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それでは読みます。エペストビートへの手紙1章13節14節
このキリストにあって、あなた方もまた真理の言葉、あなた方の救いの福音を聞いて、それを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。
聖霊は、私たちが御国を受け継ぐことの保証です。 この言葉、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光が褒め称えられるためです。
今日はこのところから、証印と保証、証印と保証と題して御言葉を取り継ぎます。
皆さんおはようございます。梅雨が先週の金曜日ですか、埼玉県関東、明けましたけれども、本当にもう空がですね、真夏の空になって暑い日が続いていますけども、このように共に礼拝できることを感謝しています。
エアコンもですね、少し下げているんですけども、まだ下げる必要があればちょっと下げてください。21と設定してますけど、なかなかですね、下がらないか、みたいですけどね。
窓を開けたりしていますから。さあ、エピソードビートの手紙をずっと学んでいますが、今日はですね、この皆さん手元に聖書があれば見ていただきたいんですけども、
1章3節から14節が一つの段落になっています。 大雑把に言うとですね、3節から14節はパウロのある学者によれば
祈りというか、神を褒めたたえる祈り、そのようにも読めるわけです。 そこの締めくりの部分がこの13、14節であります。
パウロはこれまでのところですね、3節にあるように天上にあるすべての霊的祝福をもって神が私たちを祝福してくださったといって、その祝福を
挙げてきました。そして具体的に今まで毎週見てきましたが、 一つ目は神様に選ばれて養子とされたこと。
すべての点が世界の始まる前からとパウロが前置きしていますけれども、まず神の養子とされた。
そしてイエス様の血によって贖われた。罪の許しを得た。それが2つ目の祝福。 そして3つ目、先週見ましたが
養子と関係ありますが、私たちが相続人として 神の財産イエス様と同じものを受け継ぐ、そういう祝福が語られています。
そして今日はですね、その中でもこのまとめであり、新しく 聖霊という言葉、聖霊なる神様の祝福とでも言えますか。
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そのことが書かれています。そして今日のカギとなる言葉は、この聖因と保障。 聖霊による聖因と保障です。
それらを3つの点から学んでいきます。 まず第一ですね。
聖霊による聖因の一つ目、1章13節ですね。 このキリストにあってあなた方もまた真理の言葉、
すなわちあなた方の救いの福音を聞いて、それを信じたことにより、 約束の聖霊によって聖因を押されました。
約束の聖霊によって聖因を押されたということで、約束の成就と聖霊と聖因が関わっているわけです。
この聖因にはいくつか意味があります。 なかなか身近に思えませんけれども、イエス様を信じた私たちを、神は聖霊によって聖因を押したと言っているんですね。
聖因と似たこと、身近なことであれば、新型コロナウイルスの感染拡大から、非接触型のコミュニケーションが重宝されて、
印鑑を押さなくなりました。もう宅急便の中でも印鑑を押しません。 書類でも脱犯告白が進んでいます。また環境に配慮したラベルレス、ラベルがないペットボトルというのも売られています。
それもよく売れています。その聖因は、今の印鑑や商品のラベルと似ている、あるいは同じようなものです。
そしてこの聖因には、いくつかの意味がありますが、一つ目には、
所有権という意味が聖因にはあるわけです。
ある学者は、このように言うんですね。ここにも書いてあります。
聖因が表す所有権について、学者はこう言うんですね。この聖因は、キリストの主権の下に移されたものに対して刻まれる、
神の所有を表す印だ。 聖令が与えられているというのは、私たちは神のものだという印だというのです。
実はですね、このパウロがエピストリティのお手紙を書いている当時、あるカルトがあったんです。宗教カルト。そのカルトはですね、信者に入れ墨を入れさせました。
そしてその入れ墨が何をしていたか、意味していたかというと、その得体の知れない神々や、その組織の信者は所有物である。
自分の所有権を譲渡する、そういう意味がその入れ墨にあったようです。
私たちは文字通りこのような入れ墨は入れません。 聖令をその借り与えられています。
私たちはその得体の知れない神々でもなければ、組織の奴隷でもなくて、まことの神様のものとなった。
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これが聖令が与えられている意味なんです。 私たちは
どんな霊的な存在のものでもなく、神様ご自身のものとなった。 それが聖令が与えられ、承認が与えられているという意味であるわけですね。
この所有権の他に、もう一つの承認の意味、それは
破壊されずに、その商品を運ぶという保障があったんです。 生産者が商品を大事に運ぶように、パウロは船で旅して
南船しましたけれども、そのような過酷な船旅なども当時ありましたから、
贈り主や所有者が荷物を大事に運ぶように、 私たちを作られた神様は、神様の大切な作品である私たちを運んでくださる。
天国への旅路にたどり着くまで守ってくださる。 それが聖令が与えられている、承認が与えられているという意味なんですね。
私たち、 生涯続けて信仰を全うできるのか不安になります。
私も大学1年生の4月にイエス様を信じましたけれども、 長い生涯自分は信仰を全うできるんだろうか。
そんな不安がありました。 しかしそのような心配はありません。
私たち、この世の中で何があったとしても、たとえ私たちが弱くあったとしても、
神様が私たちを天国まで無事送り届けてくださるわけです。
聖令様が共におられる。それは聖令が共におられて、私たちの旅路を守ってくださる。
そのような意味でもあるわけですね。 このような信仰について約束について、神様が直接ですね
旧約聖書でこう語られています。
ごめんなさい。 なんか動かなくなってしまいましたね。
イザヤ書の46章3節から4節。ヤコブの家よ、それはイスラエルの神の民よって言うんですね。
ヤコブの家よ、私に聞け。 イスラエルの家のすべての残りの者よ。
体内にいた時から担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたが年を取っても私は同じようにする。 最後読んでみましょうか。
あなたが白馬になっても私は背負う。 私はそうしてきたのだ。私は運ぶ、背負って救い出す。
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年を取ってもあなたをきちんと運ぶよ。なぜなら、
体内にいた時からさえあなたを私は担いでいるから、生まれる前からあなたを選んで運んでいるからだと、
その神様を約束してくださっています。 そのような、まさにコロナ禍でいろんな不安がありますけれども、
神の約束を私たちの拠り所としましょう。
2番目。
精霊は私たちの品質保証である。 そういう意味があるわけです。
承印をされたもの、商品ラベルが貼ってあるもの、それは製造者によってその品質が保証されているということですね。
私は最近、逆流性食堂炎がひどくなってから、
紅茶を飲むようになって、アイスコーヒーじゃなくてアイスティーとか買うんですけど、そのラベルにですね、この有機栽培とか、
インドの標高1500メートル以上の農場で生産している茶葉を使っていますとかですね、そういうラベルには保証がちゃんとあるわけです。
神様が実は私たち自身の品質を保証してくださっているということなんです。
言い換えると、周囲の人に対して神様が、
周囲の人に対して私たちの存在を通して、その福音の品質を保証し明かしする存在になるというんですね。
どういうことか、私たちは弱さや欠点があります。
しかし、私たちの限界を超えて、私たちの中に与えられている精霊様によって、私たちは良い身を結ぶことができるわけです。
このラベルが貼られている器、器は綺麗かもしれませんけども、器の中身が大事ですね。
私たちがペットボトルや何かの容器だとすれば、器だとすれば、私たちの中には最高品質のご精霊様が宿っておられる。
そこに品質保証があるわけです。
私たちの弱さとうちにある宝について、パウルはこのように述べているんですね。
第二コリント四章七説。
私たちはこの宝を土の器の中に入れています。
それはこの計り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。
第二コリント四章七説。
罪ゆえに私たちの体はやがて朽ちていくかもしれない、様々な弱さがあるかもしれないけれども、その土の器の中に神の計り知れない宝があるとパウルは約束しています。
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実はこれが最後の点につながっていきます。
三番目、精霊の意味として相続財産や贖いの感性を保証するご精霊という意味があるわけです。
今日読んだ二言葉のもう一つの三言葉一章十四説ここにありますね。
精霊は私たちが受け継ぐ、私たちが御国を受け継ぐことの保証です。
このことは私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光が褒めたたえられるためです。
この十四説の保証という言葉、
客注付きの聖書をご覧の方は星印があって目につくと思いますが、直訳では手付金となっています。
様々ですね今の時代でも何か購入する時に論を組む、論を組む場合、
その論を組む際に頭金を支払うわけですよね。それはどういうことかというと、やがて全部払いますよという約束の手付金であるわけです。
あるいはですね、
何でも鑑定団なんかよく見ていると、こういう話よく聞きますよね。骨董品屋に行ったら店主が出てきてですね、
ご主人この特別な品物があるんですよ、と持ってくるわけです。いくらだ?
200万とか聞いてですね、手持ちのお金今10万円しかないけどそれを置いていって家に帰って、ある人には奥さんに言って奥さんに内緒でですね、
残りのお金を持ってきてその骨董品を買うということがあるわけです。
この手付金というのはやがて全部支払いますというその保証のお金ですね。
同じように神様は私たちにこの手付金として精霊を与えてくださった。
これはどういうことか。 ちょっとわかりにくいかもしれませんがこういうことです。
支払いを待っている骨董品屋の店主が私たちと考えてください。
そして骨董品を買おうとして手付金を払っている方が神様だと考えてください。
私たちがやがてイエス様と同じ姿になる贖いが完成するとか、
イエス様と同じものを相続する、これが御国を相続するという意味なんですけれども、その状態が神様が全部支払いを完成するという意味と考えてください。
先週学いましたけれども、その前学いましたけれども、神様は私たちに贖いの完成を約束してくださいましたね。
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その意味は、やがて私たちが復活のイエス様と同じ姿になって、罪がない栄光の体に変えられる。
悩みやまた病の心配がない栄光の体、罪から自由になったイエス様と同じ復活の体が与えられるという、それが完成された状態です。
また、先週少し話しましたが、イエス様がやがて全宇宙のものを相続する、その時に全てが一つになって、私たちもイエス様とともに同じものを相続する。
その約束がありました。それが神様が私たちに対して残りの分を全て支払うという状態です。
でも、いつも言ってますが、これらの約束は私たちが地上の生涯にいる間、成就しませんね。完全には成就しません。
私たちは相変わらず罪に悩んだり、また何かの不足に頭を悩ませることがあるわけですね。
それはそれとしまして、私たちは完成はしませんけれども、そこで神様が手付金として私たちに精霊を授けてくださったんです。
それはどういうことか。将来残りの全額を支払うが如く、品性において完成して、また所有において何か不足ない状態に神はしてくださる、その保障として精霊を授けてくださったんですね。
では、特に最後、私たちの贖いとの関係について詳しく見ていきます。
成果と関わること、私たちがイエス様と同じ姿に変えられていくということと関連して、最後話をまとめます。
実は皆さんも体験したと思いますが、イエス様を信じた後、私たちは内側から変えられて、良いことをしたいと思うようになりますね。
神様に喜ばれることをしたいと思うように。それはつまりイエス様に精霊が授けられて、私たちが内側から変えられ始めたということになります。
意思や考え方が変えられていきます。御言葉や祈りに触れながら変えられていきます。
そして良いことを行うようになるんですね。
三玉の実を結び始める。パウロが別の手紙でその三玉の実についてこう言っていますね。
ガラディア人の手紙の5章の22節から23節。
しかし三玉の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、乳和、慈悲です。
このようなものを禁ずる立法はありません。この三玉の実、それを結ぶように。
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実は私は明日1回目のワクチン接種を受けられるんですけども、いろんな話を聞くと、二座市でも何か遅れているという人もいれば進んでいるという人もいます。
とにかくワクチン接種が進んでいるアメリカやイギリスでは、ほぼいろんなイベントや飲食店が元の状態になっていますよね。
しかし私たち日本は接種が遅れていて、多くの制約群の中にまだあるわけです。
そんな中、私たちが自分が風情でありながらも、神様が人を愛するように、私たちが自分を愛するが如く、また他の人のために何かを捧げるならば、それは精霊が働いている証拠でしょう。
ありきたりの、まあしいと言えばつまらないと思うような日常の中でも何か喜びを生み出すことができれば、それも精霊の堂々かと言えるかもしれません。
そして様々な不安がよぎる時に、見応えや祈りにおいて平安が与えられるならば、それも精霊の実です。
しかしもし私たちが将来、神様の約束の相続分を全て授かったならば、そして完全に私たちがイエス様と同じように暴れられるならば、
愛にも喜びにも平安にも、そしてこの世が全ての精霊の実である徳においても、何一つ欠けたものとないものとされるわけです。
あるいはこの世の喜びに、何者も変え難い喜びを天において体験するようになるんですね。
その完成の約束、それが精霊によって保証されています。
そして私たちが御国に着いた時に、私たちはまさに精霊の実ならず、神様御自身を相続して、何一つ欠けたところのないものとして、神を褒めたたえて過ごすようになるわけです。
神が相続であるという望みを覚えるために、最後にこの見方を共に読んで終わりにしたいと思います。
詩篇の十六篇の五節ですね。読める方だけで結構ですから、読んでみましょう。
三杯。
主は私への割り当て分、また杯。あなたは私の受ける分を固く保たれます。
詩篇十六篇の五節。お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
あなたが約束の日に、あなたの贖いとまた御国の相続を完成してくださると約束してくださっていることを感謝いたします。
しかし私たちは死にゆく身であるがゆえに、この地上においては完成を知ることができません。
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しかしその中で、御精霊合掌院としてまた保障として与えられ、私たち自身、また私たちの旅路を、そしてあなたから与えられる霊的な祝福のすべてを保障してくださっていることを感謝いたします。
どうかこの三珠の珠物を日々味わいながら、天の御国を目指して、あなたと共に歩むことができますように。
そしてどうか賭けのある私たちを通して、あなたの福音の素晴らしさを輝かせてくださるようお願いいたします。
この願いと感謝を、私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
それでは神様の御言葉に応えて、一分ほどそれぞれお祈りください。