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2021-08-20 1:04:08

#42 TOKYO 1964と日本の“デザイン”

東京オリンピック1964を軸に、その頃のデザイン的な背景やオリンピックのデザインについて自由研究して話しました。

📝ShowNote:https://resize.fm/ep/42-tokyo-1964-olympics-design

00:00
[音楽]
こんにちは出口です
こんにちは本山です
リサイズHEMは
本山と出口が最近気になっているサービスやデザイントピックスを取り上げて
のんびり話すポッドキャストです
よろしくお願いします
お願いします
本山さんGrid Studioって知ってます?
Grid Studio?
なんか聞いたことあるけど
最近ちょっと絵を描…
絵というか、アート的なものを買ったんですけど、
Gridstudio.ccっていうサイトがあるんですけど、
iPhoneとか古いiPhoneがメインなんですけど、
分解して、で、学物に入れて、アートっぽい感じにしてるものを売ってるサイトがあって、
それがGrid Studioってやつなんですけど、
最近それのiPhone 4Sを買ったんですよね。
最近でもないか、半年くらい前に買ったんですけど。
で、なんか結構、言っちゃえば単に分解してるだけっちゃだけなんですけど、
でも結構なんか思った以上にこう見せ方がいい感じに見せてて
だと多分中国か台湾かなの辺で作ってると思うんですけど
そこから届いたんですけど結構こう放送というか
放送もちゃんとやってて、いい感じに、高級感ある感じで届くのが結構良かったですね。
案外安いんだね。
案外安い。なんかセールやってますね、ずっと。
セールやってるね、今。
うん、ずっとやってる。
なんかもっとするのかなと思ったけど、5、6万するのかなと思ったけど、案外2万円ぐらいで買えるんだね。
でもこれ、昔のやつ、多分再利用してると思うんだけど、
結構部品も以前使ってた感があるっていうか、ちゃんと。
だからそういうリサイクル的な面もあると思うんですけど。
言っちゃえば、昔の捨てられた製品だと思うんですけど、
それをなんかいい感じに見せてて 価値をつけてるっていうのが面白いなと思って
やっぱこう…なんだね これ iPhone 1 の方が…
一番初代 iPhone の方が高いんだね
そうそうそう
これちょっとソールアウトになってますけど
僕は初めて買ったのが 4 だったんで 4 はなかったんで 4S を買ったんですけど
確かに 僕もそういう意味では 3G だな 3G 買おうかな 買うとしたら
03:01
僕、4の4と4Sが一番好きだったんで
まあ僕もね、あの辺好きだけどね、確かに
最近なんかApple製品だけじゃなくて
Game BoyとかなんかPSPとか
そういうゲーム機も出てましたね、最近
へぇ〜
案外安く買えるんだな
そうなんすよ
これ、ゲームボーイアドバンスかな
あ、違うか
PSPか
それは懐かしいねピクセルワンとかもありますね結構最近な気がするけど
なんか初代ゲームボーイっぽいやつもありますね初代ではないのかなさすがにポケットですね
あーでも懐かしいちょうどポケット世代でしたね小学校の時
僕はもう初代ポケットじゃなくて、初代ゲームボーイめちゃくちゃやってたからね
僕も持ってはいましたね
それで目を悪くしましたけど
まあそれはあるかも
ゲームボーイでもそこまでめちゃくちゃやってなかった気がするけどゲームボーイは
なんかこう夏とか年末とかになると
うちの家族はこうおばあちゃん家に
長期間旅行というか、まあ里帰りですよね、親からしたら
に行ったりするんですけど、その時だけ結構ゲームボーイをなんかめちゃくちゃやれるみたいな
へー
なんか、まあ大体なんかうちは制約があったからゲームは1時間みたいな
ああ、そういうのあったんすね
でも家でゲームボーイやるっていうのもなんかあれだったから
家では普通にファミコンとか、まあスーパーファミコンとかやってたんだけど
まあなんか遠出しちゃうとさ、ないからさ、その時はゲームボーイもすごいいっぱいやるみたいな。
僕が小学校、低学年の時はポケモンが超めちゃくちゃ流行ってたので、
みんななんか、公園とかでゲームボーイで通信ケーブルつないでめっちゃやってましたよ。
そうそう、通信ケーブルでね。
僕もあれが、だから小学5、6年とかだと思うから。
懐かしい。
バグ技とかやってましたね。
やってましたね。100レベルにしたりとかね。
ミュウを出すバグ技とかね
やってましたね
懐かしい
ブラックベリーとかもあるんだね
そうそう
意外に1万円ちょっとで買えるんで
なんかおじさんにはおすすめです
ちょっとなんかいい感じになってるから
所有欲をそそられる感じはあるね確かに
そうそうそう
なんかあれだな
自分のやつをいい感じにやってくれないかな
あーなるほどね
僕多分 iPhone シリーズはほぼほぼ売ってなくて実は僕
へーそうなの
最近のやつは割と売ってるやつもあるのかな
06:02
ちょっと前のやつは売ってたりするんだけど
初期のやつは全然売ってなくて
だから全部持ってるんですよ僕
3G から iPhone 4 も持ってるし
多分5も持ってると思うんだけど
手元にまだあって
僕も売らなきゃよかったなってちょっと思いますね。
なんかそれで額縁に入れてくれたらいいな。
確かに。
自分のものが入ってる感じになって。
個人的になかったんですけど、iPod Nanoを大学の時とかめちゃくちゃ使ってた思い出があった。
なんかすごい小さい、iPod Nanoだっけ?なんかクリップの一体型になってるiPodだったし。
あったあったあった、クリップになってるやつね。
あれめちゃくちゃ使ってた思い出があって
あれとか
いやそれで言うとあれだな
僕はもうiPod Classic
あの時はもうClassicっていう名前になったけど
そのClassicになる前のiPod
本当の最初の方のiPodっていうのがすげえ使ってたから
あ、そうなの
あの本当の一番最初じゃないんだけど
本当の一番最初ってなんかこうクリックフィールじゃないんですよね
なんかボタンっぽい感じのやつ
あれじゃなくて
ハードディスク入ってそうな形の 結構重いやつですよ
そっから1個先に行った
それもハードディスク確か入ってんだけど
そっから1個先に行ったクリックホイールが 使われてるiPod
その後僕もiPodが他のシリーズが出てきて
iPod Classicっていう名前になって
クラシックになってからもう買い替えて 使ってたんですけど
いやあの頃のiPod 僕の中では 衝撃的だったから
わかる
それまで僕結構、そういう音楽好きなところがあって
その、MDとかも一早く買ったりしてたし
で、あとMP3プレイヤーとか
そういうのも買って持ってたりしたんだけど
MP3プレイヤーってもCDに焼いてやるやつだから
結構でかくて持ち歩けねぇみたいになって
分かる分かる
そんななんかiPodが出てきて、やべぇと思って
これ、このサイズでいいみたいな感じで
いや、あれは衝撃的でしたね、iPodは。
高校の時かな、iPod Nanoを買いましたね、確か。
あ、そうか、僕の言ってたクリップのやつはiPod Shuffleか。
いや、あれは本当衝撃的だったな。
なんか僕も結構大学生ぐらいの頃ですけど、
あの頃、フラッシュメモリなんてもう52MBとかさ、
めちゃくちゃ高かったですよ。
そうそうそう。
なんか数百MBですげえみたいな感じだったから、
そんななんかさ、そのiPodとかはさ、容量がギガ単位なんだよね、もう。
その時代から。だからやべーなと思って。
見た目も好きだったな、メタリックな。
いやーiPod、iPodあったら確かにこれは熱い。
09:00
iPodは確か、僕ももう持ってない気がすんだよな、多分。
そう、僕も持ってないっすね。
捨てちゃった気がすんだよな。
捨てたのか、あげたのか、もう覚えてないけど
結構長い間愛用してましたけどね、僕iPodでも
それこそiPhone 3G買って、もうまだ持ってたくらいだから
いやー僕もそうでしたよ、高校大学の時だから
そんな買い換える感じでもないし
iPhone 3Gね、買って
iPhone 3GももちろんiPodみたいに音楽入れててできるけど
やっぱりまだなんか容量が少ないというかさ
そういうところあったから
最初の頃そうでしたよね
だから僕結構いっぱいたくさん曲持ってたから
曲っていうかCDいっぱい持って入れてたから
全部入れてたから
だから結構長年iPod Classicを使い続けてたんですよね
そうだよな
その時ってサブスクとかない?
そうそうそう
全てを持ち歩くっていう
そういう感じでしたよね
いやーiPod Classicあったらちょっと欲しいかも
うん
原点ってなんて
iPod Touchはあるからな
あーそうそうそう
iPodあったらやばいなぁ
うーんiPodがやっぱ最初のApple製品だったなぁ そういえば
あーそうなんだ
でも多分そういう人多いんじゃないですか?
あーまあ確かにね
なんかまあ僕の場合はたまたま順番が逆で
Macが先だった気がしますけど
えー珍しいですね
MacBookがその大学に入ったタイミングで
まだiPod確か出てたのかな
もしかしたら出てたかもしれないけど
でその僕はデザイン系の学校だったから
もうだいたいみんなMacBook買うみたいな
その頃PowerBookかな
MacBookじゃなくて
PowerBookっていう世代ですけど
PowerBook買ってMac使うみたいな感じだったから
それが最終でしたけどね僕の回は
当時はデザイン系でしか使わないみたいな感じでしたもんね
まあまあでも言ってもiMacとか出てきて割と一般的になっている時ではあったと思うけど
まあでもそれでも使ってる人は珍しいって感じでしたよね
うん、っていうおっさんホイホイでした
でも案外安くてちょっと僕もなんか買いたくなってしまいそうで危ないですね
いいですよ、所有欲が満たされます
が満たされる感じでなんと
なんか安いなぁ
なるほど
じゃあ今回はちょっと僕の方から話そうかなと思うんですけど
まぁちょっと今季節的には学生たちは夏休みっていう感じだと思うので
ちょっと夏休みといえば自由研究みたいなところで
今回自由研究的に、僕も1個研究テーマを持って勉強してそれについて話そうかなと思うんですけど
12:01
今回僕が研究したのはオリンピックとデザインというテーマで色々研究してみていて
オリンピック自体はね、東京2020の方のオリンピック自体はもう終わってしまいましたけど
まだもう少しパラリンピックの方はね、これからある色々あったりすると思うので
まだまだそういう意味ではオリンピック終わってないっていうような感じだと思うんですけど
ただ僕が今回研究したのは今のこの東京2020のオリンピックではなくて
昔あった東京1964の方のオリンピックについてちょっといろいろ勉強してきたので
東京1964のオリンピックとデザインの関係性というか
そこにどういう風にデザインが入っていたのかという部分というか
その辺についてちょっと話そうかなと思います
まずちょっと東京オリンピックについて話す前にですね
時代背景というかね
についてちょっと話そうかなと思うんですけど
まあ、東京オリンピックその頃が1964年なので、1960年代とかですよね。
うん。
で、その頃は日本にとっては戦後っていう感じなんですけども、
その頃のデザインについて言うと、
まずその頃のデザインというのは、いわゆるモダンデザインというものが提唱されていたというか、
これからモダンデザインだみたいな。
うん。
その頃からモダンデザインと言ってたのかどうかっていうのはちょっとわかんないけど
っていうのが結構いろいろ提唱されてたというか考え方としてあって
モダンデザインっていうのは何かっていうと
いわゆるもうちょっと装飾的なものじゃなくて
機能的な部分っていうのをデザインとして取り入れていこうっていう積極的にっていう考え方なんですけど
もうちょっと深く言うと、このモダンデザインっていうのは、アーツ&クラフト運動っていうのところが、一つ、こう、ターンを走っている部分なんじゃないかっていう話があってですね。
聞いたことあります。
うん。
ワーツ&クラフト運動っていうのは何かっていうと
まあ今までそれまでのデザインっていうのは
ちょうどその頃って産業革命の頃で
まあ1900年代入りたてというか
産業革命の結果こういろいろ大量生産されて
いろいろ安価なものが生まれたんだけど
なんか結構粗悪な商品みたいなのがいっぱいできたわけですよ
あんまりデザイン そこの中に デザインという考え方がなかったから
うん
そういう産業革命で変なものが いっぱいできすぎてて
15:01
なんかよくないっていうのを 批判したりとか
結構そういうのがあって それまではみんな手仕事で
いろいろ作ってたわけですよね いいものを
そういうものに回帰しようっていうのとか
あともうちょっと生活と芸術っていうのを
芸術って言ってるけど、ここでは、デザイン的なものですよね。
統一するっていうのを目指した運動っていうのが、アーツ&クラフト運動なんですよ。
なるほど。
民衆のための優れたデザインを色々提供しようって言って、色々頑張ってたんだけど、
これ結局、若干モダンデザインとは若干違っていて、
っていうの その手法としてもうちょっと昔のやり方よかったよねっていう考え方で運動してたので どっちかっていうとやっぱり装飾的な感じなんですよねこの時ってまだ
でまぁそういうふうにやってたんだけど結局なんかそれ自体は割とこうなんていうの冬草にしかやっぱりなかなかそういうのが
受け入れられなかったというかっていう感じでうまくいかなかったんですけどその一般民衆にじゃあ そういういい結果がもたらされたかっていうと
そこまでうまくいかなかったんだけど
そういうこともあったりして
その後ぐらいにドイツでバウハウスができるんですよね
バウハウスは何かって言ったら
いわゆる同じように
芸術と産業の融合っていうのを
考えたデザイン教育機関を作ろうっていうので
作られた学校で
結構バウハウスあたりから
いわゆるモダンデザインっていう考え方にすごく近い
シンプルで機能的でユーザー目線のものづくりみたいな
いわゆる装飾をすごく排除したデザイン
違う今のなんだろう
UIデザインとかデジタルプロダクトのデザインの原流的な考え方が
モダンデザイン的な装飾距離も
機能性といったらあれだけど
そうそうそう
いわゆる機能を全面に押し出したデザイン
道具としてのデザインというか
それによっていわゆる歴史だとか宗教だとか
そういう物事に全然束縛されないで
貧富の差を超えて平等に使えるもの
平等に使えるものをみんなが
というのを作りたいという考え方で
バーファースもそういう風な考え方で教えたりとかしてて
いわゆる宗教とか歴史的背景みたいなのをなくした装飾的じゃないデザイン
直線とか丸とかそういうのだけで構成されたものっていうのを結構押し始めたというか
じゃあ逆にバーハウス以前はもうちょっとなんだろう
美術とかそういう
18:00
なってたらいいのかな?装飾的なデザインってどういったものなんですかね?
まあ分かりやすく言うとなんかこうなんかこう草木の感じとか
なんて言うんだろうなこういわゆる彫刻っぽいというかさ
なんかこう昔のなんか西洋の家具とかでもさなんかやたらこうツルがクルクルってなってたりとか
あるじゃないですか ああいう感じなんですよね
まあちょっと極端な例としてはね
で、ホントで言ってもそれまでは多分セリフホントっていうのが普通だったんですよ
バウハースぐらいの時から三セリフっていうのが生まれ始めて
いわゆるもう本当に装飾がない直線とか丸だけで構成された
本当っていうのが積極的に使われたりとか生まれ始めたりしたっていう
なるほどね
まあそんな感じの時代背景もありつつ
で日本も先ほども言った通り1960年代からもう1050年経って
これからもっともっと発展していこうみたいな感じで
そこから高度経済成長に向かっていくんですけど 日本の場合は
その中でようやくその頃 日本でも
いわゆる横文字のデザインという言葉
それまでは図案とか そういうふうな言われ方してたらしいんですけど
いわゆる西洋的なデザインという言葉とともに
そういう考え方を もっともっと 取り入れていかなければならないっていう
時代に入っていくんですよね
それまでも 図案化とか 想定本とかをやってた人たちは
そういうふうなグラフィックデザイン的な 考え方にどんどん入っていくんですけど
ただ やっぱり そういうふうなやりつつ 日本もそういう意味では
世界的なデザインの考え方っていうのを もっと取り入れなきゃいけないし
なんかそういう土俵に立たなきゃいけないんじゃないかっていう話があったらしくて
それでいろいろその一線で活躍してたデザイナーたちが活動をして
いわゆる国際デザイン会議っていうのをなんとか日本でできないかっていうのを頑張った結果
1960年に国際デザイン会議が日本で行われるんですよ
そこで結構有名な海外のデザイナーとかを呼んだりしていろんな議論をしたりとか講演したりとか
そういうのがなんか1週間かな、それぐらいにわたってなんかこういろいろ議論されたらしいんですけど
なんかその頃そのデザイナーってまあいわゆるなんていうの
クライアントだったり企業に注文をもらって
それに伴って商品を作ったりとか 広報を担う職業みたいなイメージが
21:02
某々あったらしいんですけど
やっぱりデザイナーの役割ってのは そうじゃなくて
もっと社会の成長に貢献する存在というか
社会的ミッションを実現する存在で いなければならないんじゃないか
っていう考え方が 国際デザイン会議の中でも話されていて
- うん - うんうん
で その後 オリンピックだとか 大阪万博っていうのが開かれていくんですけど
うん
そのデザイン会議とかでも話していた 一線のデザイナーたちは
オリンピックとか万博みたいなものは
いわゆるそういう 国際的なデザインっていうものを
今まで話してきた社会的な成長に 貢献するっていうような話とかも含めて
これうまく実践できる場なんじゃないかっていうことで
結構そこに一線のデザイナーたちがかなり努力したというか、すごく力を注いでいったというか
へー、なるほどなるほど
なんかそういう側面があるらしいですね
じゃあ当時のその万博とかオリンピックに関わっていたデザイナーは
本当に日本でトップランクというかトップランカーが集まってたみたいな感じなんですね
僕もね、あんまり知らなかったんですけど、この勝岡さんっていう人、この人はデザイン評論家らしいんですけど、勝岡さんっていう人は。
その方を中心として、建築だったら、田下健三さんだとか、グラフィックだったら、亀倉裕作さんとか、原宏さんだとか。
あと、その頃はまだ若手だって言われてたんですけど、田中一光さん。
後の無印だったっけな、とかをやってる人だと思うんですけど。
とか、あと長井和正さんとか。
今ではかなり超大御所みたいな感じの方ですけど。
その頃はまだ若手で、そういう人もオリンピックのデザインに結構力を注いでたりとか。
あとはインダストリアルデザインだったら柳総理さんとか
その辺が関わってるって感じですね
で結構その辺のメンバーが結構この頃
いわゆるグッドデザイン賞だとか
いろんなデザイン関係の組織みたいな
NPO団体なのかそういう組織を作ったりとか
さっきのデザイン会議みたいなものを開こうといろいろ頑張ってたりとか
そういう活動をすごくしてて
すごく日本のデザイン、本当の日本のデザインという言葉の初期の活動をすごくやってた方々という感じですね。
本当にこの頃が日本のデザインという意味では初期だ感じでしたね。
へぇ〜。
じゃあ、わりとつい50年ぐらい前の話なんですね。
そうそうそう。
でも海外で言っても、いわゆる…
まあ、バーハウスができたのが…
そうそうそう バーファースができたのが 1920年代とか そのぐらいじゃなかったっけ
24:04
30年代だと思うんですけど
まだまだ歴史は浅いっていうことなんですね
そうそうそう バーファースは1919年に設立されてるから
結構だから本当にいわゆるさっき言った 機能的な考え方のデザイン
てか 工業製品とかを中心とした 産業革命に伴ったデザインっていう考え方は
割とこの頃から生まれたっていう感じですね
うん
で まあ 海外の場合だったら結構 1920年代とか その辺からやってるけど
日本はその頃 日中との戦争があったりとか 多栄養戦争とかがあったりして
結構 その辺が頓挫してた部分は あったんですけど
それが終わってから 10年かけて その辺も取り入れつつ
高度経済成長に向かっていったって感じですね
あれなんですね、今Wikipedia見てたけど
そのバーハウス以前のデザインの潮流を
R.Nuboっていう風に
あーそうだね
R.Nubo自体は聞いたことあったけど
その時のことを言うんだっていうのを今知りました
そんな感じのオリンピック前の歴史背景
いわゆるモダンデザインを なんともっと広めていこう
いわゆる社会的な意義のある デザインっていう考え方
っていうのをもっとやっていこうっていうのが 時代背景としてあって
でなんか実はオリンピックって 1940年に開催予定だったらしいんですよ
へー あっそうなんだ
実際に開催予定地だったらしいです
へー 第二次世界大戦前みたいな
そうそうそう 本当にちょうどそれぐらいで
バンパクも実は1940年に開催予定地だったらしいんですけど
へぇ~そうなんだ
ただやっぱり日中戦争の激化とか、それに伴う国際的な孤立によって
結局その開催権っていうのが返上されて
ま、幻に終わるんですけど
なるほどね
なんかでもその後だから、またそれをやろうっていう風にこう色々立ち上がって
戦後だいぶ時間がもたって復興してきたし
ていうので1960年にも一回オリンピックやろうっていう話はしてたんだけど
その時は落戦して準備不足だったっていうのもあったらしいんですけど
もう一回やりたいって言って立候補して 1964年にできることになったって
そんな感じでオリンピックやることになって
先ほど言った通り日本で一線で活躍している
田ng健蔵さんだとか亀倉さんだとか柳さんだとか田中一光さんだとかっていうのが結構この勝岡さんっていう人の声で集まって
こうやっていくっていうことになったって感じですね
27:00
でまぁ例えば田ng健蔵さんの手がけたもので代表的なもので言うと洋儀競技場みたいなのがあるんですけど
ああそうか 世話協議場は元々オリンピックに合わせてできたもの?
そうそうそう 元々そうで国立世話協議場はまあメイン会場だったんじゃないかな確かその頃の
でこれの特徴としては釣り屋根敷きって言って 屋根を釣ってるんですよねこれ
なんかこう改めて見ると結構かっこいいですね 世話協議場って
でこの中屋根を釣ってる理由っていうのがあって、この、なんていうの、中を見たときに柱を持たせないような構造になってるんですよ。
へー
だからどっから見ても綺麗に見えるというか全部が。
うーん
ような設計になっていて、まあこの2本だとかその辺の大きな支柱をぽんぽんって立てて、それにこう、なんていうの、橋と一緒ですよね。釣り羽、釣り橋みたいな感じと。
うんうん
そこに吊る感じで屋根を吊ってるんで、中がすごく開けて見えるというか
柱がない
っていうデザインをしていたりとか、なんか結構ねこれは海外ですごく評価がすごく高いって言われていて
そういうような構造的な部分もそうだし、外観としても、すごくモダンではあるんだけど
一方でこの日本らしさというか、なんかどっか見る、なんかよく見るとなんかこう
カウトみたいですね
昔の神社みたいなさ なんか
なんかそういう歴史的な感じも感じるし
そういうところがうまく融合されていて
国際的には結構なんかこうすごく評価が高いものだったりしますね
あとなんかこの頃 ちょっとこれ
そのタン健蔵さんがこの頃考えていた東京計画っていうのがあるんですけど
東京計画1960っていうのが、これはNHKとかでも話したらしいんですけど、田園圭三さんが
いわゆる東京湾を埋め立てて、そこに海上都市を作ろうみたいな考え方の計画らしいんですけど
たぶん実際にはこんな風になってないから、こんな風にはならなかったんだけど
高速道路を渡して その左右に 都市を作っていくみたいな
なんか ドバイかどっかに そういうのなかったりしたっけ?
あったっけ?
なんか 確かドバイの 内羽みたいな形した 会場都市みたいなのもありますよね
なんか そういう感じですね 画像見た感じ
なんか 結構 これ 全然余談な話なんですけど
こういうの見てて、なんかすごいなんかに似てるなと思ってたんですけど
似てるっていうか、なんかさ、あの漫画の「アキラ」ってあるじゃないですか
30:00
はいはいはい
アキラのなんか舞台とかっていうのも確かこの第三東京なんちゃらとかっていう感じのところじゃなかったっけ、確か
えーわかんない、見たことないです
あ、そうなんだ、なんかね、こう第三東京のやつあれか、エヴァンゲリオンか
アキラの場合はネオ東京かな
ふーん
なんか東京とか自体は確かその原爆かなんかでぶっ壊れて、あきらの設定上で
でもう場所がないから、東京湾を都市開発して、会場都市みたいな感じにしていくっていうような
そういう風になった状態のところから確か始まるんですよ、設定上ね
なんかそれっぽいなみたいな、たぶんこう、あきら描いてる大友勝博さんも
なんかこういう話っていうのを参考にしながら そういうのを作ったのかもしれないなって
これ完全に余談の話ですけど ちょっと思ったっていう
ドバイですね ドバイにもなんかパームジュメイラっていう
人工の島 海の上のがあって
なんかそれにちょっと似てんなと思いました
パームジュメイラ
実際にあるんですね パームジュメイラっていうのが
あるみたいですね
えー、面白い。面白い形しますね。なんかこう、カブトガニみたいな
うん、なんかね、紋章みたいな形してますよね
特徴的な、なんか曲線的な部分もあるし
まあちょっと今のはちょっと余談でしたけど、こんな感じでパンケンソンさんが良い競技場を作ったりとか
まああとはやっぱり有名なのはグラフィックですかね
亀倉さんのグラフィック、エンブレムが多分一番有名じゃないかなと思うんですけど
いやでもこれはなんか、なんて言うんだろうな
僕、自分が日本人だからっていうのもあるんですけど
日本の国旗ってすごく好きなんですよね、僕
なんかもうすごく明快でシンプルじゃないですか
それでいて赤い丸っていうさ、強烈のインパクトがあるもの
それをうまく、その、なんていうの?
大会の、オリンピックの大会のシンボルマーク、エンブレムに取り入れたっていうようなものですよね
いやなんか、初回だからできるデザインって感じがしますね
いやーまあそれは確かにね、それ確かにありますね
ここまでシンプルで、もうなんかこれをもう一回やったらあれと一緒だねみたいな、どうなっちゃうもんね、どう頑張っても
初めてだからこそできる
で、なんか多分ちょっと変えたら、ダメになったねってなっちゃうから
もう無理なんだよね、これ以上の飲み物作るって多分
おぉ、これはすごいですよね
いや、これは確かに初回だからできるっていうのはもちろんあったかもしれないですけど
33:00
なんかでも、これのオエンブレム作る時も、一応何人かでコンペをしたらしいんですよね
その中には田中一光さんとか長井一松さんとかっていう今となっては著名な方もいるんですけど
コンペをした結果はどれもイマイチだみたいな感じだったんだけど
これが出た瞬間はもうこれだわみたいな感じになって決まったらしいですね
なりそうこれが出たら
これだわになっちゃうよね
でも個人的になんかすごく面白いなって思うのはなんていうの
まあ、亀倉さんの特徴でもあると思うんですけど、グラフィックの
なんかこう、あんまり余白を持たせずに、結構バッサリ切るっていう、なんかトリミングの仕方をすごくするんですよね、亀倉さんって
で、この1964のエンブレムも、これなんか単純に画像を小さくするためにこうしてるだけじゃなくて、本当にこう、この形でこの画面いっぱいに収まった、この、この形なんですよね、なんか
これポスターの形自体はよくある、ポスターのサイズなんですよね、これって
長細いのかな?
これね、長細いらしいです。本当に。
へー、そうなんだ。
だから、特殊な紙の形らしいです。
普通の標準の定形の形じゃなくて。
じゃあ本当に四方のパディングというか、余白はないわけなんですね。
ない、ない、ないんですよ。
これはなんか一つ特徴的ですよ。
なんか僕の感覚すると、ちょっとそんな画面いっぱいにやっちゃってみたいな感じになっちゃうんだけど。
なかなか勇気がいる感じですよね。
勇気がいる感じですよね。
結構ね、なんかその頃のデザインって割とそういうのが多いような気もしますね。
余白っていうのを使い方、そういう特徴的な余白の使い方というか。
結構日の丸と五輪のマークがすごい接近してるのも、
そうそうそう、そこもね特徴的ですよね。
いやここも難しいところだと思うけど、この判断はなかなか僕にはできないなと思いますね
たぶんこう話していった方が多分自然なんだけど、話していくとなんかバラバラになっていっちゃうところもあると思うんですよ多分
これって。なんか全部その日の丸と五輪と東京1964っていうのが全部バラバラになっていってしまうとそれはそれで多分良くないって考え方があると思うんですよ
多分そういう中でできるだけ近づけて どこまで近づけても不思議じゃないというか
違和感がないかみたいなのをやった結果 こうなったんじゃないかと思うんですけど
明らかに日の丸なんだけど でも国旗そのままに見えない感じもして 絶妙ですね
ちなみに、この後、札幌東京オリンピックっていうのが1971年に行われるんですけど、
これはシンボルマーカーの永井和松さんが作ったんですけど、
ただ、見るとこんな感じなんですよ。
36:03
これは完全に亀倉さんの流れを組んでるっていう。
いわゆる赤丸と、その陶器を合わす雪のマークと五輪っていうのを合わせた。
縦に並べて合わせたっていうのがエンブレムなんですけど
完全にこれ神奈川さんの流れを組んでるなっていうのを感じますよね
てかそんななんか64年にやってすぐ72年に東京オリンピックがあったんですね
だから結構それは影響されそうですね、なんていうか。
まあなんか、これはなかなか越えられなさそうだもんね。
いやなんか、これを見た後にさ、この札幌のやつ見ちゃうとさ、
やっぱりなんか、こう、あつけ足したなみたいな感じに見えちゃうもんね。
影響を受けますよね。
むずいなーって思う、これ。
あとは、有名なやつだと、亀倉さんその後もポスターのデザインとかをやってたりするんですけど、オリンピックの
うんうん
もちろんこのエンブレムのやつもそのままポスターになって、第1号ポスターって風に感じで、なんか使われたらしいんですけど
うん
その後のポスターとして、まあ色々考えたらしいんですけど、まあその頃、それまでのオリンピックっていうのは、割とこう、なんていうの
いわゆる開催国の色だったりとか
オリンピックのモチーフみたいなのを使ったイラストレーションだとか
まあそういうのが多かったから
なんか一説によると初めてその写真を使った
ポスターっていうのを初めて使ったというか作ったというか
って言われているスタートっていうテーマの
なんかこう短距離そうか
短距離で主なスタートダッシュみたいなのを描いたやつ
これもインパクトありますよね
これもかなり躍動感があるし スポーツのイベントっていう感じがすごく伝わるし
すごい良いですよね
あと横に並べた時のエンブレム ロゴをマークっていうんですかね
っていうのもすごくうまくやってて
あーって思いますね
単純にエンブレム作った時 完全に立てて作ってるけど
まあ横で使うっていうのを想定しなきゃいけないから、多分そういうのを作んなきゃいけないんだけど、
これもなんかうまくレイアウトされていて、素晴らしいですね。
なんかちなみにでもこのスタートっていう作品は、本当にスタートを取ったわけじゃないっていう話があるらしくて、
ああ、そうなんだ。
なんかね、スタートしてから40メートルぐらい先で、なんかうまく並んだところを取ったりしてるらしいです。
ああ。
確かにクラウチングスタートってもうちょい腰が落ちてる感じがしますよね スタート直後に
39:01
でも多分そこだと躍動感が出ないからちょっと先にしてるとかあるんでしょうね きっと
これは本当の選手なんですか?
これは本当の選手なのかな?
モデルなのか
これは本当の選手かどうかちょっとわかんなかったけど
なんかこれとは別にまた第3号第4号っていうポスターも作ってるらしいんですけど
なんかその中では確かバタフライをしてるやつもあって
それは本当の戦士を確か使ったみたいな話があったような気がしますね
バタフライなんか見たことがありますね
あと聖火ランナーのやつとか
うんうん
そうだね
で結構そのオリンピック今グラフィックと建築も言いましたけど
この1964年のオリンピックで結構画期的というか、すごく良かったとされている点が、
いわゆる、今ではすごく当たり前なんだけど、デザインポリシーっていうものを徹底して、ちゃんと定めて、
それに伴っていろんな制作物を作ったりとかしていったっていう部分がすごく良かったっていうふうに言われていて、
まあ、その辺のアートディレクション的なものを全部透過してみたのが勝見正さんっていうさっき言った人で
デザインポリシーっていうのは、まあね、今で言うと割と当たり前じゃんみたいな感じなのかもしれないですけど
基本原則として、さっき作った東京大会マークを一貫してちゃんと用いるだとか
東京五輪マークの五色っていうのがあるんですけど、それをちゃんと重点的に使うとか、カラーの部分ですよね。
あと、なんか書体を統一するとかっていう、本当に当たり前のことなんですけど、
それをちゃんと徹底したっていうふうに、この大会では言ってて。
で、結構ね、この勝岡さんっていうのは、そういう、なんでこうデザインにいろいろ口酸っぱく言ってるか、
なんか元々は芸術評論からだったらしいんですけど、フランスとかそっちのほうも。
だんだんデザイン方面に 傾倒していくようになっていったらしくて
で 海外のいわゆる プロダクトを作っている会社 企業だとかっていうのは
結構こういうデザインポリシー的な部分 なんていうの 何を出す
会社が出している アウトプットしているものっていうのが すごく徹底されていたんだけど
その頃の日本っていうのは 高度経済成長に向かっている中で
全然いろんな その時々で 全然違うものを出してたりとかしていて
良くないっていうふうにずっと言ってたらしくて
そういう部分をなんとか改めようっていうわけじゃないですけど
国際的な、その良いされてるものの標準に合わせようっていう部分を
実践の場としてオリンピックっていうのをすごく使っていて
オリンピックではデザインポリシーっていうのをちゃんと定めて
統一されたアウトブットっていうのがちゃんと出るようにしようっていうのを
いろいろ苦心してやっていたみたいですね
42:01
でなんか実際に
だからチケットとかも
チケットとか確かね
誰だったかな、田中一子さんとかその辺
田中一子さんだったかわかんないけど
そういう若手メンバーが確か作ったりとかしてた気がするんですけど
これもだからそのカラーだとか
そのなんていうかモチーフっていうのを
基本的にはエンブレムを踏襲したりとか
本当も統一しててとかしてて
結構でも僕は面白いなと思ったのは
この頃のそのチケットって この頃っていうか1964のチケットって
単純にあのピクトグラムっていうのが
なんかいろいろワーワー言われてると思うんですけどもちろん
いわゆる競技のピクトグラムだけじゃなくて
そのなんか施設自体もなんかこう図案化していて
へー
で確かこうエリアごとに色変えてるから
そのエリアによって色が変わったりするんですけど
この丸の 今グレーだったりしてますけど
これはチケット?
そうですね これはチケットですね 観客用とかのデザインで
できるだけ視覚的に分かりやすいように 時間も時計で表示されていたりとか
アナログ時計の表示になっていて
この競技があって この施設でやるみたいなのが
すごく分かりやすくなってるみたいな
結構ね、この構成というか、面白いなと思いましたね。
開会式とかも、開会式はちょっとピクトグラムがないから、開会式、オープニングセレモニーって書いてありますけど、
この場所でやるみたいな、施設の図案で表してるみたいな。
やっぱその一番左、チケットの左の日の丸も全部そのオリンピックのメインビジュアルみたいなのを投手してますかね。
そうそうその辺を投手してるしカラーリングもまあそのなオリンピックからみたいな決められた色を使って投手してやっている
まあもちろん本当も一緒なんか揃えてるみたいな
でなんかこうなんだったかな一応ねー そのデザインポリシーとともに何かデザインガイドシートっていうのを作ったらしいんですけどなんか
一説によるとこのデザインガイドシートっていうのは
オリンピック終わってから結局作られたみたいな話があったらしいんですけど
本としてはね
ああはいはい
ただこの中ではもうちょっと細かくそのマークをどういうふうに使うかとか
うーん
なんかこうシンボルそれぞれ競技のシンボルだとか
についてとかエリアカラーについてとか書体どういうふうに使うかとか
そういうのがまとめたその
本みたいなものっていうのを作ったらしいです
へー
でもこの辺はやっぱりこの勝見真沢さんっていう方がすごく徹底して
うまくリーダーシップ取って色んな方面見てやってたので
45:01
もうかなりこの辺が統一されて
そこは強化が高かったらしいですね
今までのオリンピックと比べて
で まぁ だから その 一つとして ピクトグラムとかっていうのも もちろんあるわけですけど
このピクトグラムって 競技だけじゃなくて 施設のほうもあるんですよね 施設用のピクトグラム
トイレだとか 電話だとか その辺も同じように これって なんでこういうふうに進めていったかっていう部分って
やっぱり こう なんていうの それまでオリンピックって いわゆる西洋圏とかで行われてたんですけど
初めて非西洋圏、東洋での開催っていうのもあるし
そうなんだ
で、そういう意味では、日本人って日本語使うじゃないですか、基本的に
だけど、確かオリンピックの第一言語はフランス語
フランス語ですよね、確か
もしくは第二言語として英語みたいな感じで
実際にそっちの方が西洋、その参加している西洋の人たちは多く使っているわけだから
そのギャップをどういうふうに埋めるかっていう考え方の中から
いわゆるこのピクトグラムっていうのがいろいろ考え出されて
ふーん
この辺が評価されているポイントっていうのは
日本人って元々家紋みたいな文化というかそういうのがあって
うまく、そのシンプルに衣装として落とし込むっていうのが、なんか昔からよくやられてて、得意な分野だったから、
まあそれがうまくこのピクトグラムっていう部分に反映されたんじゃないかっていう話がありますね。
本当だ。東京オリンピック以前って、ほぼほぼヨーロッパか、まあ唯一オーストラリア、メルボルンがあるけど、まあ英語圏だし。
そうそうそう。
そういう意味でも、だから日本人にとっても、海外から来た人たちにとっても分かりやすいものっていうのを考えた末に、このピクトグラムっていうものがうまく生まれて、
それがまたこう、非言語化みたいな部分のコミュニケーションツールになって、うまく評価されていったっていう部分は、やっぱりあったのかなっていうものですね。
なるほど。
なので、これ以降も、このピクトグラムっていうのは、オリンピックで使われていくことになっていくんですけど、
このピクトグラムっていうのは オリンピックで使われていくことになっていくんですけど
なんかね この競技用のピクトグラムの方のやつは
実はこの勝見まさらさんが IOCに 著作権というんですかね
なんかその辺を権上したらしいですね
権上っていうか 上としたらしいですね
まあ結果的にそれは なんか勝見まさらさんの中では
多分 それをアップデートして 使い続けていってほしいっていう
意図で そういうふうにしたらしいん じゃないかって話なんだけど
結果的には それぞれの大会が 頑張って作るみたいな感じだったん
すけど 頑張って作るっていうか それぞれの大会に合わせてっていう
48:01
んですかね いい色に合わせて ちょっと脱線していくと
地球64の話だけじゃなくて その後のオリンピックの大会とかっていう
さっき言ったようにそのピクトグラム的な部分だとかっていうのが
使われていくことになるんですけど
その後はメキシコ大会っていうのがあって
メキシコの中でもいわゆるそういうピクトグラムとかっていうのがすごく使われるようになったんですけど
ピクトグラムだけじゃなくてもっとさっきの入場券の施設だとかそういうのを表現してましたけど
このメキシコ大会もそのチケットでその図柄というかそういうのがすごく対応されていて
なんかこうどの会場のどの席のどの列の何番目みたいなのはそこまでなんかこう
言語化せずに絵柄で表現するみたいなことをやっていたりしていて
メキシコ大会だいぶモダンですね
なんかでもこれもすごく理由があって、その頃のメキシコって文字を読める人っていうのが結構少なかったらしくて、
それもあって、文字が読めなくてもちゃんと伝わるようにっていうので、すごくそういう図案というか、
なるほどね。
そういうものを多用していったものにしていったっていうのがあるらしいですね。
確かに、スペイン語圏、あれメキシコスペイン語だよね、でしたよね確か。
もう初めてですもんね。これまでずっと英語圏ばっかりでやってて。
そうなのかな?スペイン大会はなかったのかな?
今、かきオリンピックの歴代国を見てたんですけど、
だいたいフランス語か、英語か、あとベルリン・ドイツ語かみたいな感じなんで。
たぶん 南米というか 中米だけど 中南米も初めてだと思うし
まあ そうだよね
でも これも 一説によると
その なんていうの
メキシコだと マヤ文明に由来する 絵文字の伝統っていうのがあるらしくて
それをうまく活かして そのピクトグラムの特徴的なピクトグラムが
作成されたんじゃないかっていう話は ありますね
波々だとか、あとなんかこういう特徴的な書体、なんかこう、なんていうの、陸上トラックみたいな線がいっぱい入ってるような。
これもいわゆる、そういうなんか、前文明とかに由来する、歴史的な衣装というか、そういうものから取られて考えられた書体らしいですね。
あーなるほどね、アステカ文明とかなんかそういうのの、
なんかこう、一に掘られた紋章みたいなのがそういう、なんと言うか結構、線を多用した感じなんす。
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で結構ね、僕このメキシコ大会のエンブレムというかシンボルマークも割と好きで、
かっこいいっすね。
結構面白くて、このたぶん68年大会なんで、68っていうのと五輪マークっていうのをうまく合わせた、
これをね、ある種、ゴリンっていうのが伝わりづらい部分っていうのは確かにあるかもしれないですけど、
一体化されていて、すごく特徴的で面白いなって思っている部分があります。
まあ確かに、前文明とかそういう歴史を組んでるんだなっていう感じが全体的にしますね。
で、この後にミュンヘンゴリンっていうのが1970年に行われるんですけど、
いわゆるデザイン的に優れていた、社会的デザインっていうのをすごく考えられたら、
そのオリンピックっていうのは、この日本のやつ、東京オリンピックと、
このメキシコの大会と、このミューヘンで終わってるらしいんですよ、実は。
終わってる?
なんかその後は、なんかあんまりそうでもないみたいな、
いわゆるこういうデザイン、社会的なデザインっていうのを考えた、そのオリンピックの大会っていうのは、
その後はあんまりそうでもないっていうふうに言われていて、
このミューヘンオリンピックが 一番最極地って言われているらしいんですよね このデザインの
っていうのもさっき言ってた ピクトグラムに関しても
いわゆる気化学的な直線と 斜め45度の直線と遠景っていうのだけで構成されている
いわゆるバウハウス的な考え方のやつであったり
東京五輪もすごかったんだけど、それにも増して衣装、衣装的な部分、レイアウトだとかカラーだとか、本当のスタイリングだとかっていうのがすごく統一されていて、
一番これがそれまでを考えてもデザイン的に優れていたって言われているらしいですね。
確かにパッと見、だいぶこう、無機質っちゃ無機質な感じはしますね。
単純にその五輪っていうだけじゃなくて、医療的な部分だとか、空港だとか、そういうのも含めて全部統一して、そういうのを徹底してやってたっていう部分があって、
この辺は、担当したのがオトルアイハーっていう方なんですけど
このオトルアイハーっていう方は、1960年の日本で行われた国際デザイン会議で
勝岡さんとかとも色々議論したり話したりしてて
そういう風な、東京オリンピックとかの景観を含みながら
こういうのを作っていったんじゃないかっていう話がありますね
ふーん
ちなみにこのミューヘン五輪で初めてマスコットキャラっていうのが生まれるらしいんですよ
そうなんだ そっからだった
このなんかね 五輪 ここの時の五輪カラーの
54:01
こうなんかこう身にまとったダックスフンドみたいなやつだった
なるほど そこにも色を使ったんです
この時初めて生まれたらしいです マスコットキャラっていうのは
逆にそれ以降は絶対いるもんなんですか? このマスコットって
いや なんかいたりいなかったりするらしいですけどね
僕もあの ちょっと ちゃんと調べてないんで わかんないですけど
まあ 今回もなんか 存在感が薄すぎるだろうって ちょっといじられてましたよね
うーん いや なんかね だから これを こういうの見てると
結構 今回は あんまりこう なんか統一感がないというかさ
うーん まあ 確かに なんて 全体にわたって
まあ そもそも あんまこうね 物理的なものを目にしてないから 基本的に
なんか バラバラとしてる感じはありますよね やっぱり
一体感がない感じっていうか
この前のね ちょっと開会式の話もそうでしたけど
やっぱりもっと俯瞰して全体を見ても
あんまり全体感バラバラしてるなみたいな
そういう印象はあるかなっていう気がしますけど
もうちょっと余談の話をすると
さっき言った1960年の国際デザイン会議では
いわゆる もうちょっと国際的に 標準化された企画っていうのを
もっと作っていかなきゃいけないんじゃないか っていう話もあって
それからだいぶ時間は経つんですけど
後に日本が考えた 非常口のサインっていうのが
国家企画っていうのから 国際企画みたいなものに発展していくっていうのが
流れとしてあって
知らなかった 日本初なんですね
うん、こう緑色の非常口のサインっていうのを
まあそれまでは日本だったら非常口って漢字で3文字で書かれたやつを大きくバーンってやるみたいな感じだったらしいんですけど
なんかいろいろ事故があったらしいんですね、火災事故みたいなのが
であれはやっぱ煙の中では見えづらいよねみたいな話とかもあったりして
でその後なんか見えづらいから大きくするかみたいな感じでバンバーンって大きくしたんだけど
大きくすると景観が悪くなるよねみたいな感じになって
どうしようみたいな感じになってるところを
じゃあピクトグラムで表現するっていうところになって
で、そのコンペだったっけな これも確か
コンペでやりつつ 最終的なアイデアを修正したりしつつ
それが国家企画として認められて
それを国際的にも企画にしようっていうところで
なんかその頃 それ以前にソ連がなんか
またちょっと違う似たようなやつを案として出してたらしいんですけど
これはもっと具体的な扉があって、人側のシルエットがあってみたいな、こういう図4の図案がそうなんですけど
これは別に日本の案を見たとか、ソ連の案を日本が見たとかそういうことはなくて、一緒に考えてこういう風になったらしいですね
へー
でも、これよりも日本の方が優れているという部分から、ソ連は自分たちの案を取り下げて、最終的には日本の案になりつつ、いろんな国から指摘を受けて修正しつつ、
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たぶん、この図5だったっけな、最終的には。
とか、T1になったりとか、国際的にはね。
うーん
っていう流れもあって
まあ割とそういう意味では1960年の国際デザイン会議っていうのは
いろんなところに初期のデザインに貢献しているっていう部分があるんじゃないかっていう話ありますね
なるほど
まあそんな感じかな
なるほど
っていうね、1964の東京オリンピックはすごかったっていう話を基本的にはしましたけど
今なんかあの、歴代オリンピックのロゴってやつを 見た気があったんで、見てたんですけど
まあ確かになんか、そのモダンデザイン、なんか歴代ロゴの
最初の、パリからか、パリからのロゴの変遷を見てみたんですけど
確かに、モダンデザインの潮流が生まれたって言ってた、60年代前後から、
やっぱ一気に現代っぽいデザイン、特に東京以降ですよね。
一気に変わりましたよね。
その東京以前、例えばローマオリンピック1960年とかって、
かなり、今見ると、今の最近のデザインとはだいぶ違うなっていう感じがしますよ。
なんかこう具象のなんかモチーフをうまく使ってっていう感じで
なんかいわゆる説明的なデザインっていう感じなんですよね
この頃ってまだ
やっぱ1964年インスブルックどこだこれは
インスブルック、オーストリアか
オーストリアから確かにちょっとずつなんかこうモダンな雰囲気が出てきて
東京でそれが加速してみたいな傾向があるなってのは
変性を見てると思いましたね
ちなみにだいたいバルセロナだったっけな
この辺りからバルセロナじゃなかったっけな
確かこの辺からね
いわゆるビジネス的なとこに降ってくるんですよね
なんかそんな感じしますね
なんか、ロゴ見てても2000年とか、98、96あたりから、ちょっとまた雰囲気変わってきますよね。
それまでのオリンピックって、結構赤字続きで、どうしようみたいな感じになってたんだけど、
その辺から、いわゆるビジネス的な感じで、確か、あれ、バルセロナじゃないっけ?
もっと前かな?ロサンゼルスとかだったっけな?
1:00:02
なんかね、その辺のUSだった気がするんですけど、
大会からいわゆるそういうビジネス的な考え方を入れて
その法営権みたいなのを売ったりとか
そういうのをいわゆるイベントとして
ビジネスのイベントとして成功させるっていう部分
っていうのをでなんかでうまくいって
そこからいわゆるビジネスっぽい感じになっていった
って感じがあるんですけど確か
確かロゴにトレードマークが入ってますね
シドニーあたりから
なんかそれ以前ってTMの表記とかなかったりするけど
はいはいはい
だからその辺も考えられてきたんですかね
そうね
なるほどね
ちなみにこのピクトグラムの変遷っていうのもあって
実は東京五輪からの
メキシコはさっき言いましたけど
メキシコとミュンヘンは
その後のモントリオールは
ミュンヘンをかなり意識してて
てか同じですねほとんど
ちょっとアップデートしたみたいな
で、その辺り、次辺りから割とね、こう、だんだんこう、いわゆる開催地の印象っていうのをすごく使うようになり始めるんですけど、
例えば、このバルセラノオリンピックだとかっていうのも、
なるほどね。
カリグラフィー的な部分を使ったりとか、アトラントオリンピックもなんかこう、
そう、そうね。
描かれた人々がモチーフみたいになったりとか、
シドリンオリンピックはなんかこう、狩猟道具のブーメランを取り入れたデザインだとか、
へー。
なんかね、そういう感じに変わってったりしますね。
ピクトグラムでもそういう、なんだろう、国民性というか、文化的な目を残したりもできるんですね。
ロンドオリンピックは何なんですか?
ロンドの地下鉄をイメージしたって書いてあるんですね。
ちょっとわかんないな。なるほど。
あれなんじゃない?これ線でうまくってことなんじゃないかな?
何線みたいな地下鉄ってあるじゃないですか。
はいはいはい。
それをなんかこう、組み合わせたみたいな印象ってことなんじゃないかな、きっと。
だからなんか、縦と横の線がいっぱい入ってんじゃん。
ああ、そういうことか。なるほどね。
線って、地下鉄の路線のことか。
そうそう、路線のこと、路線のこと。
なるほど。
面白いですね。
ていうね
案外オリンピックまあ今回1964のオリンピックについて調べましたけど
なんか面白いデザインといってにはすごく重要な時期であったし日本にとって
すごく面白いトピックだったしちょっとまあ調べていて
個人的にやっぱりまだ不勉強の部分もいっぱいあるのでなんかねまたちょっとオリオン見て
バウハースだとか
もしかしたら亀倉さんだとかっていうのを もうちょっと掘り下げて
勉強して話すみたいなことも しようかなと思ってます
1:03:04
うんうんうん
面白かったです 知らないことがたくさんありました
僕も知らないことたくさんあって 面白かったですね
うん
はい という感じで
これからまだオリンピック パラリンピックもあると思うので
ちょっとね もう少しの間
競技見て楽しんだりとかすることもあるかもしれないですけど
まぁちょっとデザイン的な部分も
もしあれだったらこう
考えてみたりとか調べてみたりすると面白いかもしれないですね
はい
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01:04:08

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