タイムマシンという単語が普及するのはイギリスの作家H.G.Wellsによるその名もタイムマシンという小説からなんです。
こちらは1895年の小説で日本語訳も複数出ています。
名作宇宙戦争を書く3年前の小説になります。
このH.G.Wellsの宇宙戦争はトム・クルーズ主演の映画にもなっています。
Wellsのタイムマシンなのですが、この作品の中で時間は第4の次元として描かれています。
東西、東西を第1の次元、南北を第2の次元、そして上下、これは標高方向ですね。
上下を第3の次元とすると、過去未来の行き来が第4の次元となるわけです。
我々工学研究者も空間と時間を合わせて4次元空間と呼ぶことが多いのですが、
1895年にこの発想をもって作品を描き上げたということは、H.G.Wellsの想像力、やはりただものではないということになるんじゃないかなと思います。
僕は正直驚きを感じます。
繰り返しますが、アルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論を発表したのは、その10年後の1905年です。
物理学者が厳密な意味でこの世界を4次元空間と認識したのは、この特殊相対性理論以降です。
何かと説明好きなイギリス流の文学が持つ先見の銘だったのかもしれません。
もちろんスペインのアナクロノペテを描いたガスパールもそれなりの説明を試みてはいるのですが、
まあそこはそれなりな仕上がりでした。
メールでお送りしているニュースレター、スティームニュースには、このエンリケ・ガスパールの小説へのリンクも貼っていますので、気になる方は覗いてみてください。
日本で一番有名なタイムマシンといえば、ドラえもんに登場する空飛ぶ絨毯型のタイムマシンでしょうか。
この空飛ぶ絨毯というのは原型がおそらくなんですが、千夜一夜物語、これペルシャの物語ですね。
この千夜一夜物語まで遡れるかもしれません。
オリジナルの物語では空飛ぶ絨毯は空間を移動する装置だったのですが、
ドラえもんでは時間を移動する装置として描かれたわけです。
空飛ぶ絨毯のイメージは、工業化に伴って自動車のデロリアンへと受け継がれていったのかもしれません。
これはもちろん映画バック・トゥ・ザ・フューチャーのイメージです。
空飛ぶ絨毯、これ余談なのですが、小説ハリーポッターの中では、
昔は空飛ぶ絨毯も使えたんだけれどもね、政府が禁止したのよね、なんて会話がボソッと挿入されていたりもしています。
さて、もしタイムマシンに乗って過去へ遡って自分自身のご先祖を殺してしまったら、
自分自身も存在しなかったはずという矛盾を、日本語では親殺しのパラドックスと呼びます。
同じことを英語では祖父のパラドックス、グランドファーダーパラドックスという風に呼びます。
ここでのグランドファーダーというのは、祖父というよりはご先祖という意味合いに近いのかなとは思います。
このパラドックスの出出は、アメリカのSF雑誌、アメージングストーリーズに1972年に掲載された読者投稿、
フラワーズファースト、エンデンフローズ、日本語に訳すと、花があって傷もあってだと考えられるんですね。
この投稿の執筆者、おそらくは手紙で投稿したと思うんですが、1972年なので、もちろんEメールはないので手紙で投稿したと思うんですが、
その投稿者はオハイオ州クリーブランド在住のTJD氏で、僕も投稿を読んだのですが、古き良きアメリカの紳士淑女の文体で、大変上品に書かれていました。
TJD氏は、このHGウェルズのタイムマシーンについて、こういうふうに不満を述べています。
タイムマシーンによって若き日の自分自身を殺してしまうことが可能になることから、タイムマシーンが存在するというのは科学的におかしいのではないかと疑問を書いているわけですね。
ここで科学的におかしいというのはどういうことかというと、原因から結果へという因果律にループが生じる、つまり結果から原因へという流れが発生してしまうということなんです。
このような実感ループはドラえもんでも描かれています。
より平和的な例を挙げるとすると、例えば数学者がある発見をしました。その後タイムマシーンを使ってその発見を若かった頃の自分自身に伝えるというようなストーリーが考えられます。
若き数学者は未来からやってきた自分自身からその数学的発見を教わって、こういうふうに証明すればいいんだ、こういう発表すればいいんだということで数学的発見を世の中に知らしめる。
ところがその後未来から自分がやってきてその発見を教えてくれるという矛盾が生じるということですね。
これはどう考えても非科学的ではないかというのがTJDCの指摘だったわけです。
このようなタイムマシーンが引き起こす矛盾、すなわちタイムパラドックスについて小説家たちは様々なトリックあるいは言い訳を考え出しています。
例えば今話題に挙げたH.G.Wellsは1923年の作品、神々のような人々で歴史を改変した途端に平行宇宙あるいはパラレルワールドが現れるという設定を持ち込みました。
改変されていない実感軸と改変された実感軸が両方存在するという考え方で、この考え方このアイディアは映画バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズでも踏襲されています。
これいい映画ですよね。
平行宇宙の考え方の優れた点は、それが検証できないことです。
もし誰かがタイムマシーンを使って過去を書き換えたとしても、その結果別の平行宇宙が生じているとするのならば、僕たちはその宇宙について知ることができないからなんですね。
ただし、現代の科学では考慮してもしょうがないもの、考慮しても仕方ないものに関しては考慮しないという姿勢を貫いています。
なので、平行宇宙については近代科学の範疇の外側ということになります。
最もタイムトラベルを気まじめに検討している科学者たちもいます。
この発想は、物理学者の間では、もはや過去のもの、ほぼ忘れられている物語ではあるものの、
ファインマンらしいユニークな考え方として、歴史に刻まれるべきものだと、僕は考えています。
同じく、アメリカのノーベル賞物理学者・キップソンは、アルベルト・アインシュタインの理論を検討して、
タイムトラベルが可能かどうかを調べています。
彼の研究は、我々がタイムトラベル可能であることを示唆していないものの、
タイムトラベルを描いた映画、インターステラーが物理的に矛盾しないように、
この映画の科学コンサルタントと総合プロデュースを引き受けています。
とても視差に富んだ良い映画なので、ぜひリスナーの皆さんも見ていただければと思います。
インターステラー。ちょっと長いんですが、とても良い映画です。
というわけで、近代的な科学では、タイムトラベルはおそらく無理だし、
もし可能だとしても、我々は知ることができないという考え方が主流です。
ただ、タイムマシンを使って過去を見に行くことができないからといって、
我々が過去を知ることができないわけではありません。
近代的な考古学は過去のリアリティを再現することを可能にしましたし、
コンピューターシミュレーションによって、我々はまだ見ない未来をさも見てきたかのように知ることができるのです。
その意味では、未来へのタイムマシンも、我々は既に手に入れているとも言えるのではないでしょうか。
と、ここまでお話ししていて、自分自身初めて気づいたことなのですが、
僕自身はコンピューターサイエンスの研究者であり、考古学の研究者であるのですが、
ひょっとしたらタイムマシンにものすごく興味を持っている研究者なのかもしれないです。
そのルーツは子供の頃見たタイムボカンシリーズ、タイムボカンとかヤッタマンだったかもしれません。
思い当たる節があと1、2点あるにはあるんですね。
その一つが、悪役のボヤッキーが設計する今週の巨大メカですね。
ヤッタマン側はこれにびっくりドッキリメカで対抗するのですが、
どちらかというと、僕はボヤッキーが設計するメカに同情をしていました。
最近はですね、もともと僕体型がトンズラーだったのですが、徐々にボヤッキーになってきて、
ますますボヤッキーに感情を引入しているところなのですが、
そのメカを作ることが大好きというところもボヤッキーにできたんじゃないかなと思っています。
もう一つですね、これはポッドキャストでお話しするのは少し恥ずかしいことではあるのですが、
ドロンジョ様ですね。これ敵側のヒロインなのですが、
身長173センチでストレートな物言いの女性ですね。めちゃくちゃ好きです。
ひょっとしたらこの僕の女性感というものも、このタイムボカンシリーズで植え付けられてしまったのかもしれません。
このエピソードではタイムマシーン、そしてタイムトラベルについてお話をしていこうと思っていたのですが、
ひょんなことから僕自身のタイムトラベルというか、今の研究者としての立ち位置を理解えるエピソードにもなってしまいました。
ぜひお子さんをお持ちのリスナーの方は、お子さんにアニメを見させてあげてください。
というわけで、とりとめもなくエピソードをお届けしてしまったのですが、お楽しみいただけたでしょうか。
また次週もsteam.fmで皆様とお会いできることを楽しみにしております。
steam.fmのイチでした。
ご視聴ありがとうございました。