1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #181 (s21-5)【そばと出汁】出..
2023-07-12 32:07

#181 (s21-5)【そばと出汁】出汁はカツオだ。本物だ。前編

【キーワード】(古代〜江戸、明治)
堅魚 / 煮堅魚 / 焙乾技術 / 熊野節 / 土佐節 / 紀州の甚五郎 / 土佐与一 / 本朝食鑑 /


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サマリー

むとうたくろうは、たべものラジオのレギュラーメンバーです。彼は現在、そばつゆについて話しています。出汁には主にカツオが使用され、それは平安時代から日本料理で重要な役割を果たしてきました。カツオ節の初期型は上流階級に重宝され、その後、木臭酸の熊野節が人気を集めました。さらに、カビ付けの製法が改良された伊豆節が八重洲に伝わり、現在の鰹節の原型が登場しました。1700年代後半から1800年代にかけて、商品経済が発達し、全国各地で鰹節の製造が増えました。特に江戸は経済の中心地であり、鰹節がさまざまなランクで流通していました。また、本物の鰹節と偽物の違いや、鯖節の使用などにも言及しています。この話題には蕎麦つゆについての話題も含まれています。

そばつゆの歴史
たべものラジオ。
掛茶料理むとう、むとうたくろうです。
むとうたろうです。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、
食べ物の知られざる世界を、
ちょっと変わった視点から、
学んでいくラジオ番組です。
はい、
ということで、なんかあります?
何も決めずにね、
録音ボタン押してるから。
今、風打ちでしたもん。完全に僕、
携帯見てましたよ。
一応ね、今回、
画面見てもらってる方は分かる通り、
配置が、
この間の2周年の
ライブ配信の配置になっております。
はい。久しぶりに
横並びですね。横並び。
これね、横を向くとね、マイク外れそうでね、
意外と
しゃべりづらいのかもしれないんだけど。
なるほど。じゃあ、カメラに向かって
できるかな、俺。
台本がね、カメラの下にあるんで。
見やすいように
設置してみたと。
いい加減にそばの話を
しないといけないですよね。
そばの話ね。周辺ばっかりやってますから、
相変わらず。そうね。
だいぶ回数重ねたのに、まだそばのその字も
出てこない。いや、出てますよ。
出てますよ。面の話を。
面の話は
次回かな。次回か。
まだかかんねえ。
今日はシル。シルね。
じゃあ早速本編
いきますか。はい。
はい。では前回からの続きです。
で、今回は
言っちゃったけどね、そばつゆです。
一応流れでね。
はい。聞かないといけないから。
出汁はカツオだ。本物だ。
っていうね。出汁は
カツオ。出汁の話か。出汁の話です。
おお。はい。
時そばの中だと、もう
一番最初、そばが
出てきた後ですね、受け取ります。
受け取ります。
お待ちどうさまでございました。いや、うれしい
じゃねえかって。こっちら気が早いんだって。
お待ちどうさまでございました。
大将お待ちどうさまでしたって。
サッと出てくるのが気持ちいいじゃねえかって。
ありがたい。ありがたい。ありがたい。って言って
そば食べないんですよ。この人。なかなかね。
そば食べないんだね。なかなかこの主人公食べない。
おお。まず箸を褒める。
箸ねえ。箸を褒める。
お、おめんとか関心だね。
おいって。まあ要素じゃあ
塗り箸だ。中には
財箸なんてものを使ってて、誰が使ったんだか
分かりゃしねえじゃねえかって。
新しいもので気持ちいいじゃねえか。割り箸だって。
おめんとか本物の割り箸使ってる。関心だ。関心だ。
お、器がいいね。
早く食えや。
マジで早く食えって感じなんだけど。
俺は今そばが出てこなくて
早く来いやって気持ちです。
ですよね。これ前回も言いましたけど
あの、時そばの流れに
行ってるんですよ。
だから、めんこの後なんです。
この後ね。で、受け取って
箸褒めて
どんぶり褒めて、その後に
汁をすする
直前で、いい匂いだねえ
おい。これ本物だろ。
ほら分かるんだよ。俺はそば食えだ。
そば食えだから俺はそば食うためだけに
わざわざ長坂まで行くんだ。
匂い嗅いだだけで分かっちまった。
これはいいねえ。
だしはカツオだ。本物だな。
ずいぶん怒ったじゃねえか。
こういう風に来るわけですね。
で、なぜ
ここでだしはカツオだ。
ここまではいいですよね。現代人で
そばつゆと言えばもうコブとカツオのだし
とかカツオじゃなくても
椎茸だしとかありますけど
江戸そばと言えばカツオ節でしょ。
カツオ節。
なんですけど、この時代くらい
っていうのはまだカツオ節というのが
やっと庶民で流通し
始めたぐらいの時代なんですね。
ああ、やっとなんだ。
この少し前までは
なかなかカツオ節っていうのが手に入らない時代があった。
入らない。
で、やっと庶民が
使えるようになってきて
そば屋さんが使えるようになる。
で、夜そばみたいなね
そばを扱うお店の中でも
かなりランクの低いところでも
使えるようになってくるわけですよ。
ただですね、時代背景的に
不景気だって話をしてるので
みんながみんなカツオ節
使えるわけではないんですよ。
カツオ節って高いの?
高いんです。で、みんなは
何使ってるかっていうとサバ節とかね。
サバ節。
カツオ節の使い方
あといわしのいりこですよね。
煮干しって言ってますけど。
あれです。
まあ青魚ってやつか。
そうです。いわしだのサバだの
っていうのは比較的量が
取りやすいっていうのもあるし
あんまりカビ付けとかもしてないですからね。
そうなんですね。
もう本当にね、前回
ノリの時でも言いましたけど
僕らカツオだしカツオ節ってあんま高い
イメージがないまま来てるじゃないですか。
でももちろんランクありますよ。
うちで使ってるカツオ節とね
100円均一で売ってるカツオ節
同じわけないんで。
まあね、一緒だったら困るね。
それね、古代までさかのぼっていくと
カツオ節ってむちゃくちゃ
高級品なんですよ。
ああそうなんだ。
前回も少し言ったかな
縁起式ってね
朝廷に納められた
蘇養帳が記録されてるものがあるんですよね。
縁起式だから
平安時代か967年ですね。
そのぐらいに
今のカツオ節ではないんですけれども
カツオ節の原型となるものがすでにある。
これね、当時はね
カタウオとかね
ニカタウオっていう
カタウオ?ニカタウオ?
カタウオっていうのはカタイウオですね。
これ魚の名前じゃないんですよ。
魚の名前じゃない。
後にこれがカツオに変わるんですけど
もともとは
ニカタウオという調理法なんです。
調理法?魚がつくのに?
そう。これは
ウオを干す。
干すと固くなりますよね。
うん、なるね。
で、固いウオで
カタウオっていうことなんですよ。
ああ、そういうこと?
そのニカタウオっていうのは
カタウオという言葉の前に
ニルという文字がつくんですね。
これはいわゆる煮干しです。
煮干しね。
これがホスで煮干しですね。
これがもともとの名前の
意味なんですよ。
この中にカツオの
イロリっていう文言が出てくるんですけど
平安時代ですね。
これはカタウオの
センジル、煎茶の煎の字ですけどね。
煎茶の煎の字。
イルという字ね。
これは煮干しをつくるときに
いわゆる煮てるわけじゃないですか。
この煮たときの
汁を煮詰めるんです。
これを
出汁として使う、調味料として使う
っていうのが平安あたりからすでにある。
っていう感じなんですね。
日本最初の
うま味調味料。
うま味調味料って言うとなんかあれだけど
グルタミン酸か。
イノシン酸。
イノシン酸を抽出して
使うと。
いうようなことが古代から
行われているわけですね。
中世かな。
古代から中世にかけて。
もうね
飛鳥時代くらいにあったっぽいんで。
その時からすでに
四国、特に都差ですね。
あたりでは
活動がよく取れたということで
記録に残っております。
そうなんだ。九州とかはないんだね
あまりね。
取れてたんでしょうけど
朝廷の権力範囲とかね。
そういうね。
輸送の距離問題とかもあるしね。
その辺でいくと
やっぱり近畿から四国あたりで
ちょっと九州に足がかかるかな
くらいの
そういう勢力範囲ですね。
これを
ずっと使ってきているんですけど
いつの頃からか
カタウオに使われる
ウオの中でこれが一番うまいぞ
っていうやつがカツオ
という名前に変わっていきます。
室町時代と食のルネッサンス
そういうこと?
カツオは後からできたの?
何だろうね
調理方法が名前になっちゃう
みたいなのがあるわけですよ。
例えば何がいいかな
茶碗蒸し。
茶碗蒸しっていうのは調理技法なわけですよね。
茶碗の中に
お魚入れてお湯張って
蒸すとか出汁張って蒸すとか何でもいいですよ。
卵使わずに蒸したって
茶碗で蒸してるんだからあれば茶碗蒸しなんですよ。
茶碗で蒸すっていう
調理技法ですから。
ですけど現代においてはもう茶碗蒸しといえば
もう皆さんが思い浮かべてる
あの黄色いやつですよね。
っていう風に変遷したのと同じように
カタウオに最も適したのが
このウオだからカツオという風に
カタウオが縮まって
魚の名前になっちゃった。
そういうことか。
これが平安時代
ずっと続いてきて
次のステップに行くのが室町時代くらいかな。
室町。
足利将軍ね。
足利将軍。名前は聞いたことある。
あのね
だいぶ何回も登場してますよ。
歴史上の名前は
なかなか入ってこない。
ああそうですか。お茶のシリーズでも
豆腐のシリーズでも出てきてますんでね。
何だっけ足利?
足利高氏ですね初代はね。
有名なのはあと
吉光とか金閣寺。
っていうくらいの時代
ですよ。このくらいの
時代っていうのは
日本と大陸との貿易が盛んになってるし
奈良仏教とか
天台宗とかの密教とかね
よりも
信仰勢力の仏教と
密接に結びついてくるっていう
鎌倉仏教の中でも特に
臨済宗ですね。
時の権力者と
臨済宗っていうのは密接になってきて
いて
中国との貿易、大陸との貿易
の船は基本的に臨済宗の
人たちが通訳も兼ねてですね。
交渉訳も兼ねて出ていくと。
そんなような時代感ですね。
この頃に
鰹節を梅乾する。
梅乾する。
焙煎の梅の字に干す、乾かす
っていう字ですね。
燻製みたいな感じだと思ってください。ザクッと。
茨して乾燥させるっていう
技術ですね。これが
登場してきます。
初めに茨から始まるじゃないですか。
そいつを
干すんだけど、今までは外に
干したりとかしてたんだけど
例えばですね、民家だったら
いろりが切ってありますよね。
部屋の中に。そこで
当時まだ漁村とかだと
キッチンがないんで
台所が。
ない家もあるんで
かまどって結構大変なんですよ、作るの。
田舎の方に行くとね、いろりが
そこで全ての調理を
行うみたいなことをやってるわけですね。
日本昔話
とかで見たことあるでしょ。
あの鍋をつってね。
ああそうです。あんな感じのところで
そうすると下当然
木燃やして炭燃やしてるんで
煙出るじゃないですか。その上の方に
つっとくんですよ。
それだけで売柑ができるんでね。
ああそういうね。
そんな感じのところからだんだんスタート
していって
カツオの産地とかね
もともとカタウオとか
ニカタウオを作っていた
ような産地では専用の
売柑小屋みたいなのを作り始めます。
ああ専用で。
で有名になったのが
九州の後藤、レッドの後藤とかね。
平和堂とか
あとキー半島の
キシュですね。若山県。
あと伊勢島の島。
と土佐。
この辺りには
売柑小屋がいくつも立ったということが
書かれていますね。
で室町時代がだんだん
進んでいくと。あの時代ほら日本料理の
編成シリーズぜひ聞いて
いただきたいんですけど
食のルネッサンスって言われるぐらい
日本食文化が花開いた
時代なわけですね。
茶外石みたいなものが
出てきて料理の中に
思想が持ち込まれていく。本然料理も
進化をしていく。そういった
時代感ですよね。
カツオ節の誕生から熊野節の人気
その中でこの
カツオ節の初期型が出てきて
これがものすごく上流
階級で重宝される。
特に髪型ですね。
髪型。江戸とかまで
行ってないんでまだ。
この時は大阪か。京都大阪
この時代の
江戸ってどいなかですからね。
沼パタって言ったら
言葉悪いですけどそんな感じなんで。
ここで一番
高級品だぜって
一番質がいいよねって言われたのが
木。木。木臭酸。
そうなの?
梅じゃないんだ。
梅はもうちょっと後の話やな。江戸期
入ってからなんで。江戸期入ってから?
はい。木臭の梅が
一世風靡し出すのは江戸時代
入った後の話ですね。
これ梅干しシリーズを聞いてください。
ちょっとね時代感が分かんなくなってる。
いや聞いてる人横に
おんのよ今。リスナーのみなさん。
だいぶ
前だよ。何なら編集で
何回か聞いてるはずなんですよこの人。
聞いてるんだけど聞きすぎてね
キャップオーバーしてるんですよ。
木臭酸の
梅に関してね木臭酸の
江戸時代の木臭酸の
師範ですね。
そこが
そこがフックになって始まって。これやる?
もう一回。みなさんもう1回聞いてるからね。
いいと思うんですけど。気になったら戻ってください。
戻ってくるまた。
まあまあとにかく木臭
のかつお節がいいよねっていうことになって
一世風靡します。
で熊野節という
名前が付けられて
この時代にねやたらとこう
上流階級の料理で
かつお節が使われる。
熊野節。
熊野高等の熊野ですよね。
熊野野原。
熊野地方の
かつお節がいいよねっていうことで
木臭じゃない
木無いってまだ木ばっかりで
目指せない紙型金ペンの上流
階級ですさまじく人気が出てくる
わけですよ。
でそういう場所
熊野節から伊豆節へ
だからこそ技術発展が
出るんですよね。
どんな商品もだいたい
そうなんですけどもともと
物が取れるとか
じゃあこれ産業復興しましょうみたいなこと
言われ始めると当然なんですけどそこが
技術の最先端になりがちなんですよね。
お茶のシリーズも
やっぱりそうだったじゃないですか。
宇治がそうだったし
煎茶のはじめか。あとは
深虫茶が出てきた
静岡とかね。同じような理屈で
木臭の熊野節っていうのが
どんどんどんどん技術発展をして
いくんですね。
江戸時代に入ってくると
出ました料理物語。
1643年ですか。
年代覚えちゃったな。
この辺りまで来ると
料理本に
やたらと鰹だしという文字が出てくる
ようになる。
この頃なんだね。
上流階級でかなり浸透したってことですよね。
こうなってくると
消費者がもうどんどん増えてくる
江戸時代になって
戦乱の世も終わって
おぶけ様とかね。大名クラスから
普通の節階級の上のほうとか
あともっと
久芸さんとかがやたらとその熊野節を喜んで
買ってくださるんで
どんどん作ってどんどん品種改良していくわけですよ。
これに
ライバル心を燃やして
産業復興を始めた地域があるんですよ。
まあまあ出てくるね
ライバル。 ライバルというか
あれすげえなって。うちも活を取れんだよな
いっぱい。いやどうにか
あそこ追いつけてんだけどな
みたいなことを思う人たちはやっぱり出てくるんですよ。
でも当時ほら
藩イコール国ですから。
そう言ってたね。 だからなかなかね
技術交流とかないわけですね。
輸出入とか言ってますから当時。
貿易なんだよあれ。
藩同士の貿易みたいな感じなんですよ。
言ったらね。国またぎますから。
したら何代目だったかな
3代目だったか5代目だかちょっと忘れちゃったんですけど
土佐藩
山内家
山内家 うん。
カズトヨ初代として3代目だか5代目だかの
藩主が
いやちょっとうちの滑走武士
負けとる。
負けとるんですよ。しかもあんま評判
良くない。 評判が良くない。
なんでかちょっとね
カビ臭いんですよ。
カビ臭い。 まだねこの時期は
売刊しただけで完成なので
それを
長距離運ばないかもですよ。
海を渡って四国ですから。
これが機内に着いた頃には
若干カビ臭いなって言われてたんですね。
これを何とかすれば
貴州の熊野武士に
追いつけるんじゃないかなっていうことを考えて
お殿様が
貴州藩に交渉をしてですね
ちょっと誰か派遣してくんね
つって。
それオッケーなんだ。
それで派遣をしてもらってですね。
貴州藩の
熊野武士の名人クラス
トップクラスでいっぱいいるんでしょうけど
親方クラスの人に来ていただいて。
これ神五郎さん
という人なんですけどね。
名前が残ってますちゃんと。
土佐の神五郎っていう名前がついてますね。
土佐の神五郎なんだ。
この人、紀伊の職人さんの親方なんだけどもともとが
土佐藩で
貴州武士の改良にめちゃくちゃ活躍
したんで、土佐の神五郎って呼ばれる
ようになります。
地元ではなくてね。
地役有名人なんですよ。
この人が実は
カビ付けの発明者なんです。
この人がなの?
この人がなんです。
文献上細かく書いてないんですけど
おそらく何十回何百回
取って試験をしてですね。
このカビ臭くなってしまう
土佐武士を何とかして
いいものにしようということで
このカビをどうにか
なくす方向だったんですが
カビが生えないようにしよう
って方向から
一気に方向転換をして
悪いカビが付く前に
いいカビを付けてしまえば
悪いカビがくっつけないだろうみたいなことを
考えだすんですね。
で、いいカビはどれがいいか
っていうのを今みたいに
培養できないですから
ありとあらゆる
パターンをやったらしいんですよ。
したら
めっちゃいいやつ見つかって。
すげー香りよくなるし
むちゃくちゃ乾燥するし
カビが水分吸ってくれるんで
これはいいぞ
っていうことになって
土佐で
初めてカビ付けの
カツブシができる。
これが土佐武士と呼ばれて
めちゃくちゃ売れるんですね。
大阪の
海鮮丼屋さん商人ですよね
の主力商品は
熊野武士じゃなくて土佐武士みたいな
いう商人がバカバカ出てくる。
なんでかっていうと
大阪から江戸に船で運ぶのに
めっちゃ適してるんですよ。
こっちに乾燥していて
しかもすでにカビ付けしてあるんで
カビつかないんですよ。
腐らない。カビ生えない。
だからさらに遠くの江戸に運ぶのに
ちょうどいいよねみたいな感じで。
こういうのがだんだん出てきて
ただ土佐武士の
作り方自体は
門外不出になっててね
カビ付けの製法を知ってるのは
土佐藩でしょ
伊豆節から八重洲版鰹節へ
人ごろの地元の
さすがに紀伊藩は知ってるんですよ。地元だから。
しょうがないよね。
で、門外不出にしたのは土佐藩なんだけど
紀伊藩はあんまりその辺しっかりやってないですね。
別に
門外不出にしようとか思ってないんで。
普通に教えてもらってるからね。
先生の方なんだよね。
そしたら
薩摩藩がこそっと紀伊藩に行って
職人さんから
技を聞いてですね
薩摩武士っていうのが出てきて
カビ付けあるのはこの3箇所。
なんか薩摩って
そういうとこめざといイメージだな。
すごいよね。さとい感じですよね。
なんかね、歴史を見ても
なんかいろいろやってるしね。薩摩藩で。
薩摩藩賢いんでしょうね。
賢いんだね。
1697年本庁書館
これも書籍で
何度か出てますね。
本庁書館。
薩摩藩目指しの走りですよ。
本庁ってのは日本っていう意味ですね。
そっかそっか。
の職の図鑑って意味ですから。
この中に
葛生節のことが出てきていて
どういう特徴を
持ってるかとか、どういう風にして
作るのかとか、産地がどこが
いいんだっていうのを解説が入ってたんですね。
へー。
その中には都佐藩と
紀伊を上品として
他に阿波、伊勢、島
東東美、駿河、伊豆
佐藩と。
駿河と東東美ちゃんと入ってるんだね。
入ってるんですよ。
現代でもそうですけど
静岡県八重洲港というのはね
葛生の一大産地なわけじゃないですか。
確かに。
なんなら漁獲高日本一ですからね。
そのぐらい葛生が取れるんで
全然できるんですよ。
なんなら江戸に近いし。
まあ立地上はね
大阪も江戸も近いからね。
あるんですけどまだカビ付けは
ここには来てない感じね。
あー来てないんだ。
これがいずれ
葛生節のシリーズやるんでその時に細かく
言いますけどだんだんと
漏れ出していくんですよね。
漏れ出していく?
カビ付けの製法がね。
製法がね。
製法ってさどうやって
守れるようなもんじゃないじゃん。
いやこれがね
漏らしてしまいましょうか。
この後に
土佐野良一という人が出てきて
神五郎の後を継いだ人がいるんですよ。
神五郎初代の
親方ね。
土佐野良一という人が出てくるんですけど
この人が
江戸に行ったりとか
旅をしてるときかなんかに
ちょっと事故にあったかなんかしたんですよね。
ちょっと細かいこと
忘れちゃいましたけど
その時に伊豆の人たちに助けてもらったんですよ。
伊豆でね
事故って助けてもらった。
恩があるんで
言っちゃったんですね。
ありがとうって実はなってこうすると
いいぜって。
かつおはあったしね。
いっぱい取れるんで。恩返しとして
渡せるものはカビ付けの方法だったと。
伊豆のかつお節が
カビ付けになってきて
なおかつ
伊豆のかつお節っていうのは
さらに改良されるわけです。
カビ付け1回じゃなくて
2,3回繰り返すようになる。
すごいね。どんどん香りが良くなって
こっちになってくる。
香り良くなるんだね。
良くなるみたいですね。
伊豆なんだね。伊豆。伊豆なんです。
伊豆にかつおのイメージ
今ないけど。
時代一気にぶっ飛んじゃうんですけど
この伊豆で発展した
伊豆節ですよ。
カビ付け2,3回っていうのね。
これが八重洲に伝播します。
ここから行くんだ。
八重洲に伝播したのは
明治以降の話なんですけどね。
割と新しい。
だいぶ後の話になります。伊豆で
伊豆節が改良版伊豆節
みたいなのが出てきたのが
1800年代のちょっと過ぎたくらい
文化分成年間みたいなね。
火星文化の時代だからちょうどまさに
時そばの時代かな。
ここからさらに
50年弱くらい経った頃に
八重洲で
さらに改良版の
鰹節が出てくるんですね。
これが
カビ付けがさらに5回から6回に増えた。
増えたね。
これが現在日本中に
流通していて特に東京とか
いろんなところで使われている鰹節の原型
なんですよ。
今のは八重洲版なんです。
今の八重洲版なんだ。
有名なメーカーさんも
八重洲に拠点を持ってたりしてますけどさ。
そういう感じになっていく
という流れですね。
そうなんだ。
これねちょうど1700年代の
終わり頃のね
伊豆に電波するかどうかの
ちょっと手前くらいかな。
これは
阿波だから千葉県あたりにも
とさのよ市がちょっと
こそっと教えてたりするんですよ。
商品経済の発展と鰹節の増加
どこに?千葉のほう。
千葉のほう?
あっちのほうでも魚取れるんで。
取れるんだ。
魚取れます。
そっちのほうにも技術的な電波が
あったりして。
しかも時代的にね
1700年代後半から
1800年代っていうのは
商品経済が
非常に発達する時代なんですね。
商品経済が発達する。
流通が良くなってくる。
まず第一に
樽海鮮だったりとかね。
日書海鮮だったりとかが流通をいっぱい
します。特に樽海鮮が
一大没効してる時代ですよ。
醤油とか酒とか
ぶんぶん送ってるような時代になって
くるので鰹節なんかも
一緒に移動していく。
これが売れる、儲かるってことが
分かってくると
当然熊野節とかとさ節以外
でもいろんなところで
さっき言いましたけどもっともっといろんなところで鰹節を
作るんですよ。
ランクいろいろあるんでしょうがとにかくたくさんある
ってことは当然価格が下がりやすく
なって。
最上級のものは上流階級しか
手に入らないかもしれないけど
そうじゃないものはそこそこ
庶民でも手に入るようになってくるんですね。
特に江戸
は集中します。
まあ江戸だから。
江戸とか大阪京都大都市はですね
地方の人たちがそこに
物を運んでそこでお金に
返るんですよ。
経済の中心地ですから。
だからそこに物が集まっちゃうんですね。
いろんな物が。
だから古い時代から
料理の勃興ってのは
京都とか江戸とかが
中心になってくるわけですよ。
その物の集約って意味で
江戸に鰹節がいろんな
ランクをピンから切るまで集まってくる
みたいな感じですかね。
はあ。
ランクあったんだねやっぱね。
まあそれはねランク付けで
本にランク付けが載ってるのは
ほんとごくごく一部で。
もうね雑多にいっぱいありますから。
はあ。
だって日本全国どこでも米作ってたじゃないですか。
作ってたね。
その中でどこそこがうまいよとか言われるだけで
別にそれ以外のとこが
まずいとかどうかじゃなくてとりあえずあるんで。
そういう感じかな。
そういう感じか。
でガンガン広がっていって
やっとよたかそばでもね
鰹節が使えるようになってきたね。
ああ一気にね。
よたかそばで使うって結構
安くならないと無理じゃない。
そうなんです。
相当安いよねよたかそばって。
だから落語の中で
だしは鰹だ本物だって
言ってるってことは
本物じゃないそば屋もあるってことなんですね。
ギリギリなとこだと思いますよ。
まあ
真っ当にやってても
頑張らないと使えないような
なのか
使ってないところは
ボロも消しようとしてるか。
ボロも消しようとしてるか。
コスト抑えてるのかわかんないですけどね。
いろいろやってるんでしょうね。
むしろ
鰹節の本物じゃないのって
江戸を中心とした鰹節の流通
どんな味だったのね。
だから鰹の偽物じゃなくて
鯖節とかイリコとか
さっき言いましたけど
違う魚の安いやつがあるから
そっちを使ってるんですね。
そういうことか。今考えると別に
イリコでも美味しいと思うんだけどね。
そうだね。
例えば江戸湾近郊でも
魚は獲ってましたし
ニボシですよね。
津久谷の源流になってたりしますからね。
そうか。
例えば静岡県で有名なところだと
沼津かな。
沼津?
あの辺はよく鯖節とかを作ってたらしいですよ。
ああそうなんだ。
結構全国に鯖節とか
鳥魚王ですよね。
ああいう文化はあります。
そうなんだね。鯖節の文化は
ちょっとわかんないんだけど。
鯖節が高すぎるんで当時。
だから
安い鯖節の方が一般流通する。
ああまあね。
でも駿河湾はさ
結構鯖が上がるっていうじゃん。
はい。かなり多いですね。
多いだよね。他の県の
鯖の状況ってあんま知らないよね。
瀬戸内海とかはさ石鯖とか言うからさ
知ってるけど他のところで
鯖の出汁を使う
っていうのはあんま
知らなくて。
実際どうなのかな。ちょっとその辺は
いずれ鰹節出汁編をやるので
シリーズでやろうと思ってますけど
ちなみに
めっちゃ脱線しますよ。
静岡県掛川市ここですよね。
鯖節の使用や蕎麦つゆの話題
ここの
昔から食べられてる地元料理
とろろ汁ありますね。
ああとろろ汁あるね。
僕ら芋汁っていう風に聞かされますけど
掛川の芋汁の
最大の特徴は何ですか。
鯖節が入っている。
そうなんですよ。
これは都会じゃ鯖じゃなくて
他のもの使ったかもわからないですけど
田舎町だから逆に
鯖節なんですよね。
これは駿河湾、東東美の国で
普通に鯖獲れるんで。
で、有名な京都ほどではないですけど
鯖街道的なものがやっぱり
あってですね。
駿河湾まで森町まで
鯖が運ばれていたと。
鯖ってでも正直
出汁だったのか
鯖の身をそのまま入れていたのか
ちょっと俺知らないんだよね、その芋汁に。
それね、調べても文献が
あんまり出てこないんだけど
両方あったかもしれないね。
近いからね、すごく。
すぐそこだもんね、上がるところが。
それも梅干とか
カビ付けとかしてない可能性も高いですから。
ただの煮干し。
だとすると
煮干しだったら
お味噌汁がそうですけどね。
出汁として入り込む。
そのまま入れっぱなしにして
そのまま食べるケースもあるわけじゃないですか。
僕はだいたいそっちですけど。
食べるよね。家だったらもったいないし。
もったいないから。
そりゃ鯖節でも同じことするんじゃないですか。
まあするよね。
そんな感じだと思いますよ。
食べないという選択肢がするんだったら多分
鰹節使ってるもんね。
もうだいぶ贅沢やけどね。
贅沢だけど。
これが基本的な出汁のベースですね。
コブは今回やりません。
それやったら違うシリーズになっていくんで。
コブね。
ここで
切ろうかどうしようかってところなんですが
どうします?この後蕎麦つゆの話なんですよ。
ここからが本番なんですけど。
あと
じゃあ
1日で出すかもしれないけど
一応話的には食いとこうか。
食いときますか。一旦
蕎麦つゆの土台の出汁の部分ね。
鰹節の話。
じゃあこの後
つゆを蕎麦ではなくて
つゆやりますか。
じゃあ今回はこの辺で
終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
お待ちしてまーす。
32:07

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