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2023-12-08 58:39

#096 芸術のわるさ コピー、パロディ、キッチュ、悪 について(東京国立近代美術館主任学芸員 成相 肇)

学芸員でもあり美術批評家でもある成相 肇さんをゲストに、書籍「芸術のわるさ コピー、パロディ、キッチュ、悪」についてお聞きしました。 ⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/096⁠ 番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。

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Guest Profile 成相 肇(なりあい はじめ)

  • 東京国立近代美術館主任研究員。美術批評家。1979年島根県生まれ。一橋大学商学部在学中に現代美術作家に出会い、19歳で初めて美術館を訪ねる。一橋大学大学院言語社会研究科修了。美術と雑種的な複製文化を混交させる企画を手がけながら、府中市美術館、東京ステーションギャラリー学芸員を経て2021年より現職。
  • 主な企画展に「石子順造的世界――美術発・マンガ経由・キッチュ行」(第24回倫雅美術奨励賞)、「ディスカバー、ディスカバー・ジャパン――「遠く」へ行きたい」、「パロディ、二重の声――日本の一九七〇年代前後左右」、「大竹伸朗展」など。

Show Notes

オープニングトーク

成相さんについて

成相さんが携わった企画展の話題

パロディの話題

成相さんの書籍について

サマリー

東京国立近代美術館では、成相肇さんをゲストに迎えたポッドキャスト番組が行われています。この番組では、美術の悪さ、コピー、パロディ、キッチュ、悪について話し合われています。キッチュは美術史で評価されないことが多いですが、入浦淳さんや鈴木京一さんなど、キッチュを面白いと考える人もいます。実際、東京国立近代美術館では、キッチュ論を扱った石子純像展が開催され、多くのキッチュな作品が展示されました。また、東京ステーションギャラリーで行われている展覧会「パロディ」についても、成相肇さんがその意義や背景について話しています。さらに、パロディに関する裁判や美術館の役割にも触れられています。東京国立近代美術館が開催した「パロディの展覧会」については、パロディの意義や現代のパロディの難しさについて話されています。パロディは笑いに結びつくこともありますが、攻撃的な意味を持つこともあります。また、最近の社会の分散化により、パロディの成立が難しくなっているとも指摘されています。このエピソードでは、東京国立近代美術館の学芸員である成相肇氏が、芸術の悪さについて話されています。また、パロディ裁判や展覧会の準備についても詳しく語られており、展覧会のメインとなるコレクション展にも触れられています。なお、美術館の展覧会は一般的に、「企画展」と呼ばれています。ぜひ皆さんもこのことを頭に入れて、ぜひとも展覧会に足を運んでみてください。

アートテラーショーの始まり
はい、アートテラーとに~のそろそろ美術の話を、この番組は、私、アートテラーとに~がアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は、東京国立近代美術館主任学芸員、美術批評家の成相肇さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
ということで、ご出演いただきありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
ご無沙汰しております、という感じで。
成相さんと結構関係性は一応ありまして、この番組で何回か言っているんですけど、僕が芸術新庁で竹竹美術部という批評の3年ぐらいやってたんですけど、
僕と伊野尾さんってイラストレーターのコンビでやってたのが終わった後に、担当されてたのが成相さんですよね。
そうですね。展覧会レビューのコーナーが、竹竹美術部は結構特殊なイラストプラス、
トークみたいな感じで、その前に学芸員とか研究者がレビューを書いてたのを1個飛んで引き継いだっていう感じ。
元に戻したみたいな。
そうですね。
いや、でも僕、竹竹美術部で、この番組何回か言ってるんですけど、デッキにあったところとかもあるんですよ。
なんか書きすぎて。僕が書きたかったわけじゃないけど、今や編集長になった高山さんが勝手に赤字修正して、僕が褒めたところ全部消したせいで、
ただただ僕がチクチクした悪い奴になって、
でも言っても僕アートテラーって活動だから、まあまあデッキになってもまあまあまあと思ってたんですけど、
その後引き継いだ成合さんが結構論調がすごかったから、すごい学芸員さんだから貸し借りも他にするだろうに、大丈夫かなと思ってヒヤヒヤしながら読んでたんですけど、あれは大丈夫だったんですか?
批判的なことを書くのが目的じゃないんですけど、これは良くないなと思ったら良くないっていうふうに書くっていうのが、それは大事なことだと思います。
大事なことなので、これは有害であると。
例えば大きい美術館が率先して良くないことをやってると、それを同じようなことをやってもいいんだとはなりかねないし、そういうことを書いたり。
警鐘鳴らしだってことですね。
まあまあ、よく言えばそうですね。
でも基本的に批判的ではなくて面白かったっていうことを書いてるんですけど、たまにこれはちょっと良くないなということがあれば気にせず書くと。
はい。
そういうスタイルでやってましたね。
それは学芸さんの中から何か言われたりしなかったんですか?
別に、よく読んでますっていうことは言われましたけど、批判したところはやっぱり、あんまり僕と接点がないというか。
出禁とかはさすがにないですけど。
本当ですか?
何か間接的に、誰かがそういうふうに書いてたねっていうふうに書いてるのを見たことがあります。
そういう感じなんですね。
いやだからすごいハートが強いなと僕は思いながら。
いやいや、むしろだから小物の自覚があるので言って許されるというか、今ちょっと肩書きが大きくなりましたけど、言われた方もどっかでその辺の小さいギャラリーっていう名前の美術館に勤めてるやつが何か言ってらんと、そんぐらいに多分思われてたと思うので、それはいいんじゃないですかね。
そう。でも今ギャラリーって言いましたけど、ギャラリーはギャラリーでも東京ステーションギャラリーですからね。
コピーとパロディについて
そうですね。
本当のギャラリーというよりは。
そうですもんね。
美術館です。
美術館です。
歴史としたところですけれども。
だから僕はステーションギャラリー時代にお会いして、展覧会ごとにいろんなお話しさせてもらってって感じだったので、今は東京国立近代美術館ですもんね。
そうです。
ちょっと簡単に自己紹介をということなので、もともとはどこからスタートしたんですか?
どこからスタートなんですかね。
美術館の学芸員としては府中市美術館という、これも都内にある東京都府中市の私立の美術館ですね。
この後にステーションギャラリーを行って。
東京ステーションギャラリーに移り、東京国立近代美術館に移ったと。
この番組だといろんな学芸員さん出ていただいて、例えば西洋美術とか現代アートとかいろんな部門を聞いてきたんですけど、成合さんって部門で言うと何になる?
部門。
ジャンルというか。
専門ってことですよね。専門はいわゆる現代ですね。戦後の日本を中心とした現代、日本の現代美術というのが一応の専門ですかね。
ですけど、今までやってきた展覧会は結構特殊なものが多い印象というか。
そうですね。
これ成合さんの展覧会だなってなんとなくわかるという、カラーがすごいはっきりしてる印象があるんですけど、ステーションギャラリーで言うとディスカバージャパンを取り上げた。
ディスカバージャパンというね。
展覧会。それからパロディ二重の声。日本の1970年代前後左右って展覧会ですね。これは結構二大巨頭的な感じでやっておりました。
二大巨頭。
二大巨頭。
ステーションギャラリー時代のっていう。他のもいろいろ千尋展とかいろいろやったの?
いわさき千尋展をやったり、上田商事展をやったり、モランディ展をやったり、いろいろいろです。学芸員ってそんなもんで。
うん。
だからここに、自分のプロフィールに載せている代表的なものっていうのは、一から自分で組み立てた、企画したものっていうことで入ってる。
今回、なりあいさんが書籍を出版されたということで、それも踏まえて今回ちょっとオファーしたわけですけれども。
ありがとうございます。
その書籍が芸術の悪さ、コピー、パロディ、吉中、悪という展覧会ということで、だからこのパロディ二重の声ってのときもパロディされてたので、なんか通ずるんだなと思ってちょっと。
はい。
なんか懐かしいなと僕は思ってますけど。
はい。
そもそもじゃあまずどういう本なのかっていうのを簡単に教えてもらっていいですか。
はい。
ぜひトニーさんにもお買い求めいただきたいんですけれども。
はいはい。
成相肇さんの展覧会とキッチュ
今までいろんな展覧会のカタログに論文として載せたものだとか、評論で外で頼まれて書いたものなんかを集めて、あと書き下ろしも加えて作った本です。
うん。
そのテーマがパロディってことなんですか。
テーマがパロディではないです。
芸術の悪さってだからなかなかありそうでなかったタイトルというか。
ありそうですか。
いや分かんないですけど、悪さってなんすかみたいな。
それはぜひ読んでいただきたいんですけれど、後書きだけでも簡単に書店で立ち読みしていただければその辺り書いてあるんですけれど、芸術の悪さを端的に言うのはちょっと難しいんですが。
はいはいはい。
主にコピー、パロディ、キッチュ、悪っていうふうにサブタイトルつけてますが、僕の今まで研究したり調べ物したりしてきたことのほとんどが複製芸術というか、複製技術に関わるもので、コピー、写真、絵本、あるいは広告、そういったものが多かったんですね。
うんうん。
そういったものを集めた本なんですよ。
うんうん。
それでどうしても複製されたものっていうと、オリジナルに対して二次的なもので、二次的なものは価値も二次的であるというふうに思われることが多いので、それを一つ悪さということに含めてます。
うんうん。
取るに足らないものだとか、正当だと思われ難いものということで悪さという意味があります。
うんうん。
そういう意味を含めているのと、あと僕が調べているのは主にアバンギャルドって言われる、いろんなことをやる人たちですけれど、基本的に言うこと聞かないというか、
アバンギャルドですからね。
そう、きて破りなことをするっていう人たちが多いんですね。それはかなりストレートに悪さですね。
うんうんうん。
良い、善悪で言えば、善に対して対抗するだとか、反発するようなことをやってきた人たちですね。
うんうん。
そういったことをやってきた人たちが研究の対象でもあるので、そういった論も入っているので、悪さとしていたり。
うんうん。
いろんな意味を含めて、幅広くあるひとまとまりの僕の文章を集めたときに、悪さという言葉が一番しっくりくるだろうと思って付けたんですね。
うんうん。
その複製芸術とかに、美術とかに興味を持ったきっかけとかってあるんですか?
複製芸術に興味を持ったきっかけっていうのは、何でしょう。
うん。
いや、後々見てみると、複製に関しての調べたり研究したことが多いなっていうぐらいなもので、きっかけは難しいですね。
うんうん。
今は、府中市美術館に勤めていたときに企画した、石子純三的世界っていう展覧会がありまして、この石子純三さんがキッチュっていう言葉を日本に紹介した人なんですよ。
評論家で、美術評論も書くし、並行して漫画の評論も書くし、それとキッチュって言われるような、今キッチュって言いますよね。
通信。
なんとなくニュアンスは分かるような、やっぱ分かんない。
うんうん。
キッチュって言うと、僕はちょっとだけ知ってたのは、松尾隆さん。
あー、それはゲーム名で。いや、それはもっと分かんなくなる。
が、キッチュって言われてたなって印象ですよね。
言われて、そう、自称されて、そういう名前でデビューされて。
だからなんか、イメージというと、文化人的な人が使ってた言葉みたいなニュアンスなんですね。キッチュなって、なんかちょっと尖ってるみたいなニュアンスなのかな。
あ、全然違います。
キッチュだなって言うと、どういう風に使うんだろう。
あー。
どういうニュアンス、一応、そのキッチュの意味合いとしてはどういう風に使うものなんですか。
あ、それがまさにこの本の中に書いてあるんですけど、ことごとくね。本当に辞書がこの中に入っていて、キッチュっていう字を調べれば出てきますが。
この石子純三さんがキッチュって言葉を使い始めたというか、それは何年ぐらいになるんですか。
60年代のこう。
他にはもう使ってるんですね。
はい、60年代末ぐらいから関心を持ってたと思います。
69年ぐらいかな。
その頃は、その美術界だけじゃなくて、一般的にもやっぱりこのキッチュって言葉が使われるようになった。ちょっと流行語みたくなったってことですか。
あと日本語にしづらいんですよ。キッチュっていう言葉が大体ドイツ語で、英語でもキッチュっていうのは、キッチュに当てはまる英語がない。
うーん。
まあ単純に言うと、まがいものとか。
あ、そういう意味だ。
あの、偽物。
偽物っていうのに近いです。
じゃあ、どっちかというと、ネガティブに使われてたんですか。それとも。
完全にネガティブな意味です。
金持ち趣味なものとか、そういうものはキッチュです。
あー。
ラッセンはキッチュです。
あー、なるほど。
わかりますかね。芸術っぽいもの。でも、これちょっと芸術かなって思うものとか、あと歌舞伎町とか、ピカピカしたりしてる看板とかあるじゃないですか。
ありますあります。
ああいうホストの看板とか、キッチュですね、あれは。いかにもキッチュ。
へー。
なんとなく雰囲気わかります。
雰囲気わかってきました。
なんか大衆迎合的な派手さを狙った、その文化的な価値の低いもの、というのがキッチュ。
キッチュの新たな評価
例えば、ポップアートとか印象派も、最初はいい意味で使われてなかったけど、だんだんいい意味になってきたりするじゃないですか。美術史でいうと。
あー、なるほど。はい。
秋葉系も最初あれだったけど、今やなんかストリートになって。キッチュは、結局ずーっともう、キッチュいいねっていう人は出てこなかった?
キッチュは、キッチュで面白いっていう人はもちろんいます。
入浦淳さんなんかは、キッチュなものはお好きでしょう。鈴木京一さんだってそうでしょう。
はいはいはい。
秘宝館なんかあれば、ザ・キッチュ。
なるほど。
で、あの、ただキッチュ、それはまあカウンター的に言ってるっていうところもあって。
キッチュ自体は形容詞なので、普通のポップアートとか、集団を指す名前ではなくて、キッチュはずっとキッチュですよ。もちろんネガティブな意味は持ち続けている。
なんかそれこそ美術展にいっぱい行くし、美術館にも行くんですけど、キッチュって言葉がピンとこなかったって今考えたら、美術館ってその、富士市美術館ってなんかこれはいってるんですよ。
でもあんまり確かに、美術館で聞かない言葉ですもんね。
その説明書きのところにこれはキッチュであるとかだから。
そうですね、多少バカにした意味も含むので。
それになんで逆に興味を持ったんですか、最初。
だから、キッチュに興味を持ったんではなくて、石子純三さんっていう人が面白かったんです。
本当に活動期間が10年ぐらいしかなくて、早くに亡くなった人なんですけど、しかもずっとサラリーマンをやっていて。
そうなんですか。
そう。
それで、ある時期から。
うん。
僕、書家で文章も書く人だったんですけど、デビューが遅くて、もう何歳ぐらいだろう。
石子純三の活動とキッチュ論
40代ぐらいになってから、雑誌に執筆を続々と発表するようになって、それで50代で亡くなってしまうと。
そんなに早く亡くなってるんですか。
そうなんですよ。
どうやってデビューできたんですか。
今みたいにブログとかもないし。
うん。
だから、文章持ってってたんですか、どっか。
いや、同人誌とかで発表したり、そのアーティストを読んで、その当時静岡に彼はいましたけど、静岡でそういうアーティストと付き合いがあったり、そういう活動はしてたんですよ。
メジャーデビュー的なことは、そこに読んだアーティスト経由で雑誌を紹介してもらって、その雑誌に発表してたんです。
発表するというのを続けていて、だんだん読まれるようになったと。
その雑誌の中でキッチュって言葉を使ったってことは、こういうのは良くないよみたいなことも批評してたってことなんですか。
当初はキッチュっていう言葉を石子は知らなくて、ある時からきっかけ、ハワイ旅行かなんかした時に、キッチュについての論文集を見つけて、
で、それで、もともと漫画とか、そういう大衆的な漫画とかを見つけたんです。
うん。
そういう大衆的な表現に石子は興味を持っていたので、これは面白いっていうんで持って帰って、それでキッチュっていうのはキッチュとしか言いようがないから、キッチュ論ということで、いろいろ石子が言い始めたんですね。
なんかその展覧会がもう10年以上前ですもんね、この石子純像展。
石子純像的世界は2011年、震災の年です。
12年前。なんとなく、すいません、もう結構過去過ぎ。
はい。
はい。
イエス・ツゲ・ヨシハルさんのねじ式がメインビジュアルの一つで使われていた印象は。
そうです。よくご存知です。そうです。はい。
じゃあ、それもだから石子さんが取り上げていたってことだな。
はい。石子さんは漫画評論で、特にツゲ・ヨシハルが好きで、ツゲさんについてのテキストをいっぱい書いているので、本人ともすごく親しかったので、石子純像って言ってももう誰も知らない存在だったので、
うん。
うん。
うん。
うん。
つげさんの伝説的な漫画を
石子純像展とキッチュな作品
広告にしなければ
なかなか人は読めないということで
頼み込んで
伝説のネジ式という漫画の原画を
出品していただいたんです
そういう流れだったんです
この展覧会は
結構評判あったじゃないですか
反響あったと思うんですよ
反響ありましたよ
どうでした?最初でも展覧会で
なかなか今まで取り上げないわけじゃないですか
こういうジャンルっていうのは
ジャンルというか
サブタイトルが
美術初漫画系キッチュ行き
っていう電車みたいなタイトル
って言ったんですけど
美術評論やるけど
同時に漫画もキッチュも
語るという人で
その時代は
60年代から
70年代にかけて
石子純三が活動した
ほぼ10年間をたどる
展覧会で
扱う時代と出てくる美術は
別にそんなに珍しくはないんですが
3章に分かれていて
美術のコーナー
漫画のコーナー
キッチュのコーナーとしていて
だから3分の2が美術じゃない
なるほど
入り口にはパチンコ屋のお祝いとかで
あんまり見ないけど
花輪が置いてあって
あれは挨拶文になってたんですけど
同時に出品作でもあって
花輪はいかにもキッチュですよ
増加で
花の偽物なので
あれは一生懸命職人がいて
作るものなんだけど
必ずしも作品ではない
何だろうって
その文化的な造形物っていうのが
世の中にはいっぱいあって
それを石子はキッチュっていう言葉で
追いかけていて
だからそういう美術館には
あんまりちょっと入らないなっていうものが
いっぱい入って
っていう意味で
そういう意味では珍しい展覧会ではありました
花輪はすごい覚えてるんですけど
今すごいふと気になっちゃって
成谷さんに聞くことじゃないかもしれないけど
花輪ってパチンコ屋とかにオープンすると
バーっとあるじゃないですか
あれって最後誰が勝負にしてるんですか
あれはリースです
あれ返すんですか
そうですそうです
あれもったいない
増加なんで
昔は聖火でやってた時代もあると思うんですけど
それはもうとうに増加に切り替わって
リースです
そういうこと
本当に真相オープンって短期間で
いつの間になくなってんだと思ってたんですよ
昔は白黒のバージョンで
お葬式に使われたりとか
花輪のリースをしてくれるお店があるんですよ
あれって日本の文化なんですね
元は中国だったと思います
キッチュ展ってあと何展示してありましたっけ
最後の展示室がすごいことになってたのは
なんとなく覚えてますけど
具体的に何があったかなっていう
山ほど出ていて
そのコーナーが一番
ものがいっぱいあって
壁には銭湯のペンキ絵
富士山の富士山と波が描かれてる
典型的なペンキ絵があって
あとはプラスチック
FRPでできた岩
庭に置くようなサーキッチですよ
まがいものの岩とか
あとはデコトラ
今あんまり知ってないけど
ピカピカするような
トラックの模型とか
あとは食品サンプル
あーなるほど
商店街に飾ってある造花
春は桜で秋は紅葉になるやつ
あのだから
伝統とかの上についてるやつですね
とかあとペナント
ペナントも今や失われた文化だけど
全体にレトロな感じになったけど
必ずしもキッチュはレトロじゃないですが
時代が経つと古びる
古びてきて懐かしいとか
みんなが好まないようになると
よりキッチュになっていく
なるほどなるほど
であの三角形の
何の役にも立たない
ペナントっていうお土産物とか
あれいつから流行って
いつ廃れたの
確かにばあちゃん家に
異常にありましたよねペナントって
だからいつ流行ったのかとかも
まいしこさんは一生懸命調べてたんですけど
そういうのも
あとはトロフィーとか
トロフィーとか
トロフィーとか
トロフィーの上にボウリングピンとか
ゴルフやってる人とか
ゴルファーの彫像が載ってたりとか
あれ変な
あの彫刻の偽物じゃないですか
確かに
招き猫とか
とにかくいっぱい飾りましたね
それは展覧会をいろんな人がやってるから
展示の大変さとか聞いてるから思ったんですけど
コレクターが一人いて
一箇所から集めてきた
それともいろいろなところから集めてきた
その時は
するとですね
ヤフオクで僕が買ったんだ
じゃあキッチョコレクターでもあるんですか
いやいやもう一回流しました
だって持ってってもしょうがないし
そうなんですか
どこにでもあるもので
どこにでもある
姿勢にあふれてるものっていう
ちょっとレトロなもので
難しいものもあったりしましたけど
集めようと思えば
簡単に集まるんですよね
ネットオークションで
安く買ってきて
それを並べたんです
そうだね
で終わり次第もじゃあ
コレクターがやっぱり来たりして
ペナントを集めてる人に
ペナントをあげたりとかしました
どうしようもないものは
やっぱりネットに流すか
どうでもいいやつは捨てたりとかしました
結局何点ぐらいその時じゃあ
詰めたんですか
いやもう点数はだから
数えられないぐらい
だからカウントしようがない
その食品サンプルっていうものとして出してるけど
食品サンプル
寿司1個1個を1点と数えるのか
スパゲッティとかも集めたので
どうでもいいなと思って
よく点数
なんで展覧会で点数をみんな気にするのかも
ちょっとよくわかんないですけどね
多ければ多いほどいいのかっていう話で
でもなんか多分マスコミは多く書きたいんじゃないですか
やっぱり数字って強いので
300点とか言いたいみたいな感じじゃないですか
別に1点でもすごいの来たらいいと思うんですけどね
最近でも減ってきたんじゃないですか
いやいやありますあります
何でも数字にしたいので
何年ぶりとか
確かに確かに
何年に一度的なやつとか
逆に言うと少ないけど
例えばフェルメールみたいに
30何点しかない人の作品が来てますみたいな
あと全部モネですとかね
そういう字が好きなんでみんな
それこそ東京ステーションギャラリーで
パロディーの展覧をやった時に
やりますやります
パロディーっぽい広告を作りたくって
新聞雑誌かなに載せたいって言って
原案を僕が作って
駅の近さに関するランキング
そこに東京駅から近い駅ナンバーワンって書いてあるんですよ
まあまあそうですよね
当たり前なので駅の中にある
そしたら新聞ってそういうコードがあって
これは何に基づくランキングですかって言われて
しょうもないですね
やめました
確かに
確かに
どうでもいいや
ダメだったんですかそれは
だからそういうちゃんとした根拠がないと
だからそれを利用する人がいるんだと思うんですよ
嘘大げさ紛らわしいみたいな
ジャロ的な
ジャロ多分今通知が入ったもんですけど
確かに
今もでもあるはありますよね
そうでしょう
公表広告機構
多分そういうのはダメですっていう
ちゃんとしたコードがあるので
東京駅に一番近い駅が東京駅じゃなかったら
どうするんですかね確かに
東京ステーションギャラリーで
東京ステーションギャラリー
2番目はどこですかって言ったら確かに
丸の内駅なのかなとか
三越前なのかなとか
三菱かアーティゾンかなみたいなのあるけど
1位は紛れもないのに何の根拠って何ですかね
逆にその時になりましたけど
でも宣言しようと思ってる時
他の準備で忙しい時なので
じゃあいいですって言ってやめました
パロディ店は
これはだからパロディに関するものを集めたって
展覧会でしたよね一応は
パロディ展覧会の誕生
関するというかパロディ関するものですね
パロディ表現を集めた展覧会
これなんでパロディやろうと思ったんですか
これはパロディ店はもう展覧会何年後になるんでしたっけそこから
ステーションギャラリーに移ってからで
2000
先にディスカバーディスカバージャパンの方が先にやってますよね
そうです
ディスカバーディスカバージャパンは
鉄道絡みのことなんかできないかなと思って
ステーションギャラリーでやって
これが
2014年
そうです
パロディは2017年ってことですもんね
パロディ2017年か
これなんでパロディやったかっていうと
石子純造店をやったのもそうですけれど
あるどこかに軸を設定すれば
美術館がより楽しくなるだろうと思って
僕はやってるわけですよ
石子純造さんへの関心もあるけれど
それよりも石子純造を軸に置くと
起こることの方に関心がある
石子純造を展覧会で紹介すれば
当然美術評論をやっていたので
美術は扱え
一方でそれ以外のことも
漫画やキッチュの評論もやっていたので
美術館なんだけど美術じゃない
漫画とかキッチュとかが
おのずと入ってくる
その状態が僕は好きなんです
博物館的になるというか
でも流れて何でもいいわけじゃないから
ジックサイが作りたいってことですよね
パロディの定義と成立条件
そうです
ディスカバージャパンもしっかりですが
パロディは今度は
だから人とか現象ではなくて
ある技法というか技術を
方法って言ったらいいのかな
方法を軸に設定すると
そうするとパロディをやるのは
美術もパロディはあるけれど
文学のパロディや音楽のパロディ
演劇のパロディ
いろんなものが入ってくるだろうと
しかも
僕の
専門分野の現在の範囲には
パロディ裁判と呼ばれる
とても著作権関係とは有名な裁判がありまして
それも紹介したいと思っていて
そしたら手の中になるなと思ってやったんです
パロディ裁判を簡単に教えてもらってもいいですか
多分初めて聞く方もいると思う
マッド・アマノさんという
パロディ作家と言っていいと思いますけど
雑誌とかでパロディを
発表している作家さんがいて
その方があるポスターというか
カレンダーの写真を見て
それをパロディにしちゃおうと思ったんですね
それが雪山の写真で
あの綺麗ないかにもザ広告写真という感じの
よく見る感じの
有名な写真家が撮ったとかじゃなくて
まあ見るなみたいな
それが有名な写真家だったんですよ
実はってことですか
あの雪山があってシュプールの写真を撮ったとかじゃなくて
それが有名な写真家だったんですよ
それが有名な写真家だったんですよ
シュプールを描くスキーヤーがいるみたいな
まあ典型的なやつですよね
まあ綺麗な写真なんですけど
でそれを使って発表したところ
この写真は俺のだと
ということで
白川義一さんという写真家のものだったんですね
で白川さんが
訴えを起こし
そこから15年ぐらいかけて
そんなにかかったんすか
裁判って大変なんで最高裁まで行くと
その使ったのは
なんかパロディって言っても
作ってるから似たような物を
同じ感じの構図で
撮りに行ったとかじゃなくて
うまいことやって
大きいスノータイヤが
山の上に置かれる shadow
写真なんですよ
コラージュ
そうするとちょうど
タイヤの溝とシュプールとが繋がるんですよ
ちょうどタイヤの溝とシュプールとが繋がるんですよ
だからタイヤから逃げてるスキー屋たちみたいに
それでバカにされたと思って写真家は訴えたということですね
時代にならなかったんですかそれを
もうお互いに譲らず
最終的な決断としては
実質的には写真家側の勝利ですね
言い逃れができないというか
ほとんどがその写真なので
これは要はパクリであるという
著作権侵害になる
侵害だというふうに決めたんですね
でもそこに異議ありということで
僕は展覧会の中では
この裁判というか司法の判断はちょっと疑問があるということを
論文に書いたり展覧会でも紹介しました
だからそこには創作が加わってるってことですよね
完全に創作権だけじゃなくてってことですよね
だって見る方も
パロディだなと思ってどうしたって見るから
量がどんぐらいパクってるかって
あんまり実は問題じゃなくて
元ネタの量がいっぱい残ってる方が
賢いパロディでしょ
ほとんど改変せずにちょっとだけ手を加えて
ガラッと変えちゃうと
ガラッと変わってるわけで
変わってるのを楽しんで
読者も雑誌に発表されたものでしたけど
読者もそれはもうパロディであるという前提で
受け止めているのに
司法はそこをあんまり考えなかった
なるほど
何センチ使っちゃってるとか
いかにもでしょ
尺子定規ってやつですけど
でも確かにそう考えると
やっぱり作家のアイディアが
ないがしろにされてはいますもんね
だから
怒るのは怒るでしょう
例えば料理の
昔ちょっと前に話した深夜で
アレンジ一手間加えたら
全然違うなって思ってたんですよ
そういう感じになるよみたいな
あったじゃないですか
カップヌードルに何かを足したら
全く違う味に変わるのを
そのちょっとのアイディアが
強化される番組じゃないですか
そこを楽しんでるのに
みたいなことだと思うんですよ
多分そのアイディア改変が
半分味変えちゃったら意味ないし
みたいなことなのかなって
今聞きながら思ってたんですけど
それとは違います
まあ似ている
まあまあ
構想的にはそうかな
でもそもそもなんですけど
そのパロディーの
例えば定義みたいな
オマージュとかパクリとか
いろんな言葉があるけど
成谷さんはどう考えたの
それのためにこの本を書いたので
それを読んでもらう
聞かれることに全部そう言ったら
申し訳ないんですけど
だからこの展覧会をやったっていうのもあって
よくネット上でも
パロディーって調べると
基本的にどこまでセーフなのか
っていうのが出てくるんですよ
作権的にはこうこうこうなってます
詳しくはこちらっつって
弁護士がよく書いてるんですけど
くだらないなんか広告みたいなのが
出てくるんですけど
もうそういう悩んでる人は
この本を買っていただければ
ここにパロディー辞典
パロディー辞典っていうのがあって
オマージュっていうのはこういうよ
パロディーっていうのはこういうよ
パロディーと似たものに
パスティッシュっていうのがあるよとかね
かなり言い始めるとものすごくややこしいんですよ
丁寧にし始めると
ただパロディーかオマージュかっていうのは
あのナンセンスで
だからすごくまたネットの話を言えば
ネット上ではよく言われるのは
これは敬意を相手に持ってるから
リスペクトがあるから大丈夫とか
全然関係ない
パロディーはあくまで構造上に成立してるかどうか
これはパロディーだと言えるか
元ネタがあり
そこに何か手が加わるとか
パロディーがあって批判的な意味があってとかね
いろんなことが定義しようとすれば言えるんですけど
オマージュって気持ち
哀悼の気持ちですから
気持ちがあろうが悪まいが
パロディーは成立するので
パロディーかオマージュかっていうのは
なんだろうな
そうか
全然違うもの
関係ないものを比べちゃってるっていう
そこの線引きでだから
ここからパロディー
ここからオマージュじゃなくても
全然違うフィールドの話
なわけですね
パロディーかパロディーじゃないかは
線引けるかもしれないけどってことですね
ここからがパロディー
ここからがオマージュではないってことです
そうなんですよね
確かに
だからあれは食べ物ですか
それともお天気ですかとか
ナンセンスでしょ
ちょっと比べられないっていう
関係ないっていうか
関係はあるんだけど比べられない
そのパロディーってでも日本だと
いつぐらいからその言葉が使われ始めてたかって
ものすごく昔ですよ
それも辞書に書いてあるんじゃないかな
日本ではどのぐらいから使われてるのかって
だいぶ昔演劇のジャンルで使われるのが
演劇なんですか
僕が調べた限りでは
文級2年の辞書にはすでにパロディー
文級の辞書
1862年ですね
だからまだ
開国はしてるけど
1864年に幕府が終わる
批判もなしく大政法官
だからでもまだ江戸幕府はある
大政法官よりも前ですよ
それは演劇で使われるんですか
パロディの意義と難しさ
歌舞伎堂でしょ
辞書です
辞書に載ってくる
言葉を引っ掛けて文字ること
という風に書いてある
ダジャレ的なニュアンスで使ってる
文字る
そうですね
ダジャレ
そうですね
なんかパロディって
僕はだから
その展覧会の時にもちょっと思ったんですけど
やっぱり僕はどうしてもお笑いの人間で来たから
やっぱお笑いのパロディに興味があるんですけど
なんかパロディって
これは僕の勝手な印象なんですけど
フジテレビのバラエティは
パロディよくやってる印象なんですよ
めちゃイケとか
あのひょうきん族とかもパロディあったし
なんかそういうパロディのお笑いについてはね
どう思われますかっていうのもあれですけど
パロディバラエティとか
そうですね
なんかパロディって要するになんか
パロディってさっきのオマージュとは違って
全然違うよって話だったけど
なんとなく僕はパロディって
やっぱ笑いに繋がってる気がするんですけど
オマージュは別に
その全然違うものであることはもう
わかってはいるんですけど
オマージュって敬意だから
なんか笑いではないけど
パロディってなんか
すべからく基本笑いに繋がってる気はするんですけど
別にそういうわけでもないんですけど
別にそういうわけでもないです
だからパロディは笑いを引き起こすことが
かなり多いんですけれど
そうとも限らない
だから本当に厳密に語源をたどったり
定義しようと言い換えようとすれば
パロディって替え歌のことですね
そうなんですか歌なんですか
歌っていうかある歌があって
それの歌詞変えて歌うじゃないですか
替え歌ってあるでしょう
あれがパロディ
パロディです
かなり純粋なパロディと言って
それでパスティッシュっていう似たものがあって
それはモノマネですね
替え歌とモノマネってちょっと違いますよね
どっちも元ネタがあって
それを複製するってかコピーしてやるんだけど
替え歌とモノマネはやられた方は
やっぱりお互いに嫌だなって
どちらも思うと思うんですけど
ただ
うん
モノマネは評価されるときに わー似てるって
替え歌に わー似てるって言わないでしょ
加紋達夫さんの替え歌みたいに 歌詞が似てる替え歌もパロディーもありますけど
だから全然CMソングで同様なのに 歌詞はCMの企業名みたいなものも替え歌になるじゃないですか
それもパロディーですもんね
別に歌詞が全く一緒じゃなくても 替え歌ってあり得ますもんね
でもモノマネは全く違うことされたら もうモノマネじゃないから
似てるか似てないか軸は大事になってきますね
あくまで比喩として替え歌とモノマネって言ってるんで
それをまたそっちで膨らみ始めると パロディーと関係ない話になりかねないんで
そこはすごく難しいんですけど
話を戻せばパロディーにしろ パスティッシュにしろ
コピーする
その時点で批判的なことをやって それを笑うっていうことだけではなくて
その人のものを自分のものにしたいっていうのは
要は向こうが上で 自分は下であるっていうことの表明でもあるでしょ
自分はオリジナルになれないんだけど
その人のものをちょっといただいて 自分は表現をしますという意味では
負の意味も用いるというか
自分は負けてますと
所詮はパロディーをやってる側ですよ という意味を用いるので
それが笑いに結びつくこともあれば 結びつかないこともある
なるほど確かに
だから攻撃的な意味を持つとも限らないですね
いっぱいだから滑稽歌とか風刺とか そういうのが揶揄とかね
そういうのはもう通常パロディーをやると おのずと出てくるんですけど
それ以外にもパロディーをやることによって抵抗する
攻撃なんだろうな、もう少し正当な 戦いのためにパロディーを用いるとか
そういうこともあるわけですよ
それはもう笑いと結びつかなかったりすることもありますね
なるほどそういうことですね
政治家の寝顔絵を書くとか
はいはいはいはい
パロディって言えるかどうかさておき
デモの人たちもよくそういう手法を使ったりする
あるものをもじったりとか
それがすなわち攻撃になっていたりするんですけど
そういうこともあるんですね
それもパロディになるから
構造的にはパロディです
でもそれこそ今の話聞いてると
いろんなものがありすぎて
この展覧会の時って
どこまで集めたんですか
そういえば
手広げたらいくらでも展示するものが増えちゃいますよね
時代も江戸時代からあるし
もっと西洋でいえばもっともっと古いところから
パロディっていう言葉自体はあるので
何でも入るんですけど
特に80年代
トンネルズとかができたり
あれもパロディ芸が主だったんですけど最初
ビックリハウスっていう雑誌があって
パロディがすごくムーブメント
になった時があるんですよ
読者からパロディを集めて
絵画のパロディを書かせるとか
いろんな
かなりちょけた雑誌
投稿雑誌みたいなことですか
投稿してもらうってことですよね
面白いもの
そうです
それを軸にしようかなと思うんですよね
美術でも60年代ぐらいから
それこそポップアートとかの時代から
商品を自分の作品の中にそのまま扱ってしまうとか
そういうものが出てくる中で
パロディ的な表現がいっぱい出てくるんですよ
だからそれで美術を扱いつつ
社会的な雑誌とかテレビとか
パロディの現代的な変化
そういうものの中で現れたパロディも扱う
ということで絞った
時代を絞ったんですね
サブタイトルが1970年代前後左右になってますけど
そこで狭めれば集めるものも絞られるというものでした
現代これなんか気になるんですけど
現在ってパロディってあると思います
なくはないと思うんですけど
常にあります
それこそ昔はやっぱりみんなが見てる
例えばテレビのパロディとかでも
テレビがみんな見てた時代があるじゃないですか
今なんかこうみんなの興味が分かれすぎちゃって
パロディなんでしょうけど
鋭い
なんか
みんなが知ってみんなが笑えるパロディ
みんな笑えるじゃないかもしれないですけど
ってなってくとやっぱりどんどんどんどん
減ってくのかなって気がするんですけど
どう思いますか
確かにそうですよね
だから最近特に日清のコマーシャルは
パロディというか
そのTikTokとかで話題になったものを
コマーシャルに使ってるけど
TikTok見てない人には全く分からないんですよね
テレビがやってて
みんなそのテレビを見ている
そこに出てくる人をみんな知ってるっていう前提で
パロディっていうのはやっぱり成立しやすいんですけど
これだけ分散すると成立しにくい土壌にはなってるっていうのは
確かですよね
パロディの定義と展覧会の本
そうなってくると作家さんも
ちなみにパロディ作家っていう人って今もいますか
いるんですよ
昔のものをオマージュして
浮世絵をオマージュして書いてますみたいなのがあってますけど
さっきおっしゃった作家さんみたいに
僕はパロディ作家ですって名乗ってる人に
僕は今現代で会ったことがないんですけど
作家が多分言いづらい言葉なのような気もします
どうですかね
パロディっていう言葉自体がなんかちょっとダサいってところがあるので
いるかどうか
いるかもしれないですけどね
だから僕はパロディは
所詮パロディなので
僕パロディには興味ないんですよ
先に言っておかないと
言わないといけないんですけど
パロディの展覧会やったから
そのパロディが
パロディになぜ惹かれたんですかって言われるんですけど
惹かれたことない
結局ね
でもこれは考えるに値するものだと思うから
展覧会にするんですよ
なんかなぜかその研究をやったりだとか
調べたりする時に
なぜあなたはそこに彼に惹かれたんだと
その時代が
なぜそんなに好きなのって言われるけど
好きでは別にない
その調べたりすることの出発点に
常に好きがあるっていうのは
おかしい
みんななんでそう思いがちなのか
なんかね
これだったら展覧会になって
面白い展覧会になるだろうなとか
意義があるとか
そういう内容に関しては関心はある
関心があることと好きであることは
関係がないんですよね
確かに
でも
今回その本出すきっかけは
オファーがあってってことですよね
編集の方が
ひとり出版を立ち上げられて
その片ばみ書房っていうこの版元は
今コンテンツがこれだけです
一冊目ってことですか
片ばみ書房の
僕にとっての初めての本でもあり
その片ばみ書房の初めての本でもあって
その時にパロディの本買い行ってくれって
言われたわけじゃないってことなんですね
これはパロディの本じゃないですよね
そういうことですよねだから
なりあいさんにオファーが来たっていう
そう複製文化を扱った戦後美術の
を中心とする話が収められてる本です
でも僕の本を出したいというふうに言われて
一緒に作ったのがこの本ですね
パロディの手長ってパロディってタイトルをついてるから
本当にパロディの専門家みたくなりつつあるのかなと思っちゃった
でも定義も書いて
これ以上詳しいパロディの定義はないと思うぐらいに
調べてもいい加減なことばっかり
というか
ゆつばみたいなのがあるとか
結構あったので自分で書いたんですよ
だから言語学の人とかにちゃんと突っ込んで欲しいんですけどね
でも一応今の段階で決定版という
もうちょい直したいというか
これ展覧会のカタログで作った時点で
展覧会場にも出したんですけど
誰も見てなかったんですけど
カタログに収めてあってパロディ時点
ここには第2版って書いてあって
だから書き直したんですよ
手を入れてバージョンアップさせたんですけど
工事への変わるようにですよね
今もうちょっとまだ手を入れたいので
第3版ぐらいにはしたいんですけど
発表する場所がないんで
別にいいんですけどね
ちょっとした直しだから
自分の納得のいく定義ではあるかなと思ってます
パロディ裁判と裁判関連の調査
これいろんな専門家にタッチし得る内容ではあって
裁判
パロディ裁判についてめちゃめちゃ詳しく書いてるんですけど
詳しくっていうか裁判官の判断が僕はおかしいと思うってことを
すっごく詳しく
判例1についてはこうだとか
これちゃんとリーガルチェックをしてもらったんですけど
その筋の著作権関係のご専門の弁護士の方に突っ込んでほしい
これどれぐらい書くのかかりました?
この本自体はだから今までの
僕のテキストを集めて
だいぶ書き直しましたけど
1年ぐらい
結構かかってますね
でも展覧会を作るのもそんなぐらいはかかりますよね
裁判論はだからある
展覧会の準備って長ければ4年とか2年とか書けるんですけど
その間に関連する書籍全部読むとか
ものすごい調べ方をするわけですギュッと
うんうんうん
その時にはこのパロディ裁判に関しては
一番俺が詳しいぞっていう状態にまで磨き上げるわけです
へぇー
だからもう今や忘れてることも結構ありますけど
その時には多分一番詳しかった
書いてる時には集中して書くんで数ヶ月で書きますけど
そんなタイムスパンですね
へぇー
でもだってあの展覧会は別にパロディ裁判も取り上げてるけど
パロディ裁判オンリーじゃないですもんね
だから他にもいろんなことも調べててですもんね
はい
だって裁判ってビジュアルで見せらんないので
結局判例判決の言葉を並べるっていう風に
そうそうそう
展覧会の終盤やたら文字だけに変わっちゃうっていう
あのかなり責めた
責めてました責めた
企画ですからね
展覧会と企画展示室
読むかなと思って
でも読んでる人は結構いたと思うんですけどね
うんうんうん
いやなんか毎回責めてる印象ある
これからもじゃあそういう展覧会まだ仕込んではいるってことですか
もちろん
それは
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
こういう展覧会あったら面白いだろうなっていうことは
常に考えてるし準備もしてます
今言えるやつないですかも
言えるやつないっす
でも展覧会にならないかもと思っても調べてるものとかもあったりするんですか
もちろんもちろん
それは
それはもうパロディじゃなくまた全然違うものを今調べてたりするんですか
そうですね
へー
時代もその専門っていうところにこだわらず
自分の関心のあるものは調べておいたり資料を集めたりっていう
それはもう多分あらゆる学園がそうですよ
でもそれは気になったのが今更なんですけど
東京国立近代美術館に行かれたじゃないですか
はい
ということさっき言ったようにずっと1960年代以降の美術が専門で近備に行くと
もちろんそういう作家もあるけれども近備だとなんかもっと昔のもあったりするわけじゃないですか
明治大正とか
まあでもそこそこそのぐらいですよね江戸まではだから
まあ確かに
僕が最初勤めてた美術館は江戸まで
ああそうか府中市美術館
勤めてたので
でもなんかそうやって新展示に行くとちょっと明治とか大正のものも調べてみようかなとか
もちろん
やっぱ全然違う
調べてみようかっていうか当然知らせますよね
コレクションの展示で使うので
コレクション展って東京美術館のコレクション展はその辺の美術館の企画展レベルのものなんですよ
一部屋一部屋が質もすごいし
あとそれぞれの会期でかなり練った企画を並べてるので
だからその分調べると
あの部屋を誰が担当するかっていうのをみんなで相談して
あれそうなってるんですかその何部屋もあるじゃないですか
12部屋プラス1部屋なんですけど
その都度会議で次回はじゃあ僕この部屋やりたいですっていう形です
コレクション展と常設展示
そうなんですね
要するに一般的に皆さんは企画展示室で観た企画展
なんかじゃあ最近で言うとガウディ展観たって言って
まあ予約があったらちょっと
そうですよね
常設展みたいな感じがあるけど
使われると思うんですけど
でもあの常設展示も
はいはいはい
結構入れ替わってるなと思うけど
めちゃめちゃ変わってますよ
あれはもう学芸さんがそれぞれついてやってるってことなんですか
もちろんもちろんですよ
まあもちろんそうだと思ってはいますけど
当然当然はいはい
でもリスナーの方にはね
そうそうそう
そういう方がいらっしゃるかもしれないですけど
最近成合さん担当した中で
はい
そういう風に移ってから
これが一番ちょっと面白い
自分なりには面白いことやったぞっていうのは
毎回面白いことやってるんですけどね
いやいやもちろんもちろん
あえてすぐの頃にやったのは
それこそ漫画いきなり出したりしました
雑誌を使ったり
黒い
でもそれに関しては
金美のコレクションでやらなきゃダメってことですよね
さすがにさっき言ったように
オークションで手に入れてはできないわけです
でも自分の持ってる雑誌も出しましたけど
それは資料として並べて
漫画が美術に関心
というか触発されたっていうか
漫画と美術がすごく接近した時代があるんですよ
1950年代ですけど
それを扱う
黒い漫画白い漫画っていう言葉で
竹口修造っていう評論家が文章を書いて
それが割と話題を読んだことがあって
そのことを2部屋にわたって紹介するというか
それをテーマにする企画をやりました
今まさにやってるのは
僕が担当してるのは
2.5部屋ぐらい担当しましたけど今回
飛行機
が主題飛行機と戦争をテーマにした展覧会で
飛行機物って簡単なんですけど
モチーフで集めれば
それは飛行機を描いた絵なんかいっぱいあるんです
戦争画を東京国立金田美術館持ってるので
戦闘シーンというか
戦闘機が描かれた絵もいっぱいあるんだけど
それを集めたって面白くない
それは意味ないっていうか
意味はあるかもしれないけど
誰でもできるので
戦前、戦中、戦後と
いろんな
もう東京美術館のコレクションは何でもあるので
しかもすごいものが
それを使って
戦前の羽田空港とか
羽田空港ができた頃の版画とか
飛行機っていうもの自体がまだ
戦前の頃には珍しかったので
模型飛行機に熱中した人とか
戦中があるとか
戦争になって描かれてる絵の横に
タイを描いた日本画が並んでるんですよ
それは航空美術展といって
名だたる画家が絵を発表すると
寄付金が集まってそれが飛行機の購入費になる
タイ館とかもやってるやつですよ
そうです
だからそれを出したり
戦後モビールってわかりますかね
ふらふらするゆらゆらする彫刻ありますけど
それが出品されていて
それはジュラルミンが素材なんですけど
なんでジュラルミンが戦後に
美術作品になってるかっていうと
物資が不足してる中で
ジュラルミンは安価に手に入ったんですよ
なんでなるほどってわかります?
なんでだと思います?
ジュラルミンケースのジュラルミンですよ
ギラギラした金属
あれがなぜ戦後に手に入ったんですか?
鉄はだから取られちゃってるわけですか?
はいはい
ジュラルミンはだからその時にできる
何ですか?
数的なもので作れるみたいなことじゃないですか?
違います
違うんですか?
ジュラルミンは飛行機の材料だったから
だから飛行機が使われなくなったからってことですか?
そうGHQが来て
戦後7年間は7年間かな
今後飛行機作っちゃいけない時期があった
もう作っちゃダメだし
もう製造どころか
研究もしちゃダメという期間があったので
もう使い道がなくなっちゃったんですよ
逆にってことです
だからそれを美術に
だから絵描きでジュラルミンをキャンバスじゃなくて
ジュラルミンを
に描いてるってこと?
そうそうそう
素材にして
規定材にして描いてるっていうものもあるんですよ
へぇー
そういうのを今一部屋に集めて
やってますんで面白いですよ
これいつまでやってますか?
えっと
宗像思考展がこれから始まって
終わるまでは一生
じゃあたぶんギリギリ間に合いそうですね
ぜひぜひ
だから皆さんやっぱり
基本的に企画展見ても疲れて帰っちゃいがちですけど
ちょっとこう体力蓄えて
常設展めちゃめちゃ面白いよってことですよね
そうです
あっちが本体なんですよ
そうですよね
もちろん
確かに確かに
だって一番自分たち先輩たちから引き継いできて
次足し次足ししてきたもので
一番よく知っていて
かかってるコストもトータルで言えば
もう企画展なんかもう全然
そうか
比べもなんないぐらいのコストがかかってるんですよ
購入費もあるし
人的なコストも込めてもちろん購入して
でそれぞれの作品の価格価値だけじゃなくって
調べてきたっていうその蓄積を含めれば
もうどの美術館でもそうです
コレクション展がメインなんですよ
それがなかなか伝わんない
安いからっていうのが理由なんですよ
そうか企画展実施で
価値が低いから安いんでしょと思うけど
違うんですよ
公的な施設だから皆さんに見ていただきたい
このメインを見てくださいと
だから逆に安くしてるってことですよね
当然ですよサービスっていうか
ホンダは無料にすべきなんですけど
博物館法に従えば無料のスペースです
僕よく言うのはお酒でストロングっていうタイプのお酒と
プレミアムっていうタイプのお酒があるでしょ
ありますね
あれはプレミアムの方が手がかかってて
丹精込めて作ったからお値段も高いでしょ
ストロングっていうのは安く早く酔える
手がかかってるとか関係ないと
アルコール度数をアルコール摂取したい
これがストロングでしょ
美術館の展覧会と値段
美術館の展覧会はいわゆる企画展って言われる
もう新聞載ったりテレビで見たりチラシが
目立ってるあれはストロング
なるほど手っ取り早く摂取できるみたいな
コレクション店はプレミアムです
もうずっと次に足してきた大事なもの
だから値段の関係がちょっとお酒とは逆なんですよね
確かに
だから安いプレミアムであるということを
認識していただきたいです
なるほど
みんなわかってないんだよ
これちょっとぜひ皆さんこれを
頭に入れていただいて
ちょっと他にも近辺の話もまだまだ聞きたいので
それはぜひ後半でもまた教えていただけたらと思います
お願いします
本の告知
改めて最後に告知ということで
本の告知をよろしくお願いいたします
かたばみ書房から出版されました
芸術の悪さコピーパロディキッチュ悪
というなりあい初めの本が
赤い本が書店に行けば並んでると思いますので
ぜひともお買い求めいただきたいと思いますので
Amazonとかでも買えるんですかね
Amazonでも買えますが
Amazonよりももうこのかたばみ書房のページから
直で買えますので
それはいいですね
それが一番いいと思います
全400ページの重厚な本になりました
僕の10年間が詰まっていますので
ぜひともお願いします
半元一人出版で苦労してますので
本当ですよね
本当に頑張って今営業しているところです
定価税込みで3500円で
少しはありますけど
想定に凝ったりだとか
内容のボリュームからすれば
全然お求めやすい価格になっていると思います
よろしくお願いいたします
まずも買いたいと思っております
じゃあ後半もよろしくお願いいたします
お願いします
次回はなりあいさんの
ご経歴をマーティスト
美術についての話を続けていきたいと思います
58:39

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