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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
ちょっと発音が狂った。
寒いんですよ、ここね。
今、温めてるんで暖かくなると思うんだけど。
12月の25日に先送りをテーマとしたオンラインセミナーをやります。
だんだん残席がじりっじりと減ってきていて、
僕の観算では当日いらっしゃる方を入れると、今ほぼ満席に近いかなという感じなんで。
よろしければ、今の段階でお申し込みいただけると。
多分今、4日、3日だと思うんですけれども。
当日になるまでお待ちいただくと、多分無くなっている可能性もある気がします。
これ聴いている方限定みたいなCMになってますけど。
よろしければ、オンライン、ピリックスの方からお持ち込みいただけますので。
もっとあれですね、ツイートしないと。
あれはどこでやってるんだみたいなところありますんで。
最近ブログ、いわゆるノートの方を書いてないから。
今ちょっとノートにまで手を出している余裕がないんですよね。
またちょっとこれから考えていこうと思ってます。
昨日喋りまくったことの中に、高速道路の話がありますよね。
自分が抜いていく車は、要するに呪いと思っているわけですよ。
自分を抜いていく車は速すぎるわけですね。
常に自分は正しいっていう話。
これをナルシズムと合わせて精神分析的に考えたんですけど。
これはですね、社外心理学でも出てくるんですね。
社外心理学ではこれを後遺症観察者バイアスと言って、
この番組でもバイアスの話、昔はすごくしてたんですが、
いつしか精神分析に乗っ取られた感じになってますが、
乗っ取ったわけじゃなくて、僕が勝手に変えたんですけど、テーマをですね。
後遺症観察者バイアスというのは、特に観察者バイアスっていうのがあるんですが、
観察者はですね、他人の行動がその人の本質に由来するものだと思うんですね。
思ってしまう。
つまりビューンっていった車はみんなスピード強なんですよ。
つまりそれは運転手の性格に由来していると考えてしまう。
もう咄嗟にですね。
だってすべての急いでいる人が急ぎたいと思っているかどうかは分からないですよね。
しかし観察者バイアスというのがあるので、急ぎまくっている人はみんなスピード強なんですよ。
それは運転手の性格を見ているんですね。
主体性がそこに感じられているということです。
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それに対して後遺症バイアスというのは、自分がやっていることはですね、
我々そうですよね、自分がやっていることの原因は外部にあると信じているんですよ。
これを後遺症バイアスと言います。
自分が人の車を抜いていくときは急いでいるからなんですよ。
別に自分がスピード強だからではないんですね。
この話、昔本当に7、8年以上前ですけど、セミナーでしょっちゅうしてたんですけど、
まあ受けないんですよね。私これが不思議で。
この後遺症観察者バイアスから見るとですね、
いろんなライフハックが見えてくると思ってたんだけど、
これは受けなかったんですよね。
みんなそんなことはないだろうぐらいなノリになるんですけど、
私にはそんなことしかないような気がするんですよね。
なんでこれはダメなんだろうとよく思ってました。
多分人のナルシズムを傷つけるからなんじゃないかなと最近思うようになったというか、
当時もそういうことは余儀ってたけど、
当時はすごくやっぱり認知心理学とか社会心理学の方でのみ僕は説明したがってたから、
まあそのほうがですね、やっぱりこう安全だという、
これもすごいユージョンだと思うんですけど、
要するに精神分析の話とかをするのは、
懇親会ではかわいいハヨアさんの話ぐらいはするみたいにしておくと、
ちょうどいい、皆さんの気持ち的にちょうどよくなるという、
まあひどい偏見なんですけどね。
やっぱりこういう風に精神分析って軽減されてるんですね。
だからだんだん立場がなくなっていく傾向がある。
だから今むしろ一方的に偏っている。
なんでかというと、非常に簡単で面白いと思うんですよ、精神分析の方が。
婚姻者観察者バイアスというのは現象面の説明としてよく説明されてると思うんですけど、
どうしては一切ないんですね。
というバイアスがありますよっていう話なんですよ。
ここが観察心理学系の、本当に心理学よりか精神分析よりかですごく発想が違う。
精神分析は結局なぜっていうのをしつこく問い詰めてる感じがありますけど、
認知心理学とかはどのように見えるのかということに徹底的に着目して、
なぜなのかは原則問わないと。
一丁一段な面はあるんですけど、やっぱりこう、
この現象面に集中しすぎてる感というのは心理学側にはずっとあるような気もします。
とりあえずそれはいいとして、というバイアスがあるわけですね。
グッドワイブスが言うのは、つまりこの人間の自然のバイアスの形成功というものに逆を逆を言うという、
だからある意味ではそれが一つのセラピーのようにも機能するし、
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ある意味では難しいなと難しくないはずのことまで難しく感じられる要因だろうと思うんですね。
後遺者観察者バイアスに対してグッドワイブスの言うことは逆ですよね。
後遺者は意思でそれをしているということをところを強調する。
つまりスピードを出しているのは自分がスピードを出そうとしているからだって言うじゃないですか。
これが私たちの後遺者バイアスに対する逆なんですよね。逆の言い方。
逆方面から。ほとんど自分のバイアスに対して常に、言ってみれば敵対的なわけです。
バイアスですからね。バイアスというのはつまりイリュージョンとほとんど変わらない。
同じじゃないですけども、なぜこういう偏りが起こるかというと、
後遺者は外側のことにフォーカスするからだと思うんです。当然。
自分がなぜそれをしているのかというと、外部要因を引っ張り出したほうが後遺者からは見えやすい。
目は外に向かって近くしますから。
私はなぜチョコレートをいっぱい買うのかと。
カゴの中にチョコレートをいっぱい買っているとですね、やっぱり観察者はついバイアスが買ってこの人はチョコレートが好きなんだなって思うわけですよ。
でもそれは部活で買いに行かされている人みたいにチョコレート40個買ってこいと誰かに言われるのかもしれないんですよ。
だいたい後遺者は、この場合は後遺者が正しいんですけどね、
後遺者は自分がそれを好きでしているわけではないという観点を取ることに慣れているんですね。
常に何かをさせられている。
だから後遺者バイアスにつかりきると、どうしても被害妄想的になっていくんですね。
観察者バイアスでずっと他人を見ていてもやっぱり被害妄想的になっていくんですよ。
周りの人はすごく好き勝手に生きているように見えますから。
周りの人はですね、全員自分が好きでそれを言っていると思っているわけですね。
観察している人は。チョコレートが好きだしスピード出すのが好きだと。
その人がどういう事情でそれをしているのかについては頓着しないんですよ。
ここもグッドバイブスは基本逆を言いますよね。
その人は必ずしも好きで怒っているわけじゃないという、そういう言い方をするじゃないですか。
その人はやむを得ず怒っていると。不安や恐れがあるから怒っていると。
これは観察者バイアスに対してやっぱり逆なんですよね。
言っていることが。
観察者バイアスはこいつはパワハラなんだっていうのが観察者バイアスっていうもの。
つまりその人の性格にその行動を由来していると考える。
自分の行動は常に自分の性格には由来しないのに、他人の行動は常に他人の性格に由来するんですよ。
たびたび持ち出して申し訳ないんですけど、私のAmazonのレビューで低評価付けた方がこのバイアスを持っていらっしゃるんですね。
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誰でも持っています。
だからある意味グッドバイブスはこの逆を言うんですね。
誰でも持っていて、世の中には生まれついてパワハラとかサイコパスがいるんだって。
これがつまりその人の、見ている人の行動があまりにも特に偏って見えるときは、その人の性格に由来していると考えてしまいたくなる。
非常に私たちはそういう強いバイアスを持っている。
多分その方の目からすれば、その通りと言えばその通りなんだけど、私が本を書いたのは私がああいう本を書きたい。
性格だからだという風に考えている。
だからどうしても自分が読んだ本で嫌な気分になった場合、この本の作者の性格を正してやりたくなるものなんですね。
これが多分書評というものがしばしば非常に厳しくなる。
なぜならば、いくら書評を書いても、著者の性格を叩き直せるとはとても思えないじゃないですか。
だから勢い自分の無力感というものを感じられると思うんですよ。
書評を書いている人は好意者なので、好意者としての気持ちとしては好きで書いているわけではないわけですよ。
好意者は常に外部の外的な理由によってそれをさせられているわけですから、チョコ買いに行けって言われているから買いに来てるんで、別にチョコ好きなわけじゃないんでね。
だから書評を書く時も別に書評を書きたくて書いているわけじゃないわけですよ。
やむにやまれず、もちろん締め切りが迫っている、これも外的要因ですけどね。
そういうこともあるでしょうし、あるいはこういう著者の本がのさばるようではいけないという、本当は書評なんて書きたくないし、星1なんかつけたくないんだけども、無理やりさせられているような感じがある。
ここにやっぱりどうしても被害者意識みたいなものが発生しやすい理由があるんですね。
ただ、子医者間接バイアスに関しては、なぜそういうバイアスが起こるのかという説明はあんまり重要じゃないというか、あんまりなされないんですね。
社会心理学ではやっぱりこういうバイアスがあるということを繰り返し強調すると、この辺からそのバイアスがですね、
どうのようにしてある種の人間の不合理な行動というのは、つまりお金の儲からない行動という意味なんだけど、お金の儲からない行動をあえてさせるのかという研究が経済の方に投入されて、経済行動学とか経済心理学というやつを生み出したんですね。
バイアスがあるということは、その人を儲け損ねるじゃないですか。
多くの場合そうなりますよね。
観察者バイアスを使った子医者バイアスを使っていると、株を売買しているのは間違いなくその人の意思のはずなのに、何かこう無理やりここで売らされたり、ここで買わされたり、させられているような気になってくる。
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この心理状態で株やったらまあ損しますよね。全然合理的な判断ではなくて、何か強制的に売買させられているような気になる。
でもこういうケースはすごく多いと思うんですよ。
ギャンブルとか投資では常に自分の後遺者バイアスに気をつけるようにというのは、行動経済学ではよく言っています。
間違いなくそういうバイアスが働くので、今売るべき時だというよりは、もうこの言い方がそうですよね。
外的要因、つまりニュートラルじゃなくなるということなんですね。
このニュートラルじゃなくなるのは実にいろんな理由があります。
例えば人は得をしたいと思うよりは損をしたくないと、一般的にはという意味ですが、得をしたいと思うよりは損をしたくないというバイアスが強いので、損をしそうになると強制的にそれを回避するためには何でもするみたいになりやすいんですね。
だから存在してはならない点、損失参照点というやつですけど、私は投資を100万円で始めました。
だから90万円になってしまったらすげえ腹が立つわけですよね。
この10万円を取り戻すまではやめられない。
これは完全にバイアスなので、その100万円など90万円などというのは自分の勝手な点なのに客観的に存在しているような気になって、無理やりそこの売買に付き合わされているような気持ちになっていく。
これが後遺症バイアスなわけです。
だから全然ダメなわけですよ、要するに。
こういう意識でいてお金が儲かるはずがないんですね。
そういうふうに言うわけですよね、行動経済学は。
ただし、なぜそうなんでしょう、みたいなことは行動経済学はあまり興味がない。
なぜ損失バイアスが働くのかとか、なぜ損失参照点を見ちゃうのかということよりも、見ちゃうということが行動経済学にとっては大事なわけです。
多分これは生物学的な本能ということになるんでしょうけど、
それはすごくさらっと説明されるか、ほぼ全く説明されないままいきます。
一方で精神分析だと、それはなぜなのかということを、
母親なの、生まれる前なの、生まれた直後の、最早期なのの、
意味付けに基づくみたいな話まで持ってきて、
とにかく原因追求型ですね。
なぜかというのは、やっぱりここの番組でも散々喋っている通り、
この種のバイアスというものを取り外すために何をしたらいいのかということが非常に重要だから、
行動経済学ではどっちかというと、ナルシズムにどっぷりみたいな人は問題になっていないので、
少なくとも株の売買は普通にできるぐらいの人だけが相手にされているから、
気をつけましょうね、以上ということになるわけです。
そもそも学者さんは自分は投資しなかったりしますからね、
アドバイスするだけっていうのは楽ってば楽なわけです。
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この行為者観察者バイアスの話を昨日したわけですよ、ある意味では。
昨日はナルシシズム側からだったんですけれども。
思い出したんですけれども、アメリカで留学中にえらいストーカーに付きまとわれていて困っていたタイ人の女の子がいて、
彼氏みたいな人にあれは一体どういう心理なのかを、
あんた心理学やってるんだから説明しろと言われて、
会ったことがあるんですよ、そのストーカーの人に。
すっごい僕が印象として残っているのが、日本人ではないんですけどね、
タイ人でもないんですけど、アメリカ人でもないんですが、
言葉もわからないのに、片言の英語でやりとりはしましたけど、
すっごいナルシスティックだなっていうのは感じたんですよね。
自分かっこいいとも思ってますし、とにかく人が自分に逆らうことは一切許さないという、
このレベルはすごいなっていう人だったんですよ。
わかんないわけですね。
心理学的にとか言われたって、そんなストーカーの心理とかを習ってるわけじゃないし、
ただ強く印象に残ったのが、ほんのちょっとのやりとりなんですけど、
ものすごい強い、一つには分離不安がすごく強いというのは感じました。
要するに別れられ、もともと付き合っていたのか知らないんですけど、
別れられないということで、可能であれば四六時中一緒にいたいという感じなんですよ。
彼は私には付きまとわなかったけど、そうは言っても離れ難さみたいなものを、
彼はやっぱり意識させてくるんですよね。
そういう力が働く。
これはなんともうまく説明できないんですけど、
結構かっこ悪いわけじゃないですよね。
かっこいいと自分が思ってるくらいだから。
だから話していてつまらなくはないんですよ。
魅力的でもあるんです。
ただしつこいというのか、慣れ慣れしすぎるというのか、
ただこれも私は日本人なんで、
アメリカに行って感じたのは自分はよそよそしすぎるんだろうなとは思ってたから、
ここに多少の非対称性はあるんですよね。
でもやっぱり過度に慣れ慣れしいなというのは、
それが嫌な感じはしないんだけど、なんか警戒させる感じはあったんですね。
この時に感じたのはですね、
要するに大臣に説明したのは説明になってないんだけど、
すごくナルシスティックに見えるねって言ったら、
すごい納得されたんですよ。
こんな説明でいいのかって思ったんですけど、
全然説明になってないじゃんこれ。
見た通りじゃんっていう感じだったんですけれども、
その人たちはすごい納得してくれたんで、
あれがそう見えるのは世界共通なんだな、
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世界共通じゃないにしてもアジア共通くらいは広いんだなっていうのは感じましたね。
ナルシシズムが正確ですが、
ナルシストって言っておいて、
日本人にしかわからない言い方なのかと思う。
カタカナナルシストみたいなね。
色々いますし、全然違いますからね、世界の文化って。
だけれども彼はナルシストっぽいって言っただけで、
すごく納得されるということは、
ああいう人は多分世界のかなりの文化圏にまたがって、
ナルシストっぽく見えるんだなっていうのを感じました。
さっきも言ったし、昨日も言ったような、
後遺者観察者バイアスみたいなのは僕らみんな共通なんで、
これを精神分析でナルシシズムの何かみたいな言い方をするにしても、
いわゆるみんなが知っているナルシストとは全然違うじゃないですか。
髪抜けちゃらっとやるみたいな、ああいうのとは違うじゃないですか。
僕らああいう人って早々現実には見かけない。
漫画とかドラマとかではよく出てきますけど、
あのレベルのストーカーもそこら中にいたら結構困っちゃいますよね。
まあ見かけない。
つまり病理って言ったときはやっぱりのすごく極端で、
私たちが一般的にバイアスを持っているというレベルとは全然違うわけですが、
そこにはやっぱり何か共通したものがあるんだろうなとは思うんですよ。
この番組でもちょっと前にナルシシズムの話は結構細かく色々と、
要するになんちゃって精神分析で読みかじったものをやたら喋っているだけなんですが、
やっぱり僕が思い出すのはですね、
お好み刑護さんの赤ん坊陛下って言葉がある。
お好み刑護さんなのかな、とにかく赤ん坊陛下って言葉があるんですけど、
これが一番スパッとくるなとは思うんですね。
何にもできない人ほど偉いという逆説的な状態。
赤ちゃんって何にもできませんよね。
そして親はいつも僕は思ってたんですけど、
これは執事か家来か、家政婦か、それに類する何かだ。
海猫の泣くころにっていう猟奇的なホラー漫画に、
私たちは家具ですからっていう言葉をやたら言うお手伝いさんみたいな人がいますけども、
あんな感じになるんですよね。
まさに私たちは家具ですからみたいな感じになっちゃう。
赤ちゃんの世話をずっとしていると、
赤ちゃんがそんでいる、特に2歳くらいかな、
妻も言ってたんですけど、私もですね、
すごい孤独になる感じがする時があるんですよ。
この孤独感は社会から若干切り離されているとか、
様々な感じはあるんだけど、
要はまさにこれがウィニコットが言ったやつだと思うんですよね。
環境としての母親ってのは環境なんで、家具だから人間じゃないわけですよね。
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赤ちゃんは私たちを相手にしてくれているようで、
相手にしてないのが明らかなわけですよ。
しょうがないんですけどね。
要するに自分の世界で完全に満足しちゃっている人といるっていうのは、
こういう感じになるんだなと。
あれは私は、それをもう1年近くやるじゃないですか。
あれはいい精神分析だと思うんですよね。
私たちにとってのですよ。
子育てってすごい一つ、学習させられると思うんだけれども、
本当にこう、自分とはこう扱われるべきだって、
信じている面があって、赤ちゃんにそれ言ったって無駄ですよね。
全く無駄なんですよ。
赤ちゃんは少なくとも機嫌がいい時は、
1人でこうやって積み木を1つ1つ1つって、
時間をうんっとかけてやって、それで平気なわけですよね。
だからもう私がそこにいるという、
いるんだけれども、いないわけにはいかないから、
危ないですからね。
いるんだけれども、とってもこう、
なんて言うんだろう、置物になっている感じになるわけです。
これがすっごい大事なんだろうなと思うんだけど、赤ちゃんにとっても。
自分にとってもおそらく。
すっごいこうですね、やっぱり。
なんて言うんだろうな。
普段自分はこうは扱われないっていう意識が出てきてしまうんですよね。
で、腹は立たないんですけど、
なんだかすごくこう、
人間扱いされていない、されてないんだけど、
されていない感というものに、独特の苛まれ方がある。
その感じがすごくこう、長く続くわけですよね。
これは非常に私はいい体験だったとずっと思っています。
他ではえがたいという。
多分人といると、人とやってしまうとこれを文句言っちゃうんですよね、どうしても。
赤ちゃんだからこういうふうにやってられる。
ある意味ですね、なんて言うんですかね、ちょっと違うんだけど、
ずっと目高の水槽を眺めているとこんな感じかも。
彼らは私のことは意味介してないじゃないですか。
この意味介してない感というのが大事なんですよ。
でもやっぱり目高の水槽はダメですね。
なんかね、はっきりとした一つ仕切り板がありますからね。
赤ちゃんと私の間にそれがないのに、
ないのに私はいないことになっているってところの方が打たれるんですよね。
リアだというのとは違うんですよ。
打たれるんですね。
で、今の話はつまりですね、
この赤ちゃんの態度を大人になって丸々やると、
すごいナルシズムが強いということなんです。
で、一つは環境としての母親という言い方をしましたよね。
つまり、ナルシストって私が言った時に、
相手が私に対してナルシシズムが強いって思った時には
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必ず私は環境にさせられていて、
あの時はわからなかったんだけど、
環境になっちゃえばいいんですよ。
私はなんとなくそういう振る舞いをとるんですけれども、
付きまとわれている女性にしては嫌ですよね。
もう付き合いたくない男に自分が母親代わりをさせられるというのは
とんでもなくナンセンスなんですが、
でも、つまり分離不安なんですよね。
環境がないと実はやっていけないんですよ。
これは能力が足りないとかではないです。
能力が足りないケースもあって、
そういう場合はますます手に負えない感じがしますが、
能力が足りなくはないんですよ。
やっぱり情緒的なものなんです、これは。
そこに母親がいてくれないと、
自分は何にもできないということを
心の底では知ってるんですが、逆転させるんですね。
あの趣味の人たちはみんなそうなんですけど、
俺がいた方がいいんだと言うんですよ。
これは多分そうしないと形として収まりが悪いから
そういう形になっちゃうんでしょうけれども。
よくこのストーカーの話は、
心理学でも実際はやるんですが、
異常心理学で異常と言うんですけどね。
異常心理学と言っちゃうんだけど。
怒りっぽいというか、
これ違うんですよね。
怒りっぽくはないんですよ。
結構機嫌いいんです。
やっぱ赤ちゃんと似てるんですね、そういう意味では。
こいちは申し訳ないけど。
つまり急に怒り出すんですよ。
それも結構みんなドン引きになっちゃうんですよね。
急に怒り出す。確かにそうなんです。
あれは間違いなくいいおっぱい、悪いおっぱいなんです。
だからやっぱりどうしても幼児っぽいっていうところは強いんですよね。
つまり、何らかの理由で環境が素晴らしいときは
実は機嫌が良くて、
基本的に好きでそこの人たちと一緒にいるから
機嫌いいんだけど、
何かこう、地雷ってみんな言うやつなんだけれども、
おっぱい出なくなりました。激怒するみたいになるんですよ。
普通の場合、成人はですね、
おっぱい出なくなったらなったで、
つまり水道の水ひねったときに出なくなったら
うっと思うかもしれないけど、何か考えるじゃないですか。
それはつまり環境に対して自分は何かができるし、
環境とは相互作用するものだと思ってるからなんだけど、
ある種の人にとってはそうじゃないですよね。
出なくなるということはもうあってはならないことなんですよ。
環境は常に万全であってほしい。
赤ちゃんにとってはそうですよね。
自分が環境に対してできることは何もないわけだから、
環境は常に万全であってほしい。
赤ん坊陛下なわけですよ。
で、私たちはこういうところがみんなあるんですね。
特に情緒的にはあるんですよ。
だからなんですよね、グッドバイブスで言うところの
だから甘えさせましょうになるんだけれども、
そうすると、俺はいつ甘えられるんだという反論がすぐ飛ぶはずなんですが、
27:00
環境としての母親というのは自分に対しても有効作用するんですね。
有効に機能するから。
人を甘えさせられるレベルの人は、レベルの人っていうか、
そのレベルで心が機能できている人は、
自分のことを必ず甘えさせられるはずなので、
甘えさせて損になることは絶対ないはずなんですよ。
甘えさせることによって一方的に自分が被害を被ると感じるということは、
自分は必ず人に甘えなければならないと言っているのと全く変わらなくなるんです。
これ、ここを飲み込んでもらえれば、話はがぜん早くなるんですけどね。
今回、昨日の話のきっかけはタスクシュートクラウドにしましたって話ですね、私が。
タスクシュートクラウドはタスクマの違っていろいろと、
私はタスクマ慣れたから扱いにくいところがあるわけですよ。
ここで使えないと思うという考え方もあると思うんですね、感じ方として。
でも、ちょっと我慢すればいろんなことができるわけじゃないですか。
この時のちょっと我慢をするというのは、つまり自分の心の中でですけどね、
母子の関係の中で子供側にいるか母親側に移るかっていう話なんですよ。
俺は絶対に母親側には移りたくないんだという主張が、
という宣言が人を甘えさせるなんてとんでもないという宣言で、
これをやると何が起こるかというと、
私は自分の心の母親側は使いませんからねってことになってしまうんですね。
自分は心の中の心は一つなんで、いろんな機能を持っているにしても、
子供側だけで行きますからねっていうことになるわけですよ。
この子供側だけで行くということは赤ん坊陛下だから、
一見ある意味すっごく幸せかもしれないけど、ものすごく危険なことでもありますよね。
赤ちゃんは寝返りも打てないわけじゃないですか。
あそこに行きたいかっていうことなんですよ。
あれを本当は赤ちゃんだっていろんなことが見えていたら、
あの状態をとても怖くてやってられないと思うんですね。
だから母親は人間になってはいけないというか、
母親とか父親が赤ちゃんが小さい頃から、
当然赤ちゃんに対して私は一個の人間だから自分の事情とかもあるし、
急に環境をやめるよみたいなことになったら、
そういうことを感知できるような瞬間があったらトラウマになるっていうのは当然で、
あの状態で放置されたらたまったもんじゃないですよね。
手足を縛られて寝返りも打てずに、
誰かが水持ってきてくれるのを待つしかないという、そういう状態ですから。
あの状態は厳しいんですよ。
つまり母子の心の機能の中で自分が子供になりますという宣言をするというのは、
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実はそういう意味では自分を縛るということになるので厳しいはずなんです、本当は。
だから多分私が思うに、
強くナルシズムが出ているストーカーの男の人みたいな方は分離不安を訴えるだろうし、
ある種のことが起きたら非常に取り乱して怒るわけですよね。
それはやっぱり手足のどこかが縛られている。
それが地雷なんだけど。
ある種のことをやってくれないということになると、その人にとっては一大事なわけです。
自分から環境としての母親が離れていく。
これは非常に勝手な思いなんですけど。
今まで付き合っていた女の人は、大人の女の子なんだけど、環境としての母親ですから。
それが勝手に去っていくということは、自分を捨てるようなものなんですよ。
これが認められない。認められないということがあるので、
自分はこんなに魅力的なのにっていうところを赤ちゃんじゃないってね、強調するしかないんですよね。
赤ちゃんにとっても同じですよね。
お母さんにとって私は大事でしょうと、そういうことを言う赤ちゃんはいないし、
そういう言い方をするような反応をするということは一定の問題だと思うんですけど、あんまり早いうちからは。
でも多分、ある種の年齢に差し掛かれば、これは主張すると思うんですよ。
だからそういう時に甘えが、何て言うんですかね。
無理をせずとも甘えが満たされるというのが一つの理想だとするならば、
ある種の無理をしなければ甘えが満たされないというのは、自立と分離の話じゃないですか。
ここのところにこじれると引っかかりを生むというのは、まあまあ当たり前だと思うんですよ。
もうこの、私なんか昨日思ったんですけど、タスクマからタスクシュートに移行する。
移行対象というやつですけど、違うのかな、移行空間かな。
とにかく移行というのはつまり分離の始まりであって、そこに引っかかりが生まれるんですよね。
今までほぼ無意識で甘えていた何かに甘えられなくなってしまう設計思想が違ったりするからですね。
そういうことが起こると、私は必ずほぼ100%と言っていいくらい後遺症バイアスにハマって、
なぜ俺はこんなことをさせられてるんだろうって思うんですよ。
自分の意思でしたわけじゃないですか。
乗り換えなどというのはですね、ここの部分にスポットを当てにくくなるんです。
移行期にそれが起こりやすい分離不安というものが強く出ていくので、
多分、どんな男の人もそうですけれども、女の人もそうですけれども、
別れるという時にはですね、結構エゴイスティックな振る舞いをしているから、相手が愛想をつかすわけじゃないですか。
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にもかかわらず離れられるということに対して、強い分離不安を抱くというのは、
ヒステリーでは常識的な展開ではありますけれども、
なんかそういうところに対して、一方的に自分はですね、
外的要因に100%依存しているっていう感覚を抱くんですよ。
自分が悪かったと思うのは、嫌なことかもしれないんだけども、
これを全然思わないように頑張るということになってくると、
つまり自分は100%無力なんですということになってしまうので、
これがただそう思うだけならまだしも、100%無力になるように
無意識というのはわざわざ援助してくれちゃうんですよね、多分。
私はこれが怖いんだと思うんです。
そのストーカーの人の話、ことを思い出した時に、
そっか、あれはやっぱりどう考えても、少なくも有力な人のやることではないですからね。
罪悪感って話に近づいちゃうんであれなんですけれども、
これを罪悪感と言わずにというか、意識せずに持っていきたいところなんですけど、
要するに相手にひどいことをしたから別れるという時には、
大概のケースではそうは思いたくないので、相手がひどかったから別れるようになるんですよ。
これはいろんなところで小さな形ではいくらでも出て、
何かに乗り換えるという時でも、今回の私の場合ちょっと違いますけど、
例えばエバーノートから何かに乗り換える時でも、
必ず関係においては相手が悪かったことに普通暴露するはずなんですね。
人が腹を立てる時はみんなそうです。
そしてその時に必ず起こっていることは、
たとえそれがどれほど理不尽のように思えて小さいことのように思えても、
人との関係を切る時は自分が無力になったんですよ。
自分が無力になっただけならいいと僕は思うんですよね。
自分が無力だと思い込んだとこの人との関係をなんとかできるほど自分は有力じゃないと思うというのはいいと思うんですけど、
ここをリアルに援助されてしまうんですよ、無意識に。
これが嫌だと思うんですよね、私は。
あのタイ人の女性がストーカーの人と離れたのはいいことだと思うんですけど、
でもですね、これはめちゃくちゃな言い分として聞いていただければいいんですが、
あれをどうにかできるほど有能な自分であり得る可能性は拒絶したことになると思うんですね。
明らかにそれでいいんですけれども、距離を置くということについていろんな援助を、
アメリカではストーカーというのは問題ですからね、非常に重大な問題なので、
殺人事件になったりもしますからね、援助をこうて出しそれでいいんだけれども、
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ああいうふうにするということは自分の母親機能を一つオフにした。
で、オフになっちゃうんですよ。オフにしましたから、現実に。
あのケースはそれでいいと思うし、私たちは結局そうせざるを得ないこともありますけれども、
私は結構グッドバイブスというのはすごいチャレンジになっているんだなと時々思うんですよ。
母親機能を全部オンにしたら何ができるだろうみたいな問いがここにあるなとよく思うんですね。
それってすごく損じゃんって思うかもしれませんが、
でもですね、例えばあの人があのストーカーを最後まで面倒見られるようにしたら、
さぞすごい人っていう印象をみんな持つだろうなとはあの時も思いました。
私は今みたいな話は一切知らない頃ですよ。2002年とかまで遡ります。
今から20年くらい前。振ってもったいないとかは思いません。
つまりですね、素晴らしい環境でなら誰だってやっていけるじゃないですかってことなんですよ。ある意味では。
そうは言ってもものには限度があります。
でも素晴らしい環境が、つまりこれがパーフェクトマザーって言うんですけどね。
完璧なお母さんっていう言葉の誤解で、これもまたフェミニズムから攻撃される対象になっているのを私は読んだことがあるんだけど、それは誤解だと思うんです。
パーフェクトマザーが父親である可能性はあるんですよ、十分。別に母親でなきゃいけない理由ではないんです。
これは精神分析で言うパーフェクトマザーというのは、つまり赤ちゃんが無機能になるっていう問題を言っているんですよ。
これ多分私はですね、パーフェクトマザーはこの世にいないので人間では無理だと思うんですが、AIだと可能な感じがしまして聞いています。
これをやると多分赤ん坊陛下は本当に赤ん坊陛下になっちゃって、何もできないに限りなく近い人っていうのが生み出され得る。
ひどい話になりますけどね、ものすごいお金のある人が完璧にリグレットをすると、そんなことが起こり得るような気が少しするんですよ。
まだ未来の話です。今じゃ無理ですよ。赤ちゃんのこういう表情をしたら何を出すとか、こういう波長を出したらこういうものが出てくるとか、脳波って出ますからね。
温度も完全で、食事の与え方も何から何まで完璧なところにいるっていう人は多分自分の欲求というものをほとんど意識できないということになり得るんではないかと思うんです。
つまりこれが母親機能が全てオフになった状態なんですよ。多分ですね、これを幸せだと思う人っていないと思うんですね。
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これだと多分主観的には完全に子医者バイアスの中にはまっていて、自分がすることは全てさせられることだっていうふうに思うんじゃないかと。
そのうちですね、ちょっと読んでみたいと思ってるんですけれども、鎮労働の何とか、お金をもらって労働することの何とかみたいな、そういう苦しみについて書いている本があったんですけども、
多分この種のことが書いてあるんだろうなと思うんです。私たちが仕事を先送りしたりつらいと思ったりするのは、この赤ん坊閉鎖状態でなぜか仕事をさせられるときが一番ひどいと思うんですよ。
させられているっていうふうにしか思えないはずなんですけれども、ある種の母親機能をオフにした状態が仕事はいいとでも思われている傾向があるんですよね。
私これは完全に逆だと、ここ2年で思うんです。グッドバイブスでやるようになってからわかってきたことなんですよ。母親機能を使った方がよっぽど仕事って楽に進むんですよ。これが搾取だとか損だって言われてしまうんですよね。
でもこれはまず赤ちゃんじゃ仕事できないじゃないですか。それと同じように自分が無力な状態だという家庭の下で仕事をするほどつらいことはない。
これをやめるにはやっぱり自分の有力性というものを意識するしかなくて、自分の有力性を意識するということが危険だというふうに考えられていることがある種の危険性なんだろうというふうにここ一連の話の中で最近よく考えるところです。