2020-09-07 25:20

【GMV220】行為者・観察者バイアス

人の行動は、自由選択の結果に見える。だから許し難くなる
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
このグッドモーニングバイブスを、今、平日1日おきに切り替えようかなと思っております。
これ回数が減るわけだから簡単になるような気がしますが、ネタを集めてやってるわけではないので、実は回数を減らしても別に簡単にはならなくて、多分難しくなるんですよね。
こういうことをやると途端に何かが崩れて、うまくいかなくなることが多いんですが、いろいろ事情がございまして、やってみることにします。
今日は普通通りにやるんですけれども、今後は毎日ではなく、とびとびでやっていこうかなというふうに思っております。
うまくいくといいんですけどね。
で、最近ですね、また一つグッドバイブスをやってて、ここが変わったなと思うことが現実に起こったので紹介したいんですけど、
先立てゴリゴさんという方とTAKさんという方、TAK.さんという方とですね、佐々木さん記録を撮ること…んーちょっとタイトルを正確に思い出せない。
佐々木さん記録って何か意味があるんですかみたいな、そういうタイトル。
私とゴリゴさんの顔が表紙に出るという、なんかこうちょっとホラーっぽいっていうのも変なんですけど、若干こう、気持ちよくなさそうなところにポイントのある電子書籍の表紙で、という本を出したんですね。
で、おかげさまで結構評判良くて、あの本あたりからですね、スターがやたらといいんですよ。
自分が携わった本で、星3、Amazonのレビューでですね、2以下がつくことが事実上なくなってないはずですね。
私がGood Vibesに関わるようになって以来、レビューで星2以下がつくことはなくなって、えーと、大体5なんですよね。
最近の緊張で言うと、倉園圭三さんとの協調が、星5が3つになって、
これは結構、あの精神衛生的には文句なく良いことです。
あの厳密に言いますと、売れれば売れるほど星1ってつくんですよ。
だから星1が全然つかない本というのは、それはそれなりに大きな問題がありまして、
正直星1がですね、ある程度一番少ないんですよね。真面目に書いた本はだいたい星1は、
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たとえ売れてついたとしても一番少なくて、それは健全な状態なんですけど、
5しかないっていうのは、かつて経験したことがやっぱりないので、
良くて私の場合、大体ありがたいことにそんなにひどい評価をバンバンつけられたっていう経験はほぼなくて、
メインは4っていう感じなんですよ。 だからそれで良かったんですけどね。
でもまぁ今は5しかつかない不思議なことに。
自分の中ではこういう経験はないので不思議で、 最初申した通りこれは
なんか飛ぶように売れてはいない時の現象でもあるので、手放しに完全に
万歳三昇というわけにはいかないんですけれども、まあまあ大変ありがたいことではあります。
し、これはグッドワイブ素敵だなとも思うんですよね、やっぱり。
それ以来の変化でもありますし、何よりもやっぱりゆっくりやるようになりましたよね、仕事を。
それの効果はあるのかなと思っております。
それはそれといたしましてですね、
今日考えてきているのが、なんとなくなんですけど、リベットという農科学者が研究して発見した
マインドタイムという本があるんですが、
パッと言ってしまうと要するにですね、いつでも好きな時に腕を上げてくださいと
言った場合、腕を上げようと脳が、腕を上げることに脳が決めた。もうこの瞬間腕上がるんですね。
腕を上げようとその人が思うのは、その脳の活動の後にくるという
有名な、非常に有名な実験です。 つまり私たちは少なくとも単純な動作に関して言うとですね、
脳が決めてからでないと腕を上げようと思うことができないという、
腕を上げようと思ってからそれに付随する運動家が
活動するのではなくて、まず運動家が活性化して、その後で腕を上げようと意志するという。
つまり、腕を上げようという自由意志の結果として腕は上がるんじゃなくて、
その自由意志はですね、腕が上がるという運動に付随する何かでしかないんですね。
大変な問題ですね。
人を殴ろうと思った時に腕を上げますね。 殴ろうと思った時には、もう脳は殴ることに決めているという話です。
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そういうことになるはずなんですよね。これをケンカで見たら大変すごいことだと思うんですよ。
非常に面白い実験がありまして、
この話をですね、応用した実験で、プレゼンテーションでスライド、
パワーポイントのスライドとかを次へ次へってやっていくじゃないですか。 これを脳の運動家に繋いでおくとですね、次へ行くやつ、つまり脳で次へ行くぞって考えただけで、
スライドをめくれるという風にしておくじゃないですか。 そうするとですね、さっきの
リベットの実験が働くために、次へ、次のページに行こうと思う前に、
ページがスッと動いちゃうんですね。直前にですね。 脳が読み取られているような感じがすると思うんですよ、これ。
スライドをめくった後で、 スライドをめくろうと思うんですよ。
このタイムランクはほんの一瞬なので、日常生活では気づかないんです。 1秒に満たない時間なので。
ただし本人の感覚としては、あからさまに逆になる。 どうしてもそうなっちゃうんですね。
つまり脳が先に動いた、これを検知してスライドが動いちゃうんで、 スライドを動かそうという風に意志を発揮するのはその後になるんです。
0.3秒から5秒後になる。 これはちょうどぴったりその数字が出ます。
卓球とかのことを考えると面白いと思うんですよね。 反応速度が0.5秒以内じゃないと試合に負けちゃうみたいな場合には、
腕を動かそうと思うというのは常に後追いになっている感じが多少あるはずなんですよね。 この実験結果から考えると。
これは個人差はなく、しかも実験結果にばらつきもほぼないので、 言ってみればこう
感覚的エビデンスがあるってやつです。 あんまり好きなことではないですけどね。
で、えーと、という話が
どういう風にですね、
グッドバイブスかというと。 まあグッドバイブスではないんですけど、リベットの実験はだいぶ昔の実験ですしね。
私、よく思うことがありまして、 思うことはいっぱいあるんですが、
後遺者観察者バイアスってものがあるんですよ。 何度か紹介しましたが、
例えばですね、 あの
料理にケチをつけてくる人が、まあいいや、 奥さんがせっかく一生懸命手料理作ったのに、
夫がおいしくないと言ったと。 そういう漫画を最近読んだんですね。
で、奥さんは壊れそうだと。 気持ちの上でですね。
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この話、ろくなこと、ろくでもないことを言うとは思うんですけど、 イリュージョンも多分に含まれておりまして、
一番私が最初にパッと考えるのはですね、 この漫画は奥さん目線で描かれているので、不公平だと言いたいわけじゃないんですよ。
不公平なのはしょうがないんです。 誰かの目線で描くんだから。
そうではなくて、後遺者観察者バイアスに、 まあバイアスは不公平なんだけど、偏見ですからね。
ハマっている。 つまり奥さんは自分がそう言われているから、
腹が立つわけですが、やむを得ず腹を立てていると思っている。 でも旦那はそういう性格だからこんなことを言うんだというふうに漫画では表現されている。
そうかもしれないんですが、その可能性は 著しく低いと言わざるを得ないんですね。
これはむしろ典型的に後遺者観察者バイアスなんですよ。 後遺者は自分の行動を受動的だと感じる。
そこに原因があると思うんですね。 旦那がまずいと言うから私は怒る。
普段は私は怨恨だって書いてあったんですよ、漫画にはね。
普段は私は怨恨で、怒りっぽい性格をしているわけではない。
でもこのようなことを言われたから、やむを得ず怒る。 つまり自分の行動は全部ですね、外部に要因があるように思えるんですね。
自分は内側から見てるから。でも外の人は違うんですよ、私たちの目から見る。
この人はですね、自由に振る舞ってこのようにおいしくないとか 言っても言わなくてもいいのに言っていると、そういうふうに奥さん目線から見ると思える。
つまりこれを観察者バイアスって言うんですけど、他人の行動はその人の内面から自由に発動されている。
私の行動は外部から要請を受けて、やむを得ず発動していると思う。
だけどもこの話は、夫と妻の関係だけ取り上げればそういう事実そうなのかもしれませんが、
私、私以外でとって、私以外の人はみんな自由意志だけど、私だけは受動的に動かされているって言ったら相当変ですよね。
でも私たちはこのバイアスに弱いんですね。とっても。
グッドバイブスでもよく、結構強調することに、おかしな行動をとっている人は不安や恐れを抱いている。
しばしばかなり強い恐怖によってですね、動かされている。このことを強調する意味はですね、観察者バイアスに陥らないためなんです。
私たちはついその人は自由意志で怒っていると思うんじゃん。つまり怒るか怒らないかは自由に選択できるにもかかわらず怒ってきている。
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その人は怒りっぽい性格をしているとか、その人の内面に原因を求める。
でもその人はただ何かに恐れていて、怒りたくないんだけど怒っているのかもしれないと思うとだいぶ見方が変わりますよね。
しかもそっちの方がだいたいの場合正しいんですよ。よく考えていただきたいんですけど、私たちが結構強い目の行動に出るとき、怒るでもいいんですが、
怒るがいいですよね、このケースでは。奥さん怒ったわけじゃないですか。怒りたくないのに怒ったわけですよね。
怒りたくないのに腹が立つと。このぐらいのことは聞き流せればいいのにってその漫画にもあったんですけど、まさにそうなんですよね。
にもかかわらず受動的に、頑張って自分はブレーキをかけようとしているのに足が勝手にアクセルを踏むぐらいな感じ。
私たちはよくよく考えてみると、攻撃的であったり、何か
強めのやっぱり行動に出るときは、だいたいですね、強制されている感じを抱いているんです。自分の内面の発露ではない。
もともとは本来は温厚な性質なんだけれどもって感じなんですね。
これが行為者バイアスです。この場合は。自分の行為は受動的である。
本来の性質から発信されているものじゃない。 そういうふうに誤解しているわけです。
だから、外の人を見てもそう思っておく方が、少なくとも半分以上はそうだろう、そうではないんだろうかと考えてみるのが、実は私はですね、かなり
この種の 行き通りを感じた時に有効な考え方なんではないかと
思うんですね。昔からその観察者バイアスというものは
人を無駄に怒らせるということはよく考えてきたんですよ。
クレーマーって人たちがそうなんですよね。彼らはついつい、私たち観察者側ではですね、自由意思でクレームを言ってきている気がしちゃうんですよね。
でも彼らの行動はあまりにも独特なんで、この人はもしかすると何かやむにやまれぬ事情でこんなにたけりくるっちゃったんだろうなって思えるようには
なってくるんですよ。フリーランスみたいなものをやってるとですね、特定の非常にユニークな方のユニークな行動に見え始めるので、
なんといっても大多数の人はそういうことを取らないんですよね。 その人はやむにやまれずそういうことをさせられている気になっているので、
私は昔ですね、大学時代に、やっぱり生来温厚というか温厚な人がいたんですよ。
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知り合いに、友達に。彼はですね、
自動販売機で100円玉が飲み込まれて、ジュース出ないとたけりくるんですよ。
一度ね、その自動販売機にものすごい勢いで蹴って、あれ鳴るんですよね。鳴って報道されてしまったことがあったんですよ。
まあ無事釈放されましたけど。そんなに怒るのはその人は自動販売機相手だけなんですよ。
こういう感じなんですよ。その人の自由意志で自動販売機に怒っているかというと、そうなんですけれども、
そうじゃないようにも見えるんですよね。なんかこう、わけあって自動販売機だと理性を失ってしまうような。
で、一番冒頭の話はここにつながるんですよ。
私たちって自由意志を発露してないんですよ。
発露できてないんですね。もう手を挙げることすら自由にはできない。
ある程度脳がお膳立てをして、挙げるぞって決まってから挙げるぞって思う。
そういうふうに仕組みになっているんです。自由意志っていうのは科学的に言うと存在しないんですね。
現在の科学的知識によれば。
だから誰かが自由意志の発露で怒っているとか、自動販売機蹴ってるとか、クレームを言ってきたとか、
この料理おいしくないと言ったとか、全部疑ってかかる必要が本当はある。
もしかするとその旦那はですね、あまりいい話ではないですけれども、
ここで黙っていると、この奥さんは料理に手を抜いていて、ここで黙っているとますますエスカレートする。
エスカレートしてとんでもないものを食べさせられるのではないかという不安に襲われているのかもしれない。
もうちょっとありそうなのがですね、それは漫画の内容から考えてなんですけど、もうちょっとありそうなのが、
昔、お母さんなり女友達でも女の兄弟にでもいいんですけど、
こういう時おいしくないと思ったらそう言わないとダメですよ、男の子は、とか言われた可能性はある気がしますね。
で、そこで黙っているということによってですね、お母さんなりに注意をされる時の不安感が募ってきて、
これは一瞬のことなんで、多分その人は本人の自分の感覚の中でそういうのを思い出せたかどうかも疑問だと思うんですけど、
一瞬上がって、そういうケチをつけるということに決まっちゃったら、多分脳がそれをお膳立てをしちゃったら、
これを一視力でね、逆らって止めるというのはかなり難しいんですよ、多分。
もう口をついて出てしまっている。このタイムラグは本当に少なくないとダメなので、
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だって手を挙げようと思って手を挙げる、ボールを投げようと思ってボールを投げる、これ意志の結果だと私たちみんな感じているではないですか。
意志の結果だと感じるためには、脳のお膳立てしてから10秒後に意志が発露したとかでは絶対ダメなんですよ。
そしたら私たちは誰も自分が自由意志を持っているなんて感じないですよね。
自由意志を持っていると私たちが感じることに何の意味があるのかは、
ちょっとこの脳と身体のシステムからすると不思議なんですが、
なんか進化上ですね、私たちは自由意志があると信じるべき理由があるんでしょうね。
明らかに少なくとも一部の体の動き、一部の行動については、自由意志なんてものが全くないにもかかわらずあると思って、
私も、ここはこのグッドモーニングバイブスの一つのポイントだと思っているんですが、
自分の自由意志でこれをやっていると信じていますし、感じているからね。
しかも自分の自由意志で喋っていると思ってますよ。
しかしおそらく私の脳を詳しく解析すると、これらの大半の、今これをやるとか、
雨の中だから少し位置を動かして洗面所の奥の方で喋るとか、
次に喋ること、リベットのことを喋るとか、後遺者観察者バイアスの話をするとか、
全部脳が勝手に決めていると思いますね。
そのことは脳科学で見るとバレバレになるでしょう。
そして私が、後遺者観察者バイアスを自分の意志で喋るぞと思っているのは、
多分脳の汚染立てが終わった0.5秒後ぐらいに決まっていることなんですよ。
いや、感じさせられていることなんですよ。
この実験でもう一つ大事なポイントがあって、感じないようにすることができるんですね、今はね。
つまり自由意志が発動したと感じないようにすることができるんです。
そうすると実に面白いことが起こるんです。
手を挙げるじゃないですか。でも手を挙げようとは思うことが、思うことを自覚できていないと。
かっけの検査みたいなもの。手が勝手に挙がった感じがするはずなんです。
そういうこともあり得るわけです。
でも私はこのグッドモーニングワイブスを200回以上、今日で220回目ぐらいかなと思っておりますが、
やってきて毎度毎度全く何もプランを立てずにやっているんですよ。
もはやプランを立ててやるということをしたらですね、すごい奇妙な感じがするぐらい、
もうプランは全く立てないというやり方をずっとやってきて、すっかりそれが習…なんていうんだろうな、癖になっています。
そうしてやっているとですね、そういうことかもしれないなと思います。
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つまり私が意思でやっているというのは、それがイリュージョンなのであって、
そんなものはどこにもないんだろうなと。
現に脳にはないんで、あるというのは思い込みなんですよ、間違いなく。
脳にセンターがないというのは、私グッドモーニングワイブスでも何度も言ってますけど、
これはもう別に、私はそのことに発見できるわけじゃないんで、
脳科学では常識で、脳のどこにも中枢がないんですよね。
中枢がない以上、そこが知れ出しているということが不可能なわけだから、あり得ないわけです。
腕を動かすときは腕を動かすための運動家が動くし、
喋るときは口を動かすための運動家が動くし、
というふうにいちいち違うところが主導権に握るわけですね。
で、なのにも関わらず私たちは自由意思で喋り、自由意思で手を挙げていると思っている。
つまりそのセンターがあるかのような錯覚を抱いている。
そのセンターを随分の脳科学者は1960年代から短続的に探してきていないわけですね。
で、センターがあったって困るじゃないですか。
センターがあったということになると、
じゃあそのセンターのセンターはどこにあるのかという疑問を必ず発しますよね。
西洋流に、科学者は。
だってセンターが中枢です。
だったらその中枢だって、例えば脳にそんなものはないですけど、脳中枢みたいな場所があるとするじゃないですか。
じゃあ脳中枢は重野にあるということになったら、
じゃあ重野っていうのは一定の広がりを持っているから、
重野のどの部分が中枢の中枢なのかって必ずやり始めますよね。
これをホムンクルースの語尾って言うんですけれども、
すでに名前までついちゃってるわけですね。
ないわけですよ、そのようなものは。
探していけば探していくほど中枢の中枢の中枢だっていう話にだんだんなっていって、
最後は1個の脳細胞にニューロンに行き着くしかなくなり、
そのニューロンが私たちの全行動を決定しているってことになるわけじゃないですか。
でもそんなニューロンを1個引っ張り出すことはできない。
ので、結局のところ中枢というものがあるというふうに信じるわけにはいかないわけですよね。
そうするとある人が料理にケチをつけるなり、
何かクレームを言ってくるなり、おかしな行動をとってくるなりするとしても、
それらがその人がやってもやらなくてもいい自由選択に基づいて、
その行動をとったと考えるのは観察者バイアスでしかなくて、
多分その人は何か矯正させられている。
奥さんとか料理作った人、つまり観察している側からすると不快なことが多いでしょう。
でもその不快なことをやったからといって、
それは自由意思に基づいてやっているわけじゃないと思うんですよ。
ことが犯罪になってくると、この話に大変難しい問題を持ち出してきちゃうんですね。
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これ犯罪だったら責任能力の有無という話に当然直結するわけじゃないですか。
農科学を厳密に適用すると、責任能力がある人って世の中に一人もいないように思われるんですね。
でもそういうわけにいかないので、責任能力がよっぽどの倍を除いてはあることにしてしまうんですけれども、
つまりそういうことなんですよね。
料理にケチをつけた夫に責任能力はあるかということなんです。
で、たぶんないんですよ。
私たちの自分の行動を振り返ってみると、たぶんそのことはわかるんですね。
私たちがおかしな行動をとるときは、何かしら矯正されている面がある。
かなりの部分そうで、だから後遺者バイアスはかかっているわけです。
その漫画を描いている人もそうです。
その奥さんは極めて受動的に、普段は温厚だけど怒らさせられているし、夫が怖いし、とにかく何かにつけて自由意志は発露されていない。
なぜ自分の行動は自由意志の結果ではないのに、他人の行動は自由意志の結果のように感じられるのか。
それを後遺者観察者バイアスと社会心理学者が呼んだということです。
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