2021-02-28 22:41

#44/2/28 3つの祈り

コロサイ4:2-3からの礼拝メッセージ。2021年2月28日録音。コロナ禍でクリスチャンに限らず祈りへの求めが高まっています。パウロの教える3つの祈りの基本について学びましょう。
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新海薬聖書「殺さえ人への手紙」4章2節から3節をお読みします。 画面に出ているかと思います。
新海薬聖書2017年度版からお読みします。 頼みなく祈りなさい。感謝を持って祈りつつ、目を覚ましていなさい。
同時に私たちのためにも祈ってください。 神が御言葉のために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように祈ってください。
この奥義のために私はローにつながれています。 また私がこの奥義を語るべき語り方で明らかに示すことができるように祈ってください。
以上です。 今日はこのところから3つの祈りと題して御言葉を取り切ります。
皆さんおはようございます。 先ほど申し上げましたが、今日は2人のお姉妹方がですね
礼拝に集ってくださって、またオンラインでもこの画面の向こう側にですね 集っている方がいますので、
今の時代の最先端を行くですね、 礼拝を共に守っていることを本当に感謝しております。
それでですね 今日
昨日ですね、こんな線流を新聞で見つけました。
窓を開けるコロナ対策花粉来る。 笑いがここでも聞こえましたけど、窓を開けるコロナ対策花粉来る。
もう本当に春めいてきてですね、今日も良い天気で、埼玉県新座比ですけども良い天気で、いよいよ春かなと思いました。
気持ちもコロナ禍の中で上向いてきましたけども、今度はですね 花粉という悩みが来るという、そういう日常生活がやっぱり一筋縄では行かないということになっていますけれども
実はパウロもですね、私たちの日常生活のために3章17節から具体的な教えを連ねてきました。
3章17節は見ませんけれども、17節では何をするにも、キリストの名において全て死のためにしなさいという、そういう中からですね
礼拝についての教えが語られ、そして家の教会でしたから家の中での教え、 夫婦関係の教えですとか
親子の教えですとか、その当時は奴隷がですね、奴隷と言っても家族好きの奴隷でしたですね。家族同様に付き合っていましたからそういう奴隷に対する教えでしたが、
今日はその具体的な教えの最後、祈りについての教えの箇所です。
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この中においてですね、 クリスチャンはもちろん、クリスチャンでない方も祈りたいという思いが溢れているようです。
ちょっとこの画面にも掲げましたけれども、三聖堂の神明会国語辞典、日本で一番売れている辞典が昨年の11月に最新版を出しました。
そこにですね、祈りについて2つの意味が紹介されていますけれども、
その最初の項目で、祈りについてこういう定義がされているんですね。
祈りとは、自分の力でどうしようもない時に神仏の力にすがって良いことが起こるように願う。
これ一般の辞書で、祈りとはまさに自分に何もできない時に神仏にすがる、それを願うことが祈りだ。
そう紹介されています。
このようにですね、自分の力ではどうしようもない時にと言われているように、祈りはまさにクリスチャンにとっても生命線ですよね。
そのクリスチャンの生命線でもある祈りについて学んでいきたいんですが、本題に入る前にですね、私たちクリスチャンの大前提について考えましょう。
それはですね、私たちはどんな神仏に祈っているかわからない人とは違って、明確にどんな神様に祈っているかを知っている、それが特権であり幸いなことです。
私の住んでいる地域に大きな体育館がありましてね、宮道場があるんです。
宮道の弓矢のですね、和風の格好をした人よく見かけるんですが、宮道も皆さんご存知かと思いますが、的がありますね。
この的に向かってこのような矢を射るわけです。
この的に目がけて矢を射る宮道のように、クリスチャンの祈りもしっかりとした的、それは誠の神様を知ってイエス様の名によって祈る。
それが私たちクリスチャンの特権です。そのことをまず大前提としてお互い押さえておきましょう。
その中でこのパウロがですね、別の手紙の中でこういう素晴らしい訳を書けています。
ちょっと読める方、今日は教会も人数少ないので声を上げられる方、これ御言葉を読んでみましょうか。失礼しました。
3.何も思い煩わないで、あらゆる場合に感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば人のすべての考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いをキリストイエスにあって守ってくれます。
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私たちが思い煩う時に、そのすべて、願い事をはっきりと神様に知ってもらいなさい。
それをイエス様にあって、そうすれば平安が与えられるということですが、
この父なる神様にですね、思い煩いとか願い事を祈りの中ではっきりと私たちは言うことができます。
そうすると、人知を超えたイエス様の平安が心を守ってくださるんですね。
そのような祈りの素晴らしさがありますけれども、このことを知りながら3つの点を祈りについて学んでいきましょう。
人のための祈り、時間を決めた祈り、感謝を捧げる祈りという3点です。
まず第一、人と自分のために祈るですね。
じゃあちょっともう一度今日の聖書箇所、共に声に出せる方読んでみましょうか。
頼みなく祈りなさい。感謝を持って祈りつつ、目を覚ましていなさい。
ここまででいいでしょう。
パウロは、今日はですね、この2節から主に見ますが、ここで頼みなく祈りなさいと言っています。
で、ここのですね、その次に目を覚ましていなさいと言っていますが、これ何か思い浮かぶことありますか?
目を覚ましていなさい。気をつけていなさい。これはイエス様のお勧めですね。
この逮捕される前、直前のイエス様、ゲツセマネの園で、血の汗を流して祈りました。
その時に弟子たちにですね、目を覚ましていて、祈りなさいと命じています。
まあ留学に陥らないで、そういう気をつけていなさいという意味なんですけども、
そのような言葉をパウロは反映させながら、私たちにですね、目を覚ましていなさいと祈っています。
実は目を覚ましていること、逆に目を覚ましていないと私たちは自分のことばっかり祈ってしまうんですね。
ですから目を覚まして祈るというのは、他の兄弟姉妹のことを覚えて祈ることです。
ここのですね、パウロは今日の3節で、私たちのためにも祈ってくださいと言っています。
そうやって自分たちのためにも祈ってほしいと願いながら、この際の教会がですね、お互い同じ家族として祈り合う、
クリスチャンとして祈り合うことをパウロは命じているんですね。
実は先ほど挙げた国語辞典に驚くべきことがですね、書いてありました。
その祈りの項目にこう書いてあるんですね。
祈りとは、失礼しました。祈るとも書く、これ難しい字ですね。
その中で自分の身の上には良いことが、他人には悪いことが起こることを欲したのが元々の意味だっていうんです。
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皆さんね、よく時代劇なんか見ると、
祈祷師がですね、偉い人に頼まれて、火の中に松明を灯して受日をしているところを見たことがあるかもしれませんが、
そうやって、例えば敵方の将軍をたたるように祈る。それが元々の由来でもあったということなんですが、
しかしクリスチャンはそうではなくて、他の人々のために良いことが起こるように祈るんですね。
先ほどの国語辞典にもですね、2番目の定義にですね、他の人の上に良いことが起こるように願うことって定義がありました。
それは例えば手紙の最後に挨拶などに、祈ってますって書くことがそれに当たるというんですけども、
私たちクリスチャンは、このようにですね、なんとなく祈る他人のために願うんではなくて、
まことの神様イエス様に、他の兄弟姉妹のために取り成すことができるわけです。
そしてパウロはそのことをこの御言葉の中でも進めているんですね。
ちょうど先週皆さんに、教会の皆さんの自己紹介と祈りのカードを配りました。
ぜひですね、まさにタイムリーな出来事だと思いますけども、そのようなリストを用いてお互いのためにぜひ祈り合っていきましょう。
それが第一のポイント。自分と他人のために、教会の兄弟姉妹のために祈る。
2番目、時間を決めて祈るんですね。
パウロはですね、ここで頼みなく祈りなさいと最初に述べています。
それはですね、ある英語の聖書ではですね、Devote Yourself to Prayer。
祈りに身を捧げなさい、献身しなさいという言い回しになっているんです。
言い換えるとですね、祈ることをやめないために責任を持って祈りなさい、そういう言い換えができるかと思います。
パウロはですね、ユダヤ教の背景がありましたから、幼い頃から1日3回祈っていたんです。
朝の祈り、昼の祈り、夕の祈り、 そのユダヤ教の祈りの習慣を身につけていて、クリスチャンになってもパウロは日に3度
兄弟姉妹のために祈っていました。私たち現実問題ですね、パウロのように1日3回祈ることは難しいと思いますね。
ある人はですね、祈れる時にいつか祈りますって言うかもしれませんが、
この韓国のことわざでこういう言葉があるんですね、いつかとお化けは出たためしがないと。
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だから私たちはですね、弱い存在ですから、いつか祈りますと言うとですね、いつまでも祈らないかもしれないんですね。
ですからパウロのようにディボート、時間をしっかり決めて祈りの時間を定めるということが私たちにも必要かと思うんですね。
実はそのように時間をしっかり決めて日々祈ることが、生活の中で神様を体験する、そういうことにもつながってくる。
また生活の中で具体的に神様に従うということになるんですね。
今のコロナ禍において、高齢者の方、うちの教会には若い方ばかりですけども、運動不足でフレイルという、
虚弱という、英語はそのままですが、フレイルという問題が起きていますね。
そのためにですね、この筋肉トレーニングがテレビとかネットで紹介されています。
で、信仰生活もですね、この筋肉トレーニングと似ているんですね。
実践することによって筋肉が身につくように信仰生活も身につく面があるわけなんですね。
私がイエス様を信じたのは学生時代です。
宣教師の方々がその当時私たちの学生を導いて、たくさんですね、新しく信仰を持つ学生が生まれました。
で、オリンピックの代表にもなったある宣教師がですね、彼はそういうトレーニングとかの実践の重要性も強調していましたから、こう言うんですね、新しいクリスチャリ。
いいですか、1日5分祈りなさい。1日5分聖書を読みましょう。5分ずつの習慣から始めましょう。
そういう風に言うんですね。それはあなたの人生の財産になりますよということで進めてくれました。
皆さんいろいろ習慣あると思いますが、ちなみに私恥ずかしながら毎朝出勤する前に必ず祈る時間を持ちます。
その時に皆さん一人一人のことを覚えて文字通り祈らせていただいています。
皆さんもそれぞれですね、いろんな習慣があるかと思いますが、ぜひ今からでも遅くありませんので、
今日から、あるいは明日から時間を決めて日々祈る、また御言葉に勤しむ、そして祈りの中で兄弟姉妹のためにできればあのリストを用いてでも結構ですから取り直していく。
そういうお互いでやりたいと思います。
2番目のポイントは時間を決めて祈るということです。
最後ですね、感謝をもって祈るということです。
実はこの目を覚ましていなさいということにはですね、感謝することが含まれていると学者は言うんですね。
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このある学者は、今日のこの歌詞について目を覚ましていることと感謝することの関係についてこう述べているんですね。
ちょっと読めるか、一緒に読んでみましょうか。
3、ここでの感謝との関連は三重のリズムをなす、すなわち取りなし、目を覚ましていること、祈りのことが明らかになった時に感謝することである。
この今日のパウルの御言葉には取りなしというのは他の人のために祈ることです。
そしてそれは目を覚ましていることでもありとも関係していて、その目を覚ましていることには祈りの答えが明らかになった時に神に感謝することが含まれているんだというんですね。
皆さんどうでしょうかね。
子供なんかはよく何か買ってって言って買ってあげて喜んだらですね、そのままパーッとどっか行っちゃうことありますけども、
私たち神様に祈りを捧げて願い事をした時にその祈ったことを覚えているでしょうかね。
またその祈りが何か聞かれた、100%決まった形で答えられた時とか、祈りが聞かれたなということに目を覚ましていて気づくことがあるでしょう。
そういうことをですね、やはり私たちは神様に聞いてもらった祈り、祈りが聞かれたということに気がつく度にですね、神様に祈りの中でまた感謝すること、神様ありがとうございますということが大切かと思います。
この日々ですね、過ごしていく中でそれだけではなくてですね、たくさんの感謝すべきこと、神様の賜物が実はあります。
例えばですね、そのためにある日の祈りの時間を感謝の祈りの時だけに集中するということも良いかもしれません。
祈り、黙想してですね、神様ありがとうございます、家族を感謝します、仕事が与えられていることを感謝します、住む家が与えられていることを感謝します、寝る場所が与えられることを感謝します。
そういうことをですね、子供のように祈る、そういう日を設けても良いかもしれません。
今ですね、このコロナ禍の状況においてインターネットでちょっと調べてみたんです。
当たり前のことが当たり前でないと言われますよね。
そしたらですね、今日の説教にも引用しようと思って調べたら、もう数え切れないほどあるんです。
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ある学校の校長先生とかですね。
それほどですね、この巷では今までの当たり前だと思ったことは当たり前でなくて、愛しい感謝に値することだということに皆さん目が開かれているわけです。
私たちクリスチャンであればなおさらですね、そのことを神様の賜物だとして、神様にもう一度感謝する時を持っても良いのではないでしょうか。
あのノーベル平和賞をですね、受賞したマザーテルさん。
彼女がですね、こんなことを残しているんですね。
感謝の大切さをこう告げています。
ちょっと読める方はこれを読んでみましょうか。
3、はい、この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。
まさに言えて妙ですね。
このように人間関係において、これほど感謝が大切であるならば、私たちと神様との関係においても感謝は欠かせないことではないでしょうかね。
紙片にはですね、たくさんの祈りが記されています。
紙片と一緒にですね、祈るということも、私たちの人間関係において、たくさんの祈りが記されています。
神様の信仰生活に大きな影響をもたらしますが、その紙片の中には、死を賛美するようにという呼びかけがなされていますが、ある紙片。
その中にはですね、神様を賛美する、褒めたたえる理由をたくさん挙げている紙片があります。
賛美と感謝は違いますが、神の賜物を買いにみるということで似たことがあると思いますので、
この賛美する理由、それを私たちが感謝する理由ともなりますので、この神の良くしてくださったことを思い起こすという紙片を最後に、
共に読んで御言葉の説教を終わりにしたいと思います。
まずちょっと読んでみますね。ここだけまず一緒に読みましょうか。
わが魂よ、主を褒めたたいよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主はあなたのすべての咎を許し、あなたのすべての病を癒し、
あなたの命をあなから贖い、あなたに恵みと憐れみとの冠をかぶせらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように新しくなる。
このように私たちに良きものを与え、私たちの中に日々新しい命を注いでくださる神様に感謝する、そして祈りのうちに歩むお互いでありたいと思います。お祈りします。
21:20
天の神様、皆を賛美いたします。パウルを通して今日は、祈りの尊さについて学ぶことができてありがとうございます。
目を覚まして感謝を持って絶えみなく祈りなさいという言葉で言われていますが、あなたの賜物に私たちが目を開き、祈りの答えに目を開き、あなたによって目が開かれ、あなたに感謝しまた互いに取りなし合う、そのようなものとされますように。
この一週間どうぞ私たちをあなたが励まし、ご精霊によって支え、祈りの生活を営むことができるようにどうか導いてください。
祈りのうちにどうかあなたに打ち明け、あなたと交わるその幸いをこの週私たち一人一人が味わうことができますように、どうか精霊なる神様、私たちを慰め取りなしお見つけください。
この言い尽くせない思いを私たちの主イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
それでは一本ほど御言葉に応答して祈りましょう。
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