、意図的に作ることによってストレスを解消したりだとか、
よかの時間の過ごし方としてあったりだとか、なんかその結果ね、俺の場合だと趣味の使ってない時間の方もうまくいくんだったら、
それはそれでいいことなのかなっていうふうに思ったりするしって感じかな。
いやだから自分はまだ実践中だからよくわかんないですけど、まあでもなんかそっちの方が加藤にが降りたような気がする気はします。
スピーカー 1
確かにね、まあ確かにな、人生の意味についてっていうことで今回考えてるんですけど、考えてる子たちは結構悩んでると思うんですよね。
このタイトル選んですごく深夜ラジオのタイトルっぽいなとか、お悩み相談とかね、私って人生どうしたらいいんでしょうかみたいなのが来て、
まあそれに対して多分言ってた回答は意外とみんな適当に言ってるか適当に言ってもいいんだよみたいなことだったりとか、
あとは考えることはうまく考えてもいいんじゃないっていうことだったりとかっていうことかなっていうふうに思ってたんですけど、
たぶんそういう子たちがもし悩んでるよってお便りが来たら気楽に生きていいんだよみたいな返し方をするのかなって。
スピーカー 2
いやでもどうなんだろうね、悩んでるっていうことは、たぶんじゃあ俺が仮に目の前に13歳の自分がいてさ、悩んでる自分見てさ、
スピーカー 2
おい、何悩んでんだよ、気楽に生きろよ、こいつ何無責任なこと言っちゃおうかって思うと思うよん。
スピーカー 1
まあだよね。
スピーカー 2
それはすごい思うと思うし、じゃあそれが言えるのは何でかつって、何かとことん自分の中で悩んでみて、
何か考えても考えなくてもいいかもなっていうふうに、何か自分のどっかのタイミングでもうちょっと適当にいいなっていうふうな折り合いがつけられたから今こういうふうに言えると思うし、
そういうふうな意味で、とことん悩んでみるのはそれはそれで大事だとも思うし、一方でどうなんだろうね、
でも何というか、何かそのどっかのタイミングで自分納得、それでだんだん悩むこととか自分のことを自己嫌悪することがさ、
癖になっちゃうとさ、それはそれでよくないなっていうふうに思っちゃうから。
スピーカー 1
ちょっと具体的にどんな感じそれって。
スピーカー 2
いや俺は結構だからあれ、受験落ちたときとか、現役で落ちたときとか、
ああ俺は勉強できないなダメダメなんだって、っていうふうになるかなっててさ、いくら勉強したってダメなんだっていうふうに思っちゃってたけど、
なんかそれはそれで何か精神衛生上よくないし。
スピーカー 1
まあ考えすぎてもドツボハマるときがあるよねっていうことか。
スピーカー 2
そうそうそう、何かやる気もなくなっちゃうしみたいな感じだったから、そう。
そういったところがあって、どっかで盛り合いをつけることもあるのかなっていうふうに思うから、
もちろんその明らかに生きれる人は生きれるし、もうちょっと悩みたいなっていう人は悩みたいと思うし、
だからまあどういうふうなアドバイスをするかってなったときに、どういうふうなアドバイスがいいんだろうな。
生きてるその人生とかっていう意味は、自分のためのものであってほしいとは思う。
スピーカー 1
それは誰かのものではなくて。
スピーカー 2
じゃなくて、そうそう。誰かの顔色を変わったりとか、なんか自分は二の次にしたりとかじゃなくて、
なんか俺はなんかその自分勝手にもうちょっと適当に生きていいなって思えたのはなんか、
でも何やかんや悩んでるけど、自分はこうしたいと思うし、俺の人生ってだって俺のためのものやしなって思えたから、
まあなんか自分のその自己嫌悪との折り合いが尽きられたりとかしたもんだし、
なんか自分を嫌うのってなんかやだなっていうふうに思ってた。
だからなんかそういうふうに悩むことは大事だと思うし、
ただなんかその悩む方向性として、私なんで生きてんだろうとかっていうふうになったときに、
それはもうなんか、何のためにっていうかも、自分のためにというか、
そう、そう、そう、平たく言う言葉になっちゃうけど、
それをなんかこんなに人に迷惑をかけてとか、周りの目とかで、だから自分はダメな人間なんだじゃなくて、
全然自分のために生きていいから、生きなきゃいけないから、マジで、
なんか生きなきゃいけないっていうか、何人もそのあれなんだよ、自分が自分のために生きることを誰も信頼できないからさ、
だからそれはそういうふうに、人権ってそういうものなんですよ、実は。
人権ってそういうものなんですよ、当たり前かもしんないけど。
スピーカー 1
確かにな、確かにな。
スピーカー 2
人権ってそういうものだし、昔そうじゃない人たちがいたから、そうじゃないとダメだよねって言った人たちがいて、
じゃあそうしようっつって今があるから。
だから自分のために人権を使ってくださいって思う。
悩む方向性も自分のためであってほしいし、
適当に生きるにしても自分のために生きてほしいし、って感じですかね。
スピーカー 1
なるほどですね。
スピーカー 2
感じです。って思うかな。
スピーカー 1
なるほどね、自分のために生きろって。
スピーカー 2
うん、と思う。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
俺が自分のために生きてるからそういう人しかいないんだけど。
スピーカー 1
そうかそうか。
スピーカー 2
そうそうそうそう。
じゃあ、俺逆のこと言いそうだな。
スピーカー 1
ギャグのこと言いそうだなーって思ったんですけど
なんかそれで自分のために生きろっていうふうに言われて
すごい意地悪な役やりますよ 私から
ちょっとごめんなさいねっていう
スピーカー 2
ロールプレイとしてね
スピーカー 1
前は傑昌くんですけど
でそれで自分のために生きるって言って
自分のためって何じゃろけっていうふうなことは思ってたんですよ 僕は
自分が好きなことをするっていうことでも
別に好きなことをするってして何みたいな
確かにそれで楽しいとは思うかもしれないけど
それはそれが続くことによって何になるんだみたいな
のを僕は結構怖がっていたんで
だから逆に言うと楽しいことだけやってしまうと
本当に何て言えばいいかな
いわゆる挫折とか
そのために乗り越えなきゃいけない試練とかを
経験しないまま
楽しいことだけやってきた大人みたいな人になるんじゃないかって
怖いと思ってたんですよ
何となく分かります?
スピーカー 2
分かる分かる
スピーカー 1
なんかその時その時楽しく楽しいものやってたっていう時になったら
まあまあなんか本当勉強をやりたくないからつって
なんかもうずっとゲームしたりとか遊んだりとかして
でその後なんか大人になってて
まだなんとなく嫌だと言いながら仕事をして
パチンコ打ったりとか競馬をしたりとかみたいな
大人になっていくっていう姿をすごく自分は怖いなと思っていて
まあだから意図的にその試練とか乗り越えなきゃいけないことっていうのを
自分は設定しとかないと
多分人生全体見た時の幸せの創業みたいなのになってくると思う
なんか本当楽しいだけを突き詰めた人と比べると
その試練とか一部ありながらも
それを乗り越えていった後の幸せの未来の方が
なんかいい未来なんじゃないかっていうことを考えて
なんかそういうのを自分からちょっと意図的に難しい状況を作ったりとか
自分からなんか手挙げていろいろやったりとか
スピーカー 2
なんかその逆に刹那的にちょっと生きるのは
なんか自分将来の自分がダメになっちゃいそうかもみたいな
スピーカー 1
そうなんかそんな不安があって
そういうふうにやってたって話はあるんですよね
まあ多分
田中くんが言ってた好きなように生きていいんだよっていうのもそうなんし
多分その裏には本当楽しいだけを選ぶっていうわけでもないかもな
スピーカー 2
もうそうね楽と好きって別に違う
楽しいことと楽なことは別物だから感じは一緒でもね
スピーカー 1
まあ消極的に楽な方を選ばないっていうのもあるかもしれないけど
自分はなんかそういう考え方をしてたなっていうのは当時思ってたんで
多分その当時思ってやっていたこと自体は
別になんか当時13歳の自分に言いたいこととしては
なんか今の感じでいいんじゃないっていうのはありと思ってたりしてる
ただ考えすぎてもよくないっていうのは本当にそうで
僕がラジオとかポッドキャスト聞くようになったきっかけって
夜中にやっていたアーティストラジオだったんですけど
こういう感じのやっすり難しいお悩み相談人生どうしたらいいですかとか
悩んでますっていう質問に対して
全部とりあえず俺らの曲聴けっていう対象をしていたバンドマンがいて
すごくいいなと思って
なんかリズムだった頃の自分からすると
なんかなんと無責任でどうしようもないやつって思ってたんですけど
スピーカー 2
最高にロックしてるよね
スピーカー 1
ロックというかなんかそれも正解だなっていうのを
改めて思ったりするので
なんかでも自分で考えることもそうだし
ヒントになるようなものを
いろんなところから知っていくっていうのも大事だと思ってます
スピーカー 2
そうですね
スピーカー 1
昔の人がその人生ついて考えること
まあ何でしょうそれは本を読むとかもそうですし
あとはそういった話を聞くっていうのもそうですし
ラジオとかでそういった話をしてる人とかそういったのを聞くみたいなのも
なんかそういった外部から情報を得る
そういったことについて考えてるのを探して知るっていうのを
もう少しやってもいいかなって
それで自分に合ったものを選んでいくっていうことなのかなって私は思ってますし
まあ死については多分死ぬからな
死んで意識がどうこうっていうのもあると思うんですけど
なんかそのために逆算的に生きることをやりましょうっていうのが
私の考え方だったっていう
スピーカー 2
いやーでも思ったのがやっぱあれなんですよね
俺もだから好きなように生きるっていうのは
楽して生きるっていう意味でやっぱイコールではなくて
そうそう自分が楽しくなりたいなと思った時に
例えば勉強をほっぽいて今ゲームしたいなってなっても
どっかでどっかのタイミングで
最初ゲームをやりだした時は楽しいんでしょうけど
だんだんサボってる現状に苦しくなってくるタイミングがあるんですよね
スピーカー 1
まあね
スピーカー 2
そこのタイミングがある種良いストッパーなのかなみたいな
苦しいって感じだしたらそれは多分だけど
勉強せなあかんのにサボってるわ
なんかあんま思んなくなくなってきたなみたいなっていう風に
今やってるゲームとか遊びが思んなくなったら
じゃあ先に勉強終わらすかってなるし
それでどっちかというと逃げ続けてきたから
未だに俺もYouTubeショートを2,3時間見続けてるんだろうけど
スピーカー 1
ああ刺さるよ
スピーカー 2
なるんだろうけど
まあでもなんかそこが自分の中で
なんかあれって最初楽しいと思ってやってたのに
なんか最近楽しくねえなって思ったら
それはなんか楽しいんじゃなくて楽をしたいだけなのかもしれないし
スピーカー 2
そこがなんか一個判断基準なのかなと思う
逆に宿題終わらせてからゲームやったらさ
もう開放感でめっちゃ楽しいじゃんって思う
なんかそこがだから好きに生きろって思うけど
それはそれとして楽と楽しいは別物だよっていうふうなとこは
気をつけなあかんなって思うとこで
もう一個はやっぱりそれこそ小中高で勉強してるとさ
正解って一つしかないのかなって思うんだけど
なんか結局のところ社会に出てからは正解を見つけるというよりかは
正解を作るっていう解釈のほうが近い気がするんだよね
だから何かしら絶対一個正解があるはずだって思って
調べたりとか考えたりする能力も大事だけども
人生においては意外とさっきも言ったように
坂木バラ君が本を読んでみたりとかラジオを聞いてみたりだとか
そういういろんな刺激に触れてみて
そういった中で自分なりの正解っていったものを作っていくっていうのも
同時に大事なところなのかなっていうふうに思う
そう考えると結局最終的に自分の幸せのあり方っていうのはもう人それぞれなんだし
自分の正解の作り方っていうのは自分でしか作れないから
意外と周りの人が教えてくれなかったりするんだよね
自分も自信ないから前に行かないといけないよね
自信ないし何に対して幸せを感じるかなんて人によって違うわけじゃん
スピーカー 1
違うね
スピーカー 2
だからそれは自分で見つけていくしかないのかなっていうふうに現状は思うので
だから正解を一つ見つけるのも大事だけども
自分がこれが正解だと思うなとか
自分がこうすれば幸せになれるなとか
嬉しいなって気持ちになるなっていうふうなものが何なのかっていうのを作っていくこと
そういうふうに感じれるような生活をしていくこと
生活自体を形作っていくことが我々にもとっても大事なのかなみたいなことは必ずしてて思いましたね
スピーカー 1
これは13に限らずずっと続く
スピーカー 2
ずっと続くことだからね
スピーカー 1
5、60とかも本当シネマリアになっても考えるし
スピーカー 2
だと思うし
スピーカー 1
だいたいこのテーマ自体で一番考えるのって死に際というか
本当なんていうか死が近くなってきた
どうしてもそれとおじいちゃんとかおばあちゃんの世代なのかもしれないっていうのを思いつつ
スピーカー 2
いや俺全然80とかになっても悩んでると思うよ
スピーカー 1
悩んでるか
悩んでるか
スピーカー 2
だからそのなんか
たとえば二者卓一の問題があったとして片方外したから間違いっていうのが世の中の全てじゃないっていう
あなたにとっての人生は全てじゃないと思ってほしいし
じゃあAじゃなくてBを選んだったらBを正解にするように生きていけばいいんだし
なんかそういうふうにそっちなんじゃないかなっていう
自分が選んだ選択肢を正解にしていくのが人生なんじゃないかなっていうふうな思ったりしますけどね
スピーカー 1
なるほどね
私たちの意見としてはこんな感じということで
いろいろ思うところだったり考え方っていうのは私たちのあくまで二人の意見なので
多分考えることとか違うとは思ったりはするんですけれど
何かしらその響くとこがあったりとか
あとはいやこれはちょっとさすがに私はって思うところがあったりとか
このぽったりな数字で考えることがあれば
ぜひ皆さん考えてることを私たちにも教えてほしいなというふうには思います
それは私たちもまた聞いて考えていきたいなと思ってます
また今回もこういう感じのテーマ
人生の意味についてのテーマでお送りしてまいりました
今回もご視聴いただきありがとうございます
ぜひ皆さん次回もよろしくお願いいたします
それではまた
さよなら
スピーカー 2
またね