第二百八十一話『他人を敬う』-【徳島篇】プロ野球監督 上田利治-
2021-01-16 12:13

第二百八十一話『他人を敬う』-【徳島篇】プロ野球監督 上田利治-

野球殿堂入りを果たした、徳島県出身の名将がいます。
上田利治(うえだ・としはる)。
広島カープでの選手時代は2年あまりと短く、しかも、ほとんど目立つことのない地味な存在でした。
その後、25歳で広島の二軍コーチに就任。
当時の日本プロ野球史上、最年少での大抜擢に野球ファンは驚いたと言います。
打撃コーチとして、山本浩二や衣笠祥雄を育て、阪急ブレーブスのヘッドコーチで手腕を発揮。
37歳の若さで、阪急ブレーブスの監督になります。
選手として無名だったひとが監督になるのは珍しい時代。
さまざまな逆風を跳ね返し、阪急、オリックス、日本ハムと監督を歴任し、5度のリーグ優勝と3度の日本一を果たし、名将の代名詞になりました。
選手時代もベンチに六法全書を持ち込み、ナポレオン・ボナパルトの著作を全て熟読するほどの読書家。
分析力、判断力に長け、戦術を駆使するクレバーな理論派の一方、選手たちを守るためには顔を真っ赤にして怒る熱血漢でした。
それを象徴するゲームが、昭和53年の日本シリーズ第7戦。
阪急3勝、ヤクルト3勝で迎えた最終決戦で、ヤクルトの大杉が放った打球は、レフトのポール際を通過。
判定はホームランでしたが、阪急の監督・上田はベンチを飛び出し、レフトの審判に駆け寄って猛抗議をしました。
「どこに目をつけとるんじゃ! スタンドのひとたちも、ファウルって言ってるじゃないか!!」
当時はもちろんビデオ判定などなく、一度下したジャッジがくつがえることは、皆無でした。
それでも、上田は引き下がりません。
選手たちをベンチに引き上げさせ、中断した時間は、前代未聞の1時間19分。
それは全て、選手たちのためでした。
「オレは、おまえたちを全身全霊で守る。だから安心して戦って来い!」
そんなメッセージだったのです。
なぜ無名だった選手が、伝説になったのか。
そこには他人にはうかがい知れない、たゆまぬ努力があったのです。
プロ野球の歴史に名を刻んだ徳島の英雄・上田利治が人生でつかんだ明日へのyes!とは?

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

12:13

コメント

スクロール