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なぜ物を覚えることができるのか、そしてどのようにしてその記憶が続くのかっていうのは、長きにわたって研究者を魅了してきた問題で、非常に多くの研究が行われてきました。
それでもまだ特定の記憶がどういうふうに脳の中に高度されて、長い間何年も記憶として保持されているのかについては、いまだによくわからない謎のままなんです。
でも100年ほど前は何もわかってなかったわけで、それと比べると今は記憶に関わる多くの因子が明らかになっています。
例えば、脳のどこで記憶が作られて保存されるのかは、だいたい検討がついています。
まず、カイバと呼ばれる領域が記憶にとって非常に重要であるということがわかっています。
この部位を損傷した人では、新しい記憶の形成ができなくなることがわかっていますし、アルザイマ病で記憶が低下するのも、この部位が萎縮するからだと考えられています。
さらに、マウスなどの動物を使った無数の研究からも、記憶におけるカイバの重要性がはっきりと示されています。
脳にはたくさんの神経細胞があって、カイバでももちろんそうで、その中では細胞間で情報を伝え合っているわけです。
学習が起きて記憶が形成されるときに、特定の細胞同士の情報の伝達が強化されます。
こういったふうに、脳の中で新しく強い結びつきができることが、細胞レベルでの記憶形成の基盤であると考えられています。
最近は、エングラムっていう言葉がよく使われるんですね。
記憶が形成されるときに、特定の複数の神経細胞が活性化されて、これらの神経細胞同士のつながりが強化されます。
こういう神経細胞のグループのつながりが保存されることがわかっていて、さらに記憶を再生するときには同じ神経細胞のグループの活動が起きるということなんです。
このような神経細胞のネットワークのような生物学的構造が、記憶の痕跡として脳の中に形成されていて、
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こういったものがエングラムと呼ばれ、これが記憶に重要であるということがわかってきています。
このエングラムの神経細胞ですが、最初に刺激によって記憶が形成されるときには、刺激を受けてすぐに最初期遺伝子、
イミディエットアーリージーンという一群の遺伝子が働くことが知られています。
これによって細胞内で新しいタンパク質が作られるんですが、新しくできたタンパク質には細胞間の情報伝達を強化するような分子が含まれています。
これがエングラムのグループの細胞で起きるので、グループの情報伝達が強化され、しかも新しいタンパク質がそこにいるので、これがしばらく保持されるということになります。
このように多くのことがわかっているんですが、それでもまだわからないことは多くて、
例えば、どうして人であれば何年という単位で記憶が保持されるのかについてはわかっていません。
最近、このエングラムと別の神経細胞が記憶に関わっていることを示す論文が発表されました。
今日は、記憶の形成の謎にDNAの損傷とそれによる免疫反応という予想外の現象を持ち込んだ興味深い研究を紹介します。
ホットサイエンティストへようこそ、佐藤です。
今日紹介するのは、ノースウェスタン大学のブラディミア・ジョバセビッチラによる研究で、2024年3月にNatureに掲載されたものです。
この論文では、マウスで分脈別恐怖条件付けという特定の環境下で電気ショックを与えて、環境とショックという恐怖をもたらすものとの組み合わせを学習して記憶するということをさせています。
まず、長い期間の記憶が形成されるときに、どんな遺伝子が働いているのかを調べました。
その長い時間経った後に特定の遺伝子が働いていれば、それが記憶に関係あるのかもしれないという考えです。
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先ほど話したエングラムで重要になる最初期遺伝子は、学習後すぐに発現が起きるので、それよりも後、学習をさせてから4日後とか21日後のマウスの脳を取ってきて、そこで働いている遺伝子に違いはないかということを調べました。
その結果、明らかになったのは、4日後では免疫に関わる遺伝子の変化、中でもTLR9というタンパク質に関わるものの変化が見られるということです。
TLR9というのは自然免疫に関わっていることがわかっていて、細胞の中で病原菌のDNAが検知されたときに反応して、炎症反応を引き起こすということがわかっています。
学習と病原菌は関係ないだろうから、これは意外なんですね。
でも、学習の数日後に何らかの理由で炎症反応のようなことが起きていそうだということなんです。
次に、この炎症反応を引き起こすのが何なのかを、この論文では調べていって突き止めています。
これが、神経細胞の中でDNAの損傷が起きていて、細胞の核からDNAの断片が出てきているということなんですね。
これがTLR9を活性化して、その結果炎症反応が起きているということでした。
学習の時には、さっき話したように新しいタンパク質ができて、ネットワークが変わって学習が起きるっていう感じなので、
DNAの損傷っていうと意外ですし、病原菌に対応するための免疫反応が神経細胞で起きているっていうのも不思議な感じがするわけです。
でも、学習の時にDNAの損傷が起きるっていう話は過去にもあって、
学習をした時に形成されるネットワーク、そのエングラムの神経細胞で、学習直後にDNAの損傷が起きるっていう話が報告されていました。
でもこれはすぐに修復されるということで、今回見つかったのとは違う現象のようです。
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さらに今回の論文では、炎症を引き起こしているDNAの損傷はエングラムの神経細胞ではなくて、別の神経細胞で起きているっていうことを明らかにしています。
というわけで、すでに記憶に重要であるとわかっていたエングラムの神経細胞とは別の細胞でDNAの損傷が起きていて、それが何日も継続していることが示されたわけです。
で、その時にできるDNAの断片によってTLR9が働いて炎症反応が起きるっていうことでした。
でもこれが記憶と関係あるかはまだわかりません。たまたま一緒に起きているだけという可能性もあるわけです。
そこでこの研究では、TLR9の遺伝子を働かなくしたマウスで記憶がどうなっているかを調べています。
ウイルスを使ってカイバの神経細胞だけでこの遺伝子をなくすっていう実験をやっていて、いろいろ対象の実験などもしているんですけれども、その結果はカイバの神経細胞にTLR9がないと記憶がおかしくなるっていうものでした。
だからTLR9は記憶に必要で、このDNAの損傷によってTLR9が働くっていう現象が記憶に関係ありそうだということになります。
さらにこの後もたくさんの実験をして、TLR9が活性化した後に何が起きるかも示しています。
まず一つはDNA修復の機構が働くということです。
中心体っていう細胞分裂に重要な構造があるんですけれども、ここにDNA修復のための構造体ができるということです。
さらにTLR9によって専門形成が促進されることと、神経細胞の周りの構造の変化が起きるということを示しています。
専門っていうのは細胞が周りを認識したり運動したりするために重要な構造で、神経細胞での専門の働きが記憶にとって重要であるということがわかっています。
さらに神経細胞の外にあるマトリクスと呼ばれるものの形成がTLR9によって刺激されるということも示していて、これも記憶に重要だということです。
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ちなみに最初のところで、学習の21日後の遺伝子発現の変化も調べたということを言ったんですけれども、
専門やマトリクスに関わる遺伝子はこの時期に働いているということも示していました。
というわけでTLR9がこのような神経細胞の変化を引き起こして、これが長期間持続することで長期的な記憶に関わっているのではないかということです。
今回の研究では何個も予想外のことが示されました。
まずDNAの損傷が起きていることが驚きですし、その結果炎症反応のようなことが起きていて、これが記憶に必要であるという点もそうです。
その通常、炎症というのは脳の機能にとって良くないもので、炎症によって神経細胞が障害することが神経変性疾患などの病気の原因であると考えられています。
でもこれが記憶を作るのに使われていることが示されたわけです。
しかも今回の反応はすでに学習に重要だとわかっていたエングラムの形成よりも後で起きているし、エングラムの神経とは別の神経細胞で起きているということも注目すべき点です。
だからこういったふうに記憶が形成される際に異なったグループが働いているということなんですね。
そうなってくると、何か刺激があったときにどの神経細胞がエングラムに組み込まれて、どの神経細胞が炎症反応を起こすのかという神経細胞の働きがどういうふうに割り振られているのかというのに興味の湧くところです。
さらに今回の研究は、記憶の形成はエングラムの働きだけで起きているわけではないということも示していて、この炎症反応の起きている神経細胞が記憶の形成や読み出しのどのタイミングで働いているのか知りたいですし、エングラムとはどのような関係なのかが大きな疑問として残っています。
というか、今回の結果を受けて、むしろどんどん疑問が湧いて知りたいことが増えていきます。
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でもこれは、この発見がそれだけ意外でかつ重要であるということを示していると思います。
じゃあこの後は、葵さんと会話形式で研究を紹介するパートです。
こんにちは、葵さん。
こんにちは、さとしさん。
先ほど記憶の話をされていましたよね?
はい、そうですね。
記憶の形成って、今でも完全に解明されていないことが多いんですが、昔は記憶物質に記憶が保存されると考えられていたってご存知でしたか?
記憶物質ですか?それは初めて聞きますね。
今でも続いている有名なポップサイエンスの雑誌で、サイエンティフィック・アメリカンというのがあるのですが、
1950年のものには、脳がどのようにして人間の経験を記憶として保存するのかは全くわかっていないと書かれていました。
当時は、記憶の生物学的な基盤についてはいろいろな仮説があるだけの段階だったんです。
どんな仮説があったんですか?
特に注目されていたのは、記憶が特定の神経細胞の分子レベルでの変化によって不合格化されるという理論です。
神経細胞の膜に含まれるタンパク質が、記憶の保存に重要な役割を果たしていると提案されていました。
さらに、この理論を実験的に進めたのが、ベイラー大学のジョルジュ・アンガーという人です。
ジョルジュ・アンガーは、記憶がペプチドという小さな分子によって保存されると考えました。
具体的には、学習をした動物の脳から抽出した物質を他の動物に注入することで、その記憶が転移することを示しました。
へー、そんなことができたんですか?
はい。有名な実験は、暗闇への恐怖の学習の実験で、まずネズミを明るい場所と暗い場所がある部屋に入れるんですね。
それで、ネズミが暗い場所に移動すると電気ショックを与えます。
そうすると、暗い場所は危険だと学習して、暗い場所を避けるようになります。
この学習した動物の脳をすりつぶして、これを別の個体に注射すると、その個体は学習する機会はなかったのに、暗い場所を避けるようになったということなんです。
この結果が、1968年にネイチャーに発表されました。
その結果は驚きですね。
はい、そうなんです。
アンガーは、このすりつぶした脳に含まれる記憶を伝える物質というものを突き止めています。
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これが15個のアミノ酸が繋がったペプチドなのですが、アミノ酸の配列も決定しています。
アンガーは、この物質を暗闇を恐れるという意味で、スコトフォビンと名付けて記憶を保持する分子だと考えました。
これによって、初めて記憶物質が童貞されて、記憶の仕組みが明らかになったということなので、
研究者だけではなくて、一般にも大きな注目を集めて、新聞などで大きく取り上げられたみたいです。
でも、今日の本編でも話したように、今は記憶は神経細胞の結びつきの変化が神経回路として記憶されるというふうに理解されていますから、
脳から抽出した物質で学習が伝わるというのは、理屈に合わないですよね。
そうなんです。最初は大きな注目を集めたのですが、その後、スコトフォビンの存在やその効果についての疑問が高まったのです。
理由としては2つあって、まず1つは、他の研究者が同じ実験を行っても同じ結果が得られないことが多かったのです。
もう1つは、アンガーの実験では適切な比較のための対象の実験が行われていない点です。
このような学習の実験では、動物は大きなストレスも受けるわけです。
記憶そのものが伝わっているわけではなくて、ストレスが伝わっていて、それで行動が変わって記憶が伝わっているように見えている可能性が指摘されています。
なるほどね。じゃあスコトフォビンの研究はもうそこで終わりっていう感じですか?
そうですね。スコトフォビンの発見から数年の間に否定する論文がたくさん出て、10年後にはもう研究されることはなくなりました。
なので、アンガーの研究は神経科学研究の歴史において不幸な事例として見られることが多いです。
しかし、それよりも前の1955年くらいから、ペプチドが学習と記憶に非特異的な影響を与えることが報告されていて、今では様々なペプチドが学習に関係していることが多くの研究で示されています。
なので、スコトフォビンの実態は、そのようなペプチドであった可能性は残されています。
ウィルソンという研究者は、スコトフォビンの配列が脳内麻薬のエンケファリンや、これも痛みに関係あるサブスタンスPという脳内で働く神経ペプチドと似ているとして、スコトフォビンが神経系で同様の役割を果たす可能性を指摘しています。
なるほど。だからスコトフォビンの正体はエンケファリンみたいな神経ペプチドで、投与した時に行動が変わったのも、こういったペプチドの生理作用で記憶を保存する物質というわけではなかったという話なんですね。
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でも、葵さんはこんな歴史の闇に消えたような話をなんで知っているんですか?
最近本で読んだんですよ。
そうなんですね。僕一応神経科学は専門なんですけど、全然聞いたことなかったです。じゃあ今日はこんなところにしましょうか。
そうですね。
じゃあ今日も最後までお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございました。