今年4月、71歳で亡くなった、野球評論家、衣笠祥雄。
彼は、広島カープの優勝に何度も貢献し、連続試合出場の日本記録を塗り替えた『鉄人』として、多くの野球ファンに愛されました。
今もなお、彼の雄姿を心に刻み、励まされているひとが数多くいます。
彼がなぜ、そこまでひとびとの心をつかんだのか…。
有名な逸話があります。
1979年8月1日。広島対巨人戦。
試合は7対1で巨人リードのまま、7回の広島の攻撃を迎えました。
打席には、連続試合出場記録を更新中の衣笠。
西本は内角に得意のシュートを投げますが、衣笠の左肩にあたってしまいます。デッドボール。
怒った広島の選手たちがベンチから飛び出します。
衣笠に謝ろうと西本が駆け寄るのを、激痛に顔をゆがめながら、衣笠がこう制します。
「危ないからこっちに来るな、ベンチに下がれ、早く!」
結果、乱闘騒ぎになり、試合は中断。
そのときのショックで西本は調子を崩し、結局、試合は8対8の引き分けになりました。
夜、西本が謝罪の電話をすると、衣笠は「大丈夫、心配するな。それより勝てる試合で勝てなくて、損したなあ」と気遣ったといいます。
衣笠は左肩甲骨を骨折していました。
翌日、試合には出ないだろうと誰もが思っていました。
衣笠の連続試合出場記録も途絶えたか…。
しかし、代打衣笠を告げるアナウンスが流れ、球場にどよめきが起こります。
衣笠は、江川の投げる速球に、三球三振。
全てフルスイングでした。
試合後、彼は言いました。
「1球目は、ファンのみなさんのため、2球目は、自分のため、そして3球目は、西本くんのために振りました」
どんなときもまわりに気遣いを忘れない、謙虚な姿勢。
しかし、最初から彼が聖人君子だったわけではありません。
鉄人衣笠は、偶然がつくったものではなく、文字通り血と汗の努力の結晶だったのです。
野球人・衣笠祥雄が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
彼は、広島カープの優勝に何度も貢献し、連続試合出場の日本記録を塗り替えた『鉄人』として、多くの野球ファンに愛されました。
今もなお、彼の雄姿を心に刻み、励まされているひとが数多くいます。
彼がなぜ、そこまでひとびとの心をつかんだのか…。
有名な逸話があります。
1979年8月1日。広島対巨人戦。
試合は7対1で巨人リードのまま、7回の広島の攻撃を迎えました。
打席には、連続試合出場記録を更新中の衣笠。
西本は内角に得意のシュートを投げますが、衣笠の左肩にあたってしまいます。デッドボール。
怒った広島の選手たちがベンチから飛び出します。
衣笠に謝ろうと西本が駆け寄るのを、激痛に顔をゆがめながら、衣笠がこう制します。
「危ないからこっちに来るな、ベンチに下がれ、早く!」
結果、乱闘騒ぎになり、試合は中断。
そのときのショックで西本は調子を崩し、結局、試合は8対8の引き分けになりました。
夜、西本が謝罪の電話をすると、衣笠は「大丈夫、心配するな。それより勝てる試合で勝てなくて、損したなあ」と気遣ったといいます。
衣笠は左肩甲骨を骨折していました。
翌日、試合には出ないだろうと誰もが思っていました。
衣笠の連続試合出場記録も途絶えたか…。
しかし、代打衣笠を告げるアナウンスが流れ、球場にどよめきが起こります。
衣笠は、江川の投げる速球に、三球三振。
全てフルスイングでした。
試合後、彼は言いました。
「1球目は、ファンのみなさんのため、2球目は、自分のため、そして3球目は、西本くんのために振りました」
どんなときもまわりに気遣いを忘れない、謙虚な姿勢。
しかし、最初から彼が聖人君子だったわけではありません。
鉄人衣笠は、偶然がつくったものではなく、文字通り血と汗の努力の結晶だったのです。
野球人・衣笠祥雄が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
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