デジタルアーキテクトで千葉高大の学長、Joiさんこと伊藤穰一が、最も関心を寄せる分野に迫るJoi Ito's Podcast。
今週は、先日開催されたニューロダイバーシティパラダイムの未来と実践より、トークセッションの模様をお届けします。
今回のトークセッションは、AIが台頭するこの時代に、多様な認知特性が創造する新たな社会の可能性を探るというもの。
パネリストはメディア・アーティストで、筑波大学准教授の落合陽一さん。
そして、Joiさんの2人。ファシリテーターは飯塚龍馬さんです。
では、大きな拍手でお迎えください。伊藤穰一先生と落合陽一先生です。どうぞ。
このトークセッションでは、AIとニューロダイバーシティについて意見が交わされました。
自分は軽いADHDだとよく言われてるんで、よく物事を忘れるんですけど。
よく言われてるんですね。
物事をよく忘れるのと、トゥードゥリストをつけても、トゥードゥリストのおいしい順に消化してしまうのが私の悪い癖で。
よくある話ですね。
あとは、ADHD出費とか言われてるのは、探すのめんどくさいからAmazonで買うっていうのが、私の中ではよくある仕事のスタイルなんですけど。
よくあるんですね。
USB-Cケーブル500本くらいあると思う。
容易に想像ついちゃうね。
それで、AIとの組み合わせって話なんですが、良い面は、例えば軽い症状の場合は、だいたいサポーティブじゃないですか。
予定見たりとか、トゥードゥリスト確認したりとか、次何しないといけないんですよとかやったりとか、気が散る前に調べておいてくれるとかね。
サーベイとかするの結構単純な作業多いので、論文とか調べるのも割と勝手にやってくれるしとか。
エージェント系のAIのタスクっていうのは、興味が散りがちな人にはかなり向いてる。
ありがとうございます。
今の話も伺ってて、まさにこの周囲の環境とか、社会がやっぱりどうあるべきなのかみたいなのは、すごい大事な視点なのかなというふうに思っていて。
僕たちがこのニューロダイバーシティって、なんで今このタイミングで話をしなくちゃいけないのかみたいなことを考えたときに、
フェーラーオブイマジネーションっていうのが、僕たち話をしている中で例として挙がったんですけど。
9.11の同時多発テロのときに、アメリカ政府は能力や情報が不足していたのではなくて、そんな攻撃はありえないと考えて、その未来を想像できなかったみたいな。
そこに起こりうる未来を想像できるかできないかみたいなことって、まさに同じような人たちが集まれば集まっていってしまうほど、どんどんどんどん予測しにくくなってしまうんじゃないかみたいなところで。
まさにこのニューロダイバーシティ的なものっていうのも、ある意味でのこの同質性が崩れることかもしれないんだけども、
いろんな人が個性だったりとか、それぞれの考えを持ってコミュニティとか社会に接続されるみたいなことが大事なんじゃないかなみたいなことを思ってたりするんですけど、
今このタイミングでこのニューロダイバーシティっていうのに、まさにちょっと光が当たり始めてたりとか、お二人がすごく、僕から見てなんですけど大事なんじゃないかなというふうに考えられているのかなと思っていて、その理由っていうのはどこにあるんですか。
一点目は基本的にAI発達してきたおかげで、人間の認知的特性とか身体的特性をなるべく包摂した状態でもみんながコミュニケーションがしやすくなったっていうのはありますよね。
例えば耳が聞こえない人も目が見えない人もっていうのがまず第一段階で、第二段階としてロジックや本人の気分やニューロダイバーシティ的な話ですね。
認知特性に合わせた認知の仕方っていうのをAIで一回ラップするっていうのはできるようになってきたというのはあります。
つまりそれぞれがコミュニケーションしやすいようにコミュニケートしても別に組織が破綻しないようになってきたっていうのが一個大きいんだと思うんだけども。
あともう一点が、私はずっと最近言ってるのは、農耕時代とか工業時代っていうのは、要は定期的に何かをやって定期的に何かをできてっていうのを全部人間がプロセスに応じてやっていったところがあるんですけど、
そのプロセスはAIやロボティクスがやるようになってきたときに、人間の本質的な遺伝的能力って何だったかっていうと、わりと狩猟採集性に戻るっていうのが表とこで。
狩猟採集自体に特化した能力はADHDとか、つまり森の中でちょっと変わった注意が起こると、それをちょっと引っ張ってきて警戒するとか、
あと新しい食べ物とかを見つけてきて、それを食べるみたいなものが重要だったんですけど、それが定住して働くようになってくると、その認知特性って別に進化的にはあんまりよく働かないというか、
集団生活の中でそんなにうまく働かなくなって、ただそっちはわりと工業プロセスとしてできるようになってきたので、そうじゃないところに認知的多様性をより広げていった方が、
さっきの失敗をイメージするってこともそうなんだけど、そういったことにつながるんじゃないかって思っているところがあります。
なるほど。めちゃくちゃ面白いですね。伊藤先生どうですか。
そこに重ねて言うと、農民もそうなんだけども、やっぱり産業革命が起きて、工場とかザラリーマンたちがスケーラブルに大量生産に行くんですよね。
そうすると標準化された人間が決まったプロセスの中で入れ替えられるっていうのがすごくスケーラビリティの特徴だったので、標準化された人間を軍隊もそうですけど作るっていうのが教育の基礎になっていて、
それがAIの時代になってくると、ロボットがロボットになればいいんで、人間がロボットになる必要がないっていうのが一つと、
今お千谷さんが言ったように、AIでその弱みを補ったりコミュニケーションをサポートしたりするので、英語だとこれは教育の種類でデフィシットベースとアセットベースというのがあって、
デフィシットベースって何かっていうと標準化された試験を合格しないと大学に入れない。一番弱い科目ばっかりやる。
数学に弱い人は数学やる。ここが弱い人はここをやって。自分が一番好きな項目はもう大丈夫だからやらなくてもいい。
そうすると弱みばっかりやらされる。そうするとパッションもなくなって、みんなに怒られない、褒められるっていうこの対外的な外のためにモチベーション作っていって、
自分の内在的動機を殺すんですよね。そうするとクリエイティブじゃない、パッションがない、標準化されたロボットみたいな人間が今たくさん存在していて、
AIのサポートで弱みを補って、その人が一番特性があるこの凸凹のところの出っ張っているところをガンガンやらせると強みが出ていって、
AIを見ていると同じようなことを言っている人間がいっぱい集まって情報が増えない。今オンラインの情報の半分をAIが作ってるんですよ。
そのAIが作ったものをAIが食ってるとだんだんおかしくなっていっちゃうんですよ。みんなが考えたことないことを言うことによってAIが餌ができるんだけども、
僕も日本の学校に行ってないんですけど夏休みだけ一回行ったら、アートの授業でみんな同じ色で同じ形で紫陽花描かされて、これアートじゃないよねと思ってたのを覚えてるんだけども、
みんな同じことをしようっていうのが特に日本の文化にあるので、そこをぶち壊す機会と必要があるんじゃないかなと思うので、だからそういう意味でこのAIの時代こそ変えなきゃいけないっていうのが、
あとやっぱり日本文化って秩序とみんな揃ってピシッていうのが美学としてみんな好きなんで、もちろん変な人、おじいさんとか僕とか歴史的に理休だとか結構変な人は周りにいるので、
だから中がピシッとしてても文化人とか芸人とか外の人は結構尖った人を餌にしていて、結構面白いのは日本の食事って一番コントラストが高い。だからスパゲッティなんかは、話ちょっと飛ぶけど戻ってくる。
スパゲッティとかは塩加減はもうお湯のところからバランスして混ぜてる。日本だけが最後塩入れる。だから白いご飯ってしょっぱくないの。でもパスタはしょっぱいの。日本って白いご飯と珍味っていう関係性があるんだよね。
で、やっぱりこの産業革命、ここ白いご飯ばっかり集中してて、珍味はあるのね。ただあんまりたくさんなくて、やっぱりAIの時代は白いご飯ってただのブランクカロリーよりも、この珍味が必要な時代で、実は日本って珍味強い。だから中国でできた禅が日本に来て、中国から消えて、盲腸みたいに全部いろんな菌を貯めてどんどんオタクとして深くいってるので、
このオタク文化と秩序のサラリーマン文化って共存してるのが日本なので、そのウェイトをシフトしなきゃいけないと思うんで、だからその力は持ってると思うんで。
はい、ありがとうございます。
学生が交付されたのって1872年ぐらいなんですよ。うちの大学ができたのがその年なんでよく覚えてるんですけど、つまりそうすると何が起こるかっていうと、大体153年間ぐらいは今の教育スタイルをやろうと思って動いてるんですよね。
もちろん戦後に1回コラプスしたと思うんだけど、ただバカが150年ちょいなんですよね。人類史に置き換えてみれば、遥か0.1%ぐらいなんですよ。大した話じゃないんですけど、ただそれが標準教育っていうのを150年もやってると、4世代5世代ぐらい前からやってるように見えるので、ずっとこんな感じだったんだろうなと思うんですが、それを変化してもそんなにやばいことじゃないというか、結構普通です。
ありがとうございます。まさに僕は実は普段は学校講演の活動をやる会社に所属して働いてたりして、年間250校ぐらいチームのみんなで行って、1万人超える若者たちに出会うんですけど、まさにこのニューロダイバーシティに当たるんだろうなっていう若者たちにもたくさん出てきて、
たぶん学長として何を考えてるかというと、AIによってまず職場のニーズがどう変わるか。今アメリカの数字をヘッドカウントで見ると、新卒の子たちが減っていってるんですよ。いらないんですよね、言われたことだけやる人。
どっちかというと経験があって、識って、AIの間違いを指摘できる人が必要で、この人たちってやっぱり部活をやってる人たちだとか、その専門分野に深く行ってる子たちなのか。そういう教え方と教える内容と、あと評価の仕方。やっぱりAI使わないでやれっていうのって、手で長い割り算をやる。
電卓ができたら、電卓使って何をするか教えればいいのに、電卓ができることを全部手動でやる。これ本当に割れるんですよね。うちの大学は工学の大学なんで、意外に先生たちはAIに対して前向きなんだけども、特にちょっと文系の総合大学ってかなり議論になってるんですよね。
でももう一つ危険なのは、そんなこと言ってると、子供たちがバカだと思ってくると思うんですよ。インターネットがあるのに、先生が一生懸命レクチャーしてる段階で、もうAI使わない。AI使わないの?っていうので、学校来なくなる。
だからそういう意味で言うと、大学の役割って何かっていうと、やっぱりおじいさんが言ったようにモチベーションを上げるとか、価値観を教えるとか、実験させるとか失敗させるとか、そっちをガンガンやらなきゃいけないのに、いまだにAI使うな、自分でやれって、これ本当に危険だと思う。
なるほど。ありがとうございます。まさにリクルートワークス研究所が2040年には労働人口1100万人ぐらい足りなくなるみたいな話をしてたりとか、あと僕がやり取りをさせてもらってる企業さんで、IT系の企業で上場してる企業の社長さんが、来年ぐらいから新卒はもう採用やめようかなみたいな話をし始めたりもしていて、まさに
ソフトウェアディベロッパーは結構構造改革されちゃうと思います。
そうですよね。これまで、少なくとも僕とかまだ23歳なので、高校行って大学行って就職みたいな、当たり前だと思われてたストーリーみたいなものが、全くそうじゃなくなる危機をめちゃくちゃ感じてて、でもそれを知ってる人とか分かってる人たちもめちゃくちゃ少ないんだと思うんですよね、まだ。
なんだっけな、ニューヨークの街並みがね、自動車が発明されてから10年ぐらいで変わったっていうのがあるんですよ。馬車を使わなくなったってことなんですけど、ITの世界で働いていると優秀なソフトウェアエンジニアって馬なんですね。
馬がたくさんいると会社は成長する。それすごいんだけど、でも馬が自動機関に変わった時に馬を買わなくなったっていうのは、10年で起きた変化なんだけど、確実に起こる。
たぶんソフトウェアを書くのにシンタックス、文章の構造をいろんなルールを知ってて、かつシステムのことを考えられる人がデベロッパーで優秀なんだけど、シンタックスいらなくなっちゃったんだよね。
だからデベロッパーの中でもタイプによるんだよね。昔だったら例えば腕が強くなきゃダメだったのがもう関係なくなるんだけど、ただ他のプログラマーの要素は関係なくはないので、どういうふうにシフトしていくかっていうのが一個と、あとはみんなやっぱり性格も強みも違うので、プログラマーになりなさいって言うべき相手がちょっとずれると思うんですね。
あと社会としても今まではきっちりした優秀な人ってすごく出世したのが、必要なくはないんだけど、もうちょっと変わった人たちが出世する社会に。
馬運転手でこれを雇用する会社ってあった時に、馬のデベロッパーは多分いらなくて、この運転手だった人に自動車を与えたらちゃんと創芸業務ができるかってことに変わってきてるんですよ。そうすると新卒で馬にする人はいらないんだよね。
歴史振り返ると面白いのは、産業革命の時って靴とか作ってる職人たちいたんだよね。で、キャピタリストがお金をこう調達して出すっていうことができて、工場ができるんだけども、工場によって職人全部いなくなるんだけども、でも工場を設計してるのは職人なんだね。
だからやっぱり靴のことちゃんとわかってるけれども、システムのこと考えられる職人だけガッと伸びて、これを腕をやってるのはいなくなっちゃったんだよね。だからそういう意味で言うと、デベロッパーの中の変わったのが次のレベルに進化して、そこに合わさって車の代わりにメカニックとか出てくるんじゃないかなと思うんですよね。
そう思います。そしてカウンターカルチャーで民芸運動とかアート&クラフトが出てきたから、多分ね、ヒューマンメイドなものがあった。ヒューマンメイドって会社ありますけど。ヒューマンメイドなものだけを使うみたいなやつはめちゃくちゃあるかも。
最近ケビン・スコットってインスタで見ると、マイクロソフトのCTOなんだけども、コロナの間彼、お茶碗を作る。YouTube見て陶芸を始めて、日本に来て、茶入れも作れよって言ったら、来たんだけどこんなに大きくて、ネットで見たらちょっとサイズ間違ってるみたいな。でかいのでかいの。