1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2020-11-28 11:03

#220 「ヤバみ」の言語学 from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
さて、今日のトークテーマは、「ヤバみ」とかね、「つらみ」とかいった表現のこの「み」っていうのについて考えていこうと思います。
どうですか?皆さんはお使いになりますかね? 僕はね、使わないですね。
少なくとも口頭では使わないし、使うとしたらTwitterとかそういうテキスト上でしょうけど、使わないですね。
逆に、僕より若い世代とかだったりすると、もうガンガン使ってるって人もいると思うんですよ。それこそ声に出してね、口頭で使うっていう人もいると思います。
こういうね、「ヤバみ」とか「つらみ」とか、こういう表現が間違ってるとかね、
正しくないっていう気はね、もう全くないんですよ。 まあね、こういうね新しい表現が出てくると、
それに前を潜める人もね、一定数いらっしゃると思うんですよね。
その気持ちはまあわかんなくもないんですよ。 まあね、
ただね、 言語学的な立場からすると、
その間違ってるもんの悪いもんないので、言語に。 僕自身もそういう考えだし、
そんなことはまあどうでもよくて、それよりもなんかもうちょっと 言えることがあるんじゃないかなと思うんですよね。
何か法則性というか、 なんか規則があるんじゃないかということを探り当てたいっていうかね、
そういうことを考える回、回避っていうかね、にしたいと思います。 当然この「み」っていうのはまあ伝統的な日本語っていうか、
昔からあるものですよね。 例えば、ありがたみとかね、あたたかみとか、
あとは何ですか、 甘みとか苦みとかもかな、こういったものは
伝統的に昔からあるものです。 こういったものは辞書的な
記述で言うと、形容詞、形容動詞の互換について名詞を作るというものなんですね。 だから名詞を作る、節微字とか言ったりするんですよね、こういうの。
なので、やばみとかつらみとかも、まあそのルールにのっとっていると言えばのっとってますよね。
やばいもつらいも形容詞なんだから、 意をとってみをつけるっていうそのルールにのっとっているんで、まあいいと。
他にも、眠いからねむみとかね、 つまらないからつまらなみとか、多分言えると思うんですよね。
こういった表現は伝統的にはなかったんですが、 一応従来のルールにのっとっているという意味ではおかしくはない。
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むしろみっていうものの守備範囲が広がったって感じですかね。 みっていうのは限られた形容詞とか形容動詞にしかくっつけなかったのに、
いろんなものにくっつくようになったと。 さらにそれが品詞を飛び越えてですね、つまり形容詞以外にもつくようになっているってことが
面白いところですね。 例えば、わかりみ。
わかりみが深いとか言ったりするんでしょうけど、わかりみ。 当然これはわかるっていう動詞にくっついているわけですね。
ちなみにラジオトークのライブ配信で 差し入れみたいなのができるんですよね。ご存知の方も多いと思うんですけど。
そこにわかりみっていうのがあるんで、 そこまでかなり浸透しているということですよね。
なので今のは形容詞ではなく動詞にみっていうのがついた例ですね、わかりみ。
他にもね、多分僕はその感覚がないですけど、検索とかかけると大阪みとか言えたりするんですよね。
なんかこの店大阪みがあるとかいう言い方をするんでしょう、おそらく。 つまりこれは名詞にくっついているってことですよね。
さらに品詞がどうとかそういう話もさらに飛び越えちゃって、 単語じゃなくてもっと文っぽいものにもくっつくっていうのもあるんですよ。
これも僕は自分の感覚としてそういうものが言えるかどうかわかんないんですけど、 検索とかしてかけて出てくるのは
海外から帰ってきた大学生みとか多分言えるんですよね。 これらの例はそのみの直前は形容詞だったり動詞だったり名詞だったり
さらには文みたいなものも含めて何か共通したものが当然あるわけですよね。
ちょっと考えれば思い浮かぶのは、なんかそういう感じっていう感じですよね。
なんかそういう感覚というか感じとか、そういう性質とかそういう特徴みたいなものを みっていうのが受け負ってるという感じですよね。
このみっていうのとよく似てるのでさっていうのもあるんですよね。
あたたかみとも言えるけどあたたかさとも言えると。
むしろさの方が守備範囲は広いんですよ、本来的には。
何でもかんでも形容詞だったらさってくっつけるんですけど、 みの方はかなり制限があったんですが、
でもね、今では
例えば怖いもの見たさ っていうここでさを使っているわけですけど、
怖いもの見たみとか多分言えるんですよね。
寒さって言ってたとこを寒みとかねおそらく言えるんですよね。
っていう風に、
みの守備範囲がこれも繰り返しになりますけど広がってるってことですよね。これ面白いですよね。
本当だったらね、さの方がもともと守備範囲広かったんだから、
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もっとさの方がさらに勢力を広げて、
大阪さとか、
海外から帰ってきた学生さとか、そういうふうになってもおかしくなかったんですけど、
むしろ、守備範囲の狭かった限られたものにしかつかなかったみの方がグワッとね一気に勢力をつけたっていう形になってるんですよね。
そこも面白いとこだと思います。当然このみとさっていうのは隅分けがあるわけですよね。
これのさとみの違いは結構説明しづらいですけど、
みの方がさっき言ったようにそういう感じっていうのがありますけど、
さはあんまりないかな、そういうのが。
両方名詞を作るっていう点では当然同じなんですけどね。
なので、そういう感じっていうのを表したいっていうのがモチベーションっていうんですか、そういうのになって、
いろんなものにくっつくようになった結果、いろんな表現が今は氾濫しているということですね。
これでこのみっていうのがいろんなものにくっつくようになったっていうのも面白いんですが、
それに加えてもう一個僕が面白いと思っているのは、
例えばね、課題が多すぎてやばみとか、
服かぶっててつらみとか、こういったふうに、
みで文が終わっているのがよくあるなっていうのが面白いところだと思うんですよ。
つまり文の最後がなんとかみで終わっているってことですね、平たく言うとね。
つまりこれは名詞で文が終わっているということは対言止めというやつですよね。
対言止め、なんか聞いたことあんなって感じですね。
対言って名詞のことですけど、名詞で文が終わることを対言止めとそのまんまですね。
で、この対言止めっていうのが僕の中でね、
僕の中でっていうか、僕の中で一つ日本語の大きなテーマだと思ってるんですよね。
っていうのが全然違う話ですけど、
日本語の動詞の活用形ってありますよね、覚えてらっしゃいますかね。
未然、連用、終始、連体、仮定、命令ですね。
これまあ、現代日本語の場合ですけど、
で、これね、終始形と連体形って動詞は同じ形なんですよね。
例えば、起きるっていうね、動詞も終始形と連体形一緒で、
朝起きるで起きるっていう形だし、朝早く起きる人っていう時も起きるって同じ形が出てくるんですけど、
これね、古文では違うんですよね。古文というか古典では違うんですよ。
これね、覚えてらっしゃいますかね。
古典では、この起きるっていう動詞は置くっていう形だったんですよね。
で、これ終始形で、連体形は送る。
で、るが余計についてたっていうことなんですよね。
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なので、昔の日本語は終始形と連体形が違う形だったのに、
現代日本語では、少なくとも動詞において、終始形と連体形同じ形になってるんですよ。
で、なんで現代日本語で終始形と連体形同じ形になっちゃったかというと、
これがね、体言止めをやりすぎたからなんですよね。
っていうのが、連体形っていうのは、体言に連なる形って書きますけど、
その連体形自体で名詞化だったんですね。
それだけで体言になってたんですよね。
例えば、さっきの置くっていう動詞だと、
普通の文っていうかね、だと朝置くみたいに言うのが、本来の形なんですけど、
体言止めが流行っちゃったっていうか、そっちの方が雰囲気が出るっていうかね、
朝送るみたいな表現の方が流行っちゃって、
それで、連体形の送るの方が終始形の守備範囲も奪っちゃって、
で、その後送るが起きるになるっていう別個の変化もあるんですけど、
連体形が終始形の役目もぶん取っちゃったんですよ。
だからね、日本語母語話者はね、結構体言止めが好きなんですよ。
好きすぎてその動詞の活用まで変えちゃったわけですからね。
で、それとまさに同じことが、「課題多くてやばみ」なんですね。
これも、「課題多くてやばい」で、普通の形容詞使えばいいところをわざわざ名詞にして、
つまり体言止めで、「やばみ」って使ってるんですよね。
だからね、日本語母語話者ってこういうふうに、
周期的に体言止めを文末で使うっていう流れがあるんじゃないかなとなんとなく思ってます。
というわけで、今回のトークはここまで。
ということで、また次回お会いしましょう。
ごきげんよう。
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