第百九話『弱気は最大の敵』-【広島篇】元広島カープ投手 津田恒美-
2017-09-30 13:54

第百九話『弱気は最大の敵』-【広島篇】元広島カープ投手 津田恒美-

9月18日、プロ野球セ・リーグでは、広島東洋カープが2年連続8度目の優勝を決めました。
カープの連覇は37年ぶりで2度目。
セ・リーグで複数回の連覇は、巨人に次いで2球団目で、2年続けることがいかに困難であるかを物語っています。
優勝を決めた阪神甲子園球場は、カープを応援する「赤」で埋め尽くされていました。
原爆によって焦土と化した広島という街に、わずか4年でつくりあげられた球団は、「広島市民に元気と勇気を届けたい!」という熱い思いがつまった復興のシンボルでした。
カープが市民球団と呼ばれるのは、他の球団と違い、親会社を持たず、独立採算制をとっているからです。
親会社からの赤字の補填がないため、設立当時は、厳しい台所事情を抱えていました。
それでも、広島を、広島カープを愛する多くのひとの助けにより、独自の道を歩んできたのです。
広島市民球場開設を前に広島財界も動きましたが、当時の東洋工業の社長、松田恒次は、こんな提案をしました。
「広く、球場建設資金を募集しようじゃないか。そうだ、名古屋城再建のときに居金箱を用いているが、あの手は面白い。広島市内のあらゆる料亭、飲食店、キャバレー、喫茶店にその箱を置いて、1ヶ月ごとに集計して、そのつど、中国新聞で発表すればいい。この方法は競争になるから効果があるよ。よし、その箱は僕が寄付しよう…」。
選手獲得に関しては、高い年棒を捻出するより、若手の育成に力を注ぎました。
そうしてできあがったチームは、揺るぎない結束力と地元からの大声援を得たのです。
そんな広島カープにあって、忘れられない伝説の投手がいます。
「炎のストッパー」、津田恒美(つだ・つねみ)。
悪性脳腫瘍のため、わずか32歳でこの世を去った津田は、闘志むき出しの投球でファンを魅了し、優勝を牽引しました。
彼はあらゆるものと闘ってきました。
怪我や病、そして己の弱気。
闘うひとだからこそ、ひとを励ますことができたのです。
剛速球投手、津田恒美が、短い人生でつかんだ明日へのyes!とは?

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