2021-07-11 23:17

#63 21/7/11 宇宙規模の相続

エペソ-12からの礼拝説教。2021年7月11日録音。過去を悔い、現在に悩み、将来を悲観する必要のないその理由について考えます。イエス様にあって私たちは御国を受け継ぐ者とされました。その祝福に関わる3つの点から学んでみましょう。私たちの悩みが小さく見える神様からの豊かな賜物とは?

00:03
手紙1章11節12節
以上です。
今日はこのところから、宇宙規模の相続、宇宙規模の相続と題して御言葉を取り継ぎます。
みなさん、おはようございます。
7月も半ばになりました。
新型コロナウイルスの感染がなかなか冷めやらず、第5波の入り口とまで言われていまして、東京などでですね、また、
今日から緊急事態宣言が発令されることになりました。
オリンピック期間中、ずっと緊急事態宣言下の中で、そして、いろいろドタバタがある中で、結局五輪も無観客で開催されるということが決まった次第ですね。
なかなか、そういう、なんて言うんでしょうかね、落ち着かないというか、絶えず不安材料があるような中ですけれども、
偉大な神様のですね、そのご計画と言いますか、そこに私たちが置かれていることの幸い、また神様偉大さというものを振り返りながら、
今日も生きる過程にできたらと思います。
さて、いつも言っていますが、このエペソですね。
エペソビートの手紙、この地域性からですね、彼らに向けて語られたメッセージは、今の私たちにも非常に意味を持ってくる。
それはあるゆえにですね、私たちも自分へのメッセージとして、ここの御言葉から学んでいます。
今日読んだ2節ですけれども、この箇所もこれまでの1章3節、1章の3節以降、あるいは始めからの流れに沿って話が進められています。
また機会があればですね、1章の1節からちょっと前後考えながら読んでくださればわかりますが、
この一つの主題は、神様の天にあるあらゆる霊的な祝福をもって私たちが祝福されているということです。
その祝福の中でも、今日の箇所では、その養子とされるということと関係する御言葉を学んでいきます。
03:06
その11節、後でも見ますけれども、「御国を受け継ぐ者となりました。」とあります。
相続人となったということですが、この相続人となるということは、養子と密接に関係している、前も学んだ通りですね。
ですから、今日はその養子とされた中での相続人ということについて、その祝福について学びます。
次の3つの点、まずイエス様においてそれがなされているということ、
2番目はその相続の偉大さ、そして3番目はその上で全てを成し遂げてくださる神様、そのことを学んでいきましょう。
それでは最初の点です。
第1番目の点は、イエス様のうちにイエス様と一つにされてということです。
ちょっと読める方、前これ見れますかね。
開かなくても今日大丈夫です。
じゃあこの御言葉をちょっと読んでみましょうか。
3、またキリストにあって私たちは御国を受け継ぐ者となりました。
全てを御心による計画のままに行う方の目的に従い、あらかじめそのように定められていたのです。
一書の十一節。
このキリストにあってという言葉が最初の鍵です。
この私たちが養子とされ相続人となった、その中で欠かせないことがあります。
ことというか、欠かせないお方がおられます。
また、私たちの神様のすべての祝福は、イエス様によってもたらされているということです。
ですからこのエペソーションの前半から含めて、エペソーションの中ではたくさんですね、
キリストにあってを意味する、彼にあってとか彼においてとか、英語ではin himというね。
この言葉が何度も出てきます。in him。
鍵はイエス様にあって、私たちは相続人とされたということです。
それはどういう意味か。
それはですね、私たちがイエス様を信じた後、何が起こるかというと、
イエス様と一つにされるんですね。
英語でunion with Christ、イエス様との結合。
イエス様にあってというのはそういう意味です。
イエス様を救い主と信じることによって、私たちはイエス様と一つとされた。
それと似ているのは、夫婦に関して二人は一心同体だという。
そういうことも御言葉にありますが、イエス様にあってというのはイエス様と一つになったということです。
06:02
ですから私たちがイエス様の家に入れられて、イエス様にあって相続人となるというのはこういう意味があるんですね。
つまりそれは、イエス様と一つになった私たちにとって、イエス様のものは全て私たちのものになるということです。
なぜか、私たちがイエス様の家に入れられて、イエス様と一つとなったということは、
私たちイコールイエス様、ちょっと極端な言い方ですけれども、私たちイコールイエス様ということです。
ですから、イエス様のものは全て私たちのものとなりますから、
神様の相続財産をイエス様のものである神様からの相続財産をイエス様と一緒に私たちが手に入れるのは当然のことだからですね。
よくね、冗談で言いますよね。
お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの、そういう冗談ありますけれども、そうじゃなくて、
イエス様のものが私たちのものになった。
私のものはあなたのものだとイエス様が私たちに言ってくださっている。
神様がそう皆知ってくださっているということですね。
では私たちはイエス様と一緒に何を相続したんでしょうか。何を相続するのでしょうか。
それを知るために先週の御言葉に立ち帰ってみたいと思います。
それは偉大な相続、宇宙規模の相続だって言うんですね。
ちょっとまた読める方、前にも掲示してありますが、読んでみましょう。
1章の9節の後半と10節です。
その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお盾になった身旨に従い、
時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、
一切のものがキリストにあって一つに集められることです。
特にこの最後ですね。神の御計画が実行に移されると何があるか。
その計画、それは天と地のある全てのものがイエス様にあって一つに集められることだと先週学びました。
それは難しい言葉で言うと、世界の終わりと言いますかね、完成の日が来る。
その世界の完成の日を迎えると、神様はイエス様にあって全宇宙をあがなう。
そういうことです。
そしてですね、あたかも一国の王様がその国のものすべてを主宙に収めるように、
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ミザにおられるイエス様は、天地万物すべてのものを、
ご自分のものとしてその主宙に収めるということです。
これはですね、私たちの想像をはるかに超える出来事ですね。
それに関することがこのエペソビトの手紙の少し先に書いてあります。
ちょっと長いんですが読んでみますね。
1章の20節から22節。
神がその全能の力をキリストのうちに働かせて、
キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座につかせて、
すべての支配、権威、権力、主権の上に、また今の世ばかりでなく、
次に来る世においても唱えられる、すべての名の上にイエス様を高くおかれました。
また神は一切のものをキリストの足の下に従わせ、
一切のものの上に立つ頭であるキリストを教会に与えなりました。
赤い字で強調しましたが、すべてのものがイエス様のものになる、
イエス様の足元に、大なるイエス様の足元に従うということですね。
先週お話しした銀河系の話がありましたね。
この銀河系の中に私たちの地球が属する太陽系があります。
この銀河系の直径は10万光年と先週伝えました。
光の速さで言ってもここの間が10万年かかるわけですね。
とてもくだらないことなんですけど、
小学校のテストで穴埋め、この言葉を使ってある文章を作りなさいという問題が出たんです。
万年という言葉が問題になったんですね。
ある生徒は100万年、1万年、100万年、1万年と答えたんですけど、
それはさておきまして、銀河系の横幅が10万光年なんですけど、
先週伝えませんでしたが、厚みがありまして、その厚みも1億5千万光年。
1億5千万年、光の速さで言ってもかかる。
この周りを追っているものがいわゆる天の川として、
先週7月7日ありまして見えませんでしたけど、天の川として地球からも見えるわけです。
そしてこの太陽系が属する銀河系が宇宙には数十億から数千億ある。
とてつもない大きさ。これは宇宙です。
そしてこれら全てがイエス様の手中にあるということは、
私たちがイエス様と共に相続するということは、
私たちもこの全宇宙をイエス様と共にすべおさめる、相続する。
12:03
相続もできないほどの相続財産をイエス様と共に私たちは受け継ぐものとされたということです。
私たちはですね、日々の生活のやりくりに苦労したり、私もそうです。
新型コロナウイルスの感染状況にヤキモキしますね。
しかしそんな私たちにとって何ともこの宇宙規模の話というのはスケールが大きいことでしょうかね。
目の前のことによって精一杯になってしまうのが私たちの現実かもしれません。
でも先週私は撤去した後も外を歩いていてそうだったのですが、
空を見上げる時に、太陽、見えませんけど太陽を見たり、月、星を眺める時に、
これらの神にある祝福や偉大さを思い巡らせてみましょう。
目の前のことで私たち精一杯になってしまいますが、
時に空を見上げてこれらのことを思い巡らせてはいかがでしょうか。
最後のポイントです。
3番目はその全宇宙的贖いの中でですね、
今日新しい真理がパウロによって語られています。
それは全てを御心のために働かせる神様ということなんです。
相続と贖いに関わる新しい神のお姿というか属性という言葉で言うんですけど、
神様御自身のありようについて今日の御言葉で新しい真理が出てきます。
それは前にも掲示していますが、
神様が御自分の意思によって全てを実行され成し遂げられるということです。
神の御心と意思という言葉とそのために絶えず働いておられる神様、
それが新しいパウロに告げられた真理です。
この絶えず働いておられる神様ということを覚えておいてください。
このことが今日の1章11節のある部分に明らかにされています。
それを読んでみますね。
またキリストにあって私たちは御国を受け継ぐ者となりました。
それをさっき読みました。
全てを御心による計画のままに行う方の目的に従い、
あらかじめそのように定められていたのです。
ここなんですね。
ギリシャ語の原文で見ると、
全てを行う方と書いてあります。
全てを神の御計画によって行う神様と元の言葉で読めるんですね。
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この信仰と関連して、
パウルは身に起こる試練についてこういう考えを持っていたんです。
前にも掲示しました。
当時のギリシャ哲学には運命論が一般的だったんですね。
しかし試練や不幸に見える出来事について、
彼は運命論から来る諦めとは違い、
試練の中にさえ神様の意思と目的がある。
その上で一見不幸に見える出来事も、
神様の贖いの計画の一部であると理解するわけです。
その時に将来への希望が生まれる。
これが試練に関わるパウルの見方、
神の意思、そしてそこから希望が生まれるということなんですね。
当然私も過去を嘆くことがあります。
しかし皆さんもご存知のように、
すでに過去に起こった出来事や身に振りかかった出来事について、
後悔しても過去を変えることはできませんね。
それでも振り返ってしまうのが人情ではあるかもしれませんがね。
でもそういう神様のご計画のままに働いてくださる神様を信じている私たちはですね、
過去を後悔したり嘆く必要もないですし、
ましてや過去や今を基準に将来を悲観する必要もないんです。
それがパウルも持っていた信仰の態度ですね。
なぜかそれは過去の出来事においても、
あるいは今振りかかっている出来事についても、
神様はご自分の意思によって良い計画を実行される。
全て実行される。
そして神様はご自身の究極の伝なる目的を必ず成し遂げてくださるからです。
ですから私たちが試練に遭ったとしても、
その試練さえも私たちの贖いに繋がっていきます。
つまり、私たちの身に起こる試練が贖いに繋がるということはどういうことかというとですね、
つまり私たちの身の回りに起こる出来事の中で、
あるいはそれを通してさえ神様はその時も働いておられるわけです。
神の節理といいます。
その手も神様は働いておられるわけです。
18:02
そして私たちをイエス様の身姿に変え続けてくださるんですね。
禁を精錬するように神は私たちを精錬するという言葉もありますが、
私たちの信仰者としての人間としての順道をですね、
試練を通してさえもましてイエス様の身姿へと変え続けてくださる。
これがですね、私たちの身に贖いが起こるということであるわけなんですね。
そしてさらにはですね、この出来事を通してさえ神様の栄光が表される。
具体的に言うとこの出来事を通してさえ、
神様はやはり素晴らしかったんだと後で言うことができる。
そういう心を持っている時に私たちは神様への賛美を、
私たちの心に神様の賛美が生まれてくるわけです。
さっき言いませんでしたけど、それが12節にありますが、
それは神の栄光が褒めたたえられるためです。
それが実現していくわけですね。
実はパウロはこの言葉をローマ人の手紙の中でも述べているんですね。
8章29節から30節でパウロはこう言っています。
神はあらかじめ知っている人たちを、ここでも神がすでに選んだという思想がありますね。
神はあらかじめ知っている人たちを、つまり信じている私たちを、
巫女の形と同じ姿にあらかじめ定めておられたのです。
それは多くの兄弟たちの中で巫女が長子となるためです。
イエス様が私たちのゴールです。
神はあらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、
これも贖えの成果の技ですね。
義と認めた人たちにはさらに栄光を与えなりました。
終わりの日に贖えが完成し、主の栄光の姿に私たちが預かる。
そういう約束がある。
このように私たちは神様によって選ばれている。
なぜかイエス様の栄光の姿と同じになるべく既に選ばれている。
そして私たちがこの人生の旅路でいろんな経験をしていく中で、
私たちは神様にあって練り上げられていきます。
そしてその中で私たちはイエス様の栄光の姿から栄光の姿へと変えられ続けるんだとパウロは告げているわけですね。
実はその約束を踏まえた上で、
試練に関して私たちがよく知る有名な御言葉の意味が成してくるわけなんです。
こういう選びと栄光へ導かれていくという信仰がある中で、
21:02
この有名な御言葉が生きてくるわけなんですね。
最後皆さんこの御言葉を読んで終わりにしたいと思います。
ローマ8章28節。前にも掲示しまして読めるか読んでみましょう。
神を愛する人たち、すなわち神の御計画に従って召された人たちのためには、
全てのことが共に働いて益となることを私たちは知っています。
御意味にしましょう。
天の父なる神様、皆を賛美いたします。
イエス様にあって、あなたは私たちに全ての霊的な祝福を与えて下さいました。
あなた御自身は偉大すぎ、またあなたが作られた秘蔵物さえも大きすぎて、
私たちには理解することが時にはできません。
しかしそのような偉大なものを私たちが、
イエス様と共に相続できる幸いを感謝いたします。
新型コロナウイルスの蔓延がなかなか収まらず、
様々な不安も冷めやらない日々が続きますけれども、
どうぞ私たちがこのあなたからいただいた大いなる贖いという祝福を思い巡らせながら、
あなたと共にあなたの御計画、またいつも働いておられるあなた御自身を信頼し、
自分でいくことができるようにどうか導いて下さい。
どうかそれによって自然に私たちの心からあなたへの賛美が、
あなたの栄光を褒めたたえる言葉が生まれますようどうか導いて下さい。
この願いと感謝を私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
それではしばらく神様の祝福に応答してお祈りしましょう。
1分ほどどうぞ神様に応えてお祈りする時間を持って下さい。
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