00:03
【百百(ヒャクヒャク)】
あなたの耳に、百の話を。
立石従寛と陳暁夏代による人生漫談ラジオ
【百百(ヒャクヒャク)】
帰って参りました。
お帰りなさい。
みなさん、先週の
時間30分オンパレードはいかがでしたでしょうか?
ちょっと違う、いつもと違う感じで、やっぱり一人で喋るとモードが変わりますよね。
いや、あのね、アップを私がしてるじゃないですか。
ああ、こんな感じでね。
音のアップを。
ああ、音のアップをね。
はい。あの、面白くて。
本当?
いや、なんか
百百で、呪寒さんの声、こんなに聞くこと普段ないなって思いました。
確かに確かに。
今、割合ってどうなんだろうね。6-4どうなんだろう。
いや、あの、悪い時は
悪い時は
8-2か9-1。一番悪い時。
感情がうわーってなってるとかね。
そう、悪い時8-2で、いい時は
6-4?
じゃないですか。
だから、なんか嬉しく、嬉しさ半分、なんかギルティ半分ってか。
ギルティ?
私、呪寒さんを、なんかこう、あんまり
喋らせてないんじゃないかな。
うまく喋らせてないんじゃないかなって。
いやいや、そんなことない。
で、反省しながら編集してました。文章を。
まあ、でもでも、やっぱりね、二人で話すってすごい、あの、心理的安全性が高いんだなって思いました。
先週は。
自分で喋って、これでいいんだっけとか、何話したいんだろう、自分でって思っちゃってた。
確かになんか後半、一回迷ってましたよね、なんか。
これでいいんだっけって後半、なんか呪寒さんって心の声口に出ません?
そうかも。
出ますよね。
出ちゃう。
言われたことあります?それ。
言われたことない。
まあいいや、ちょっとディープな話ないそうだから。
今日は?
今日はね、今日はね。
今日は何の話をするかと言いますと。
いやー、我々もう社会人10年目選手ですよね。呪寒さんは15年?
えっと、そうだね、現役、あの、学部卒で言ったらそうだね。私自身はそうでもないけど。
何年卒ですか?私12年です。2012。
学部?
はい、学部。
学部、現役で09の歳だね。
03:01
お?
3?3違う?
そうそう。
ストレートですか?
ストレートです。
あ、我々3歳差ですか?
そう、そんなに、そんなに離れてない。
なるほど。そうなんですね。
はい。
そっか、ロンドン何年いました?
ロンドンは3年ぐらい、結果的に。
あ、じゃあ私と呪寒さんにはロンドン3年分の距離があるんですね。
あ、そうだね、そうだね。
その、社会人大学院行く3年期間。
そうだね。
そう。
それを私が今年やったら、追いつきますね。
いやいや、もうぜひやってほしい。
いやでも、30代超えた学び直しって、なんかめっちゃ人多くないですか?稽古。
多い。でも私もそうだったし、そうそう、30で行ったから分かる。てか、そういう歳だよね。
そういう歳。なんか、私も去年から大学院の、大学院行ってないので、大学院見てたんですよ。去年から。
コロナ開けて、仕事を10年やった。学生が終わって。10年やったから、1回も自分の業界で見るところのてっぺんまでは見た感じがあるんですね。
はいはい、まあ少なくとも見えてるし。
そう。
見えてる。
そうそう、見えたから、何だろう、10年って一個の霧なんだなと思って。だからみんな、32とか3超えて、もう1回大学院行きたい、大学院行きたいのかなって思ったんですよ。
いや、そうだと思う。
ていうのともう1つ、今の現状にある程度の限界感じたからってのもあると思うし、なんかこう、自分だけじゃなくて社会もだけど、10年あるとさ、大学で学んだこととか、高校かもしれないし分かんないけど、
社会に出る前に学んだことが通用しなくなってくるじゃない?自分自身の知識もそうだし、社会が変わったからとか。
10年はそうっすね。
だって10年前の社会ってなんだっけみたいな。
NFTとかなかったしね。
NFTなかったね、2013年。
まあ、ていうことなので、やっぱり10年に1回何かを学びに行くっていうのは、なんか次の10年を生き残るために必要なことの1つだと思うし、別に大学院に行かなくてもできることはたくさんあると思うけど、そういうのあるんじゃない?
いや本当にそうで、10年かけて自分の目先の景色を一旦リセットなり、ジャンプアップなり、その業界の次のレイヤーに行くとか、全然違う業界に行くとかっていうのを希望するとすると、
自分が伸びるためには会社のスキルと人脈、人間関係以外にやっぱり勉強が必要だなって思う瞬間が来るんですよ。
06:08
分かる。大人になったらより感じるよね。
そう。なんかあそこに手が届くためには、この資格とこの知識が欲しいってなるんですよ。
自分が天才じゃない限り、10年目って天才に会える年だと思ってるって私は。
10年って順目で同じマラソン走って、優等生がたどり着くゴールと天才がたどり着くゴールの差が開いてるじゃないですか。
そこの距離が目に可視化されるというか。
例えば私が優等生だとしたら、行けるところまでは行ったけど、天才が行けるところにはどんなに頑張っても行けない。
ってなってくると、学び直しを一度した厚底を履いた自分でジャンプしなきゃいけないって思うから、
天才になれない自分が成長するための一個踏み台というか、学校が。MBAとか。
あると思う。
そうなんですよ。なんかめっちゃ不思議で、社会人1年目の時って大学出た子と大学院出た子両方いるじゃないですか。
その時って関係ないですよね、あんまり。その2つ。
そんなに分からないよね、実務レベルだと。
そう、実務レベルだと分からないし、別に自己紹介で話もしないけど、大人になってから学び直しすると、なんか学び直した感強くないですか。
そうだね、明らかに目的、すごいもちろん人によると思うけど、明確な目的意識を持って学びに行ってるから、それは学びの質が高いよね。
大人になってからの方が。
そういう意味では、帰ってきた時に、何とか学んでましたってこう明言できるし、より専門性高いし。
でも、そうっすね、学び直しは本当に目的ありきだから、あと自分でお金出してるし。
そうだね。
学生時代って目的なかったからな、私は。
前の話で言うと、免許を取りに行くみたいなところもちょっとあるもんね。
そう、目的ありきの行動って強いっすね。
すごいそうだね。で、何、最近はこう感じるの?
さっきの、天才じゃないのかもしれないけど、優等生と誰かでもいいし、自分自身、なつよちゃんが10年今までやってきて感じる何かとの差とか。
めっちゃ感じますよ。
はいはいはい。
めちゃくちゃ感じます。それこそ10年経って、優等生と天才の差が見えたっていう話に繋がる。
09:02
優等生と?
優等生と天才の差が可視化されることについて、すごい最近考えてて。
最近っつったらずっと考えてますけど、結局私はそれを考えるときに、自分の幼少期の親の教育方針とかに元をたどると立ち返っちゃうんですよ。
なるほど。
で、それが合ってたのかどうかっていうところを問うことが多くて。
それでそのラジオで樹冠さんとこの話をしたいなと思ってたんですけど、うちは典型的な、この話してないですよね。
個人の会、昔取ったじゃないですか。新生夏葉の会、たてひじゅうかんの会。してなかった気がするんですけど、うちは親がめちゃめちゃ厳しい家で、親族一同教師なんですよね。
それは確かに聞いてないかも。
母方教師、父方教師みたいな。
家族全員ってこと?おじいちゃん、おばあちゃん、おじいさん、おばあさんとか。
幼稚園の先生、小学校の先生、中学校の先生、高校の先生みたいな。
もうなんていうんですかね、しかもちょっと田舎の出身だから、地モンゴルっていうね。
その北京とか上海とか都会行くことはちょっと違うんですよ、親は。
田舎の育ちで、もう真面目に生きて、なんか教員とか公務員になることが正義みたいな。
時代とか土地柄があって、めっちゃ家厳しくて、いい学校に行けみたいな。
なんか目立つな、みたいな。目立つなってめっちゃ言われてたんですよ。
うちの最大のお父さんのルールが目立つな。
で、私今、何だったら自ら目立ちに言ってるし、目立つキャラになっちゃってると思うんですけど、目立つなっていうのがうちのルールだったんですよ。
反発やな、反発するよね。
そうだし、右ならえ右が正義っていうことを教えられてきたし、学校でもそう教わるから。
それだけ聞くと昭和な日本な感じとあんまり変わらないね。
うちの家庭がそうですね。家庭が目立つなと、模範生になれみたいな。
模範生、優等生みたいな。
そう、中国語では模範生。日本語だと優等生になれみたいな。
12:03
で、学校で少女をもらったら親の誇り、点数低かったら殴るみたいな。
原格な親父さんみたいな。
そうですね。今の時代でいうと結構終わりオブ終わりの両親だったんですよ。
昭和の親父やね。
それで育ってきて、それが私は間違ってたと思ってるんですよ。
私が反逆児だったからこうなったらいいものの、親の言う通り、
学校の先生とかになって地元にずっといる人になってたら、私はどうなってたんだよってよく親と話すんですよ。
その時はどうなってたと思ってるの?
結構大学入ってから大学出て、でっかい会社入って独立して、メディアとか出てっていうのを順を追って親が見ていくと親は黙り始めて、
もう自分たちがわかる世界にいなくなったって思ったんですよ。
そうだよね。
だから何も言わなくなった。明らかに私は両親から一銭ももらってないので、何も言わなくなったんです。
私はうち両親仲悪いので、よく喧嘩するんですよね。今でも。
お父さんとお母さんの教育は間違ってたから、みたいなことを言うんですよ。実家とか帰ると。
あの通り生きてて幸せかどうかわからないじゃん、みたいな喧嘩をするんですよ。
そういう時はうちの親は何も言えないから黙るんですけど。
最近それこそ、優等生と天才の違いっていうのを考えるときに、私は天才にはなれなかったけど、
自分には天才の素質があったと思ってて。
それはどういうことかっていうと、私の中の天才の解釈ですけど、天才はどれだけ人目を気にせずに他人と違うことができるかっていうのが一個の個人的定義なんですよ。
みんなが恋愛とかファッションを気にしてるときに、ずっと一種の研究だけをして、一種の研究に何の将来性もないけど最後NASAに行って宇宙飛行士になりましたみたいな。
そういうのが私は天才だと思ってて。
15:03
飛び抜けたことをするってイコール、右ならえ右をしてない人。
そこに未来性も感じなければ、なんならリスクしかない。
世間一般的に言うと。マスから外れに行くっていうこと。
ただ一般家庭の子供の親っていうのは、このマスから外れるっていうことをめちゃくちゃ嫌う。
自分が知らない世界だから。
で、過保護のあまりにその道に進むことを止めるというか、ストッパーになっちゃうんですよね。
そのストッパーは結構悪だと思ってて。
で、なんだろうな、これまじで両親の悪口みたいであれなんですけど。
結構今日も。
ほらよくない?また8に9になっちゃうかもしれない。
大丈夫。
もうどうすんのかい。
でもジュガーさんに聞きたいこともあるんでね。
はいはいはい。
後ほど。一旦行きますよ。
どうどう、昨日済むまで話せばいい。
はい、すいません。
で、うちのお母さんの口癖で、なんかあんたは昔から天才の素質があったのよって。
え、そうなの?
大人になって言うんですよ。
ちょっと後出しじゃんけんやな。
ひどくないっすか?
ひどいっていうか、なんで言わなかったの?それは。
え、いやなんか、あんたは昔から天才っぽかったしねみたいな、天才の素質あったしねとか、
それはつまり裏を返すと人と違うことをしてたりとか、人と違うものに興味を持ったりとか、
同じことをさせても明らかにできるスピードが速かったりとかっていうことがあったらしいんですよ。
で、それをうちの親は全部止めてたんですよ。
そう。
わかるよ。
わかってくれるんですね。
めっちゃわかるよ。
で、最近私が成功して、つまり自立をした後に、20越えて自立した後に、
まああんたは昔からそうだったしねって言うんですよ。
それも。
後出しじゃんけんやね。
本当に。
社会の評価を得てからね。
そう。怒るよ。こっちが。
そうだね。それはそう思う。
ってめっちゃ思うんですよ。
だから、私は結構大人になって、自分の両親の教育が間違ってるっていうのは本当に5、6歳の時から思ってて。
早いな。
本当に。だって明らかに変だったもんなと思って。
やることなすこと全部止められるから、これは正しいわけがないって思ってたんですよね。
ただその時はやっぱり金銭的に、10代は親のお金で生きてて、抵抗しようがないから、その束縛に生きてたわけですけど、
18:05
うちは結構その両親が完全なる反面教師なので、
なんか自分の子供いないですけど、自分の子供ができた時にはもう100%野放しにしたいっていうところがあって。
その与えられる教育は与えますけど、そこから何に関心を持ち何がしたいかっていうところは、
どんな服を着て何色が好きでっていうところは、もう全部フリースタイルでやりたいなとか思ってるんですよ。
なぜかっていうと、大人になってから出会う天才の子たちがみんなそういう子だから。
人と違うことをやって、ミュージシャンでもアーティストでもいいですけど、
人と違う発想を持ってたりとか、人と違う行動が取れたりとか、
むしろ企業の大社長になった人たちって、企業っていう行為自体がリスクを取る人生じゃないですか。
だけどリスクを取ることっていうのは学校では教えられないじゃないですか。むしろそっちは危ないから行っちゃダメって言われるじゃないですか。
だから、学校でそう教えられてるってことは、家ではチャレンジしていいよとか、
チャレンジというものを応援してくれる両親がいたのかなって思ってるんですよ。
何も言わなかったかね。
私は自分の両親の教育にとてもコンプレックスがあるから、
そういう私が街中であった面白いやつら、天才のやつら、成功してるやつらの家庭環境にすごく興味があって、
たまに両親の話を聞くんですね。そしたら漏れなくそうなんです。
なんか親がすごく自由にさせてくれたとか。
何も言ってこないみたいな人が多いよね。
そう、だし、自分みたいな親は一人もいない。本当に一人もいない。
わかるわかる。
だから、大人になってそれが結構証明されたというか。
で、時間さん、お子さんいらっしゃるじゃないですか。いい歳の小学生。
7歳と4歳と。
なんか子供の教育についてどう思うのかなと思って。
いやー、難しいとこだよね。これはそれは。
なんか結論にもなっちゃうんだけど、わからない。何が正しいかって。
だから何も言わないべきって思ってる。
21:03
結果はね、結果ね。
結果的には、こういうふうにしなさいとかはもう少なくとも言えない。
嘘嘘嘘、言う言う言う言う。普通に日常生活では言う。早く起きなさいとか。
普通に言うし、でも難しい話だな。
これね、自分の通う、自分というか、私の子供が通っている学校がちょっと特殊ではあるから、何とも言えないとこなんだけど。
なんだけど、結構ね、すぐ隣に危機とか危険があるような学校。
単純に自然が豊かな学校って意味なんだけど。
自然、結構自然の中にある学校。
なので、結構ひどい骨折する子とかも、やっぱ1年に1回とか出てくるし。
でもそういうところがあるからこそ、結構よく大人でもよく考えるし、子供ともよく話すし。
リスクっていうものに対して、子供はもちろんだけど、大人はどういうふうに付き合っていけばいいんだろう、みたいなことをよく考えるの。
でもそれは自然の中における危険っていう話に留まってるんだけど、結構同じような子供の教育というか、子供の将来のこととか、
我々大人が生きてる社会のこととかを考えると、結構似てる状況だなと思う。
例えばあの枝危ないなでもいいけど、例えばわかりやすく、めちゃめちゃ枝が鋭利に飛び出しているようなところとかは、誰が見ても危ない。
それは普通に排除すればいいと思う。誰にとっても得じゃないし。
ある子にとっては、例えば年長3くらいの子から見たらめちゃめちゃ危ない、目の高さになんかあるけど、小6の子からするとそれを、もうちょっと上の子とかだと、それを足場にして木登りをしたい。
遊び場でもある、みたいな。その危険と遊びが共存しているような瞬間のものが森にはたくさんあって、それってどうやって付けばいいんだろう、みたいな。
でもそれってさっきの話と似ていて、大人から見たときにこの子の変なところ、奇才、天才かもしれないし奇才かもしれないし犯罪者予備軍かもしれないし、よくわからない。
どうなるかわかんないけど、とりあえず何かボコッとしているもの。
で、それが危険なものなのか遊び場になるのか何になるのかわからないときにどうするんだっけっていうことはよく考える。
24:00
で、それは答えはなくて、唯一ある答えっていうのはその子をよく観察しましょう。
その瞬間のその子にとって、そのデコップしたものがボコッとしたものが危険なのか危険じゃないのか、あるいは何をしたら危険じゃなくなるのかとかっていうことを常にその場その場で瞬間瞬間で考えましょうみたいな。
っていうぐらいしかないなと。
なるほどね。
でも、その話聞いてるとやっぱり、両親がすごく思考性が高くないと。
いや、本当だよ。本当にそう思う。
ちょっとできないなって思う。
だから極論もどっちかじゃなくて、その瞬間瞬間一緒に考えられるような状態にあれば親も頑張ればいいと思うし、できないときに基本的にある基準点を超えたらダメっていうのは簡単だが、それはもちろんそのポテンシャルを消してることなので、何も言わないっていう方向に行けるといいなとも思う。
でもそれはすごいリスクだから、極論言わない、めちゃめちゃ一緒に考えていく方向性か、もう一つの方向は何も言わないけど責任を取るぐらいしかないかなと思う。
なるほどね。
なんか自由と責任の話みたいになるけど、自由にさせるってのは放棄するっていうことじゃないよっていう。子供を育てるってことに。
でも自由ってなんだろうな、結構思考回路のサポートだと思ってて、生前説なんですよね。
例えば、学校行きたくない、不登校です。学校行きたくないってなったときに、じゃあ学校行かないっていう選択肢を取ったときにプランA、プランB、プランCがあるよねっていうことを提示できれば、私は全部生前説だと思ってて。
その学校行かないことが悪だと思わないから、その先の分岐の提示を出せるじゃないですか。なんかそこまで出せたらいいなって思うんですよね。
うちの親は、学校行かなかったら血が出るぐらい殴るから、終わりの山の谷みたいな感じなんですけど。今思えばね。
だからなんだろうな、今の話聞いて、生前説と放置するってある種信じるってことだから、それって生前説だなと思って。任せるっていうか。
27:05
そうだね、難しいところだね。生前説なのか、それが悪いという風になっても責任取るよという覚悟がある。
覚悟ね。どっちもねえな、うちの親には。責任取るっていうか、なんかねえな。
でも今のは本当に素直に思ってることだし、毎日のようによくこれも本当に話す子どもたちとも、親としてが妻ともよく話す内容だけど、
じゃあ実際疲れてる時とか、例えば私も疲れやすいので、子どもといると特に。そんなにいつも一緒に考えてるとそうはなれなくて、やっぱり言っちゃうよ、ダメって。
ダメって言葉使っちゃいけないってわかってるけど、心配だから言っちゃう気持ちはよくわかる。
それも極地まで行った時にどういうことになるかっていうと、ダメっていう言葉がどうなるかっていうと、
仮にダメという言葉が子どもの将来的な有益な可能性を潰すことであるっていう装置と、
ある種の冒険をしなくなることによって最低な状態を防ぐ機能でもあるとするじゃない、2つの機能があるとするじゃない。
で、その2つをつまり究極的に伸ばすと、めっちゃダメにもならないしめっちゃ天才にもならないけど、安定して中間的な重要な生活ができるだろうっていう機能であるダメっていう言葉がある。
で、他方で放置っていうか自由という言葉を、自由すらも考えてない人なんかもしれないけど、とにかく自由にすればっていうふうにした時に最低にもなるかもしれないし最高にもなるかもしれないって言ったら、
親の気持ち的にはもう最低じゃなくて最高じゃなくてもいいから最低じゃなくてほしいっていう、ちょっとある種のゲーム理論的な最低を逃れたい。
ゲームクリアだけしたいけど最高得点じゃないってことですよね。じゃなくていいってことですよね。
ごめん、さっきのゲーム理論は社会学的な。ごめんねごめんね。でも最低を、最高と最低、あと中央みたいなことを提示すると最低を。
中央、お父さんが大好きな言葉、中央。
そう、中央はねベストだっていう言葉あるしね。
言ってました、ずっと。
ちょっと儒教的な考え方したけど。なのでなんかその最低を排除するって言葉だけ、最高にはならないかもしれないけど元気でいてくれたらいいな。
社会的成功しなくてもいいから元気でいてくれたらいいっていう気持ち、親の気持ちはめっちゃわかる。
30:06
うん。
言いたくはなる。けどねっていう。
そうですね。結局、大体の場合親が先に死ぬじゃないですか。
ってなった時に、人は生まれた瞬間から皆子なので、子の幸福度を、つまり本人自身の幸福度を考えた時にはやっぱり自己肯定感、自己満足度が高い方が幸福度が高いし、
自分が幸せな方が他者にもたらす幸福度も高いと思うんですよね。
自分が満たされてると親にも優しくできる。自分が満たされてると子にも優しくできるっていうのが同じ話で。
ってなってくると、あとこれももう一個あって、うちの親の教育の全部ダメっていうのと別で、それがマインドコントロールに結構つながってくるんですよ。
例えば私は、最近めちゃくちゃ良くなってきたんですけど、20代前半まだ社会、大学、大学出るまでは優等生じゃないですか、例えばね。
大学出るまでは優等生で追われて、社会出てからだと、私は結構安全な道を歩くのが癖になってたんですよ。
はいはい、そうだね。
例えばチャレンジ、危ない橋を渡らない、例えば無職にならないとか。
やーめ、ピッてならない。
無職にならないとか、莫大な借金をいきなりしないとか、本来人間の幸福度だけで考えるとそういうことやってもいいと思うんですよ。
なんか今日無職になって1年間超幸せだったら別に良くないって思うんですよね。
今思えば本当にそれはそうで、別にやる気出したらいつからでも取り戻せるっていうのが人生だし、社会そうなってるって思うんですよ。
けど、なんか絶対その極端な道を選ばなかったんですよね。
なんかその習慣がついてて、でも私はそういうことをすごく思いつくんですよ。
なんかこういうとっぴなことをやりたいって思うんだけど、思った瞬間に右脳と左脳にお父さんとお母さんがボーンって出てくるんですよ。
わかるよ、めっちゃわかる。
だから何かしようとした瞬間、親のダメっていうのがもう目の前にいないんだけど、なんか響くんですよね。
これはちょっとある種のもう病気だと思ってて、なんかその親の間違った教育が私に結構もう精神的な病気をもたらしたと思ってるんですよね。
33:10
わかりやすく言うとトラウマみたいな。なんかおしゃれに言うとPHSみたいな。
PTSDとかだと思うんですけど、それはめっちゃ良くないなと思いました。
それを親から10年、20年ぐらいかけて植え付けられたものを自分でどんなに頑張っても取るには20年ぐらいかかる。
私本当に今最近本当に良くなってきて、本当に結構気にならなくなってきたんですけど、20代後半まではまだ全然気にしてました。
よくわかります。
そう。だからやっぱり周りでチャレンジしている人、成功している人を見ると、やっぱり極端な道だけを歩いてるんですよね。
そうするとその先には何かが待ってると思うんですけど、ただ失敗しても成功しても私は得たものは一緒だと思ってて。
何だろうな、それが私にはない。ないんですよ。
どれ?極端に?
大きな成功と大きな失敗をつかめないのが私。つかめないんです、私は。
ただ限りなく優等生に近い数字は叩き出せる。っていうのが自分の中のすごい、なんていうんだろう、シェイン、シェインポイント。
日本語に直訳すると変だから、まあでも普通にコンプレックス的。
そうそうそうです。日本語出てこなかったですけど。
日本語、いや、恥じるポイントってなるとなんか。
変でしょ。
コンプレックス。
それがそもそも私の悩みで、そうなんですよ。
だから将来子供ができたら、今自分が考えてることをちゃんと実践に落としたいなと思ってて、いないけど。
生まれたらね、いやでもしんどいっすよね。よくわかりますよ。非常によくわかります。
寿冠さんたちも厳しいですもんね。
そうですね、あの、はい。めっちゃもう終わらなくなるんで。
うちはお父さんが厳しいんですよ。寿冠さんたちはどっちが。
母ですね。
逆ですね。
まあちょっとうちはまたいろいろ組み合わさっちゃったから、すごい本当に未だに僕も悩んでるし。
わかる。
でもそこまでは全然言えるけど、本当にここ最近ある方のアドバイスでトラウマセラピーに通い始めました。すごいプライベートなお話ですけど。
36:04
すげえプライベートですね。100々ってなんか。
すごいね。
こわ。こんな知らない何万人の皆様にこんな。
話を普通にさらき出しちゃってるっていう。
みんな友達だよ。これ聞いてたらもう。
これ聞いたらもう友達ですよね。
本当だよね。でもすごい前向きで、すごいなちおちゃんがさっきトラウマなんですよ。わかりやすくって言ったけど。
どうやら今本当にまだまだまだまだまだ会話始めて時間が遅いんだけど、本当にそれはどうやらトラウマって呼ぶもんらしいです。
うすうす気づいてんのよ。
アイスクールだ。
10歳くらいから気づいてる。そんなPHSみたいな病名がなかった時代から。
ピッチ。PHS070。
これは多分こういう、これは多分私にこういう病気をもたらしてるって気づいてた。けどまあしょうがない。
そういう意味で言うと僕逆に、逆じゃないかもしれないけど、普通だと思い込んでいた。
多分思おうとしていた。
そうそう。私も私も。てかもう、なんか時代、この時代の子供なんて全員こうやろとかっていう風に自分をこう目をつぶるというか。
あるよね。
まあよくわかります。なのでね、僕今今日ここで天才と呼んでる人たちに対する、なんだろう、憧れと嫉妬みたいなものはよくわかる。
そう、でそれをなんかこう親のせいなんだろうけど、親のせいにしたくない自分もあるじゃないですか。なんか負け惜しみみたいで。
まあしょうがない。
そう、だからそれをなんかそのただ、なんていうのかな、両親の気持ちも大人になった意味はわかるんですよ。
その10代、20代の頃は本当に憎しみしかなかったんですけど、大人になるとあの経済状況で子供を2人育てるのがどれだけ大変で、
彼らがなぜあんなにも私を優等生にしようとしたのかっていうのもまあわかる、そりゃね。
だから、なんていうのかな、自分のこのストーリーは私が終わらせればもうそれで成仏なのかって思うんですよね。
思うしかないし。
思うしかないしね。
終わるし、そう。
まあだから、たま、まあなんか。
なんかちょっとあのそれあの実体験的な話なんだけど、そう思うじゃない。で終わらせるようにするんですよ、もちろん、当然のごとく。
39:00
でもね、不思議とやっぱ出てきちゃうんだよね。
マジっすか?受けた教育が?
怖っ!怖っ!マジホラー?
え、嘘ホラー?
いや、ちょっと怖いっすわ、その話。
うん、なんかね、やっぱトラウマっていうかね、そういうのって根深いんだなって自分自身で思うけど、出てきちゃうし出てくることがわかるからより、そこで自分の方に向いちゃうのよね。
多分なつよちゃんもそうだと思うけど、その時にああこういうのが出てきちゃってる、ああ俺はダメだなと思っちゃうんだよね。
だし、そのセラピーに通い、まあまあ本当にまだまだだけど、あの、すっごいある種目から鱗だったんだけど、その出てきちゃう時に何で出てきちゃうのかとか、何で苦しいのかっていうのを聞いてびっくりしたんだけど、
あの、そのトラウマ的に何か苦しいことが残っている人において、なんかもちろんその、しんどいことが自分に起きた時、あるいはしんどいこと、自分にとってしんどかったことに近い現象が目の前で起きてると、そういうことを思い出したりするから、
まあさっきで言うとね、なんか優等生じゃないっぽいことをしようとすると、なんか声が聞こえるみたいな、バーって出てくるみたいな、まさにそうなんだけど、同時に自分がしてほしかったけどされなかったこと、
ただ、まあ僕もそうだけど、あの、自由にしてもらえるとか、その優等生じゃないことをしてもらえるとか、いけいけ、やれやれって言ってほしかった状況を目の前に置かれると苦しむっていう。
で、どうなるかって言うと、親になると、自分はそうはやりたくない、やられたからやりたくないので、子供にはまあ本当に言うよ、やれやれって言うじゃない、やれよってしてるの、ずっと、でもすっごく苦しくて何でかって言ったら、自分がやってるのに目の前のその自分がやってることを受けている子供に対して苦しくなる。自分はやられなかったから。
伝わる。 伝わる。
だからめちゃめちゃ難しい。
くぅー。
なので、ふと元気がもう出ない時とか、自分がちょっと精神的にきつい時期とか、仕事なり、バイオリズムかもしれないしわかんないけど、そういう時はもうできなくなっちゃう。
それは。やると目の前の自分のトラウマが二つ出てくるから、自分がされたくないからしないようにしようっていうふうにただただ自分の過去を思い出すのと、やった先にいる子供を見て自分がされたことをさらに思い出すっていう二倍に耐えられないから、やーめよってなって、ふと自然にやられたことをやっちゃうの。
うん。
めっちゃ大変よ。
42:02
大変や。
っていう。
まあまあそれはもう、頑張りましょう。
頑張りましょう。そうそうそう。
いや本当にこの話はね、ちょっとあの同世代だと割と共感するエピソード持ってる人もいるんじゃないですかね。
いるんじゃない。
いるんじゃないですかね。
いると思う。なんかすごい番組ですね。なんか結婚の話なり。
今日はちょっとNHKばりの話をしてますけども。
NHKスペシャルだった。
なんか結構その我々の年齢が別れ目というか、今の平成元年じゃないけど30代前後で結構違う気はするかな。
私は割と、私の世代がそういうその古い旧大正両親の最後の代な気がしてて。
そうだと思います。
マスはね、マスで言うと。
最近の両親とかもうちょっと友達っぽいのかなと思ったり。
そこは僕は逆に言いたいことはあって、さっきの話に近いんだけど。
その我々の世代っていうのはもう厳格なお父さんお母さん。
実際社会的に多かった時代で、それからもっと違うんじゃないかって。
もっともっと子供の自由を尊重すべきなんじゃないかっていう風潮になって子育てを始めている世代だと思うんだけど。
なんかね、その時にすごい感じるのが、結構その自由尊重しようって言葉が責任を放棄するっていうことと同梱してる。
混同してしまっている人たち多いんじゃないかなって感じます。
なるほど。じゃあちょっとその話は興味深いので。
そうだね。
ぜひ次のヒャクヒャクは教育論について。
これは偉そうに言えないっす。
偉そうに言えない?でもめちゃくちゃ興味ありますよ。
難しい。でも難しいよこれは。まあまあ。
ぜひ。ちょっと来週もまた引き続き話そうと思います。
それではまた来週。
ヒャクヒャク。