デジタルアーキテクトで千葉高大の学長、Joyさんこと伊藤穰一が、最も関心を寄せる分野に迫るJoy Ito's Podcast。
今日は、クリプトバーを飛び出して、ある場所へと向かいます。
Joyさんが向かった先は、真田紐師、江南。
お茶道具の結び紐や着物の帯締めなどに使われる真田紐を、糸の染色から製作まで、全ての工程を手がけている、紙店の専門店なんです。
Joyさんがある紐があるので、もしよければ、ちょっと広いところで見ていただいてもいいですか。
今週は、真田紐師、江南、15代当主の和田伊三男さんにお話を伺います。
Joy Ito's Podcast
こんにちは。
こんにちは、どうも。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。ありがとうございます。
江南さんとは、まだ最近会ったばっかりなんですけど、めちゃくちゃ会った時から勉強になって、ぜひみんなに話を聞いていただきたいと思って、
今日、無理矢理呼んでおります。ありがとうございます。
ありがとうございます。真田紐師、江南の15代目を使っております。和田伊三男と申します。よろしくお願いいたします。
まずそもそも、この真田紐ってどこから来て何かっていうのと、あと使ってる侍がどういう風に作られたかっていう話、
多分みんな見たことあるけど、全然ストーリー知らないと思うんで。
もともとはですね、ネパールの山岳民族が作ってた紐って、サナーブっていうのがあります。
山のエベレストの中腹ぐらいに住んでる部族なんですけれども、
頭に回して後ろにカゴをつけて、重い荷物を山を持って上がって下がったり、川から水を持って上がるとかっていうのに使ってたらしいんですね。
それで仏教の仏典であるとか、インドサラサみたいなものとか、そういうものを巻いてありましてね。
昔はフィリピンってルソンで昔売ってましたけど、フィリピンまでリストされてたんですね。
そこへ境の商人さんたちが貿易に行かれまして、そういった仏教の仏典なり、いろんな輸入品を持って帰ってくるという形で、
その紐自体も日本に入ってきた。中の商品は売れていきますので、なくなっていくんですけど、紐自体は港に置かれてたらしいんですね。
やっぱり境の商人さんって目沢といいんで、その紐が非常に丈夫で強いと言うので作ろうとしたんですね。
ただあの向こうのは動物の家畜の毛を使ってましたんで、なかなかその材料が見つからなかったんですが、大阪でモメンを栽培が成功しまして、
国産のモメンが採れるということになりましたんで、そのモメンでその織り方はサナルの織り方で織ったものが後々サナダ紐というものになってくるんです。
ですから境の商人さんがすごくそれには関わってたものですね。
いずれそれは刀を着けて帯に着けるのがメインの使い方なんですね。
日本に3種類紐があるんですけど、ヨリ紐っていうのがありまして、ロープ、ツナですね。
これはもともと日本にあって、今でも古神道ですね。神社のガラガラのところについてたり横綱さんのツナになってたりしますよね。
その後平安時代ぐらいに仏教が日本に入ってきたのと同時に中国から組紐が入ってきたんですね。
ただその行き着いた先が九中へ行きましたので、組紐は九中の紐として使われるようになりました。
組紐は全部の糸が斜めに入ってますんで、引っ張ると伸びる。切れやすい。大体絹で作ってます。
ですので奥行さんってあまり派手なことしないですから装飾品の紐として組紐が使われてるんですね。
サナール自体は境の商人さんを通じてですので境にその武将の方々がお出入りされてて、
例えば鉄砲の弾だったり火薬だったりいろんなものもありますので、そういうものを買いに行ってたんですね。
その中で紐ができてきて、鎧を入れる箱があるんですけど、あれに巻いて防砂して戦場まで持っていくとか、
そういう用途に使われてたんですね。
関西でもともとそのサナダ紐を作ってまして、境の商人さんたちがあちこち売り歩いたんですが、
だいたい群馬県ぐらいまで売り歩いてたらしいんですが、その中に長野県にサナダ家がおられまして、
持っていた時ちょうどまだ幸村のお父さんが上司をされてましたんで、幸村さんのお父さん正幸さんというのは戦上手な方でね、
自分でドンと座って兵士たちが戦うんじゃなくて自分からゲイラ線を仕掛けていくような人ですのでね、
それまではそのような宮中の方々が使える組紐を甲冑に使うというのはステータスだったんですけれども、
あの人の場合はステータスうんうんどうでもいいと、どうやったら戦に勝つかというのが重要だということで甲冑に使われたんですね。
甲冑の手首足首縛る紐でサナダ紐を使われて、ゲイラ線を展開して買っていかれた。
で他の人がそれを真似しだして、サナダが使っているあの紐が欲しいということでサナダ紐という名前がついたという風に言われています。
で色とか縞とか作り方によってこれ1個ずつ誰のものかっていうのもこれも侍が発祥ですよね。
発祥ですよね。刀の下げ用っていうのに使ってたんですね。
さやのところにこう紐がこうついてるわけですけども、ここにはうちの柄があったわけです。
で本家さんだと無地の紐がついていて、文家さんだとその色をいただいて線入れたり耳つけたりとこう違う柄ができていくわけですね。
で戦場で例えば亡くなったりすると防衛隊を持って帰ってくる手品のことはかなわないので、
その日に落ちているその刀だけを持って帰っていくわけです。
でこの紐の柄でどの系統のうちの方かってまずわかりますし、そこへ持っていくとこれオレンジ線が入ってると誰々さんのとこだねっていうのがわかりますんで、
刀を遺品としてお返しすることができるというのがもともと。
ドクタークみたいな感じなんですかね。
そうですね。
でそれを武士の方々が伏見城だったり地楽台だったりで李旧さんのお茶を仕出すようになってきましたね。
でそこからその李旧さんがお茶道具に真田紐を使おうということに。
で李旧さん以前のお茶っていうのは宮中のお茶がメインでしたんで、
茶道具も海外から入ってきたものがやはり多かったですから、
塗り箱でかぶせ蓋で組紐という出来だったんですね。
でそれをまあ行々しくこう使うっていうのがまあ武士の中ではステータスでしたんで、
それで使ってられたんですが、李旧さんが一般の方にもっとお茶を広げたいと。
でそうするとその箱の状態出来だと使えないので切り箱に真田紐という形を作られて、
で同時にその刀に使ってた柄ですね、そういうようなものもシステムも全部取り入れて、
でまあ今の茶道具に近い形に塗っているわけですね。
で前もおっしゃったんですけど真田紐屋さんって秘密だったんですよね。
でそれはそのどの色が誰の紐かっていう情報が表に出ないタイプなんですか。
はい、そうですね。やはりその作家さんごと、流派ごとなり武家の方とかっていうのに
柄が決められてますので、例えばまあその偽物を作られる可能性というのはやはり多いんですね。
で昔はまあ真田紐屋さんも多かったですから、紐自体の偽物を作ったりとか、
箱自体の偽物を作る、中身の偽物を作るというのはやっぱりそれは横行してたんですね。
でそこをまあ取り締まるのに真田紐のその決まった柄、これが付いてれば中身は本物だよと。
で紐自体の真眼っていうのを出さないといけないわけですね。
真田紐が不証明書の役割をしてますので、真田紐自体も本物かどうかを示さないといけないので、
真田紐の中に隠し糸っていうのを出してね。でそのまあ表から見えない横糸に違う色を入れたりとか、
まあそういうことができますので、それでまあ本物かどうかを見極めるというような形ですね。
それは未だにあるんですか。
あります。そういうのはすべてのところでやっぱりあるところはずっと残ってますね。
でそういうこと、まあ結び方もそれぞれのお家で違いますので、
結び方に関しては中に例えば毒を入れられたりとか、中身をすり替えたりとかっていうことが起きやすいですね。
で暗殺に使われたりなのかもしますので、箱の結びっていうのは一度解いたらちゃんと結べないので、
誰か開けたってわかると。そういうまあ今の要するにパスワードの役割ですね。
ですから紐の柄がIDで結び方がパスワードなんですね。
でそういう役割を500年前の日本人が開発してたっていうのは驚きなんですけど。
だいぶ結ぶようになったらもう他の人が結んだってすぐわかる。
わかります。だからもう引っ張り加減とかねそういうのでもわかります。
そういうようなもので本物かどうかを見極める。
実はジョイさん、今回京都まではるばるやってきたのには訳があったんです。
ジョイさんが所有するお茶道具の一つであるリキュー柵。
柵八切竹花入れの紐が切れてしまったようなんです。
どんな紐に付け替えれば良いのか和田さんに相談しに来たみたい。
まずはこのお道具がどのような経緯をたどり、誰から誰へ渡ったかをジョイさんが説明しています。
こないだこのグリーンのちょっと変わった紐が入れちゃってて、
この字が円周、こぼれ円周で、その時この箱はもともとはリキューから和田。
和田浦久に行って、そしてその運常寺に行って、
小堀円周がそこで見てそれを書いて、そこから茶屋倉庫に行って、
その後土屋に行って飯田雄介に行くんだよね。
この箱はたぶん運常寺のお坊さんなのか何なのか。
こないだ稲美さんに見てもらって、この紐は円周ではないんですよね。
そうするとこのお寺さんがこの箱を用意して小堀円周に書いてもらった時に付けた紐なのかなっていう。
あとこれがね、この箱が面白くて、もしかするとこれ、
廃止大学だとどっちかっていうと、
イーナオスケとつながっている可能性があるので、
後で書いてもらった可能性もあるよね。
この竹花入れ、いろいろと謎が潜んでいるようなんです。
もともとは李休が作ったもので、李休直系の弟子である織田浦久の手に渡り、
運常寺というお寺に渡ったことは明らかになっています。
お寺の住職が小堀円周にこの花入れの鑑定を依頼し、
箱書きをしているのですが、
この箱についている紐が円周の紐ではないというのが和田さんの見立てなんだそう。
例えば、この箱についている紐は、
古い名曲のレコードなのに、
ジャケットだけ誰かがすり替えたようなそんな違和感があるようです。
一応、箱の形というのが一つあるんですね。
円周箱の古い形なんだけれども、
そうなんですね。
どうだろう、ちょっと宗編さんも入っているような感じなんです。
そうなんです。この箱の、
この箱の、
まず一つは、ここが丸穴なんですね。
で、下に縦文字がない。
普通だと足がこうついていて、縦文字がこう入っていますね。
理休箱とか。
これないんですね。
理休さんの頃というのは、
クリスチャーの武将さんって多かったんです。
下に縦文字があってよかったんですけれど、
江戸時代になると、あれがあると隠れキリシタになってしまうんですね。
ということで、円周さんの頃はその縦文字を隠さなかったんですね。
ですから、ここの底板の上に紐が入っていて、
ゲスが多分入っていると思うんですが、
ゲスでも全くその縦文字が見えないようにしてあって、
その中でこう、紐が回っているという形ですね。
なんで、多分その円周さんとか宗編さんの形ですね。
宗編さんの形は、
その円周さんとか宗編さんの形ですね。
宗編さんは丸い穴をつけることが結構多いので。
この紐の色はなぜこの色なんですか。
これはね、もえぎ色って言います。
もえぎっていうのが、昔の簡易で色が色々決まっているわけですけれども、
天皇陛下だと古代紫、皇后陛下だと古代一周というオレンジですね。
で、その下がもえぎとかになってきます。
ですから皇太子殿下であるとか、今の宮さん方の位がもえぎという風になります。
ですからその一番上二つはちょっと使わせていただくのは心もとないので、
だいたいその一般的に使える江戸時代の最高位というのがもえぎ色という風になります。
もう一つはもえぎっていうのが松の葉っぱの色を意味しているんですけれども、
松の葉っぱって紅葉して散らないんですね。
ですからその家が永遠に続くという意味があります。
で、緑三種類あるんですけれども、もえぎ、松葉、四分松葉と三種類ありまして、
もえぎは芽吹いたとき、松葉が一番茂っているとき、四分松葉がちょっと枯れかけるときという風に使いますので、
もえぎっていうのが一番春の風を受けてキラキラ光っているときの葉っぱの色。
ということでもえぎがよくそういうところで使われたんですね。
でもここでもえぎ使った理由は予測は何かつきます?
そうですね。たぶんだからその浦久祭さんとか縁州さんとか、
たぶんそのお寺も一つは関わっているんだろうと思うんですけれども、
だいたいお寺っていうのが会員を持っていられる方がご出家されて、
そこのお寺のご受賞になられてたりとかしますので、そこの色を使われたのかもしれないですね。
これを私としてはどうすればいいんですかね、この切れちゃって。
そうですね。朱にするかもえぎにするかということになりまして、
元の形はあまり変えない方がいいかもしれないですね。
じゃあこのもえぎで、普通古いのも少し残しとくんでしたっけ、箱の中に。
残しといた方がいいですね。もともとこれが付いてたということで。
そして今付けられているもえぎ色の真田紐にもどうも引っかかるところがあるようで、
小堀縁州は江戸時代初期に活躍した茶人なんですが、
時代背景を考えると辻褄が合わない点があるようなんです。
和田さんの考察は続きます。
たぶんこれ絹だと思うんですね。
ということは、紐が使えるということは江戸時代中頃以降になるんですね。
それまでずっと揉めたんですよ。
たぶんその辺で一度付け替えられている可能性はあります。
なるほどね。
そうするとこの箱だけは、小堀縁州だとその前に入って一回紐が変わっている可能性っていうことですね。
だから丸穴が開いている箱っていうのはもともと組紐が付いていたんですよ。
なるほど。
その前でいうと、宮中の方が組紐を使っていますから、
宮中の方が使うやつを組紐を付けるっていうのがまず一つあって、
普通だとここに金具が、輪っかの付いた金具が付いていてね、
それに付いているっていうパターンがあったりするんですけど、
お茶事の流れの中でこの中を通すっていう、
それは真田紐の覚えつけ方っていうのがありますね。
その真田紐の覚えつけ方っていうのがありますので、
それになぞらえてっていう部分があって、
そこにちょっと宮中の匂いがまだ残っているっていう形なんですよね。
それに真田紐をまた後々言えば入れていると。
一番最初でいうと丸穴開いている箱っていうのは荒縄なんですね。
朝の寄り紐。
海外から例えば来たものとか、
そうですね、そういうのちょっと太めのやつでね。
よくお庭とか行くと竹垣幸君であって、
こういう紐で結んであったりとかね。
ああいう点の紐ですよね。
特に海外から来たもの、
東南アジアであったりとかっていうところから来たところっていうのは、
紐がないんですね。
こういった真田紐だったりクミ紐だったり。
クミ紐は中国から来るものですので、
中国産のものには付いているんですけれども、
他のところではあまりないんですよ。
真田紐が生まれる前にそういう荒縄をつけてたりとか、
っていうのが海外から入ってきたものですよっていうのを表すんですよね。
それが後々の茶道の中でも、
やっぱりそれが残っていくんですよ、形式としては。
そこに通す紐がクミ紐になったりとか真田紐になったりとか、
こう変革していく。
それが例えば宗編さんとかの場合だと、
丸穴で真田紐を入れる。
ちょっとここの蓋のとこのRが急に落ちるんですね。
リキューバコの場合だとなだらかに丸くなるんですけど、
ここの宗編さんとかの場合、
例えば小刀でザッザッと削った形の端っこの処理っていうのもあるんですね。
ですから、巣の箱とかコウモリの箱があって、
ザッと切った角度ですね。
ですからここが急激に落ちているのはそういうことなんですよね。
それがリキューバコにちょっとなだらかに丸くなったって部分もあると思うんで。
だからそういうところの雰囲気っていうのもちょっと箱ですね。
この紐自体がね。
今、企画としては二部五輪というのはないので、
二部か三部かということにはなるんですが。
だから手織りで、たぶんもともとはついてたんだろうとは思うんですけれども、
その手織りで萌え着で二部五輪。
一重になるかと思いますけど。
だからそれをつけた方が雰囲気としては合うのはありますよね。
これを中へちょっと入れて残していただいて。
来週は真田紐という古来からのクリプト技術についてさらに掘り下げます。