1. 食の未来を冒険する たべものフォレスト
  2. #10 海野 慧さん 後編(Sustai..
2024-02-16 41:18

#10 海野 慧さん 後編(Sustainable Food Asia 株式会社 )

収録日:2023年7月23日 収録場所:東京ポートシティ竹芝 1階ロビー


▼出演:----- ● 海野 慧 (Sustainable Food Asia 株式会社 CEO) ⁠⁠https://sustainablefoodasia.com/⁠⁠ ●武藤 太郎 (掛茶料理むとう 代表取締役 / たべものラジオ) ⁠⁠⁠https://twitter.com/taro_muto⁠⁠⁠ ●武藤 拓郎 (掛茶料理むとう 副代表 / たべものラジオ) ⁠⁠https://twitter.com/taberaditaku⁠⁠⁠  ——— 【お知らせ 】 ▼番組への出演お申し込み ⁠⁠ https://forest.tabemonoradio.com/moushikomi/ ▼メインポッドキャスト: 食を面白く学ぶ たべものラジオ ⁠⁠⁠⁠https://tabemonoradio.com/prf⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/tabemonoRADIO⁠⁠ ▼店舗: 掛茶料理むとう⁠ ⁠⁠⁠https://kacha-muto.com

サマリー

海野さんは過去や経歴について話し、彼がインターネット業界に興味を持ち、インターネットを活用して社会課題を解決するビジネスを始めた経緯を紹介しています。彼は手探りで始めたこともあります。現在はカンファレンスの運営も行っており、ビジョン実現に向けて取り組んでいます。海野さんは駆け出しの起業家ですが、アメリカやマレーシアで食材の可能性に出会い、新しい加工技術を使って地産地消の取り組みをしています。彼の行動力と人との繋がりが彼の取り組みを支えています。アジアの食文化における持続可能な食育にも取り組んでいる海野さんは、技術ブログの有効性が高まっている中で活動しています。

海野 慧の経歴
はい、では後半です。後半も Sustainable Food Asia 株式会社の海野 慧さんにお越しいただいています。
はい、引き続きお話を伺っていきますが、もうね、急遽レックボタン押しましたよね。
あの、休憩時間の話がどんどんおもろくなってくるんですよ、この人。
もったいないから、もう回そうみたいな。
すみません。ちょっと、はい、ぜひ回させてください。
そして、ちょっと前半ね、少しトーンが下がってんちゃうかとご指摘いただいたんで、
なんかちょっとあの、すみません、公開収録ならぬ公開処刑とおっしゃってましたけど、
あの、すごい、結構周りにね、意外と人いるんですよね。
普通の通勤の方がお帰りの方、一人撮ってますからね。
なんで、ちょっと多分、遠慮してたんですね。
なりますよ。
やめます。はい、大丈夫です。
逆抜きの方がよかったですけど、僕は全然後ろなんで気にならないですが。
全然大丈夫です。もう何も見えないです。
はい、大丈夫です。
じゃあ、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで。
はい、ということで、後半は、ご本人のね、過去とか経歴とか、いろいろねほりほほり。
ありがとうございます。
質問していきたいなと思います。
なんでも聞いてください。
ちなみに、生まれはぐらいからですか?
生まれは、あの、日本で。
広い、広い、広い。
アジア人が言う感じ。
地球生まれなんですよ、地球の。
あの、東京都。
あの、確か、ちょっとあんまり覚えてないですけど、多分、日野の方とかだったんですよね。
なんでかって言うと、3歳でもう、実はスイスに行きまして。
おっと。
急にグログロ来た。
3歳でスイスに行きまして。
で、4歳から8歳、7歳ぐらいまで、8歳ぐらいまでアメリカにいまして。
もう、その頃からなんか、ちょっと旅行じゃないけど。
いや、あの、そうなんですよ。おかげさまで。
なんであの、初恋の女の子は、エリザベスって言う。
エリザベス。
おい、なんか名前だけでもキレっぽい。
はい、あの、ちょっと今滑っちゃったんですけど。
本来なら一笑い取りに行きたいところって言う。
はい、そんなところなんですが。
なんでその3歳の時とかは、まあ、さすがにちょっと記憶ほとんどなくてですね。
レマンコっていう、世界一高い噴水がある湖があるところの近くだったらしいんですけど。
そこで、白鳥に餌あげてて指噛まれて大泣きした記憶だけはあります。
ピンポイント。
相当衝撃だった。
こいつ俺、餌あげてるのに噛みよったってなって。
3歳ながら激烈に衝撃だった。
3歳からしたら白鳥結構デカいからね。
背丈ぐらいあるから首が。
で、なぜかその場所がスイスっていうだけでオシャンティーに聞こえるからなんか腹立つんよこれ。
上野公園ではないっていう。
あの、うちの裏の池でもないから。
うちの裏の池カモきますけどね。
ちょっと格が違った。
鳥で争うな。
白鳥対カモ。
カモの方が食ったらうまいけど。
そうですね。間違いない。
食につなげるな。
どうでもいい張り合い。
そこから日本に帰ってきて、
ずっと中高は東京で、
インターネットの可能性
大学から実は京都に行きまして、
京都の立命館っていう学校に、
国際関係学部という学部があるんですけど、
そこの学部に行きたいなと思って、
そこに行きまして。
なんでそこなのっていうところで行くと、
高校生の時に大学進学するっていうのはある程度、
親の敷かれたレールで行くしかない、
みたいな感じなのが若干あったんですけど。
でもどこに行きたいかっていうのがなかったんですよね。
法学部があるとか経済学部があるとか言われても、
ピンとこーへんなと。
別に弁護士?みたいな。
弁護士?
経済学部行くって何すんの?みたいな。
経営学部って言われても、
当時会社とか企業とかも全くわからない中で、
何すんの?経営学部。経営って何?みたいな。
上手いの?それぐらいな感じだった。
いや、わからんなと思ってた時に、
何しよう?何しよう?何しよう?と思って。
でもみんななんとなく、とりあえず、
都内の学校だったんで、
とりあえず第一志望は、総経の小学部でしょ。
なんで?って言うと、
偏差値が一番そこが低いからだ、みたいな。
わすな経営行ければ何でもいい、みたいな。
そういうのがあんまりピンとこなくて、
どうしようかなと思った時に、
世界がもし100人の村だったらっていう絵本がありました。
それに出会ったんですよね。
その時に、私さっきのお話の通り、
アメリカにも住んでたので、
ちっちゃい頃ですけど、
なんとなく海外知ってて、
日本に帰ってきて日本も知ってるっていう、
なんとなくそんなつもりでいたんですよ。
なんですけど、そこの本を見たら、
どうやら僕が知ってると思ってた海外含めた日本は、
100分の1らしいと。
だから、99は全然知らない世界があって、
めちゃめちゃ食べるに困る人もいれば、
こういう人もいてっていうのが、
ある種すごく抽象化されて見せられた時に、
全然世界のこと知らないんだなっていうふうに思ったのと、
ありがたいことにすごく恵まれた環境に、
食べるに困って明日死ぬみたいな、
そういう状況に遭遇しなかった僕は、
ラッキーなので、
なんかしたほうがいいんじゃないかっていうのに駆られて、
国際協力開発とか、
そういう分野に興味を持って、
それでその大学、
そういうことが勉強できる学部に行こうと思って、
そっちに進学をしたんです。
なんで、当時でいうと、
国際関係学部っていう学部自体が、
まだあんまりなくて、
私、3年大学入学で2007年卒なんですけど、
当時でいうと本当にICUか、
立命の国際関係かみたいな、
ただ、いわゆる協力開発とか、
開発経済学みたいなことを謳ってるのって、
その立命しかあんまりなくて、
東大とかは例外かもしれないですけど、
国立行けるのは早々に諦めちゃったんで、
私立で探してるとそこが一番力を入れてる大学学部だったんで、
そこ行こうと思って、
ちょっと飛び込んでみたっていうのがあったので、
大学4年間は京都で過ごした。
あとは1年間そこからまたオーストラリアに留学したりとか、
そういうのはあったんですけど。
その時の思いが今に繋がっていくみたいな。
そうなんですよ。
だから高校生の時はそれこそ将来NGOで働こうとか、
まだ何もわからないんで、
そういうところで働こうみたいなことを何となく思ってたんですけど、
ただやっぱ大学生活でいろいろ勉強していったりとか、
そういう活動とかに関わっていくと、
それの良し悪しも見えてくるというか、
やっぱりすごく意義深いところもあるけど、
やっぱり限界も感じたしとかっていうのをやっていって、
かつすごいこれは端的に言っちゃうと、
そういった比喩理事組織って結構、
ごめんなさい、あえて平たく言っちゃうと、
生活していくのも結構そんな大企業に就職して、
障害賃金とか考えたら結構大変だったりするシーンで、
こう垣間見て、
なんでそこまでやれる覚悟あんのかな、
自分って思った時に、
多分どっか無意識的に萎縮しちゃってたところもあったと思うんですよね。
だけどそれもそうだし、
そこに萎縮しちゃったのと、
その限界も感じたのと、
どうしたらいいんだろうな、
もやもやもや、
このまま普通に就職していくのか、
もやもや、みたいなことをしていた時に、
社会課題の解決
出会ったのが実はインターネットっていう業界であり存在で、
当時、これ超余談なんですけど、
フェイスブックの創業者のマーク・ザッカーバーグと、
僕同い年なんですよ。
なんなら誕生日も一緒なんですよ。
どうでもいいんですけど。
僕当時大学生の時に、
ハーバードの友人が、
まさにフェイスブックっていうのが今学校で流行ってんだよっていうのを、
彼がハーバードのやつが京都に遊びに来てくれた時に、
うちに泊まってガチャガチャ話した時に、
当時インターネットに興味があるんだって話をしたら、
こういうのが今アメリカでは流行ってるぞって教えてくれたっていうぐらいのリアルタイム感だったんですけど、
当時はそれこそグーグルとかフェイスブックとかがすごく伸び盛り。
グーグルとかも大学の論文検索でよく使われるみたいなことが言われてたぐらいの時期で、
まだ検索エンジンっていうもの自体もそんなに爆発してない時代だったんですよね。
っていう中でそれがすごく伸びていって、
情報の非対称性がどんどんなくなっていって、
インターネットがゲームチェンジを起こしてるっていうのをすごく肌身でなんとなく感じ始めてたんですね。
さらに言うと、セカンドライフっていうですね、
今で言うVRの世界の走りみたいなのが、
当時2006年とか7年とかそれぐらいに出たんですけども、
パソコンのスペックがめちゃくちゃ高くないとすぐ止まるっていうので、
当時ケージ版とかでしたっけ?
DBSとかね。
ガチャガチャ言ってたあの時代なんですけど、
そのセカンドライフが結構僕の中で大きいきっかけだったのが、
あの世界でお金を稼ぐっていうのができたんですよね。
例えば家を建ててそれを売るとお金が入るみたいなのがあったんですけど、
それって例えばアメリカの子供が、
じゃあその10リンデンドル稼ぐ。
じゃあカンボジアの子供がそれを10リンデンドル稼ぐってあったときに、
しかもそのサービスって米ドルと交換ができるっていう、
当時仕組みがひもづいてたんですよ。
そこで稼いだお金を米ドルでコインを買えて、
コインもまた米ドルに変えられる。
それって今ので言うと、
じゃあアメリカの子供がなんかやったら、
ちょっとなんかおやつ代稼げたみたいなことが、
同じことをカンボジアの子がしたら、
要はもう1週間分の家族の生活費になったってなるって思ったんですよね。
これはやっぱり既存の、
僕らが当たり前だと思ってる為替とか通貨価値とか、
いろんなものがやっぱり社会システム上グワングワン動いてて、
ゼロにリセットするって相当難しい中で、
全然違うレイヤーでインターネットでプラットフォーム作っちゃったら、
本当にいわゆる自由取引というか、
そういう世界観が作れるの。
だからよく僕らって海外、アジアとか旅行すると、
ああいろいろ安いわねとか、
先にちなみにどんどん安くなくなってきてるんですけど、
アジアは安いし、安い賃金がとか労働力がみたいな議論って、
結構長いことされてきたと思うんですけど、
なんかそれって当たり前だと思うけど、
なんで同じ人が同じことをして、
片家30万円受け取れる人と、
例えばベトナムって新卒初任給って、
大卒でもだいたい3から5万円って言われるんですけど、
なんかおかしいじゃないですか、なんとなく。
だけどそういうのがインターネットだと、
全然違うリセットの世界でやれるんだなっていうのに、
すごく関心を持って、
社会課題の解決をネットとビジネスを使ったら、
もうちょっとうまくできるんじゃないかと思って、
インターネットベンチャーに入ったっていうのが、
もともと大学生からネットベンチャーに入るっていう、
実はそういう経緯があって、
そこから12年間、
次元という会社で、
上場までの6年間と、
上場してからの6年間の、
計12年お仕事させてもらって、
ちょうどエトモ一周したんで、
それをやめて、自分の会社を作るっていう、
そういう流れで、だいぶすっ飛ばしちゃったんですけど。
だいぶ飛びましたけどね。
後半の社会事務部は割と一瞬で終わりました。
最初に作った会社って、
今の会社じゃないですよね。
そうなんですよ。
最初に作った会社は、
前職を退職してから、
カルペディウムという会社を作りまして、
そこで社会課題を、
事業で解決するみたいなことをコンセプトに、
どうやったらそういうのをアクセラレートできるかっていうのを、
ビジョンの実現
いろいろ本当に手探りで始めたっていうのがあります。
なので、大きいところでいくと、
今やってるのは、
さっきサスネナブルフードキャンプっていう、
アジアでカンファレンスやってますってお話ししたんですけど、
実は日本でもいろんな地域、
例えば今年は来週、実は来週なんですけど、
宮崎で社会起業家の方と、
大企業のそういった社会課題×事業開発みたいなのに興味ある方、
あとはベンチャーキャピタルさんとか、
そういうファイナンス周りの方とか、
あとはNPOとか、
そういったいろんなプレイヤーを集めた、
150人くらい集めた、
カンファレンスの運営とかもしてまして、
そこでみんなで1泊2日合宿をして、
お互いがどういうビジョンを実現していきたいのかっていうところを、
お互いが後押ししあったりとか、
協力しあったりとか、
それでそのビジョン実現、
どんどん1歩でも2歩でも近づけていくっていうことをコンセプトにした、
そういう場作りとかもやらせていただいていて、
そこはちなみに、
本人さんたちも大好きなコテンラジオのコテンのりゅうですけど、
ボーダレスジャパンという、
社会課題解決の授業しかやらないイデアを決めてらっしゃるボーダレスさんと、
一緒に3社でそういう企画をさせていただいたりとかしていて、
ソーシャルビジネスっていうもののコミュニティみたいなのって、
まだあんまりないなと思っていて、
そういったものをある種作っていくことで、
どんどんこの志のある方々が、
ある種仲間をたくさん携えて、
一緒に課題解決だったりとか、
理想の世界を実現していくっていうところをやっていこうという、
そんなことをやらせていただいて感じています。
今の会社の前からどちらかというと、
ソーシャルベンチャー的な動きの方が先なんですね。
そうです。
結構ここ実は前後してるんですけれども、
前職をそれで辞めて、
まず始めたのは、
経営者の方向けのコーチングとか、
組織開発とか事業のアドバイザリーとか、
そういうのをまず始めたんですけど、
一方で何か自分でもちょっとドメインを決めて、
事業をしたいなっていうのも考えていたんですね。
その時に何がいいかなっていうのを辞めた後に、
それこそビヨンドミートのIPOのニュースを、
たまたまネットで見かけたんですよ。
アメリカで代替肉の会社が上場しましたと。
なんかいろいろこう記事とかを見てると、
脱炭素の話だったりとかそういうのが出ていたんですね。
で、なんじゃこりゃと思ったんですよ。
IPOというと、私も前職はインターネットのメディアの会社で、
上場一応日本では経験させていただいてたんですけど、
いわゆるインターネットのスタートアップが上場して、
なんかすごい時価総額ついてっていうのは見てきましたと。
ただそこは代替肉の会社なのに、
当時5000億ぐらいの市場、
今いろいろ株価大変になってますけど、
当時でいうとそれぐらいまでなってて、
なんじゃこりゃってなったんですよ。
通常どのぐらいなんですか?
通常っていうのは難しいんですけど、
全国の業態あると思うんですけど。
変な話、1000億の時価総額がつくって、
それだけでも未上場で1000億つくとユニコーンって言われるように、
やっぱりこれはすごいよねっていうクライテリアの一個なんですよね、
基準の一つなんですけど、
上場後でその何千億っていくって、
例えば今の当初のプライム市場っていう、
旧当初一部プライム市場でも、
多分1000億超えてる会社って、
そんなめちゃめちゃ多いかって言ったら、
トヨタさんとかそういう大企業はもちろんにしても、
新興系だとそんなにめちゃめちゃ多くはないんですよね。
っていう中で、
なんでそんな疑似肉の会社がそんなに評価されてるんだ、
みたいなことも含めてすごい気になったっていうのが実はあります。
商材として得意な感じしますもんね。
何これ、なんでこれがこんなになってるの。
そうなんですよ。
すごいそれにびっくりしたんですよね。
かつその時に、
さっき大学の話をしたと思うんですけど、
実は大学の入学試験でAO入試っていうのがあるんですね。
その時に僕実は実名官の国際関係学部のAO入試を受験したんですよ。
その時の入試を書類選考を通って、
現地で小論文と面接の試験が京都であったんですけど、
その時のお題がまさに、当時2002年とかですよ。
まさにこの中国の中間所得者層が増えることによる、
食肉の比率の増加とボリュームの増加が、
要はメタンガス、牛さんが大量に必要として、
メタンガスの発生が多くなって環境課題に影響する。
これをどうするのかっていうお題だったんですよ。
食肉の課題
最先端だね。
社会全体がそっちにメディアとかが行くのって、
そっから10年ぐらい経ったんですよね。
そうなんですよ。
でも当時それ実はNHKスペシャルの番組の一部を見せられて、
見せられた後でそれについて小論と面接をするっていう課題だったんですね。
ちなみにその試験は落ちたって一般ニュースで入り直したんですけど、
本当に一握りしか買えなかった。
ダメだったんですけど。
でも平たく言うと、わからんなって思ったんですよ。
だって美味しいものを食べたいから食べてるっていう行為って、
別に悪いことでも失礼なことでもないじゃないですか。
でもそれをしてることによる、こういう副産物的な影響が出ている。
どうすんねんって言われても、
それどうすんねんって中国に言う前に、
日本とアメリカまずどうすんねんって話し合おうと思って。
だけど日本とアメリカが何もしないのに、
後からどんどん成長したいとか、
いい食べ物食べたいっていう人たちにやめなさいっていうのは岡戸違い。
じゃあ自分たちが原始的な生活に戻るかって言ったら、
多分戻れない。やっぱりこれ不可逆だと思うんですよね。
えー、わかんねえなって思ってたんですよ。
これは食に限らず、経済発展による環境問題とかそういうことを全般に言えることなんですけど、
結構これはやっぱり難しくて、もうわかんないなって。
ちょっと半分なんかこう、頭の片隅でわかんねえってなってたんですよ。
で、その時にそのビヨンドミートのIPOとその評価額を見て、
そういうことかって思ったんですよ。
なるほど。そこでバチンっていったわけですね。
そうなんですよ。
なんで、こういう食のアップデートが、
やっぱり今って、例えば二酸化炭素の排出課題っていうのも、
食と農業、アグリを足すとだいぶ上位の方に排出要因の中に入ってくるんですけど、
なんかそういうところって、
全然こんな手元のテクノロジーで何か食べるものをアップデートすることができたら、
それだけでなんか変わるかもしれない。
しかもやっぱり食べるって人口80億人いたら、
ほとんどの人たちがやっぱり避けては通れない何らかの事象であり、
その80億人の何パーセントかの習慣がちょっと変わるだけでも、
もしかしたらすごいインパクトを起こすかもしれないと思うんで。
これはなんか事業で課題解決するっていうことを考えた中で、
食っていうフィールドはめちゃめちゃいろんな課題を、
それこそ食ってやっぱり貧困の問題とか、
健康・栄養の問題とか、環境の問題とか、
いろんなものを一度に解決できる中心に来るものの一つなんじゃないかなと思って、
食はなんかそういう可能性があるんじゃないかと思って、
大体肉のことを調べ始めたっていうのが当時だったんですよ。
なるほどね、そういうことか。
ちょっと例えは悪いですけど、
食のアップデート
例えばバンドを組ませるためのプロデューサー的なことをやって、
そのためのイベントとかやってたら、
俺ちょっと演奏しようかなみたいに、
僕は最初感じたんですけど、そんな浅くなかった。
そうじゃなくて、さらにもっと突っ込んでいって、
本気でゴリって入ってった感じですよね。
そうですね。
で、実はその時に、僕インターネット業界にいたんで、
全然その食品のこととか、右も左も当然わからないわけですよ。
大体肉って言っても、まだ当時ビョンドミートも出たぐらいで、
マーケットもなかったんで、
日本でも多分知ってる人ほとんどまだいないぐらいの頃合いだったと思うんですね。
どうしようかなと思って、とにかくでもそういうことやりたいんですっていうのを、
なんとなく片っ端からいろんな人に話しかけに行って、
話をしに行ってたら、
とある電通さんでそういうプロジェクト、
フード系のプロジェクトに携わっている方に、
ちょっとこれこれ、こういうのやりたいんですけど、
話をしたら、
それが実はSKSのコミュニティとかに入ってらっしゃる坂木さんだったんですけど、
坂木さんとはボーダレス、さっきの話にも出た、
ボーダレスジャパンさんがやられてる、
ボーダレスアカデミーという社会企業化養成塾のメンターを
一緒にやらせていただいてたと実は繋がりがあって、
そういえば坂木さんフードテックやってたなと思って、
こういうの大体肉やりたいんですよって言ったら、
大体肉そのものにめっちゃ詳しいわけじゃないんだけど、
今度ちょっとそっち系の人たちみんなで忘年会やるから来るって言ってくれたんですよ。
マジですか?行きたいですって言って、
行ったのがその2019年末のコロナ前の忘年会、
もう多分久しぶり、もう最後の忘年会ですよね、2019年末がある種。
その忘年会に行って、
当時さっきお話したみたいに僕は全職でベトナムに住んでたっていうのもあって、
すごいアジアの可能性を感じてたっていうところもあり、
日本でその大体肉っていうものが流行る神社は、
あんまりイメージ当時つかなかったんですよね。
大豆ミートあるけど、なんかすごい流行ってるイメージあんまり持てないな、
よりかは例えばマレーシアとかみたいな、
宗教的な制約が一定あったりするようなところで、
そういうマーケット、やっぱ当時ハラルのこと思ったんですけど、
ハラルのマーケットみたいなところで、
どんどんこの世界でイスラムの人たちも増えていく、
こういう市場をアジア発で作っていこうが、
ポテンシャルマネーション面白いんじゃないかって、
なんとなくぼんやり仮説を持ってて、
その忘年会に呼んでもらって、
すいません、ちょっとこういうことやりたいんですっていうのを言って、
マレーシアとかでこういうことできないかなと思ってるんですって言ったら、
ある人が、それだったらこの人に話してみるといいよって紹介してくれたのが、
その場にいた塚田さんだったんです。
来た、アリバネス塚田さん。
ここで繋がるんだ。
第1回ゲスト。
ああ、そういうことか。
で、そしたら塚田さんが、
忘年会だったんでご飯もぐもぐ食べながら、
それだったら、そういう会社マレーシアにあるんで、
行ってみたらいいんじゃないですかねっていう話を。
言ってる言ってる。
してくれて。
で、そうなんですかって言ったら、
来週僕らそういうイベントやるんでって言って、
その忘年会の翌週の週末に、
リバネスさんがマレーシアのスタートアップを集めたイベントをやられるというところで、
分かりました。ちょっと行きますって言ってその場でチケット取って、
マレーシアに行ったんですよ。
で、そこでリバネスのグループの代表の丸さんとか、
そういった方々にお会いできて、
実際今のジャック・ルーツのやってる会社の社長にも会えて、
その場で、俺日本から来たんだけど、
こういうの興味持ってるんだけど、ちょっと見せてほしいっていうのをお願いして、
で、彼が分かった。俺のレストラン来いって言って、
ベーンって車に乗せて行ってくれて、
レストランだ!って連れてこられたのが、
屋台のテキ屋よりもよっぽどボロボロな感じの屋台みたいな、
おー!レストラン!これがレストラン!みたいな。
海野さんの起業の始まり
で、彼もまだすごい研究家派やつは5年ぐらい頑張ってたんですけど、
事業自体は本当に最近始めたばっかりで、
ほんと駆け出しの駆け出しっていうところだったんですね。
で、そんな駆け出し感満載なのに、
もう僕笑っちゃって、本当にドベンチャーやん!みたいな。
でもなんか、やっぱりそういうところに結構長くいたからか、
それを見たら、面白そうだよなって思って。
だって、僕も初めてジャックフルーツって言われて、何か分かんなかったんですよ。
ジャック!ジャック!って言われて、誰のことだ!みたいな。
たしかに、名前かと思う。
誰のことだ!と思ったら、果物?みたいな。なんぞ?みたいな。
どういうこと?みたいになって、で、食べてみたら、
なんか、意外といけるかもしれない。
うわ!まずい!とかじゃなかったんですよ。
で、そのちょうどマレーシアに行く直前に、僕実はアメリカにも行ったんですよ。
で、アメリカに行って、当時そのビヨンドミート食べたことなかったんで、
ビヨンドミートとインポッシブルフードズがやっぱり二大挙動だったんで、
やっぱりもうこれ食わんことにはじまらんやろ!と思って。
そうですね。
とりあえずもう行こう!と思って。
食べるためだけに行ったんですよ。
すげえな!この行動力。
で、西海岸はやっぱりテックの街だし、なんかいろいろ流行ってるのが分かる。
東はどうだ?と思って、あえて東に行ったんですよ。
ニューヨークとかに出てたら、その人たちはどう受け取ってるのかっていうのを知りたくて、
住んでる友達とか、あ、そうだ、それこそさっきフェイスブックを教えてくれたハーバードの友達とかがニューヨークにいたんで、
彼らとかそういう友達とかに会いに行って、どうなの?っていうのを聞きながら、
実際いろんなレストランで食べたんですけど、
もう、インポッシブルビヨンドめっちゃおいしいと思ったんですよ。
だけどそれ以外の、もう代替肉という代替肉を、
それこそブワーって向こうの高級スーパーで買って棚買いして、
あんな棚買いしたの人生で後にも先にもあれぐらいだと思うんですけど、
全部スーツケース詰めて、日本持って帰って一個ずつ勝利して食べたんですけど、
もう死ぬほどまずかったんですよ、当時。
あのー、僕絶対ご飯残さない人なんですけど、
ほんとごめんなさいって言いながら捨てるしかないぐらい食べれなかったものがあったんです。
でもちなみに今またおいしくなって、
今年やっぱアメリカ行って、いろいろまた食べてみたら、
すごいやっぱりおいしくなって、それはそれでめっちゃ焦りを感じたんですけど、
当時はほんとおいしくなかったんですよ。
で、やっぱりそういうのはまずくて当然ぐらいのコンセンサスもあった。
現地の人に聞くと、そういうもんだよねみたいなぐらいの感じで、
あんまりコンシャスもないというか、あんま気にもかけないみたいな感じだったんですけど、
っていうのもあって、それの直後にマレーシアでそれを食べたら、
いけんじゃんってなった。
そういうことか、確かに。
あれに比べたら全然うまいよみたいな。
あー、なるほどね。
はいはいはい。
あー、そういうことか。
っていう感じもあった。
もちろん、インポッシブルとかに比べたらまだまだジューシーさとかなんですけど、
薄いパテでいろいろケチャップとかやって、パテで挟んじゃったら、
ファーストフードチェーンとかにあるようなハンバーガーのスタイルだったら全然わかんない。
ただ、わっついわっついお肉の厚さ何センチみたいな、
ああいう感じでちょっとわかんないですけど、
なるほど。
いけるんじゃないか。
だから、改善していけばいろいろできるんじゃないかなって当時思って、
それで、よし、なんか一緒にやろう。
要はあれですよね、大体肉っていうカテゴリーの中でいくと、
スタートしたばっかりの新素材だけど、ポテンシャルめっちゃありそうみたいな。
ああ、そうですそうです。
なんかあるんじゃないかっていう気が、すいません、その当時はほんとただの勘です。
でも、その後、よし、やろうって決めてからいろいろ調べてたら、
あ、意外とめっちゃとれるし、3ヶ月で20キロくらいなるし、超とれるじゃん。
しかも、インドとか、やっぱりそういう赤道直下エリアどこでもなるんですよね。
だから、アジアでもできるし、インドでもできるし、中南米でもできるし、アフリカでもできるんですよ。
赤道直下エリアだったらどこでも生育するそのジャックが、それこそインドとかだと取れすぎて、
かつ物流の課題とかもあって、すごい量廃棄されてる。
おお、なるほど。
で、やっぱ捨てられてるものが、それこそ何百億円の相当になるんじゃないかっていう計算がある種のリサーチデータが出てて、
いや、それはもったいないと。
だったら、こういう新しい加工技術を使って、それをアップサイクルして、
まるでこれからニーズがより高まってくるハンバーガーとかオークニックの、
だけど例えばインドの方とかも、採食の方が多いんですよね。
ベジタリアンの方が多分国の比率で見たら多分一番多い国だと思うんですけど、
でもそういった方も気軽に食べれるような、例えばアイテムだったりとか、
そういうものに変えていくと、今まで廃棄されちゃってたものも加工することで、
僕らがやっている加工だと、今度2年間ぐらい全然保存ができるようになったりとかもするんで、
長期で保存もできるし、新しい調理の仕方で、
いろんな方により手に取っていただける。やっぱり大衆古すぎるんで、
全然新しみもないというか、馴染みも新鮮味もないと思うんですけど、
そういう風に形を変えたら、皆さんも手に取っていただいて、
そういう新しい地産地消が埋めて、そうするとローカルの農家さんの生活も豊かになったりとか、
現地の人たちの食の選択肢も豊かになってるとか、
さっきの冒頭で言ってた健康面でもちょっと良くなったりとかっていう、
いろんなものをこの赤道直下エリアの、よく貧しいと言われているようなエリア全部でやってやったら、
ちょっとでも生活良くなるんじゃないかと。
今ちょっと聞いてて思ったのが、昔の大航海時代とかの話になっちゃうんですけど、
ジャガイモがそんな感じだったかもなってちょっと思ったんですよ。
休耕作物でもあるし、アイルランドのちょっと寒いところで貧困地域だったんだけど、
ジャガイモが育っていって、しかも栄養価高いし、兵士の食料にもなるし、
しかも割とどこでも育つんだよね。
次の可能性として、ジャガイモ化するかもしれないですよね。
そうですね。やっぱり今までだとフルーツとしての食べ方と、
そのお野菜としての食べ方っていうのがあって、
加工して長期保存といっても、ビン詰めみたいなものっていうのは確かに、
やっぱりそれはそのものなので、ちょっとそういう肉っぽいっていうとあれなんですけど、
あんまり癖もなくて、食感も残るような素材の加工っていう新しいこの加工法が、
そういう新しい選択肢を作ることにつながるんじゃないかなっていうのを、
これは感覚でなんとなく、もうよくわからんけど、せっかくここまで来たしやるぞって言った後に、
いろいろ調べていって、いけるいけるってなってたっていう。
こんなんですよね。SKSでいろんな動きされてる方って、
ずっとロジック組んでいるようでいて、最後のここだっていうタイミングだけ、
感覚でガーって掴みに行くじゃないですか。
ロジックはその当時で言うと、なかったですね。
雰囲気なんか面白そうっていう。
でもめっちゃ大事ですよね、そういうのね。
テンション上がらないとやれないこと多いよね。
そうなんですよね。結局、自分がはまらないと続けられないっていう。
それこそビジネスがさすがになっていかないっていう。
ありますよね。
そうですね。やっぱりやってみて、自分でそれを日本に持ってきて、
じゃあこういう新素材あるんですけどどうですかみたいな話をしても、
はぁーって、てんてんてんって始めはこうなるわけで、
なかなかお店で採用していただけるっていうことが、
とか会社さんで扱っていただけるっていうことが、
結構やっぱり簡単じゃないなっていうのが気が付けて分かったんです。
できたとしてもすごい時間かかるんだろうなっていうのが分かったんで、
じゃあもう自分で店やっちまえってなったっていう。
サスティナおにぎり。
そうですね。その前に一回、ブリトー屋さんを始めたんですけど。
ブリトー屋さん。
ブリトーからおむすびにピボッとしましたっていう。
なんかすげーな。バイタリティーがやっぱすごいっすね。
と、あと今日今ここまでこの話を伺っててすごく感じたのが、
行動力とかもちろんすごいなと思うんですけど、
人と繋がっていく世界を動いていく。それは物理的な世界もそうだし、
人のネットワークの中も動いていって、
点を捕まえるときにガツンと深くうがちこんで捕まってくるじゃないですか。
それをずっと渡っていくと気がついたらすげーネットワークが出来上がってるみたいな。
一つ一つの点との繋がり方が強いなって僕は感じましたね。
ありがとうございます。
僕は多分自分もそういうのが好きなんだと思うんですよね。
なんかあちこち行くのも好きですし、
そういうやっぱりいろんな面白い取り組みをしてる方々がどんなことしてるのかなっていうのを
単純にやっぱり見たり聞いたりするっていうのがすごく好きで、
この人こんなおもろいことやってんだ。
じゃあこの人のこんなおもろいこととかけたらこんなことできんちゃうかっていうのを
これはもう勝手にやっちゃうって、
マルマナさんちょっとこの人と会ってみませんかみたいな。
どんどん勝手にやっちゃうんですよ。
だからある種それを仕事にしてそういうカンファレンスを作ったりとか、
そういう場作りをやったりみたいなことをやってたりするのが
やっぱりそういうところが実はありましたね。
なんか見えてきた。
思ってもあれだよね。
思いついても形にするまで普通の人はいけないの。
あんまり。分かる?
分かるよ。大変よいあろうと思ったから。
相当。それをなんなく、なんなくではないけど、
その勢いのままやりきってしまうのかなと思って。
そうですね。でも本当にやっぱりこう、
新しい加工技術と地産地消の取り組み
一人でできることってめちゃくちゃ限られてるというか、
ほぼ何もできないと思ってるので、
やっぱりそのすごいいろんな人たちの力をちょっとずつお借りして、
もうどうにか元気玉方式でどうにかしていくっていうことしかやっぱり。
僕自身もできないですし、これやっぱりなんか人ってみんなそうだと思うんですよね。
一人だけだとなんもできないけど、チームならとか、いろんな仲間がいたらとか、
やっぱりそれがもっともっとダイナミックにスムーズに、
出来上がるような仕組み仕掛けを作るっていうのをやっぱりやりたくって。
SKSも本当にそういう場の一つだと思ってますし、
だからすごいそういう意味で田中さんたちの取り組み、僕もすごく応援したいですし、
逆に僕らの、それこそ来週のイベント、田中さんたちも来てくれたりとか、
そういうのを一緒にやっていったりとか、
そういうエコシステムって言っちゃうと大きいんですけれども、
そういうコミュニティとエコシステムっていうのが、やっぱりより良い社会を作っていく上では、
すごく大事な二つの要素だと思ってます。
これをやっぱり作っていくっていうのを、まさにこの風土の領域でもそうです。
僕らだったらそれをアジアと日本を繋いでいくっていう文脈でそうですし、
ソーシャルイシューとか、要は社会課題を解決しながらより良い世の中を作っていくっていう意味でもそうですし、
そういうことをどんどんどんどんやっていきたいなっていうのをすごく思っております。
前半の会社の事業の話、面白かったんだけど、後半のこの人物像もやべえ。
おもろい。
これ飲み出したらずっと聞いてるやつよ。
だって食べ物ラジオの方を聞いてる方からすると、
タロウが黙っとるみたいになってますよ。
すいません。ごめんなさい。
そのぐらい聞けちゃうんですよ。
面白えな。
隙間という隙間を埋めてくる感じがすごい。
海野さんの行動力と人との繋がり
すいません。
人生の意味の時間の隙間も言葉の隙間も全て埋めてくる感じが、
エンタメ感というか、こんなに人を楽しませようという感じ。
たまに滑る感じもあるけど。
絶賛、ちゃんと各所に入れております。
各所に入れて。
これあれだな、タクの編集の俯瞰上がるけど、早く世に出したい。
本当にね。
すいません。
そのままスルーで出すけどね、他のやつ。
そういうことね。
今日ね、今ここ10時なんで。
本当はもう少し聞きたいところなんですが、
たぶんね、ウインソン呼んだらまた掛川に来るから。
はい、ぜひ行きたいです。
逆にアジアとかのどっかね、国で行って。
それもいいですね。
ちょっとスポンサーついていただいて。
一緒に連れて行っていただいて、収録をね、見ながら。
やっぱほら、こんだけ近所に連れていくぐらい、行くぐらいって言ってたんで。
でもあれですよ。
マレーシアとか、LCC使ったらタイミング良ければ、
本当に往復数万円、4,5万円で行けたりするところありますよ、たまに。
僕らにはその予算が今ない。
それはスポンサーを募集して。
そうですね。
じゃあ、頑張りますか。
今日は一旦これですけど、先ほど言ったように続編もやりたいと思いますんで。
今日飲んでないしね。
そう、ちゃんと飲めるときで。
話聞いてたら絶対飲むの好きじゃないかっていう。
じゃあこれやろう。
かちゃ料理ムットのうちの厨房で、収録後か中かもわかんないですけど、
フルーツミートを持ってきていただいて、
それをビーとか酒を片手にみんなでいじくり倒すって。
いいですね。
この日本酒だったらこの味付けよくね?みたいな。
ありがとうございます。
熱いですね。
絶対楽しいよ。
それめっちゃおもろいね。
やりたいですね。
最後に一応ここから、とりあえず半年ぐらいにしましょうか。
半年間でどういった方向にいくんですか?
半年間ですか?絶妙なタイムラインですね。
じゃあ一年でもいいです。
たぶん次の収録いつになるかわかんないですけど。
そうですね。
ここからどういくのかなっていう。
ありがとうございます。
僕らとしてはさっきお話ししてたみたいに、
ジャックルーツももちろんなんですけど、
それ以外のいろんな会社さんの日本進出の支援みたいなところもそうですし、
逆に日系の会社さんでこういったアジアの土地がユニークだからユニークな素材持ってたりとか、
ユニークな技術持ってたりみたいなところが皆さんいろいろあるので、
そういったところとやっぱり日本の会社さんが一緒に新しいことやってみたいぞっていうのをどんどん形作っていきたいなと思ってるんですね。
アジアの食文化を広める
まさにこういったジャックルーツとかもそうですけれども、
日系の例えばメーカーさんだったりとかの皆様のアジアとかで新規商品とかサービス展開していくときに
じゃあそういう素材とかそういう会社と一緒に組んでやってみたら面白いんじゃないかみたいなところを
どんどん我々もご提案させていただきたいですし、
じゃあそこで一緒にこんなものを作って世に出しましょうっていう出していくっていうことを
次の半年間やっぱりどんどん事例を作っていきたいなと思ってまして、
そうすることでやっぱりこう日本の技術とか持ってるその日本の資産、いろんな資産と
やっぱりその現地の持ってるそういう素材とかないしはその技術っていうものを掛け合わせて、
やっぱりアジア初の新しい食習慣というか食文化みたいなものを作っていき、
それが世界に広まっていくことでいろんな健康だったりとか環境だったりとか、
いろんなところにやっぱりこう貧困問題とかも含めてそういった課題解決につながっていくようなことを
ぜひやっていきたいなと思ってますので、
そういう事例作りを次の半年もっともっと頑張りたいなと思ってます。
めっちゃ楽しみな話を聞かせていただきました。
早く出さなきゃダメだね。
配信が遅れるともうやっちゃったよって話になっちゃうね。
そうなっちゃうからね。
といったところでどうですか?
あそこで写真を撮ってるタカさんがいらっしゃるんで、これで締めくくりたいと思いますけども。
ありがとうございます。
撮りましたか?
はい。
ピントが合わない。
ピントが合わないと。
止まってないからじゃないですか?
ずっと動き続けてる人達だから。
マグロモードな。
マグロモードはブレるっていう。
本当にありがとうございました。
こちらこそ。
ありがとうございました。
次はもうちょっと飲んで。
ぜひ伺います。
よろしくお願いいたします。
お待ちしております。
よろしくお願いします。
本当にありがとうございました。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
41:18

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