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2025-10-28 20:32

#84 AIとアトリエで教育は変わる?:幼児教育と小学校改革の現場から見る、学習指導要領改訂で加速する子ども本位の学びへの転換|伊藤穰一 × 松本理寿輝(まちの保育園 こども園 代表)

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保育園では「子どもの好奇心の赴くまま」探究できたのに、小学校では「正解を出すこと」が求められる——。

保育園と小学校。たった一つの入学式を挟んで、なぜ学びの形は180度変わるのか?

今回のお客様は先週から引き続き、まちの保育園・こども園代表ので渋谷区の教育委員も務める松本理寿輝さん。まちの保育園は、イタリア発祥のレッジョエミリア教育アプローチを実践し、絵具や粘土、様々な素材が揃った「アトリエ」という創造空間を中心に、子どもたちが自ら探究する学びを大切にしています。

そんな幼児教育の現場と、公立小学校の改革最前線の両方を知る松本理寿輝さんだからこそ見えてくる、日本の教育の転換点。

渋谷区では午後の時間を全て探究授業に変える挑戦が始まっています。AIを含むデジタルツールで教師に余裕を作り、子どもとの対話を取り戻す——次の学習指導要領改訂で、何が可能になるのでしょうか?

「教師はコーチであるべきなのに、ジャッジも兼ねているから子どもは本当の悩みを言えない」

「探究には、予測可能な探究と、不確実性に開かれた探究がある」

幼児教育の豊かな学びを、小学校でも、中学でも、大学でも続けていくために——今、教育現場で何が起き始めているのか、じっくり語り合いました。


【編集ノート】

編集ノートでは難しい用語や人物名などの詳しい解説をお伝えしています。

https://joi.ito.com/jp/archives/2025/10/28/006109.html


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サマリー

このエピソードでは、伊藤穰一氏と松本理寿輝氏が幼児教育におけるレッジオエミリアアプローチと探究学習の重要性について議論し、子供中心の学びを目指す教育現場の取り組みを紹介しています。教育の目的として、子供たちの創造性やコミュニティとの関係が強調され、アトリエの役割や教育への参画がどのように行われているかを掘り下げています。また、幼児教育と小学校改革に焦点を当て、子ども本位の学びの重要性が話し合われています。評価の多様性やAIツールの活用を通じて、教育現場での変革の必要性も強調されています。

幼児教育とレッジオエミリア
探究って、いろんなところでキーワードになっていると思うんですけど、その探究をどう捉えるかという探究感を揃えたり、アップデートしていかなきゃいけないんだろうと思うんですけど、結構、探究感が揃っていないな、みたいなところがあって。
Joi Ito's Podcast
デジタルアーキテクトで千葉高大の学長、伊藤穰一ことJoiさんが、今一番興味のある分野を深掘りしていくJoi Ito's Podcast。
今週も先週に引き続き、まちの保育園・こども園の代表で、まちの研究所株式会社代表取締役の松本理寿輝さんをお迎えしています。
今日は、幼児教育の様々なメソッドについてお話をしているみたい。
前回の配信でも触れましたが、まちの保育園は、レッジオエミリア教育アプローチというイタリア発祥の幼児教育法を取り入れているんです。
レッジオの話を少し出たんだけど、もう少しレッジオって何なのっていうのと、特にまちほ的なレッジオっていうのは普通の保育園とどう違うっていうのって。
そうですね、まずまちほの方の話をすると、まちの保育園、まちのこども園という名前でやってる通りですね、そのまちぐるみの保育をしていきたいなというふうに思っていてですね、
その時に二つの思いがあって、一つは本当に子どもたちの育ちや学びを社会とつなげていきたい、まち域とつなげていきたいっていうそういった思いと、
もう一つは園、あるいは学校自体もそうだと思うんですけども、まちづくりの拠点になっていけるとか、まちづくりの担い手になっていけるんじゃないかなというふうに思うところがあって、
ある意味本当に子どもたちにとっていいことをまちの方に一緒に参加していただくっていうだけじゃなくて、まちにとっても喜ばれるというか、もっとできることってあるんじゃないかなというふうに、
そういう互形的な関係を作っていきたいなというふうに思いながらまちほうをやってまして、そういう意味でいうと、例えばまちの保育園の中に地域と園の中間領域的な場としてそのカフェがあったりとか、
やっぱりその人は人がつなぐということでコミュニティコーディネーターっていう職種を作って、子どもたちの興味関心と地域のいろんな場とか人をつなげていくっていうことをやっていくことをしていたり、
あるいは地域の方同士をつなげたりしながらまちづくりとその子どもの学びを進めているというようなやり方をとっているんですけども、その中で教育的な特徴としてまさにレッチョエミリアアプローチから学んでいるところがあって、
そのレッチョエミリアアプローチがじゃあ何なのかみたいな話ですけども、レッチョは北イタリアのミラノとボローニャの間ぐらいにあるところの小都市なんですよね、人口16万人ぐらいの小さな都市なんですけども、そこから発祥した教育アプローチで、戦後から結構発展してきたんですけども、そういう意味では歴史はそれなりに長くなってきているんですが、
探究学習の視点
1991年のアメリカワンニューズウィーク誌に、The 10 Best Schools in the Worldっていう特集だったと思うんですけども、そこに取り上げられて世界から注目をまずされた、それは創造性と共同性の教育だっていうことで、なんか学術的な整理されてるみたいなんですけども、つまりそのクリエイティブラーニングを進めているってことと、
あとはまさにまちぐるみで、共同体で、コミュニティでその子供たちを育んでいくっていうようなことをしていて、それが特徴とされていたりして、最近ではアメリカのほうのGoogleとかディズニーが自分たちの従業員のための幼稚園を作るときにレッチョアプローチを採用したりして、また改めて話題になってると思うんですけども、
っていうような教育アプローチで、僕はすごく面白いなと思うところもたくさんあるんですけど、彼らは教室じゃなくてアトリエがあるんですよね。なので特徴としては本当にアトリエっていうのはすごく中心的に語られるべきところなのかなと思うんですけど、そこには結構レジオメディアとしてはすごい思いを込めていて、
子供たちっていうのは知識はただ教えられるとか届けられる一方的に届けられるんではなくて、知識っていうのは生み出して創造していくものだっていうような考えがあるので、そういう意味でアトリエっていう場を物理的に設けていたり、あるいは本来的には複雑で美しくて豊かなこの世界を言語だけで理解するにはもったいないということで、
もっと知性も感性もあるいは心も体も働かせながら、もっといえば様々な表現言語っていういろんな表現を通して世界と対話しながらこの世界を捉えていくっていうことをしていこうというようなメッセージもあって、そういう意味でもアトリエっていうふうに言っていたり、
あとはその学校っていうのは社会を追いかけるのではなくて、社会を作るものだというようなところがあり、その教育や学校っていうもののあり方を社会を作る営みの方に思いを持っていて、そういう意味では朝鮮の象徴的にもアトリエなんだっていう、学校を作るんだっていう意味でもアトリエっていうことを言ってるんですけども、
そういった知識構築のあり方とか、学校を作るんだみたいな強いメッセージとか挑戦があるような教育のアプローチでもあって、その中心なのがアトリエだったりします。
町の保育園には、絵の具や粘土、筆、ハサミなど様々な道具や素材が用意されたアトリエが併設されていて、専門職アトリエスタが子どもたちの探求、創造活動を支えています。
ここでの主体はあくまでも子ども。子どもの実践やアイデアを尊重しながら、遊びや探求を通じて学びを進めているんです。
で、それを子ども中心とか子どもレッドっていう考え方になってくると思うんだけども、その学びの、これも今一緒にやってるNSITの中でも多分いろいろ今ディスカッションしてるけども、
日本の教育って比較的にゴールがあって、で標準化された試験に向かって織子さんを作るみたいなのが結構多いと思うんだけども、そのどういう形で子どもレッドって実際に具体的に現場を見るとどんな感じになるの?
そうですよねおっしゃるようにやっぱりすごく子どもレッドを進めるためにもNSITでもインクライアリーベースっていうようなところありますけども、探求って結構いろんなところでキーワードになってると思うんですけど、その探求をどう捉えるかっていう探求感を多分揃えたりアップデートしていかなきゃいけないんだろうというふうに思うんですけども、結構探求感が揃ってないなみたいなところがあって、
一つは特に小学校以降の探求感でよく言われてるのが、教師が予測可能な探求を子どもたちに提供している、だから探求してるようですけども、教師としてはこういう道筋でこういう風になっていくんだろうなっていうことがある程度想定できるような探求を届けていく、一方で幼児教育とか保育基金における探求っていうのは不確実性に開かれていて、
なんでどういう風になっていくかっていうのは大人たちも予測がついていない、なんで子どもの興味関心からあるいはその持ってる特性からいろいろな方向に子どもたちが学びを広げていったり深めていったりするのを大人たちがそこに伴奏もしながら時に問いかけもしながら一緒にこう深めていくみたいなことをやっていくってどこにたどり着くかわからないけれども、その学びのプロセスの中に意味を見出していくっていう探求感があって、
まさにジョイさんが一緒にされていたミシェル・レズニックさんなんかもライフロンキンダーガーデンっていうふうに言ってますけど、本当に幼児教育保育機能そういった探求っていうのが本当はもっとそれ以降の小学校も大人になってもする探求の中でもやっぱ大事な考えなんじゃないかっていうところを。
コミュニティと教育の関係
そう、彼がやってた研究室でライフロンキンダーガーデンっていうので、幼稚園をそのまま大人で続けるっていうことだと思うんだけども。で、たぶんヒアリティがあって、一番たぶん悪いって言っていいのかわかんないけど、僕個人的には悪いと思うのが、とにかく答えだけ追求する。これはもうただ暗記して答えを出すと。
で、その次はたぶん標準化された評価なので、決まったことをきちっと学習して言われたらやれるっていうのがたぶんスキル型で次で。で、プロジェクトでもたぶんリズクさん言ってるのはもう決まったプロジェクトをやる。で、サイエンスキットみたいな感じで、そしてそれをきちっとやる。
それはただスキルだけよりはもう少し全体感を学べるし、物事を進めるとかそういう学びがあるけども、そのオープンエンディングのところもないし、あと一瞬不確実な感じがあるかもしれないけども、先生はちゃんとわかってるし、みんなもゲームだっていうことはわかっているキット型があると思うんだけども。
で、たぶんそこから次のレイヤーに行くと、だから面白いのがPRJとかうちのMITのチームっていうのは内在的とかそういう手を動かすとかそういう考え方使うんですけども、うちの妹ってそこと実は逆なんです。それは実は異なっていて、で、うちの妹がやってる方はどっちかっていうと文化人類学者の考え方で、一人で何もできないと。
で、内在的って言っても、その自分がいるコミュニティのコンテクストの中で内在っていうのは錯覚だっていうふうに結構そこはその学者の間では分かれていて、だからちょっと僕もレジュ、まあちょっと細かい教育論の話なんだけども、結構面白いなと思うのはその、レジュってどっちなの、バランスとしてその一人の子が自分の中から自然が生み出てくるのか、それかもっとこのチームワークが大事なのかどういうバランスになってるのか。
そういう意味ではすごいチームワークを大事にして、でですね、子供たちもやっぱりスモールグループで必ず何か誰かの興味から始まったとしても、その子がまあ一人で、はじめの方は何かを追求してるかもしれませんけど、だんだんやっぱりスモールグループにしてお互いがこう理解し合えるようにしていきますし、
あるいは大人たちも結構さっきの子供から始まっていく不確実性に開かれた探究官で気をつけなきゃいけないのは、まあ子供任せとか時には放任になってしまうみたいな、なんかどっちかわかんないけどみたいなところで、でもそこはある意味大人も共同構築するっていうので、やっぱりその思いを持ってその子供たちはやっぱりまだ出会ってないことに関してはそのことについて考えにくいし、
大人たちがいろんな経験の中とか、いろんな人類の英知の中から、もしかしたらこういう視点もあるかもっていうことをポインティングしたりとかするようなこともあって、やっぱりそういう示唆を子供たちに提供したりヒントを提供したりするみたいな問いかけ、結構関わってやっている
結構大事だよね、なんかそのコーチで言うと、なんかちょっとこう背中を押してあげたり、さっき言ったようにこう示したりするっていうのって実はすごく大事なような気がして、で一つ問題点としては、普通コーチって自分側にいるけど、でそのコーチと別の人がジャッジがいて、でも今の普通の一般教育ってコーチとジャッジをしてるから、本当に信頼できないんだよね、本当に自分の悩み言っちゃうとバッテンつけられるかもしれないっていう、
ちょっと変な立場なんで、そういう意味で言うとその評価基準が丸バツじゃなくて、その子がちゃんと発達したかどうかとかハッピーなのかどうかっていう、もうちょっと発達のところによると本来あるべき姿のコーチになれるような感じがするんだけど、それは多分一緒だよね
本当にそうだと思います、幼児教育、保育の領域だと何かいわゆる評価みたいなのが、評価って言う言葉あんま使わなくて、子どもを理解って言う言葉を使って、なんで一人一人がどういうことに関心があるのかとか発達状況なのかっていうことを理解していくための一つの視点として書くのと、子どもたちがこんな学びの物語を組み立ててるっていうことから、芽生えてそうな子どもたちの資質能力を読み解くみたいなことをしていくので、
そういう意味で言うとまさにコーチであり続けられるみたいなところがありますね 今一緒にやってるnsitの親とかと話してても思うんだけど、だって一方最終的には社会で評価されるよねと、やっぱり自分の子どももいい大学に出ていい会社に就職して自分で食べていけるようにしたいと、
発達支援学校だとか大学に行けないとかそうすると子どもがアンハッピーになれるので、そんなことを無視して評価なんかしないっていうのは、もうお金持ちの贅沢しかできないよねっていう気持ち持ってる人たちと思うんだけども、発達障害のキャテゴリーに入る子たちの親の方がさらにそうなのかもしれないけども、でも一般的に保育園の親の中では、やっぱりエリート学校に行きたいっていう親もいるよね、彼らに対して評価の話の時どうやって説明するの
子どもたちの評価と育成
そうですね、そういう意味で言うと評価っていう意味でも本当に複数の物差しを持つっていうような観点で一つのスケールだけで見るんではなくて、いかに我々が多様な物差しを持てるかっていうところがポイントだというようなところなんかは一緒にこう話し合っていくっていうことをするんですけども、やっぱりでも日頃からやっぱりその子どもたちの姿をそれこそ可視化、見える化していくことでやっぱりその子どもたちがどう育ってるかとか
どんなところがこの子は何か可能性がありそうかっていうのはもう親も一緒に発見できているので、そういう意味で言うと何かこうすごいこういった方向に評価を持っていかないとみたいなこととかはあんまり出てはこないんですけども、ただやっぱり親の視点としてはそういったところが社会的な評価っていうのが気になるっていうのはあると思うので
まさにそういった評価の物差し自体、そのコミュニティでよく話し合って子どもの理解を深めたり社会が今後どうあるといいかっていうところを一緒に考えていきながらその対応に親たちも我々コミュニティとして物差しを作っていけるかっていうのがポイントなのかなというふうには思います
そして二人の会話は子どもたちの将来の話に
幼児教育で育まれたクリエイティビティを大人になる過程でどう失わずにいられるのか
二人の視点は小中学校はもちろん、高校や大学、そして就職まで広がりました
あとは最終的に職場だよね
やっぱり職場が引っ張ってくる評価を大学に作らなきゃいけなくて、その下からずっとつながっていくっていうのが一個あるし
ただ今うち千葉高大やってて思うのは、好奇心とか冒険をするとか物事をこなすと、これ結構ちっちゃい時に学ぶので、大学に来てからそれを変えるのって結構難しいし
ちっちゃい時からずっと就職の間のこのつながりのバトンタッチの時に、なんか試験とか評価があって、そこで結構この標準化の問題とか評価の問題って発生するよね
そうですよね、まあ一つはでもチャンスなのはやっぱりこう、それこそ栄養入試とかいうことが広がってきて、いわゆるテストだけじゃないことも結構みんな大事にし始めているようなところがあると思うので
なんで自分がまさに関心持った領域をどうやってこう深めていくかとか、なんかそういったところも、はい
そういう意味でそのエリートな親じゃなくて、結構一般的な親もマッチ施法のやり方に最近関心は、まあ空気感はそうだよね
そうですね、本当に本当に多様な方が来てくださっていますし、そうですよね、やっぱ僕らも認可保育園の枠組みでやってるので
なんで本当に誰でも来られるような場として開いて始めに行こうと思ったのはそういう本当に多様な方に来ていただくこと
でも逆に小学校に渡しちゃった時に結構評価が普通に戻っちゃうよね、僕もなんかベネッセでも、島次郎までは結構可愛くてピカピカの1年生になってから突然固くなるので
その1年生からやっぱり中学校の間にずいぶんこうシステム化がでなかなかそこって変えられないっていうのもありますよね
いや本当にそうですよね、でもそういう意味で結構教育改革的にも進めようとしているところでもあると思うんですけど
渋谷区なんかは午後の時間を全部短給の時間に変えて、それ時数特例制度っていうのを使ってですね、午後全部短給にできるように
そこにも参加してるんだよね、委員として
そこは教育委員として参加させていただいていて、そういうふうに今教育改革を進めていたり国全体でも今次の学習指導要領を書いてみたいなやつの中で
日本でも学ばなきゃいけないことも多いのと、学ばなきゃいけない時間も長いので、そのあたりが少し柔軟にカリキュラム編成できるように柔軟な教育家庭編成っていうようなテーマで
今学校ごとがそれぞれ柔軟にやっていけるように
なってきた、方向性としてはいい方向に
僕は思いますけどね、結構その子供本位の学習を組み立てられる
AIとテクノロジーの役割
今だと結構やっぱり先生にも子供にも余裕がないので、公立の小中学校
やっぱりツールがAIも含めてツールがいっぱい出てきてきてるので、それで少し余裕を作ってツールの使い方も
なかなか変えられないんだよね、みんなたくさん学校もあるし
本当にそうですよね、やっぱりそういう学習指導要領の改定の中の結構その中教進の視点としても
なんかすごく面白いなと思ったのが、デジタルについて結構その可能性が語られていて
テクノロジーっていうのは変化を伴う困難だけでなく、多様な個人の思いを具現化するチャンスをも生み出す
っていうのを結構答申として述べていたりするので、そういうとこでもすごく可能性を感じているところでもあるんですけども
具体的な事例は作っていかなきゃいけないですけども
なんかこう外から見てるイメージよりはもっといろいろ起きてるっていうことだよね
起こそうとしているところが増えているような感じは
あと親もそうだよね、親ももう自分から変わりたいっていうふうに思ってる親はフリースクールとかいろんな実験的なことができるので
だから親もややこう変えるのは別によくなくて、やりたい人たちから変えられるように自由にすればいいっていうのと
意外にルールはそんなに厳しくなかったりするんだよね
どっちかっていうとそのやってる人受けてる人たちのパターンがちょっと孤立しちゃってるのもあるんだよね
それは学校のルールね
そうですね、やっぱり先生たちの持っているその力をどうやってこう
時間がないのもあるよね、変革するのにもエネルギーがかかるっていう
ちょっと悪循環だよね、忙しすぎて余裕を作るための変革を作る時間がなかなかない
かなーっていうところはありますよね
町の保育園・子ども園の代表松本理月さんとのトークは来週も続きます
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