ツヤツヤと黒びかりをしている。これはね、実は日本では縄文時代くらいからのりを食べる文化がありましてね。
黒びかりするものっていうのは、例えば平安時代の女の人の長い髪が緑髪なんつって、
ツヤがあって黒びかりしてきれいだねなんていう感じで、
黒びかりしてるものっていうのは美しいというイメージがあるわけですね。
おは黒とか。
おは黒はどうなんだろうね。あれもそうなのかな。
なんかあれも化粧の一種って聞いたけど、てことは美しく見せるためのものかなと思って。
どっちかっていうとあれですね。虫歯予防っていうね。
あ、そうなの?
うん。説もありますけどね。
えー。
色でいくと黒いものがツヤツヤしているっていうのは美しいというような言われ方していて、
黒っていうのはね、日本の古後の世界になっちゃうんだけど、
透明なものとかね、透き通った奥行きのあるものっていう意味を含んでるんですよ。
だから、例えば池とか湖とかっていうのは、色が黒いって表現をされるんだよね。
へー。
だから、当然黒いじゃないですか。池とか。もが生えてない限りはね。
黒いっていうのは、光が届かないくらい奥まで透き通ってるっていうのを表してるわけですね。
そんなような意味もあって、花巻きっていうのは、磯の花を巻き散らしたという意味で花を巻く。
花巻きと。
へー。そういう意味なんだ。
東北の花巻き市とは別に書けないわけです。
そんなとこあるの?
うん。あるんです。花巻きっていう。
花巻きね。
地名がありますよね。
あるね。
あれは、巻き取るの巻くという字を書きますが、蕎麦の花巻き。
時代後になるとあの字使っちゃったりするんだけど、正しくは、種を巻くの巻くという字ですよね。
あー。そっちなんだね。
その花巻き蕎麦です。
へー。
これがね、実はすごく繊細な蕎麦でして、もともと蕎麦っていうのは、なんていうんだろうな。
鰹節の香りが効いていて、蕎麦自体の味も結構淡白じゃないですか。
でも、新蕎麦なんつって、蕎麦の香りがいいよねって、この青い香りがおいしいよねっていう楽しみ方をするわけですよね。
淡い香りと淡い味と、そこに磯の香りを乗せて、香りを楽しむ蕎麦なんですよ。
香りを楽しむ蕎麦。
本来は、例えば屋台じゃなくてお店なんかだとね、食べるタイミングを見計らって、蕎麦ができたら、食べる少し前に海苔を散らすわけですよね。
巻いて、そしたら蓋をするんですよ。
お客様が蓋を取るタイミングで、ちょうどしんなりとして、いい具合に蕎麦に絡むような具合にしならせるわけですね。
蓋がしてあるって意味があって、これお椀と一緒なんですね。
お椀と一緒?
日本の海石料理の中でお椀っていうのは、わざわざ蓋をする二つの意味がある。
一つは温度を保持するため。
もう一つは、開けた瞬間に香りが立つっていう効果を狙ってますよね。
あれ演出じゃないですか。
花巻き蕎麦も本来はそうなんです。
海苔の香りがふわっと立ち上がるこの瞬間が楽しみである。
食べるっていうね。
すごく粋な蕎麦の食べ方。
そんな感じなんだね。
これが明治になると廃れていく。
廃れていくの?
なんでかっていうと、どんどん味濃くなっていく。脂文化が入ってくるからですね。
徐々に減っていくんで、今ではあまり花巻きっていうのを見ることがないんですけれども、
実はとても粋な文化ですね。
これの名残が今の蕎麦屋さんにちょっとだけ残ってます。
残ってるんだ。
花巻きがちょっとだけ残っているのが、ざる蕎麦にちょろっと海苔が乗っかってるんだよね。
乗っかってるね。
あと店に売ってた森蕎麦とか欠け蕎麦であっても、薬味として横にちぎった海苔が添えてあるとか。
そういう跡がありますよね。
それはこの花巻き蕎麦の名残と。
そうなんだ。
いうことだそうです。
昨日もこれ海苔乗せたほうがいいのかなって言いながら乗せたけど。
俺乗せてって。
乗せよ乗せよって言ったじゃん。
これ知ってるから言ってるって。
妙に押してくるなと思って今日。
やっぱ相性いいっすもん。
蕎麦と海苔っつうのは。
まあね。
うまいなと思うしね。
蕎麦つゆがね、かつお節だからね。
そこに海苔が入るっつうのはおいしいよね。
そうなんですよ。
グルタミン酸とイノシン酸の結合ですからちょうど。
そうだね。
コブと同系の味ですからね。
そこへ持ってきて焼き海苔っていうのはコブとは違った香りを持ってますんでね。
そうね。
そもそもなんですけど海苔ってスーパー高級品なんで。
スーパー高級品。
超絶高級なんですよもともと。
そうなんだ。
そういう背景があるからずっと長い間
例えば海苔を贈り物に使うっていうのが日本の文化に残ってますよね。
あるね。
板海苔。
それはね始まりはもう飛鳥時代くらいからそう。
飛鳥時代。
はい。
いつかわかんないくらい昔だよね。
縄文時代から食べてんだよさ。
そうね。
縄文時代から食べてんだね。
食べてる。
もともとあれらしいですよ。
海苔という言葉の語源がぬらぬらしたものがなまったものらしいです。
ぬらぬらしたもの。
ぬらぬらというなんていうのこういう表現が。
ぬるぬるではなくて。
ぬらぬら。
ぬらぬらね。
これがなまって海苔になってたそうですよ。
ぬらから海苔にはならんな。
ならんけどな。
ならんけどそう書いてあった。
知らんけど。
はいはい。
飛鳥時代の記述で一番古いのはね。
霞が浦の浜辺一面に海苔が干してある風景を大和武の御事が見たと。
大和武の御事。
草薙の剣やと。
ずいぶん昔だね。
大和のおろちとかああいう世界ですわ。
そうだね。
大和のおろちは出てこないけど大和武がそういう風景を見たと。
へえ。
あとね701年大宝律令ね。
大宝律令。
律令制の一番最初のやつだよな。
すごい久しぶりにこの字見た。
だいぶ懐かしいよね。
久しぶりに聞いたでしょ。
この時代に蘇養帳といういわゆる税金が定められてるわけですよね。
蘇養帳ね。
労働を提供するか物を提供するか金を提供するかの税の形がありましたよと。
その中で物を提供するのが帳ですよ。
この中にコブなんかも入ってるんですけど海産物として定められてる帳が約30種類ほどあるんですね。
30種類。
その中に糊はちゃんと入ってるんです。
そうなんだ。
紫のナッパのナって書いてこれは糊のことを指してるんですけどこれは特に高級。
紫のナッパのナ。
これがすごく高級で他の海藻類。
寒天の元になってる天草とかわかめとかと比べると価格にして2倍以上。
なんなら海藻類中第一頭の価値って言われてますんでね。
そうなの?
これは平安時代の縁起式という書物の中967年ですね。
この中に九中健常品という一覧があるんですよ。
九州?
九中健常品。
九中健常品。
そう。朝廷にこういったものを献上しますよというのがありますね。
その中に海藻類っていうのがいくつかあるんですけどその中でも第一頭の価値。
コブ超えちゃってるね。
コブ超えてるのか。
そうなんですよ。
そのぐらい高級品だっていう認識がずっと続いてる。
これは江戸時代に入っても変わらない。
変わらないんだ。
そのぐらい高級品なんです。
味が良くて香りが良くてなかなか手に入らない。
なんで手に入らないかっていうと全部天然だからなんですよ。
岩とか流木とかに海藻を通しての苔みたいな感じで糊が付着するじゃないですか。
これを取ってきて何の加工もしないでそのまま干すんですよ。
今でも売ってますね岩糊とかって言って。
売ってるね。
あれ?
あっちなの?
あのタイプ。
そうなんだ。
板糊存在してないんでまだ。
存在してない。
養殖もしてない。
養殖はね。
ただ干すだけ。
スカスカなんですよ。
あれを食材として汁物に入れたり煮物にしたりとかして。
何かに炙って何かに乗せたりとかして使っていたというのが平安時代鎌倉時代室町時代を超えて江戸時代の初期までずっとそれ。
長っ。
ヨタカ蕎麦に花巻があること自体がすげーことなんですよ。
でこれが蕎麦なんかに乗せられるようになった。
しかも屋台でね。
提供できるようになったというのはやっぱり養殖の出現と板糊の出現。
これに尽きるわけですね。
そうなんだ。
確かにヨタカ蕎麦はね。
蕎麦の中でもかなり下のねグレードっていう扱いだもんね。
こんな高級品をね16もの蕎麦に乗せちゃうわけだから。
やべーわけですよ。
そうね。
100均で宝石買うぐらい。
そんな感じかな。
そうだね。
おいみたいな。
ザイヤ売ってんじゃねーかってこれ人工みたいな。
人工でもね。
なかなかないか。
1000円くらい出したらなんとかなるのかな。
まあまあまあ。
いろんなものがあるからね。
ちっちゃいね工業用のやつとか安くできる。
工業用のねやつとかはそんな感じなんだろう。
まあそんな感じになっていくんでしょうかね。
養殖の始まりっていうのはね、
共宝年間だからね。
また出ましたよ。
八代将軍吉宗の時代。
1718年から本格的に養殖が始まったという風になってますね。
1718年。
718年。
でも江戸か。
江戸ですよ。
江戸時代の中頃ですね。
江戸幕府開封が1603年なんで、
江戸時代が始まって100年ちょっと経ってから。
その頃にやっと、
縄文時代から食べられてきた海苔がやっと養殖できるようになる。
1000年以上かかったね。
これ養殖ができるようになったっていうかね、
養殖をするというね、
多分発想がなかったんだと思う。
これはエピソード読むと面白いですよ。
東京に品川とか津久田島ってありますよね。
津久田島。
津久谷で有名な。
元祖の津久谷あれ醤油じゃなくて塩味なんだけど、
そんな話は去っておこう。
塩味?
元はね。
津久谷が?
津久谷が塩味?
塩煮。
塩煮?
それ漬物だね。
煮込んでるやつ。
塩で煮込んでる?
醤油が超高級品だから使えないんだ初期の頃。
そういうことだよ。
そんなことがあったんだ。
元々はそうなんですよ。
津久谷島とか品川っていうのは漁師町なんですね。
品川も今でも港ありますけど、
津久谷島は今は高層ビル並んじゃってますけど、
あそこは津久田州という漁師軍団のために幕府から提供された住まいなんですよね。
津久谷島っていうのは元々津久田村の人たちが移住した場所なんですよ。
大阪の。
大阪の?
大阪の西成軍とかっていうところに津久田村があったんです。
本のうちの辺ってありますね。
織田信長が撃たれたとこ。
あの時に家康が近くにいたもんだから逃げるわけですよ。
品川に向かって。
その時にやべえやべえってなってるところを津久田村の漁師さんたちが船出してちょっと助けてくれたという恩があって、
家康が江戸に街を開いたときにその時の恩義があるから江戸へおいでって呼び寄せた人たち。
そうなんだ。
江戸界隈の川、海、往来自由という許可を与えて、
もうテリトリ関係ないからお前らどこでも好きなとこ行っていいよみたいな。
すごい権限だね。
だって将軍だもんね。
でいいよってなってその特権を与えられたら、今度地元の漁師さんたちとかと揉めるわけじゃないですか。
住むのどうするんだとかっていざこざするからそういうこともあるか。
仕方ない。
じゃあ彼らの住むところを用意しようじゃないかっていうことで人工島である津久田島を丸ごとプレゼントするっていうね。
そういう縁で津久田島っていうのは漁師集団としてこの江戸の260年間を過ごしていくわけなんですね。
そうなんだ。
彼らが負った業務っていうのがあって、
彼らはですねずっと江戸の間将軍家献上する魚を獲るっていう仕事やってるんですよ。
献上専門の。
すごいね。
民間にもちろんやるんだけど将軍様が食べるものは津久田州か品川で獲れたもの。
この漁師集団が獲ったものだけっていうことになっていたんですね。
だからさ将軍様が召し上がるものだから悪いもの出せないじゃないですか。
そうだね。
嵐来たらどうする?
嵐が来たら。
とかね船出したらいいけどさ今日は不良で全然獲れなかったなって困っちゃうわけですよ。
困るね。
刺身とか食いていいだろうし。
そういう時のために池巣を作って大量の時に池巣の中で魚を泳がしておいたんですよ。
池巣も別にガラスの水槽じゃないんだ。
池作るわけじゃないんだ。
池を作るわけではない。
ではない。
海の浅瀬のところに木の柵作るんだよね。
木で柵なんだね。
竹とか木とかで柵作っておくんだよ。
その中に放り込んでおけばさ別にプランクトンやってくるししばらく元気なわけじゃないですか。
まあ確かに餌をやるとかね難しすぎるよね。
そこそこ大きい魚だったらさ別にスカスカでいいわけですよ。
よくあるのは細めの竹笹みたいなやつで葉っぱだけ取って枝がバラバラ伸びた状態でそれをいっぱい刺しとけばいいわけですよ。
そうしたら小魚入ってくるけど釣ってきたタイとかは出てけないみたいなことになるじゃないですか。
っていう対応をしてたんですね。
したらあるときそこの漁師の一人があるもの見つけるんですよ。
おんや竹に何やらぬらぬらとした黒いものがついているぞっていう。
ぬらぬらとしたね。
これはまさかノリでは。
あの高級品のノリがついておるのでは。
なめてみたらノリだったんだよね。
これはいけるって言っていけす拡大するんだよね。
いけすじゃないんだよね。
もう普通にいっぱい竹を刺しまくる。
分かりやすく増やすよね。
分かりやすく増やすよね。
高級品だもん。
高級品だね。
これ売ったらめちゃくちゃ儲かるじゃん。
魚取ってるよりかはよっぽど儲かるよね。
ノリの養殖を始めちゃうんですよね。
そういうね。
だから品川とか大盛りとかでノリが有名なの聞いたことないですか。
分かんない。
企業名言ったら大盛屋さんとかね。
大盛屋さん。
ノリの大盛屋って。
一時全国ネットでCM流したりとかした企業なんですけど。
そうなんだ。
ご飯にするしか分からないの。
ノリって言ったらCM。
ノリの津久谷もあれもね、津久谷からのノリが取れるから津久谷島で津久谷にするんだけどさ。
そういう繋がりですよ要は。
あの界隈はノリの産地として一気に有名になっていく。
でこれがさらに進化を遂げるのが浅草。
浅草。
浅草。
浅草。浅い草のあるところ。
そう。今の浅草ですよ。あの浅草。
あの辺はね、起水期だったんで元々ね。
アサリが取れたりなんかするぐらいの地域ですからね。
そういう話だったね。
あそこね、何をやったかって言うと別にノリも取れてたかどうかそこら辺ははっきり分かってないんですけど、
一番の理由、浅草ノリの原点の一番の理由は紙の町なんですあそこ。
紙の町。
紙作ってた。
障子とか。
和紙ね。
で、和紙だって新品の紙作ってるわけじゃないんですよ。
古紙再生なんですね。
この時代に古紙再生とかあるんだね。
あるんですよ。
そうなんだ。
使った紙を水に溶かすとあれノリでくっついてるだけなんで、
鍋にすっこんでグラグラするとか水にふやかしておくとバラバラになるわけですよ元々の状態に。
繊維だからね。
今みたいにね化学製用品入れて溶かすとかしなくたって水に浸しときゃ溶けるわけですよ。
それをもう一回すっき直す。
すっきでね。
で、炭はちょっと流れ出るんだけど色が残るからちょっとグレーになっていくぐらいの感じでね。
でも和紙っていうのは高級品じゃないですか。
だから古紙再生した方がいいわけですよ。
世の中的にも。
それはね。
で、浅草っていうのはね、吉原近いんですね。
吉原。
吉原裕郭。このシリーズしょっちゅう吉原裕郭出てくるんだけど。
結構要だね。
吉原ってめちゃくちゃ紙使うんですね。
そうなんだ。
上質な和紙で言ったら文字を書くものとしても使われていく。
つたや十三風呂とかに代表されるような吉原再建とかね。
吉尚石器の出版文化も発展していく。
吉原ね。
吉原の入口あたりとかでね。
本屋さんとか出版文化っていうのが花開いていく。
ちなみに吉原再建っていうのはガイドブックみたいなやつだよね。
ガイドブック。
まあそうか、吉原にすごい金額が集まるから買えちゃうんだ。
で、それを売ったらまた人来るし、儲かるわけじゃないですか。
そこに美人画とかっていうのが載ってね。
で、また浮世絵がさらに進化をしていくと。
浮世絵ね。
浮世絵自体はもっと前からあるんですけどね。
美人画っていう菱川諸信とかね。
それはもっと前の時代なんですけど。
つたや十三風呂だと東周祭、斜楽とかあの辺の時代かな。
斜楽ね。
文化、文青くらいだったと思います。
ちょっと時代ぼやっとしてるんだけど。
そういう出版文化もあるし、教養として和歌を読むとかね。
そういったものもあるし。
あとは普通に生活用の紙ね。
生活用の紙。
今でいうとこの花紙とかさ。
トレッドペーパーとかさ。
そういうちり紙ですよ。いわゆる。
さすがに下の方の紙をどうやって腰再生したのかは知らないですけど。
してないかもしれないですけど、そこはね。
へえ、すご。
でもね、面白いなと思ったのが、
裕閣の人たち、ぱっと見、遠目で見て、
あの人たち冷やかしだってすぐ分かったらしい。
そうなの?
なんでかって言うとね、
たけえじゃん、あそこ遊ぶにゃ。
大夫とかだったら一晩で100両消えるような世界だからさ。
桁が違うんだよね。
やばいとこじゃん。
そういうとこに来る人たちは当然金持ち集、
お大人たちなわけだよ。
18代2とか言われてるね。
あの人たちね、小川を船で来るんだわ。
船で来る?
うん、周り田んぼとかだし。
もう何て言うのかな、浮島みたいに田んぼの真ん中に大地みたいなのポコって作って、
で、そこが吉原ですみたいになってる。
で、大門があって入り口の門があってそっからしか入れませんよみたいな。
あ、そうなんだ。
正式なものね、そういうふうになってるんで、
お金持ちの人たちは船でやってくるんだよね。
だからね、足元が綺麗なのよ。
ああ、確かに確かに。
汚れてない、泥が跳ねてない。
ひやかしの集中はさ、元が職人だし、税にはねえし、船なんか乗るわけはないんだよ。
泥が跳ねとるのよ。
だからもう遠目で見て、足元が汚れてるって言ったら、あいつらひやかしだなって。
みんなにも違うだろうしね。
足元を見るっていうことですよ。
作業服みたいなもんだしね、普段着てるのは。
これは吉原と関係ないですけど、当時の足元を見るっていう慣翼もそういうとこから着てるらしいですね。
ああ、そういうこと。足元を見る。
だって偉い衆、金持ってる衆は馬なりカゴなり船なりですから。
ああ、確かに。
履物もいいもん履いてるし、擦れてねえし。
まあ、東京のショッピングモールっていうか、超高級ショッピングモールでさ、仕事をしたときにね。
大雪だったね、東京なのに。
誰も、一般の方々は来ないのに、さっそく現れる人たちは、皆さん靴がピカピカでね。
ちっとも汚れてないでしょ。
ちっとも汚れてなくて、兄ちゃんから聞いた話だと、ああいうところには地下に駐車場があって、そこから直結なんだと。
ああ、まあ確かにねって。
だってあんなね、東京交通麻痺してる中さ、高級なスーツとか高級な着物にさ、一ミリもシミのない服と履物で来るからさ、
こっちは足に濡れちゃってさ、びしょびしょでさ、段ボールの上を隠してさ、段ボールの上に乗ってさ、足元を隠して販売してたのにさ。
ザ・庶民っすね。
この格差すげえなと思って。
まさにですよ、足元見りゃその人が税に持ってるかどうかがわかるんでね。
あんだけピカピカだとね、足元に目が行くよ。
でしょ。
ビビるもん、ほんとに。
吉原でね、真っ白なタビを履いて綺麗な履物履いてる人は税に持ってる人なんですよ。
ああ、そういうことね。
足元見りゃわかるっていう。
わかるね。
たぶんそういう人たちはね、その時代そば食ってたのかな。
江戸の後期ぐらいになるとね、そばもともとは庶民の食べ物ではあるんだけど、後半くらいになると大名とか将軍くらいの人たちもそば食べ始めるんで。
またそばの格が一回下がるんだけど上がってくっていうね。
そういう感じの時代でしょうね。
1800年代中頃になるとたぶんそのぐらいになってると思いますね。
で、おそらくですけど僕の予想ではこの時そばの舞台となってるのは1830年から50年くらいの頃じゃないかなと思ってるんで。
1800年後。
そんな感じだなと思ってますよ。
割と新しいねやっぱね。
最後の終わりの方だと思いますよ。
1853年だったっけペリ君の。確か2年だったか3年とかその辺ですよね。
なんでもう幕末が聞こえてきそうな頃だと思いますね。
そうか。
じゃあもう一丁いきましょうか。もう一個の腹巻き長かったんで漆黒いきますか。
漆黒ね。
答えちゃいますね。長崎の漆黒料理に由来してます。
長崎の漆黒料理。
はい、以上。終わり。
いやいや解説にならんのよ。漆黒料理。
漆黒料理って聞いたことあります?
漆黒料理。
うん。
漆黒料理。なんかふわっとだな。
うん。
どっかで言った?
どっかで言ったかな。言ったかもしんないな。ちょっと忘れちゃったな。
長崎の出島で影響を受けてできた料理なんですけど、
漆黒っていうのは漢字で書くと、宅上の宅。
うんうん。
テーブルの宅の字ですね。に、副作の副の字ね。
副作。
副作っていうのは布のことだよね。
よく法人なんか行くときに公伝包んでる布あるじゃない。
ああはいはい。
あれも副作っていうよね。
そうだね。
だからテーブルに敷く布っていう意味だよ。漆黒っていうのは。
テーブルに敷く布。
うん。テーブルクロスね。
ほうほうほう。
うん。テーブルクロス料理って言ってんの。
もはや料理ではない。
そういうスタイルの料理だよって言われる。
ああそういう意味ね。
江戸時代っていうのは平安からずっとそうですけど、日本はずっとお膳で食べてるわけですね。
ああお膳だね。
明々前。
けど漆黒料理っていうのはテーブルで食べる。
テーブルね。
これは何でかって言うと大陸の影響、大陸の文化に大いに影響を受けているから。
中国風でもあり、江戸時代っていうのは鎖国をしてるものだからね。
うんうん。
出島でしか海外とのやり取りができないわけだ。
ああそうだね。
当時日本がやり取りした海外と言えば中華、新だね当時はね。
とオランダですよ。
オランダ。
でその中国とオランダの影響を受けてその迫害でやってきた料理を和風にアレンジしたものが漆黒料理。
ああそういうことか。
別名わからん料理って言うね。
わからん料理がわからんな感じが。
何が何だかわからん料理じゃないんだよこれ。
ああ違う。
和食の和に中華の華にオランダの蘭でわからんだよ。
狙ってつけてたね今ねこれね。
絶対狙ってると思うよ。
わからん料理。
何だかわからんっていうのと和と華と蘭の国名を多分かけてると思うよ。
ねえこんなややこしい裏の名前というか別名つけようって。
洒落が聞いてていいじゃねえか。
洒落っていうか当て文字みたいな。
まあまあ言葉遊びの部分も入ってるでしょうね。
なんでこれでしっぽ食ってるのか知らんのだけど一説によると中国語発音というよりは関東地方の方言。
関東地方。
関東とかトンキン。
今だとベトナム北部にあたるのかな。
そっちのね関東じゃなくて関東。
関東とかトンキンとかね。
トンキン。
っていう地域があるんですよ。
トン島の地域だと。
でそこ勢力圏で言ったら当時は中国だけど今で言うとベトナムね。
そういうところの方言でテーブルに大皿がずらっと並んでるような。
そういった料理スタイルですね。
これしっぽ料理解説するとちょっと長いんでざくっといくと。
まあオランダって言ってるけどオランダからの影響ってそんなに大きくなくて。
油を使ったとか何とかって書いてあったりするんだけど。
多分油料理はね中国の影響の方が強いんで。
まあ確かに中国結構使うもんね。
ほとんどねしっぽ料理はほとんど中華ですよ。
影響が一番大きいの。
っていうのもね1600年代の中ぐらい。
1650年前後かなちょっと前ぐらいかな。
中国からたくさんの中国人がやってくるんですよ。
出島にね。
そこで長いこと住んでると。
まあ佳境ですよいわゆる佳境ね。
長崎に住んでるとそこでずっと住んでいる人たちも当然出てきますよね。
松間とかあるんで。
中にはその地で亡くなる方々もいらっしゃるわけじゃないですか。
お墓欲しいよね。
お墓。
中国の方々のお墓が長崎に出島に欲しいわけじゃないですか。
長崎近平に。
初めは浄土宗の墓地とか使ってたんだけど使えなくなっちゃうんですよ。
使えなくなっちゃう。
寺受け制度って言ってこの時段下制が定められるタイミングだったのねたまたまね。
段下制。
段下制っていうのは宗派、宗門のこれ寺受けつってこの人はうちの段下さんですよっていう今でいう戸籍みたいな管理をし始めるの。
今でもほらお寺さんに聞くと先祖代々なことが大体わかる。
寺受け制度で宗門認別帳っていうのがあってそれを見れば歴代の戸籍みたいなの全部書いてあるから。
っていうのがこの1600年代初めの頃かなにできるんですね。
そのくらいなんだね。
結構初めの方で。
それから中国籍の方々困るじゃないですか。
日本人じゃないし。
困ったからしょうがねえからつって自分たちの寺作る。
自分たちの寺。
寺作る。
でもうその商人の一人が出家して僧侶になって寺作るとかそれ無茶するんですよ。
すごい気合だね。
それで幸福寺とか福祭寺とか宗福寺とかっていう寺をバンバンバンって連続で3つ建ててね。
後半の2つくらいは中国からお坊さんを呼んできてお嬢さんになってもらって。
それで無宗派の寺を作ってそこでお墓をね墓地をそこにするみたいなことやってたんですけど。
1654年ですね。
漢永6年この時にすげえ人を呼び寄せちゃうんですね。
すげえ人。
来てくれって言ってたんですよ。
中国から偉いお坊さんに来てほしいから。
お寺としても自分たちも仏教徒としていろいろと学びを得たいってお寺が欲しいっていうのもあったし。
後継ぎもいなくて困るし。
ちゃんとした人に来てもらいたい。
そんな時に中国の中でちょっとゴタゴタがあってやってられるかこの国って。
この国ではまともに修行もできん教えを広めることもできんっていうことがあって。
その人が日本か。
呼ばれとるし中国の仲間がいて呼ばれとるし行くかって言って来た偉いお坊さんの名前を陰厳禅師と。
陰厳隆起っていうのが名前なんですけど陰厳というお坊さんが来るわけですよ。
陰厳隆起。
臨済臭大爆破のちの大爆臭ですね。
この人を呼び寄せるわけですね。
臨済臭大爆臭。
大爆臭といえば京都万福寺で料理で言えば不茶料理ですよね。
ですからしっぽく料理と不茶料理ってめちゃくちゃ似てるんですよ。
似てるんだ。
大皿で銘々で取り分けをするところ、こんだてを見てもかなり似ている。
違うのは臨済臭大爆破ですから元がね。
大爆臭っていうのは全臭なんで、当然生草ダメじゃないですか。
生草ダメだね全臭は。
だから中国風の精進料理イコール不茶料理なんですね。
で、精進でないものがしっぽく料理になってくる。
そういうこと。
肉魚を使ってるけどスタイルは不茶料理とかなり酷似している。
っていうのがしっぽく料理と思ったらだいたい近いです。
イコールではないけどニアリイコールみたいな感じね。
っていう感じなんですね。
だから今回そのしっぽくそばを調べるによって不茶料理としっぽく料理両方調べました。
うちは不茶料理みたいなことを文字に入ってますからね。
入ってますからね。
カチャ料理は不茶料理のフを掛けがわの掛けに変えただけですからね。
不茶料理はやってない。
スタイルとして不茶料理はやってないけど
親父も俺も割と不茶料理の技術とか発想は影響を受けてるかな。
そうね。概念というか考え方だよね。
あと調理技法も結構影響を受けてる。
京都とかあの辺でね、もともとそばよりもうどんの方が先に流行りましたから。
じゃあ真似してしっぽくうどんだと。
それが後になってそばが流行ってくると、しっぽくそばだと。
いろいろ乗るわけですね。
これちなみにそばとかうどんに行かずにその場に残って、
後にラーメンとかっちゃんこしたのが長崎ちゃんぽん。
そういうこと?
そうそういうことです。
ルーツはね。
ちょっと余談ですけど、フチャ料理の中にはウンペンという調理技法なのかな、料理があってですね。
これは雲の片方の方って書いてウンペンって読むんですけど、
雲の中に欠片が浮いているという意味なんですね。
これはクズであんを作ってですね。
加熱調理した野菜をとにかく放り込むわけですよ。
なんでこんなのがあるかっていうと、野菜の端っこを一かけらでも無駄にしないために。
まさにこれ精進の発想ですよね。
これがしっぽく料理と同じようなことがあって、いくとあんかけになってくるんですね。
そういうことね。
そうそう、多分そういうルーツなんですよね。
確かに。あんかけもいろんな野菜が端とかも入るもんね。
非常にリッチな蕎麦の種類になってくるわけですよ。
麺料理としてはもう具沢山ですから。
確かに。
五目蕎麦的なね。リッチじゃないですか。
後の森坂万光なんかに書いてあるのだと、これ精進じゃないですか。
しっぽくですから卵焼きが乗ってたりとか、かまぼこだとか椎茸だとかくわいだとか、
いろんなものが乗ってるわけですよ。
贅沢じゃないですか。なんですけど、これ落語の世界いきなり戻りますよ。
いいのかい。あ、これは見事だね。厚っぷらに切ったじゃねえか。
張ったんやわねこのちくわ。ちくわったって。いいね。パクッ。
これ本物だ。本物のちくわだね。以上。他の具材ねえんだ。
あ、ちくわぐらい。
ちくわが乗ってる蕎麦になっちゃったんだ。屋台だと。
おー。
で、これ森坂万光に書いてあるように、
普通のうちみせ、普通の蕎麦屋さんはちゃんと具沢山の蕎麦やってんだけど、
でもできないじゃん。野菜炒め作れねえじゃん。だから、ちくわを切ってポンって乗せるっていうね。
そういう状態なわけですよ。
そんな感じなんだ。
だから一軒目の当たり屋さんはね、ちくわをちゃんと本物入れてるわけですよ。
いいのかい。これだうのかいって。これで赤字出ないかいみたいなこと心配されたりするんだ。
ああ、なんて見事だ。今日はいい店に当たっちまったなってありがてありがてってまた来るからなっていうような話になるね。
二軒目の外れ屋さんの方ね。
さっきから探してるんだけど、あれが見当たんねえな、ちくわ。ある?ある?
どこに?おはべに?どんぶりに張り付いてる?また薄く切ったねえ。月が透けて見えろ。
まあでもこれは間違いなく本物だぜ本物だぜパクッと。
本物の負だ。ちくわ部だなって。
ちくわ部。
もうねこの時そばのくだりの中で厚っぺらに切ったちくわを褒めてるときに、ちくわ部だわって真買い物を出してる店がある。
あんなものはいけねえよって。ちくわ部なんて負なんてものは病人の食うもんなんだよって。
っていうのをけなしてるんだよね。
で二人目の男が同じようなセリフをコピーで言うわけじゃないですか。あんなものは病人の食うもんだよって。
で本物の負だってことになるから。いいんだいいんだ俺病人なんだ。
昨夜寒かったから風邪ひいちまったからな。しょうかが助かっていいやなっていう。
でこれちくわ部負だっつってんだけど負ですらねえからな。
負っていうのはさ小麦粉を水でこねて玉にするじゃない。でそれを水で洗い流すんだよね。
そうするとグルテンだけが残って周りの澱粉が全部落ちる。残ったグルテンの塊を負だんだよね。
ちくわ部っていうのはね小麦粉をこねて竹か何かに巻きつけて焼いただけなんだよね。
小麦粉?
小麦粉をこねてね。でうどん作るときに玉作るじゃない。伸ばさないで。
玉作ったやつを棒に巻きつけて焼いたり何だりして加熱するわけだよ。
パン発酵してない?
パンというかね包丁かな。
まあ包丁ね。
だからあのしっぽくうどんなんだよ。そのときうどんだと。
で2軒目のうどん屋さんやっぱりちくわ部みたいなのが入ったりするんだけどさ。
うどんとうどんなんだよなあれな。原材料で言ったらな。
まあ小麦粉だけだね全部ね。
全部小麦粉なんだよね。なんだけどこれもねときうどんちょっといろいろあるからなパターンが。
ちくわ部は関東ローカルの食い物だから。
関東ローカル?
割合ね。
たしかにちくわ部って俺あんま食べたことないな。
あのね俺もなんだコンビニエンスストアがこの片田川のかけがにやってきたときにね。
生まれて初めて静岡流じゃないおでんというものを目にするわけだ。
なんか汁透き通ってる気持ち悪って思って。
まあね中に入ってる具材色ついてないもんね。
半ペン白食べたらふわふわしてるブヨブヨしてる気持ち悪い。
なすかすかやんと思って。
思った?
静岡県民はね半ペンといえばイワシ作った黒いやつが半ペンですから。
あんな白いのはあれは白半ペンであって。
まだ測ってない半ペンの王道を名乗ってくれるなって思ってますからね。
なんかマシュマロみたいな食感のね。
僕今でも黒半ペンってあんまりよく言わないですよね。
あれが半ペンだと思ってるから。
そこは静岡プラレール。
でその中にちくわ部が入っててさ。
なんだこりゃと。
で横にちくわが入ってんだ。
なんじゃこれって。
なりますよ。
文化のないところはね。
ちくわ部ちょっと調べようと思って軽くググってみたんですよ。
いつ頃からあるのかっていうのがね。
おそらく19世紀の中頃から終わり頃にはあった。
少なくとも明治時代には存在してたことがわかっている。
書いてあったんですよ。
その根拠は。
時そばに出てくるからって書いてあった。
全然時代交渉にならないんだよ。
元の情報源がこの時そばだと。
もう時そばになっちゃって他の情報が残ってる。
またひどい解説のページだな。
いつどこでどのように発祥してきたかわかんないけど。
多分これ想像なんですけどね。
ちくわっていうのは確かに当時の江戸の庶民に関してはそこそこの高級品なわけですよ。
白身魚の練り物ですからね。
白身が高級魚だもんね。
そうなんですそうなんです。
昔からかまぼこっていうのは高級品ですから。
それを模して安価に作ろうと思ったらそういうことになったんじゃないかなっていうふうに思いますね。
江戸っ子が考えたとしたらどんなに早かったとしても1700年代の後半ぐらいから後じゃないですかね。
小麦粉みたいなのが大量流通して安くならないとそうなりませんので。
前期っていうのはそこそこ流通まだ小麦粉あるんですけど高いんですよ。
流通量があんま多くないんで。
1700年ぐらい超えてくると江戸界隈関東で小麦粉が安く出回るようになってくる。
そのくらいからかなイメージはね。
かまぼこはね高いね。
ちなみにかまぼこってどんな形だと思ってます?
かまぼこ?半月の。
半月のやつでしょ。
あれもかまぼこなんだけどかまぼこってもう一つ形があるんですよ。
正式名称でいくと。
皆さんが板にくっついたら半月のやつあれは板付きかまぼこって言うんですね。
確かにそうやって聞くね。
正式名称はね。
なんちゃらかまぼこっていうのがあってね。
なんちゃらかまぼこ。
ちくわかまぼこって言うんですよ。
漢字を思い浮かべてもらうとわかるんですけど、
かまぼこっていうのはかば焼きのかばの字。
がま氷のがまの字。
ほこは縦とほこのほこだよね。
植物のがまありますよね。
あれの先っぽの穂の部分のことを指して言ってるんですよ。
形状をね。
長いマイクみたいなやつあるじゃないですか。
あれ、あの形。
これはちょっと板付きかまぼこ何も設定ないですよね。
ないね。
これはね、もともとちくわのことかまぼこって呼んでるんですね。
ちくわがかまぼこ?
もともとは。
なんだっけ、日本料理の編成のときにちょっとチラッと一瞬出てきましたけど、
リキューがどっかの人に茶会で呼ばれていって夜中に出かけてったら、
かまぼこ出てきてがっかりした。
こんなものサビじゃねえって言って席を立てて出てってしまう。
このときのかまぼこはちくわなんですね。
現代人っていうところの。
板付きかまぼこ出てくるのは江戸時代になってからのことなんで。
そうなんだ。
これはちくわがかまぼこという名称でもともとあってですね。
これは練り物を竹に巻きつけて焼いて作るんですよ。
これを改良して作ったのが、焼かないで板に貼り付けて
ムスっていう技法が生まれてくるんですね。
これのことを板付きかまぼこって呼んでたんす。
そしたらだんだんそっちの方が人気が出てきちゃって、
そっちはかまぼこって呼び出したんすよ。
板付きかまぼこだけど板付き板付きじゃよくわかんないじゃないですか。
板付きかまぼこの板付きが消えてかまぼこになっちゃったら、
残った方の本家のかまぼこが竹の輪っかに似てるからちくわってことでって言って
名前変えさせられるっていう。
そういうこと?
ちくわ確かに竹の輪だね。
だからしょうがないからちくわかまぼこっていう比較対象が出てきたから、
ちくわかまぼこになって。
ちくわはちくわでしゃらっけがあるじゃないですか、名前がね。
そっちはそっちで残って、本来のかまぼこって名称を
新山物の板付きかまぼこに献上するみたいな。
これは蒸したのが板付き、焼いたのがちくわかまぼこ。
茹でると半平になるね。原料全部一緒。
一緒か。
そうね、確かに。
これ面白いのね。出てきた当時はそうやってみんな認識してたけど、
省略してるだけって思ってるけどね。
僕らの世代ぐらいになってくると、もはやかまぼこといったら半月、
しかも周りがピンクのやつしか思いつかないようになっちゃう。
紅白ね。
元は全部白のはずなんだけど。
でも漢字をよくよく眺めてみるとなんかおかしいぞってことになるわけですよ。
昔の人は分かってたと思うんだよね、江戸時代のその頃の人はね。
かまぼこの字がね。
ちゃんとちくわかまぼこだったってのを知ってる世代まではね。
だいぶ前ね。
100年以上前だけど。