だからその見分ける名前としては祭号というのがあって、これは大徳寺からまた別に歴代がいただく。
例えば今でも大将将が法恩祭、家本座坊祭っておっしゃいますけど、
うちの場合は父が不徹祭、私は随縁祭、縁に従うと書いて随縁祭という祭号があって、
この先本名の正義や曹宗という名前がなくなって、将来私が死んだ後に何代目の曹宗さんということを示すときの名前は随縁祭という名前で、
だから何代目の随縁祭はこうだったねみたいなふうに。
だから親からもらった名前でも当主として名乗った名前でもなく、
最終的には大徳寺の官庁からいただいた名前が多分何百年先まで自分という人間を識別していく名前としては残っている。
その名前が変わったときってやっぱり気持ちも変わるんですか。
例えば私が曹をくっついたときですね、やっぱり最初は葛藤ありましたよ。
やっぱり父家族から名乗ってる名前で正義という名前に愛着も持っていましたし、好きではあったので。
で曹をくって言われても父が昔後継で名乗ってた名前だからなんとなく自分もイメージに曹をくって父親のイメージ強かったので。
最初はだからなんかお茶のことに関わる仕事するときは曹をくだけど、
例えば大学で講師やったりとかなんかちょっと原稿を書いたりとかそれ以外の仕事に関して、
例えば友人との関わりのメール書いてるときなんかでも最初はそこは正義っていう名前にすごくこだわってたんですよ。
ところがやっていくうちにだんだん曹をくが正義食っちゃったんですよね。
どっちでもいいやと思っちゃって。今はもうだから曹をくさんと言われて全然抵抗ないし。
また変わんなきゃいけない。
そうなんですよ。だから逆になんかプライベートで全然友人関係で知ってる人で正義さんって言ってくれるとすごく嬉しいというかあれなんですけど。
面白いですね。
なんか不思議ですねそれってね。
でも曹をくの場合はね後から付いた名前だし、それが創始に変わった時っていうのはまだ自分変わってないのでどういうその時気持ちになるのかなっていうのはまた違う感じなんでしょうね。
楽しみですね。
実は以前この番組に出ていただいたゲストの中にも曹をくさんと交流がある方がたくさんいらっしゃるんです。
谷松屋戸田商店の戸田隆さんや藤田美術館館長の藤田清さんとはいろいろな場面で一緒にお茶会を開いている中みたいですよ。
曹をくさんについてどう思われているのかそれぞれに聞いてみました。
年齢は近いんですよね。
そうですね。
だからなんか面白いよね。漫画じゃないけど。
もういつもワイワイしながらやってますね。
でも曹をくさんすごいよね。
曹をくさんちょっとね異常です。
頭の中にいっぱいお道具があるんですよね。
なんかスラスラ読んでてこれもしかしたらあれだなっていう。
すごいですよね。
でも珍しいですよね。そんな人いないんじゃないですか。
いないですよね。
多分あの方小学校か子供の頃からみんな周りはドラえもんの絵本とか持ってるのに一人お経を抱えてたっていう。
だからそれぐらいこう一つ抜けた方ではありますよね。
藤田美術館が梅田の阪急百貨店で展覧会したときに同じ期間に戸田商店さんも展覧会を阪急でやってて。
そこを覗きに行ったら曹をくさんいらっしゃったんですよ。
そこで初めてお茶碗の話をしたことを覚えていて。
戸田商店の茶碗を見て清志さんどう思いますって言われたんですよね。
怖いじゃないですか。
えーと思ったんですけども。
僕の当時そんなに知識がなくてわからなかったんですけど、わからないなりのストレートな印象で、
もうちょっとこうだったらいいのにとかこうですよねみたいな話をしてたら、
ちょうど僕もそう思っててとか言う話をして。
それを合わせてくださったのかなっていうのもあるんですけど。
それ以来ご飯行きましょうかって。
だんだんと喋るようになって。
でもちょっと怖いよね。
怖いです。もう本当に怖いですね。
一番怖かったのは曹をくさんの調装店お茶室が以前東京にあって、
そこ行ったときに黒い落字はパッと出されて、
誰だと思いますって言われたんです。
怖いんですよ。
だって黒いじゃないですか。
落型ずっと黒いじゃないですか。
今の16代なので黒いんですよね。
うわーと思って、もう頭フル回転させて。
結論から言うと、一応ほぼ当たりぐらいのニアだったんですけど、
僕そう見って言ったと思うんですよね。
初代の長寿郎のちょっと横の筋みたいなのがあったんですけど、
そう見ですかとか言ったら、いい線行ってるかもって言って、
これ実は長寿郎焼きって書いてるけど、僕もその辺だと思うんです。
こんなの出てこないですよね、普通。
怖いですね。
怖いですよ、もう。
試されてる感がすごいです。
たまにそういうね、なんかテストがあるんですよ。
怖いね、それで。
テストって言っちゃいけないかもしれないけど。
美術館長だからね。
いや、美術館長なんでも知ってるわけじゃないですから。
壮奥さんと言えば、インスタグラムでおいしそうな和菓子や、
素敵なお寺の風景を投稿されているので、
なんだかほっこりしたイメージを持っていましたが、
実際はなかなか鋭い方のようですね。
ジョイさんもここぞとばかりに、長い質問リストを用意してきたようなんです。
いくつかテーマとして入ってきてるのが、
この気守りの話とか、あとは渦見火の話で、
まず渦見火ってあれですよね、前の日の炭を残して、
炉の火をこうやって移して、灰をバーッとかけて、
埋めて一晩、土を起こさせて、こんな感じですね。
まるぎっちょ3つぐらい。
いや、もっと詰めたら、長いによっては、渦見火の時は。
まあ、もちろん少量でも残ると思うんですけど、
落ちちゃったらやっぱり縁起が悪いし、やっぱり気になるので、
だからうちの父なんて結構夜中に何回も見に行ったりしてるって言ってますけど。
これは去年の流れを。
そうですね、一応伝統っていう言葉は、本来火を伝えるって書いたっていうことの名残。
でも昔はね、お正月に関わらず、いわばこれってライフラインなんですよ。
今みたいにガスも電気もないわけですから、やっぱり火がずっとある。
いろりの火を絶やさないっていうことが、つまりその家が、
電気のメーターがオンになってる状態なわけで、
それをオフにしちゃうっていうことは、生活がともとも途切れるっていうことになるわけだから。
昔はお正月に関わらず、冬の間はずっと、
たぶんいろりとか火の素をどっかではキープしてたはずなんですよ。
必要に応じてそこから火を出して炭を足して、それで煮炊きをしたりとか火鉢を作ったりとか。
だから暖房器具でもあるし、ガスでもあるし電気でもあるし、
まさにライフラインの象徴が昔は火なわけですよね。
お茶の家に関わらず、たぶんどの家でも昔はあって、
夜になると使わないときは灰をかけて、
火が裸の火で残ってると危ないですから、そこに何か落ちてきたら燃えるかもしれない。
だから灰をかけて、夜は埋めて、朝になるとまた掘り起こして、
そこから必要に応じて種火にして、あちこちいろんな場所に火を使ってた。
今はそれが電気もガスも水道もあるわけだから、
普段はやらないけど、象徴的にその大晦日から元旦のときだけは、
その昔ながらのうずみ病を残すことで、生活を日々続けていってるってことを、
元旦大晦日の一晩に、いわば集約して残してる。
でもそれの象徴的なものの一つが、私が修行にも行きます、
京都の北東にある比叡山天寮寺にある不滅の宝刀という、
これもまたお寺にとってやっぱり灯明っていうものは、
いわば仏様を象徴するもの、闇を照らす火っていうのが、
つまり仏の教えの象徴なわけですよね。
つまり心の闇を仏の真理の教えで照らすっていうことが、
まあ経典にも宝刀っていう宝の灯火っていう字で、
その仏様の教えそのものを光に例えるっていうことがあって、
それを象徴する意味での宝刀、宝の灯火が、
闇寮寺の根本柱堂に掲げられてて、
それは殿陵大師が1200年以上前に比叡山を開かれたときに、