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2025-02-11 19:56

#51 うつろうモノ、受け継がれる形:名碗「木守」が語る日本の美意識|伊藤穰一 x 千宗屋

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今週も先週に引き続き茶道・武者小路千家の次期家元 千宗屋さんをお迎えしています。先週は突如行われたサプライズ茶会の様子をお伝えしていましたが、今回はその後改めて行われた対談の様子をお届けします。前日までに宗屋さんの資料を読み込んだJoiさん。とにかく聞きたいことがたくさんある様子。今日は、千家に伝わる埋み火の伝統や、武者小路千家に伝わる名碗「木守」に関する写しと本歌の話、そしてキリスト教と茶道の関係などをお話いただいています。


【編集ノート】

編集ノートでは難しい用語や人物名などの詳しい解説をお伝えしています。 

https://joi.ito.com/jp/archives/2025/02/11/006040.html


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サマリー

このエピソードでは、名碗「木守」が日本の美意識や茶道の歴史について語られています。特に、千利休から受け継がれた茶の文化や、裏宗家と表宗家の成立について深く掘り下げられています。また、名碗「木守」が持つ日本の美意識とそれにまつわる文化的伝承についても探求されています。茶碗の写しの形と日本の伝統の密接な結びつきや、茶道具に宿る魂の概念についても考察されています。

茶道の歴史と「木守」
デジタルアーキテクトで千葉高大の学長、伊藤穰一ことジョイさんが、
今一番興味のある分野を深掘りしていく、
Joi Ito's Podcast。
佐藤、武者の工事専権の家元講師、
政壮岡さんをお迎えしています。
先週の配信では、壮岡さんのサプライズによるお茶会が行われてましたよね。
こんな感じで。
裏専権っぽく立てちゃっていい?
好きなように立てやすいように立ってください。
そうですよね。
ということはテーブルの上だったり、ベンチの上だったり。
初めてですよね。
初めてです。ちょっと緊張します。
美味しいです。
やっぱり毎日立てている人のお茶だと思います。
美味しいです。
嬉しいね。
一回目は、お茶の立っている音だけで終わるみたいな。
ということで、気を取り直してご挨拶から再スタートとなりました。
Joi Ito's Podcast。
今日はありがとうございます。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
壮岡さんは去年の5月に会って、
僕はまだお茶を始めたばかりだったので、何も分かっていなかったし、
今でも分かっていないんですけども、
三線形と、その中での武者の工事と壮岡さんのポジションの話とか、
ちょっと説明してもらっていいですか。
もちろんお茶というと、千利休。
もちろん利休が始めたわけじゃなくて、
利休によって一変集約されるって言ったらいいんでしょうかね。
茶の歴史、中国から入ってきて、
禅と結びついたり和歌と結びついたりして、
だんだん日本文化となってきて、
利休って人が信長や秀吉という、
世の中に影響力を持った人の側にいることで、
利休自身がやっぱり非常に強い影響力を持って、
それまでいろいろあったお茶の文化が利休の下で、
天下一の茶として集約される。
いわば和美茶という形になる。
それが直系の子孫によって受け継がれていく中で、
三代目の宗丹という人がいて、
この宗丹が宗家という家の実際の家族みたいなものなわけですよね。
その宗丹には四人息子がいて、
三男が結局宗家を相続して、
四男はお父ちゃんの宗丹が隠居した時に、
宗家の裏に建った隠居屋敷に一緒に移り住む。
やがて宗丹が亡くなって、
その裏の隠居屋敷を相続した段階で、
宗家の裏の宗家ということで裏宗家。
裏宗家と表宗家の成立
逆に今までの宗家を表宗家というようになった。
これが表宗家裏宗家の成立。
後に一旦外に出た次男も弟たちの勧めがあって、
またお茶の世界に戻ってきた。
その時に京都の武者の公寺という通りに、
新たにまた一家を構えた。
それが武者の公寺にある宗家だから、
武者の公寺の宗家というようになって、
ここで三つの家に分かれて、
三宗家、表宗家、裏宗家、武者公寺宗家という三つの家が分かれて、
それぞれが代々代を継いで、
私で一応立旧から十五代になる。
だから表を恨む社公寺というのは位置関係から来ている。
私は今社公寺宗家の家元公子後継ということで、
今父が十四代の不徹代専属士という家元になっていて、
私はまだ。
和歌って呼ばれるんですよね。
和歌宗将。
宗将というのはお茶の世界での先生というかマスターという意味合いですから、
直家元という意味で和歌宗将。
そろそろ和歌子もないんですけど。
家元を和歌に渡すタイミングとかってどうやって決まるんですか。
基本的には終身制なんですよ。
ただ本人が隠居するっていうふうに言ったら、
うちはの場合は今私が名乗っている曹屋という名前。
家元が名乗っている曹宗、守るという字を書いて、宗教の宗に守るという字を書いて曹宗。
これが当宗の名前ですね。
後継号の曹屋、当宗号の曹宗、そしてもう一個曹安という、
これは隠居の名前なんですね。
一応曹宗が禅を学んでいた大徳寺の和尚から曹宗と曹屋と曹安という三つの名前を渡されて、
それぞれせっかく三つ考えていただいたからということで、
当宗の名前を曹宗にして、後継号を曹屋、隠居号を曹安に定めたというふうに言われています。
だからもし父がこの先隠居するって言ったら曹安を名乗って、私が曹宗を継ぐと。
しかも戸籍も変えるんですよ。
家庭参観署に申請して、我々参戦系は一応そうなんです。
だから今私本名は正義という法学方向の方に可能不可能のかを書いて、正義という名前なんですけど、
これは変わっちゃいます。
家祭に申請して通ったら本名が曹宗になっちゃう。
何代目って言わないとじゃあ紛らわしくなっちゃうんですか。
うずみ火の伝統
だからその見分ける名前としては祭号というのがあって、これは大徳寺からまた別に歴代がいただく。
例えば今でも大将将が法恩祭、家本座坊祭っておっしゃいますけど、
うちの場合は父が不徹祭、私は随縁祭、縁に従うと書いて随縁祭という祭号があって、
この先本名の正義や曹宗という名前がなくなって、将来私が死んだ後に何代目の曹宗さんということを示すときの名前は随縁祭という名前で、
だから何代目の随縁祭はこうだったねみたいなふうに。
だから親からもらった名前でも当主として名乗った名前でもなく、
最終的には大徳寺の官庁からいただいた名前が多分何百年先まで自分という人間を識別していく名前としては残っている。
その名前が変わったときってやっぱり気持ちも変わるんですか。
例えば私が曹をくっついたときですね、やっぱり最初は葛藤ありましたよ。
やっぱり父家族から名乗ってる名前で正義という名前に愛着も持っていましたし、好きではあったので。
で曹をくって言われても父が昔後継で名乗ってた名前だからなんとなく自分もイメージに曹をくって父親のイメージ強かったので。
最初はだからなんかお茶のことに関わる仕事するときは曹をくだけど、
例えば大学で講師やったりとかなんかちょっと原稿を書いたりとかそれ以外の仕事に関して、
例えば友人との関わりのメール書いてるときなんかでも最初はそこは正義っていう名前にすごくこだわってたんですよ。
ところがやっていくうちにだんだん曹をくが正義食っちゃったんですよね。
どっちでもいいやと思っちゃって。今はもうだから曹をくさんと言われて全然抵抗ないし。
また変わんなきゃいけない。
そうなんですよ。だから逆になんかプライベートで全然友人関係で知ってる人で正義さんって言ってくれるとすごく嬉しいというかあれなんですけど。
面白いですね。
なんか不思議ですねそれってね。
でも曹をくの場合はね後から付いた名前だし、それが創始に変わった時っていうのはまだ自分変わってないのでどういうその時気持ちになるのかなっていうのはまた違う感じなんでしょうね。
楽しみですね。
実は以前この番組に出ていただいたゲストの中にも曹をくさんと交流がある方がたくさんいらっしゃるんです。
谷松屋戸田商店の戸田隆さんや藤田美術館館長の藤田清さんとはいろいろな場面で一緒にお茶会を開いている中みたいですよ。
曹をくさんについてどう思われているのかそれぞれに聞いてみました。
年齢は近いんですよね。
そうですね。
だからなんか面白いよね。漫画じゃないけど。
もういつもワイワイしながらやってますね。
でも曹をくさんすごいよね。
曹をくさんちょっとね異常です。
頭の中にいっぱいお道具があるんですよね。
なんかスラスラ読んでてこれもしかしたらあれだなっていう。
すごいですよね。
でも珍しいですよね。そんな人いないんじゃないですか。
いないですよね。
多分あの方小学校か子供の頃からみんな周りはドラえもんの絵本とか持ってるのに一人お経を抱えてたっていう。
だからそれぐらいこう一つ抜けた方ではありますよね。
藤田美術館が梅田の阪急百貨店で展覧会したときに同じ期間に戸田商店さんも展覧会を阪急でやってて。
そこを覗きに行ったら曹をくさんいらっしゃったんですよ。
そこで初めてお茶碗の話をしたことを覚えていて。
戸田商店の茶碗を見て清志さんどう思いますって言われたんですよね。
怖いじゃないですか。
えーと思ったんですけども。
僕の当時そんなに知識がなくてわからなかったんですけど、わからないなりのストレートな印象で、
もうちょっとこうだったらいいのにとかこうですよねみたいな話をしてたら、
ちょうど僕もそう思っててとか言う話をして。
それを合わせてくださったのかなっていうのもあるんですけど。
それ以来ご飯行きましょうかって。
だんだんと喋るようになって。
でもちょっと怖いよね。
怖いです。もう本当に怖いですね。
一番怖かったのは曹をくさんの調装店お茶室が以前東京にあって、
そこ行ったときに黒い落字はパッと出されて、
誰だと思いますって言われたんです。
怖いんですよ。
だって黒いじゃないですか。
落型ずっと黒いじゃないですか。
今の16代なので黒いんですよね。
うわーと思って、もう頭フル回転させて。
結論から言うと、一応ほぼ当たりぐらいのニアだったんですけど、
僕そう見って言ったと思うんですよね。
初代の長寿郎のちょっと横の筋みたいなのがあったんですけど、
そう見ですかとか言ったら、いい線行ってるかもって言って、
これ実は長寿郎焼きって書いてるけど、僕もその辺だと思うんです。
こんなの出てこないですよね、普通。
怖いですね。
怖いですよ、もう。
試されてる感がすごいです。
たまにそういうね、なんかテストがあるんですよ。
怖いね、それで。
テストって言っちゃいけないかもしれないけど。
美術館長だからね。
いや、美術館長なんでも知ってるわけじゃないですから。
壮奥さんと言えば、インスタグラムでおいしそうな和菓子や、
素敵なお寺の風景を投稿されているので、
なんだかほっこりしたイメージを持っていましたが、
実際はなかなか鋭い方のようですね。
ジョイさんもここぞとばかりに、長い質問リストを用意してきたようなんです。
いくつかテーマとして入ってきてるのが、
この気守りの話とか、あとは渦見火の話で、
まず渦見火ってあれですよね、前の日の炭を残して、
炉の火をこうやって移して、灰をバーッとかけて、
埋めて一晩、土を起こさせて、こんな感じですね。
まるぎっちょ3つぐらい。
いや、もっと詰めたら、長いによっては、渦見火の時は。
まあ、もちろん少量でも残ると思うんですけど、
落ちちゃったらやっぱり縁起が悪いし、やっぱり気になるので、
だからうちの父なんて結構夜中に何回も見に行ったりしてるって言ってますけど。
これは去年の流れを。
そうですね、一応伝統っていう言葉は、本来火を伝えるって書いたっていうことの名残。
でも昔はね、お正月に関わらず、いわばこれってライフラインなんですよ。
今みたいにガスも電気もないわけですから、やっぱり火がずっとある。
いろりの火を絶やさないっていうことが、つまりその家が、
電気のメーターがオンになってる状態なわけで、
それをオフにしちゃうっていうことは、生活がともとも途切れるっていうことになるわけだから。
昔はお正月に関わらず、冬の間はずっと、
たぶんいろりとか火の素をどっかではキープしてたはずなんですよ。
必要に応じてそこから火を出して炭を足して、それで煮炊きをしたりとか火鉢を作ったりとか。
だから暖房器具でもあるし、ガスでもあるし電気でもあるし、
まさにライフラインの象徴が昔は火なわけですよね。
お茶の家に関わらず、たぶんどの家でも昔はあって、
夜になると使わないときは灰をかけて、
火が裸の火で残ってると危ないですから、そこに何か落ちてきたら燃えるかもしれない。
だから灰をかけて、夜は埋めて、朝になるとまた掘り起こして、
そこから必要に応じて種火にして、あちこちいろんな場所に火を使ってた。
今はそれが電気もガスも水道もあるわけだから、
普段はやらないけど、象徴的にその大晦日から元旦のときだけは、
その昔ながらのうずみ病を残すことで、生活を日々続けていってるってことを、
元旦大晦日の一晩に、いわば集約して残してる。
でもそれの象徴的なものの一つが、私が修行にも行きます、
京都の北東にある比叡山天寮寺にある不滅の宝刀という、
これもまたお寺にとってやっぱり灯明っていうものは、
いわば仏様を象徴するもの、闇を照らす火っていうのが、
つまり仏の教えの象徴なわけですよね。
つまり心の闇を仏の真理の教えで照らすっていうことが、
まあ経典にも宝刀っていう宝の灯火っていう字で、
その仏様の教えそのものを光に例えるっていうことがあって、
それを象徴する意味での宝刀、宝の灯火が、
闇寮寺の根本柱堂に掲げられてて、
それは殿陵大師が1200年以上前に比叡山を開かれたときに、
伝統の象徴と灯火
手図から刻んで薬師如来の御像にその灯火を捧げて、
明らかに後の仏の身をまでも光伝えをのりの灯火と、
要するに比叡山が未来永劫続いて仏の教えを広めていくように、
この灯火がこの空間を明るく照らすように、
私の残した天台の教えが未来永劫、
人の心を照らしてくださいという祈りを込めて火を灯した。
それ以来比叡山ではその火を伝えるということが、
天台の教えを守り伝えることの象徴であるから、
その灯火を絶やしてはいけないということで、
今でも油を足してずっと灯り続けている。
それがいわば渦見火、伝統という言葉のオリジンであり、
渦見火のロールモデルになっているんだというふうに言うんですけれども。
茶碗の写しとその意味
ウェブソークさんの本に書いてあるんですけど、
写しの話で道具のコピーを写しって呼んで、
元がなくなると写しが本物みたいに取り扱われていて、
それとやっぱり弟子とか今の火の話って結構共通するんですね。
リンクするかもしれませんね。
私はコピーと本家と写しの関係って、
神棚とお土屋の関係かなと思うんですよね。
あるいはお札でもいいわけですよ。
お伊勢さん行って本宮お参りするで、
お札をいただいて帰るじゃないですか。
物質的にはただの紙切れじゃないですか。
お札なんて。
福沢諭吉はそれで踏んづけたって言いますけれども。
でもそこに神様の魂が宿っていて、
それを家に神棚に祀ると、
いわば神棚が見立て伊勢になるわけですよね。
だからここをお参りすれば、
常に伊勢の本宮と繋がっている、
チャネリングできるんだという感覚ですよね。
だから本家と写しの関係それに近くて、
本家の茶碗は1個しかない。
でもお茶はいろんなところでいろんな人が楽しんでるわけで、
その時に写しの道具を使うことによって、
お茶席で使うのが本家が出てきたというふうに、
みんな思って拝見をするし、大事に扱うわけで。
それこそ長寿郎の気守だったら、
気守の茶碗1個しか存在しない。
誰もが使えない。
でもそれが写しということで、
お茶という虚構の空間、
茶室というバーチャルリアリティの虚構の空間で、
その気守の筒子が出てきても、
お茶の中では、
その茶席での銅座の中では、
これが気守の茶碗の存在だということで、
神社のお札と同じように、
その場ではそれが本家になりがあるものとして存在するんだと。
だから単なるコピーではなくて、
その瞬間は、
代理人みたいな感じで、
魂が宿ってるんだという感覚で受け止める。
気守とは武者の行事戦記に代々伝わる大切な茶碗で、
千利休が楽家初代の張次郎に作らせた赤楽茶碗。
残念ながら関東大震災で失われてしまいましたが、
その写しが今も大切に受け継がれているんです。
宗教と文化の接点
実際にそれはお茶をただ見るだけじゃなくて、
お茶をたてて飲むという機能がそこに備わっているわけですから、
なるべく楽じゃんだったら、
同じ楽じゃんのテクスチャーで、
かなり本物と同じ近いように作る。
おまけに、写しの中でも誰が作ってもいいわけじゃなくて、
本来は張次郎の流れを汲む楽家の歴代が作ったもの。
それに利休の血を引く千家の家元が、
ちゃんとそれが正しいものだと箱分けをすることで、
いわばお札で言うなら魂が。
そのお札だって全然違う神社が、
お伊勢さんのお札作ってもありがたくないわけで、
やっぱり伊勢の本宮でちゃんとご祈祷されて、
そこで魂が入っているから、
みんなそれをありがたいものだとして受け取るわけで、
やっぱり写しにしても、
本来だったら楽家の代々が作って、
そこに千家の家元が箱を書くことによって、
いわば魂が入るみたいな感覚で、
写しにも写しの本物と偽物があると言ったらいいのか。
形は違うんですけども、
キリスト教もやっぱりローマ法王からもらったものっていうのは、
法王のつながりがあって、
そういう宗教的なところもありますよね。
そこは宗教的というか、
日本人の感覚の中に、
それはやっぱりあの意思の器物陳詞というか、
物に心を寄せるっていう、
つくもがみとか、
物に魂が宿るみたいな、
あの感覚に近いところがある。
だからどっちかというと、
宗教というよりアニミズム的な、
自然崇拝的な感覚の延長なのかもしれませんけどね。
ソークさんの本に、
キリスト教とお茶もどっかで接続したんじゃないかなっていう話があったんです。
それはどういう行動になるんですか。
ソーク それはもう実際にね、
それこそルイス・フロイスとか、
宣教師たちがお茶を見てるわけですし、
堺や京都に当時南蛮寺があって、
それこそその隣で社会なんかもやってるわけですし、
教会でもお茶会やったりしてる記録も残ってますし、
でも例えばお茶の手前の茶宝が、
ミサのカリスを清める時の茶宝に似てるとか、
あとねじり口が大殿の狭き門より入れから来てるんだとか、
諸説ありますけど、
それは後付け的な部分もあるかもしれないけど、
ただ全く接点がなかったとも言えないし、
特にその堺の商人たちって、
当時やっぱり最先端のシティボーイで新しい物好きですよね。
当時の茶道具がほとんど国産のものじゃなくて、
海外のものばっかり使ってたってことを考えても、
非常に当時先進的な新しい最新の文化をすぐ取り入れて、
それを使おうっていう人たち多かったでしょうし、
例えば戦後にキリスト教徒お茶との関わりって、
すごくクローズアップされて言われて、
父の世代もそうだし、
オーラでも大層省ぐらいのバチカン行ったりとかっていうのは、
非常に一つの世界戦略的な意味合いもあったんでしょうけれども、
今もうちょっと冷静に考えたときに、
例えばあるヨーロッパの方に聞くと、
教会は今は群衆の方を向いて生態配慮の作法ってやりますよね。
あれはむしろ逆に言うと、
お茶の作法がかえって影響してるっていう話もあったり、
昔は祭壇の方を向いてやってたと。
聴衆の方を向かずにやったから、
だから手元は見えなかったはずだっていう話もあるので、
だからどっちがどっちなんだろうなと。
実はお茶の手前が影響を与えてる可能性だって、
逆にありますよね。
そうですね。
ジョイさんと清総奥さんとのトークはまだまだ続きます。
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次の問題の答えを入力してください。
炭に灰をかけて消えないようにして年を越すことを、
何と言ったでしょうか。
大文字半画英数字でお答えください。
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