2025-02-19 34:06

ふふふ #61 出産で個としての私が薄れる?&子は親を選ぶ&アイデンティティは、増やせる!

今回は、前回DINKSの方についての本から考えたことについておしゃべりしましたが、今回はそれに関連して、「子どもが生まれると、『個としての私』が薄れる」という意見について考えました。それってどういうことだろう?それを避けるには?とおしゃべりしてみたので、ご関心ある方はぜひ!

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サマリー

ポッドキャストでは、子育てにおけるアイデンティティの変化や母親としての喪失感について話されています。また、子供の成長や言葉の発達、家族間のコミュニケーションの進化も取り上げられています。このエピソードでは、出産や子育てを通じてアイデンティティがどのように変わるのかが探求されています。特に、親としての自己が個人の存在感に与える影響や、子供が親を選ぶという視点について議論されています。出産における親と子の関係やアイデンティティについて深く考察され、親になることが自己のアイデンティティを薄めるのではなく、新たな側面を加えるという視点が提示されています。

カレー臭と老化の悩み
ふふふラジオ
この番組は、30代の夫婦が、子育てのこと、パートナーのこと、町づくりのこと、今話したいことをおしゃべりするラジオです。
結婚や子育てって悪くないかもって思ってもらえたら嬉しいです。
最近、加齢臭を指摘されて。
やだね、この生々しいスタートの仕方ね。よろしくないけども。
あれ、もう荒行だもんね。
そうですよ。今年35になるからね。仕方ないです。
仕方ないんだよ。調べたけど仕方ないらしいよ。男性が臭くなるとは。
そうか。だからやっぱり、臭くなっていくのはしょうがないとしてさ。
ケアしないと。
気にかけてる姿勢を見せるのはまず大事だよね。
ボディソープ変えるか。
ああ、なんかさ、男性用の結構さ、デオドラント成分配合みたいに歌ってるの多いじゃん。
なんかね、なんつーの、殺菌じゃなくて、なんつーの。
なんか入ってるよね。
そういう話をさ、じゅんちゃんとした後でさ、えいちゃんとお風呂に入ったらさ、パパ臭いって言うわけよ。
本当にわかってんのかと思いながらさ、パパどこ臭いって聞いたらさ、
なんか的確にさ、なんかここと脇ととかって言って、足とって言うから、足どこ、ここって太もも指したら違うって足の先指すわけよ。
えいちゃん、お花鋭敏なのね、やっぱり子供はみたいな。
ごめんねって言って、パパが悪いねって言って。
なのであの、ちょっと年上のパパの方々には、ぜひカレー臭対策どうしてるか問題は、これがいいよっていうのがあれば教えていただけるといいかなと思います。
あとは最近のえいちゃんの話ありますか、あわててちょっとカレー臭を隠そうとしてるけど、話題を隠そうとしてるけど。
私の近況で言うと、なんか最近がくかんせつ症っぽくて。
お互いボロボロですね、大丈夫かな。
もうね、年明けから顎が痛いのよ。
年明け行っててすぐ治るかなと思ったら結構長いよね。
うちの母が、がくかんせつ症をよくする顎の体操とかを知ってる人だから、もともと歯科衛生師でね。
で、1月はそれやったら1週間でよくなったんだけど、またぶり返して、それから治らないの。
で、もうこれは歯医者案件だねと言われたので、言ってくるんだけど。
ね、やだね。
やだねしか言えないよね。
そうですよ、そうですよ。
ちょっと、Aちゃんは日に日に成長するけどさ、我々はもはや老化、老朽化。
体はほっとくと錆びていく一方だって思うから、何とかせねばなりませんね。
Aちゃんの成長
ちょっとAちゃんの成長の話しますか。
俺最近驚いたので言うと、Aちゃんは言葉を覚えてきてるけど、置けばとかやればみたいには言えなくて、
置くばとかやるばみたいに、ばの前に終止形を置いちゃうなと思って、
結構その言い間違いはすごく続いてて、いつどうなるのかなと思ってたら、
最近なんかね、メモしたんですよ。
あ、そうそう、置けばいいって言うときにさ、置くばいいっていうふうな言い方をしちゃう。
だけど、この間は置けるといいって言ってて、
置けっていう形をちゃんと作ろうとしてるのか、
なんか自分で正しく言える言い回しを見つけたのかわかんないけど、
今までだったら置くばいいよって言ってたところで、置けるといいよって言ってて、
すごい、こうしてちょっとずつ使える言葉が増えていくのかしら、みたいなのが驚きでした。
今日もさ、もし何々だったらって家庭法の、もしが別の言葉になってて、
何とかだったらって言って、なんかちょっとつながり変だなって思ったら、
Aちゃんが黙って、うん、うん、とかってうなってなんか考えてるわけ。
考えてるね。
そしたら、もし何々だったらって言い換えて、
へー、すごい。
なんか自分で変だなって思ったんだろうね。
うんうんうん、すごい、すごいと思う。
あ、言い直してると思って。
うん。
言い直すの結構あるよ、Aちゃん。
わかる、自分の中で言葉探してるよね。
うん。
そしたら、うん、うんって言うよね。
鼻フンってしたり、なんか考えてる考えてるよね。
かわいい。
もしで言うとね、この間ファミレス行って、ジュース欲しいって言うから、何ジュース欲しいって聞いたわけよ。
で、ブドウジュース欲しいのね、と。
で、なかったらリンゴねって確認して、じゃあ行ってくるねってドリンクバーに向かったら、後ろからAちゃんがパパーって言って、
どうしたの?って言ったら、リンゴなかったらみかんねって言って、
もしなかったらこうして、もしなかったらこうしてって考えてるんだってのはね、素晴らしいね。
いいと思います。
あとは、この間言われてあれだったのは、Aちゃんの歯みがきが終わった後に、ちゃんと歯みがいてほしいよねってAちゃんに言われて、
で、その後Aちゃん別の時トイレ終わって、お丸を俺が床に置いといたら、
Aちゃんのトイレちゃんと片してほしいよねって言われて、
私のセリフ。
そうそう。
じゅんちゃんがAちゃんにポソッと言ってるやつを、そのまま困り側でAちゃんは言っておりました。
片してほしいよねって。
でもそうやって要求の仕方を覚えていくわけだからさ、
すごい学んでるよね。
それが他の人へのリクエストの仕方としてさ、一つAちゃんの中で型になっていくわけじゃん。
その後と我々がどうやって相手にリクエストをするのかってさ、めっちゃ大事だよね。
日々日々ですよ。
あと最近Aちゃん怒ってるって言ってたよ。怒ったって。
今まではなんか怒ってペシペシってやってくるとさ、なんか泣いちゃうとかさ、ただペシペシするだけだったけどさ、
なんかこないだおにぎりを俺が勝手に切っちゃって、ちっちゃく食べやすいだろうみたいな。
それ自分で切りたかったらしくてペシペシしてきたわけよ。
Aちゃんなんで叩くの?みたいな。
言ったら、怒ったからだよって言ってきて、怒ってるんだみたいな。
でもよくほら、子供の感情が爆発したときはそこに怒ってるんだねとかさ、悲しかったんだねみたいに名前をつけてあげましょうみたいに言うけどさ、
自分でできるようになってきてるんだと思って。
うん。
すごいね。怒ったからだよって言って、ほんとはペシペシとめなきゃいけないんだけどさ、怒ったってAちゃん言えたねみたいな。
すごいねって言ってたら、なんとなくおさまっちゃったよね。
いいね、なんかお互いさ、かれいしゅうだがくかんせつしょうだ言ってる横でAちゃんはこうしてさ、どんどんどんどんできること増えてくわけだもんな。
ほんともうすぐ3歳っていうタイミングで、ものすごい成長を感じる。
この間その病後児保育終わった後に保育園に行って、1週間ぶりの登園だった日は、結構やっぱり集団の中で過ごすっていうのが久々だったのか、
イライラしちゃったりとかね、友達とケンカしちゃったとか、保育士さんにペシペシしちゃったみたいなことは聞いたんだけど、
帰ってきてから萌恵ちゃんは、ケンカしちゃったよねみたいな。
だれだれちゃんとさ、こういうことがあってみたいな。
自分でも、どっちかと言って反省してたんだろうね。
やっちまったなと思いながら帰ってきてたから、外でもそうやって自分を出せるようになってきてるのは、いいことだなと思うし。
でもなんか気になることあったら教えてくださいねって保育士さんには伝えておいたから、ずっと続くとか。
ちょっと程度が大きくなってきたみたいなのがあったら、ちゃんと話ができるといいなと思うけど、大丈夫じゃないかね。
第二子の妊娠とアイデンティティ
あれらしいよ、ひとめた乳毛疑いだった萌恵ちゃんだけど、ひとめた乳毛回復期は、わりとそうやってイライラが続く場合があるんだって。
なんでなんだろうね。
よくわかんないけど。
前別の人のポッドキャスト聞いてたら、熱性経齢じゃなくて、突発性発疹の前後すごいイライラして、もう本当にどうしようもないみたいな。
手がつかなくなるぐらいイライラしてたみたいな様子があったらしいから、そういう病気からくる不快感とか。
発疹は不快感ありそうだけど、ひとめた乳毛って風邪じゃない、普通の風邪、ちょっと咳が多いかなぐらいの。
萌恵ちゃんの中で何が起こっているかは謎ですが。
また登演できるといいな。
でもあれか、今週末萌恵ちゃんね、誕生日ディズニーですから、ちょっと体調は何としてもキープしたいね。
よくなったばっかだからね。
また週末鼻出始めたとか嫌だな。
ちょっと注意しましょう。
第2子の話もしとくか。
どうぞ。
しばらく喋ってなかった気がする。
そうだね、順調に。
今は妊娠7ヶ月目の後半。
もうすぐ8ヶ月だから、妊娠後期になるかなっていうぐらいの時期で。
すごい萌恵ちゃんよりもすごくよく動く子。
検診で超音波検査するときに必ず動く。
顔をこっちに向けるの。
ちょっとおもろいね、それ。
不思議だよね。お腹の中でどういう感覚なんだろうと思って、エコーされてるときって。
わかるんだろうな。
そっち向くってことは嫌じゃないのかね。
なんかあるなっていうのがわかるんだろうね。
でも結構ね、逃げるというか。
女三子さんが太ももの骨の長さでおおよその体重を出すんだけど、
それを測ろうとして足のとこやると足をクッて曲げちゃったりとかして。
嫌だよみたいな。
顔向けるのもなんかあれかもね。
メンチ切ってる可能性あるよね。
嫌だって逃げる子もいる中で、
なんだこりゃっていう。
あんのかみたいな感じの可能性もあるよね。
どう出てくるか。
ファイティングポーズよくしてるから。
それはなかなか萌恵ちゃん泣かされまくりそうだな。
今日ちょっとなんかうっすら出血があったから。
女三女電話して、念のために見ようかって言ってきたんだけど。
まあ問題はなく、お腹の張りもないし、
赤ちゃんも元気だから一時的なものだねってことで帰ってきたんだけど。
赤ちゃんの心拍、心音を20分くらい取るんだけど、
その装置も最初心臓の音がよくわかるところにつけたら、
グルンってなんか動いたなっていう感覚があって、
そしたらなんも聞こえなくなっちゃって。
あれ?動いちゃったかな?って女三人さんがいろんなとこ探して、
こんな上の方にいるって。
逃走?
逃走を図ってた。
なるほどね。
結構だからトリッキーな子かもしれませんね。
なんかこちらの思い通りには進まないね。
いかないかもしれない。
第一子はボーナスステージだったって第二子生まれてから言う人いるよね。
あの子が第一子は育てやすい子だったんだって後から気づきましたみたいな。
そのパターンかもしれません。
でもよくさ、男の子より女の子の方が育てやすいから一姫二太郎とかっていう言葉ができたじゃん。
次の子はおそらく女の子だろうってことだけど、どうなんだろうね。
Aちゃん育てやすい子だから。
楽しみですね。
じゃあ今日の本題は、最近のあれ?新聞記事だっけ?
新聞記事もそうだし、前回話したディンクスの方々が言っていることでもあるんだけど、
母親になると子としての自分が亡くなるというか、
アイデンティティー喪失してしまうって感じているママとか、
そういう喪失に対する不安を持っているディンクスの方とか、
っていう話を読んで、子の喪失かって考えた時に、
私、母親になって子が亡くなったなって感じたことないんだけど、
子が亡くなるって感じるのは、自分が一個人として名前で呼ばれずに、
だれだれちゃんママとか、ママ故障で呼ばれるっていうのもあると思うんだけど、
家庭にこもっちゃうと社会とつながりがなくてとか、そういうのもあると思うけど、
私は身の回りのお知り合ったママたちのことを名前で呼ぶから、
向こうも名前で呼んでくれるし、
親としての私と個人の私
私のことを親ちゃんママとかママって呼ぶのは、保育園の先生しかいないし、
実際、育休中とかずっと、私大学院生やってたから、
祖父と他のつながりあったし、
個人としての活動だから、それは。ママとしてじゃなくて。
だから、喪失感感じる暇なかったなっていう。
自分としても意識して、
誰かのお母さんをだれだれママとかって呼ばないようにするのは大事なのかもしれないと思う。
子として付き合うというか。
今勤めている学校もなるべく、
僕らも保護者の名前を覚えて何とかさんって呼べるようにしたいよねっていうのは心がけてるよね。
今やってる子育て世帯のつながりみたいなところでも、
基本はそんな感じではあるよね。
そうだね。参加者もみんな名前書いてもらうしね。
大事かもしれません。
自分はどうかな。育休中は確かに、
やっぱり職場とのつながりが社会とのつながりにどうしても普段はなってるからさ。
それがなくなってっていうのはあった気がする。
やっぱり子育て支援センターとかに通うとさ。
ひーちゃんパパって呼ばれるでしょ。
そうだね。
てか、もはやそんなに呼ばれてはいないかな。
だからその顔の見えるというか、そういう関係が少なくなっちゃうっていうのはあるかな。
第二審の時は多分また自分の動き方も違うと思うから、
あんまりそういうこともないんじゃないと思ってるけどね。
あの頃コロナがまだ色濃かったっていうのもあるから、
子としての関係性
そういう人と人の交わりを減らしていきましょう。
マスクは絶対ですよねみたいな雰囲気はあったからさ。
それと今とはだいぶ違うでしょっていう期待はしてるかな。
子育て支援センターも雰囲気違うといいんだけどな。
ね。
ひーちゃんの時と。
そう思う。
支援センター行くと確かに自分は子ではなくなるなとは思うわ。
うんうんうん。
親同士が子として出会う場じゃないっていうか。
うん。
あくまでも子供を介して、子供の話がメインになるし。
うんうんうん。
あなた自身何してる方なんですかみたいな話ってさ、支援センターの場でしづらいというか。
そうだね。
前回の話にちょっと出てきた仕事の私、親としての私、私としての私みたいな3つがあるとしたらさ、
基本的に職場は仕事の私が一番強く出て、
家庭とか子育て支援センターとかだと親としての私が一番強く出るけど、
だからこそそうじゃない私を出す場面を意識して作るっていうのは結構大事な気がして、
職場だから仕事の話だけでいいよねってまあそりゃそうなんだけど、
でもあなた自身はどんなこと興味あるのとか、今子育て中だけどどう大変みたいなそういう部分が出せたりとか、
子育て支援センターだからこそ、まあ子育て大変だと思いますけど、
なんか空き時間してみたいことありますかとか、その手前のね何て呼ばれたいですかみたいな、
なんとなくママ、パパでいいですかみたいなのは大事。
自由と子育ての価値
僕らはそのどれか一つをやってるわけじゃないからさ、全部まとめて私な気はするから、
常にこう別の自分がいることを思い出させてくれる関わりみたいなのも必要なのでは。
そういう関わり方をしていきたいと思うんだけどさ、
まあなんせ私ゆうじほどコミュ力ないしさ、社交的でもないからさ。
コミュ力ね、でも俺のコミュ力はねあのね短距離層だから、
短距離。
その初対面の人とある一定の深さまで話をするのは得意だけど、
なんかその先ずっと継続的な関係を作っていくみたいなところはそんなに得意じゃないかもっていう気もちょっとしてるから、
まあよしよしですよ。
逆にほら初めはそんなに仲良くなれないけど、一度心を開いたらずっとさ情け深くというかさ、
情愛に熱い人も多いじゃない。
そっちタイプだわ。
そういう人いいと思います。
今やってる活動とかはねそういう息が長い付き合いが生まれつつあるからさ、
前回そじゅんちゃんいなかったけど、来年度どういう風に運営していこうかみたいな話し合いをしたときに、
まあ僕の方でこういう進め方がいいかなみたいなのを想定して持ってったけど、
でもこここうしたらいいんじゃないですかとか、私実は全職会計事務所で会計やりますよとか、
実はペーパーだけど自然観察ガイド持ってます資格みたいなやつとか、
なんかじゃあここ自分でやりますねみたいなのがポコポコ出てきて、
あの場が単なるタスクの割り振りじゃなくて、
少しこう自分のやりたいこととかやれることが出せる場になってきたなあっていうのはすごい嬉しくて、
そういうこの人こういうの得意なんだとか、この人こういうことしたいんだっていうのが分かり合ってる他人がいるっていうのはすごいさ、
いいことだよね。
家庭はまずそうだけどさ、家庭から一歩出ると結構そういう関わりって少ないじゃん。
せっかくこの場所で長く住んでいくわけだから、
そういうこの人はこんな感じの人っていうのが分かる関係を焦らず、
じわじわ増やしていけるといいんじゃないって気がするね。
あと私としての私っていうのは何を指しているのかちょっといまいち分かんないんだよな。
私としての私?
子としての私。
哲学チックだよ。
親でもなく、仕事をしている時の私でもない自分。
なんか自由な状態の自分なんじゃない?
リンクスの方の話の中でも大人になってやっと自由になったのに、
また子供が生まれてその子供のために自由が制限されるのが嫌だみたいなのが書いてあったけど。
確かにね。
仕事でも家庭でもない。
友働き夫婦文脈で言うと、セルフケアみたいな言い方するかなと思っていて、
仕事でも親でもないってなると自分のリフレッシュのために、
俺だったらテニスするとかさ、サウナ行ってみるとかさ、
なんかセルフケアの文脈でその時間をとってまた仕事に向かうとか、
また親として張り合いを持って子供たちと過ごすみたいな。
そういう目的のために子としての私の時間があるような捉えになっちゃってるけど、
多分もっと子としての私が忘れちゃうっていう人は、
子としての私の時間とか価値をすごく高く見積もってるというかさ、
そこが一番大事なんだっていう感覚が強いような気はするよね。
私もすごい自由な人間だしさ、
知っておりますよ。
自由が制限されるのは、多分普通に感じるタイプの人間なんだけど、
子供に関しては、長い人生の中のほんと一部だと思ってるから、子育て期間って。
当てられる時間というかね。
そうだね。
振り返れば、ふっぐらいの期間だと思う。
自分の小中高時代も振り返ると一瞬だもんね。
一瞬。
あんな感じだよね、きっとね。
早く終わってほしいって思ってないから、
この時間は一瞬に過ぎ去ったとそのうちに認識するんだろうなって思うから。
客観してますね。
でもその通りだよね。
いるわけだから、あんまり自分の自由が制限されているって思ってなくて。
子育て終わったらすごいあるわけじゃん、時間が。
そうだね。
死ぬまでに。
20年とかでしょ、長くて。
でもその先もね、後半数十年あるわけだもんね。
早くて高校ぐらいから家出る可能性があるって思うとさ。
そうだね。
15歳でしょ。
ほんとその通りよ。
一瞬も一瞬だよね。
もう3年ぐらい経ってるからね。
その通りですよ。
だから人生に対する見方が全然違うんだろうなと思って。
さっきのリンクスの話。
私はすごく広く見てる。
広くというと。
超キスパンで。
今この瞬間の数年じゃなくね。
でも確かに独身のとき、ゆうじと出会ってないときとか、
今みたいな感じで一瞬一瞬もすごい大事に生きてた気がする。
今楽しかったら、未来も楽しいみたいな。
それはそうね。
すごく狭く見てたなって。
あのときは。
自分一人のこと考えておければさ、
今ベストを尽くすことが、その先のベストにつながっていくなと思うけど、
そのキャリアとかさ。
だけど結婚とか、就職もそうか。
就職は転職できると思うとあれだけど、
結婚、出産、今言ったら家を買うとかさ。
正直どうなるかわかんないからさ。
賭けではあるじゃない。
でも賭けてみて、思わぬ楽しさが見つかるとか。
思わぬ感動が得られるみたいなこともあるわけで。
そこにえいやってやってみるのは、論理ともちょっと違うよね。
違うね。
絶対報われるからこっちっていう選び方でもない気がしていて。
でもまあ、なんとかなるっしょみたいな感覚ではあるかな。
どっかでみんなやってるしなみたいな。
子育てとかさ。
これまでずっとやってきたことだし、
まあ多分なんとかなるんじゃないみたいな。
楽しいこともあるんじゃないみたいな感じかな。
リンクスの人の本、これもザーッと読むんだけど。
寛容さの話が最後のほうにあったなと思って。
対無秩序菌って言い方をしてて。
なんか子連れOKの場所がわーって騒がしかったりとかする。
それにちょっと耐えきれない私みたいな。
でも他の家庭はそういうわーっていうのに日々耐えながら
なんとかそれをマネージしてやってるんだなみたいな。
ある種不快な場所に訓練をして、
対無秩序菌を鍛えたほうが結果的に生きやすくなるんじゃないか。
そう思いますみたいな。
そう思うし。
でも目に余るならその場でやっぱり注意できたほうがいいしさ。
その辺はどうそういう人たちとやり取りしていくかっていうのは、
自分がただ耐えるだけじゃなくできることはある気がする。
この人は無秩序って書いてたけどさ、
なんかこうカオスというかランダムというか予測不能みたいな。
のを自分の生活に取り入れるっていうのは
怖さでもあるけどさ、ちょっと楽しみでもあるよね。
そうだね。
フリーランスになるとかって結構予測不能な気はするけどね。
そうだね。それを自分の成果にしていくぞっていうさ、
決め事はできるわけじゃん。
でも逆にこの人の子供を産んで、
ハッピーな家庭築くぞっていうのはまた別の決定なんだろうね。
自分の意思でどうにもできないことがあるからじゃない。
まあね。
なんか自分の意思で勝手に他人の人生を始めることに
後ろめたさがあるっていうのが書いてあって。
すごいやっぱり近代的だよね。
個人主義が先鋭化してる感じはするよね。
それは思ったことないなと思ったよ。
個人の自由をさ、まだ生まれてきてない子供にまで広げて考えてるわけじゃん。
すごい話だよな。
なんか論理的には正しい気がする。
個人の自由が最大の価値であるって思うなら、
今この世に産んじゃうことが、
生まれてくる子供の自由を損ねるのではないかみたいなのがあるのか。
私そこ考え方全然違うわ。
反論いっぱいあると思うんだけど。
あ、じんちゃんの意見に対する反論もありそうだけどってことね。
まあいいじゃないですか。
私自身勝手に私の人生始められたって思ってないわけよ。
自分が始めたってこと?
この世に産んでもらってね。
生まれたくて生まれたと思ってるから自分は。
そうね、その考えはあるよね。
だから私の母親が勝手に私を産んで、勝手に私の人生始めたって思ってないの。
自分でね。
産む立場になってみても、
出産と親子の関係
やっぱり赤ちゃんが生まれようとする動きをサポートするしかできないから、産むときって。
意志を持って生まれてくるわけよ、赤ちゃんって。自分で。
お腹の中のあっち側がね、出たいって言うからってことだよね。
もう賛同になるしかないみたいな、自分は。
生まれてくる道になって、その子が人生始められるように、ただ道になりサポートするみたいな。
そういう感覚だから。
無理やり引っ張り出してるわけじゃないから。
そうだね。
って思ってんだよね。
それは大事だね。だって、産もうとしてもすぐ生まれるわけじゃないじゃん。
我々も色々ありましたけど、その感覚は大事かもね。
向こうが選んできてる。
向こうのタイミングで来てくれてると思ってるから、私は。
そうだね。
妊娠するしない。
確かに、逆に考えれば、よくね、天上に、天の上にさ、たくさん赤ちゃんがいてさ、上から見てさ、よし、あそこ行きますみたいな感じと思えば、
自分が産もうと、地上の我々がさ、頑張ったところでさ、それを産まれたってことは、そういう僕らを選んで来てくれているということだから、
それに精一杯頑張って答えていけば、OK、お前が勝手に産んだんだろうみたいな。
そういうことは、別にどっちが正解ってわけじゃないけどさ、構えとしてはさ、そういうほうが気が楽ではあるよね。
僕らが英語で産んじゃったから、ごめんねってなるよりは、いや、一応こっち来てもいいよってしたけどさ、みたいな。
選んで降りてきたのはそっちではね、みたいな。産まれたかったんでしょ、みたいな。じゃあ一緒に頑張ろうよ、みたいな。
そういう感覚でいけるといいね。
でもその話はね、なんかね、たぶん、それこそお腹を痛めた母でしか感じられない部分なんだろうなっていうのは、今聞いてて、ちょっと思ったかな。
やっぱり選ばれて、お腹の中で子供が動いてさ、産まれたがってるみたいなのをさ、
まあ残念ながら、でもないか。じゅんちゃんが大変なのを見てるから、そんなに残念だなと心底思ってはないけど、その感覚は一生俺は無理だからさ。
出たがってるんだ、みたいな。この動きをサポートしていけばいいんだっていう感覚は大事だね。
次の子もパワフルに動いてるわけですね。ドキドキしてきた。
ちょっと待って、選んで来てくれたのは嬉しいけど、そこまでしていいって言ってないよ、みたいな。
とんでもないジャジャーマンかもしれませんが、まあ楽しみね。
それじゃあ起きるかしら。
そうだね、さっきちょっと咳してたね。
じゃあこの話をここで締めて、最後まとめるとどういうことですか。子としての私が、親になると薄れてしまうんじゃないかという考えに対して。
アイデンティティの増加
うーん、なんかそれも、こう言ったらちょっと元も子もないかもしれないけど、全部自分次第なわけ。
その通りだね。
自分が子として生きてて、相手のことも子として見てれば、子なの。
そうね。私はこの子の親とかじゃなくね。
そう。
確かに言い方はあれだけど、私はこの子の親って思ってる親の子は、私はこの親の子、みたいな。
言葉遊びすごいけど。なんか親の影響を強く感じちゃったりもするだろうなーって気はするね。良くも悪くも。
だから子として母親になったとて、子として生きようと思えば生きれるっていう。自分次第で。
そうだね。そっちの方が多分楽しい気がするからね。
前ほら、出産した時にさ、妻から夫への愛情が一旦ゼロになって、また増えていくみたいな話した時にさ、
俺はなんかじゅんちゃんへの愛情変わらず、えーちゃんへの愛情が増えました、みたいな話をしたけどさ、
愛情だけじゃなくて、アイデンティティもさ、この人のパートナーとしての自分みたいなのが5つ。仕事の自分も5つ。
この子の親っていうアイデンティティが乗っかってくるだけで、別に他を減らしてみたいなイメージはないから。
そうだよ。キャリアだってそうだと思うんだよね。
キャリア?
そう。今まで自分が積み重ねてきたこの分野の強みみたいな。
で、別の分野を経験してちょっと強みが増えて、どんどん増えていって、それを組み合わせて次のキャリアステップしていくみたいな。
別にさ、今までやってきたことが消えるわけじゃないじゃん。
そうだね。
自分の経験として残っていくものだから。
一緒じゃない?と思って。キャリアでの考え方とアイデンティティも。
じゃあ次回はじゅんちゃんによるキャリア論講座ということで。
これまでのいろいろキャリアという観点から見直してみると面白いと思う。
キャリアブレイクの話するか。
そうだね。それも最近買った本で掘った話だもんね。
あれね、いただいたの。
あ、そっかそっか。そうだったね。五剣本ですね。
なおさら扱った方がいいんじゃない?
面白かったよ、あの本。
じゃあ次回はそれを扱いましょう。
はい、では今回も聞いてくれてありがとうございました。
ぜひ聞いて感じたことをお便りフォームなどで教えてください。
面白いと思っていただけたらポッドキャストアプリでフォローしたり、SNS等でご紹介もよろしくお願いします。
それではごきげんよう。
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