2022-03-23 07:08

(13)岡山での改心 吉田監督が初心に戻った日

阪神が21年ぶりにリーグ優勝した昭和60年。感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布の甲子園バックスクリーン3連発。古葉竹識率いる広島との死闘。日航ジャンボ機墜落事故での球団社長死去の衝撃…。そしてつかんだ栄冠。「吉田義男監督誕生秘話」から「栄光の瞬間」まで、トラ番記者だった田所龍一の目線で、音声ドキュメントとしてよみがえります。

昭和60年の阪神の快進撃を象徴する〝伝説〟の試合―とくれば、誰もが4月17日の巨人戦での甲子園バックスクリーン3連発―と言うでしょう。

 でも、トラ番記者たちが「今年の阪神は違うで」「何かが起こりそうや」と感じたのは、この3連発が出発点ではありませんでした…

 


【原作】 産経新聞大阪夕刊連載「猛虎伝―昭和60年『奇跡』の軌跡」
【制作】 産経新聞社
【ナビゲーター】 笑福亭羽光、内田健介、相川由里

■笑福亭羽光(しょうふくてい・うこう)
平成19年4月 笑福亭鶴光に入門。令和2年11月 2020年度NHK新人落語大賞。令和3年5月 真打昇進。特技は漫画原作。

■内田健介(うちだ・けんすけ)
桐朋学園短期大学演劇専攻科在学中から劇団善人会議(現・扉座)に在籍。初舞台は19 歳。退団後、現代制作舎(現・現代)に25 年間在籍。令和3年1月に退所。現在フリー。
テレビドラマ、映画、舞台、CMなどへの出演のほか、NHK―FMのラジオドラマやナレーションなど声の出演も多数。

■相川由里(あいかわ・ゆり)
北海道室蘭市出身。17歳から女優として、映画、ドラマ、舞台などに出演。平成22年から歌手とグラフィックデザイナーの活動をスタート、朗読と歌のCDをリリース。平成30年「EUREKA creative studio合同会社」を設立し、映像作品をはじめジャンルにとらわれない表現活動に取り組んでいる。
猛虎伝原作者田所龍一

【原作】
■ 田所龍一(たどころ・りゅういち)
昭和31年生まれ。大阪芸大卒。サンケイスポーツに入社し、虎番として昭和60年の阪神日本一などを取材。 産経新聞(大阪)運動部長、京都総局長、中部総局長などを経て編集委員。 「虎番疾風録」のほか、阪急ブレーブスの創立からつづる「勇者の物語」も産経新聞(大阪発行版)に執筆

 

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00:01
ナビゲーターは私、内田健介でお届けします。
第13話 岡山での開始 吉田監督が初心に戻った日
7月18日、岡山での広島15回戦を迎えた。ペナントレース前半戦最後の試合。
もしこの試合に負けると、首位広島とのゲーム差は5に開き、阪神は3位に転落する。
優勝戦線への生き残りがかかった試合。吉田監督は動いた。
まず打線に手こ入れし、左太ももを痛めた岡田に変えて、二塁にルーキーの和田を抜擢した。
さらにリードを読まれ始めていた木戸に刺激を与えるためと、山川に先発のマスクを被らせた。
そして、トラ番記者たちを驚かせたのが吉田監督のこの一言だった。
お宅らの言う通り、バントを使っていきますわ。
と、照れくさそうにぽつりとつぶやいて試合に挑んだのである。
吉田監督は有言実行した。
一回、先頭の真由美が二塁打で出塁すると、続く北村にバントで送らせてワンナウト3塁。
犠牲不来でも先制点と、開くに出塁に入ったバースが、広島の先発山根の初球を宇宙間上外へ特大の一発。
さらに、がっくりと気落ちした山根に、武夫が22号ホームランと畳みかけた。
序盤戦、大進撃を続けた驚異の猛攻打戦の復活だった。
終わってみれば11対4の大勝。
阪神は首位広島に3ゲーム差の2位で折り返したのである。
大量得点というのは決して強攻策がもたらすものではない。
1点を狙った延長が2点になり3点4点と膨らんでいく。
この試合でルーキーワダが4アンダ、そのワダを平田がバントで送り、1試合4ギダのセリーグ新記録を作った。
今日のゲームを勝てたのは本当に大きいです。前半のうちの勝ちパターンのようないい試合ができました。
かけふやバースもよく打ってくれましたが、今日は開打戦の活躍が大きいです。
03:04
吉田監督はプライドを捨てて初心を取り戻した。
まさに昭和60年吉田阪神の分岐点となる試合だった。
リーグ優勝に日本一。
全ての戦いを終えたある日、吉田監督はトラバン記者たちを招いて慰労のための懇親会を開いた。
その席で冒頭、突然姿勢を直し。
あの時、記者の皆さんの厳しい提言がなかったら、この栄光はおまへんでした。
ほんまにありがとうございました。
と、ふかふかと頭を下げたのである。
その心からの感謝に、記者たちも大きな拍手で応えた。
以来、当時を知るトラバン記者たちの間では、この一戦のことを岡山での戒心と呼んでいる。
さてここで、最強の助っ人と言われたバースが突然消えた日のことをお話ししよう。
岡山での戒心で初心を取り戻した吉田阪神は後半戦、再び戒心劇を始めた。
吉田監督の52歳の誕生日だった7月26日。
甲子園球場での対応戦。
1回にいきなり5点を奪われたが、山川の3ランなどで3回に5対5の同点に追いつき、
4回2アウト2塁からバース・カケフの連続タイムリーで7対5。
翌27日の試合は7対7の同点で迎えた9回。
代田の長崎がライトへさよならホームラン。
28日もカケフ・真由美のソロホーマーで奪った2点を池田・中西のリレーで守りきり、
太陽に3タテを食らわせた。
そして7月30日の中日戦は、カケフ・佐野・岡田そしてバースが2本と計5本のホームランが飛び出して、
13対6。後半戦、いきなり4連勝スタートだ。
事件は8月1日に起こった。
中日戦の試合前のことだった。
いつも通りに球場入りしたバースだったが、ユニフォームに着替える前にトレーナーへ右足の異常を訴えた。
前日の試合で自打球を右足くるぶしに当て、痛みが取れないという。
すぐさま病院で精密検査。結果は最悪だった。
右足首の剥離骨折で全治2週間と診断されたのだ。
この時点でバースの成績は、打率3割4分8輪、本塁打32本、81打点とセリーグの3冠王爆心中。
06:08
そのバースが調整期間を入れると1ヶ月近くも使えない。これは痛い。いや、痛いどころではなかった。
バースに代わって誰に一塁を守らせるかでまた一騒動が起こったのだ。
岡田か佐野を一塁に回せば済むやん、とトラバン記者たちは簡単に考えていた。
ところが吉田監督の意見は全く違ったのである。
お相手は小福天皇と、私、市田健介がお送りしました。
ご視聴ありがとうございました。
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