でもおっしゃるように肝心のアプローチをどうやって磨き続けていくかみたいな、多分完成はないんだと思うんですけど。
他の学校、世界中いろいろ見たけど、意外にないんだよね。だからなんか僕らもいろいろリサーチして、多様な子たちのいろんなサポートするんだけれども、やっぱり一般的なカリキュラムに持っていこうとしてる学校が多いのと、
レジオみたいに子供の意思を尊重したプロジェクト型のものと、あとはこのネウロデバーシティをうまく合体できてると、実はないっていうのが最近気がついて、だから僕らがこれをまだ小さいんだけども、うまくやると調べてる限りは初めてなんじゃないかなっていう気がして、
それもなんかこう嬉しいような怖いような、ない理由はなんかあるのかもしれないみたいな。
列長の人たちも聞いたことないって言ってますし、列長との関係合わせ組み合わせっていうのはおそらくないと思いますし、列長に限らずそういったいわゆるプログレッシブな教育とはないのかもしれない。
意外に大変なんだなと思って、ただできるんじゃないかなっていうのはあるのと、あと今やっぱり保育園の若い子たちっていうのは一つのパターンなんだけども、やっぱり大きくなるとさらに幅も広くなるし、思春期も起きるし、多分もっともっと難しくなるけども、でもそこまで最終的にやらないと、やっぱり普通の学校に行かなきゃいけないと、それの準備させなきゃいけないので、そこも悩ましいよね。
本当にそうですよね。なので、まさに僕たちがその後の、例えば今小学生ぐらいまでの年齢を対象にしてますけど、その後中学校とか高校段階までどうするかみたいなところも多分これからだよね。
もう一つやっぱり蓋開けて思ったのが、最初は半分ぐらいは一般の学校に行けるような健常者に近いのと、半分ぐらいは普通の学校だとなかなか行けない、混ざってるのがいいかなってインクルーシブ教育だったんだけども、でも結果的にやっぱりなかなか普通の学校でハッピーにできない人たちが、でも後からかけて当たり前だよね。
他の選択肢がある子はいろいろ選べるけど、やっぱり選択肢がない人たちが集まったんだけど、多分中長期的にはもう少し大きくして混ざった学校にするのも重要だと思うんだよね。
で、やっぱり一般の人たちにとっても、やっぱりいろんな人たちと一緒に育つことがすごく意味があって、で、これもりずくさんと一緒に書いた本にも書いてあると思うんだけど、結局日本ってすごく分けちゃうので、生涯全般の子たちって存在しないっていう錯覚を起こすような育っちゃって、そうするとどうやって向き合うべきか、だから今でも合理的配慮とかあるんだけども、
そもそも合理的配慮はどうすればいいのかっていう直感的にないので、だからそれって混ぜないとダメだよね。で、うちのアドバイザーもやってもらってる黒岩さんもなんか記事書いて結構叩かれたよね、本当にそんなのできるのかなみたいな。だからこういう発達を今苦労してる子たちの学校もそうなんだけども、ゴールとしてはちゃんとしたインクルーセフ教育もできるっていうのも見せるようにしたいよね。
そういう意味だと、じゅうじさんが好きな西田喜太郎で言うと、やっぱりそういった合理的配慮とかその多様性について、何々について知るっていう知識として知ってるのか、何々を知るっていう直接経験として知ってるのかだとやっぱり違うっていう意味では、本当に幼少期から一緒にそういった人たちと混ざった状態で過ごしていくっていうことは、やっぱりどの子どもにも経験してほしいと思うし、
あと僕たちがスタートしたところでニューダイバージェントな子たちが多い中で始めていて、じゅうじさんもそれをよくおっしゃってる、いわゆるティピカルの子とダイバージェントの子の差よりもダイバージェントの子さんがすごくやっぱりあるっていう対応であるっていうようなところで、
そこで挑戦しているから、この見出されたアプローチっていうのはまさにインクルーシブルの方でもかなり活かせると思う、信じているところがありますよね。
前例のない学校づくりは2人が想像していたよりもずいぶん大変だったようですね。開校から1年たって少しずつ学びの成果が現れてきているそう。生徒として通うジョイさんの娘さんにも変化が見え始めているそうです。
そういう意味でいうと、うちの娘なんかでも最初、うちの娘どっちかっていうと結構静かな方なんで、静かじゃないちょっと困っちゃった子を見て最初すごいびっくりしてたんだけど、最近は慰めにいくようになって、
やっぱり自分と違うふうにアンハッピーになるのは最初わかんないけど、だんだん見てると自分と違うんだけど、こうパッションを感じるとかっていう、それって結構重要で、やっぱりちっちゃいときにそれを体験すると大人になるとやっぱり心広くなるんじゃないかなっていうふうにあって、
やっぱり親との関係って全然違うよね、子供たちが助け合ってるのって。
本当にそうですよね、本当に僕も気づきになったのは、例えばもしかしたら普通の学校だと3人のグループになりましょうみたいなふうにしてグループ構成するかもしれませんけど、NSITだと相性はある程度考えて、この子とこの子だったらお互いにいいところが相性がいいかもっていうところで、
それぞれが力を引き出せる組み合わせっていうのが、もちろん時期によって結構変わってくるみたいなことも含めて面白いと思ってるんですけども、そういうふうな割とこの子の個性とこの個性の相性っていうものを考えて学校運営をしているっていうところはすごく気づきだし。
だからあとはこのスケーラビリティじゃないけど、じゃあ10人でできるけど本当に100人でできるのかっていう話になると思うんだけども、この間この番組に出てもらったコミュニティナースの谷田さんのとこ行ったときに、やっぱりコミュニティだとスケーラブルにやってるよね、このおばあちゃんはこうだしこの人はこういうことを言うとこうだしって、ちゃんとみんなが当事者として自分の周りの人たちにちゃんとケアするとできるんだよね。
だから多分その多様性を持ったシステムのスケーラビリティと一次元的にピシッとなってる秩序のスケーラビリティ、ちょっと考え方違うような気がしていて、トヨタもトヨタプロダクションシステムTPS現場の改善の話なんだけども、あれ面白いのは、トヨタはちょっと昔のやり方なんだけど工場長は現場のちっちゃな四角書いてそこに一日中立ってずっと見て、
で何が起きてるかっていうのは体験な感じで、で一つ一つの工場のルールとかやり方全部違うんだよね、でそのやっぱり現場の体験に合わせていって、でその基本的にトヨタってこう3Mっていって無駄無理無駄をなくすっていうのはこうルールとしてあるんだけども、
ただどうやってそれをなくしたりどういうことにするかっていうのも全部一個ずつの工場違うっていうのがあって、でやっぱりそのぐらい本当は教育現場なんかでもその場所と地域と子どもたちに合わせなきゃいけなくて、でそれをこうトヨタじゃないけどどんどんどんどん改善して進化させるプロセスとかルールっていうのってやり方あるんじゃないかなと思うんでね、
でうちもNSITでしかできない、いろんなこのことこの場所だからあるけど、ただそのアプローチとしては、でもどうやってそれを内在化してプロセスにしてこう進化させるかっていうのはシェアできるようになったらいいかなと思うんだよね。
本当にそうですよね、結構そういう子どもの可能性伸ばすとか、本当にそれぞれの一人の子とか特性が社会で幸せに開花するみたいなことを考えていきたい時のそのアプローチとして結構その建築家の考え方って参考になるなと思ったことがあって、例えばルイスカーン、彼が言ってるのは測れないものを測れるものを通して測れないものにしていくっていうのが偉大な建築だと。
だから測れないものを測れるものを通して測れないものにしていくっていう話をしてて、それ測れないものっていうのは建築家としてその土地に漂っている何かその気配とかいうところからその物理的な建築を構成しようとしたときに、あるいはクライアントの思いとか夢みたいなこともある種測りにくいようなものから始まって、
で、図面を引いたりとか建築の構造を計算したりとかする、測れることを通して最終的には測れない、つまりその場に建築ができて人を感動させられるようなものを作っていけるかどうかがすごく大事だっていうようなことを言っているようなところと、なんか我々が教育的に子どもの環境的に作りたいアプローチとすごく似てるかなと思ったのは、
子どもたち一人一人のそういった可能性とか持っているものに対して一人一人に耳を澄ましていくんだけど、測れるものっていうのは自分たちでちゃんと持っていて、でもそれを通して同じ人が生み出されるんではなくて、やっぱりそれぞれが持っている個性や才能が社会で幸せに開花するっていうところの測れないものにつながっていく。
じゃあその測れるものが何なんだろうっていうところの、たぶんその整理が、もしかしたらそのさっきの3M的な視点を定めていき現場で判断することなのか、もうちょっと踏み込んで子ども理解についての構造性みたいなのをもうちょっと持つのか、そのあたりをまさに列長のアプローチとフロアタイムのアプローチをミックスしながら見出していきたいなって。
そうなんだ、そうだと思う。で結局その最後は測れないところが一番大事なんだけど、その今言ってた測れるものがちゃんと整理されないとその良さが出てこないっていうのはあるよね。
そうっすね、測れないものが測れないまんまだと。