00:00
次はね、いよいよあの大審問官っていうところに入っていきます。
はい。
はい。この大審問官っていうのも、
イワンが創作した物語なんです。
次男のイワンが創作した物語。
そう。これがまさに小説内の小説みたいな感じになってるんだけども、
三男アレクセイと次男イワンが、居酒屋か何かで二人で喋る場合があって、
で、そこでイワンが語ってくれる物語、大審問官の物語があるんですよ。
へー、口で語ってくれるんだ。
そう、口で語ってくれるんですよ。書いたことないんですよ。
あ、書いてはないんだ。頭の中にあるってこと?
そう。ずっとこのことばかり考えているから、頭の中で何回も何回も考えて、もう言葉になるんですよ。
へー。なるほどね。
まあ、それで言うとあれだね。有名な話ですけど、
ドステフスキーも口述筆記でね、奥さんが書いてるんですよ。罪と罰とか。
そうなんですか?罪と罰とか?
確か。
じゃあ、ドステフスキーが喋ってて、奥さんが、なんかわかんない、手かなのかな、通りの場合は。
そうそう。何て言うの、あれ。口述筆記の人なんですよ。
速記みたいなやつ?
速記者のようなやつですよ。
へー、そうなんですか。
この物が、カラーマゾンくんは確か手で書いてたんじゃないかなと思うんだけど、
でも、それにしても、すごいよね。それぐらい、ずっと自分の中で考えててみたいな。
じゃないと逆に、めっちゃ難しいよね。
すごいよ。とんでもない化け物だよ。
ほんとだよね。
で、この大新聞館というものが、カラーマゾンくんの兄弟の中で一番有名な場面なんですよ。
うーん。
ここだけを扱って、いろんな方が述べてる。
これだけで考察できるんだ。
そう。
うーん。
解説もできるんだ。
そう。
へー。
で、これって、ジダン・イワンは無神論者で、神を信じてない。
で、一方、アレクセイは神を信じているっていう、この神を信じるか信じないか、神はいるのかいないのかっていう、
この対決が、全編続いてあるわけなんですよ。
で、一番激しくぶつかってるのが、この大新聞館というか。
うーん。
で、このね、イワンの無神論の力が強いわけね。
で、それに傾向するのが、アレクセイだったり、ゾシマ・チョウロだったりするわけ。
うーん。
でも、ハニアユタカさんなんかもね、その対立行動の中で、
だけどもやっぱり、大新聞館の力はすごい。
へー。
あれだけゾシマ・チョウロとかの、セリフね、聖なるセリフがあっても、
イワンの力はすごいって。
へー。
03:00
それは何、読み手を、そうと思わせる力みたいなことを、その無神論みたいなこととかが、譲渡されたりする。
うーん。
なんかその神はいるのかいないのかとかっていう問いに対して、結着がつけられないし、答えがなんか、
そう簡単に出ないんだけども、なんか読んでるとやっぱりイワンの方が、
やっぱり力強いっていうかその、
何かこれ、その信じてた。
優勢に感じちゃうぐらいように感じるっていう。
おおー。
で、これね、
ドストエフシティの中にあるんですよ、この2人とも。
てかこの、全部そうなんですよ、これね。
ここに出てくる登場人物ってみんな、ドストエフシティの中に生きてる人たちなんですよ。
なるほどね。
だからドストエフシティも、その、
神を、
いないんじゃないかって。
神なんかいないって気持ちもあるし、
いやいるんじゃないかっていう。
そうだよね、あれもキリストにっていう話もあった中での、
まあ両方あるっていう。
そう。
うーん。
一番最初になんか紹介した気がするんだけど、その僕にとって生涯、
一番苦しめた問題は、神が存在するのか否かなんです。
うん。
言ってたじゃないですか。
あれにずっと苦しんでて、それをさらに、あの、この作品の中でも、
やっぱりぶつけてるんですよ。
ぶつける中で自分も確かめたい、深めたいんですよ。
へー。
そう。
そう。
すごいエネルギーだね。
すごい。
だってさ、キリストにあれほど系統しててさ、
そうじゃないか分かるもん、自分の中にあるそういうものを、
気に詰めて描いてくって、結構想像できないっていう感じです。
すごいね。
うん。
すごい。
楽しみですね、ちょっとこのパートにあって。
うん。
で、このパート、ちょっとね、内容が難しいんですけれども、
ね。
難しそう。
なんか大事なのはまず、
イヴァンがなぜ無神論者なのかってところを理解するところが大事なんですね。
はー。
で、そこちょっと入っていきます。
で、その大神門館を語る前にアリクセイと対話してる、
同じ居酒屋の中でね、
言うんですよ。
うん。
で、イヴァンは何を言ってるかっていうと、
イヴァンは、
うーん、まぁ世の中でいろんな悲劇が起きている。
まさ、我々が生きてる中でも戦争とかいろんなことが起きている。
天災とか。
で、
イヴァンは特に子供への虐待ってことに、
とても心を痛めてるんですね。
うーん。
で、そういうことを語り出すんです。
読みますね。
はーい。
これ全部イヴァンが語ってるところです。
真冬の寒い日に女の子を一晩中便所に閉じ込めたんだよ。
それも女の子が夜中にうんちをすらせなかったというだけの理由でね、
まるで天使のような健やかな眠りに沈んでいる五つの子供が、
うんちを教える習慣をすっかり身につけているとでもイヴァンばかりにさ。
06:02
その罰に、
顔中に漏らしたうんこをなすりつけたり、
うんこを食べさせようとするんだ。
それも母親がだぜ。
実の母親がそんなことさせるんだよ。
しかもこの母親は便所に閉じ込められたかわいそうな子供のうめき声が、
夜中に聞こえてくるというのにぬくぬくと寝ていられるんだからな。
お前にはこれがわかるかい。
一方じゃ、自分がどんな目にあわされているのか、
まだ意味さえ理解できぬ小さな子供が、
真っ暗な寒い便所の中で、
悲しみに張り裂けそうな胸をちっぽけな拳でたたき、
血を絞るような涙も恨みもなしに、
おとなしく流しながら、
神様に守ってくださいと泣いて頼んでいるというのにさ。
お前にはこんな馬鹿げた話がわかるかい。
お前は、俺の親しい友だし、弟だ。
お前は、神に仕えるニューワナミいらない修道僧だけど、
一体何のためにこんな馬鹿げた話が必要なのか、
何のためにこんなことが作り出されるのか、
お前にはわかるかい。
これがなければ、人間はこの地上に生きていくことができない。
なぜなら、善悪を認識できなくなるだろうから、
なんていう連中もいるがね。
一体何のためにこれほどのお値を払ってまで、
こんなくだらない善悪を知らなきゃならないんだ。
だいたい、認識世界を全部ひっくるめたって、
神様に流したこの子供の涙ほど、
値打ちなんぞありゃしないんだからな。
っていう。
はあ。
いうような語りですね。
うーん。
そっか。
うん。
こんだけひどいことが世の中で起きていて、
神がいたらこうならないだろう。
うん。
うーん。
そうなんだ。
うーん。
遠藤修作さんのね、
沈黙っていう作品も、
同じ主題のことが、
やっぱり、
ある、ありますよね。
あんだけひどいことが起きているのに、
なぜ神は沈黙しているのか、
って言って、
神を疑う、
っていうのが、
あの沈黙な物語、
なんですけど。
うん。
でもあそこで遠藤修作さんが言ってるのはね、
うん。
その本当の沈黙っていうのは、
疑いがあって、
初めて、
沈黙が始まるんだって、
エッセイで書いてるんですよね。
へー。
うん。
疑いがない沈黙は、
それはただの盲目だって。
盲信だって。
はあ。
うん。
いうんですよ。
で、その、
疑って、
初めて沈黙がスタートする。
沈黙は、
99%の疑いと、
09:00
1%の信仰、
信じることで、
起きているんだ。
っていうのを、
あの、
とある有名な方を、
引用してました。
へー。
へー。
なるほどね。
それぐらい、
うーん。
やっぱり、
そう簡単に信じ、
きれるものでもないし、
だけでも、
そこに信じ、
信じたい。
そこに希望を、
見出したい、
っていうのもあるっていう。
うーん。
うん。
うん。
だからこれ、
今もね、
これね、
ここすっごい大事なとこなんですけど、
その、
無神論者なんだけど、
やっぱり、
本当にいない、
で、
100%信じきれてる訳じゃないんですよ。
うーん。
うーん。
ユアンも実は、
無意識の底で、
神を求めてるんですよ。
うん。
信じたいって、
そう。
そう。
そっか。
うん。
神がいないってことに対しての疑いの気持ちもあるし、
ってことなのか、
そこも100%信じられてる訳じゃない、
ってことなのか。
うん。
うーん。
まあ、
これよく言われるんだけど、
無神論者っていうことにはね、
そもそも神を話題にしてるということ自体が、
神のことが気になって仕方がないってことの証なんだって、
これを大きく言われるんですよ。
うーん。
確かにね、
無関心じゃないよね。
そう。
神様のこと、
気にならない方はそんなこと言わないからね。
そこまでのエネルギーで語らないよね。
B1もね。
うん。
これちょっと飛ばしてね、
こういうことも言ってるんですよ。
はい。
子供が既に散々苦しめられた後で、
時刻が一体何の強制し得ると言うんだ。
それに時刻があるとしたら、
調和もクソもないじゃないか。
俺だって許したい。応用したい。
ただ俺は人々がこれ以上苦しむのはまっぴらだよ。
言ってるんですよ。
俺B1のすごいのよ。
なんかデカくないですか?今。
デカいよ。
デカいよね。
デカいよ。
人を思う気持ちが。
うーん。
悲しみを受け止める。
うーん。そうそうそう。
ねえ。
器っていうか。
器がね。
これちょっと次も、
ZENZENも同じこと言ってるから、
ちょっと読んでみるね。
はい。
幼い受難者の、
まあこれ幼い受難者の先って逆体の子供のことをね。
幼い受難者って言ってるんですよ。
幼い受難者の言われなき血の上に築かれた自分たちの幸福を受け入れ、
それを受け入れた後、永久に幸福であり続けるなんて考えを、
お前は認めることができるかい?
ニュースですよ。
うーん。
12:00
そんな受難者がいる中で、
ねえ、幸福なんてあるわけないだろうって。
ふんふんふん。
宮沢賢治もね、なんか言いますよね。
その幸いっていうのは、全体の幸いっていうふうに。
うーん。
一個の人間個人の上にあるものじゃなくて、
全体、全体が幸いになって初めて幸いが起きるんだって。
へえ。
ねえ。
いやあ、なるほど。
これね、その、
善悪っていう問題とね、
神が存在するかいなかってこれ密接につながってるんですよ。
うーん。
さっき最初に紹介したところで、
これがなければ人間はこの地上に生きていくことができない。
なぜなら善悪を認識できなくなるだろうから。
うーん。
なんていう連中もいるがねえって言ってたじゃないですか。
はい。
で、その善悪、何が良くて何が悪いかってこれとっても難しいじゃないですか。
うん。
その、取る視点が変われば変わったりするもんだし、
時が経てば変わってきたりみたいなことさえも起きたりするし、
果たして一体何が良いということなのかって、
難しい問題じゃないですか。
確かに。
ねえ。
で、
そうなってきた時に、
えっと、
神にとって良いということが良いということなのであるっていう。
うん。わかります。
神の前において良い。
つまり、なんだろうな。
平たく言うと、
ありとあらゆる全てのものに対して良いということが良いということなんだみたいな。
うーん。
人間同士だと主観で変わっちゃうから、
超越した何かの視点を入れて良いかどうかを決めるっていう風に、
考えないと善悪扱えないんじゃないのみたいなこと?
そうなんですよ。
うーん。
そう。
だから、神が存在しないということは、
善悪がつけられなくなっちゃう。
はあはあはあ。
ことになってくる。
はいはい。
で、
キリスト教の中にもさ、
悪いことしたら地獄に落ちて、良いことしたら天国に行くっていう、
仏教の中にもみたいな、あるじゃないですか。
あれもそうなわけじゃないですか。あれも善悪があるわけですよ。
僕らもあるじゃないですか。お天と様が見てるから、
やってはいけないみたいなことが働くじゃないですか。
で、お天と様なんてないんだってことになったら、
好き勝手して妄想するじゃないですか。
人間社会が崩壊していくじゃないですか。
神はいるんですよ。
っていうことなんですよ。
はあはあはあ。
だから善悪と神の問題っていうのは、
切って切り離せない問題なんです。
うーん。
はあ。
で、それはもう自分たちの日常の問題につながってきますもんね。
善悪の問題が。
15:00
そうだね。
なんでもありになっちゃうからね。
そうなんですよ。
うーん。
はあ。
そう。
そっか。
ていうまあ、
いわんの抱いている無神論っていうのは、
こういうことを背景にして。
でもこれは触れられて良かったですね。
なんかもっとこう、霊性的な無神論者のイメージっていうか。
じゃないんですね。
そうなんですよ。
その上でじゃあ、
その大神門館みたいなところに。
はい。
入っていきたいですね。
入っていきたいと思います。
想像つかないな。
で、
この大神門館は、
舞台はね、
16世紀のスペインを舞台にしてるんですよ。
へえ。
今さ、地っていう漫画、
アニメ化にもなって。
指導説にもなっている。
読んだことある?
読ました読ました。
あれって異端神門。
まさにその話なんですよ。
異端神門が盛んな時代なんですよ。
へえ。
街中のいろんなところで、
異教徒たちが火あぶりにされてるっていうところなんですよ。
で、
そういう時に、
舞台に、
キリストが、
天から地上に、
降りてきたんですよ。
っていう話なのか。
そう。
で、
人々はすぐ気づくんですよ、それに。
気づく。
みなさん、そっか、信仰されてる、
スペインの舞台が。
そう。
それはね、
例えば盲目の老人がいたりして、
あなたはもしかしてキリスト様ですかと。
それで、あるいは治してくださいみたいなことを言って、実際に治すんですよ。
あの時、
キリストが生きてた時に、
行ったような、
奇跡を起こして、
キリストだってなったんですよ。
へえ。
そのキリストの振る舞いを見て、
この街を統治している、
鈴木教という、とても地位の高い、
大神門神という方がいらっしゃるんですよ。
役職なんですね。
大神門神という。
この異端神門とかを取りしきっている。
なるほど。
その大神門神が、
奴を捕らえろと言って、
よく思わなかったんですよ。
キリストが、
戻ってきたことに対して。
なんでだろう。
そこが大事なとこなんですよ。
後で読んでいきますけど。
牢屋にぶち込んで、
夜ですね、
大神門神が、
牢屋に来て、
キリストと話をするっていう、
話なんですよ。
ここも会話なんだ。
会話なんですよ。
じゃあ、
18:00
読んでいきますね。
深い闇の中で、
突然、牢獄の鉄の扉は開き、
等の牢大神門神、
牢というのは、
90歳くらいなんですよ、大神門神。
牢大神門神が、
頭名を片手に、
ゆっくり牢獄に入ってくる。
彼は一人きりで、
入った後、
直ちに扉は閉められる。
大神門神は、
入り口で立ち止まり、
1分か2分、
じっとキリストの顔を見つめる。
やがて、
静かに歩み寄り、
頭名をテーブルの上に置くと、
キリストに言う。
お前はキリストなのか?
キリストだろ?
だが、
返事が得られるため、
急いで付け加える。
答えなくてもよい。
黙っておれ。
それに、
お前が一体何を言えると言うのだ?
お前の言うことくらい、
分かりすぎること分かっておるわ。
その上、
お前には、
もう昔言ったことに、
何一つ付け加える権利はないのだ。
なぜ我々の邪魔をしに来た?
って言い出すんです。
しびれますね。
すごいなぁ。
そうなんですよ。
邪魔なんだね。
なぜ邪魔しに来たって言うんですよ。
だって、イタンシオンも
取りしきってるってことは、
むしろ信じてる側じゃないんだ。
その、
違うんだ。神をさ。
神を信じてますよ。
信じてます。
信じてるのに。
これちょっとじゃあ、
読んでいきますね。
この大新聞館が言います。
偉大な悪魔が、
かつて荒野で、
お前と問答を交わしたことがあったな。
福音書には、
悪魔がお前を試みようと、
したかのように伝えられているが、
本当にそうだろうか。
そして、
悪魔が三つの問いという形で、
お前に告げ、
お前が拒否し、
福音書の中で、
試みと呼ばれるあの言葉よりも、
一層真実なことを、
何かしら言えただろうか。
って言い始めるんですね。
これどういうことかっていうと、
その聖書の中で、
その悪魔が、
イエス・キリストに、
三つの問いを投げかけて、
試みていることがあるんですよ。
その話を出してるんですね。
で、それは何の、
悪魔が、
キリストに何て言ったかっていうと、
一つ目は、この石をパンにしてみろ。
って言うんですね。
そしたら人々がさ、
パンになったって言って、
飢えて苦しんでる人も助かるじゃないですか。
だからなおのこと、
人はお前に従うだろう。
21:01
って言うんですよ。
二つ目はね、
神を試みる。
高いところから、
こっから飛び降りてみろって。
お前が本当に神の子なら、
神はお前を救うだろうから、
飛び降りてみろって。
って言うんですよ。
で、
三つ目は、
お前がもし、
悪魔の私のことを聞いたら、
この世を自由にする力を与えようって。
だから私の言うことを聞けって。
って言うんですよ。
この世を自由にできるんだぞって。
これ絶対ゲイさんのファウスさんの主題なんですよね。
ここ。
うん。
で、これに対して、
キリストは全部、
否を突きつけるんですよ。
断ったんですよ。
石をパンにしてみろって。
そしたら人々は従うだろうって。
そしたらイエスは、
人はパンの実に行くる者にあらずって。
有名な言葉を言って、
断るんですよ。
で、こっから飛び降りてみろって。
言うんだけど、
神を試みてみろって言うんだけど、
神を試みてはならないのだ。
断り。
断り。
あの、
私の言うことを聞いたら、
この世を自由にする力を与えるぞって言うけども、
うん。
私はこの世に使えるものではないのだって言って、
断りつつ断っていくんだね。
はい。
で、
その話を、
大新聞館は、
切り出して、
お前が、
あの時、振る舞ったことは、
間違ってたんだってことでしょ?
って言って、言い出し始めるんですよ。
へー。
で、これちょっとね、
次読んでみると、少し分かってくると思うので、
読んでみますね。
自分で判断してみるがいい。
お前と、
あの時お前に問いを発した悪魔と、
一体どちらが正しかったか。
第一の問いを思い出すのだ。
文字通りでこそないが、
意味はこうだった。
お前は、
世の中に出ていこうと望んで、
自由の約束とやらを、
土産に、
手ぶらで行こうとしている。
ところが、
人間たちはもともと単純で、
生まれつき不作法なため、
その約束の意味を理解することもできず、
もっぱら恐れ、
怖がっている始末だ。
なぜなら、
人間と、人間社会にとって、
自由ほど耐えがたいものは、
いまだかつて、何一つなかったからなのだ。
この、
裸の焼き鳥、
ケノハラの石ころが見えるか?
この石ころを、
パンに変えてみるがいい。
そうすれば、
人類は感謝に満ちた、
従順な羊の群れのように、
お前の後について走り出すことだろう。
もっとも、
お前が手を引っ込めて、
24:01
カイラにパンを与えるのは、
やめはせぬかと、
永久に震えをのどきながらではあるがねえ。
ところが、
お前は、
人間から自由を奪うことは望まず、
平安を退けた。
服従が、
パンで買われたものなら、
何の自由があろうか、
と判断したからだ。
お前は、
人はパンのみにて生きるにあらず、
と反駁した。
って言うんです。
ちょっと整理すると、
一つ目の問いの話だね。
パンを石に変えてみろと。
そうすれば、
人類はみんな感謝に満ちて、
従うだろうと。
でも、キリストは、
自由を大切にしているんですね。
だから、
パンを与えて、
服従がパンで買われたものなら、
何の自由があろうか、
そこには自由がないだろうと。
だから、
私は石をパンには買えない。
うんうん。
うんうんって感じでもなりますね。
そうだよね。
だけども、
大新聞館は、
パンを与えたってことを言うんですよ。
まずなら、
人間は自由ほど耐えがたいものがないからだって。
そうかそうか。
ことを言うんですよ。
うんうん。
実際、
みんな自由になったら困ってるだろうって。
だから、
俺は、
パンを与えてやってんだって、
みたいなことを言うわけですよ。
うんうん。
大新聞館はね。
うんうん。
そう。
これね、
一見やっぱり、
大新聞館ってやっぱり現実を見てるんですよ。
うんうん。
で、大新聞館の目からすると、
キリストは理想論のように聞こえちゃうんですよ。
うんうん。
現実はそうじゃないって。
うんうん。
うんうん。
なんか、
ちょっと会社の中で例えると、
これちょっと微妙かもしれないんですけど、
例えば、社会人成り立ての子に、
自分の好きなことをやってみなさいって言われても、
まだ会社の補佐法も知らないし、
自分のやりたいことなんて分かんない中で、
いなり自分のやりたいことをやってくれとか言われても、
困るじゃないかみたいなね。
うんうん。
みたいなこととか。
そういうのはさ、なんかさ、フェーズをちゃんとね、
踏んでいきましょうみたいな話で、
解決できるんだけれども、
ここで言ってる自由の問題ってさ、
もっと根源的な自由の言葉を使ってるんじゃん。
うんうん。
サルトルの有名な言葉の、
サルトル系に支えられているっていう、
あの言葉があるけれども、
まさに、実は自由になると、
困ってしまうっていう、
うんうん。
ことがあるから、
私たちはちゃんと番号を与えて、
ここについてきたらいいんだよっていう風に、
27:01
やってるんだよって。
そうじゃないと路頭に迷うだろうって。
ああ、はあはあ。
まあ確かに会社の例え、
ジョンさんが言ってくれたから思ったけど、
全然レイヤー違うけど、
この理想、主義、理想的な、
そういう人と現実を見てますみたいな、
人との争いっていうのは、
あるもんね。
会社でもね。
それとはちょっと違うけど。
うーん。
そうなんだよね。
でもこれ、イエスは別に理想論を語ってるんじゃないんだよね、本当はね。
大臣も考えばそのように、
受け取ってるってことなんだけど。
そういうことか。
うーん。
こういう、
ことを発端に、
その、
あの3つの問いを挙げて、
結局、キリストが大事にした人間の自由みたいなものを、
結局その、
理想論であって、
お前は現実をわかってない。
だからお前は間違ってたんだ。
お前に今さら言う言葉はもうない。
お前がもう語ることはないって。
うーん。
っていう風に大臣文官がまあ、
言うわけです。
ちょっと、
飛ばして、
読んでみていいですか?
はい。
ここも大臣文官があります。
我々は、
お前の異形を修正し、
奇跡と神秘と権威の上にそれを築き直した。
人々もまた、
再び自分たちが羊の群れのように導かれることになり、
あれほどの苦しみをもたらした、
恐ろしい贈り物が、
やっと心から取り除かれたのを喜んだのだ。
我々が、
こんな風に教え、
実行してきたのは、
正しかったかどうか、
言ってみるがいい。
って言うんですね。
もうちょっと、
言いましょうかね。
我々が、
博も謙虚に人類の無力を認め、
愛情をもってその重荷を軽くしてやり、
我々の許しさえあれば、
人類の育児のない本性に対して、
たとえ罪深いことでさえ、
認めてやったからと言って、
果たしてそれが、
人類を愛さなかったことになるだろうか。
一体、
何のためにお前は、
今頃になって我々の邪魔をしに来たのだ。
それに、
どうして黙りこくって、
そんな賑わな目で、
しみじみとわしを眺めている。
怒るがいい。
わし自身、
お前を愛していないのだから、
お前の愛など欲しくない。
秘密。
大震猛漢のこれまでの苦悩みたいなのが、
滲んで見えますよね。
そうなんですよ。
現実の中で滑走してる。
そうなんですよ。
いきなり現れて、
今さらみたいな。
30:01
分からねえだろ、お前には。
みたいな感じ。
これも激しい感情を感じますね。
ね。
そうなのよ、高田さん。
たぶん大震猛漢もおそらく、
イース・キリストが言ったように、
やろうとしたんだけども、
でも現実の人々はもうそうじゃない。
もうファンを欲しがってるし、
導きを欲しがってるから、
ねえ。
だから導きを渡してあげないとって。
ああ。
そっか、うまくいかなかったこととかも、
ありあってきたんだね。
そう。
でもね、これね、
どうして黙りこくって、
そんなに優雅な目で、
しみじみとわしを眺めているって言うんですよ。
この話に、
キリストはずっと黙ってるんですよ。
え、そうなんだ。
で、これね、
黙ってるから、
何かね、
ここの部分に、
力があるんですよ。
その、
うーんとね、
何だろう、これって、
非常に難しい、
問題を扱っていて、
その、
大新聞館の言うことは分かるんだけれども、
でも本当にそれだけで終わるのかって、
やっぱり問わないといけない。
いや、ほんとほんと、分かんないですよ。
で、ここで、
キリストが語ってくれたら、
ああそうだそうだってなるんだけども、
キリストが黙ってくれるから、
これ我々にと言えば問いを投げてあげられてるんですよ。
うん。
この問いに対して、
ねえ、
あなたならどう答えるって。
うん。
沈黙でいてくれてるがゆえにより、
そう。
そうね。
はあ。
そうだよね。
しかも忘れがちだけど、これはイワンが語ってんだもんね。
そう。
で、キリストが語ってなくて、大新聞がずっと語ってるんだったら、
うん。
これイワンがほとんど語ってんだよね。
そうです。
これキリストが黙ってるということも、
イワンの構想の中で考えてることだからね。
うーん、そうかそうかそうか。
うん。
まあ彼がこれね、どう思って黙らせてるのかって、
まあ何か意図があったとしても、
でもその意図はそんなに大事じゃないんですよ。
うんうんうん。
作品っていうのはやっぱり作者の意図を超えてくるから。
うんうんうんうん。
でね、これ最後どうなったか。
ちょっと読みますね。
これは途中である容赦が語りかけたりもするんだけれども、
それどういうことどういうことみたいなことでね、
語りかけたりするんですよ。
でね、これ最後どうなったかっていうのはね、
これは途中である容赦が語りかけたりもするんだけれども、
まあイワンがまた言うんですよ。
こんな結末にするつもりだったんだって。
まあこれはね、
それでどう終わるのって文章で言ったから。
こんな始末にするつもりだったんだ。
審問官は口をつぐんだ後、
囚人が、囚人ってこれキリストのことね。
囚人が何と答えるかしばらく待ち受ける。
33:00
相手の沈黙が彼には重苦しくてならない。
囚人がまっすぐ彼の目を見つめる。
相手の沈黙が彼には重苦しくてならない。
囚人がまっすぐ彼の目を見つめる。
どうやら何一つ反抗する気もない様子で、
囚人がまっすぐ彼の目を見つめる。
囚人がまっすぐ彼の目を見つめる。
囚人はまあそういうっすかね。
終しいじかに、
静寂に耳をかたむけていたのが彼にはわかっていた。
就死、静かに、
耳をかたむけていたのは彼にはわかっていた。
狼心論官にしてみれば、
たとえ苦い、
恐ろしいことでもいいから、
相手に何か言ってもらいたかった。
residue
だが相手は不意に無言のまま老人に歩み寄ると 血の気のない90歳の老人の唇にそっとキスをするのだ
これが返事のすべてなのだ 老人は身振りする
唇の端で何かがピクリと動く 老人は戸口に歩み寄り扉を開けて言う
出て行け もう二度と来るなよ 全く来ちゃならんぞ 絶対に絶対にな
そして街の暗い広場へ話してやるのだ 老人は立ち去って行く
って言って終わるんですよ この大新聞館の物語
なんかすごいね 映像一言も喋らず
なんか大新聞館の気合っていうかな なんかそういう
なんだろうねこれ 面白いね
もっと議論もするのかと思ってた
そんなことさーって 最後キスされて
釈放して?釈放する? 釈放する
釈放するのも
それは何だったのか そう
そうなのよ
これね その
この大新聞館
相手に何か言ってもらいたかったって 言ってるじゃない
ねえ これさっき読んだところもさ
ねえ その
自分がやってることが果たして人類を 愛さなかったことになるだろうか
怒るがいい 怒りたい間違ってると言いたいんだったら 間違ってると怒るがいいとか言うわけですよ
何か言ってほしいんですよもう
これ言ってほしいっていうのはね
この大新聞館も心の底でこれでいいのかって やっぱ思ってるんだと思う
さっきの話だ そういうことなんですよ そういうことなんだよ
36:00
その気持ちをずっと蓋にして いやこれでいいに決まってる これでいいに決まってるって現実を見るたびに思ってきて
やってきたんだけれども ついにキリストが現れたから
問うたんですよ もう問いたかった 問いたくて仕方なかったんですよ
そうだよね本当に信じてて だったら別に会話する人もないし 見つける人もないもんね
そうなんですよ
でも待つのも怖かった 待つのも怖いからもういや黙っておれ みたいなことを言いながら
本当に言ってほしいんですよ 何でもいいから反論でもいいから言ってくれと
でもそれをずっと聞いてくれて聞いてくれて 最後の最後に
キスを
このキスっていうのはね そのそういう
大新聞館なりに 悩み葛藤し苦労して生きてきたっていうことを
受け入れてるっていう そういう振る舞いになったと思うんですよ
そして
何も言わないっていうことが
問いを 残すというか与えるというか本当にそれでいいのかってことを
与えて帰っていったってことだなと思うんです
問わず問うと そう
そういうことだね 聞くってことに対してのすごい考えさせられますね
すごい究極ですね 究極ですねこれはね
なんか前段のちょっとほら 罪のつぶなみたいなところが 本体で貫いてるみたいな話してくれる
大新聞館でもそういうテーマを 流れてる感じなのかな
ちょっとまた違う文字 ちょっとまた違うテーマでこれは
扱われてるのかな
それはなんかどうなんだろうねいろんな ことが言える気がするんだけれども
キリスト教の中では戒心するっていう言葉があるんですよ
その戒心っていうのは悔い改めるみたいなことで 神の方に向き直すっていうそういうことなんだけれども
この大新聞館もやっぱり自分が間違ってたら 戒心したいって気持ちはあると思うんですよね
でも何が正しいかどうかがわからない
だから
戒心しようにも戒心しきれないというか
どっかで間違ってるかもしれないって いや間違ってないって
そういう ものは感じてるんでしょうよね
39:01
だから罪がある かもしれんあると思っている自分も
どこか小さくはいるけどもそこに蓋している みたいなことなのかな
そのままドストエフスキー自身の 葛藤の葛藤なんですか
なんだろうって思うけれどもまずイワン そのままイワンの葛藤
イワンでもそうだよね
これはやっぱ無心忍者のイワンが自分で
作り上げてるっていうのがすごいんですよ イワンも
それをもうちょっと聞くと
これ大新聞館がそのままイワンでしょこれ そうだよね
なんかそういう感じなんですよイエスに暗号してるんですよ徹底的に
そうだよね
俺は間違ってないだろうっていうことを 突きつけてるんだけれども
でもキリストは本当にそうなのかっていう問いを 残していったってだからイワンはやっぱり
そういうふうに やっぱり決めきることができない
確かに
確かに決めきってないですよねこの物語は
確かにそういう自分の中の何かが欠かせたのかな イワンに欠かせたというか作らせたのか
ねえ
僕もっと無心論のことを主張するとか 最後はその大新聞館が
誰か分かんない論破してしまう そっちかと思ってましたね
ねえ
そうなのよ
面白い これを居酒屋で喋ってるって言うね
そうなんですよ 想像したらちょっとそれも面白かったですけどね
なんか神がいるのかいないかって言われるとさ そもそも神信じてないからそんなことさえさ問題にしたことないんすよってさ
我々の感覚だとなるじゃん でもさあさっき言ったようにさあやっぱりさあ
善悪の問題みたいなところになってくるとさ これはちょっと
ねえないが自分できない問題になってきますよね 関係じゃないですよね
じゃあどんなことしてもいいのかそうそうそうそう 自通不規する日常とそう
人間社会と 結局これ父親殺しあのまあこれあらすじは知ってても本当に問題ないから
父親殺しをしたのは何でも許されると思ってしまったからこれ殺し殺人が起きて しまったんです
あその誰が今これねあでも聞かないとこか あーでもどうせ話すかどうせ話すけどあの
スメルシャコフっていう男がいない子供じゃないんだねうん イワンに触発して
42:00
あそうなんだそう それは何でも許されるだからそうさっきの善悪の話こそ善悪がない神が
いないからそう神がいないから イワンがイワンの考えでは神はいないから善悪もない
それはつまりすべてが許されているということなんだって へー
なんかそう不思議だよねそれほど強烈な思想を持ったイワンが作る物語にしては さっきの結末はなんかすごく曖昧だった
過激じゃん今の思想ってめちゃくちゃ生き切ってるというか無心論 一方であの物語はさなんか
無心論者の理論が結局勝利を収めるみたいな感じじゃないすごい終わり方だった
面白いね そうなんですよ
イワンは神なんかいないんだよって言いまくってんの それは自分が
大新聞館と同じで確かめたいのにそうだろそうだろってそう思いますって言って欲しい わけ
そういう人を欲しがってるんですよイワンは レスポンスを
本当だその通りだなって言って自分は決着をつけたいんだよそうやって
決着がついてないからいろんな人にそれを強く言うんだそう強い言葉でそう
そしたら繋がるねさっきの大新聞館のあのストーリーの感じと
そうなのよ
そっか 善悪ね
これ難しいんだよねあの 悪人消極説って有名なさ悪人消極説あるよね
ああいうのって当時は一般に読めるもんじゃなかったね
それはやっぱりなんだろうな 悪人が救われるっていう話だから
いや悪人は地獄へ行くんじゃないんですかってなる
なるよね ででも悪人が救われるんだったらじゃあ何しても許されるんですねって
なっちゃうから悪人消極というものは広く読まれるものではないようにしてたんですよ
なるほど地にアクセスできるというのは近代以降の話だからそれはまずいことなんだってちゃんとステップを踏んで地を深めていかないといけないんだっていう
なんかおかしくなっちゃう そうだからドステフスキーのものってやっぱ悪人消極とほぼ同じテーマを使ってる
なのでまあそれはちょっと後半 味わっていきましょう
楽しみですね 1個1個が肉厚だからね
肉厚ですね
本当に面白いです 終わりましょうか
ありがとうございます