ムカツキノタネ、たまです。
たいきです。
この番組は、日々の生活で出会ういろんなムカツキをタネに、いつか花が咲くことを願って、明日を耕すようにあれこれ話していきます。
はーい、ということで、本日もゲストに来てもらってます。
はなさんです。よろしくお願いします。
はーい、はなです。
またまたおじゃましてます。
よろしくお願いします。
実はさっき私がいなかったんですが、最初にゲストに出てくださったときに話題にあがった本の感想をきっと話したのではないかと思っております。
本の感想を話してたんだけど、僕結構脱線するのを、はなさんが一生懸命本のほうに戻してくれました。
私もアニメの話とかしちゃった。
じゃあ聞くのを楽しみにしています。
楽しかった。
実は最後に、いつもXでポストしてもらうかお便りフォームに感想お願いしますって言っておきながら、お便りフォームをチェックするのがめっちゃ最近だったっていうので、
来ていることに気がつくのが遅くなってしまったんですが、せっかくいただいた感想なので紹介したいなと思ってます。
そして、出さった感想がですね、はなさんからのもあるので、せっかくなのでなんか直接聞いてもいいかなと思いながら、
えーっと、どうしようかな、全部読んでもいいですか?それともなんかご自身でなんか喋りたかったりしますか?
あーどうしよう、ちょっと、なんていう文章を送ったのか結構前なんで、
もう覚えないんですけど、ちょっと恥ずかしいですね、こうやって公開して、自分が書いた文章を。
お便り読み上げみたいな。
目の前で手紙が読まれるみたいな。
じゃあ、自分で読むのは恥ずかしいので、
じゃあ読みます。
じゃあ、はなさんからの感想を紹介したいと思います。
なんかお便りフォームからは結構なんだろう、長くもらってるんですが、せっかくなので読みます。
えーっと、たまさん、たいきさん、こんにちは。
お二人の細やかで鋭い視点のムカつきと、少しでもムカつかない社会になるといいなという、あくまで前向きな視線がとても素敵で、いつも楽しみに聞かせてもらっております。ありがとうございます。
ありがとうございます。
第5回のおまけの回では、子供が来たから唐揚げ増量のように、人によってサービスが違うことに対する違和感も、CDを売り上げるために握手券を仕込むアイドルグループの手法にこすさを感じてしまうのも、そう言われたらそうだよなと思いました。
なんとなくぼやっとした違和感だったものが、お二人の言語化によって少しくっきりしますね。
同じような場面に遭遇したときに、その都度考えるようになりそうです。めっちゃ嬉しいですよね。
私は仕事でスマホゲームを作っていますが、こすさが満載で作っている側ですが、よくムカつきます。
エンタメサービスは世にあふれかえっていて、付加価値をつけたもん勝ち、博打性を持たせたもん勝ちのようになっていて、真面目に良心的サービスを心がけている人がどんどん圧迫されるので、
あまり加速してほしくないなと思います。
年明けには退職予定ですが、自分の中のムカつきの種を育ててしまったら、もう気づかなかった頃には戻れないですね。
社会の中のあらゆるムカつきが解消されて、良い未来が近づきますように、これからも応援しております。といただいております。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
どうでした?
気づいてしまう?これもある意味、ムカつきの種、何て言うんだろう、違和感を持つ場所かもっていう、何か1個気づいたら、それを気づかなかった頃に戻せないっていうのは、ほんまにそうやなと思って。
でも何か、それをちょっとでも増やしていける、何だろう、勝手となってるというか、何かこの番組がそういう形として使ってもらえてるみたいなのはめっちゃ嬉しいなと思いました。
ね、そうですね。
いやー、ほんとに、お二人の超ファン。
超ファンには嬉しい。
いただきますけどね。
ほんとに?
なんていうか、やっぱり私も結構日々いろんなことにムカついてますけど、すぐ何ですかね、後ろ向きになっちゃいがちなとこがあって、
でもそのお二人はあくまでやっぱずっと前向きなところがかっこいいなって思ってるというか、
花を咲かせるためにというか、いつか花が咲くことを願って話しているっていうところがやっぱかっこいいなって思うし、
お二人の、せっかくお二人と話せてから、ずっとかっこいいポイントを。
今度はこっちが恥ずかしいパターンですね。
お伝えしたい。
と思ってきたんですけど、今日は。
ありがとうございます。
あのですね、お二人とも子育てをしながらこの番組されてると思うんですけど、
子育てをしながら自分の在り方を考えるっていうことが自分には全然できる気がしなくて、
すごいそこがかっこいいなって思ってるんですけど、
私は結構不器用なので、子供のこと、子供を育てたりしたら子供のことで精一杯になっちゃうんじゃないかなと、
自分のこと思ってるんですけど、
内省すること、自分のことを変えりみったり、変わっていったりすること、すごい大変だよなって思うから、
日々忙しく家事とか子育てとか仕事とかに追われる中で、
ついこれで楽しいんだとか、自分が楽しい選択をしたって思いたくなってしまうっていうか、
だから大丈夫、自分はこれで大丈夫だって思いたくなるんじゃないかなと思うんですけど、
でもお二人は世界を結構怪異的に見てる。
自分のことも社会のこともすごく余白を持って柔軟に見てるなぁと思って、
そこがすごくかっこよすぎるって思ってるんですよね。
すごい嬉しいことだと思う。
子育てしてると仕方なく向き合わざるを得ないことみたいなのがすごいたくさんある気もして、
何て言うんだろう、それで自分もすごく問われてるみたいな、
なんか私も、何て言うんだろう、子育てをしながら他のことをするっていうのがすごく、
私はもう今完全に働いたりってことはしてないから、やっていけてるみたいな気持ちが自分の中ではある、
それでもいっぱいいっぱいみたいな、
でもそのいっぱいいっぱいをその中に埋もれていくというか、考えられなくなるのが怖いからこうやって喋ったりとか、
取り戻そうとしてもがいてる感じはすごくありますね。
やっぱり子供がいなかった頃にできていたことっていうのって、やっぱり子供が生まれた時に、
こういう言い方はいいかわからないけど制限される面はやっぱりすごくあると思っていて、
一人で適当に出かけるとか、ゆっくりご飯を食べるとか、自分のことだけに集中するみたいなのが、
今もちろん子供を幼稚園に預けてる間は自分の時間としてあるけど、
完全に前と後ろが決まってはいるんですよね。
仕事もそうかもしれないけど、何らかのことでの制約みたいなのがどうしてもかかっているっていうのがあって、
でもその中で自分っていうものを保っていたい欲みたいなのが多分あって、
それを模索しているっていうのが、
私は自分でありたいみたいな欲がすごく強いから、そこを模索している感じはありますね。
かっこいいですよ。すごい。
すごいなと思う。本当に。
でも逆視点で見ると、
子供のことにフルで別途しているというか、フルで子供のことを考えてはいないっていうのもあるはある。
でもそこを、自分が自分としてあるっていうのを見せる、楽しんでいる姿を見せることがきっと、
子供が楽しく生きることにつながるに違いないと思ってやっているみたいな、そこを頑張っているっていう感じはありますね。
確かに親が、ごめんなさい。どうぞ。
親が主体性があるとやっぱり子供もそこから影響を受けるので、その姿勢めっちゃいいですね。
素晴らしい。
なんか、保育士してた時にすごくこう思ったのが、子供のため、子供のためって言って、保育士の働き方を犠牲にするっていうあり方って結構よくあると思って、教師とかもそうやと思うけど、
私が最初に通っていた縁は、子供のためにこの縁をつぶしてはならないから、その縁の持っている負債を職員が勤務時間外にバザーとかで働いて、出た売り上げで返済しましょうみたいなシステムを取ってて、
だから、子供のためっていうのを掲げて、ものすごく職員の時間とか体力を削っていくっていうことをやっていた。
だから職員は疲弊しているし、ここ変えなって思ってるけど、変える気力もわかないみたいな、なんかその状況が本当にしんどかったし、
これやったら結局一番成長の早い時期に近くにいる大人がこんなに疲弊していていいのかっていう、一番楽しそうでいたい、この世っていいんだよねっていう、それを教える存在、表す存在でありたいみたいなのがあったけど、
いろんな面白い大人がいるよっていう、その一人になりたいみたいなのがすごくあったけど、すごくそこを制限されている感じがあって、私は自由を制限されるっていうのがものすごく嫌だから、それへの反発みたいなのがめっちゃあるかも。
なんかその教育者としての、私は教育者ではないのかもしれないですけど、この心意気めっちゃ大事ですね。
なんていうんですかね、こう育てたいっていう、教育者視点でのエゴがない感じですよね。自分の中を見せるっていうので、この子をこう育てたい、こういうふうにはしたくないっていう作為性があまりない。
保育士のことを教育者っては言えないですけど、教育者は言えないっていうか、教育性を求めるのはどうかと思いますけど、その教育者としての立場としてそれめっちゃ見習いたいですね。
親としてもそうだし、教師も保育士もそのスタンスだとすごいいいと思う。
なんか、より良くっていうのはわからんでもないが、
何がより良いかの判断基準がいろいろあるからかな。
いやーそうですね。
そこはそうです。
なんか本とか動画とかテレビとか知人から子育てに対してのノウハウを聞く機会ってたぶん何個かあると思うんですけど、
それら全部が何ですか、何かをやったこととか、やらなくて後悔したこととかの話なんだけど、
なんですかね、そんなこときりがないわけで、
だからこれをしなくていいよっていう発信が、これをした方がいいよに比べて少なすぎるので、
すごい何ですかね、不可に感じる。
もちろん赤ちゃんのうちは一人の命を預かる責任はあるんだけど、
やりなさいの声とやらなくていいの声のバランスが絶対違ってないと思うので、
確かにそうですね。
過度な不安と、何ですかね、正義感じゃないですけど、
やってやるぞ感、ブンブンしてる顔になると。
なんかその不安感をやっぱりすごい煽ってるよね。
例えば、一個よくあーって、なんかちょっともやっとするのが、
頭の傾き、なんかこっちだけをよく向いて寝てますみたいな赤ちゃんがいたときに、
赤ちゃんの頭柔らかいから、頭の形が変形するんじゃないかっていう、
不安煽りの枕、まっすぐ向ける枕みたいなのにはめるとか、
枕をだから売るためのある意味その不安煽り処方だなって思うけど、
それが元がどこから来たのかはあんまりはっきりしない状態のまま、
普通にそれがやっぱいるよねみたいな感じで扱われてたりとか、
でも、頭ってそれこそ動くから、正直なんて言うんだろう、子供って均一に育っていくわけじゃないから、
こっちだけ向きたいときもあれば、こっちだけ向いたり、
それでなんか調整しながら自分で育っていくっていうのが、ある程度信じられていたりとか、
あとは他にそういう子供を見たことがあったりとか、そういう話を耳にしてたりとかすると、
そこにあんまり惑わされなくて不安が煽られないみたいなのがあるから、
なんか、その不安を煽ってくるものにちょっと一回立ち止まって疑問を持った方がいいのかもって思ったりもしますね、子供のものは。
やっぱ不安になりやすいから、そこは、もっとなんか小さい頃、成長するに従っての同時並行で、
小さい子供とかお年寄りも含めて、いろんな人がそばにいる環境っていうのがやっぱりめっちゃ大事なんやろうなって思ったりもします。
そうなんですよね。
本当に情報があふれすぎてて、あれもあったほうがいいし、これもあったほうがいいんですっていうのだけ入ってくるので、
なんていうか、それ全部正しいのかとか、吟味するのも大変だし、
これはそうね、なんか、
みんながいろいろ言うのかな。
わかんない、私も全然何もわかんないなって思ってる部分は結構あって、
なんか、そうですね、なんか、そう、そう、なんか、なんていうかね、
何もわかんないのはもちろんそうなんですけど、何もわかんないって思いすぎない大事かなって今思ったんですけど、なんか、
子育てに限らず、わかんないことに対して不安をあってくるのって、
資本主義が悪いと思ってって、
なんでしょう、保険とかも、
そう思う。
保険みたいなやつ。
そうですね。
わかんないことに対して、不安をあって、なんか売りつけてくるじゃない。
そう。
なんか、別に保険とかに限らずの全部そうなんですけど、どうせこの人わかんないんでしょみたいな感じで不安をあおって、
過度な期待感を寄せさせて購入に至らせるのは、
なんか誠実じゃないと思うので、
もちろんわかんないことはいっぱいあるんですが、わかんないと思いすぎずに何とかなるかっていうと、
すごい責任感ないみたいな感じなんですけど、
そんぐらいで、保険もお育てもそんぐらいでいいのかもな。
そうですよね。
完全に責任を持つこと、子どもの責任を持つことって難しいなと思ってて、
でもその責任が、無理ですよね。
無理だなと思うから踏み切れない部分はあるんですけど、
でも責任が持ってないからって責任を持つことを放棄していいと思ってないから、
確かにね。
そうね。
だからそこで決断できてるお二人がすごいかっこいいなって思います。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
嬉しいです。
嬉しいです。